長野市議会議員会派

改革ながの市民ネット

市が発信する情報が、市民ニーズに合っていないし判りにくい ~せっかくホームページをリニューアルしたのに~

さきの29日、個人の立場で 地域(県内)の公園について広く情報発信をされている人が 長野市に対し、行政が発信する情報が必ずしも市民ニーズに合っていないこと、そして 市民が探そうとする(検索しようとする)情報が、必ずしもスムーズに(市民の手に)届いていないこと(実態)が伝えられ、一同は「目からウロコが落ちる」かの指摘をいただいたのでした。

話しのキッカケは、公私共にお世話になるMさんからの一本の電話。

「ねえクラちゃん、私の孫娘の知人(Aさん)が インスタグラムで「公園情報」を発信しているそうなんだけど、その人曰(いわ)く「長野市がホームページを通じて発信している公園の情報が、公園を利用する子育てママさんのニーズに応えていない内容で〝使えない〟」とのことなの。この際は ぜひ改善してほしいとのことなので、対応してあげてくれない? 」とのことでありました。

いずれにしても行政事務に関することなので、Aさんには市役所へご足労いただき そこに所管課職員を呼んでお話しを聞かせていただくこととしました。

その際 当初は、公園を所管する公園緑地課だけを呼んでお話しを伺うこととしていましたが「市の情報発信にも課題アリ」とのAさんのご意見に鑑み、当日になって ホームページを所管する広報広聴課にも急きょ同席したもらったところ、そのひらめきが当たってくれ、総体的な面で有意義な意見交換の場となったのでした。

 

前掲のMさんのお話しのとおり、件(くだん)のAさんは インスタグラムを通じて、広く県内の公園に関する情報発信を重ねておられます。

 

 

 

タイトルは「nagano_park(ながのぱーく・公園と長野県が大好き)」で、4,000人をゆうに超えるフォロワー登録がある人気のインスタです。

で、フォロワーのほぼ100%が「子育て中のママ」であることも特徴となっていいるそうです。

 

 

 

Aさんは 県内にあるさまざまな公園に足を運んでは、それぞれの公園の場所や特徴・また遊具やトイレの情報などを〝利用者目線〟でレポートし、そこを利用する人(この場合は子育てママ)にとって有効な情報を発信しておられるそうです。

そして フォロワーである子育てママさんたちは、行きたい公園があれば このインスタを検索したうえで必要な情報を入手し、いわゆる予備知識をもったうえで遊びに行くことができているとのことなのです。

何というか、公園に行きたい子育てママさんにとって「痒(かゆ)いところに手が届く」ような有為な情報となっているそうです。

 

「nagano_park(ながのぱーく・公園と長野県が大好き)」インスタグラム

             ↓

https://www.instagram.com/nagano_park/

 

 

そんな、市民ニーズに応えたインスタを展開する Aさんからの長野市ホームページの評価は…

残念ながら「分かりにくいことこの上なく、欲しい情報が届かない」との 厳しい…というより「困ってます」との切実な声だったのでした。

 

Aさんを初め 多くの子育てママさんたちは、長野市のホームページ(HP)が発信する公園情報に対し 何とも言えないストレスを抱えておられるそうです。

特にAさんは、例えば長野市に嫁(とつ)ぐなどして 初めて長野市で暮らすようになって子宝に恵まれ、そんな中で(子育てに)孤軍奮闘するうちに公園情報が必要になった人が長野市HPを検索したらどう思うか…との まさに当事者目線に立ってモノ申しておられたのでした。

その前提に立っての子育てママさんたちのストレス。

それらを 私が聞いた限りで(ストレスを)列挙すると 下記のようになります。

先ず 長野市HPのトップページ。

子育て奮闘中のママさんにとって「公園」は 子育てに重要なステージであることから、公園に関して調べたいとき 先ずは「子育て」のバナーから入る傾向にあるそうです。

ところが…

 

 

 

子育てママのニーズで 子育て > 公園 の感性でクリックしても、そこには「公園」は存在せず、相談事業や給付などの支援策のみにつながるだけとなっています。

 

 

 

これはなぜか。

このサイト(子育て)が、所管(こども未来部)の情報のみに止(とど)まっているから。

公園のことは、ここ(子育て)では受け持っておらず、それ(公園)を知りたい人は そっち(都市整備部)が所管するサイトに行ってください ということになっています。

長野市HP自体が〝縦割り行政〟の域を出ていないことを示しているのです。

 

それでは と、長野市HPで「公園」で検索をかけると…。

 

 

検索結果には、市内の個別の公園の件がバラバラに列挙されており、初見の人にとっては 何がなんだか分からない情報が並んでいるだけなのです。

 

 

 

