30日付 信濃毎日新聞の2面[総合面]に、長野県社会福祉協議会が中心になり 県内の児童養護施設や里親家庭で育った若者を支援する『社会的養護出身の若者サポートプロジェクト』を立ち上げたことが報じられ、耳目を引かれました。
前途有為な若者が、多様・多難な社会で生きてゆけるための支援の重要性と 実際の〝生き抜く環境〟の厳しさに思いをいたしたところです。
記事によると、施設などで育った社会的養護経験者は「ケアリーバー」と呼ばれ、彼ら(彼女ら)は 原則18才を契機に施設を離れ、進学や就職など いわゆる「自立」の道を歩むこととなり、その人数は県内で年間約100人いるとのこと。
ところが実際には、身近に頼れる人がおらず 困窮や孤立に陥るケースが少なくないとのことで、そこにコロナ禍のシワ寄せによる雇い止めなどで ここ数年はさらに厳しい状況に陥る人がおり、継続的な支援が課題となっています。
この現状に鑑み、県社協・県児童福祉施設連盟・NPO法人ホットライン信州など6団体が『社会的養護出身の若者サポートプロジェクト』を構成し、施設などで育った若者の自立支援を行なうそうです。
この支援活動は、(本ブログでも従前に触れましたが)原則18歳(最長22歳)までとなっている児童養護施設等の出身者支援の年齢制限が撤廃される2024年度の児童福祉法改正年度までを活動期間として想定しており、若者向け相談窓口を県社協に開設するほか、緊急時の宿泊施設の確保・不動産業者と連携した初期費用が不要な住居の紹介・飲食店関係団体を通じた就労支援などを行なうことが紙面に記されていました。
私の知人で 児童養護施設で働く方(Aさん)がおられるのですが、Aさんは日頃から かかる施設出身者の「その後」について甚(いた)く心配されておられます。
Aさんが働く児童養護施設は「子どもが第一」を掲げ、理事長先生を筆頭に 施設を挙げて子どもたちの日常生活の維持向上に精励しておられます。
まるで我が子…イヤそれ以上ともいえる愛情を(施設の)子どもに注ぎ、3度の食事はもとより 日々の生活についても、「親身」という言葉がピッタリくるような 優しさと厳しさをもって一人ひとりの子ども達と向き合っておられるのです。
で、私が驚いた(感心した)のが「食事の美味しいこと」でした。
施設で提供されている食事メニューを試食させていただいたことがあったのですが、その調理と味ときたら そこらの食堂なんてもんじゃない美味しさで「こんな美味(うま)いものを毎日食べてんの?うらやましい…」と思わず言ってしまうほどの美味しさでありました。
これも一重(ひとえ)に、施設の 子どもに寄せる「愛情」の現れといえるでありましょう。
それだけにAさんは、施設を出た後の子ども達の行く末が心配でならない…と話しておられました。
「施設に居るうちは 手厚い庇護(ひご)を受けて過ごすことができていたけれど、イザ卒園となった後は いきなり社会に出て自活(自立)しなければならない。もとより親御さんが居なかったり疎遠になっていたり、また頼りになる身内も少ない中での〝独り立ち〟は、まるで大海に小舟で漕ぎ出すようなもの…私たち〝親代わり〟の者としては、子ども達の「その後」が心配でならないのです。」とのことでありました。
さらにAさんは、こうも心配されています。
「卒園までに進学や就職が決まった子どもは 卒園後も施設にカオを出してくれるけれど、いわば順調にゆかないままに施設を離れることになった子ども(行く末が心配な子ども)ほど、その後の音信が分からなくなるケースがあり、心配に輪がかかることになります。だから(支援は) 無碍(むげ)に年齢で切るのではなく、あの子らが真に自立できるまで継続してあげてほしいと切に願うところです。」と述べておられました。
「○○ガチャ」との社会造語を、最近 耳にします。
これは、コインを入れて販売機(ガチャ)のレバーを回し「何が出てくるかはお楽しみ」との(ガチャ)の興(きょう)を準(なぞら)えたもので、本人が望む・望まないに関わらず その者の環境が決められてしまう、いわば人生の「運」のようなものを指しています。
例えば「担任ガチャ」これは、学校の担任教諭との相性によって 後の学校生活が左右されることを指しているとのこと。
また「上司ガチャ」も。希望する企業に就職できたものの、最初の上司(課長・係長)との相性によって社会生活の陽陰が決められてしまう悲哀を指しています。
そして、この話題の場合は「親ガチャ」といえるでありましょう。
ある日、Aさんの務める施設の子ども(Bくん)が「オレは親ガチャに外れた身だから仕方ないんだ…」と 半ば諦(あきら)め顔で言(ご)ちているのを聞いて 一緒に切ない思いをしたことがあると話してくださいました。
こんな環境は、自分は露(つゆ)とも望んでいなかったのに 親がこんな状態(Bくんの場合はネグレクト/育児放棄)だったから、独りで生きてゆかなければならない。
でも これは自分(Bくん)に課せられた運命だから、受け入れて生きてゆかなければならない…。
今回のプロジェクトに際し、幹事団体で「県社協まちづくりボランティアセンター」のN所長は「施設を離れた若者が困難を抱える実情は 広く知られていない。」としたうえで「(所属する団体の)各分野で できる支援をして、若者に安心感を持って(自立して)もらえるようにしたい。」と述べていました。
それぞれの事情を抱えながら施設で過ごし、いずれは社会で自立しなければならない若者たち。
そんな若者たちが、多様な社会の中に埋没しないよう…いや一見的に埋没していても 実は力強く生きてゆけるよう、多様・多岐な支援が求められています。
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私も市議として関わる県アスベスト対策センターに専門的立場から支援を受けている「中皮腫・じん肺・アスベストセンター」及び「NPO法人東京労働安...
