長野市議会議員会派

改革ながの市民ネット

地道な防災事業 ~岡田川の堆積物除去作業~

過日のこと、市内南部を移動中 篠ノ井の瀬原田地区を通りかかると、域内を流れる「岡田川」の堆積物除去作業が行なわれていました。(作業期間 ~3/10)

 

 

 

こちらの岡田川は 古くからの「天井川」で、多雨の時期などには溢水被害の常習河川となっています。

その状況に加え、さきの「令和元年東日本台風」の際には 本流である千曲川の氾濫に伴う水門の閉扉のあおりを受けて「バックウォーター」が発生、主に下流域に大きな被害をもたらしたのでした。

 

岡田川は、篠ノ井岡田・小松原地籍の「中尾山」の山中に端を発し 篠ノ井域内を流下しながら篠ノ井横田地区を水口として千曲川に合流する 全長約6kmの一級河川です。

 

 

 

この岡田川の いわば難儀な特徴は、源流にある中尾山の「土質」にあります。

中尾山の土質は、非常に脆(もろ)く崩れやすい「裾花凝灰岩」で構成されています。

この土は、第三紀中新世(約2300万年前~約500万年前)に 海底で火山灰が固まったもので、岩肌が白く脆(もろ)いのが特徴で 時間経過と共に粘土状に変質し 雨の影響などで容易に流れ出てゆくのです。

 

 

 

その流出した土は、河川水に乗って 自(おの)ずから岡田川の河床に堆積することとなり、時間経過と共に河床を底上げし ひいては「天井川」と化してしまいます。

この状態を看過すると 河床に堆積した土に雑草が繁茂し、それが 土+雑草 の堆積物となって河川水の良好な流下を妨げると共に、氾濫しやすい状況をつくる要因となってしまうのです。

 

 

 

そのうえで さきの「令和元年東日本台風」の際には、支川である岡田川が流入する千曲川の水位が異常に上昇したことから 支川(岡田川)の河川水を飲み切れなくなってしまいました。

 

 

 

この事態に 流域住民は、岡田川が千曲川に注ぐ水口である「横田水門」の閉扉を余儀なくされ、行き場を失った岡田川の河川水は逆流を始め これが「バックウォーター」となって氾濫、岡田川下流域の住宅に浸水被害をもたらしたのでした。

このことについては、抜本的には千曲川の氾濫が第一義の要因ではあるものの、いずれにしても 岡田川においても でき得る限り河川の容積を確保し、多雨の際にも簡単に溢れることの無いようにすることが求められ、そのためにも この日の堆積物除去や浚渫(しゅんせつ)など、河道域を確保する作業が行なわれているものです。

 

 

 

 

かかる河川整備作業は、地道かつ一朝一夕では成し得ない作業と申せます。

総延長が長きに至る河床を浚(さら)い異物を除くには 相当の時間(期間)を要するものであり、しかし それを行なわざるして沿線の生活安全は守れないことから、今後も継続的に(河床整備を)行なうことが求められています。

 

 

 

長野市域内には この岡田川をはじめ数多(あまた)の河川があり、それぞれが適正に整備されることにより そこに暮らす住民の社会安全が守られています。

今年についても いずれ湧水期が訪れ一定以上の河川水がこの川を流下することになることから、今のうちに余分なモノを除去して でき得る限りスムーズに(河川水が)流れてくれることを期するところです。

 

 

 

 

 

 

◆ 長野市コロナ報告

4月9日(土)、長野市内で新たに200例(11437~11636例)のコロナ陽性感染者の発生が報告されています。

 

4/9(土) 長野市におけるコロナ感染症の発生について [PDFファイル]

                ↓

https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/745639.pdf

 

 

この日(9日)、長野市の200例を筆頭に 長野県内で過去最高の740人のコロナ陽性感染が報告されました。

 

 

 

とにかく、減らない。

どこかで歯止めをかけられないものか…。

 

 

コロナ禍、再拡大?

先日も触れましたが、新型コロナウィルス陽性感染者について、7日(木)には長野市で過去最多の202人が発生したことが報告され、それを聞いた瞬間は息を呑んだところでありました。

 

 

 

長野県内でも700人に届かんとする感染者を数える中、感染数が顕著な長野市(保健所)は「年代によって感染の広がりが二極化している」として、特に 感染の拡大が顕著な子どもや親世代に注意を呼びかけています。

 

 



長野市(での感染者数)は、この日の県内感染者総数の約3割を占めることとなり、慚愧(ざんき)の念に堪えないところですが、7日に会見を開いた長野市保健所長は「3回目のワクチン接種が進む60代以上では感染者が減少している一方で、50代以下では増加に転じており、感染の広がりが二極化していることを示している。」とのこと。

 

 

 

特にこの頃は、年少の子どもたちの多くに感染拡大傾向がみられ、それを看護する親世代も感染が伝播する 感染の悪しき連鎖の始まりから、子ども⇔家庭⇔親御の職場へと感染が広がっているようです。

上のグラフでも判るように、(3回目ワクチン接種が進んだ)60歳代~90歳代の人はグラフの下位に止(とど)まり、逆に 10歳未満児~50歳代の人たちが上位に位置しています。

とりわけ、10歳未満児の感染者数が突出して増えているのが判ります。

 

 

 

これは 言うまでもなく「家庭内感染」の典型事例と申せます。

 

 

 

