長野市議会議員会派

改革ながの市民ネット

石川県方面で地震が発生

5日 市内をクルマで移動中の午後2時40分頃、信号待ちの私のスマホが突然けたたましく鳴りました。

何をかと画面を見れば「緊急地震情報」でした。

 

 

 

スマホのトーキーは、石川県方面で地震が発生し 圏内に被害の恐れがあるので最大限の注意を払う旨を通知しています。

幸い ほどなく目的地に着いたためクルマ停め、カーラジオに耳を傾けました。

(地震の発生時刻には車両に乗っていたため 私自身は揺れを感じませんでしたが、後ほど周辺に照会すると「横揺れを感じた」という方が複数人おられました)

 

報道によると、今回の地震の震源は 石川県能登地方・震源の深さは14km・地震の規模を示すマグニチュードは5.9と推定されているとのこと。

気象庁は 今後1週間程度は同じ程度の揺れを伴う地震が起きる恐れがあるとして注意を呼びかけています。

 

 

 

さらにその後、夜(午後10時頃)にも再び緊急地震速報(震度5強)が発せられましたが、このときも私は運転中。やはり体感することはありませんでしたが「揺れた」とのLINEを送ってくれる方もおられました。

 

今回の地震に伴い、震源となった石川県をはじめ 富山県・新潟県・群馬県・そして長野県の広域に亘り、さらには東北地方や四国地方の列島の各地で揺れが確認され 各方面に亘って警戒が呼びかけられることになっています。

 

 

 

能登地方においては、6日の零時までの間に 震度1以上の揺れを50回以上に亘って観測されているとのことで、震源域内の方々のご心配はいかばかりかと存じます。

 

震源の直近である石川県珠洲市(すずし)では、地震発生時に たまたま高所で作業していた人が重大な人的被害を受けたほか、住宅倒壊に伴い家屋の下敷きになるなどしてケガを負う人もおり 各地で人的・物的被害がレポートされていました。

災害における被害は、まさに「降って湧いたもの」と申せ 決して他人事ではありません。

被害に遭われた方々に 衷心よりお見舞いを申し上げるところです。

 

 

 


専門家によると、今回(のみならず)の地震の主原因は「流体」の影響があるのではないか、とのことです。

「流体」とは、列島周辺を縦貫する太平洋プレートの動きの中でしみ出す「水」のことを指し、それがプレートの強度を弱めたり、それ(流体)が土中の岩盤を膨張させるなどして地震の要因となるものだそうです。

で、この原理は「温泉」の発生源理と類似しており、それは即ち 列島のどこにでも起こり得るものであるとのことでした。

 

 

 

ところで、日本海側の 北陸信越エリアの地震となると、必ず心配されるのが 周辺に設置されている原子力発電所への影響でしょう。

北陸信越エリアの日本海側には、石川県志賀町に北陸電力の「志賀原子力発電所」・新潟県柏崎市にある「東京電力 柏崎刈羽原子力発電所」がありますが、いずれの原発も この地震による異常は確認されていないとのことでした。

特に われわれ長野県民としては、東京電力 柏崎刈羽原子力発電所の(地震の)影響が気になるところです。現在 同原発は運転停止中ですが、万一のことがあれば あの東日本大震災での福島原発の重大被害の再来になるのでは…と大きな懸念が湧き上がるところです。

今回の地震で、新潟県刈羽村で震度4・柏崎市では震度3を観測しましたが、前掲のとおり 今回の地震の影響は無く、例えば東京周辺の放射線量を測定するモニタリングポストの値も通常の変動範囲だということです。

 

 

 

あの東日本大震災・長野県北部地震から12年が経過しましたが、地震は いつなんどき私たちの社会生活を脅かすものか、それは ときに人智を超えて襲いかかってくるものです。

また 私たち長野市民にあっては、4年前に大規模な水害に見舞われたところでもあり、自然災害の唐突さと恐ろしさを身をもって実感しているところです。

 

よりによって ゴールデンウィークの最中(さなか)に起こった大規模地震は、域内の観光地や観光客の方々にも被害と困惑を及ぼしていることが併せ報じられています。

連休であろうと夜中であろうと 遠慮会釈なく発生する自然災害。

大自然の気まぐれとも言える所作に、嘆息するばかりであります。

 

身近な生活道路に潜む危険と自転車運転の怖さ =川中島町の市道で高校生同士が出会い頭事故=

過日のローカルニュースで「2日の午前8時過ぎ、長野市川中島町 原の(市道)丁字路交差点で、直進していた市内の男子高校生が乗った自転車と そこへ進入してきた女子高校生の自転車が出合い頭に衝突しました。この事故で 男子高校生が左ひじの骨を折る大けがを、女子高校生が軽いけがをしました。事故後 女子高校生は現場を立ち去っていましたが、事故翌日の3日に保護者と共に警察を訪れ 事故の当事者であることを告げたということです。 警察は事故を申告しなかった道路交通法違反などの疑いもあるとみて 女子高校生から事情を聴いています。なお事故当時、2人はヘルメットをかぶっていませんでした。」との報道がされ、私も含め 改めて注意喚起させられた思いがいたしました。

 

 

 

 

事故現場は、私の いわゆる地盤である川中島町内を走る生活道路です。

川中島と篠ノ井が近接するエリアで、旧国道18号線西側の裏道です。南北ルートは「茶臼山公園入口」信号から自動車は北へ一方通行・東西は「北信運転免許センター」信号を葬祭センターを右手(北)に見ながら西へ向かうと、前掲の南北の道に突き当たる丁字路(T字路)となっています。 

 

 

 

報道によると、この南北の道を北へ直進していた男子高校生(Aくん)と 東西の道を西方向に来てこの丁字路に進入した女子高校生(Bさん)が出会い頭にぶつかったようです。

 

下の写真は、Aくんが走行してきた方向から。

やや北北西に向かう直進道路。自動車・原付はこの方向に一方通行で 自転車が走行するには十分な道幅です。

ちなみに道交法上では優先(直進優先)になるようです。

 

 

 

対して東西道路。普段から周辺に住む人や 通勤通学の自転車や歩行者が使う生活道路になっており、川中島町内や経由して北へ またJR今井駅方面に向かう人が多く通行しています。

 

 

 

で、こちらは道交法上では 特に左右確認の注意が求められており、交差点にはカーブミラーが設置されています。

 

 

 

しかし、この場所で 図らずも2台の自転車は衝突してしまいました。

 

 

 

自転車が関係する交通事故については、ほぼ連日に亘って報道されるほどの頻度となっており、それは ときに生命にも関する重大事故につながる場合もあります。

とりわけ(バイクを含む)二輪車については 身体が剥(む)き出しということもあり、衝突や転倒することにでもなれば それは即座に身体のケガにつながり、痛い思いをさせられることになってしまいます。

