10月19日(水)~20日(木)にかけ、ここ長野市(ホクト文化ホール)において「第17回全国市議会議長会研究フォーラム」が開催され、開催市の議員として参加(補助)いたしました。
全国市議会議長会は、地方自治法第263条の3に定める「地方公共団体の議会の議長が、その相互間の連絡・共通する問題協議及び処理のために設けた全国的連合組織」であり、総務大臣への届出団体でもあります。
その組織は、全国815の市と区(792市・23区)の議会の議長をもって組織され「地方自治の本旨に副(い)、都市の興隆発展を図ること」を目的としています。
そして その目的を達成するため、主に次の事業を行なうとしています。
・地方自治の拡充強化に関する方策の樹立
・本会の意思を国会、政府その他の関係方面に反映させるための措置
・地方自治に影響を及ぼす法律又は政令その他の事項に関し、地方自治法第263条の3第2項の規定に基づく、内閣に対する意見の申出又は国会への意見書の提出
・市議会の制度及び運営並びに都市行財政に関する調査研究
・地方自治についての情報資料の収集作成及び配布
・中央地方相互間の連絡
・その他必要な事項
ご案内のとおり、わが国(国家)は 47都道府県から成り、さらにそれは1,718の市町村(市:792 町:743 村:183)に支えられて成り立っています。
そのうち 私が在籍(在住)する「市」は(前掲のとおり)792、その全てに「議会」が存在し 行政との いわゆる「両輪」の役割を果たしています。
それら数多の市議会の長(ちょう)たる議長が横の連携を強める全国市議会議長会(研究セミナー)は コロナ禍の影響により中断を余儀なくされていましたが、今年 ようやくの形で再開の運びとなり、その再開の節目ともなる研究きセミナーが ここ長野市ので開催されたのでした。
私たち長野市議会(議員)は 開催市の議員として「おもてなし」の役割を担い、開会式で木遣りによるアトラクションや、参加者への「おやき」の頒布などを通じて 親交を深める一助を務めました。
今回の主たる研究テーマは「議会のデジタル化」です。
基調講演として登壇した 早稲田大電子政府・自治体研究所の岩崎尚子教授は「デジタル化により、例えば災害が起きた際にも議会機能を十分に発揮し 住民とのコミュニケーションを確保することが重要」と強調し、さらには「オンラインによる柔軟な議会開催などで 議員のなり手の幅も広がる」と指摘しておられました。
(19日の報道/新聞のデジタル版)
また、後段のパネルディスカッションでは「今後の議会活性化の鍵は、デジタル人材を育成し、議会間の情報共有や連携を推進すること」とか「市民との対話を充実させるためにもデジタル化を加速させるべきだ」といった意見が出されていました。
「地方分権」や「地域活性化」の重要性が言われて久しい昨今、さらには社会が多様化を増す中、住民(国民)と政治(行政)の関係は、旧態依然の思考の中で悪しけく醸成されてきた「政治(家)が上で住民(国民)が下」との〝勘違い上下関係〟は時代錯誤・大きな勘違いであることがようやく指摘され、双方は いわば対等…もっと言えば「国民のおかげさまの上に政治(行政)が成り立っている」との「国民が上・政治(行政)は その下」の序列をもって考えるべきとの〝正しい傾向〟が示されるようになってきています。
そのうえにおいての 市民生活に最も身近な存在である市町村行政ならびに議会は、まさに市民(住民)と一体となって地域社会の資質向上に取り組むべき存在であり、そこ(市町村行政と議会)が真に機能しないことには、将来に向けた有為な取り組みを為(な)すことはできないと言っても過言では無いと思います。
しかしながら かかる基礎自治体の行政・議会は、ややもすると旧来からの慣例や現状に拘泥し または昔ながらの〝お役所仕事〟に終始したままで、未来に向けた明るい展望を持てない政治(行政)に終始しているのが現状でもあります、
そんな中でのデジタル化(DX化)の推進は、(前掲の)古い体質の地方行政・議会から脱却するたもにも有効な手立てと言えるのではないでしょうか。
私の在籍する長野市議会においては、数年前からペーパーレス化のためのタブレットの携行・今年には 有事に備えたリモート会議の研修などを進め、時代に先んじたデジタル化の推進を緒に就けているところです。
今後も、効率化(デジタル化)できるところは積極的に進めるべきことを強く認識する者の一人です。
一方 そのうえで、技術的には先進化をめざすものの 議会(議員)の役割・意義の面では、今こそ「基本」に立ち返るべきとも強く思うところです。
政治(行政)との〝両輪〟の役割を成す議会、その任(にん)の第一義は「チェック機能」である、と。
いくらデジタル化を進めて〝便利な世の中〟を披瀝してみても、そのツールに乗って行なうことが「行政の追認」であっては断じてならない。
ときに行政事務を厳しく追及し、ときに市民の「声」に応じて その代弁者とならねばならない。
そんな「(議員の)存在」こそが、行政に緊張感を醸成させ 真に市民生活向上に貢献できる業態を成すことにつながるのではないかと思います。
今回の研究セミナーには 全国各地から多くの議会関係者が参集し、会場は熱気を帯びたものとなっていました。