私の周辺にも、子どもが学校でコロナに感染し 学校を休んで自宅療養をしている間に親御さんも体調不良に陥った人(世帯)がありますが、このことについては(従前にも触れていますが)保護が必要な子どもを捨て置いて感染しないようにすることは ほぼ無理じゃないかと思うところです。

可愛い我が子を部屋に閉じ込め、家族内の接触を遮断したままに規定の日数を乗り切ることは、机上では可能でも 実際にはできない業(わざ)でありましょう。

もう そうなったら、少なくとも 直接子どもを看護する親御さんは「自分も感染する」を覚悟するを余儀なくされるところであり、で あるとするならば「中等症以上にならないための創意工夫」に努める他ないと思います。

そのためには、お子さんが罹患した時点で 解熱薬などの準備・レトルト食品などの確保・職場への連絡などを事前に済ませ、いわば満を持してコロナと向き合うことが為(な)すべき道ではないかと思うところです。

これが、状況を甘く見て 相変わらずの生活を送っていれば、後になって 多方面への感染拡大や 当事者の症状悪化など、面倒なことになりかねないと 私の立場で警鐘を鳴らすところです。

 

 

 

この感染ルートについては、春休みが終わり新学期が始まったこの時期 今後もこの傾向が続くことが懸念されます。

現在、若年層へのワクチン接種が推奨されているところですが、その接種率もはかばかしく無い状況にあり…言葉を繰り返せば 慚愧に堪えない状態が続いています。

 

 

沖縄県では「第7波」の報道もアリ…また同じことの繰り返しになるのでしょうか。

 

 

「共感疲労」続編 ~ウクライナ難民の受け入れ~

ロシアの軍事侵攻に大きな被害を被るウクライナの人々の様子を見て、共に心を痛めて「共感疲労」となった実家のオフクロでしたが、昨日は やはりニュース報道に接し、疑問の声を発していました。

「日本の大臣がウクライナ(の隣国)に行って、帰りに避難民を飛行機に乗せて来たって。ここまではイイんだけれど、解(げ)せないのは その数(人数)よ。」

「あれだけ大きな飛行機で行って、連れて帰ってきたのが たったの20人って聞いて、何でそんなに少ないの?って思った。だって、ウクライナから避難してる人は 何百万人もいるワケでしょ?なのに、何で日本(政府)は たったの20人しか連れてこなかったの?」と、やや憤(いきどお)った顔で訊いてくるのでした。

この オフクロの「意見」について、私も「そうだよな!」と大きく頷(うな)ずくと同時に、わが国の難民受け入れ体制(制度)の現状について 嘆息するばかりでありました。

 

さきの報道によると、政府は5日 日本への渡航を希望したウクライナ避難民20人を政府専用機に搭乗させる異例の対応で受け入れたとのこと。岸田文雄首相は、その調整のために特使として林芳正外相をポーランドに派遣しました。

同氏はポーランド滞在中に約2,000人のウクライナ避難民が滞在する避難民施設・国境の出入国審査施設などを視察。ウクライナ、ポーランド両国の政府要人と会談を重ね、現場の支援ニーズ把握に努めたたうえで 日本に親族ら身寄りがない人を含む20人の希望者を政府専用機の予備機に搭乗させ、日本に移送しました。

 

 

 

移送の根拠としたのは 国賓などの輸送を定めた「自衛隊法」の規定で、人道的配慮から 既に入国している約400人の避難民と同様に、今回の20人にも就労可能な「特定活動」などの在留資格を付与する方針で、住居・医療の生活支援にも万全を期すとのことです。

今回、厳格な難民認定制度を持ちながら政府が避難民受け入れを決めたのは、さまざまな制約の中で積極的に国際貢献を果たしていることを内外に示すとの政府意向が透けて見えます。

外務省幹部は「今回の対応が日本の国際貢献の土台になる」と胸を張ったと報じられていました。

 

 

 

 

但し、ウクライナから国外に逃れた人は300万人をゆうに超え、ポーランドには240万人以上が流入しているのが現状です。その実数をしてみれば、専用機で僅か20人を運んだことが 果たして〝大手柄〟になるのか、懐疑的にならざるを得ません。

 

すでにご案内のとおり、ロシア軍の侵攻が続くウクライナから国外へ逃げる難民の数は増える一方になっています。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、避難民の多くを引き受ける隣国ポーランドなど周辺国の受け入れは限界に達しつつあるとのことです。

 

 

 

この現状がありながら、日本の避難民の受け入れ状況は、他国に比して突出して少ないものとなっています。

今回のウクライナ問題を別にして、難民の認定率わずか0,5%。ダントツのワースト1です。

 

 

今回のウクライナ問題においても 前掲のとおり多くの避難民が出ており、関係国の分担は不可欠な情勢となっています。

日本も余所事では済まされるハズも無く、民主主義陣営の一員として責任を共有する姿勢が試されています。

 

そんな中、(前掲のとおり)政府は 林外相を難民受け入れを前提にウクライナに派遣しました。

当然、現地の逼迫した状況は随時伝えられていたハズであるのだから、派遣の主目的は「受け入れに向けた調整」であっても、せっかく旅客機を使って現地に行くのだから 一日も早く・一人でも多くの避難民を(飛行機に)乗せて帰国すべきではなかったか。

そのためには、要人を乗せる機は専用機でも致し方ないにせよ「予備機」については、今回に限っては 通常定員数(約500~)が乗れる飛行機を選択し、現地での調整に基づき 相当の人数を乗せてくるべきではなかったか。