時節は夏(暦の上では秋)…降り注ぐ太陽の下で 人々 特に子どもたちの活動(行動)が活発を極めています。
この7月~8月は「夏休み」多くの子どもたちが真っ黒に日焼けし たくさんの思い出をつくったことでしょう。
そして、ほとんどの学校が夏休みを終え 2学期を迎えることとなりました。
そんな、本来は 新学期に向け、胸ふくらませて(新学期に)臨むところであるにも関わらず、この時期…それも、夏休み明けとなる いわばピンポイントともいえる9月初めに増える傾向にあるのが「子どもの自殺」であることが 例年に亘って伝えられています。
「夏休み明け」という〝学校の再開〟は、一般的には何の変哲(へんてつ)も無く カレンダーの一枚がめくられるだけのことと思われるところですが、悩みを抱える子どもにとっては (夏休みが終わることで)自らの環境が変わり 精神的に大きく不安定になりやすくなること、そして、究極的な「自死」という行動に及んでしまうことは 由々しきことなどという言葉で済まされないほどの重大な問題であると言わざるを得ません。
ある調査によると 小中高生の自殺者数は年々増加傾向にあるとのこと。
そして、その悪しきタイミングとして「夏休みの前後」がクローズアップされているのでありました。
この時期に多発する悲劇…その要因には 単に「これだ」と言えない複雑かつ複合的な児童(少年少女)心理が内在しており、いわば〝大人の尺度〟で軽々に推し量れないことを、私たち年長者は理解しなければなりません。
専門家によると、夏休みが明ける2学期の開始の時期が 子供にとって1年の中で一番プレッシャーを感じる時期とのこと。そのことが、9月初旬の自殺数増加の悪しきキッカケになっているそうです。
そのうえで専門家は「児童生徒のえも知れないストレスが さまざまな形で現れる場合が多いので、それらが伝える「サイン」を周囲が察知することが非常に重要になります。」と訴えています。
学校が始まる日に「(学校に)行きたくない…」と言ったり、学校に行く時間に 急に「お腹が痛い」など体調面の不調を訴えたときには、何らかの異変が生じたと判断する必要があるとのことです。
また 前述のように、(学校に行きたくないなど)言葉にして示したり 体調不良として表(おもて)に出るときはまだイイのですが、それが なかなか気づけないままに時間ばかりが経過し、その実 子どもは深い悩みを抱えていて、どうしようもなくなってしまうケースもあり(どちらかといえば こちらのケースが多い傾向)、そういう面では 如何(いか)に周囲の大人が目配り・気配り・見守りができるかが 事(こと/自殺予防)の成否を分けると言っても過言ではないと申せます。
で…かかる「上(あ)げたくても声を上げられない子ども」の存在を再認識する中、私は「いわゆる社会的弱者の〝声にできない実情〟」に思いが及びました。
この〝子どもの夏休み明け問題〟に近似(きんじ)したものとして、例えば 知的障がい者のような社会的弱者の方々が、日常の社会生活の中で さまざまなストレスを抱えるも、それを「言うに言えない」状況に陥って(閉塞されて)いる実態があることを聞き及んでいます。
障がいを抱えている というだけで〝弱者〟に位置づけられた人たちは、ときに望まぬ環境の中で日常生活を送り、その中で さまざまなストレスを余儀なくされ時間を過ごすことになる。
そんな方々は しかし、そのストレスを「声」として上げることができないまま。
で、それ(声)に気づき 特段の配慮をすべき存在であるハズの周囲の者は、そのことに気づいていないのか、それとも 知りながら看過しているのか…いずれにしても いわゆる社会的弱者である彼ら(彼女ら)は「声なき声」を聞いてもらえないままに、ときに諦(あきら)めの境地の中で 今日も時間を過ごしているのです。
多様化し さまざまな面で厳しさを増す現世におい私たち社会を成す者たちは、自分だけ良ければイイとか 他者は関係ないなどの「唯我独尊」的な思考で過ごすことは、今後の循環・共存社会を具現化するのにふさわしくないと言わざるを得ません。
それが 子どもであれ障がい者であれ、そこに内在する「声なき声」に耳を傾け 誤(あやま)てることの無いよう計らってゆくことこそが求められていると強く認識するところであります。
◇長野市コロナ報告
8月21日(日)、長野市内で新たなコロナ陽性感染者の発生が報告されています。
8/27日(土) 長野市におけるコロナ感染症の発生(358人/市35481~35858例)について
[PDFファイル]
↓
https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/753666.pdf
8/28日(日) 長野市におけるコロナ感染症の発生(358人/市35859~36267例)について
[PDFファイル]
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https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/753674.pdf
8/29日(月) 長野市におけるコロナ感染症の発生(142人/市362689~36409例)について
[PDFファイル]
↓
https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/753698.pdf
コロナ禍「第7波」の伸張が止まらず、各方面で〝手詰まり感〟が蔓延する状況に陥っています。
当初は、(ほとんどの感染者が)軽症または無症状で済む→大事(おおごと)にならないままに推移し「ウィズ・コロナ」が達成できると踏んでいた関係者も、いわば「塵(ちり)も積もれば山となる」状態…たとえ軽症者であっても その数(感染者数)自体が大きく増えることで病床が圧迫されることになり、他方で 高齢者施設等でのクラスターにより、基礎疾患のある高齢者への感染は 重症化や死亡の要因にもなることとなり、いわば〝負のスパイラル〟に陥ることとなっています。
この状況(負のスパイラル)は、感染者の健康被害と平行するように 医療現場や保健(所)業務を大きく圧迫することになっており、その方面の負担軽減も焦眉の急に挙げられることとなっているのは ご案内のとおりです。
で…これらの厳しい状況に対応してか、さき(24日)に政府(総理)は これまで行なわれているコロナ感染者の「全数把握方法」を見直すことを表明しました。
が、この「見直し」について その前段で「自治体の判断に基づき」としたことから、見直しそものは評価されたものの、その(見直しの)結果・運用等について 自治体ごとにバラツキが出るのではないか等との疑問の声が関係者から挙げられ、結果 国(政府)は迷走することとなってしまったのです。
現在 行なわれている新規感染者の「全数把握」は、医療機関が作成した 患者の「発生届」を基(もと)に行なわれています。