この全ての方々が 真に議会の役割を認識して事(こと)に処すること、このことこそが 真の地域活性化の原資になり得ると、心強く期待をもって その背中を拝したところでありました。
さき(15)日の報道で、岸田が「円安メリットを生かす海外展開を考えている 中小企業・さまざまな企業、合わせて1万社を支援していく。」と表明したことが伝えられ、それを聞いた私は 違和感を禁じ得ませんでした。
この発言は、総理が東京都内で企業や商店街を視察後 記者団に語ったもので、歴史的水準にまで進んだ円安の長期化に備え 輸出促進などに取り組む企業を支援・育成していく考えを示したものとされています。
私が感じた違和感は「円安」に対する〝意識〟のようなものです。
私も含め 多くの国民は、円安による物価高などの「マイナス影響」を イヤというほど実感させられています。
このまま円安が進行(継続)すれば、まるでボクシングのボディーブローのように 私たちの日々の暮らしにダメージが及ぶことは必至であり、私たち国民は その厳しい現状にこそ支援の手を差し伸べてもらいたいと思うのが実際のところではないでしょうか。
この 私の抱いた違和感は、やはり私だけの所感ではなかったようです。
翌日の報道で、辛口コメントで知られる京大大学院の藤井教授が、岸田総理発言に対し「(記事を見て)我が目を疑った」とまで述べていました。
氏は自身のツイッターに、岸田首相が「円安メリットを生かす海外展開を考えている企業あわせて1万社を支援していく」と表明したとする記事を貼り付けたうえで「我が目を疑いました…そんなことをする暇があるんなら、日本中にいる大量の『円安で苦しむ会社』を救済することに全力を費やすべきなのではないでしょうか。」と自身の考えをつづっていました。
昨今の円安傾向は、コロナ禍で疲弊した庶民生活に「値上げ」という形で追い打ちをかけているのはご案内のとおりです。
そのときの政治(行政)の役割…各関係者においては、まずはそこのところ(国民の窮状)に心を寄せ 施策の形成に臨むべきが第一義ではないか、と。
他のサイトを見てみても「すでに円安でメリット感を享受している企業にさらに〝追い銭〟をするのは順番が違う」などとの厳しい声が寄せられていました。
ただ ここで斟酌すべきは、総理の発言の場でありましょう。
もしかしたら総理は 物品の輸出に関わる企業へ足を運んだ折に(前掲の)発言をしたのかもしれず、であるとするならば 氏は その場に合った発言をしたことになります。なのに そこ(円安メリット企業の支援)の部分だけを切り取って批判するのはどうかとも思われるところです。
で ここのところを正確に言えば、私が この岸田発言に抱いた違和感は、氏の 一方にしか目を置かない(心を寄せない)ものの見方であります。
政治家…特に一国の総理でもあるならば、この手の経済支援について話しを興(おこ)す際には 例えば円安メリットに沸く企業支援を打ち出すその前に、円安に喘(あえ)ぐ国民の窮状に心を寄せる一言を発したうえで企業支援策を発信する。そんなバランス感覚を発揚するべきであったのに、そんな政治的配慮をすること無く いきなり〝円安メリット〟に言及した、その いわば〝デリカシーの無さ〟に違和感を覚えたのでありました。
この発言の裏には、今の円安状況は おそらく長期化するであろうという国の見通しがあり、で あるとするなら、そのメリットを活かすのが政治の役割であるという〝霞ヶ関官僚の作用〟が働いたと思われるところです。
それはそれで否定するものではありませんが、繰り返せば 官僚のプランの上に立つ政治家であればなおのこと、官僚のこさえた原稿に乗るだけではなく 自分の言葉で円安に苦しむ方々に寄り添う発言を行なうべきであったでしょう。
そんな〝(政治家としての)自分の言葉〟を発しなかった総理を見て、私は残念に思うと共に その裁量の嵩(かさ)のようなものを感じ取ってしまったのでありました。
社会には 常に「光」と「陰(かげ)」が表裏一体となっています。
為政に臨む者は どちらか一方を見ることなく、特に「光」の部分だけを見るのではなく 常に光の裏にある「陰」に目を配ること、むしろ そちら(陰)の部分を優先したうえで光に話しを及ばせてこそ「心ある者」と賞(しょう)されるのではないかと思いをいたしたところでありました。
この日(16日)、地域のそこここで秋の好イベントが開催されました。
そして その背景には、昨今のコロナ禍や さきに発生した台風災害からの いわばリベンジの機運が醸成されていたのでした。
私の住む川中島地区(町)では「第1回川中島サマーフェスティバル」が、実に2回の延期を経て ようやくの形で開催され、多くの住民が集(つど)い 笑顔の輪が広がりました。
同地区においては、さき(1998年)の「冬季オリンピック・パラリンピック長野大会」の開催を記念し「川中島フェスティバル」として 町を挙げの一大イベントが行なわれてきました。
当初は 町を縦貫する幹線道路をフル活用して開催されていましたが、その後は社会情勢の変化などに伴い 数年前から旧選手村(現今井ニュータウン)のメイン道路を使ってのイベントとなっていました。
そのうえで地区(町)においては 行事そのものの存続についても議論されることとなり、その過程の中で 今までのような大規模な行事の開催は難しいにしても、何らかの形で〝行事の灯〟は消さないようにしてゆきましょう、との総意が形成されてきたのでした。