で…今回の事故のケースで改めて思ったのですが、自転車を利用する とりわけ未成年者においては、道路交通法の周知が不十分で それが不測の事故につながることがあるのでは、と。

例えば、これが自動車 対 自動車であれば 優先道路(この場合は南北の直進)とそうでない道路(この場合は西向きの丁字路)がとの相互の意識があり、西向きの丁字路に差しかかった自動車は カーブミラーを注視しながら左右を確認たうえで、徐行しながら交差点に進入してゆくでしょう。

しかし15才のBさんは おそらく運転免許を所持せず、前掲の交差点通行のモラル知識の浅いままに 急ぐに任せて交差点に突っ込むことになってしまったのではないでしょうか。

これがもし、Aくんが自動車であったとしたら…自動車は直進であることもあり さして徐行することなくそのまま進行・そこに自転車がノーブレーキで(交差点に)進入すれば、それこそ生命に関わる事故になってしまったかもしれません。

私自身、この道路をちょくちょく利用することから、他人事で済まない感を強くさせられました。

 

また 今回の事故の際、片やのBさんは そのまま現場を立ち去ってしまい、騒ぎが大きくなってしまいました。

道交法によると、車両の種類に関わらず 事故が発生したときには、警察への届出義務があります。

 

[参考] 道路交通法関連サイト

     ↓

道路交通法第72条(交通事故の場合の措置)と関連法令、判例 - 無料で法律、判例検索 - とある法律判例の全文検索β

 

 

このことについても、もしかしたらBさんは 道交法の知識が浅く、そこに動転した心理が助長するなどして立ち去ってしまったのかもしれません。

いずれにしても、今回のケースは ちょっとした注意喚起によって未然に防げた事故かもしれないと思うと共に、社会の多くの交通事故について そのこと(ちょっとした注意喚起)があてはまるかもしれないと思いました。

 

前掲のとおり、他人事ではない交通事故。

私自身 過去に重大な道交法違反を犯した者として、道路を通行する際には 法令遵守と注意喚起を怠りなくしなければならない と、思いを新たにいたしたところです。

 

真の障がい者支援につながるか…長野市社会事業協会に問う、試金石ともなる令和5年度

去る1日、障がい者・とりわけ知的障がい者(以下/障がい者)に取り組むチーム「Gota」のメンバーが 長野市の外郭として福祉事業を担う「長野市社会事業協会」を訪問し、意見交換を行ないました。

 

 

 

こちらの「Gota」については これまでも触れていますが、長野市をはじめ地域や関係機関における障がい者への「支援」についてシンプルな疑問を抱き、その疑問に対する「正しい答え」を訴求しながら活動を重ねており、私もその考え方に共感し 行動を一(いつ)にしています。

その「Gota」が抱く 障がい者(知的障がい者)支援における〝シンプルな疑問〟の通底には「なぜ、等しく「人」であるのに 障がい者を障がい者と決めつけ、特別視するのか?」ということが挙げられます。

そのうえで、かかる「特別視」が 現下の福祉行政や福祉事業に悪しけく反映され、本来は向上…というより「普通」でなければならない障がい者福祉が低迷すると共に、その(低迷状態が)旧態依然のままに伝承され続けているのではないかという疑問なのです。

その「特別視」とは、特に 障がい者さんらが通う授産施設等(以下/施設)の場で顕著に表れています。

(これまでも触れていますが)これらの施設は、障がい者さんが通ってくれるおかげで国からの補助金・交付金(以下/補助金)が支弁され、それ(補助金)によって 施設の運営ならびに職員の給与等の必要経費として購(あがな)われています。

つまり 施設にとって、障がい者さんは いわばユーザー(主)であり、そこで働く職員はサービス提供者の立場(従)の関係であるハズなのです。

しかし 実際には、職員は 利用者である障がい者さんを「障がい者」と決めつけ、本来は「ユーザー」として 対等イヤ敬意をもって対応しなければならないところを、いかにも自分たち(職員)が利用者を管理するかの態度をもって接し、ときに虐待じゃないかとも思えるような ぞんざいな態度を取る〝主客逆転現象〟が公然と行なわれています

「あんたたちは障がい者なんだから、こっちの言うことを聞け」との勘違い=特別視。

また、かかる「特別視」は、障がい者(利用者)さんの賃金にも表れています。

通常は「時給」と表現されるハズの障がい者さんへの賃金は「工賃」と呼ばれ、その額は 驚くなかれ、時給100円から。

このことについては「いや、施設は就労のための訓練を行なう場なので 賃金(工賃)が低いのはやむを得ないことなのです。」との説明(言い訳)があるところですが、では 実際に、就労支援施設で時間を過ごして(過ごさせて)本当に就労につながったケースがどのくらいあるのか。

そのため(就労)に向けて、それぞれの職員は障がい者さんに真摯に向き合い、就労させるとの職責を果たしていると胸を張って言えるのか。

実態は、ほど遠いと言わざるを得ません。

 

そして残念なことに、その旧態依然の状況は 施設を監督する長野市の福祉行政においても同様です。

障がい者支援組織の職員らと同列の意識で 障がい者を特別視し、あくまで〝施し〟の姿勢で障がい者や関係機関と向き合い、進歩の乏しい福祉施策に終始している実態がある。

事ほど左様(ことほどさよう)に、関係機関が挙(こぞ)って障がい者さんを「特別視」し、いわゆる〝上から目線〟で対応(管理)している以上は、地域の障がい者支援など うまくゆくハズがない。

 

そして さらにタチが悪いことに、とりわけ障がい者支援団体などの特定の目的を有する組織においては 情報やモラルが〝内向き〟に終始し、自分たち(職員)にとって都合のイイ情報やモラルを優先し、本来はユーザーである障がい者さんのための内容が置き去りにされたままに事業を進めようとする帰来があるのです。

向いている方角が真逆の実態。

例えば(従前も触れましたが) 施設に高額な機械を設置する際も、本来は利用者が活用してナンボであるハズなのに、機械を設置することが目的になってしまい、その後の真の利活用は後回し。あげくは、その高額機械の減価償却のために利用者さんの工賃をも犠牲にするフシも見受けられ「何のための設備投資か」と言いたくなる〝ザル運営〟の実態もあるようです。

しかし そんな的外れの事業も、表面的には「あくまで障がい者のためです」との詭弁を弄し、そして、それを 本来は厳しくチェックすべき理事会・評議員会 さらに監事(監査)が、何の疑問も抱かずに容認していることも重ねて指摘(糾弾)されるべきところです。

 

これら〝根腐れ〟とも言える実態を強く憂慮する「Gota」は、これまでも再三に亘り長野市福祉の大手を担う市社会事業協会に意見具申を行なってきました。

しかし残念ながら、これまでの市社会事業協会のトップ(理事長)は 市からの単なる天下りによる〝素人理事長〟が就いていたことから、真摯な議論の投げかけも「のれんに袖押し」みたく(話しが)通ぜず かみ合わない状態が続いていました。

