「コロナ禍における原油価格・物価高騰の影響で落ち込んだ市内経済の早期回復を目的」として 長野市は、プレミアム率20%と お得な「ながのビッグプレミアム商品券」を発行します。
で、その(商品券)購入申し込み期間(期限)が 今日9月30日となっていることから、既に皆様ご承知おきのこととは存じますが、念のため確認(周知)させていただくところです。
各位ご案内のとおり…というより ご実感のとおり、コロナ禍から3年目を迎え、社会は さまざまな面で疲弊するに至っています。
コロナ感染症による健康被害はもとより、コロナ禍に伴う自粛や制限により 社会経済活動は停滞の一途を辿り、外出控えや買い控えが常態化するうちに とりわけ販売やサービス業などの第三次産業関連事業の多くが悪影響を受けることとなってしまいました(※ 一部の業態には恩恵もアリ)。
これらの状況に鑑み 国をはじめ行政(自治体)は支援策を講ずることとなり、その一環として 消費者の消費喚起と個店への来訪機会の増加を期して「プレミアム商品券事業」を行なうところです。
既に長野市においては「推し店プラチナチケット事業」や 第1回目の「プレミアム商品券事業」を実施し経済波及効果を収めており、今回(第2回目)のプレミアム商品券事業も 2022年の後半に向けての地域社会経済を右肩上がり方向に牽引しようとするものと受け止められています。
今回のプレミアム率は20%なので 前回ほどではありませんが、それでも お得感に変わりはありません。
そのうえで、長野市のチケット事業における〝佳(よ)き特徴〟は「申込者に対し平等な条件で(商品券が)分けられる」ということでありましょう。
長野市においては 商品券の購入希望について、申し込み期限まで いったん全員(全世帯)の申し込みを受理し、そのうえで 購入申し込み金額に応じて(商品券を)配分します。
ただし この事業の予算は限られている(72億円)ことから、申込者が多数の場合は 申込金額より実際の配分金額が少なくなってしまう可能性もあり、現に 前回の場合も(各世帯の希望額より)約4割も少ない配分に止(とど)まった経過がありました。
これに対し、市民の方(かた)からは「配分額(商品券数)は減ったけれど、みんな平等に減っているので仕方ないね。」と 概(おおむね)ご理解をいただくことができ、長野市の執(と)ったこの手法は 混乱を起こさない好手法でありました(今回も同様)。
これが、あろうことか〝先着順〟の手法を選んだ自治体は 最悪の結果を招いています。
商品券購入のために 早朝から長蛇の列を生じさせ、あげく 商品券が売り切れたときには、同じく並んだのに その場で買えなかった市民から不満の声をぶつけられる始末…せっかくの地域社会の支援事業が 行政不信の温床になってしまったところ(自治体)もあります。
そのうえでの 長野市版の「ながのプレミアム商品券事業」ですが、いずれにしても 本日中に申し込み手続きを行なわなければ購入そのものの権利を得られなくなってしまいますので、購入する予定がありながらも失念しているような方においては ぜひ本日中に申し込み手続きを行なってください。
もう相当の以前に、各世帯に宛(あ)てて「ながのビッグプレミアム商品券申込はがき」が送達していますので、そこに 希望金額(商品券の冊数)など必要事項をご記入のうえご投函ください。
郵送申込の場合、本日消印まで有効です。
また、インターネットでの申し込みも可能となっています。
この場合、送られてきた申込ハガキの中下段に IDとパスワードが載っていますので、これを長野市HPの申込サイトの該当欄に入力して 申込ページに進んでください。
ネット申込の期限は 今夜23時59分59秒となっていますので、購入するつもりでいながら未だ手続きを踏んでいない方は 後で「しまった!」とならないよう、郵送でもネットでも とにかく今日中に申し込んでください。
[参考]ながのビッグプレミアム商品券事業について/長野市HP
↓
https://www.city.nagano.nagano.jp/site/covid19-joho/459045.html
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ただ…従前も触れましたが、かかる「ながのビッグプレミアム商品券事業」は いわば〝バラマキ政策〟であることは間違いありません。
この事業の原資は「税金」であり、国民のみなさんから徴収した税を この事業に支弁していることから、事業における公平性は担保されなければならないでしょう。
前掲のとおり、(商品券を)購入希望する人にとっては 長野市の配分方法は公平性を担保されており、そこは評価されるところです。
ただ それ以前の段階で、事業の恩恵に浴せる人と そうでない人が居(お)られることを忘れてはなりません。
いわんや、地域社会には さまざまな事情で、買いたくても買えない人が相当数おられるのです。
購入した人にとっては 間違いなくお得な事業だけれど、買えない人にとっては いわば蚊帳の外に置かれてしまうもの。
これを〝不公平〟というのは短絡的ではありますが、購入の可否を巡っては いわば格差のようなものがあることを忘れてはならないと思います。
行政とすれば、片やの方々に恩恵を及ぼすに併せて もう一方の方々の存在も忘れることなく施策展開に努めてゆかなければならない。
私の立場においても、施策の〝陰影〟を強く意識しながら、物事に対峙してゆきたいと思いをいたしたところであります。
9月市議会定例会は27日、市側から提出された一般会計補正予算案など23議案を原案通り可決、同意。また重大な感染症蔓延や大規模災害時においてオ...