何とめんどくざいことに、長野市にある一定規模以上の公園を検索しようとしたときには「都市公園」で検索しないと到達しないのです。

初見の子育てママが「都市公園」なる行政用語を直ちに思いつくかどうか…懐疑的このうえないところです。

 

 

「都市公園」で検索すると、その何個目かの項目に「長野市内の都市公園」がようやく登場します。

ところが その先が また微妙に分かりにくい内容となっており、Aさん曰(いわ)くの「子育てママのニーズに合っていない」ものだったのでした。

 

 

 

「長野市内の都市公園」をクリックすると、そこには 市内の地区名が添えられた公園のバナーが多数に亘って並んでいます。

この掲載の仕方については われわれ長野市民は、何の疑問も無く許容するところですが、Aさんのいう「初めて長野市で暮らす人」にとっては 困惑させられる掲載じゃないか、と。

曰(いわ)く「長野市に初めて住んだばかりなのに「○△地区の公園」と言われても、そこがどこだか分からない」とのこと。

中には、笑えない笑い話しとして「大豆島」を「だいずじまってどこ?」と真顔で聞かれた事例もあったそうです。

この〝情報の列挙〟は、行政的情報伝達の最たるもの。

「整理はされていても分かりにくい」の典型との指摘であります。

 

 

 

そうは言っても検索を進め、例えば「川中島地区の公園」をクリックすると、それぞれ公園が一覧表で紹介されていますが、これとて 行政情報の域を出ていないとの指摘。

しかもこの一覧表、スマホ対応になっておらず いちいち横にスライドさせないと全容が把握されないようになっており、これが非常にストレスとのこと。

さらに、住所・所在地の次に「面積」が掲載されていますが、これって筆頭にもってくる情報なのか?市民(特に子育てママ)にとっては、備考程度の情報じゃないかとのこと。

行政にとっての序列じゃなく、市民ニーズを考えて情報提示してほしいとのことでした。ごもっともな指摘です。

 

 

 

また、その先をクリックすると(例えば御厨公園)、そこにはグランド部分が大きく掲載されており、アイキャッチ(視覚)に訴える情報としては あまりに物足りないものになっています。

ただ だだっ広いグランド部分を載せるだけじゃなく、現に遊具がある(それも更新しただかり)のに、その(遊具の)全体像を載せるとかしないと、市民(子育てママ)にとって魅力ある公園に映らないのではないかとの指摘でありました。

 

 

 

これだけの事例を挙げても、長野市のHPが 特定の目的を持つ市民のニーズに応え切れていないことが分かります。

そのうえで Aさんは更(さら)に、市民が目的をもって検索しても 載っている情報がバラバラで分かりにくいとの声が多いと指摘されていました。

これを公園に特化すると、例えば 子どもに人気の「フワフワドーム」が どの公園にあるかを検索したくても、個別に公園を検索して それ(フワフワドーム)があるかを調べなければならず、これがもし 公園のサイトに「フワフワドーム」がキーワードとしてあれば、ワンストップで検索できるのに…という指摘が多くあるそうです。

 

 

 

また、長野市(北国)ならではの特徴「トイレの冬季閉鎖」の情報についても指摘が。

「私たちは、別にトイレの冬季利用を求めているのではありません。(冬季に)使えないのなら、その情報を掲載しておいてもらいたいのです。」とのことでありました。

例えば トイレトレーニングの子を持つ最中(さなか)のママさんにとって〝トイレ情報〟は非常に大切で、使えると思って行ったトイレが閉鎖されていると 子どもが間に合わない事態にもなり、誤情報や無情報は非常に困る とのことです。

 

ちなみに 長野市は、今年の2月に ホームページをリニューアルしたばかりなのです。

より使いやすく分かりやすい情報媒体となれるよう、創意工夫を重ねてきたところでありました。

しかし 実際には。

公園という個情報に限ってみても、これほどの「使いにくさ」が指摘されるに至っています。

 

 

 

このこと(課題)は、何も公園に関してだけではないでしょう。

市とすれば、使いやすさを求めて改善したハズのホームページが、市民目線で しかも特定の価値観(目的)を持った人が検索すると、いつの間にか〝迷路〟に入り込んでしまうものであるとすれば、それは結果として評価されないモノになってしまいます。

そのうえで 今回の公園情報については、先ずは所管課が 情報内容の精査と掲載方法(ジャンル分けなど)に工夫することが求められたほか、それを市民ニーズに即して横断的に掲載する広聴広報課の裁量が求められるところであります。

 

「自治体のホームページは、行政情報であるが行政情報にあらず。それは「生活情報」でなければならない。」

改めて 情報発信の難しさを実感すると同時に、当事者感覚が いかに的を得ているかを再認識した、貴重な学びの時間でありました。

 