コロナ感染症を管轄する「感染症法」は (新型コロナウイルスを)診断した医師に対し、すべての患者の氏名・年齢・連絡先などの情報を「発生届」として保健所に提出するよう義務づけています。
これまでも(現在も)国や自治体は この「発生届」を集計し 全国や地域ごとの感染状況を把握してきたほか、保健所などが「発生届」をもとに健康観察や入院先の調整を行なっているものです。
で、この「発生届」の提出は 国が導入した「HER-SYS(ハーシス)」と呼ばれるシステムを使用して行なわれますが、「第7波」で感染者が急増し (ハーシスへの)入力や確認の作業が医療機関や保健所の大きな業務負担となってきていました。
この状況に際し 医療現場からは「コロナ患者対応に集中させてほしい」と 見直しを求める声が高まっていたものです。
24日に 岸田首相は「高齢者をはじめリスクの高い人の命を守ることを最優先に考え、さらなる対策強化を指示した。」と見直しの狙いを述べ、医師による患者情報の入力を高齢者などに絞ることで「必要な診療時間を確保していく」と強調したとのことです。
但し、この 一見〝英断〟とも取れる「全数把握見直し表明」は、いわば見切り発車的な感が否めず いろんな面で矛盾や齟齬(そご)が指摘されることとなりました。
そもそも国(首相サイド)は「第7波」が下降局面に入ると見込んでいたお盆明けを念頭に、全国一律での全数把握見直しなど〝コロナ対応の一大転換〟を模索していたようです。
ところが、感染は収まるどころか 新規感染者は連日20万人台を数えるなど、その目論見(もくろみ)は ものの見事に当てが外れることとなってしまいました。
コロナ患者を一般医療(5類)に指定するなどの「ウィズコロナ」への移行は、社会経済活動を重視する首相にとって悲願であるとのことですが、今の感染拡大状況では 国民の理解を得られるハズもありません。
しかし一方で 医療現場や保健所はこれまでになく疲弊し、ある首長は「ダムが決壊しているのに、救助より 水位を測ることを優先している。」と揶揄されるなど 今の旧態依然のコロナ対応に不満が噴出、感染者把握の事務作業に費やす労力を重症化対応に振り向けるべきだという意見が 日増しに高くなっていました。
それ(声)に押される形で見直し施策を打つこととなったのですが、そのタイミングと内容が 時流に合っていないことが伝えられ、間が悪いと言わざるを得ません。
一番の課題は、この見直し作業を「自治体任せ」としたことでしょう。
地域から悲鳴が上がっているとはいえ、自治体によって状況が異なり いわば「温度差」があることなどから、政府関係者の中にからは その上澄みだけを捉えて「(見直しは)やりたいところ(自治体)がやればいい」との 実に雑な判断に基づく声も出されるなどし、24日時点では 自治体の判断に基づき、把握すべき感染者の対象を、65歳以上・入院を要する人・重症リスクがありコロナの治療薬の投与や酸素投与が必要と医師が判断する人・妊婦さん等に限定できる」との〝自治体丸投げ〟で実施しようと考えたようです。
しかし この案に対し、本来 見直しを求めている首長からも「自治体ごとに把握基準が違えば、全体の状況が見えなくなると同時に かえって現場が混乱する。」とか「調査(把握)の対象から外れた人たちの医療費の公費負担がどうなるのか?また 現行の宿泊療養施設への入所等の現行支援の手続きをどのように行なうのか?など、ハッキリしない面が多すぎる。」との異論が出されていました。
また 医療機関からは「患者の中に多い 若い人や基礎疾患のない人でも、最初は軽症だったのにいつの間にか症状が悪化する人もいるので、届け出の対象ではない人も 健康観察そのものから外すのではなく適切なケアを行なう必要があるが、見直しになれば 「発生届」の対象外の人が自宅療養中に体調が悪化しても気付きにくくなるなどの懸念もある。見直しにより それら対象外の人は〝蚊帳の外〟に置かれることになるのか。」などの疑問の声が上げられていることが報じられていました。
「感染者数全数把握見直し(但し主体(責任)は自治体任せ)」の〝英断〟をしてはみたものの、あまりに多くの問題点がクローズアップされることになったことを受け、国(政府)は いわば朝令暮改のままに、この「全数把握見直し」を全国一律で行なうと方針を転換、いろんな面でボタンが掛け違ったままでの提案の軌道修正を図っていることが 併せ報じられています。
この「全数把握見直し」は、感染者数多発の今の状況下では 万(ばん)やむを得ない措置とも申せますが、その制度設計を 例えば自治体ごとのバラツキが生じないように勘案するなどしてゆかなければ、いま以上に(関係者は)無駄な作業を強いられることになってしまうでしょう。
これらの状況に触れ、過日 早いうちに今の検査体制の見直しを提唱していた長野市のK保健所長が「私たち関係職員は、感染者数の低減や環境改善に真に役立つのなら いかなる努力も惜しみません。ところが、現有の事務作業は どう考えても現状に為すべきものに合っていないことが残念でなりません。」と言っていたのを思い出しました。
汗をかくのは厭(いと)わないが、それが真に状況改善に結びつくものでなければ意味がない。
「現場」の悲痛な声でありました。
現下の、前掲の首長が嘆いた「ダムが決壊しているのに、救助より 水位を測ることを優先している。」の発言が言い当てているような現況を打破し、どの地域においても効率よく状況把握できるような「新システム」の発表が待たれるところです。
ただ いずれにせよ、守らなければならない第一義は「国民の健康」です。
効率・簡略主義に走った末に、一部の感染者が支援の手からこぼれる(既に そうなりかかっていますが)ことの無いよう、広く多面的に目配りをして施策展開すべきことは 言うまでもないところであります。
現下、長野域内においても〝高止まり状況〟が続いています。
ここ約1週間の感染状況は下記のとおり。
8/22日(月) 長野市におけるコロナ感染症の発生(194人/市33226~33419例)について
[PDFファイル]
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https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/753321.pdf
8/23日(火) 長野市におけるコロナ感染症の発生(549人/市33420~33968例)について
[PDFファイル]
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https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/753387.pdf
8/24日(水) 長野市におけるコロナ感染症の発生(632人/市33969~34600例)について
[PDFファイル]
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https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/753485.pdf