ネットのニュース、また 朝のラジオのニュースで、国連の『障害者権利委員会』が、障害に基づくあらゆる差別の禁止などを定めた「障害者権利条約」について 日本の取り組み状況を初めて審査し「勧告」を公表したことが報じられ、耳目を集めました。
報道によると、審査に基づく勧告の結果は わが国の関係者にとっては非常に厳しい内容であったもののようであり、逆に言えば わが国の障がい者支援対策が、世界の常識に遠く及ばない(遅れた)状況にあることが 改めてクローズアップされることとなりました。
審査の過程では、政府はじめ関係機関の対策が不十分とされる様々な課題が明らかとなり、障がい者らから改善を急ぐよう求める声が上げられているとのことでした。
審査に基づく勧告では、精神科病院での無期限の入院の禁止・施設から地域生活への移行を目指す法的な枠組みづくり・障がいのある子と無い子が共に学ぶ「インクルーシブ教育」の確立のために、全ての障がいのある生徒が個別支援を受けられるよう計画を立てる といった各種対応の必要性が指摘されたとのこと。
また、障がい者の強制入院を「差別」とし、自由の剝奪(はくだつ)を認める全ての法的規定を廃止するよう要請。さらに 旧優生保護法下で不妊手術を強いられた被害者への謝罪や、申請期間を限らない救済なども盛り込まれたとのことです。
『障害者権利条約』は、2006年に国連で採択 08年に発効し、日本は14年に批准しています。今年8月下旬に国連の「障害者権利委員会」委員が日本政府の代表団に質問し、そのやりとりを踏まえた上で 9月に入って勧告が提示されました。
勧告に法的な拘束力はありませんが、政府は対策を講じるよう求められているとのことです
今回の 国連「障害者権利委員会」の勧告は、これまで(現在)の「障がい者支援」における〝日本の常識〟を 根底から覆(くつがえ)す内容だったようです。
わが国の障がい者支援は、総じて言えば 障がい者を「別のもの」と決めつけ、一般社会と隔(へだ)てた環境…極端に言えば 隔離した環境に留(と)め置いたうえで、一般社会とは全く別のメニューをもって社会生活を送ることを進めてきました(きています)。
それは例えば、学校における特別支援学級や 障がい者授産施設などが該当するでありましょう。
障がい者とは、一般社会とは別の場所に通い 一般人とは別のことをして時間を過ごすもの。そして 一般人とは混在(交流)すべきではない、という考え。
そのうえで(ここがイチバン問題なのですが)、障がい者支援に関わる職員やスタッフまでもが 障がい者を障がい者(=別のもの)と捉え、いわば上から目線で 支援ではなく〝指導〟することを当たり前のこと(業務)として臨んでいるようなのです。
さらに (これはブレーンのMくんの指摘ですが)制度(賃金)のうえでも大きな課題が。障がい者の就労に対して支払われる給料は 時給ではなく「工賃」とされ、時給であれば最低賃金が規定(保障)されているのに「工賃」であるが故に 時間約100円の薄給が常識化されている現状を、Mくんは怒りに近い問題意識をもって捉えているのです。
世界(国連)の常識から 大きくかけ離れて(遅れて)いる日本の障がい者支援。
この悪しき現状を、どうにかして打破・改善してゆかなければなりません。
無自覚のもの(者)の心に、如何(いか)に「正しい楔(くさび)」を打ち込んでゆくか…難しい作業なれど、果たさなければなりません。
開会中だった 長野市議会令和4年9月定例会は議案審査の最終日を迎え、総額36億4700万円の令和4年度一般会計補正予算など23議案を可決・承認、併せて令和3年度一般会計など決算2件を認定しました。
議案審査の中で、私は「請願第7号」について「反対討論」を行ないました。
この請願は、自治体における義務教育費について 地方自治体の財政状況に左右されずに教職員を安定的に確保することを目的に、教職員給与の一部を国が負担する「義務教育費国庫負担制度」における国の負担率が 2006年に1/2から1/3に変更(減額)されたことについて、自治体運営が厳しい状況に鑑み1/2への〝復活〟を求めるもので、現下の厳しい社会状況に鑑みれば 採択されて当然の案件(請願)です。
しかしながら 今(こん)議会における所管委員会(経済文教委員会)では、国の方針に迎合する形で 請願の採択に反対する意見が過半数を占め、この請願は「不採択」となってしまいました。