長野市長が 青木島遊園地廃止の経緯 庁内に委員会設置し検証へ

29日の報道で 長野市の荻原市長が、市の半ば一方的な都合で廃止した「青木島遊園地」について、その(廃止の)経緯について 庁内に委員会を設置したうえで検証することを表明したことが報じられました。

 

 

 

報道の内容は下記のとおりです。

近隣住民からの騒音への苦情などをきっかけに長野市が公園を廃止した経緯について、荻原健司市長は、近く庁内に委員会を設置し、検証する考えを示しました。

長野市が先月末で廃止した「青木島遊園地」をめぐっては、廃止に至る地元との合意形成が十分にできていなかったほか、関連する公文書が残されていなかったり、事実と異なる記載がなされたりするなど、市側の一連の対応に対して、地元住民や市議会から批判が相次いでいます。

29日の会見で、長野市の荻原市長は一連の経緯を検証するために近く、副市長をトップとする委員会を設置する考えを明らかにしました。

荻原市長は「検証によってどこが間違っていたかはっきりすると思う。場合によっては新たなマニュアルなども必要になると思う」と話していました。

また、廃止した公園に代わる新たな遊び場の計画案について、荻原市長は、今月行った保護者説明会や、近く行う地区住民への回覧での意見も踏まえて、7月末にも最終決定する意向を示しました。

 

この検証委員会が意味するものは何でしょうか。

市行政が、既に終わった行政事業について 改めてその経緯を検証することは、極めて稀(まれ)なことと申せます。

このことについて ある人は「青木島遊園地を廃止に追い込んでしまったことを反省するうえで、その経緯を検証することは評価できる」とおっしゃいます。

一方で ある人は「子どもの気持ちを無視して無理矢理(遊園地を)廃止しておいて、今さら何が検証だ。後になって検証する暇(いとま)があるなら、何で議論となっている時点で立ち止まって考え直さなかったんだ。これは市(市長)のパフォーマンスに過ぎない。」と言って(憤(いきどお)って)おられました。

 

いずれにしても、既に青木島遊園地は ただの更地(さらち)となってしまっています。

子どもの居場所は 大人の都合で奪われることになってしまいました。

何で こんなことになってしまったのか。

 

 

 

私は 今回の検証委員会は、それなりの意味を有していると思います。

長野市の〝歴史的な汚点〟となってしまった 遊園地の廃止を巡る経緯を振り返ることは、同じ過ちを繰り返さないようにするためにも必要な作業であろうと思います。

 

 

 

但し、です。

その検証が、どこをどう検証するのか で、それが真に市民の期待に応えるもの(検証結果)になるかどうかが分かれてくるのではないかとも思うところです。

概して 市(行政)の検証作業というものは〝手続き論〟に終始しがちな帰来があります。

行なった事業が、然るべきルールに則(のっと)り手続きされたものかどうかの検証。

ルールに基づいていれば ○、それを逸脱したり 即していなければ X。以上をもって検証とする。

ただ果たして 今回のように市民感情の機微(きび)に触れた課題について、そのような事務的な検証でイイのでしょうか。

私は違うと思います。

真に検証すべきは、一連の市(職員)の対応は、真に市民の「声」に応えたものであったのか。市民の心に響く対応だったのか。

そここそを「検証」すべきではないか。

 

が、会見で市長は やや気になる発言をされています。

 

 

 

「今後 検証の際に、どこの手順が間違っていたのか(を検証したい)」旨の発言が。

これは もしかしたら、私が懸念した(前者の)〝お役所的検証〟を示唆するものではないでしょうか。

「手順が間違っていたから 遊園地ひとつを廃止するだけのことが こんなに大きく問題視されることになっちゃった。だから今後は、行政事業を行なう際は「手順」を間違えないようにして、あらぬ揚げ足取りをされないようにしよう。」

そんな「検証」であるとするならば、それは 市行政のための検証であり、市民のための検証にはならないのではないでしょうか。

 

今回 いわば突然の形で表明された「検証委員会」この取り組みは、いわば市の姿勢 というより「本質」を表(あらわ)すこととなるでしょう。

どのような推移を辿るのか。

何のための検証か  誰のための検証か…大いに注視してゆきたいと思います。

 

災害対応に「福祉」の視点を =市民と議会の意見交換会=

27日、市役所庁舎において「議会と市民の意見交換会」が開催されました。

この行事は、長野市議会として「より市民に身近な議会の実現に向け 情報公開と市民参画及び市民意見の把握と反映に努めると共に、議会での議論の経過と議決に関する説明責任を果たす」ことを主旨として行なわれているものです。