今回の報道では「希望する20人」とありましたが、本当にそれだけの人数しか来日を希望しなかったのか…ここも懐疑的な面が否めません。

まさか「専用機だから、座席数がこれだけしか無いので限定20人ね。」といって、他の多くの人の搭乗を断(ことわ)ったとするならば、これは人道支援ではなく 非人道的との誹(そし)りを受けるところでありましょう。

 

 

私は 今回の報道を聞いて、確か去年、アフガニスタンの紛争の際に「在外邦人等の輸送」を目的に派遣された自衛隊機が、邦人たった1人と 米国から依頼されたアフガン人14人だけを乗せて帰国したことを思い出しました。

その際には、活動期限を迎えた自衛隊機が撤収した後に 日本大使館やJICAに勤務する現地の協力者とその家族約500人が取り残されたことが判り大きな批判が噴出したものでした。

今回、政府は また同じこと(せっかく行って僅かな人数を移送するだけ)を繰り返したのか…何ともやるせない思いをしたのは私だけではないでしょう。

 

このように 数字の面で言っても、今回の政府派遣の成果は「(避難民の移送は)それだけの人数かい。」と言いたくなるものでありました。

そしてそこ(その裏)には、日本政府が定める厳格(=頑(かたく)な)な〝難民基準の壁〟があることが挙げられるところであり、今回のことを契機に「人道支援のグローバル化」を進めなければならないのではと強く思う者の一人であります。

(やや類は異なりますが、外国人の出入国を所管する「出入国在留管理庁」においては、名古屋出入国在留管理局において スリランカ女性への不適切対応によって死亡事案に発展してしまうなど、日本における外国人への対応については とても先進国とはいえない有様(ありさま)となっていることにも憂慮の念が募るところです)

 

これら 難民(避難民)の対応については「NPO難民支援協会」などが以前から指摘しているところであり、今後 議論が活発化することを期待したいところです。

 

NPO難民支援協会ホームページ

      ↓

日本の難民認定はなぜ少ないか?-制度面の課題から

 

 

今回のウクライナ避難民の受け入れについては、その背景や顛末について様々な報道等が為(な)されています。

法解釈の中で、今回については「難民」ではなく「避難民」として受け入れることになったこと・かかる法解釈を踏まえ、今回の派遣大臣は法務大臣であったものの、本人のコロナ感染により 急きょ外務大臣に差し替えとなったことから、法務省マターが外務省マターに変わり、そのせいで 難民受け入れの基準が旧来の域を出ずに「20人止まり」になったのでは など、結局 政府の打つ手が中途半端になったのではとの見解もあるところです。

 

一方、今回のウクライナ避難民について、その支援について 国内の600を超える企業や自治体から申し出があったことが報じられ、このことについては非常に喜ばしく感じたところです。

例えば 全国チェーンのディスカウント店「ドン・キホーテ」の運営会社は、ウクライナに対する人道支援の一環として 100世帯の避難民を支援すると発表しました。

具体的な手段は検討中としていますが、政府が認定したウクライナ難民100世帯に対し 経済的支援や生活面のサポートを実施する考えで、同社店舗での就業機会も提供する意向とのこと「やるじゃん、ドンキ」と評されるところでありましょう。

長野市においても 人道支援に向け手を挙げるべきであり、このことについては具申してまいりたいと存じております。

 

状況はますます悪化・複雑化の一途を辿るウクライナ問題…一日も早く・一人でも多くの避難民に救いの手が差し伸べられることを願って止まないところであります。

 

 

 

 

 

 

◆ 長野市コロナ報告

4月7日(木)、長野市内で新たに202例(11071~11272例)のコロナ陽性感染者の発生が報告されています。

 

4/7(木) 長野市におけるコロナ感染症の発生について [PDFファイル]

                ↓

https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/745535.pdf

 

 

この日(7日)の長野市内におけるコロナ陽性感染者数が、過去最多を更新することとなってしまいました。

 

 

私も含め、市中での感染の可能性が高いことを自覚しながら社会生活を送りたいところであります。

 

共感疲労

先日、実家のオフクロを訪ねると 何だか元気が無い様子で座っていました。

風邪で引いたのかと思ったが そんな様子もなく、熱も平熱で 毎日測定している血圧も普段どおりです。

ところが、何だか元気が無い。

ふと見れば、テレビで流されているロシアのウクライナへの軍事侵攻のニュースを見ては、ため息をついたり 報道の内容によっては涙ぐんだりもしているのです。

ロシアからの無差別攻撃を受けて着の身着のまま逃げる難民の姿が映し出される映像を見ては「あの(避難する)女の人は、もしかしたら私と同じくらいの年齢じゃない?もし あたしが同じような境遇になったら、絶対に逃げることなどできない…あの人たちが気の毒過ぎる。」と、自分の老いた婆に重ね合わせて 言葉を震わせていたのでした。

この様子を見た私は、オフクロの減退ぶりは かかる「ウクライナ問題」の報道に起因しているのでは…と思わされたのでした。

 

 

 

 

みなさんにも心当たることは無いでしょうか?