で あろうことか、この請願に反対した議員(委員)が 不採択の直後に、請願内容の「肝(きも)」でもある「義務教育費国庫負担を1/2に」の表現を削除した〝骨抜き意見書〟を提出、こちらは一転 採択されることとなってしまったものです。
この、いわば あざといやり方は、到底容認されるものではありませんが それとて民主主義に基づく〝数のルール〟です。
このことから 一連の動きについて会派で対応を協議したうえで、議事録の残る本会議の場で清々と「反対討論」に臨むこととなったものです。
以下、討論の全文です。
「29番、改革ながの 倉野立人です。今議会 経済文教委員会で審議された、請願第7号「義務教育費国庫負担制度の堅持・拡充を求める意見書」採択を求める請願を不採択とした 経済文教委員会委員長報告に反対の立場で討論を行ないます。
各位ごと 既にご案内のとおり、地方自治体の教育現場は大変な状況に陥っています。
日本の総人口は減少傾向にありながらも 子どもを取り巻く環境は複雑多様化を極め、かかる状況下であるからこそ、教育環境 とりわけ 学力を養う学習面・集団生活を学ぶ情操面など、人として生きてゆくための根幹を育む義務教育期間を如何に充実させてゆくか否かは、児童一人ひとりの将来のみならず、地域 やがては国の将来をも占う重要なことであり、義務教育期間における児童への投資、それによる教育・生活環境の向上は 地域・国家を挙げて取り組むべき大命題とも申せます。
委員会での討論でもありましたが、日本国憲法第4条にも「すべて国民は、法律の定めるところにより、児童に普通教育を受けさせる義務を負う」と明確に記されており、いわんや、義務教育の充実は、国家の責務でもあると言えるのです。
一方、都道府県ならびに市町村の自治体運営は厳しさを増しており、そこに昨今のコロナ禍が追い討ちをかけるように、児童本人たちはもとより 教職員をはじめ関係者への負担は増す一方であります。そういう意味でも予算面で自治体の教育環境にゆとりをもたらすことは焦眉の急となっています。
いわば義務教育の国庫負担率の復活は、近年の時代の要請なのです。
今、各自治体は 現下の窮状を少しでも改善するため、国庫負担率1/3で耐えておりますが、その努力ももはや限界、早期の1/2への復活が求められているのは共通の願意ではないでしょうか。
義務教育費国庫負担を受ける長野県の教育予算を見てみると 令和3年度当初で全体の17,4%に過ぎず、教育費の頭打ち状態は顕著であります。なお本市における教育費は全体の8,7%、これはとても潤沢とはいえない状況である、このことは誰の目が見ても明らかであります。
このうえは、義務教育費国庫負担を早期に1/2に戻したうえで 自治体の負担を軽減させ、ひいては県・市の連携により本市教育にもゆとりを見出し、その分を原資として キメ細かい教育環境向上を目指すべきであります。
なお、本請願が不採択になった後に、一見すると同趣旨の意見書が出され、こちらは一転採択されました。しかしながら その本文を精査すると、それはいわば骨抜き意見書で、現状の追認に過ぎない内容に止(とど)まっており このような内容が、果たして意見書の要を成しているのか疑問を呈せざるを得ません。
そもそも「請願」とは、読んで字の如く「市民の願いを請う」ことが趣旨であり、われわれ地方議会は、でき得る限り その願いを斟酌し、最大限の努力をもって願意を国に届ける役割を担っているハズであります。ところが、とりわけ本市議会においては、その趣旨からかけ離れていると言わざるを得ません。
請願を受けたうえで政策などの実現の可否は 国などの請願先が決めることであり、われわれは それを届けるのが役割であるのに、本市議会においては先に答えを求め、それに合ったものは採択、合わないものは不採択と決する傾向が強く、実に釈然としない面があります。
無論、会派や議員にはさまざまな意見や考え方があり、全ての請願を採択する筋合いのものではありませんが、それにしても本市議会においては 自らそのハードルを上げ過ぎているのではないかと危惧する者の一人です。