そんな中 今年度からは、現役時代は長いこと〝福祉畑〟を歩んでこられた 前市保健福祉部長のN氏が理事長職に就かれたことから「Gota」においては、今度こそ核心に触れた議論を交わすことができ、今度こそは真の障がい者支援(障がい者福祉)の向上が果たせると大きな期待を寄せるところです。

 

意見交換の中で「チーム「Gota」は、単なるオンブズマン組織ではありません。長野市の障がい者支援における問題点を厳しく指摘したうえで、最後は 真に障がい者さんの社会環境が向上…いや普通のものになるよう取り組んでゆきたいだけなのです。」としたうえで、いわば〝福祉のプロ〟であるN理事長の手腕に期待し、先ずは 市社会事業協会の「正確な実態」を把握していただき そのうえで「Gota」と向き合い ひいては協調しながら進んでゆくよう提案がされました。

そのためには、新理事長を迎え入れた組織全体の体質改善・意識改革も急務となっています。

理事長を補佐する立場においては、今までのように 上(理事長以下)に美麗な報告しかしない忖度(そんたく)体質を改め、管理職以上の意見(報告)と言うより 現場の職員・もっと言えば利用者さんの声にこそ耳を傾け「現場で何が行なわれているか」を正しくトップに伝え、抜本的に問題を解決する姿勢を示してゆかなければならないでしょう。

 

新理事長を迎えた令和5年度は、長野市社会事業協会にとって 真の障がい者支援を実行するための舵を切り直せるかの「試金石」ともなる年度になろうと思います。

私も「Gota」の一員として ときに厳しく福祉行政(事業)を見つめ、最終的に皆が笑顔で「普通に」暮らせる社会をめざし取り組んでゆきたいと 思いを新たにいたしたところです。

(なお、意見交換の中で チームリーダーのMくんから、踏み込んだ問題の指摘がありましたが、それらについては 個別の対応の都度にレポートしてまいります)

 

 

[参考]長野市社会事業協会 HP

      ↓

https://nagano-shajikyo.or.jp/

 

犬と散歩できる公園の拡大を、単なる要望の枠を超えて「提案」

長野市内で「動物福祉」に配慮した犬のしつけトレーニングや 愛犬と楽しめるイベント、また子どもらの(動物福祉の)教育活動を行なっておられる「NPO法人家庭犬育成協会 パドックNAGANO」さんと協調し、市に対し 犬と散歩できる公園の拡大を求めて要望&提案活動を行なっています。

さきの28日には、パドックNAGANO代表のHさんご夫妻と共に 市に対し〝第二弾〟となる要望…というより「提案」を行ない、併せて意見交換を行ないました。

 

長野市の公園については、このブログでも多く触れているとおり 放課後児童の欠かせぬ居場所であったところ(遊園地)を〝大人の都合〟で廃止するなど、およそ適正とは言い難い扱いを重ねており 慚愧(ざんき)に堪えないところであります。

そういう面がある中で、こちらのパドックNAGANOさんは「動物福祉」や 犬と人・さらには愛犬家とそうでない市民との〝共生〟をめざす立場において、長野市の公園をより良い形で活用すべきとの視点で提案を行なっておられるのです。

私自身「青木島遊園地問題」に深く関わった者の一人として 長野市の公園の活用の如何(いかん)について考えるところであり、そういう面で パドックNAGANOさんの活動に共感したうえで 市内の公園での犬の連れ歩き容認を推進し、もって市内の公園を有効活用すべきとの認識を共有し、共々に市と向き合っているところであります。

 

各位、とりわけ犬を飼っておられる方々におかれては 長野市の公園の多くが「犬の連れ歩き禁止」となっていることをご存知のことでしょう。

このことについては、遠く昭和の時代に 市内の公園において重大な(飼い主の)マナー違反があったことや、公園内…というより市域内での いわゆる糞害などの飼主モラルが悪いとの指摘の中で、公園における犬の連れ歩きへの理解が深まっていないことが未だに続いていることが理由として挙げられています。

ところが 時代は変わり、今や犬は 番犬などの〝家畜〟の扱いから 家族の一員として愛玩される存在へと変わり、その扱い(飼い方)も〝進歩〟するようになってきました。

これまで平気で為(な)されてきた糞害も大きく低減し、愛犬家じゃない市民の方々からも 犬を家族の一員として連れ歩く人(愛犬家)への理解も深まってきました。

長野市においても、さきの監査報告で「犬の公園開放を推進すべき」との指摘がされるなど 双方の理解度は深まりつつあるところから、このタイミングでのパドックNAGANOさんの提案は まさに機(期)を得たものであると言えるところです。

 

従前にも触れていますが、この 公園での犬の連れ歩き拡大要望は、既に昨年10月に〝第一弾〟が行なわれています。

その際 長野市からは「新たに市域の犀川南エリアで1ヶ所(の公園)を解放する考えがある」との意向を聞いていたのですが、それを受けたうえで 今回の提案〝第二弾〟においては「北部エリア・具体的には城山公園の開放を」を提案されています。

と いうのも、長野市の人口分布は 犀川を挟んで北と南に分かれている中、北部の人口が多いことから、犀川南エリア公園の開放を否定するものではないものの、南部の公園(解放)の伸張だけでは ややバランスが悪いのではないか という意見なのです。

そのうえでの、北部・とりわけ「城山公園」での犬の連れ歩き解放の推進提案です。

パドックNAGANOさんは 城山公園が国宝「善光寺」に隣接していること、そのうえで 善光寺境内では犬の連れ歩きが容認されているのに、例えば犬連れの観光客が 善光寺参拝の後に引き続いて城山公園を散策(散歩)しようとしても、城山公園に入った途端に「犬はダメ」は厳し過ぎるでしょう、という論理です。

このことは、善光寺~城山公園を一体的に連動させての観光資源と考える長野市の方針にも矛盾しているところであり、いわゆる観光インバウンドの推進を進める長野市にとっても 城山公園における犬の連れ歩き解放は、むしろ推進すべき取り組みと言っても過言ではないところであります。

さらにパドックNAGANOさんは、城山公園の開放は 市民の生活の質向上・長野市のイメージアップ・長期的な視野から、長野市への移住先候補としての魅力度アップ・観光インバ ウンドの向上・犬を通じての観光客と長野市民との交流のきっかけの可能性等、さまざまな面で有益なことが多いことなどのご提案もされておられました。

この提案に対し、市も共通認識を持っているようでした。パドックNAGANOさんの提案を前向きに捉え、今後は順次に亘り 市の南部⇔北部での公園における犬の連れ歩き解放に向け計画的に推進するとの意思表示をしておりました。

 