連日に亘るロシアのウクライナ軍事侵攻ニュースを見続け 心が痛んだり、避難民に同情の余り気持ちが塞(ふさ)がる思いがするなど…これは 心ある方々であれば、当然に抱く心理でありましょう。 

 

「共感疲労」というメンタルダメージがあるそうです。

これは、他者の悲しみや悲壮な環境を自分ごとと捉え 同じ心境(境地)に陥るようになることを指(さ)し、感受性の強い人や敏感な人、また(オフクロのように)境遇に共感する気持ちの強い人が、報道などを通じて気持ちが落ち着かなくなったり不安を覚えたり、当事者と同じ悲しみを覚えたりして 総じて気分が不安定になったりするものだそうです。

この「共感疲労」人によっては それが憤りに変わるケースもあるとのこと。

親しくしているヨーロッパ在住の知人(Aさん)のいる人(Bさん)が、Aさんが地中海のリゾートに遊びに行っている楽しげな様子をSNSに投稿していたのを見て、Bさんは「Aさんは 同じヨーロッパに住んでいながら ウクライナなど関係ない・自分がよければそれでいいから旅行に行くんだ、という様子を許せない!」との気持ちになったそうです。

毎日 ウクライナの状況を見て自分は何も手助けできない…と無力感を感じているBさんだからこそ(旅行に行ったAさんを)許せない気分になったのでしょう。

 

ウクライナ問題に関する報道で何を考え どんな行動をするかは個人の自由です。

人は関係ない 自分だけ楽しく過ごせればいいという人もいる一方、辛(つら)い思いをしている人を見て自分も辛くなる人もいます。

そんな人(後者)は「共感能力が高い人」と言えるでしょう。

心理学の分野では、相手の立場に立って考えたり 相手が感じている辛さに「共感」することは、その当事者以上に(共感する人が)不安や苦痛・さらに情緒的混乱を起こすことがあるとのこと。

例えば 看護職などの対人援助職を行なう人においては、相手の辛さを我がこととして捉え「共感」することは、それを生業(なりわい)とする人にとって大切な資質であり ときには職業的な訓練としてこうした(共感の)能力を培うように学習が行なわれることもあるそうです。しかし その度合いが過ぎてくると、それが「共感疲労」につながるとされています。

前掲のオフクロやBさんのように「共感」の思いが強い人は、例えばテレビのドキュメンタリー番組を見て感動したり 自然災害に遭った人を映す報道を見て涙が出たり、今回のように ウクライナへの軍事侵攻の報道でいたたまれない思いになるものです。

このこと(共感)は いわば人間らしい感性といえるでしょう。

また「共感疲労」の一方「共感満足」というものもあるとのこと。

例えば、辛い境遇を乗り越えた人が 最終的に幸せになったような話を聞いたときに自分も幸せな気持ちになったり「ホントに良かった!」と、当事者に匹敵する満足感を覚えるとき「共感満足」の境地になるものだとのこと。

しかし今回の場合は、辛い状況にある人に共感し しかしながら自分が何も手助けできない場合に無力感を感じることで「共感疲労」となり、さらには 辛い状況にいる人に共感を全く示さない人に対して怒りを感じる、これも(共感力の強い人には)大きなストレスとなるそうです。

 

昨今 ときに生々しく報じられている ロシアのウクライナへの軍事侵攻の模様。

SNSが発展し、情報化社会を象徴するような 戦禍の模様がライブ発信される様子は、私たちに非常に正確な情報を伝えてくれると同時に、(情報を)受ける者に ときに大きな影響を与えることにもなります。

これらの情報を見聞し、それぞれがどう捉え どう思うか…さまざまなことが問われていると申せます。

 

 

 

 

 

 

 

◆ 長野市コロナ報告

4月5日(火)・6日(水)、長野市内で新たなコロナ陽性感染者の発生が報告されています。

 

4/5(火) 長野市におけるコロナ感染症の発生(106例)について [PDFファイル]

                ↓

https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/745394.pdf

 

 

4/6(水) 長野市におけるコロナ感染症の発生(197例)について [PDFファイル]

                ↓

https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/745436.pdf

 

 

6日は、再び200例に届かんとする数のコロナ陽性者が発生。

予断を許さないところであります。

世界情勢と日本農業の〝相関関係〟

現下の〝ウクライナ情勢〟を大きなキッカケとし、わが国を取り巻く いわば「物資の供給体制」は 大きな曲がり角を迎えているのではと思われる今日この頃です。

そんな中 市内で食品移出業を営まれる人(Aさん)と意見を交わす機会があり、Aさんの懸念は そのまま私の懸念と重なり、なかんずく 多くの市民が抱く懸念であろうと思わされたところです。

 

 

 

 

Aさん曰く「今 世界情勢は一気に不安定さを増してきた。特に 最近のウクライナで見られるような「戦争状態」は、人々の生活インフラだけでなく 人の命や心さえ奪うので看過できない。」

そのうえで「この世界情勢が農業分野へ及ぼす影響を考えるとき、遙(はる)か遠い国で起きていることのように見えるが 決して対岸の火事には思えないんだ。」とのことです。

その通底には「農業(産業)の国際化・グローバル化」が欠くことができない とのこと。

現在の社会掲載状況は、直接口(くち)に入る農作物のみならず 家畜の飼料や農作物の肥料などの間接的な製品(農業関連品)までも 輸出入による「グローバル化」の上に成り立っています。

特に日本においては 農作物・関連品の多く(ほとんど)を輸入に頼っており、同じグローバル化と言っても 輸入量が極端に大きい〝いびつ型グローバル〟の状況にあります。

 