今回の請願における委員会審査の録画を見ると、出席委員の全員が 義務教育の充実という基本路線では一致していると見受けられたことから、ここは一歩踏み込んで…というより、義務教育国庫負担においては、小泉内閣以前の「元の状態に戻す」という、決して無理からぬ願意については採択しても 何ら問題ないのではないでしょうか。
義務教育を取り巻く環境が大きく変わろうとしている中、自治体の義務教育負担の軽減のためにも、請願項目に 義務教育費国庫負担1/2との具体的内容を明記し、国に対しハッキリと意見してこそ「意見書」の役割を果たすことを改めて申し上げ、私の討論といたします。」
残念ながら、長野市議会においては 迎合主義と言わざるを得ない顛末…「向いている方(ほう)が違う」と言いたくなる展開が続き、忸怩(じくじ)たる思いを重ねているところです。
そんな中ではありますが、せめて私としては 逆にそのような状況を反面教師とし、向けるべき方に顔を向けたうえで、真に代弁すべき声を代弁するべく精励してゆきたいと思いを新たにしたところであります。
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9月27日、安倍元首相の「国葬」が民意を置き去りにしたまま強行されました。国葬当日の早朝、JR長野駅前で諦めることなく国葬反対の声を上げまし...
25日(日)、私の住む地域で、自主防災会が中心となっての防災訓練が行なわれ、見学させていただきました。
防災訓練は、平時のうちに実施することで 住民の防災意識の向上を図ると同時に、イザというときに災害対策に即応し もって減災をはかるという意味において非常に重要な地域の事業であり、定期不定期を問わず 常時による実施により、あまねく住民に「経験値」を養っていただくことが求められています。
しかしながら 昨今のコロナ禍に伴い、人が大勢集まる行事(事業)は自粛を余儀なくされ この防災訓練についても、2年に亘りブランクを生じさせることとなってしまいました。
そんな中ではありましたが、今年は 今年度の住民自治協議会々長のAさんが「大規模開催は叶わなくとも できる範囲で実施しよう。」とのご英断を下(くだ)され、屋内での訓練を実施したところです。
コロナ対策の一環として、参加者についても 各区の自主防災会々長(区長)・消防団分団長・交通安全協会分会長・防災指導員・日赤奉仕団 等の関係団体の代表者に限定されましたが、それでも「できる範囲」の中で 実(じつ)のある訓練が展開されました。
訓練開始(9:00)に先立ち、朝7時から「炊き出し訓練」が始まっていました。
「炊き出し」は ご案内のとおり、主に避難所において 被災された方々に食料を供するもので、災害時には欠くことのできない重要な作業です。
この日の〝メニュー〟は、専用のポリ袋を使っての「混ぜごはん」と、アルファ米を使っての「おにぎり」です。
炊き出しを受け持ったのは 日赤奉仕団の方々。
円筒形の専用ポリ袋に お米(無洗米)と水・それに釜飯の素の具材を混ぜ(揉(も)み)、大釜で一気に炊き(茹で)上げます。
米を炊くには 水加減がイチバン重要と、真剣な表情で慎重に水を入れてゆきます。
具材には 市販の「釜飯の素」を使用。従前は 塩だけを混ぜていたそうですが、これを使うと味わいが全然ちがう!と評判になっているそうです。
米+水+釜飯の素 を袋にいれ、あとは手でモミモミ。
充分に混ぜ合わさったところで、口を固く縛って 大鍋に投入。
あとは時間経過と共に火が通り、おいしい〝釜飯風非常食〟が出来上がるとのことです。
参加者とのお話しの中で、ここのところの〝コロナ禍中断〟の弊害が吐露されました。
訊けば、数年に亘り(防災訓練を)実施しないでいるうちに それまでの経験者が任期で退任してしまい「経験値」を持つ人が殆(ほとん)ど居なくなってしまったとのこと。
そのため、久々に行なわれたこの日の訓練(炊き出し)も、わずかな経験者が それも(過去を)思い出しながらの実践となり、手順の中で まごつく場面も少なからずあったとのことでした。
経験値の伝承…そういう面でも「継続実施こそ重要」と再認識させられたものでした。
一方、訓練のメイン会場は 小学校の体育館。
限られた人数で「できること」として、この日は 参加者が2班に分かれ、避難所におけるプライベート空間と トイレの設営の訓練(実践)が行なわれました。
避難所に指定されている体育館のステージ下の収納スペースから 実際に用具を搬出し、組み立て作業を体験します。