その(市の)前向き回答を受けたうえで、パドックNAGANOさんは「家庭犬育成」の立場で さらなる〝前向き提案〟をされたところです。

それは、犬の連れ歩きを解放する公園における「飼い主マナー向上に向けたイベントの開催」です。

これまで 愛犬家さんらは「とにかく犬の連れ歩き解放を!」と いわば要求型の要望を重ねていましたが、それでは愛犬家の一方的な過ぎないものに止(とど)まってしまい、前掲の 愛犬家以外の市民の理解不足、すなわち飼い主マナーの向上を実証したうえで あまねく市民理解を得るには足りない面が否めないところでありました。

その面においてパドックNAGANOさんは、犬の連れ歩きを解放する公園(現場)において 実際に犬を連れ歩いたうえで、していいことといけないことの教授などを行ない もって愛犬家もそうでない人も共生できる公園づくりを進めてゆけたら、と崇高な目標を掲げておられるのでした。

そこで、今回の提案の場には 飼い主マナーを所管する保健所職員を招き、公園開放に併せての飼い主マナー向上イベントも提案し (市の)後方支援の内諾も得たところであります。

 

この取り組みの推進のカギは、ひとえに「市民理解」であり、そのためには 官民協働をはじめ、あまねく関係者の連携や多方面からのアプローチが欠かせないところです。

意見交換の最後に、今後も双方が ときに連携を重ねながら、最終的に全ての市民が好意をもって受け容れられる成果を目指して共々に取り組むことで一致しました。

私としても こちらの団体とも連携しつつ、市内公園の犬の連れ歩きが早期かつ適切に推進されるよう計らってゆきたいと思うところです。

 

パドックNAGANOさんのHP

      ↓

 

パドックNAGANO|長野市|家庭犬のしつけ、お楽しみイベント、犬、しつけ、楽しい

長野市で犬のしつけ方勉強会やお楽しみイベントを開催しています。​楽しいしつけで愛犬を優しく育てたい方、 愛犬との暮らしを楽しみたい方は、わんちゃんと一緒にパドック...

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青木島遊園地存廃問題 =この無念を引き継いで=

大きな社会問題となった「青木島遊園地存廃問題」ですが、この遊園地について、子どもの居場所として 施設(遊園地)の存続を願うべく設立された「青木島遊園地の存続を願う住民有志の会」が会議を開き 参加させていただきました。

 

この件については、これまで問題発生以来 随時に亘りレポートしてまいりましたが、さまざまな経過を経て 最終的に「青木島遊園地は廃止」との結論に至ってしまったのは ご案内のとおりであります。

そのうえで(これも みなさんご案内のとおりですが)前掲の〝さまざまな経緯〟の中で、市行政における 多用ともいえる課題が散見…というよりも遍在していた(いる)ことが明らかになりました。

このこと(諸課題)についても かなりの頻度で触れておりますが、一部の住民(世帯)から発せられた 子どもの声(音)に対する苦情に対する市(所管課)の初期対応の誤り(行き違い)や、関係する人(者)たちが 保身ともいえる〝つじつま合わせ〟に走り、結果 一番たいせつにしなければならない子どものことを後回しにするような行動を取ったことで、大切な子どもの居場所である遊園地を廃止することになってしまったのです。

しかしながら 逆に言えば、今回の問題が明るみに出て それに対し毅然と向き合い「存続を」の市民運動を起こしたことで、前掲のような 市の、いわば膿(うみ)のようになっていた(いる)問題が炙(あぶ)り出しにされたところであります。

今回の一連の経過を踏まえ、私たちは 市政に対する認識を新たにし〝△△ありき〟で行政運営が行なわれないよう、そのためのつじつま合わせのような〝悪しき官主導〟とならないよう チェック機能の精度を高めてゆくべきことを強く認識したところでありました。

また、このことは 内外に大きな反響を呼び、さきには 国会の場(内閣官房所管の「こども未来戦略会議」)で「子どもの声(音)は騒音ではない」を定義(法制化)とすべきことが議論されることになるなど、そういう面では いわば物理的には遊園地は廃止になったものの、このことに対する市民運動に端を発した取り組みは 私たちに課題と共に 大きな教訓を与えてくれたものと考えるところでありました。

 

 

・・・・・・。

そのような分析がある一方、会のリーダー もっと言えば父親的存在として会をまとめ牽引してくださったKさんは、非常に厳しい自己分析をされておられたのでした。

「今回のことで 市行政におけるさまざまなこと(課題)が見えてきたのは分かる。私もそう思う。」

「けれど。」とKさんは言葉を続けました。

「実際には、私たちは 青木島遊園地を存続させることができなかった。このことは、存続を願って立ち上げられた会の目的を果たすことができなかったことを表(あらわ)している。そして そうなってしまったことは、ひとえに会の代表である私の力不足に尽きる。」と、悲壮なほどに簡潔に 総括しておられたのでした。

それを聞いた 私や出席者は、Kさんの無念さを痛いほど感じ 胸が塞(ふさ)がる思いがしたところでありました。こちらの方こそ、力不足をお詫びすることろです。

 

かくいうKさん、この種の問題であれば ややもすると市行政と対決姿勢を鮮明にしての〝抗議活動〟的な活動になるところですが、氏は争いの構図を良しとせず あくまで対話型・話し合いと議論の積み重ねをもって存続を実現しようという、いわば良識のうちに目的を達成するよう尽力されたのです。

しかし、誰がどう考えても「良識」であるハズの 遊園地存続の願いは、市行政に届く(響く)ことはありませんでした。

Kさんの無念とは、いわば力(ちから)づくの戦いに敗れた者の悔しさではなく「市民の良識」が 相手(市行政)に通じなかったことへの虚無感に他ならないと思います。

これだけ多くの市民が遊園地の存続を願い、その願意が いかに良識のものであっても、為政者は自分たちのための理屈を正当化し 事業をゴリ押ししてしまうものなのか。

 

私を含め周囲の者は、Kさんの潔(いさぎよ)いとも言える〝敗戦の弁〟に抗(あらが)うことはできませんでした。

何という責任感の強さでありましょう。

 

しかし 私たちは、Kさんの心からにじみ出た「無念の思い」をシッカリと受け止め これからの子どもの健全な放課後の居場所づくりに向けて、不断の取り組みを続けてゆかなければなりません。

 

Kさんの いわば絞り出すような弁を聞き、思いを新たにいたしたところでありました。

 

 