昨年度からはオンラインによる参加方法を追加して開催しています。

 

 

 

長野市議会においては、4つの常任委員会(総務委員会・福祉環境委員会・経済文教委員会・建設企業委員会)ならびに4つの特別委員会(災害対策等調査研究特別委員会・観光戦略調査研究特別委員会・公共交通対策調査研究特別委員会・水道事業広域化調査研究特別委員会)があるのですが、この意見交換会では テーマを絞ることのできる「特別委員会」について〝分科会方式〟で行ない、それぞれの特別委員会の取り組み課題について関心のある方々を参加者として募り 意見等を伺う中で市政運営に役立てさせていただこうというものです。

私は今期「災害対策等調査研究特別委員会」に所属していることから、同特別委員会の意見交換会に参加しました。

議員間の任務分担の中で 記録係を受け持ったことから発言は叶いませんでしたが、参加された市民の方々の意見を記録する中 参加者各位の識見の高さと、それぞれ発言内容は異なるものの その通底にある〝共通点〟のようなものを実感しました。

 

参加者さんの発言内容は 概ね下記のとおりです。

「災害対応は、行政・社協・NPOの三者連携 日頃からのコミュニケーションが大事。このことは令和元年東日本の際に実感した。互いに支え合わなければならない」

「この度 住民パワーで新たに自主防災会を発足させた。先ずは地区全体のタイムラインをつくってゆきたい」

「災害対応について、県⇔市が適切に連携してほしい。排水機場について、未だ全機が稼働できてない地区の対応・設備(排水機場)/市が所管⇔堤防/県が所管 と所管が違い、設備は改善されても堤防の高さが改善されていないなど「ちぐはく」な状況にあるので連携を。また排水機場の操作について判断基準や手順が煩雑なのでもっとシンプルにしてほしい」

「さきの令和元年東日本台風の『長野市災害記録誌』を読むと「災害関連死」についての分析が見られない。「命の灯を消さない取り組み」が見られない。それ(災害関連死)を防ぐ議論があったのか。また、在宅避難への支援・障がい者など 弱者への議論が見えない。「こぼれ落ちそうな方を救う議論が必要」

 

 

[参考]令和元年東日本台風 長野市災害記録誌

         ↓

https://www.city.nagano.nagano.jp/documents/668/363607.pdf

 

 

「災害弔慰金について、死亡理由など「背景」は公表されているが、そのうえで次にこのようなことが起きないよう検証と対応が重要」

「災害対策と避難所対策は一連の流れの中にある。せっかく助かった命を その後の生活の中で失なうことのないように支援が必要」

「福祉避難所について、学校体育館の指定はやめてもらいたい。学校については、市職員が派遣はされるものの(施設側としては)主に日直と教職員が対応する。しかし教職員に避難所運営のスキルは無く、避難者・施設の双方に負担感が増す。また学校でコロナやインフルなどリスク発生の際には 避難者と生徒の双方に大きな被害(感染拡大)が出るリスクが高い。また発災後に帰宅したくても、応急危険度判定員の判定が無ければ戻れないので、それら人材の把握と育成を」

「盲学校については、機材やスタッフも代わりがいないので 避難所には適さない」

「観光客の避難対応について、所管は観光課だが 危機管理課とどう連携しているのか」

「堤防は日常的に多くは軽車両の通行に止まり、脆弱なまま。敢えて多くの車両を通して転圧を進め強靱化すべき。大型車両の交互通行で強靱化を」

「柳原地区は水害のメッカ。避難用ボート(小舟でいい)の配備を」

「上水道が使えないときのために、井戸の活用をすべき。現状把握と配備を」

「福祉避難所について、原則は 小学校などの一時避難所から随時移行することになっているが、R3から国が方針転換したこともあるので、条件の合う人は 最初から福祉避難所へ行けるようにすべき。ほとんどの自治体は「先ずは一時避難所へ」の方針が変わってないので、大きな台風を経験した長野市は、先駆けて最初から福祉避難所へ行けるようにしてほしい」

 

 

 

「女性の立場で、乳幼児を抱えた女性に配慮を。避難などのマニュアルは改善されているが、読みやすい簡易な資料を作成して」

「近年 オートキャンパーが増えており、自炊の技などの災害時の活用に期待できるので、それらを契機に若い人たちにも防災に関心をもってもらうようにしたら」

「ペットの同行避難は、避難所までは行けるが 飼育はあくまで外でしなければならず、室内飼いの飼い主は避難所へは入らない。今後は 同行避難から「同伴避難」へ進化させて。ただ 犬猫嫌いやアレルギーもあるので、南北の運動公園などで棲み分けを」