従来の避難所は、ただ床にゴザを敷くだけのもので プライバシーが無いのが常(つね)でした。
しかし最近では せめて世帯や社会的弱者の方のプライバシーは保護すべきとの傾向が強まり、パーティション等で周囲を囲う配慮がなされるようになっています。
さらに この日は「段ボールベッド」の組み立て体験も行なわれました。
段ボールベッドは、まさに段ボール箱の材料と同じ「段ボール」で作られたベッドで、今まで直(じか)に床で寝るを余儀なくされていた状況を改善してくれる 便利な避難所アイテムと申せます。
組み立てはカンタン、クギやネジはもとより 糊やガムテープも不要、箱を組むだけで完成です。
完成後、何人かの方が 実際に座ったり寝転んでみたりしましたが、総じて「案外 快適」とのことでした。
他方、B班は「トイレ」の設置訓練に参加。
三角錐型のトイレスペースを組み立て、その中に「避難所トイレ」を据え置きます。
「避難所トイレ」は、通函用の組み立て式コンテナの原理を応用しており、保管時はコンパクトに畳まれており、使用の際に立ち上げて スグに完成です。
非常食が 人体の「入口」なら、避難所トイレは「出口」を担う いずれも生きてくための必須アイテムです。
参加者のお一人は「これ(避難所トイレ)も 知らないままに設営しないでいれば、避難所の衛生環境は悪化するばかりでしょう。この日の経験を活かし、イザというときには先だって設営したいと思います。」と言っておられました。
そうこうしているうちに、炊き出し班による〝釜飯風非常食〟が炊き上がったようです。
大鍋の周辺では、釜飯のイイ香りが漂っています。
大鍋で炊き上がった非常食(ビニール袋)を大きな柄のついたザルですくい上げ、これを(実際には)被災者の方々に配ることになります。
「出来ぐあいはどうですか?」と水を向けると「きっと美味しいと思います!」とのことでした。
また こちらでは「アルファ米」のおにぎりも調理されており、この訓練(実践)により この地区では イザというときも きっと避難所の方々の胃袋は満たされることになると確信しました。
今回の防災訓練は、規模や内容については 非常に限定的なものではありましたが、何より コロナ禍の最中(さなか)に「実践」したことの意義は非常に大きいと申せます。
前掲のとおり、例えば「炊き出し」においては経験者が退任し 一様に〝現場知識〟が乏しくなった中、今回の訓練を通じて 現有の参加者に「経験値」が付いたことから、きっと有事の際には その力量を発揮してくださることでしょう。
いずれにしても 災害は「待った無し」で 私たちの社会生活を脅かしてくるものです。
そんな〝イザというとき〟に役立つための知識と経験。そのための〝活きた学びの場〟としての避難訓練の重要性を 私の立場でも再認識したところです。
さきの23日、私にとって最大の恩人ともいえる御仁(Mさん)の葬儀告別式が斉行され、悲しみを新たにすると共に 受け容れたくない現実でありながらも、心からの弔意を申し上げさせていただきました。
Mさんは 享年84才。図らずも 脳梗塞型の認知症に罹患し、1年余りに入院を経て まさにアッという間に逝(ゆ)かれてしまいました。
折しも社会はコロナ禍の只中にあり、入院されたMさんへの見舞いや面会は たとえ直近の親族であっても叶わず、入院後の面会は 僅か数回のリモート(Zoom)による画面越しの面会に止(とど)まり、まさに忸怩たる思いを重ねるところでありました。
ここ数ヶ月は 誤嚥性肺炎の恐れが強まったことから口径での食事が避けられ、点滴での栄養摂取でありましたが、やはりそれでは体力の低下は避けることができず 最終的に瞼(まぶた)を落とすこととなってしまいました。
Mさんと私は、まさに選挙を通じての〝戦友〟ともいえる間柄でした。
かつて執行された 市議選や県議選での地元候補への支援、さらには 地元出身で後に防衛大臣になられた北澤俊美参議院議員が挑んだ国政選挙への支援など、あらゆる選挙を通じて Mさんは、まさに東奔西走という言葉がぴったりくるほど活発に活動され 私はその背中を追いながら 共に走り続けてまいりました。
その経過の中で 今度は私が出馬する立場になると、Mさんは まさに親身になって支援の手を差し伸べてくださいました。