が…そこへ来ての〝コロナ禍〟の襲来であります。
やや縮小傾向ながらも継続開催を旨とされてきたフェスティバルが、3密や濃厚接触の典型ともなることから 開催が(全国傾向に準じて)見送られ、ここ2年に亘り中止を余儀なくされてきました。
で あれから3年…ようやくコロナ禍も落ち着きを見せたことから、今年は「川中島サマーフェスティバル」と銘打ち 応分の規模で開催することになっていましたが、まさかの〝コロナ第7波〟の襲来で またも延期を余儀なくされてしまいました。
それでも、ご関係者の〝熱意の灯〟は消えることなく点(とも)り続け、そして ようやくこの日、当初予定の〝サマー〟の時期からは大きくズレ込んでしまいましたが 開催にこぎ着けたのでした。
改めて開催された「川中島サマーフェスティバル」は、川中島公民館の大ホールと支所駐車場を活用して行なわれました。
これまでのフェスティバルに比べれば いわばこぢんまりとした感じですが、逆に言えば コンパクトな範囲での〝現実的なサイズ〟での開催となり、今後の継続性を考えれば ちょうどイイと言えるのかもしれません。
屋内会場においては「文化芸能プログラム」として 歌や踊りが披露され、屋外においては 地元商工会や住民自治協議会の地域振興部会、また地域きらめき応援隊の物販などが行なわれ、エリア内は さながら祭りの縁日のような盛り上がりをみせていました。
と…開会まもなく 会場の一隅に大きな人だかりが。何かと見れば「バナナの叩き売り」が始まっていました。
で さらに見れば、叩き売りの主は 町公民館のM館長さんです。
教員あがりで お寺の住職を務めるM館長さんは、いわば〝言葉のプロ〟でいらっしゃいます。
たわわなバナナの房を前に、フーテンの寅さんみたく〝掴(つか)みはオッケー〟のご口上(こうじょう)を始めると、周囲には笑いの輪が広がっていました。
前掲のとおり、いわばオリンピック景気に乗って始まったフェスティバルは 時間経過と共に継続開催の可否にまで議論が及び、そこにコロナ禍が悪しき追い風になったことで 事(こと)の推移によっては 行事そのものが無くなってしまうかもしれない〝存続の危機〟に瀕(ひん)していました。
しかし 住民自治協議会はじめご関係の方々の熱意により、規模は縮小されたものの 改めて「第一回」のサマーフェスティバルの開催となり、これで今後も継続的に開催できる目処(めど)が立ったことで 私の立場でも安堵したところでありました。
コロナ禍によって停滞を余儀なくされた地域コミュニティですが、この日の行事のような〝積み上げ〟により、再び活発化することを願って止まないところです。
その後 地元をあとにし、一路 さきの東日本台風被害に遭った、長沼地区(赤沼公園)に車首を向けました。
同じくこの日、長沼地区の方々による「元気を贈ろう!長沼コンサート」が開催されていました。
これまでもお伝えしているとおり、この10月は あの未曾有の台風災害から3年が経過し、ご関係者の方々をはじめ私たち長野市民は、改めて追悼と復興の思いを新たにしているところです。
そんな中、地区の有志の方々が「復旧から復興、そして発展へのエール」をテーマに掲げ、長沼地区の復興の象徴でもある ここ赤沼公園を舞台に、心温まるコンサートを開催したのでした。
コンサートには イベントの趣旨に賛同された多くのミュージシャン(演者)が出演し、それぞれに災害からの復興に心を寄せながら 美しい旋律を奏でておられました。
綺麗に芝生が貼られ、木陰が設(しつ)えられた園庭には 聴衆がリラックスした様子でてんでに座り、音楽に耳を傾けては拍手を送っていました。
かくいう私も、この赤沼公園の復興ぶりを目にし 改めて感慨のようなものを禁じ得ませんでした。
と いうのも、さきの台風被害で被災ゴミの片付けボランティアに参加した際、何いう ここ赤沼公園は、被災ゴミの集積場に指定され ありとあらゆる被災ゴミが堆(うずたか)く積み上げられていたのでした。
公園の遊歩道は ゴミを積んだ軽トラの経路となり、沿道には水をかぶった被災ゴミが累々と積まれていました。
子どもらの遊ぶ遊具の周辺もゴミまたゴミ…まさに悲惨な状況となっていたことは未だに記憶に残っているところです。
そんなひどい状況でありましたが、災害後の計画的な復旧工事により、公園はまた人々が集う憩いの場として蘇(よみがえ)りました。
公園内の土は、環境に配慮し表土の入れ替えが行なわれたうえで芝が貼られ、遊具や運動器具も元どおりに直されました。
この日も 子どもらが無邪気にブランコを漕いだり滑り台に興じたりして 歓声を上げていました。
被災ゴミの集積場から いつもの公園へ。
ゆえに赤沼公園は「台風災害から復興への象徴」と位置づけられているのでありましょう。
この日の2つの行事は、市域の歴史の中での〝低迷と復興〟を象徴するものであり、それだけに、行事で見られたみなさんの笑顔に 明日に向けたポジティブ(前向き)な心を感じることができました。
さまざまに厳しく難しい状況にある中、なかなか平易に事(こと)を運ぶことは難しいところではありますが、それでも みんなが心を寄せて事態に臨めば、きっと打開することができる。そんな勇気のようなものをもらった感しきりでありました。
