長野市議会議員会派

改革ながの市民ネット

PFI事業について岡崎市を視察

長野市議会建設企業委員会で岡崎市のPFI事業を視察させていただきました。

私は、元来、行政の責任を重視する立場なため、「民間活力導入」には、丸投げにならないよう・市民サービスが低下しないよう、慎重に対処してきました。
ところが、例に挙げられた男川浄水場更新事業、当初の見込みが設計・建設費206億円、維持管理費24億円だったところ、PFIで発注したら建設費86億円・維持管理費23億円と、事業費が半額以下になった事例をご説明いただきました。
岡崎市においては、今後もPFI事業を推進する方針であるため、今のうちに実績を積むため安く受注しようと考える事業者の判断や、事業費を市が調達したため、ノーリスクで受けられることからの値引き等の競争原理・配慮が働いたようですが、当初見込みの「半額で」事業が出来るなら、財政上は間違いなくプラスです。公共施設の維持が難しくなってきた現在、半額で新築・改築ができるなら、倍の施設が維持できることになります。また、教育や福祉等に予算をまわすことも可能です。
受注者が破綻した場合のリスクを誰が負うか等の問題にも契約により対処が出来そうですので、市民益のため、更に調査・研究を進めてまいります(^^)v。

「殺す側の論理」と「平和ボケ」

日本のタカ派は「平和ボケ」し、想像力に欠ける。

平成26年5月15日、安倍晋三首相は、集団的自衛権行使に向け、憲法解釈変更の検討を政府・与党に指示しました。それが、いかに危険かつ姑息な考え方・やり方かは既に述べましたので、ここでは、彼らの根本的ありようについて述べたいと思います。

彼らは、そもそも、戦争により自分や自分の家族・友人が死ぬことを想定していません。彼らが実現した格差社会により、自衛隊に入隊することが戦死につながる事態になった場合でも、入隊するのは他に高賃金の職がない若者が多いでしょう。そして、そういう人は彼らの家族・友人にはいません。だからこそ、安易に戦争が出来る国造りを進めるわけです。戦争について考える場合、自身や家族・友人が戦死することも想定すべきですし、それでこそ抑制的な判断が出来るようになります。

彼らには、人が死ぬことの意味、家族・友人を失い嘆き悲しむ人への想像力が完全に欠落していると言わざるを得ません。

そして、「平和ボケ」しています。「腹が減っては戦はできぬ」というように、戦争を遂行するためには何より食料の確保が必要となります。故に世界のタカ派は食糧安全保障の観点から当然、農業保護論者になります。「日本の農業は保護され過ぎている」と嘘をつき、食料自給率40%の現状を放置したのみならず、関税0%をめざすTPPに参加しようする日本のタカ派には、あきれかえって物も言えません。戦争遂行能力に欠けるのに戦争がしたい国家指導者に率いられている日本・・・。

総じて、安倍首相とその仲間は、「殺す側の論理」に立ち、国民に対峙していると言えるでしょう。「殺される側」にならないために、子ども達の命を守るために、共に頑張りましょう(^^)v。

※ 殺す側の論理・殺される側の論理は、本多勝一氏の造語だと思いますが、現政権がまさに「殺す側の論理」を展開しているため、使わせていただきました。

なお、イギリス貴族は「ノブレスオブリージュ」として積極的に前線に赴き、第1次世界大戦における戦死者は、割合では一般市民からの兵士の2倍にのぼったそうです。悪名高いスターリン・毛沢東も祖国防衛のために息子を戦死させています。家族・友人を戦死させる覚悟もない「権力者・大金持ち」が、死ぬのは「いくらでも補充できる貧乏人だから」と平和的解決をないがしろにして侵略戦争が出来る国造りを進めることは、「赤紙1枚でいくらでも兵士は補充できる」「お前らの価値は馬や銃以下だ」と上官から罵倒された戦前の再現になりかねません。そうした「イカれた」考え方に、私は断固反対します。