選挙前の活動はもとより 実際の選挙活動や当選後の後援会活動と、私の全ての活動の要(かなめ)となって奔走してくださいました。
とりわけ、私の支援者のみならず 地域の多くの方を誘っての旅行やカラオケ大会など、多くのイベントを企画され、参加された方々に楽しい思い出づくりの場を提供してくださいました。
そして…私が何よりMさんに感謝してもしきれないのが、私の再起へのご支援でありました。
去る4年前に 私が取り返しのつかない愚行により議員辞職した際には、周囲にさまざまな意見がある中にも関わらず 再起を促すお声がけを毎日 々 いただいたのです。
その 再起を促す「声」は、私自身に向けてのものだけではなく、私以外の方々に対しても発してくだったものでした。
その、Mさんのたゆまぬお声かけが やがて周囲をも動かすこととなり、こんな私でありましたが 徐々に再びの支援の輪が広がり、その結果 異例ともいえる再選を果たすことができたのでした。
その陰には 間違いなくMさんの「声」があり、それが無ければ 私は再選どころか再出馬もおぼつかないところでした。
私にとってMさんは、窮地から再起するキッカケをくださった 人生の最大の恩人であり、また 地域貢献かくあるべきを背中で教えてくれた恩師であり、また 私のことを親身に思ってくれた 第二の父親的存在でもあったのでした。
そんなMさんを失った喪失感は 海よりも深いものがあります。
しかし、これとて現実…決して望まずとも 受け容れて前を向いて歩いてゆかなければなりません。
今はただ ご生前のご薫陶に心から感謝し、そのご薫陶に報いることができるよう これからも努力精進を重ねてゆく決意を新たにいたすばかりであります。
以下、告別式で奉読させていただいた「弔辞」の全文であります。
弔 辞
故 M様の葬儀告別式に際し、改めて故人を偲び 心からなる弔辞を奉読させていただきます。
Mさん、あなたは生涯に亘り、家族に尽くし 地域に尽くし 他者に尽くし、社会に尽くしてこられました。
その足跡の数々は枚挙に暇が無く、そんな欠かせぬ存在であったMさんを失った喪失感はあまりにも大きく、未だにその事実を受け入れ難いのが正直なところであります。
コロナ禍のために入院中の見舞い・面会もままならないまま時間ばかりが経過し、皆が体調を心配する中に知らされたご訃報には、驚きと悲しみと共に、心に大きな穴が空いたような思いをさせられたものでした。
しかしながら、今 ご遺影となって微笑むMさんの姿を前にし、これが現実なんだと心に言い聞かせつつ、感謝の思いを述べさせていただきます。
Mさんは、昭和13年 長野市川中島町北原に生を受け、爾来 地域に根ざし人生を歩んでこられました。
学業の後 早々に社会人として働く中、当時からてきぱきと業務を行ない 周囲からの評価や人望も厚かったと聞き及んでいます。
そんな社会人生活での最良の巡り合わせは 伴侶となるE子さんとの出会いであり、この出会いこそが Mさんの人生をより豊かにしてくれたのでした。
後年のMさんは、妻E子さんの温かいご理解の下、述べたように地域や他者への貢献に徹せられ、多方面から感謝を寄せられる存在となりました。また 家庭においては二女に恵まれ、今ではひ孫を含む多くの温かな親族に恵まれるなど、まさに 妻E子さんと二人三脚で これまで豊かな人生を送ってこられたと拝察する次第です。
Mさんを語るとき 政治との関わりは切っても切れないものであり、それは同時に Mさんの人生の大きな足跡の一つと言えると思います。
歴代の市議選・県議選での陰に陽に亘る支援活動、さらに、後に防衛大臣になられた北澤俊美先生が参議院議員選挙に臨む際には 地元の支持者の取りまとめやポスター掲示などの多岐に亘る活動の要となり、昼夜を分かたず奔走されました。
その献身的な活動ぶりにより 地域は盤石の基盤を固めることとなり、いわばMさんの不断の活動のお陰様をもって地域の政治が成り立っていたと言っても過言ではないと 今でも実感しております。
かくいう私も、Mさんのご薫陶をいただいた者の一人であります。
私が北澤俊美先生の秘書を務める中、当時の千野 昭市議の選挙事務所でMさんと出会いました。
初めは何かとぶつかり合うこともありましたが やがて胸襟を開くうちに意気が統合し、その後 今度は私が出馬するようになった折には、本当に親身になって助けていただきました。