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この日(15日) 2つの事柄について席に着くこととなり、ジャンルは全く異なれど「〝市民感覚〟を反映させるべきこと」を再認識することとなりました。
午前中は、市民の有志による「体育館の在り方を考えるまちづくりプロジェクト」の会議…というかミーティング(意見交換)に参加しました。
このプロジェクトについては これまでも本ブログでレポートしておりますが、市内の体育館(中部勤労青少年ホーム施設)の存続要望に端を発し、単なる体育館の存続要望との狭義(きょうぎ)に止(とど)まらず 市内の体育館施設の在り方(役割)を考えること、ひいては長野市が進める「公共施設マネジメント」の考え方そのものに一石を投じることとなっています。
いわば〝市民感覚〟が行政を動かすこととなっています。
すなわち、市(市長)の目指す〝健幸増進都市〟の実現 すなわち「健康寿命延伸」には体育館が必要であること・公共施設マネジメントの推進との名目の下で いわば縦割り行政の中で所管ごとに施設の廃止を一方的に進めるのではなく、(体育館の位置づけを)部局横断的に考え (利用者数などに応じて)残せる施設は残すという発想に立つべきなどと提言を重ね、その結果 これまで頑(かたく)なであった市の姿勢も、例えば さきの本会議での私の質問に対して、(前掲の)中部勤青ホーム体育館(商工労働課所管)を 社会体育館(スポーツ課所管)に移管したうえで存続させる見通しを示すなど、いわば(イイ意味で)柔軟路線に転化したところです。
その陰には、当該プロジェクトの方々の 対局に立った提言があります。
この方々は、単に「自分たちの使う体育館〝だけ〟を残してほしい!ウチさえ残れば後カンケーない」などとという〝おねだり・わがまま要望〟では無く、前掲のとおり広義に立った提言を行なうことで、市もその意見に耳を傾け というよりも大いに参考にすることとなり、その結果として体育館の存続を勝ち取る機運(まだ結果は出ていない)となりました。
さらに このプロジェクトのメンバーのお一人は、今後の長野市の「スポーツの将来像」にまで夢を描いておられ その夢の姿を披瀝してくださいました。
「長野市には、4つものプロスポーツチーム(団体)があり、また 部活などで向上心をもって切磋琢磨するアスリート・生涯に亘ってスポーツを楽しもうとする人たちがいます。そんな好環境の下、今後は プロスポーツ⇔アスリート⇔生涯スポーツの人が相互に交流的活動を継続的に行なうことで、スポーツのスキルアップと健康寿命延伸が同時に伸びてゆけるのではないか。そして、その「場」として 体育館が重要な役割を果たすことになるのではないか。」とのことでありました。
そのうえで、この考え方は 文科省が進めようとしている「部活の地域移行」にもイイ意味で影響を及ぼすことができるのではないかと言及、例えば 部活指導を地域のスポーツ愛好団体が担うことも含めて一考することもできる旨 述懐されたところです。
この考えを基にすれば、今後の体育館に関するプロジェクトは 直接的な所管課のみならず、例えば高齢者福祉に関する所管や 教育に関する所管の参加も促し、ひいては市全体の将来を考える機会にもなり得ることが話され、いわば「小さく産んで大きく育てる」的な〝政策の広がり〟のようなものを実感したところです。
午後は、市内にある障がい者福祉施設へ「調査」に出向きました。
施設名や調査内容については後日に譲ることといたしますが(概要については10/8付のブログでも触れています)、約10年前に開所したこの施設には 多額の補助金を受けておきながら稼働していない大型機械があり、そのこと(未稼働常態)について市民(Gotaという福祉グループ)から「おかしい」との指摘があったことから、それを受けて 議員の立場で調査を行なったものです。
しかして その実態は、市民(Gota)の指摘のとおり 非常にずさんなものでありました。
多額の資金を投入して設置した機械が未稼働…減価償却もできない(しない)まま〝置きざらし〟になっていることは、市民感覚(例えば民間企業)でいえば考えられないことでありましょう。
この日の調査によって さらに検証(確認)すべき内容が散見されたことから、一旦は関係者に持ち帰らせ、後日 改めて調査の場を設けることといたしました。
「障がい者福祉」というと 非常に聞こえがイイ善行と考えられる(印象づけられる)ところですが、その実態は いうなれば脇が甘い事業運営のうえに、真に障がい者の方を向いて仕事をしているのかと訊きたくなる現状にあるようです。
今回の調査をキッカケに、改めて地域の障がい者福祉の実態にメスを入れ ひいては各事業が真に障がい者のために行なわれるものになるよう、そのうえで「主役」である障がい者の社会生活に光の当たるものになるよう取り組んでゆきたいと思いを新たにいたしました。
この日の2件の取り組みは、奇しくも「市民感覚」の重要性 というか、それが当たり前であることを再認識すべきことを実感したものでありました。
コロナ禍における原油価格・物価高騰の影響で落ち込んだ市内経済の早期回復、消費喚起を目的として発行される「ながのビッグプレミアム商品券」は9月...