8/25日(木) 長野市におけるコロナ感染症の発生(482人/市33601~35082例)について
[PDFファイル]
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https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/753532.pdf
8/26日(金) 長野市におけるコロナ感染症の発生(398人/市35083~35480例)について
[PDFファイル]
↓
https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/753617.pdf
冒頭でも述べましたが コロナ禍〝第7波〟は、長野域内においても 当初の予想(軽症や無症状で収まる)を逸し、それでは済まないことになっており、新たな憂慮の火種となっています。
昨日(26日)には、長野県内で 新たに11人が死亡していたことが報じられています。
また 県内の療養中の人は過去最多の2万7,422人で、そのうち重症が3人・中等症が122人となっており、さらに現在(25日時点)の確保病床使用率は61,2% 6日連続で6割を超えているとのこと…この数字からも 当初の予想を超え、厳しい状況になっていることが窺(うかが)えます。
止まらない第7波・増大する関係者への負担・そして何より 今もどこかでコロナ感染症の影響で病(や)んでる人が居る。
今の第7波も、私たちの人智を超えたレベルで推移しています。
これへの対応…その殆(ほとん)どが〝後手〟に回った顛末が、またも今(第7波)でも繰り返されていることは まさに慚愧の念に堪えないところ。
この状況を挽回するべく 一日も早い適策が待たれています。
22日付の信濃毎日新聞 それも第一面に「中学部活の地域移行へ自治体支援」の記事が載りました。
一見すると前向きにも取れる記事でしたが、その背景には 深刻にもなりつつある部活動・学校運営の実態があることが窺(うかが)えました。
記事によると、少子化の影響で 学校単位での部活運営が困難になる中、スポーツ庁と文化庁の有識者会議はそれぞれ「2025年度末までに 公立中の休日の部活指導を地域に移行する」との改革案を提言したとのことです。
具体的には、公立中学校の部活動を地域団体や民間事業者に委ねる「地域移行」を実現するとのことです。
これ(地域移行)に向けて、文部科学省の外局であるスポーツ庁と文化庁は 関係者間の連絡・調整などを行なう「コーディネーター」を自治体に配置して体制整備を進めることを決めました。
各都道府県や市町村が「協議会」を設置したうえで「総括コーディネーター」を配置します。
部活の受け皿となる 総合型スポーツクラブ・民間事業者・文化芸術団体などと学校とをつなぐ「コーディネーター」を地域ごとに配置し、連絡・調整を担ってもらうことを想定しているそうです。
そのプランの具現化のためには「指導者の確保」が焦眉の急であることは論を待ちません。
国は、その(指導者確保)ための人材バンク設置・指導者育成のための講習会の開催などを支援(補助)するとのことです。
また、地域団体や民間団体が(部活動の)運営主体になった場合は 会費などの家計負担が重くなることも想定されることから、経済的に困窮する家庭の生徒が(財政的理由で)部活に参加できなくなる事態を避けるため、新たに必要が生じる会費などの支援も実施するとのことです。
さらに、教職員の(部活指導に際しての)負担を軽減するため、指導や大会引率を担う「部活指導員」を大幅に拡充する方針とのことです。
部活の地域移行については、自治体が今後 (部活の)休日への移行実現に向けて 具体的な取り組みやスケジュールを定めた「推進計画」を策定し、部活の運営や指導者確保のための費用など さまざまな課題や成果を検証するとのこと。
将来的には、平日の部活動についても 学校から切り離す検討を進めるとのことです。
これらの計画の実施に向け、文科省は2023年度予算の概算要求に80億円超を盛り込む方針であることが 併せ報じられていました。
この報道を見聞し、私(だけでなく)は 部活動の維持に向けた〝現場の切実な事情〟を感じ取りました。
今回の報道では、この〝部活の地域移行計画〟の主たる理由は「少子化に伴い~」となっていますが、実際のところは 今回の報道の後段に挙げられていた「教職員の負担の軽減」という面が大きいのではないか…と思わされたところです。
と いうのも、ここ数年来 部活動等の教務外の仕事を巡る教職員の、時間的・物理的 さらには精神的にも及ぶ「負担感」の増加が顕著であることが伝えられており、さらには かかる部活動以外でも、教職員の負担増に伴う〝弊害〟の発生が伝えられているからです。
教職員の〝多様な負担感〟については、他の報道でも伝えられています。
それによると、福井県内のA中学校に赴任したB教諭は、赴任1年目で 自身が学生時代に続けたスポーツとは違う競技の部活動の顧問となりましたが、いわゆる〝畑違い〟のジャンルのため上手(うま)く教えられないうえに、多感な女子部員の生活指導にも悩みを抱えることとなりました。
一方、日中には 通常のクラス担任や教科担任の勤務も(当然ながら)あり、また 専門職の向上心として専門教科の教材研究もしたい…これらが重なり合って 毎夜9時すぎまで残業し、さらに残って仕事を持ち帰っているそうです。
これに対する手当は 月給4%相当の「教職調整額」のみ。この「4%」は 時間外労働の8時間程度に過ぎないとのことです。
なお この学校では「私生活を犠牲にしてでも指導に熱いのが良い顧問」との〝空気〟があり、部活動の予定を書き込む職員室のホワイトボードは、競い合うように埋まっているそうです。
公私共に辛(つら)い毎日を送ることとなりましたが、いち教諭として耐えるしかないと述懐しているとのことでありました。
今、学校の部活の顧問業務は その過酷な勤務実態をもって「ブラック部活」と称されているとのこと。
福井県教委の過年の調査では、県内中学教職員の残業は平均74時間に及び それに部活動が占める割合は38%に達しているとのこと。
こうした実態を受け、週2日以上の休養日を設けるなど 部活の活動時間短縮を促す国のガイドラインが同年策定されました。
こうした改善策が講じられたものの「週休2日」の未達成は全国の中学で2割・高校では6割もあり(日本スポーツ協会調べ)、また 当該教諭が〝未経験競技〟の部活動の顧問となる「ミスマッチ」が、中学で27%あるそうです。
これらを踏まえつつ 前掲のB教諭は「私も含め 部活に関連する教諭の負担は増大するばかりで、残業も常態化しています。」と訴えておられました。
ところで、かかる〝現場の切実な事情〟は、部活とは全く違う場面でも「問題の要因」となることに。
「いじめ問題」への対応です。
