人権と生産性、差別と偽善。
自民党の杉田水脈衆議院議員が、「LGBTは(子どもを産む)生産性がない(から税金を使って支援する必要がない)」と新潮45に寄稿して炎上しています。事実誤認と差別思想に基づいた発言であり、多くの批判が寄せられているため、あえて内容には触れませんが、私が危惧するところを述べたいと思います。
人権は、人間であるという「その一点」を根拠に享受できる不可侵の権利です。「生産性」の有無をはじめとして、条件付きで認められるものではありません。これは、そうしなければ人権侵害が行われ不幸な人が生じるという、歴史から導き出された人類の知恵であり、国会議員たるもの、人権問題において条件を持ち出すべきではありません。また、子どもを産むことを「生産性」と呼ぶことにも違和感を覚えます。
私としては、杉田議員の罪深さは2点あると考えます。
まず、第一点。国会議員の立場にありながら差別的思想を流布すること。
二点目は、杉田議員を批判する立場から過度な反応がなされ、結婚や子どもを持つこと、働くことを推奨することが「差別」とされるようになり、少子化対策や経済対策が取りづらくなってしまうことです。
長野市では、マリッジサポート課を設置し結婚支援を行っています。人口増推進課を設置し、移住・定住人口増に取り組んでいます。その他にも、学生と地元企業とのマッチングや親元就農者支援事業他、あの手この手で人口増を目指した取り組みを進めていますが、これが子どもを産まない人・働けない人への「差別だ!」となってしまうと、行政は機能不全に陥り、地方は崩壊してしまいます。
人権は、当然守るべきです。差別は、いかなる理由があろうとも許されない行為です。同時に、逆差別は差別を助長する原因になるためすべきではありませんし、差別者と呼ばれたくないために、少数者に対して必要以上に配慮することは、偽善ではないでしょうか?
日本には、部落差別という徳川幕府が創った、不合理で愚かな差別が未だに存在しています。人種・性別・宗教等、多数派と違うから弱者だからという理由があっても許されないのが差別なのに、部落差別には、そもそも理由すらありません。ただ単に、徳川幕府が彼らを差別する対象にすると決めただけです。そんな愚かな差別が未だに残っている原因の一つに、被差別者を名乗って、差別と関係なく自らの利益を得るために他者を恫喝した一部の利権者が「部落は怖い」というイメージを作ってしまったことがあるかもしれません。
今回の「杉田水脈」的思想への批判が行き過ぎて、人権を守るべく声を挙げた人が「党利党略だ」「偏向している」と言われたり、少子化対策を「差別思想だ」と言われないよう、批判者は本筋を外さないよう理性的対応を、差別者は炎上商法により自らの望む社会実現に逆行する潮流をつくらないよう、お願いする次第です。
私は、偽善と差別と侵略戦争がどうしても許せず、口下手・あがり症なのに政治家を志してしまった人間です。差別に関する案件は、絶対に許せませんし、同時に偽善者にもなりたくありません。
全ての人に人権が保障され、生存権・幸福追求権が認められる社会、自由で平和で豊かに暮らせる社会、少数者が生きやすい社会であり、かつ、多数者が逆に生きづらくならない、WinWinの社会を創るため、これからも頑張ってまいります(^^)v。