さき(5日)の新聞(デジタル)報道で、長野県塩尻市議会が 来春の統一地方選改選以降「監査委員」の議会選出(議員が監査委員を務めること)を行なわない方針を決めたことが報じられ、耳目を集めました。
同市議会は今後、議会選出の監査委員を行なわないとする条例(改正)を市に提言(提出)することを4日の議会運営委員会で確認したとのことです。
それに代わる〝チェック機関〟として、同市議会では 昨年5月に全議員が全ての予算・決算の審査に当たる「(常任の)予算決算委員会」を設置しており、この委員会の場で議会としてのチェック機能を高めてるとしているそうです。
この根拠には「監査委員の一部を議員から選ばなければならないとしてきた規定を緩和」との 地方自治法改正の動きがあります。自治体の条例で定めた場合には、議員から選任しないことができるようになりました。
市や県町村議会議長会などによると、県内では 木曽郡王滝村が昨年12月から議員選出の監査委員を置いていないそうです。
ご案内の「監査」という業務は、自治体においては行政事務事業が適正に行なわれたか、それに伴う会計収支は適切かつ「入り」と「出(で)」が符号しているかをチェックする重要な機関です。
特に 単年度決算が主となる自治体運営においては、年度ごとに監査を行なうことで、次年度以降の事務事業がより適正なものになるよう指摘せねばならず、その眼力と指摘力に相当な期待が寄せられるものです。
この監査における議会選出委員を設置しないことを決めた塩尻市議会の判断については、監査作業を議員全員で行なおうという〝決意の裏打ち〟とも取れます。
なお 長野市においては、議会から2名の監査委員が選出されており、議会審査とは別に監査作業に参加することになっており、一方で、予算審査については各常任委員会で・決算審査については決算特別委員会(分科会)を設け、所管は分掌しながらも 議会としても予算・決算の審査に関わることとなっています。
今回の塩尻市議会の判断については、それぞれの自治体議会の考えとして尊重されるべきと思うところですが、私とすれば 監査のようなチェック作業は、先ず前提として 監査委員であろうが無かろうが議員の立場で常に(イイ意味で)監視の目を光らせておくべきであること、そのうえで 監査委員としての議員のチェック・さらには議員としての予算・決算審査を通じてのチェックと、いわばダブルチェックを行なうことで、行政事務事業がいっそう修練されるのではないかと思うところです。
ただ しかし、このこと(監査)については、監査に臨む者の(前掲のとおり)眼力に負うところが多くあり…その目が鷹(タカ)であれが厳しい監査が 鳩(はと)であれば看過型の監査になってしまう場合もこれあり、逆に言えば 監査に臨む者の姿勢が、監査作業自体に反映されることは いた仕方ないところであります。
そして、そのこと(眼力の如何)は 何も監査委員では無くとも、議員ひとりひとりに課せられたs使命ともいえるでしょう。
今回の塩尻市議会の判断がどのように事務事業に反映されるのかは 来年度の改選以降の塩尻市議会議員の取組み次第ということでありましょうが、われわれ長野市議会においても さまざまな面での監査作業を尖鋭とし、市の行政事務事業が 真に市民生活に資するものになるよう不断の努力を重ねてゆきたいと、他山の石を見て思いを新たにいたしたところです。
(なお、この判断…監査委員となることで議員に負担がかかるから その軽減対策としての不選出であれば、それは本末転倒なのですが…ゆめゆめ そんなことは無いと信じるところです)
あれから3年。
2019年10月に発生した「令和元年東日本台風」は、列島にさまざまな被害を及ぼし 災害史を刻むこととなってしまいました。
長野エリアにおいては、主に千曲川流域に越水などの甚大な被害を及ぼし、今も私たちの記憶に鮮明に残っています。
あれから3年…時間だけは確実に経過し、被災地においては 復旧・復興の取り組みがされ、その模様は本ブログでも随時ご報告させていただいております。
読者のみなさんにおかれては、ブログページの右側に「バックナンバー」欄がありますので それを活用して回顧していただければとも存ずるところです。
そんな中 さきの地方主要紙の紙面に、被災地(豊野町)における 被災に伴い空き地となった場所を巡る〝新たな問題〟が取り上げられたことから、その件について 11日に行なわれた「長野市議会 福祉環境委員会(協議会)」の場で所管(環境保全温暖化対策課)に事実関係を質(ただ)しました。
記事によると、台風19号被害に伴い更地(さらち)となった土地に 新たに土木事業者が進出(賃貸契約)し、そこ(更地)に 工事で出るなどした「残土」を積み上げているとのことなのです。