別の報道によると、ある学校で「いじめ問題」が生じ それは被害⇔加害生徒間の問題に止(とど)まらず、保護者や周囲を巻き込んだ争議(裁判)に発展してしまったとのことです。
この顛末(判決)については然るべく下されたところですが、一連の経過の中で大きな問題(課題)となったのが「担任の(いじめに対する)目が行き届かず、早期発見・早期解決ができなかった」ことであり、その(早期解決できなかった)要因が「担任が 日々の業務に追われて、生徒と向き合う時間が少な過ぎた」ということでありました。
今 教育現場は、多様化の波・IT化の波など 新たな潮流の中にあり、教職員は あたかもその波に揉(も)まれる小舟の如(ごと)く、業務・立場・時間・さらには保護者も含んだ人間関係の中で生徒と向き合い 然るべく成果を求めて錯誤を重ねていると申せます。
こんな どうしようも無い過酷な環境の中で、さらに部活指導で成果を出すことは非常に至難とも申せ、そういった意味においても「部活の地域移行」は意味のある計画ではないかと思うところです。
但し…この壮大ともいえる計画は、一朝一夕には成し得ないものでもありましょう。
「協議会」の設置「コーディネーター」の配置など、言葉では易(やす)く述べることができても、文化・スポーツなど多様な部活を地域に移行するには 人材確保を主課題に難儀な作業となることが予想されます。
今後、私の立場でも 事(こと)の推移を見守りつつ、例えば「スポーツコミッション」のスキルをこの計画に反映できないか など、多面的に検証しながら 計画の推進の一助を為(な)してゆければ、と思うところであります。
お盆の時期 列島の各地で不安定な天候が続き、水害の報も伝えられておりました。
そんな中、さきの「令和元年東日本台風」で大きな被害を受けた長沼地区は如何(いか)に…と 当地に足を運びました(21日)。
地区に面する千曲川は、やや水位を増しながら 濁々と流下していました。
上流域(上小・佐久)で多雨の情報はありませんでしたが、累積した降雨水が千曲川の流れに乗っているものと思われます。
当地(長野エリア)の河川水量は、ここ(現地)で降っている降水量だけではなく 上流域の降雨量やダムの放流などの影響が大きいことから、長野で(雨が)降っていないから 即安心とはゆかない現状を理解しておかなければなりません。
かつて破堤による甚大な被害(水害)を受けた長沼エリアは、破堤した付近の堤防復旧は既に完了していますが、現在は 破堤地点の前後(上下流)の堤防強靱化工事が引き続き行なわれています。
法面に特殊なシートを敷いて、それをコンクリートブロックで覆い 中間には生コンを流し込んで補強、さらに 近年では、自然状態を蘇(よみが)らせるために 敢えて覆土(ふくど)を施し、いわゆる「土手」を再現させます。
千曲川自体は やや増水していたものの、堤外農地などには全く影響は無く 引き続きの復旧工事が継続されていました。
堤内に入ると、さきの大水害の直撃を受けて破壊状態にあった「長沼体育館」が完全復旧し 既に市民の利便に供しています。
この長沼体育館は千曲川堤防の直下にあったことから、さきの破堤のときには その直撃を受け フロアが完全に流失してしまいました。
しかし 不幸中の幸いというべきでしょう、建屋の鉄骨部分は現存したことから それ(鉄骨)を最大限に活かした形で復旧することとし、今回の経緯(復旧)となったものです。
あれから年月は経過していますが、それぞれの復旧工事(作業)等を経て、市民生活の「日常」を取り戻す努力が継続的に行なわれています。
ところで…現地(長沼)の堤外地(遊休農地)の一角に、多くのヒマワリが林立し 鮮やかな黄色い大輪の花を咲かせてくれているのが、厳しい状況の中でも一縷(いちる)の明るい話題となっています。
これは、地元の中学校(東北中学校)の生徒有志が 大きな災害に見舞われた被災地の遊休農地に 太陽を見上げ 明るく力強く前を向いて大地に根ざし大輪を咲かせるヒマワリを植える(育てる)ことで、地域に元気と活力をもってほしい!との願いを込めて「Happy Flower Project」として行なわれているものだそうです。
被災後の地域を復旧・復興し 明日に向けて力強く歩んでゆくためには、将来有為な若者の存在が欠かせません。
そんな状況下で、地元の学校(中学校)に通う生徒らが被災地に心を寄せてくれ〝希望の花〟ともいえるヒマワリを植えて(育てて)くれている…その善行そのもののみならず、そのような「気持ち」なってくれたこと自体が 何より嬉しく心強く思ったところです。
この日は休日で 工事自体は稼働していませんでしたが、おそらく作業員のみなさんも 日頃の復旧工事の中で、このヒマワリ群を見ながら作業に勤(いそし)んでおられることでしょう。
さまざまな立場の人たちが あまねく被災地に心を寄せ、引き続き時間を過ごしています。
なお、この頃の自然災害においては 全国各地で報じられた被害はもとより、長野域内においても大小の被害が生じていることが伝えられています。
全ての被災者の方々に改めてお見舞い申し上げると同時に 一日も早い復旧を期して止まないところであります。
お盆の前の某日、公私共にお世話になるNさん(川中島駅前/本町区(もとまちく)在住)のお宅へ伺い お茶などいただいている際、Nさんが天井を見上げながら言(ご)ちておられました。
「今年の駅前盆踊りも コロナのせいで中止だなぁ・・・。」
これまでも 本ブログでもお伝えしていますが、こちらのNさんが住まわれる本町区は ムラを挙げてのイベントごとが非常に活発に行なわれており、例えば夏のこの時期(お盆期間)は JR川中島駅前の広場を会場にし「盆踊り」が開催されているのです。
地域の夏の風物詩にも位置づけられた「盆踊り」では、地区在住の住民の方々はもとより お盆に合わせて帰省した方々もこぞって駅前に足を運び、櫓(やぐら)を囲んで輪になって 老いも若きも楽しく盆踊りを楽しんでおられます。
櫓(やぐら)の周囲、広場の環内には 水菓子などの屋台も出され、皆は和気あいあいのうちに楽しい時間を共有します。
祭りのフィナーレには 参加者が大きな輪を成し、手に手に花火を持ってご先祖を迎え(送り) お盆の行事ともしているのです。
お盆の時期に 駅前広場に集う人は、この「盆踊り」をつうじて〝夏〟を実感し〝季節〟を実感する機会としているのです。
そして何より 行事(盆踊り)の主催者(愛好会)の方々こそが、イベントの運営を通じて横の連携を深め 踊りの輪に参加した方々の笑顔に触れて達成感を得ておられるのでした。
ところが…そんな季節の風物詩の佳き積み重ねに水を差したのが、なにいう「コロナ禍」でありました。
2020年の1月 横浜港に停泊した豪華客船に端を発した新型コロナウィルス禍は、無尽蔵の拡大をみせるうちに ほぼ全ての社会活動を停止に追い込んでいったのでした。