「防災無線は聞こえないので個別(戸別)無線機の装備を。また、災害情報の際には 対象エリアを細かくしてほしい」

「災害の重点点項目に「自助・共助」はあるが「公助」が無いのでは」

「危機管理部門だけではできない問題がある。行政は「縦割りから横割へ」の意識改革を。そのために議会が機能すべき」

「防災アプリについて。長野市は立ち上がりが遅く情報まで1分以上もかかる」

「在宅避難・措置避難の支援を。そのために 障がい者や避難困難者を対象にした訓練を行なうべき」

「災害情報について。アプリに統一性が無く、結局いろいろなサイトを見なければならなくなる」

「基地局がやられると、アプリに頼った体制はマヒする恐れ。またスマホバッテリーについて 例えば個別の安否確認だけでスマホのバッテリーが終わってしまうので、ワンストップで確認できるサイトの設営・併せてスマホの充電箇所の充実を」

「災害備蓄庫の中身が古いままなので、点検を」

「意見交換会の展開を、発災前・発災時・発災後に分けて(整理して)行なうべき」

「地震多発の昨今、家具固定の啓発など「市民ができること」の啓発を」

「災害の状況によっては対応が異なる。実情に合わせた防災訓練を行うべき」

「今回の意見交換会は、単なる要望や意見陳述に止まり 行事の主旨に即していないのではないか。次回から改善を求める」

等 でありました。

 

参加者の方々のご意見を拝聴するうち、ある〝共通点〟に気づかされました。

それは、災害対応について それぞれの方々は、インフラ整備などのハード事業を求めているというよりも、いわゆる人為(じんい)に基づく ソフト面の充実を求めているところであります。

例えばご意見の中で、一見「排水機場の整備」とのハード事業を求めているように感じ取られる内容も、ヨク聞けば「県と市の連携を求める」ものであり、避難所運営についても 福祉事務所の運営について合理的な行政判断を求める などとしています。

とりわけ 私が印象深かったのは「災害関連死」の話題でありました。

大災害が発生した際、行政などの関係者は 先ずはインフラ整備などのハード面の復旧に傾注します。これはこれでやむを得ないところですが、災害というものは、発災→社会インフラ復旧 が集結点ではない。

むしろ 被災者の困難は、その後から始まるのではないか。

そして〝その後の生活〟の中で 立ちゆかなくなったり 体調を崩すなどして、せっかく災害を乗り切った身体に 後になって重大な心身の耗弱がもたらされるとすれば、そんな残念なことはありません。

行政は〝その後〟にまで温かい心をもって接し、被災した人が 引き続き生命(いのち)を長(なが)らえることができる支援に努めるべきである。

 

そういう面からして、私は 災害対応に「福祉」の視点が欠かせないのではないかと思いを新たにしました。

当事者の立場に立って(被災者に)寄り添うこと・社会生活に限界のある人たちを支える「心」をもって接すること…自然災害からの復興(復帰)は「自己責任」が基本であります(これについても釈然としないものはありますが)が、そのうえであるにしても 被災者を福祉する視点で対応策を講じることこそが、行政(政治)に求められていいることを再認識させられました。

 

今回の参加者の方々は、非常に高い識見とスキルをもって「災害」という事象に向き合っておられることを実感しました。

私たち議会の者は、かかる市民の方々の高い社会関心を受け さらなる努力を重ねてゆくべきことを大きな成果(=課題)として受け止めたところでありました。

 

 

〝市内の小学校に第三者が侵入〟の事案に思わされる、学校の「開放」と「セキュリティ」の難しさ

中野市で発生した重大事案の陰(かげ)に隠れた格好になっていますが、かの事案と同じ日(25日)の朝、長野市の小学校に男が侵入し 男子児童に液体をかけた事案が発生しているのは ご案内のとおりです。

(前掲の)中野市の事案に比すれば およそ大したことの無いように見える事案でありましたが、見方によっては 周囲のさなざまな影響が及ぼされることを思わされたところであります。

 

事件は、25日朝 長野市南部の小学校の校門付近で発生しました。

長野冬季オリンピックの開閉会式だった「南長野総合運動公園(オリンピックスタジアム)」の近接にある小学校です。

 

 

 

報道によると、25日(火)朝の自由時間のとき 児童たちが校門付近で「かくれんぼ」をして遊んでいて、チャイムが鳴った(8:15)ので校舎に入ろうとしたときに 男が敷地内に侵入し、児童たちを追いかけまわしたうえ 中の1人(低学年男児)にペットボトルのような容器に入った黄色い液体を服にかけ逃げたということです。

男子児童は救急搬送されましたが、ケガはありませんでした(後に液体は「お茶」であることが判明)