 

 

 

そんな状況下ですが 世界情勢が安定しているときは、日本(国民)は 農作物も関連品も必要なだけ輸入し、それを糧(かて)に優良な製品(食品)を作り 高い水準の成果物を甘受してこれたものです。

しかし、一度(ひとたび)この好循環の歯車が狂い出すと それまで順調だった生産→消費の社会経済構造の櫓(やぐら)が傾(かし)ぎ、私たち(日本人)の豊かな生活に黄信号が点(とも)ることになってしまいます。

そのうえでAさんは「今回のウクライナ情勢は、台風やハリケーンなどの自然災害ではなく 紛(まぎ)れもない「戦争」だろ。この いわば〝戦争状態〟は、今後も含めて かなり難儀なものになるんじゃないか。」と眉をひそめておられました。

「戦争は「物」だけでなく「者」を奪うことを考えなければならない。「者」とは 人、つまり「担い手」だ。戦争によって徴兵されるのは その多くが現役世代・つまり農業の担い手…その肝心要(かんじんかなめ)の担い手を戦地に取られてしまえば、その時点でその地の農業はストップしてしまう。そして、最悪の場合 派兵させられた兵士(=担い手)が戦死などすれば、その農地は〝不在農地〟と化してしまう…。」

「さらに言えば、今 まさにウクライナの大地が戦場と化しているけれど、その多くは世界有数の小麦畑。連日に亘り 戦車なんかが爆走する土地は、他でもない世界の穀倉地帯であり それが戦車のキャタピラで踏みつけられたりロケットで大穴を開けられたりしたのでは、そこを再び農地(小麦畑)として再興するのは容易ならざることと言わざるを得ないよね…。」

Aさんは まるで自分の農地が荒らされたかのような苦渋に満ちた表情で話しておられました。

 

 

 

 

そのうえで、Aさんと私は「これからのこと」について憂慮の念を深めたところです。

「世界のいち地域での紛争(戦争)が 世界全体の食料供給のバランスを崩し、戦禍と無関係と思える地域にまで悪影響を及ぼすことになる。」

前掲のとおり、食品の原材料・家畜の飼料・施設維持のための燃料代の不足/高騰、紛争に伴う移送手段やルートの迂回や断絶等の障害等々、一見 大局的に見えた農業の世界的なグローバル化は、一つの〝歯車の狂い〟によって 全体が難儀なことに陥ってしまう。

 

この状況に接し、私は「デジャブ(既視感)」を覚えたところです。

世界情勢の変遷によって、国内の供給状況が著しく悪くなる…そう、コロナ禍における「マスク不足」です。

不織布マスクの約9割を輸入に頼っていた日本は、世界的なコロナ禍の蔓延によりマスクの輸入がままならなくなり 国内は一気にマスク不足に陥ることとなってしまいました。

 

 

 

これは 物品の供給を輸入に頼る国内事情が招いた事象であり、あのことを契機に マスクの国内企業による自国生産が進められたものでした。

そして 今回もまた、輸入頼みの現状が 国民生活に大きなマイナス影響を与えようとしています。

 

 

「食の安全保障」という政治用語があります。

これは、自国民の食生活を守るために 国が中心となって抜本的な対策(政策)を行なうことを指していますが、現下の 混乱と危機感に満ちた社会情勢にこそ「食の安全保障」について考えるべきときではないか と。

 

 

 

世界との交易という意味でのグローバル化は推進するものの、イザというときには 自国の農業は自国で守れるような体制は整えておくべきではないか、そのための農業基盤の再構築や後継者維持などの将来策を練ってゆかなければ、他国での紛争などが起きる度に 日本人の胃袋が縮むようなことになる。

Aさんと共に、腕組みをほどくことができない時間を共有したのでした。

 

 

 

 

 

 

◆ 長野市コロナ報告

4月4日(月)、長野市内で新たに155例(10622~10767例)のコロナ陽性感染者の発生が報告されています。

 

4/4(月) 長野市におけるコロナ感染症の発生について [PDFファイル]

                ↓

https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/745315.pdf

 

 

 

「震災遺構」が語りかけるもの

 

さきの『東日本大震災』で大きな被害を受けた「宮城県石巻市立 門脇(かどわき)小学校」の旧校舎が『震災遺構』として整備され、3日から一般公開が始まったことが報道されました。

それを耳にした私の胸には 一抹の「思い」が去来いたしました。

 

 

 

 

ご案内のとおり、2011年3月11日に発生した『東日本大震災』は 東北地方の沖あいでM9にも及ぶ大地震を発生させ、それに伴い想定を遙(はる)かに超える大津波によって内陸部は未曾有の大被害を受けることとなりました。

この門脇小学校においては、2m近い津波と同時に それ(津波)に流され炎上したまま押し寄せた家屋や自動車・プロパンガスのボンベなどが燃焼・爆発を起こし、浸水と全焼の複合的被害を被(こうむ)ることなってしまいました。

 

 

 

 

 

ただ幸いなことに、発災時に学校にいた児童・教職員は 津波襲来の前に裏山に避難して無事であり、発災時に校舎にいた避難住民ら約40人は 教壇などの備品を橋の代わりにして裏山に渡り、やはり難を逃れたとのことです。