帯状疱疹 =季節の変わり目が要注意 とのこと=

私の知る御仁(男性/70代後半)の人(Aさん)が、何と「帯状疱疹」に罹(かか)ったことを知り ビックリさせられました。

と いうのも、件(くだん)のAさんは 家業は農業の元気な人で、確かロードレース(自転車)も愛好するバリバリのスポーツマン、いわゆる〝医者いらず〟の人だからです。

そんなAさんと電話で話すと「イヤ まいった…」と一言。いつもの「やぁ!元気か!?」の声は鳴りを潜め、いかにも具合悪そうなご様子でした。

訊けば、ここ数週間に天気が急変した頃に調子が思わしくなくなり、そのうえ 脇の下から首にかけて痛痒(いたがゆ)い症状が出たので、何年かぶりに医者の門を叩くと「Aさん、鬼の霍乱(おにのかくらん)だよ。帯状疱疹だ。」との診断を受けたそうです。

症状が出たときは、発症箇所の不快感と共に 全体の倦怠感も起きたことから「すわ コロナか?」とも思ったようですが、幸い そちらは陰性だったそうです。

医者いらずのAさん「こんなものは蕁麻疹(じんましん)の延長だろ。軟膏でも塗っとけば大丈夫じゃないか。」と啖呵(たんか)を切ったそうですが、その際 ドクターに「帯状疱疹を軽く見ない方がイイ。」と 強くたしなめられたそうで、結局 大事をとって病院に一泊してきたとのことでした。

そのうえでドクターには「おそらく この時期の陽気の急変に身体がついてゆけなくなって、それまでのストレスも手伝って発症したようだ。Aさんは〝万年青年〟を自負しているけれど、いつまでも若いと思わずに 自分の身体は労(いたわ)るようにしてください。」と指導された と、苦笑交じりに自戒の弁を述べておられました。

 

Aさんのみならず、私も含め 多くの方々が、ここ数週間の天気の乱高下ぶりに(身体が)戸惑っておられることと思います。

朝晩は例年並みに涼しいのに 日中は20℃をゆうに超える気温を観測、と思ったら その翌日は冷たい雨が降って長袖の出番…と、暑いんだか寒いんだか ワケの分からない陽気が続いています。

この〝ジェットコースター天気〟には、さすがのAさんも勝てなかったようでありました。

 

折しもネットの特集記事でも「季節の変わり目には帯状疱疹に注意を」との喚起記事が載っていました。

特に今は新年度の時期でもあり、気候の急変に併せて 進学や就職などで生活パターンが変わったり住み慣れた土地から転居したりと、新たな生活環境の変化で疲れやストレスがたまる可能性も高まりがちな季節でもあることが指摘されていました。

 

 

帯状疱疹は ご案内のとおり「水ぼうそう」と同じ『水痘・帯状発疹ウイルス』が原因だそうです。幼少期に水ぼうそうにかかることが多い日本人は 成人の9割ほどがこのウイルスの抗体を有していますが、ウイルス自体は背骨周辺の神経細胞内で症状を出さずに潜伏しており、それが 加齢や疲労・ストレスの蓄積によって体の免疫力が低下するなどし、そこに季節の変わり目などの普段と違う条件が加わるなどして 水痘・帯状発疹ウイルスが再び活性化を始め、帯状発疹を引き起こすようなのです。

それで、Aさんの主治医が「(帯状疱疹を)軽く見るな」と言ったのには、帯状疱疹には深刻な後遺症を遺(のこ)すリスクがあるからだそうです。

特に目や鼻の周りに現れた『眼部帯状疱疹』は 結膜炎や角膜炎などを併発して、視力低下や失明に至ることがあり、また 耳や顔面で発症すると『ラムゼイ・ハント症候群』と呼ばれる合併症につながり、めまいや耳鳴り・難聴などに悩まされることになるそうです。

また 今回のAさんのように肩(脇)や首筋にかけて発症すると、状況によっては腕が上げられなくなるなど運動麻痺(まひ)の症状が出たりすることもあるそうです。

 

 

また、発症した部位に関わらず 帯状疱疹の合併・後遺症で頻度が高いのは「帯状疱疹後神経痛(PHN)」だそうです。皮膚症状が治まった後も、3ヵ月以上に亘って長く痛みが残る場合があるとのことで、他では「アロディニア(異痛症)」という症状もあり、これは持続性の痛みや疼痛(とうつう)/チクチクした痛み に加えて、着替えの際の皮膚と下着の軽い接触だけでも痛みがあり、日常生活や睡眠に支障をきたす場合もあるそうです。

こんな事例を列挙するだけでも、何だか痛みが想像されてしまうほどです。

 

そのうえで、帯状疱疹を予防するには「睡眠」と「食事」あと「適度な運動」と「入浴」が意外と大切です、と識者は述べていました。

過度な疲労やストレスなどにより免疫力が低下しないよう バランスの良い食事や十分な睡眠に加え、散歩やウォーキングなど体温が少し上がる程度の強さの運動を日々続け 夜にはゆっくりと湯船に浸かって疲れを癒やす。そんな何気ない日常こそが 帯状疱疹を予防する第一歩になるそうです。

で、逆に気をつけなければならないのが、激しすぎる運動や長時間のトレーニングなど〝やり過ぎ〟だそうです。

そういえば 件のAさん、やること常に全力投球「そんなにやって大丈夫?」と言いたくなるほどのバイタリティーでありました。

今回の思わぬ帯状疱疹は、Aさんにイイ意味で警鐘を鳴らしてくれることになったようです。

万年青年といえども、今後はご自分の身体とも相談しながら 無理のない範囲で日々精進していただきたい。

Aさんに見舞いの言葉をかけながら、自分自身も自戒しながら この季節の変わり目を乗り切ってゆきたいと思ったところでありました。

 

「子どもの声は騒音ではない」政府が法制化も視野に検討とのニュースが

「子どもの声がうるさい」との一部住民(世帯)の苦情に起因して、子どもの欠かせぬ居場所であった青木島遊園地が廃止されてしまいましたが、その際に 遊園地の存続を願う市民運動に協力し合った同志ともいえる方から、ネットで報じられたニュース記事を目にしたとの連絡が入り、その内容を共々に注目しました。

それによると、国(内閣官房)が主宰する「こども未来戦略会議」の場で、子どもの発する「音」について 話題(議論)になったとのことです。

そのうえで政府は「子どもの声は騒音ではない」と法律で定めることも視野に検討に入ったとのことで、このことを 今年の夏を目処(めど)にスタートする「国民運動」の一つとして盛り込めないか、こども家庭庁を中心に調整が進めるとのことでありました。

この背景には、長野市で大きな社会問題となった「青木島遊園地問題」があることは間違いないことであり、罪も無き子どもの声を巡っての行政対応の如何(いかん)が行政不信にまでつながってしまったことが ひいては国までも動かすことになったようであります。

 

 

 

同会議では、長野市の青木島遊園地問題を初め、全国各地で散見される「子どもの声(音)がうるさい」の苦情に伴うトラブルや対策の事例が紹介されたとのこと。

長野市のような地方都市で かかる子どもを標的にした騒音(苦情)問題は、いわばレアケースと言えるところですが、住宅が密集し多様な人が暮らす都市部においては 遍在する問題のようです。