通報を受けて付近を捜査していた警察官が 通報から約3時間後に、付近を歩いていた(侵入したと覚(おぼ)しき)男を発見し、事情を聴きました。が、男に知的障がいがあることが判り その後は保健所と連携して対応しているとのことです。

なお 学校の入り口は正門の1ヶ所のみで、男はそこから侵入したとみられています。

 

 

 

今回の案件は、外部と素通しになっている校地内で発生しました。

この小学校は 入り口は1ヶ所のみですが、そこは門扉が閉じられているワケでもなく いわば開放してある状態でしたから、誰でも出入りできる状態にありました。

そのうえで、学校建屋の入り口(事務室)には受付簿や 受付を経て校内に入っていることを証明する札(ふだ)のようなものがあり、そこ(建屋入り口)でセキュリティを維持するようになっており、この(管理)状況は 市内の殆(ほとん)どの学校がそうなっているようです。

 

学校 とりわけ小中学校における第三者の侵入事案は、全国的に少なからず発生しているところであります。過去には 他市で児童生徒や教職員など関係者の身体生命を脅かす事案(事件)も起きていることから、長野市においても注意を怠りなくすべきことは当然のところであります。

また、今回 児童の身体にかけられた液体は「お茶」だったからよかったようなものの、これが強酸のような毒性や刺激性の強い液体であれば 皮膚等に重大なダメージを及ぼすようなことにもなり、そういう点でも予断ならないところでありましょう。

そのような〝防犯〟の面からいえば、今後は よりセキュリティを厳しくし、第三者がみだりに校地内に入ることができない仕組みをつくることが求められているのかもしれません。

一方 地域に在する学校と地域住民との関わりも大切なことであり、何でも無碍(むげ)に立ち入り禁止とすることがヨシとも言えないとも思うところです。

例えば知見を有する地区住民の人が学校を訪れ、児童生徒にさまざまな経験値を伝える〝教育ボランティア〟などは、児童生徒にとって「生きた教材」であり、大いに歓迎すべき取り組みでもあります。

いずれにしても 学校における「開放」と「セキュリティ」の難しさを再認識させられたところでありました。

 

そんな中、さきに示された「青木島こども未来ビジョン」の中には 青木島小学校の〝地域への開放〟が大きく謳(うた)われており、このことについて 今回の事案等に鑑み〝不安視〟する声が寄せられています。

 

 

 

地域の子どもの居場所でもあった「青木島遊園地」を市の一方的な都合で廃止したあげく、その〝名誉挽回〟とばかりにブチ上げられた「青木島こども未来プラン」ですが、その遍所(へんしょ)に〝無理〟があることが指摘されており、このまま計画を進めれば 結局こどもたちにリスクを負わせることになってしまうのではとの厳しい指摘が寄せられています。

そういう観点で寄せられた不安の一つが「地域等への開放」です。

 

 

その(不安の)通底には、何だか長野市は この計画について美辞麗句を並べ「(計画は)良いとこばかりですよ。」と宣伝ばかりをしているのではないかとの不信感があるのです。

この「地域等への開放」についても、今回起きてしまった〝侵入事案〟のような不測の事態への対応は想定しているのか?イザというときに児童生徒をどのように守ってゆくとの裏付けはあるか?など 不明な点が多く、直ちに計画を容認することはできないというのが 保護者の方々の本音でありましょう。

市行政サイドにおいては、お題目ばかりを並べるのではなく 本当に関係者が安心できる裏付けを示したうえで(市民に)向き合うようにしないことには、またぞろ〝絵に描いた餅〟の誹(そし)りを免れません。

とりわけ「青木島こども未来プラン」の起案者においては、それらも踏まえて 関係者に真に安心・納得してもらえる〝プラン〟を示すことが強く求められるところです。

 

 

さて ところで、今回の案件の中で 私はもう一つの問題を感じ取らされたものでした。

小学校に〝侵入〟した男性(A者)のことです。

報道によると、このA者は 知的障がい者であったとのこと。

さすれば このA者、もしかしたら悪意をもって〝侵入〟したんじゃなかったのではないか。

通りかかった小学校の門前で、何やら子どもたちが 楽しそうにかくれんぼ遊びをしている。

自分も仲間に入りたいと思ったけれど、うまく自己表現ができないままに感情ばかりが高まって校地内に飛び込んでしまい、勢いで 手にしたペットボトルの液体(お茶)をふりかけてしまった。

やや性善説に過ぎるとは思いますが、私とすれば いわゆる「悪気は無かった」うえでの行き過ぎた行為であったと解釈する(したい)ところであります。

前述のとおり 知的障がい者さんにおいては、自己表現やコミュニケーションの仕方が上手(うま)くできないことから、ときに周囲に誤解されたり 場合によっては悪意をもって受け止められることもあり、その対応は難しいところであります。