その場所は、豊野町の いわばメインストリートに面しており、周辺には 宅地や商業地や公園が遍在ており、災害を経て どうにか復旧を果たし、多くのみなさんが 再びここで生活を再開している域(いき)なのです。
加えて、当該の〝残土置き場〟のすぐそばは、豊野エリアの復興の象徴ともなる「豊野防災交流センター」の建設予定地にもなっているのです。
取材によると、当該の残土処理地は盛り土が約2メートルの高さで積まれ、大型の重機や残土選別機(大型のふるい)が置かれているとのこと。
周辺住民に訊くと、9月初め頃から建設工事で出た残土が大型ダンプカーで運び込まれ、大型重機や残土の選別機が作業するようになり、連日の朝晩に亘り 大型ダンプカーのエンジン音が響いたり粉塵のようなものが舞い、住民の一人は「2階にいるとガタガタと地震のように揺れる。粉じんもすごく、干していた洗濯物も汚れた。」とこぼしておられる様子が伝えられていました。
この残土処理地を管理する業者によると、地元の地権者と土地賃借契約を結び 台風翌年の20年10月に同市徳間から移転しており、残土処理地として利用しているものの 法的には何ら問題は無いと説明しているとのことです。そのうえで、周辺住民の住環境に鑑み 今後は防音壁の強化などに取り組むことを、9月に開いた住民説明会で説明したとのことでありました。
この内容について 11日の福祉環境委員会(協議会)で確認すると、市は住民の要請を受け 任意で調査を行なったものの、当該土地は 騒音規制法の対象となる特定施設でもなく、残土は廃棄物処理法が対象とする産業廃棄物でもないことから、法的な規制はできないとのこと。
ただ 住民被害の訴えもあることは事実なので、これからも適切に仲立ちとなり 騒音や粉塵などの被害が最小限に抑えられるよう指導していくとのことでありました。
未曾有の台風被害を受け、被災地の土地利用は いわば難しい状況のままに推移しています。
被災後も 住み慣れた土地で再び生活を再開する人たちがおられる一方、被災を契機に他の土地へ転出する世帯や事業所も少なからずおられ、被災地エリアの土地には空き地や更地が目につく状況にもあります。
また 被災地に土地を所有するも その利活用が見込めず、今回のように事業者に賃貸せざるを得なくなっている地主もおり、そんな いわば「背に腹は代えられない事情」が、かかる〝新たな社会問題〟に発展しているのは、これも台風被害の延長線上にあるものか…と忸怩たる思いを新たにさせられるところです。
あれから3年。
件(くだん)の台風被害は、未だにさまざまな様態で 私たちの社会生活に影響を与え続けています。
3年という時間は経過したものの、今後も「あのこと」を忘れず、未だに横たわる諸課題(諸問題)に対峙すべきことを再認識いたしたところでありました。
先週の10/5、6の2日間、長野市農業委員会での県外視察が行われ、私も参加してまいりましたので、内容に関し、ご報告いたします。今回の視察において、特に、浜松市及び藤枝市の取り組みは、長野市農業政策においても参考とすべきものであり、積極的な取り組みが必要だと受け止めました。
●三ケ日町農業協同組合(JAみっかび柑橘選果場)
<概要>
令和3年10月、総事業費79億1、529万円の新たな柑橘選果場が完成した。静岡県と浜松市からそれぞれ5億円の助成を含め、補助金総額は48億5,178万5千円。
井口組合長によると、全国の柑橘生産量は、昭和50年代の350万t時代から令和3年度の72万tへと大きく減少している。従前のルールや販売方法等を見直す時期であり、供給体制を整備し、ブランドを活かし市場からあてにされる産地形成の更なる強化を図るための取り組みである。
<所感>
全国的な生産量は減少しているが、三ケ日みかんについては、増加しており安定している。しかし、後継者確保の課題は解消できていない、特に、小さな農地の需要が少ないこと、境界の調整がしにくいこと等、現在の農地法において、対応が困難な事例に直面していることから、カテゴリー毎に解決方法を模索しながら取り組んでいるとのことだ。
長野市農業のみならず全国的な課題である後継者確保と育成、更に、農地法による制約等を踏まえ持続可能な農業を考えていく必要がある。
現在、JA三ケ日は農地銀行による農地の集積・集約に取り組んでいる。資料では、令和10年に営農規模縮小、更に、営農をやめる、との意向を示した数値は35.2%である。また、組合員経営主の年齢構成を令和2年と平成27年を比較すると59歳以下の割合が41.5%から27%へと大きく減少している。こうしたことを受け、職員2名体制で、これまでの受け身の姿勢から組合員からの要請に寄り添った対応へと、将来に向けた積極的な取り組みが行われている。本市のJAにおいても、更なる能動的な対応へと進化させていくために、参考にされたい。