東京都内にある保育園では、住民に配慮し 7年前から高さ3mもの防音壁を設置しているそうです。

 

 

 

また 前掲の青木島遊園地においても、遊園地を利用する子どもの通う児童センターの関係者が、周辺環境に最大限配慮して子どもを遊ばせてきたり 送迎の車が発する音にまで気を配ってきましたが、その努力にも関わらず 遊園地は廃止されることになってしまいました。

 

 

 

そんな中、国における会議で出された「子どもの声は騒音ではないこと」を定める法制化の議論。

このことにおける先進事例は、遠くドイツで定められた「子ども施設の 子どもの騒音への特権付与法」があるとのことです。

文献によると、ドイツの連邦議会は 2011年「乳幼児・児童保育施設及び児童遊戯施設から発生する子どもの騒音への特権付与法」を可決したとのこと。

それは 騒音被害につき、現行ドイツ法上 周辺の土地から発生する騒音により本質的な被害を被った場合には損害賠償請求を行なうことが認められているのに対し、前掲の法律は「子どもたちが発する音についてはこれを特別扱いとし、そのような音を理由として損害賠償請求の対象にすることから除外する」とした特別法なのだそうです。

この背景には、これまでドイツでは 子どもらが発する音を理由として児童保育施設等を相手取った訴訟が相次いだことがあり、判決では多くの場合 子ども達の音に対して寛大な判決が下されてきたものの、保育施設の運営者や子どもを持つ親は法的に不安定な状態に置かれていることに変わりがなかったことから この際は法的に子どもの声は責めるに値しないことをルール化したというものだそうです。

なお 法律の理由書によると「子どもから発生する音」とは、子どもが発するあらゆる声(話し声・歌声・笑い声・泣き声・叫び声など)の他、遊戯・かけっこ・跳躍・踊りなどの「身体的活動による音」や、遊具や楽器による音・さらには子ども自身による音だけでなく 保育施設等の場合には、子どもの世話に従事している職員が発する音も含まれる とされているそうです。

会議の席上 岸田総理は「子どもの声が騒音であるという意見に対して 我々は考えを改めなければいけない。これこそ次元の異なる政策であると考えて これからも政策を進めていきたい。」と、取り組みに前向きな考えを示したとのことでありました。

「異次元の少子化対策」を標榜する岸田総理においては、これら 子どもの声を騒音で無いと位置づけることにより〝子どもの発する声(音)〟を法的に庇護し、もって少子化対策に反映させたいとの狙いがあるようです。

 

長野市における「青木島遊園地問題」においても、少子化が悪しけく伸張する中にあって 子どもにとって欠かせぬ居場所である遊園地を廃止するとは何たる愚策か!と激しい反対意見が寄せられ、多くの市民 というより国民の多数が「子どもの声はうるさい」とする一部の苦情者に屈した長野市の姿勢に強い違和感を示したものでした。

一方で、全国のそこここで 子どもの声(音)に起因する苦情問題は後を絶たないところであり、それら いわば収集が付かない事態に陥っている中における「法制化」は、不毛な争いを避けるという面では大きな意義があると思います。

 

ただ その一方で、今回「青木島遊園地問題」に深く関わった者の一人としては、この手の問題における「初期対応の大切さ」や「対話の重要性」さらには「社会の中では課題解決に〝人間力〟が不可欠であること」を強く実感したところでもありました。

問題が発生したときに、表面的な対応…対話を抜きにして 物理的な造作などで片を付けようとする(した)ことが 却って事(こと)を難解なものにしてしまった。

そうなる前に、やるべきことはいくらでもあったんじゃなかったか。慚愧に堪えないところであります。

 

私の立場においても、今回の「子どもの声(音)は騒音ではない」の法制化に注目すると同時に、かかる〝法的措置〟は最後の手段とすること。その前に 人として理解と寛容の精神を発揮して(させて)、皆の総意をもって 未来ある子どもたちの環境を守る(守れる)社会を構築しなければ、との思いを新たにいたしたところでありました。

「チャットGPT」を 行政事業に用いることへの懸念

識者のIさんと意見交換する機会があり、そこで「ChatGPT(以下 チャットGPT)」が話題になりました。

で…一致したのが、チャットGPTの普及が 利便性と引き換えに、行政事業が市民ニーズに副(そ)わなくなってしまうのでは、との「懸念」でありました。

 

チャットGPTとは、ユーザーが入力した質問に対して まるで人間のように自然な対話形式でAIが答えるチャットサービスです。

2022年11月に公開されてから、回答精度の高さが話題となり 利用者が増加しています。

チャットGPTは、小説の自動生成やゲームでの会話を生成する用途で開発された「GPT」という言語モデルがベースになっているとのこと。

GPTは 与えられたテキストの指示に対して自然言語を生成するAIで、インターネット上にある膨大な情報を学習し 過去の会話内容を記憶したりしながら、複雑な語彙・表現も理解し そのうえでより自然な会話に近づくための機能が搭載されているとのことです。

 

 

 

 

話しの中でIさん「今後 チャットGPTは、人間社会の中で便利に使われることになるだろう。顧(かえり)みてみれば、昔は辞書や広辞苑に頼って言語を見出し それを文章化していたものが、パソコンの普及によって 文字そのものが手軽に検出できるようになった。そして 今はAIの開発によってチャットGPTが誕生し、文章そのものが機械によって創造できるようになる。」

「もしかしたら これからは、行政事務に関する文章(文書)や、議会の質問や答弁書まで チャットGPTによって作成されるようになるかもしれない。」とのことです。

「そのうえで…」とIさん。

「チャットGPTの普及に伴い、私たちは いわば〝新たなリスク〟を負うようになるかもしれない。」と警鐘を鳴らしておられるのでした。

「チャットGPTは、過去の(膨大な)データを蓄積・駆使して リクエストした人のニーズに合った文章を作り上げてくれる。」

「ただ その文章は、あくまでリクエストした人(依頼者)のニーズに合った内容…もっと言えば リクエストした人にとって都合のイイ内容の文章になることから、いわゆる「公(おおやけ)」の立場の者にとって適切かどうかは懐疑的な面が否めない。」

「それは何故か。そこには先ず〝客観性〟に乏しいことが挙げられる。」

「チャットGPTは、ニーズにこそ応える能力はあっても「それは間違っています」などと客観的に判断することは無い(設定されていない)。だからそれが たとえ公序良俗に合っていようといまいと、あくまで依頼者のために案文するので 行政職員が自らの利益(自治体に都合のイイ内容)を求めれば、それが市民ニーズに応えていないものでも、それを(自分たちにとって)正しいものとして文書化してしまうことも考えられる。」とのことでありました。