今回の事案も そんな難しい(ややこしい)状況が重なり合って起きてしまったと考えられるところであり、それらをもってしても 対応の難しさを実感させられました。

 

5月のある日 突発的に起きた事案は、私たちにさまざまなことを考えさせることとなったものでありました。

 

いったい 何が? =重大事件の〝ローカル化〟に戦慄=

「あんな田舎まちで なぜ?」事件の報に接し、にわかに信じられない思いでした。

既に全国を席巻し みなさんご案内のとおり、中野市で 猟銃が使用された凶悪事件が発生しました。

事件の詳細については ここでは論調を控えるところですが、驚くべきことは かかる重大事件の舞台が、いわゆる〝田舎町〟で起きたことでしょう。

事件現場となった中野市は、長野県北部にある人口約4万人の地方都市です。

 

 

 

特に 事件現場となった「江部(えべ)」周辺は、通称「延徳田んぼ」と呼ばれる 昔からの営農地域で、まさに長閑(のどか)を地でゆくローカルエリアなのです。

 

 

 

そして、中野市といえば「うさぎ追いし かの山 小ぶな釣りし かの川~」の、里山の風景を歌った唱歌「ふるさと」の歌詞のモチーフとされ この唱歌の作詞者である国文学者の高野辰之先生(1876~1947年)の出身地であることも知られています。

 

実は かくいう私、30才の頃 人生の紆余曲折の中で、この「江部」にある工場に 数年間に亘り勤めたことがあるのですが、その際にも〝延徳田んぼ〟の長閑(のどか)な風景を実感したものでありました。

 

そんな田舎町で、まさか社会を戦慄させるような重大事件が発生するとは…。

側聞すると、事件の背景については 非常に複雑なものが絡んでいるようであり、今後の捜査の進捗が待たれるところですが、私も含め 多くの人が驚き憂慮するのが「重大事件の〝ローカル化〟」ではないか と。

これまでは 銃器を用いて人の生命財ち産を奪うなどの重大事件は、いわば〝都会で起きるもの〟が定説でありました。

それが今や、全国の田舎まち(地方都市)で 頻繁にとも言うべき頻度で発生しており、憂慮に堪えないところです。

地方に暮らす人たちは「こっちは田舎町だから大丈夫」との いわば根拠に乏しい〝正常化バイアス〟が作用し、例えば玄関を施錠しないまま外出したり 車のカギを抜かないまま駐車することが、半ば当たり前のように行なわれてきました。

ところが、今や そういうワケにはゆかなくなっている。

ましてや、今回のように猟奇ともいえる重大事件が かかる〝延徳田んぼ〟の域内で起きてしまったことに「もはや田舎とて 絶対に安全とは言い切れない」と思わされたところです。

 

また 今回の事件は、わが国の治安の状況変化・猟銃を初め 用途によっては重大な危険物ともなる所持品管理の在り方・警察官の自己防衛や犯人への対応の在り方など、改めて考えさせられることにもなっています。

今回の事件で生命財産に重大な被害に遭われた方々に哀悼とお見舞いの意を新たにいたすと同時に、こんなことが こんな田舎で起きることなど無いよう願うばかりであります。

 

却(かえ)って子どもに教えられる =人と人との在り方=

〝大人の価値観〟で捉(とら)えれば 大きな争議に発展してしまうような問題が、無垢(むく)な子どもの「逆転の発想」で 場の空気自体が(イイ意味で)変わってしまい、却(かえ)って子どもに教えてもらうこととなりました。

 

数日前、小学校低学年の女児(A子ちゃん)の親御さん(Bさん)から相談のLINEが。

訊(き)けば、登校中に 横断歩道の無い場所(道路)を横断した同級生男児(C太郎くん)を「そこは渡っちゃいけないトコだよ!」と注意したところ、C太郎くんは逆ギレし Aちゃんの顔を強く叩いてきたそうです。

ただでさえ小柄なA子ちゃんは、男児のC太郎くんの突然の暴力によって鼻血を出すなどのケガを負ってしまったそうです。

驚くべきは そのことについての担任の一言です。

担任は、A子ちゃんのケガを案じながらも A子ちゃんに対し「A子ちゃんも 言い方がキツかったから叩かれちゃったんじゃないの。」と言い放ったそうです。

それを聞かされたA子ちゃんは 友だちに正しいことを言ってあげたのに叩かれ、あげく信頼を寄せる担任の先生からも 自分(A子ちゃん)に非があるようなことを言われ、心身共に傷ついてしまったそうです。