地域における〝季節の風物詩〟の中止を残念がるNさんは、それでも「今の 行事の中止判断、オレは至極やむを得ないことだと思っている。こんな感染状況の中でイベントを強行するなど とんでもない話しだ。オレは「長野びんずる」だって再開には反対だった。」と話されたうえで「これから ウチらの「盆踊り」のような地域の行事は、一体どうなってしまうんだろう…。」と 真顔で心配されていました。
「行事は「継続」され続けてこそ意味があるし、ウチらのような主催者も 行事が毎年に亘って実行されることで「機運」が維持されて、継続した開催のための「人材」も育ってゆくもの。これが何年にも亘って開催されないとなると、何というかモチベーション自体が下がってしまい いざ再開となったときも「ヨシ やるぞ!」といった雰囲気にならなくなってしまうんじゃないか…。」と憂慮の思いを吐露されていたのが印象的でありました。
で この数日後、NHKで「コロナ禍の夏祭り~伝統を絶やさないために~」の特集が放映され、奇しくも さきのNさんの述懐と重ね合わさったものでした。
特集は「コロナ禍の終わりが見通せない中 各地で長年続けられてきた祭りや行事・郷土芸能を残すにはどうすればよいのか。夏祭りを中心に考えてみたいと思います。」としたうえで始まりました。
「長引くコロナ禍は、夏祭りに限らず、さまざまな郷土芸能に影響を及ぼしています。」とのこと、Nさんらが行なうムラの祭りに限らず 地域の大祭までもがコロナ禍の影響を受けていることが伝えられていました。
専門家の指摘によると、コロナ禍によってさまざまな形で「簡素化」が進んでいるということです。
作りものを小さくする・松明の数を減らす・子どもを参加させない などといった変更が各地で見られるとしたうえで、今後 こうした一時的な変更が固定化され、姿が変わってしまうおそれがあると危惧しています。
各地の郷土芸能は 過疎化や少子高齢化などによる担い手不足が以前から深刻な課題となっていますが、コロナ禍によってこの流れが一層進み 行事そのものが無くなってしまったり、形を大きく変えたりしてしまうことが現実味を帯びてきているのとのことでした。
こうした厳しい状況は、地域で活動を続けている団体を対象にしたアンケート調査からも伺い知ることができるとのこと。
群馬県教育文化事業団が 今年1月に行なった調査結果によると、行事の開催における新型コロナウイルスの影響は、92%が「ある」と答えています。
「影響がある」「どちらかといえば影響がある」と答えた団体に複数回答で具体例を尋ねたところ「祭り行事の縮小、延期・中止」が95%「集まりや練習機会の減少・中止」が75%などとなっています。
そのうえで 今後の見通しについては「今は活動を中断しているが、再開したい」が49%と約半数を占めたものの「現時点では活動しているが、今後はかなり厳しい」が19%「活動を中断しており、再開の可能性がない」も4%あり、困難に直面している団体が少なくないことが浮き彫りになったそうです。
また 自由記述では「現状では動くことができず、若い世代の人たちへの伝承ができないことが重要な課題です。」とか「高齢化も相まって継承意識の低下が心配です。」といった切実な声が寄せられているとされていました。
そのうえで専門家は コロナ禍が3年目に入ったことを踏まえ「この「3年」という月日が 伝統を継承するうえでの「岐路」になりかねない。」と指摘していました。
例えば小学校の高学年で踊りなどを学ぶ地域で3年間それができないと、その学年の児童は身につける機会がないまま小学校を卒業することになる…それだけに、速やかに対策をとることが必要です。
▽当事者どうしでつながりを保ち、継承が難しくなったところは声をあげる。
▽行政や関係団体は必要な支援がないか目配りする。
▽工夫や改善策が功を奏したところは、それを広く公開し、成功事例として共有する。
このような取り組みが、今こそ求められている、としたうえで「郷土芸能や地域の祭りは 地域の人々の長年にわたる営みを今に伝える文化財として貴重なだけでなく、地域社会をつなぐ場としても大きな役割を果たしています。今も収束が見通せないコロナ禍の中、伝統行事について 如何(いか)に「灯火(ともしび)」を消さないように努めてゆけるかが問われています。」と結んでいました。
コロナ禍は、実にさまざまな方面に影響を及ぼしながら 今も拡大を続けています。
そんな中「季節の風物詩」や「伝統行事」をどう継続してゆくか…今まで見えてこなかった課題を改めて見せつけられた感でありました。
◇長野市コロナ報告
8月21日(日)、長野市内で新たなコロナ陽性感染者の発生が報告されています。
8/21日(日) 長野市におけるコロナ感染症の発生(480人/市32746~33225例)について
[PDFファイル]
↓
https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/753306.pdf
コロナ禍「第7波」が止まりません。
19日には全国で26万人を超え(261,029人)過去最多を更新、長野県でも3,649人と過去最多・長野市でも実に813人を記録するに至ってしまいました。
この コロナ禍の影響は、感染者の健康被害をはじめ 家族など周辺の人への感染、さらには 感染拡大に伴う社会経済活動への悪影響など、多方面に亘り〝コロナ惨禍〟が及ぼされることとなっています。
そんな中、18日の信濃毎日新聞の社説に「コロナ下の自殺 助けを求められる社会に」が掲載され、私も実感する コロナ禍の多様化を極める社会的影響について共感させられたところです。
記事(社説)は、コロナ禍の下で いわゆる若い女性の自殺が増加傾向にあり、そこに「働く女性」が追いつめられていることが改めて浮き彫りになった実態が見える、と述べています。。
東京大の調査チームによると、2020年3月から今年6月までに自殺した人が これまでより8千人余り増えたとのこと。
その中で とりわけ目立つのが「20代女性の増加」だそうです。
20代全体で年代別で最多の1,800人余り増え、さらに女性はその6割/1,100人近くに上ったとのことでありました。
政府の統計では、自殺者は2020年に2万1,000人余りと11年ぶりに増加に転じ、2021年も横ばいでした。
問題は その内訳で、(自殺した)男性の数は減る一方 女性の自殺が大幅に増えていることです。
で、この要因の大きな一つとして「コロナ禍の影響」があるのではないか、というものです。
その背景には、いわゆる若い それも単身(独身)の女性が置かれる厳しい社会環境にあるようです。
〝非正規(パート等)〟で働く女性は 今や1,400万人を超え、650万人余の男性を大きく上回っています。とりわけ、コロナ禍の直撃をまともに受けた「飲食業」や「宿泊業」は 女性の働き手が6割近くを占め、しかも その大半が〝非正規〟です。
〝非正規〟の女性の賃金はもともと低く、単身(独身)だと 貯金などの蓄えをする余裕もありません。ただでさえギリギリの生活が、コロナ禍の影響による解雇・雇い止め等による減収で立ちゆかなくなってしまっています。