またIさんは、AIが蓄積する〝過去のデータ〟の信憑性(しんぴょうせい)についても一石を。

「例えば 行政職員が「公文書」を作成すれば、それはチャットGPTにとっての「過去の情報」となり、リクエストに応えた文章づくりの基礎になるよね。」

「でも、その公文書自体が間違っていれば。あるいは、故意に改ざんされたものであるとすれば。」

「チャットGPTは、その間違った公文書を基に さらに公(おおやけ)の文書づくりを行なうことになり、間違いの連鎖・間違いの増幅が重ねられることになる。これは とりわけ公正性が求められる行政職(事業)にとって大きな過ちの構図になりはしないか。」

「それで、一度(ひとたび)構築された 誤った公文書を訂正するとなれば、その(訂正に伴う)影響は他の分野(部局等)へも波及することになり、さまざまな「辻褄(つじつま)」が合わないことになって、行政の信憑性が瓦解することにもなりかねない。」

「だから、行政職がチャットGPTを使う際には 過去のデータが露の一滴も間違っていないという保証が求められることになり、それは逆に 行政職にとって大きなプレッシャーになるハズだ。」と断じておられました。

そのうえでIさんは「現時点で チャットGPTは、個人や公益性が求められない分野での活用はイイと思うが、特に行政職が公務の中で用いるのは時期尚早じゃないかと思う。よく自治体の長が「作業の効率化のためにチャットGPTの積極導入を」と言うけれど、オレは逆だと思うね。」とも。

 

奇しくも、26日の朝刊に 記者会見で話した荻原市長の記事が。

そこには、青木島遊園地問題の中で 本来は児童福祉を目指すハズの長野市社会福祉協議会の指導主事が、児童の「思い」を踏みにじった行為を謝罪する発言と併せて「チャットGPT」の活用を前向きに考える旨の発言が載っていました。

 

 

 

顧(かえり)みれば、今回の「青木島遊園地存廃問題」においては、長野市が いわば自らの都合のイイように廃止に向けたストーリーを作り上げ、多くの心ある市民が「存続を!」の声を上げる中においても それを見直すことなく遊園地を潰してしまいました。

この件には 無論「チャットGPT」は登場していませんが、そんな現段階においても このような市民の声を無視した愚策が行なわれたのです。

このうえ 市行政にチャットGPTが導入されれば、いわば輪をかけて 自ら(=行政)にとって都合のイイ文書類が出されることになり、ますます市民無視の行政ペースでの行政事業が進められることになるのでは、と懐疑的にならざるを得ません。

 

しかも、今回(遊園地問題)においては〝公文書の改ざん〟ともいえる事実誤認が指摘され 問題視されました。

ここに Iさんの指摘する「誤ったデータでも、それを基にチャットGPTはニーズに合った文章をつくる」との〝チャットGPTの弊害〟が指摘されるところです。

 

市(市長)は、そこまで思慮して チャットGPTの導入を考えているのでしょうか。

とにかく前向きな市長発言に、不安と懸念ばかりが募るところです。

 

ボランティアに思う「情けは他人(ひと)のためならず」

この日(23日)は 25回長野マラソン・第19回長野車いすマラソンが開催され、多くのランナーが長野市内を駆け抜けました。

好天に恵まれたこともあり、きっと佳き〝ラン・ディ〟を過ごされたことと思います。

 

 

さて、述べたように この日は好天。マラソン日和でもあり、いわば何をするにも好日でありました。

かくいう私は、犀川河畔にあるマレットゴルフ場「アカシアの杜」の整備作業にカオを出させていただきました。

 

 

 

こちら犀川河畔も好天となり、多くのマレットゴルフ愛好者の方々が 普段スティックを持つ手を鋤簾(じょれん)や竹ホウキに持ち替え、日常的にラウンドを楽しむマレットコースの整備作業に汗を流しておられました。

 

 

 

こちらの「アカシアの杜」マレットゴルフ場は、遡(さかのぼ)ること平成15年 市に対する造成の要望(実現)が捗々(はかばか)しくなかったことに端を発し「だったら住民パワーで事業を緒に就け、ボトムアップで行政を巻き込みましょう!」との私の提案を多くの住民が受け容れてくださり、当時 最悪ともいえたニセアカシアが鬱蒼(うっそう)と林立する雑木地帯に皆で分け入り、苦労に苦労を重ね 住民主体で造成作業を進めた経緯があります。

これまでも触れていますが、冬の時期には 各家庭に眠る使わなくなったスキーを持ち寄り、そこに伐採したニセアカシアの幹を積んではコースガイドに活用したりと まさに手造りを地でいく「民間主導の公共事業」を先導したものでした。

 

 

 

その後 約2年をかけて完成するも、竣工した年に発生した「平成17年豪雨」で できたばかりのコースが水没、一様に落胆したものでしたが そこで再び私が「お盆までに再興しましょう!」と 敢えての形でみなさんにゲキを飛ばし、コースに堆積した〝花泥〟と闘いながら何とかコースを復旧させたという…造成→災害→復興と、苦難に満ち それ故に愛着もひとしおのマレットゴルフ場として、多くの方々に愛好されているのです。

 

(過去の大会スナップ)

 

 

施設の竣工後は それ相当の年月を重ねていますが、みなさん 年齢を感じさせない熱意と元気によって、健康長寿の拠点ともいえる このマレットゴルフ場を経年に亘り管理・運営を続けてくださっているのです。

 

私は そこに、非常に純度の高い いわば〝ボランティア力(りょく)〟を実感をもって感じ取るところです。

自らの利益を求めず、純粋に マレットゴルフを愛好し、そのための拠点となる施設(アカシアの杜)を守ろうという変わらぬ姿勢こそが、この施設が経年に亘り健全に運営され続けていられる原資ではなかろうか と。

(強いて言えば、こちらの愛好者の求める「利益」とは 自らの健康ということでしょうか)

 

人は 概して、ある行動について それが自分にメリット(利益)があるか無いかで「やる・やらない」を決める傾向にあると思います。

そして その判断に基づき「やる・やらない」は、ときに他者に冷たい行動となり いわゆる世知辛い結果を招くことになるものです。

できるものなら、他者の幸せをも自らの幸せに置き換え 結果として公共の福祉につなげてくれたならば、自分の行動で社会全体が幸せ感を実感し そのうえで自らも達成感に浸ることができることでしょう。

 

 

その点、こちらのマレットゴルフ愛好者の方々は 挙げてマレットゴルフ場の整備=公共の福祉をめざし共々に無償の汗を流し、そのことで 結果としてみんなが達成感に浸ることができており、まさにボランティアの完成形とも言えると評されるところです。

愛好者のみなさんにおかれては、これからも このマインドを育(はぐく)まれ、この施設がいついつまでも健全な形で維持管理運営されることを改めて期待するところです。

 