●浜松市農業委員会(農地銀行について)
<概要>
浜松市農業は、恵まれた自然条件、豊富な水を活用し農業基盤整備がなされ、更に、有利な立地条件から、みかんを中心とした果樹、お茶、畜産等の多彩な農産物により発展してきた。令和2年実績で全国第7位の農業産出額を誇っている。しかし、担い手の減少により、総農家数、経営耕作面積は減少傾向にある。
以上を踏まえ、浜松市農地銀行を開設し、農業委員会に申込みのあった「貸したい・売りたい農地」の情報を公開し、担い手確保及び耕作地面積減少に向けた取り組みを行っている。
<所感>
17,500人への調査を行い、情報を専用のホームページで公開している。毎年4月に更新し、以降、適宜、更新している。アクセス数は22、242件(令和3年度)で、毎年5,000筆(360ha)の新規登録があるが、成約数は149筆(13.5ha)。中には使い難い農地があるが、耕作に繋げられる農地については、農地再生補助金を市単独予算を執行している、との説明があった。しかし、耕作に結び付けられない農地が増加していく現状への効果的な解消方法が見つからず、大きな課題であるとの認識を示されていた。
長野市農業においても、担い手確保及び耕作地面積減少、言い換えると、後継者確保、耕作放棄地解消は大きな課題である。しかし、農地の現状や情報を広く公開しているかという視点でみると、決して充分とは言えないと考える。長野市は農業が持つ多面的な効果を市民全体で共有し、更に、農業を長野市における重要な産業の一つとして位置付けているのであれば、農業に関する情報を広く市民に伝える努力を更に強化すべきではないか、と考える。特に、農地情報について、浜松市の取り組みに倣って取り入れるべきである。
●藤枝市農業委員会(ふじえだゼロから農業エントリー制度について)
<概要>
藤枝市農業委員会は、令和3年5月1日より、「ふじえだゼロから農業エントリー制度」を開始した。自給自足や生きがいを目的として耕作や就農を目指す方の、市内遊休農地について10a以下でも使用貸借を可能とするもので、遊休農地発生防止と解消、更に、新規就農促進を図っている。(注:農地法第3条に基づき、藤枝市の使用貸借下限面積は30aとしている)藤枝市が窓口となり、農地の貸し借りを支援するとともに、農地がなくても気軽に農業をはじめるスキームを作ったといえる。
<所感>
長野市の農業政策に積極的に取り入れるべき事業だと考える。要件も実情が考慮されており、一例として、農作業経験のない方の場合は、0.6a(60㎡)以下、農作業経験はないが、営農している方の指導を受けながら農業をはじめられる場合は1a(100㎡)以下等の権利取得が可能となっている。農業に関心を持ち、生きがいや趣味の一環とした意欲的な就農者の増加により、新規就農の促進と荒廃農地解消に向けた効果的な取り組みとなり得ると受け止めている。
これまでの実績は、本年9月末で54件の申請があり、うち、エントリー認定者は52名で29件が農業委員会で許可されたとの説明があった。更に、申請者の年代別でみると、50代以下が37名、約69%を占めていることから、#楽しく、#趣味として、#手始めに、#小規模から、#初心者大歓迎、#農業女子・男子、#家族で、等の本制度が目指している方向に確実に進んでいるのでは、と感じた。
農地の売買、賃貸借は農地法に基づくが、法律の範囲内で出来る策を講じることで、現在直面している課題解決に向け、大いに参考とすべき取り組みだ。
●KADODE OIGAWA
<概要>
静岡県島田市に所在する県下最大規模の体験型フードパークで、地元農産物が集められ、施設内にはマルシェ、産直レストラン、カフェ等があり、令和2年11月に、JAおおいがわが設立した。
<所感>
平日の昼ということもあり、多くの女性が産直レストランで地元産食材を中心に舌鼓を打たれていた。詳細は不明だが、JAの他、行政や各種団体の協力により設立された経緯があると思うが、農業を中心とした地域振興に大きく貢献している施設だと思われる。長野市内には同様の施設がなく、その設置に期待を寄せたい。
以上となります。冒頭でも記しましたが、長野市の農業政策において、欠けていると思われる取り組みが両市において進められ、効果が期待されています。本気で新規就農等の就農人口増や耕作放棄地増加の解消を考えていくのであれば、行政として更に関与を強め、取り入れていく必要があります。今後、議会において提案していきたいと思います。
「食欲の秋」や「味覚の秋」また「収穫の秋」とも言われ、四季のあるわが国において「秋」は さまざまな面で実り多い季節となっています。