このこと(コロナ禍)に際し 政府は、生活資金を貸し付ける特例制度や 限度額に達した世帯への給付金制度を設けたものの、どれも場当たりの域を出ず…「支援」とはいうものの 最終的には借金で当座を凌(しの)ぐよう促し、最終的には「自己責任」に依(よ)らざるを得ないのが現状でありました。
一方、国をはじめとする行政の支援の手は「子育て世帯」に特化され、そこへの給付金は〝プッシュ型〟として積極的に実施されたものの、(前掲の)単身女性に目を向けた支援策は無いに等しかったのが実際のところでした。この いわば偏(かたよ)った支援策が、20代女性の自殺増加の要因となっていたことは否定できないところです。
さらに、日本国民の〝最後の拠所(よりどころ)である「生活保護」は、実際には躊躇(ためら)いなく利用できる制度になっていないのが実態です。
現行制度(基準)では「親族への扶養照会」が(支給の)障壁となっており、それを改めて柔軟に支給が行なえるよう厚生労働省は通知したとのことですが、未だに(親族照会を)強行する自治体が少なからずあるとのこと。
特に若い年代の方々は かつて利用者が非難を浴びた生活保護バッシングが尾を引くなどして、自身が困窮を極めても 利用(申請)を拒む人は依然多いそうです。
生活保護を受給するのは「生きる権利」であることを改めて周知し、利用を働きかける必要があると紙面は述べていました。
社説は最後に「命を守る安全網となるのは 制度だけではない。困窮し 寄る辺ない人が「助けて」と声を上げられる地域・社会をどう構築してゆくか。明らかになった実態を踏まえ、身近で苦しんでいる人を見過ごさないために 一人一人ができることを考えたい。」と結んでいました。
コロナ禍の中で極まる不安感と孤独感…その寂寥感(せきりょうかん)はいかばかりかと拝察するところです。
一度(ひとたび)コロナに罹患すれば、身体が不調に陥ると同時に その身体状況の如何に関わらず仕事を休まなければならない。
(コロナに)罹患したことで、他者や職場に迷惑をかけたとの えも知れない罪悪感に苛(さいな)まれ、さらに休職中は(非正規ゆえに)収入の一切が途絶え 一時的とはいえ生活困窮に陥る。
しかも コロナ感染症ゆえに、帰省や友人宅などに頼ることもできず アパートの一室で体調不全を抱えながら、独り悶々と過ごすを余儀なくされる…こんな状況において「元気出せ」というのは 無理難題としか言いようはありません。
また たとえ自身は感染していないとしても、コロナ禍に伴う行動制限により 他者との交流が著しく制限されてしまい、悩みを打ち明けたり慰め合ったりする機会も無くなり 孤独感・孤立感に拍車がかかってしまう実態もあります。
さらに問題なのが、彼女(若い世代の単身女性)らが 救済制度の隙間からこぼれ落ちていることでありましょう。
前掲のとおり、子育て世代でもなく 生活保護対象にもならず、ひたすら自助努力によって 細腕のままに急場を凌(しの)がなければならない実態は、過酷以外の何ものでもありません。
今回の「自殺者のうち 若い単身女性数が急増」の実態は、今のコロナ禍(対応)の抱える根本的な課題や矛盾点を浮き彫りにするものでありました。
そんな、社会の狭間(はざま)で光の当たらない人たちに 如何(いか)に光を当ててゆくか…これからの政治(行政)がいかにあるべきか…が問われるような論説でありました。
前途有為な若い世代が、こんなこと(コロナ禍)で自棄(じき)に至る実態は 如何にかしなければなりません。
◇長野市コロナ報告
8月20日(土)、長野市内で新たなコロナ陽性感染者の発生が報告されています。
8/20日(土) 長野市におけるコロナ感染症の発生(655人/市32091~32745例)について
[PDFファイル]
↓
https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/753300.pdf
半(なか)ば予想(覚悟)していたとはいえ「お盆」の時期を経て、コロナの陽性感染者が またも増加傾向にあることが報告されています。
長野市における お盆期間中のコロナ感染者の推移は以下のとおりです。
8/14日(日) 長野市におけるコロナ感染症の発生(428人/市29483~29910例)について
[PDFファイル]
↓
https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/753006.pdf
8/15日(月) 長野市におけるコロナ感染症の発生(184人/市29911~30094例)について
[PDFファイル]
↓
https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/753012.pdf
8/16日(火) 長野市におけるコロナ感染症の発生(318人/市30095~30412例)について
[PDFファイル]
↓
https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/753035.pdf
8/17日(水) 長野市におけるコロナ感染症の発生(266人/市30413~30678例)について
[PDFファイル]
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https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/753052.pdf
8/18日(木) 長野市におけるコロナ感染症の発生(595人/市30679~31273例)について
[PDFファイル]
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https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/753143.pdf
14日(日)にかかる(お盆の)週末は、通常診療を休診としていた医院が多かったことから (一時的に)カウントされる感染者数は低減傾向にありましたが、週明けと共に多くの感染者数が報告されるようになり、18日(木)には595人もの感染者数が報告されています。
そして先頃(19日11時頃)、長野市内で 実に過去最高の817人の感染者が発生したことが速報として伝えられ…この感染者数の多さには、驚きを超えて嘆息させられる事態となったところです。
8/19日(金) 長野市におけるコロナ感染症の発生(817人/市31274~32090例)について
[PDFファイル]
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https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/753233.pdf
これは「成るべくして成った」無理からぬ現象といえるでしょう。
コロナ禍「第7波」の襲来、そのうえで暦が巡ってきた 夏休みからのお盆の時節。
そのうえで、わが国社会は 国民に〝行動制限ナシ〟の自由行動を認めたうえで「この期間」を過ごすこととしました。