全体(他者)への貢献(マレットゴルフ場整備)が、ひいては自らの幸せ(健康寿命の延伸)につながる。

まさに「情けは他人(ひと)のためならず」を体現するかの、マレットゴルフ場愛護会活動でありました。

 

 

 

午後には、松本市で ライオンズクラブの地区年次大会が開催されました。

 

 

 

社会人による奉仕団体であるライオンズクラブは、ボランティアを通じて社会福祉の向上と その行動(アクティビティ)による自己研鑽をめざし、地区ごとに活動を重ねています。

私も いちクラブのいち会員として身を置く中、これからの奉仕の在り方についても考えるところです。

そのような中、多難な状況におかれる「青木島児童センター」に対し、何らかボランティアができないものか…思いをいたすところです。

長野市の いわば一方的な価値観により、隣接する遊園地が廃止させられてしまった青木島児童センターは、状況(情勢)が激変しようとしている中 他の施設に比しても大変なことになっています。

その事態においても 市や市社協の対応は十分とは言えず、ご関係者は苦労を重ねておられることが伝えられています。

そんなところに、何らか支援 というと大げさですが、お手伝いのようなことができるとすれば。

自クラブの三役にお諮りしながら〝他愛の活動〟ができないか 模索したいと思うところです。

 

青木島遊園地存廃問題 =望まれない〝ニワトリたまご〟=

大きな社会問題となった「青木島遊園地存廃問題」について、当地と全く関係ない地区にお住まいの方々からも 多くの異論と疑問の声が挙げられています。

過日出席した とある会合の場でも、子どもの欠かせぬ居場所である遊園地を廃止したことは「おかしい」と話される人が複数おられました。

中には「人として間違っている」とか「遊園地が無碍(むげ)に潰されるのをニュース画面で見せつけられ、思わず涙が出た」という人もおられ、今回の事案が 悪しけく話題性を呼んでしまったことが再認識されました。

そんなみなさん「長野市はいったい何をやっているんだ」とか「この少子化傾向の中で、なぜ子どもの居場所を敢えて潰さなければならなかったんだ」などと、長野市行政を責める言葉が重ねられています。

で…このことについては、私自身は 心ある市民のみなさんの遊園地存続活動を強く支援した者であることから、市のやり方について 多くの市民の方々と同意の者として市を非難するものでありますが、一方で 私自身も市政の一翼を担う者として 遊園地の存続を果たせなかったことについての責任を有する者の一人でもあることから、ただ単純に みなさんと同じ側に立って行政に石を投げる(だけの)こともできないところであります。

事(こと)ここに及んでしまったことについて、私の立場でも市民のみなさんにお詫びしなければならないところであります。

市行政をチェックすべき長野市議会においても、議会の意志(過半数以上)をもって遊園地の廃止に反対する流れができ得なかったこと、議会の者たちも、私のように遊園地廃止に反対する者がいながらも、大勢の者は あれだけ市(市長)が多くの住民の意思に反した経過を辿ったとしても、結局は市(市長)の決めごとを容認することになったことに、その悪しき現実を突きつけられることになってしまいました。

これからも、今回の遊園地問題をはじめ さまざまな課題が想定される中、せめて同じ轍(てつ)を踏まないよう力を尽くしてゆかなければなりません。

 

これまで 私自身、あくまで「遊園地存続」を期して活動されてきた皆さんの支援をさせていただいたことから〝廃止を前提〟とした対応を念頭に置かずにおりましたが、実に残念ながら 現実には青木島遊園地自体が存在しなくなってしまいましたので、今後は いわばギアを入れ替える中で、放課後児童の環境整備に取り組んでゆかなければなりません。

 

かかる状況下で、相変わらず課題となっているのが「子どもの遊び場」です。

ご案内のとおり、これまでの経過の中では 理不尽ともいえる〝大人の事情〟により 居場所(遊び場)を奪われてきた子どもたちですが、青木島遊園地の廃止に伴い 今の状況では完全に戸外の遊び場を奪われることになってしまいました。

このことについては 長野市が「隣接する小学校の校庭を使わせる」としていますが、遊園地が廃止してしまった今になっても その見通しは立っていません。

確か市(市長)は「4月中に(校庭での遊びを)実現する」と言っていましたが、ときは既に4月も最終週に入り、これは「〝いつものとおりの〟先延ばし」の誹(そし)りを免れないところでありましょう。

しかしながら、これ(児童センター利用児童を校庭で遊ばせること)は そうそう簡単に実現できするものではありません。いったん下校し 児童センターに来た児童を、再び学校の校庭に連れていって遊ばせ 保護者の迎えに応じてセンターに戻す との作業は、安全の面・児童一人ひとりの把握の面などから 存外に難儀な取り組みになると言わざるを得ません。

長野市は「人員を増やして対応」などと言ってはいるものの その目処も立っておらず、それでは(日程ありきの中で)現有の支援員体制の中で行なうのは不可能です。

これはまさに「遊園地廃止が先か・子どもの遊び場確保が先か」の〝ニワトリたまご〟の典型とも言える課題でありました。

長野市が、遊園地廃止を前提に、そのうえで 子どもたちのことを優先させるのであれば、先ずは子どもたちを安全に校庭で遊ばせることができることを確認してから 遊園地廃止に臨むべきでありました。

しかし実際には、市(市長)は 遊園地廃止を優先し、子どもたちの遊び場の確保を後回しにしてしまった。

このことが、今の対応の〝後手ぶり〟を露呈することになっています。

望まれない〝ニワトリたまご〟順番が逆と言わざるを得ない愚策となっているのです。

 

しかしながら、述べたように 児童センター利用児童を校庭で遊ばせ またセンターに安全に戻すのは容易ではなく、いくら「早く」と言っても 安全かつ確実な計画無しに見切り発車させることは許されるものではありません。

このことからも、青木島遊園地の現時点での廃止は、拙速に尽きたことが再認識されるところです。

またも 罪も無き放課後児童は、大人の都合に翻弄されることになってしまっているのです。

 

で このうえは、児童センターの西側にある「庭」のスペースを早期に再整備し、せめて そこで子どもらが遊べるようにしてあげることも急務ではないか と。

 

(写真は資料)

 

 

聞けば、青木島遊園地にあった「雲梯(うんてい)」については、この「庭」のスペースに移動させることが要望され、然るべく対応することになっているとのこと。

この雲梯の移動設置を早期に実現させ とりあえずの居場所を設(しつら)えてあげることが、せめてもの子どもたちのストレスの軽減に資すると思うところです。

また 支援員さんが不足する中、ボランティアで子どもの遊び相手になることも一考のことでしょう。

 

市行政と対峙する一方、多難となってしまった児童センターを支援してゆきたい。

ギアを入れ替えて、未だ数多ある課題に向き合い 最終的に子どもの笑顔につながる活動を行なってゆきたいと思うところです。