私も紆余曲折を重ねる中、とりわけ 四年前に私が取り返しのつかない愚行により議員辞職した際には、周囲にさまざまな意見がある中にも関わらず 再起を促すお声がけを毎日 々 いただきました。
その、Mさんのたゆまぬお声かけが やがて周囲をも動かすこととなり、その結果、異例ともいえる再選を果たすことができたところであります。
その陰には Mさんの「声」があり、それが無ければ 私は再選どころか再出馬もおぼつかないところでありました。
私にとってMさんは、窮地から再起するキッカケをくださった 人生の最大の恩人であり、また 地域貢献かくあるべきを背中で教えてくれた恩師であり、また 私のことを親身に思ってくれた 第二の父親的存在でもありました。
今、こうして改めてMさんのご遺影に向き合うとき、実にさまざまな思い出が去来します。
雨の中、一緒にずぶ濡れになりながら選挙ポスターを貼ってあるいたあの日、Mさんが中心となって企画していただいた旅行先での和気あいあいの楽しいひととき、やはりMさんが企画してくれたカラオケ大会で ちょっぴりはにかみながら演歌を歌う横顔、ご自宅の座椅子に座って政治談義をするときの真剣なまなざし、Mさんは何に対しても一途でまっしぐらでありました。
そんな欠かせない存在であったMさんを失った今、私だけでなく地域全体が大きな喪失感に覆われています。
しかしこの現実を、私たちは受け容れてゆかなければなりません。
私たち残された者は、Mさんのご薫陶を胸に これからも一歩 々 歩んでまいります。
ご生前のMさんのような気働きににはとても及ぶものではありませんが、私たちができる精一杯の努力を重ね、少しでもご薫陶に応えられるよう努めてまいりますので、これからも空の上から見守ってください。
Mさんの人生でのご活躍に対し、言葉はとても尽くすことはできませんが この場をお借りして心からなる御礼と御霊の安らかなることを衷心よりご祈念いたし、弔辞とさせていただきます。
Mさん、本当にありがとうございました。 合掌
令和4年9月23日
長野市議会議員 倉 野 立 人
ニュースや紙面報道で、長野県内の企業が さきの東日本大震災に伴う原発事故で大きく長期に亘る被害を受けた東北地方の町に工場進出し もって地方再生・復興に資しようとする取り組みが報じられており、同じ信州人として誇りに思うと同時に、大いにエールを送るところです。
報道によると、長野県千曲市が本社の シャツ製造メーカー「フレックスジャパン」が、福島県双葉町に衣料品再生事業を担う拠点を開設することを決めたとのことです。
東京電力福島第1原発が立地隣接する双葉町は、発災直後から帰還困難地域に指定されたまま年月ばかりが経過していましたが、今年の8月30日に ようやく一部地域で規制が解除されました。
規制は解除されたとはいえ、原発事故の只中にあった双葉町については 現時点で帰還を希望する住民は少なく、このまま推移すれば 元の双葉町に戻ることは難しいと言わざるを得ない厳しい見通しとのこと。
そこに危機感を持った双葉町は、帰還した住民が 今後も住み続けるためには〝雇用の場〟が不可欠だとして、国の支援を得ながら「産業団地」の造成に着手しています。
福島県双葉町HP/新産業創出ゾーン
↓
https://www.town.fukushima-futaba.lg.jp/9736.htm
その目標は「震災前に戻すのでなく、新しい町を造る」です。
単に震災前の状態に〝復旧〟するのではなく、明日に向け希望の持てる新たな町に向けた〝復興〟を果たそうというプロジェクトが緒に就いています。
その〝新たな町〟に向けた具体策の1つが、先行して整備した産業団地。産業団地に県内外の企業を誘致し、産業の振興と雇用確保を果たすとしています。
現在 24社の立地が決まり、このうち13社がすでに操業しているとのことです。
この 双葉町の復興プランに手を挙げたのが、長野県(千曲市)が本社の「フレックスジャパン」です。
ワイシャツ製造などで年商100億円を上げる県内の大手繊維メーカーの「フレックスジャパン」ですが、ここのところのコロナ禍による〝外出控え〟などを要因として売り上げが落ち込んでいることから、その厳しい状況を脱するべく 新たなジャンルの事業をもって敢えて勝負に出ることとしました。
そして、そのフィールドとして 震災の被災地でもある福島県双葉町を選んだとのことであります。