しかし 運悪く早めに帰宅した児童などは津波被害を受けることとなり、発生時の居所と その際の判断の如何によって生死が分かれることとなってしまいました。

そのうえで 今回の「震災遺構」の指定により、被災から11年の歳月を経た今、津波や津波火災の恐ろしさや「生命を守る行動」の大切さと課題を次世代に伝える貴重な資料となることになったそうです。

 

 

 

今回の「震災遺構」の報道に触れ 私の胸には、去る2013年に 有志で被災地への激励の旅を行なったことが思い起こされました。

未曾有の震災の報に触れ 何らか支援することができないかと模索する私たちに対し、親交のあった齋藤宮城県議(現 石巻市長)から「とにかく被災地に足を運んでもらい 災害の状況を直(じか)に見てほしい。そのうえで 現地行などを通じた経済活動により被災地の復興支援をしてほしい。」との切実な声を聞いたことから、バスを仕立てて石巻市をはじめとする被災地を巡る行程に臨んだのです。

 

 

 

齋藤氏による 被災地住民代表の「生(なま)の声」に耳を傾け、今回「震災遺構」となった門脇小学校(当時は立入禁止)や、門脇小に先んじて遺構となった「大川小学校」を訪れ、災害の恐ろしさを肌で感じると同時に 被災した児童生徒や教職員の御霊を慰めてまいりました。

 

 

 

 

当時の参加者は 災害の状況について、実際に現場を訪れて自分の目や耳で見聞したことで 災害の威力と恐ろしさを実感をもって受け止め、それぞれに深く考える機会となったことを話しておられました。

おそらくは、当時の参加者の方々は 今回の「門脇小が震災遺構に」の報に触れ「あのとき」を回顧すると同時に、改めて 人々の社会生活を突如に脅かす厄難の恐ろしさについて思いをいたしておられることと存じます。

 

 

期せずして、現下は「ウクライナ問題」により 普通に日常生活を送っていた人々が戦禍に遭い、大変な状況に陥っていることが連日に亘り報道され、災害(被害)の類(たぐい)は違えど 甚(いた)く同情を禁じ得ないところであります。

 

自(みずか)らを含む、人々の社会生活の何たるかを考えさせられた(考えさせられている)内外の情勢であります。

 

 

 

 

 

 

◆ 長野市コロナ報告

4月3日(日)、長野市内で新たに128例(10485~10621例)のコロナ陽性感染者の発生が報告されています。

 

4/3(日) 長野市におけるコロナ感染症の発生について [PDFファイル]

                ↓

https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/745226.pdf

 

 

「震災遺構」が語りかけるもの

 

さきの『東日本大震災』で大きな被害を受けた「宮城県石巻市立 門脇(かどわき)小学校」の旧校舎が『震災遺構』として整備され、3日から一般公開が始まったことが報道されました。

それを耳にした私の胸には 一抹の「思い」が去来いたしました。

 

 

 

 

ご案内のとおり、2011年3月11日に発生した『東日本大震災』は 東北地方の沖あいでM9にも及ぶ大地震を発生させ、それに伴い想定を遙(はる)かに超える大津波によって内陸部は未曾有の大被害を受けることとなりました。

この門脇小学校においては、2m近い津波と同時に それ(津波)に流され炎上したまま押し寄せた家屋や自動車・プロパンガスのボンベなどが燃焼・爆発を起こし、浸水と全焼の複合的被害を被(こうむ)ることなってしまいました。

 

 

 

 

 

ただ幸いなことに、発災時に学校にいた児童・教職員は 津波襲来の前に裏山に避難して無事であり、発災時に校舎にいた避難住民ら約40人は 教壇などの備品を橋の代わりにして裏山に渡り、やはり難を逃れたとのことです。

しかし 運悪く早めに帰宅した児童などは津波被害を受けることとなり、発生時の居所と その際の判断の如何によって生死が分かれることとなってしまいました。

そのうえで 今回の「震災遺構」の指定により、被災から11年の歳月を経た今、津波や津波火災の恐ろしさや「生命を守る行動」の大切さと課題を次世代に伝える貴重な資料となることになったそうです。

 

 

 

今回の「震災遺構」の報道に触れ 私の胸には、去る2013年に 有志で被災地への激励の旅を行なったことが思い起こされました。

未曾有の震災の報に触れ 何らか支援することができないかと模索する私たちに対し、親交のあった齋藤宮城県議(現 石巻市長)から「とにかく被災地に足を運んでもらい 災害の状況を直(じか)に見てほしい。そのうえで 現地行などを通じた経済活動により被災地の復興支援をしてほしい。」との切実な声を聞いたことから、バスを仕立てて石巻市をはじめとする被災地を巡る行程に臨んだのです。

 

 

 

齋藤氏による 被災地住民代表の「生(なま)の声」に耳を傾け、今回「震災遺構」となった門脇小学校(当時は立入禁止)や、門脇小に先んじて遺構となった「大川小学校」を訪れ、災害の恐ろしさを肌で感じると同時に 被災した児童生徒や教職員の御霊を慰めてまいりました。

 

 

 

 

当時の参加者は 災害の状況について、実際に現場を訪れて自分の目や耳で見聞したことで 災害の威力と恐ろしさを実感をもって受け止め、それぞれに深く考える機会となったことを話しておられました。

おそらくは、当時の参加者の方々は 今回の「門脇小が震災遺構に」の報に触れ「あのとき」を回顧すると同時に、改めて 人々の社会生活を突如に脅かす厄難の恐ろしさについて思いをいたしておられることと存じます。

 