里の圃場では 一斉に稲刈りが行なわれ、五穀豊穣の筆頭でもある米の収穫が進んでいます。
今年もまた、炊飯器の中で光り輝くオイシイ新米が食卓に載せられ「飯(めし)だけで茶碗一杯イケル!」と喜ばれることでしょう。
で、とりわけ 山国(やまぐに)である信州の〝秋の逸品〟といえば、そう「キノコ」が五指に入るところであり、さらには 山地に遍在する自生(天然)キノコこそが、秋の味覚として喜ばれているところです。
キノコといえば、独特の風味と食感をもち 昨今では身体の滋養に優れていることも注目され、そのまま食したり 汁モノなど様々な料理の引き立て役として食卓を賑わしてくれています。
そして、それら豊かなる秋の味覚を得る「キノコ狩り」は、それを愛好する方々にとって 待ちに待った年中行事とも申せます。
この時期になると、多くの愛好者が山へと分け入り ときにはビク一杯のキノコをゲット、ご家族はもとより近隣の方々にも振る舞っては喜ばれているものです。
ただ そんな中、ここのところ 私(だけじゃない)が憂慮しているのが「キノコ狩りで遭難」のニュース…それも一つや二つじゃなく〝頻発〟といえるほどの多さで報じられていることです。
で、遭難場所や様態は異なれど 共通していえるのが「高齢者の遭難」という点です。
今年だけでも複数件の〝キノコ狩り遭難〟そのいずれも 当事者はお年を召した方々であり、おそらくは (キノコ狩り)キャリア何十年というベテランでありましょう。
そんな、自分の〝キノコ山〟を知り尽くしたハズのベテランハイカーが なぜに(多くの人が)遭難の憂き目に遭ってしまうのか。
これは一重(ひとえ)に、高齢(加齢)に伴う体力の低下に他なりません。
50~60才代の頃は 山地を駆け巡っても平気の平左(へいきのへいざ)、あらゆる収穫ポイントを巡っては沢山のキノコを採っては みんなに喜んでもらい、その笑顔に接しては悦に入っていたものでした。
しかし あれから相当の年月が経ち、自分でも気づかないうちに足腰は弱り 昔のようにはゆかなくなっているのです。
それでも山は、今年も多くのキノコを這(は)わせてオレを待っている。オレが行かずして誰が行くのか。
・・・・・・。
キノコ採りに行くのは、秋の欠かせぬレジャーとして また健康づくりの観点からも、非常によろしいことと思います。
しかし そこでは、是非ご自身の年齢(厳密に言えば体力)と〝相談〟しながらビクを背負(しょ)ってほしいと思います。
山は変わらないけれど、自分は確実に変わって(衰えて)いることを自覚したうえで山に入る。
決して無理をせず、ほどほどを旨として〝狩り〟を楽しんでいただければ 不測の事態に見舞われることも無いし、自分も痛い思いをせずに ひいては(捜索隊など)他者に迷惑をかけることなく自宅に(お土産を持って)戻ることもできる。
昨今の社会では 高齢者に起因する交通事故のニュースが頻発していますが、この〝キノコ狩り遭難〟も然り…いずれにしても、社会全体の高齢化が あらゆる場面において不測の事故発生に影響していることを再認識させられるところであります。
ところで、こと 自然を相手にした収穫ごとにおいて〝ありがちなこと〟を、過去の事故事例の中でも啓発しています。
「自分だけの穴場」を他者に知られたくない故(ゆえ)の、単独入山に伴う遭難事故です。
気持ちは分かる。
苦労して見つけた自分だけの穴場…もし他者(これは身内も含む)に知られてしまったら、自分が居ない間に採り尽くされてしまうのではないか、とのご懸念から 入山は常に単独。
そのうえで 多くの収穫が得られた際に「どこでこんなに採ったんだ?」との 皆の驚く顔が快感となり「よし、また今度!」と勇んで山に(独りで)分け入るのです。
しかし、もう ご自身も立派な高齢者です。何かあれば、遭難とまではゆかなくても 捻挫(ねんざ)しただけで歩けなくなり、助けも無い中では衰弱の一途を辿ることも懸念されるでしょう。
それらを踏まえ、どうか高齢の〝キノコハンター〟におかれては、決して無理をしないこと(引き返す勇気をもつこと)・単独で山に入らず 最低でもバディ(相棒)を組むなど複数で入山すること・万が一に備え チョコや飴などの非常食、それに携帯電話(スマホ)を携行すること 等の自己防衛策をもったうえで、安全のうちに 山を楽しんでいただければ、と切に思うところであります。
クルマもキノコも ときにお酒も「年齢(とし)相応」を旨として〝それなりに〟豊かで恙(つつが)なき人生を全うしたいものです。
9日午前、R元年の台風19号災害以来、コロナ禍で中止を余儀なくされてきた区民運動会が4年ぶりに再開され、お招きいただきました。44回目を数え...