人々は ときに行楽地を謳歌し、ときに帰省して子や孫と実家の高齢者が団らんを囲んだ…これでは 感染者が増加しても、これはいた仕方ないといえるところです。
この事態を投影するように、現在 域内の確保病床使用率は上昇の一途を辿っており、おそらく この日(19日)も相当の高率を記録することになるでしょう。
側聞すれば、長野市内の医療機関においては「コロナ感染症外来診療」に患者(コロナ感染者)が殺到しているようです。
医院側とすれば、高熱のある人・症状の重い人を優先する「トリアージ」をかけて 苦肉の対応を重ねており、現場では その「トリアージ」をかけるための初期の聞き取り等に手間がかかり、結果 診療自体が押してしまうなどの〝医療弊害〟も出ていることも併せ伝えられています。
(繰り返しになりますが)残念ながら この事態は、半ば予想されていたところであります。
コロナ禍による〝第二の被害〟ともいえる「社会経済活動の不活性化」を防ぐために行なわれなかった行動制限、おそらくは そのせいで多発した現在(お盆明け)の感染者数の拡大…いわば 現下の状況は〝国民自らが招いた事態〟ではありますが、そんな中なれど 一日も早い(コロナ対応のための)体制が落ち着くこと、そのうえで 早期の感染者数の低減化と感染者の軽症での治癒を期するばかりであります。
この日(17日)、カーラジオを通じて 夕方のTBS系列ラジオ情報番組を耳にした際、非常に興味深い取り組みが特集され、耳目を引きました。
その概要は、知的障がい者の支援活動の場に 学校の空き教室を活用するというもので、その取り組みから 実に多面的な効果(成果)を感じ取ることができたものです(以下、その後ネット等で得た情報も含め掲載します)。
ラジオで紹介されたのは、福岡県糟屋郡志免町(かすやぐんしめちょう)にある「志免町立志免南小学校」です。
で この小学校の空き教室(の一室)に、町内の社会福祉法人「柚の木(ゆずのき)福祉会」が 知的障がい者の作業所を開設・運営しているとのことなのです。
(「柚の木福祉会」HPより)
番組の中では、約20年も前に「柚の木福祉会」が志免南小学校の教室に 通所型の授産施設『ふれあいの部屋』を開設、爾来 志免南小学校の生徒と交流を重ねながら作業に勤しむ様子が伝えられていました。
志免南小学校の1年生の教室と同じ校舎の1階に『ふれあいの部屋』があり、子供たちの授業中(同じ時間帯)に 障がい者のみなさん(知的障がいのある18歳から42歳の9人)が毎日通い、商品として販売するリースなどを作っています。
ことの起こりは、町内の法人施設が満員になってしまったことからだったそうです。
施設が足りなくなった状況に鑑み、同法人(理事長)が町・町教育委員会に相談・検討したうえで 志免南小学校の空き教室を借りる形で新たに作業所開設する運びとなったようです。
学校の空き教室を福祉作業所にするのは、無論 全国で初めての試みです。
運営にあたっては さまざまな課題や不安材料があったことでしょうが、それも おそらくは、施設(法人)⇔町(教育委員会)⇔学校(教職員・児童)との相互理解をもって運営を実現に運び、現在に至っていると拝察されます。
この施設名「ふれあいの部屋」の名前(命名)は、当時の志免南小の児童らが「みんなが仲良くなれるように」という思いを込めて(ふれあいの部屋と)名付けたことがエピソードとして紹介されていました。
『ふれあいの部屋』の利用者さんらは、部屋の名前の通り (校内での)作業を通じ、また さまざまな行事や総合学習を通じて 児童と一緒になって活動を重ねているそうです。
自分たちの作業ぶりを積極的に児童らに開示し、曰く「自分たちのできることに精一杯取り組んでいるところを見てもらう」を旨としているそうです。
また、校内のレクレーションの機会には 積極的に〝部屋〟を解放し、児童はじめ外部の人たちを積極的に受け入れてきているとのことです。
この〝成功〟の陰(かげ)には、関係者の深い造詣と理解があったそうです。
柚の木福祉会の白谷憲生理事長は「当時の日本は、障がい者は施設の中で生活する〝閉じ込められた空間〟でした。この閉塞感を解消するために「開かれた施設」を目指しました。
そのうえで白谷理事長は「できないと諦(あきら)めるのではなく「できる」を探す。それを(志免南小の)子供たちに見てもらって「やればできるんだ」ということを知ってもらう。『ふれあいの部屋』はそういう(相互に学びの)場所になるようにしてゆきたい。」と述べておられました。
これに呼応するように、志免南小学校の松吉敏郎校長は「(『ふれあいの部屋』の存在により)障がいを持っている方々に対する偏見が 自然となくなるのが目にみえて分かります。(授業などを通じて)指導したうえで子供たちから偏見をなくすではなく、(利用者さんと交流する)学校生活の中で自然体のうちに 偏見自体が生まれてこない。これが最大の成果じゃないでしょうか。児童たちは、障がい者さんたちとの「違い」というより「特徴」をお互いに知り・理解し・そのうえで自然体の共生の道を歩んでいるんだな、と。」と目を細めておられる様子が伝えられていました。
この日の この特集は、聴く人を さまざまに感心させると同時に、実に さまざまなヒントを与えてくれるものでした。
障がいをもつ人と学校・児童との共生、それによる「ノーマライゼーション社会」の構築。
その陰には、(前述のとおり)関係者の理解が欠かせない。
特に、この事業の大きな特徴である「学校施設(空き教室)の貸与」に向けては いわゆる実務的な面で多様な課題(障壁)があったことが拝察されます。
単なる施設貸与の範疇(はんちゅう)では済まされない、教育施設の共用…そこに障がい者授産施設を開設するという いわば〝ウルトラC〟とのいえる英断に向けては、かなりの相互信頼と〝覚悟〟のようなものがなければ なし得なかったことでありましょう。
そのうえで さらに私が感心するのが「公共施設マネジメント」の視点における 学校施設の利活用です。
「地域の拠点施設」ともいえる学校施設。しかしながら その存在は特別なものであり、それ(学校施設)を いわば一般に開放することは、そうそう実現できるものではありませんが、それをなし遂げてこそ 真の公共施設マネジメントの実現につながるのです。
そのために欠かせないのが「(繰り返しますが)相互理解」これに尽きると思います。
私自身 今回のラジオ特番を通じて、今後の循環型社会に向け「かくあるべき」ものを強く感じ取ることができました。
偶然聴いたカーラジオ、それは 今後の(私の)活動に大いに参考になるものでもありました。
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障がいがある人と小学生が、同じ校舎と体験を共有する「ふれあいの部屋」。商品を作る仕事の場であるだけでなく、多様性を認め合い、共生することが当たり前になった福祉や教育の未来図を、社会に発信しています。
「」
を借りる形で