 

期せずして、現下は「ウクライナ問題」により 普通に日常生活を送っていた人々が戦禍に遭い、大変な状況に陥っていることが連日に亘り報道され、災害(被害)の類(たぐい)は違えど 甚(いた)く同情を禁じ得ないところであります。

 

自(みずか)らを含む、人々の社会生活の何たるかを考えさせられた(考えさせられている)内外の情勢であります。

 

 

 

 

 

 

◆ 長野市コロナ報告

4月3日(日)、長野市内で新たに128例(10485~10621例)のコロナ陽性感染者の発生が報告されています。

 

4/3(日) 長野市におけるコロナ感染症の発生について [PDFファイル]

                ↓

https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/745226.pdf

 

 

試行錯誤の大行事

先日もお伝えしたとおり、長野市においては 3日から始まる『善光寺御開帳』を前に いわば〝プレイベント〟が行なわれ、7年に一度の〝御開帳気運〟は 否が応でも盛り上がっています。

2日には、秘仏である本尊の身代わりとして公開される「前立本尊」を本堂に迎え入れる「前立本尊御遷座式」が斉行されたことが報じられていました。

 


 

 

その後 本堂の前で法要が営まれ「前立本尊」と綱で結ばれた御開帳のシンボル、回向柱(えこうばしら)を公開する運びとなり、いよいよ 7年に一度…いや 今回に関しては8年の間(あいだ)を空けた大行事が幕を開けました。

 

 

 

 

そんな中、私(だけではないでしょう)が どうしても目を向けざるを得なかったのが、行事に集まる人々の様子です。

「前立本尊御遷座式」のニュース報道の際には、回向柱に向かい手を合わせる多くの善男善女の姿が映され、

 

 

 

回向柱を覆っていた白布が除幕された後には、早速に柱(とを結んだご本尊)の御利益をいただこうと参拝客の列ができていたことが報じられていました。

 

 

 

先日も述べたとおり この善光寺御開帳については、善光寺(事務局)が 参拝客が触れる柱の面(四面)に「光触媒」を施し〝接触感染〟を予防すると同時に、分散参拝を期して 御開帳の期間を1ヶ月延長することで参拝客の集中を避けるとしています。

ただ やはり、前掲の写真でも窺(うかが)えるように 柱の周辺や参道などには「密」と言わざるを得ないほどの多くの人垣が形成されており、このことからも「御開帳は 柱(からの感染)だけを守れば全てヨシ!」というワケにはゆかなくなっていることは周知のことと申せます。

 

 

そんな中、コロナ感染症について やや気になるニュースが。

新型コロナウィルスの感染経路について 国立感染症研究所(感染研)が「ウィルスを含んだ空気中に漂う微粒子(エアロゾル)を吸い込んでも感染する」との見解、いわゆる「コロナの空気感染を認める」旨を ホームページで公表したとのことなのです。

 

 

 

この報道によると、感染研はこれまで エアロゾル感染に否定的で、「飛沫感染」と「接触感染」だけを挙げた報告書を発表していたため、国内の科学者が「世界の知見とは異なる」と説明を求めて出された公開質問状に答えたものです。

この記事をさらに読むと、(感染症の)世界基準ともいえる世界保健機関(WHO)や米疾病対策センター(CDC)などの見解は、コロナの主な感染経路は「エアロゾル感染」と「飛沫感染」であるとし むしろ「接触感染は起きにくい」とする見解を示したとのこと。しかし、日本の感染研は「現段階でエアロゾル感染を疑う事例の頻度の明らかな増加は確認されず、従来通り感染経路は主に飛沫感染と接触感染と考えられた」と記し、WHOなどと異なる説明をしていましたが、今回の報道によると 感染研は今までの主張を改め、コロナは唾(つば)などの飛沫だけではなく エアロゾル(空気浮遊)によっても感染する可能性があることを正式に認めたとのことでありました。

 

このような感染の実態を聞くにつけ、私たちは むしろ、人流の過密化・その中に交差する飛沫やエアロゾルにこそ警戒すべきであり、そこからの防御がままならないとすれば 場合によっては感染を覚悟しなければならないのかもしれません。

主催者(善光寺事務局)とすれば、参拝のメインが(柱への)接触であることから、そこへの感染封じ込めを行なったことは大きな対策であるところですが、参拝者の方々におかれては「回向柱を(光触媒で)コーティングしているから(参拝客は)コロナには感染しない」というのは拡大解釈に過ぎるところであり、やはりここは (報道写真のとおり)実際に〝密〟の状態が発生していることを踏まえ「エアロゾル感染」と「飛沫感染」にも十分な注意を払うことが求められていると自覚していただきたいところであります。

 

一方 今年は、善光寺御開帳の延期に伴い 期せずしての〝ダブル開催〟となった『諏訪大社御柱祭』が、コロナ対策として 祭りのメイン中のメインである「木落」や「川越」を含む御柱の人力曳航(じんりきえいこう)を断念し、トレーラーによる運搬にしたことが 併せ報じられています。

この祭りを生き甲斐としていた諏訪地域の方々にとっては、まさに苦渋の決断であったと拝察するところであります。

 

 

 

 

地域の伝統文化であり、節目 ゞ で地域活性化の原動力ともなっているそれぞれの行事は、まさに試行錯誤の中で開催を迎えることとなっています。

これは私見ですが、おそらく保健所は 行事期間中の感染者増加は ある程度覚悟しているのではないか と。

そのうえで(先日も触れましたが)先ずは重症化防止・また軽症であっても後遺症が残らないよう対策に全力を尽くす。

 