「フレックスジャパン」が手がける新たなジャンルとは「古着の再生事業」です。
モノ余りの昨今の社会状況が問題視される中 それを逆手に取り、使わなくなった(着なくなった)衣料や、亡くなられた最愛の親族が生前に纏(まと)っていたご衣装を 下げ袋やヌイグルミの衣装にリメイクして、衣料品そのものの命や それを着ていた人との大切な思い出をも〝再生〟しようとするものだそうです。
この 衣料再生事業は施設名を『ひなた工房』とし、さまざまな由来をもつ衣服を 全く別の姿に仕立て直すリメイクを初め、幼子(おさなご)の絵を ハンカチやトートバッグに刺しゅうして形に残すサービス、さらに 着なくなった衣服の再加工やオーダーシャツの縫製なども受け付けるそうです。
これに先立ち 同社では、昨秋に衣服のリメークなどを受注するECサイト「Re:Stitch(リ:ステッチ)」を開設して 東京支社にサテライト工房を立ち上げ(リメイクなどの)依頼の受け付けや 実際に縫製を行なったところ、例えば 故人の衣服をテディベアの服に仕立て直した依頼者から「遺品だと思うと暗い気持ちになるが、生まれ変わったのだと思うと愛着も湧く。」と好評を得ているとのことでした。
一方、この衣料品再生の新事業は、現在のアパレル業界の慢性的な問題にも一石を投じているとのこと。
これまでの 衣料品を扱うアパレル業界は「大量消費・大量廃棄」を許容(看過)したまま推移しており、この現状は SDGsを進める国際的な社会状況においては「環境負荷」の面から厳しい目が向けられています。
そのような いわば衣料品販売の悪循環を改めるためにも、この再生事業は 業界そのもののイメージをもリフレッシュする効果があると期待されているようです。
「フレックスジャパン」のY社長は、自社の新事業のコンセプト「衣料品の再生」を ここ双葉町の「震災からの再生」に重ね合わせてイメージしていることが報じられていました。
「双葉町は震災からの再生の町。当社は衣料品の再生をめざす。この共通したコンセプトは、すごくわかりやすい打ち出しになるかな、と。」
今回の新事業、建物は平屋の約160㎡で 約50㎡のショップも設置するとのこと。総投資額は約1億円で 地元から3~5人程度を採用し、中長期的に30人程度まで増員したい考えだそうです。そのうえで 将来の事業拡大に備え、敷地は約6,500㎡を町から賃借する計画もあるそうです。
関連する工場は 既に工事が進んでおり、来年度からの稼働予定で 初年度にはリメイク品などの受注1万点をめざしているとのこと。矢島社長は、再生事業の展開を契機に「取引先や消費者との関係を強化していきたい。」としていると伝えられていました。
東日本大震災から10年以上が経過していますが、被災地の復興は未だ道半ば。
特に原発被害を受けた地域においては、帰還困難区域として長期間に亘り 人の立ち入りそのものが厳しく規制されたことから、そこに住んでいた方々は 否応なしに故郷からの隔離を余儀なくされてしまい、生活環境も変わらざるを得ないことになってしまいました。
そのうえで、再び故郷に戻り 改めて生活を始めるためには「就労の場」の確保は非常に重要な要件であり、そこがクリアできてこそ 真の意味での「再生」と言えるでしょう。
そんな いわば生活再生の必須条件である「就労の場の確保」について、遠く信州の企業が手を挙げたことは非常に意義深くあり、今後の推移については大いに注目し 応援してゆきたいところであります。
で このこと(再生のための就労の場の確保)は、かかる双葉町のみならず 各地方自治体にとっても共通の課題でもあります。
人口減少社会の中、いわゆる現役世代層の定住人口を期して IJUターンを模索するも、その人たちが「田舎で食ってゆける状況」を設(しつら)えないことには「帰りたくても帰れない」ということになってしまいます。
かかる 双葉町(=原発被災地)については、国から手厚い補助金が交付されることから いわばレアケースと言えるところですが、今回の長野県企業の英断の報に接し 大いにエールを送ると共に、総論として「地域の再生には就労の場の確保が欠かせない」との命題を再認識したものでありました。
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