長野市議会議員会派

改革ながの市民ネット

オミクロンに対応できる具体策を論じる場は

 昨年11月、ニッセイ基礎研究所主任研究員、篠原拓也氏が論じた『新型コロナ 社会的な終息に向かう?』について、オミクロン株による新型コロナ急拡大下にある今、大変重要な指摘であると思いますので、以下、概要を紹介します。 <楽観バイアス>  コロナ禍が始まって2年となるが、この間、感染の波は何度も襲来した。昨年夏、緊急事態宣言が発令されている中、東京オリンピック・パラリンピックが開催され、自粛と祭典という正反対のメッセージを人々に発した。結果として、コロナ軽視の楽観バイアスが生じた。  一昨年、最初の緊急事態宣言が発せられ、誰もが未経験の事態に直面し、社会全体で自粛に努める動きがみられたが、その後、徐々に人々に馴れが生じ、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の実効性が薄れていくと同時に人々はコロナ禍に順化していったといえる。 <2通りのパンデミック終息>  一昨年5月、アメリカの歴史学者は、パンデミックの終わり方には2通りある、と述べていた。 1つは「医学的な終息」で、罹患率や死亡率が大きく低下し感染が終息すること。もう1つは、「社会的な終息」、感染状況が変わらないまま、病気に対する恐怖心が薄らぎ、人々は疲弊し病気とともに生きることで終息するとうこと。 <過去の社会的終息>  社会的収束の代表例が、1918年にアメリカを起点に流行が始まったスペインかぜ。世界全体で5000万~1億人が死亡したといわれたが、第一次大戦とも重なったことで、感染拡大のニュースが敵国を奮い立たせる恐れやパニックを避ける必要があったことから、病気の深刻さが過小評価され、マスコミ報道も少なかった。  その後、弱毒化したインフルエンザに変わることでスペインかぜは終息を迎えた。 <異なる時代背景>  現下の新型コロナウイルスは、かつてのペストやスペインかぜの時代背景と異なり、公衆衛生、医療インフラ、ワクチンや治療薬開発が進み、感染症対策は確立されている。  一方、グローバル化の進展により、人の移動や人と人との接触の機会も格段に広がり、多角化している。よって、過去の終息の形とは異なることも考えられる。 <オミクロンは楽観バイアスを助長>  以上、簡潔に紹介しました。昨年11月、ワクチン接種率の向上などにより新規感染者数が急速に減少した時期の論文ですが、オミクロンが猛威を振るっている中、改めて考えさせられます。 オミクロン株の特性は、①感染力の強さ ②症状が軽く、重症化率が低い ③ワクチン効果の低下、ブレークスルー感染等が挙げられていることから、新規感染者数の急増の一方で、重症化リスクが低いことから、いわば、楽観バイアスを助長させる要素を持っている側面があるのではないか、と思います。  しかし、これ以上の新規感染者数の増加は、高齢者など重症化リスクのある人たちにとって感染リスクが高まろとともに、入院患者、重症者数が比例し増え、医療逼迫にも繋がりかねない、と危惧します。 <長野市に適した対策の議論を>  先月(1月)、長野市は、これまでにないほどの新規感染者数が報告されました。アルファ株、デルタ株が持っていた特性と異なるオミクロン株への対策は、これまでの踏襲ではなくオミクロン株の特性に適した取り組みとしなければ、更に、楽観バイアスを助長させ、後手に回った対策に留まってしまうかもしれません。  先述したように、長野市は、病気に対する恐怖心の薄らぎによるWithCoronaで第6波を沈めていくとは思いませんが、国などのデータや知見、市内感染状況の分析、有効な検査方法、感染拡大防止と経済社会活動の両立などについて、昨年末、新たに医療や経済の有識者で構成され設置された「長野市新型コロナウイルス有識者会議」を、単なる状況説明の場とするのではなく、長野市に適したオミクロン株対策について論議し、具体の対策を講じる場としていくべきだと考えます。