コロナ禍の中での〝新たなフェーズ(局面)〟を前提に、被害を最小限に止(とど)め そのうえで地域経済活性化という成果を挙げることが求められています。

 

試行錯誤の大行事

先日もお伝えしたとおり、長野市においては 3日から始まる『善光寺御開帳』を前に いわば〝プレイベント〟が行なわれ、7年に一度の〝御開帳気運〟は 否が応でも盛り上がっています。

2日には、秘仏である本尊の身代わりとして公開される「前立本尊」を本堂に迎え入れる「前立本尊御遷座式」が斉行されたことが報じられていました。

 


 

 

その後 本堂の前で法要が営まれ「前立本尊」と綱で結ばれた御開帳のシンボル、回向柱(えこうばしら)を公開する運びとなり、いよいよ 7年に一度…いや 今回に関しては8年の間(あいだ)を空けた大行事が幕を開けました。

 

 

 

 

そんな中、私(だけではないでしょう)が どうしても目を向けざるを得なかったのが、行事に集まる人々の様子です。

「前立本尊御遷座式」のニュース報道の際には、回向柱に向かい手を合わせる多くの善男善女の姿が映され、

 

 

 

回向柱を覆っていた白布が除幕された後には、早速に柱(とを結んだご本尊)の御利益をいただこうと参拝客の列ができていたことが報じられていました。

 

 

 

先日も述べたとおり この善光寺御開帳については、善光寺(事務局)が 参拝客が触れる柱の面(四面)に「光触媒」を施し〝接触感染〟を予防すると同時に、分散参拝を期して 御開帳の期間を1ヶ月延長することで参拝客の集中を避けるとしています。

ただ やはり、前掲の写真でも窺(うかが)えるように 柱の周辺や参道などには「密」と言わざるを得ないほどの多くの人垣が形成されており、このことからも「御開帳は 柱(からの感染)だけを守れば全てヨシ!」というワケにはゆかなくなっていることは周知のことと申せます。

 

 

そんな中、コロナ感染症について やや気になるニュースが。

新型コロナウィルスの感染経路について 国立感染症研究所(感染研)が「ウィルスを含んだ空気中に漂う微粒子(エアロゾル)を吸い込んでも感染する」との見解、いわゆる「コロナの空気感染を認める」旨を ホームページで公表したとのことなのです。

 

 

 

この報道によると、感染研はこれまで エアロゾル感染に否定的で、「飛沫感染」と「接触感染」だけを挙げた報告書を発表していたため、国内の科学者が「世界の知見とは異なる」と説明を求めて出された公開質問状に答えたものです。

この記事をさらに読むと、(感染症の)世界基準ともいえる世界保健機関(WHO)や米疾病対策センター(CDC)などの見解は、コロナの主な感染経路は「エアロゾル感染」と「飛沫感染」であるとし むしろ「接触感染は起きにくい」とする見解を示したとのこと。しかし、日本の感染研は「現段階でエアロゾル感染を疑う事例の頻度の明らかな増加は確認されず、従来通り感染経路は主に飛沫感染と接触感染と考えられた」と記し、WHOなどと異なる説明をしていましたが、今回の報道によると 感染研は今までの主張を改め、コロナは唾(つば)などの飛沫だけではなく エアロゾル(空気浮遊)によっても感染する可能性があることを正式に認めたとのことでありました。

 

このような感染の実態を聞くにつけ、私たちは むしろ、人流の過密化・その中に交差する飛沫やエアロゾルにこそ警戒すべきであり、そこからの防御がままならないとすれば 場合によっては感染を覚悟しなければならないのかもしれません。

主催者(善光寺事務局)とすれば、参拝のメインが(柱への)接触であることから、そこへの感染封じ込めを行なったことは大きな対策であるところですが、参拝者の方々におかれては「回向柱を(光触媒で)コーティングしているから(参拝客は)コロナには感染しない」というのは拡大解釈に過ぎるところであり、やはりここは (報道写真のとおり)実際に〝密〟の状態が発生していることを踏まえ「エアロゾル感染」と「飛沫感染」にも十分な注意を払うことが求められていると自覚していただきたいところであります。

 

一方 今年は、善光寺御開帳の延期に伴い 期せずしての〝ダブル開催〟となった『諏訪大社御柱祭』が、コロナ対策として 祭りのメイン中のメインである「木落」や「川越」を含む御柱の人力曳航(じんりきえいこう)を断念し、トレーラーによる運搬にしたことが 併せ報じられています。

この祭りを生き甲斐としていた諏訪地域の方々にとっては、まさに苦渋の決断であったと拝察するところであります。

 

 

 

 

地域の伝統文化であり、節目 ゞ で地域活性化の原動力ともなっているそれぞれの行事は、まさに試行錯誤の中で開催を迎えることとなっています。

これは私見ですが、おそらく保健所は 行事期間中の感染者増加は ある程度覚悟しているのではないか と。

そのうえで(先日も触れましたが)先ずは重症化防止・また軽症であっても後遺症が残らないよう対策に全力を尽くす。

 

コロナ禍の中での〝新たなフェーズ(局面)〟を前提に、被害を最小限に止(とど)め そのうえで地域経済活性化という成果を挙げることが求められています。