これは正(まさ)に〝話しのスリ替え〟でしょう。

本来 担任は、先ずはC太郎くんが横断歩道以外の場所を渡ったこと そして理由の如何(いかん)に関わらず暴力を振るってはならないことを諫(いさ)め、そのうえで 勇気をもってC太郎くんを注意したA子チャンの行為は、褒(ほ)めることはあっても「そんな言い方だから…」などと詰(なじ)ることは筋違いも甚(はなは)だしいところでありましょう。

一連の出来事を聞かされ、それも愛娘も悪いようなことを言われたBさんは 到底納得できるものではなく、後日 担任はもとより教頭も交えてこの顛末(てんまつ)について話しをすることにしてるとのこと。

私も この顛末に強い違和感を覚えたことから、今後の事実確認の際には こちら(A子ちゃん)にも非があるようなことを それも本人に対して言い放つデリカシーの無さに抗議すると同時に、C太郎くんやその保護者に対して どのような話し(聴取)をしたのか確認するようアドバイスしました。

 

今回のことは いわば〝大人の価値観〟に依(よ)れば、それぞれの者が保身に走り 事(こと)の決着をつけずに、自分の立場は守りながら 責任を押しつけ合って〝玉虫色〟に収めようとするハラが見えます。

そんな中 であります。

一番の被害者であるハズのA子ちゃんが にわかに信じられないような「金言」を口にし、私は 大いに感心させられました。

何と A子ちゃんは「ワタシ、これからC太郎くんと仲良くなろうと思う。仲良くなれば 叩かれることなないでしょ。」とママのBさんに告げたとのことでした。

何という素晴らしい発想。もっと言えば 大人での価値観では思いつかない発想と言えるでしょう。

自分は全く間違えていない。なのに 理不尽にC太郎くんに叩かれ、あげく信頼する担任からも「A子ちゃんも悪い」ようなことを言われれば、こちら(A子ちゃん)がヘソを曲げても何ら不思議はありません。

しかし、A子ちゃんは 実に大きな器(うつわ)の持ち主だったのです。

今回 C太郎くんが私(A子ちゃん)を叩いたのは、C太郎くんと意思の疎通が無かったからじゃないか。

だったら、いっそ 私の方からC太郎くんに歩み寄っていこう。

その結果 彼との意思の疎通が得られたならば、叩かれるなどの反発し合うような間柄にならないんじゃないか。

理不尽な扱いを受けながらも、A子ちゃんは 敢えて相手(C太郎くん)の懐(ふところ)に飛び込もうとしている。

そして、そのことこそが 対立の構図を避け、最良の解決方法につながる。

そのことを 幼心ながら感じ取った優しい感性には、感心するばかりでありました。

 

 

・・・・・・。

一連の A子ちゃんの素晴らしい感性に基づく考え方を聞いて、図らずも私は「青木島遊園地問題」を重ね合わせたところです。

この問題を振り返れば、一部の苦情者の一方的な「声」を怖(おそ)れた所管課職員は ただただ相手の要求を呑(の)むばかり…そして無為に時間ばかりが経過し 事態はのっぴきならないところまで突き進んでしまった。

もし こんな事態に至る前の所期の段階で、所管課職員(それは公園管理者に限らず)が積極的に苦情者に歩み寄り、相手の言い分を聞くに併せて市の(チルドレンファーストの)考え方を丁寧に伝え 理解を得る努力を重ねていたとすれば。

少なくとも 無碍(むげ)に遊園地を潰して〝ナントカビジョン〟なる大風呂敷を広げるようなことにはならなかったのではないか。

 

今回の A子ちゃんの勇気ある行動を巡っての顛末は、相変わらずの 大人の価値観による「議論のスリ替え作為」を見せられると同時に、そんな小(こ)つまらないプライドに拘泥(こうでい)する大人の了見を大きく超えた、子どもの 無垢(むく)で、でも広い心に基づく考え方の素晴らしさを見せてもらった感でありました。

 

却(かえ)って子どもに教えられる =人と人との在り方=

〝大人の価値観〟で捉(とら)えれば 大きな争議に発展してしまうような問題が、無垢(むく)な子どもの「逆転の発想」で 場の空気自体が(イイ意味で)変わってしまい、却(かえ)って子どもに教えてもらうこととなりました。

 

数日前、小学校低学年の女児(A子ちゃん)の親御さん(Bさん)から相談のLINEが。

訊(き)けば、登校中に 横断歩道の無い場所(道路)を横断した同級生男児(C太郎くん)を「そこは渡っちゃいけないトコだよ!」と注意したところ、C太郎くんは逆ギレし Aちゃんの顔を強く叩いてきたそうです。

ただでさえ小柄なA子ちゃんは、男児のC太郎くんの突然の暴力によって鼻血を出すなどのケガを負ってしまったそうです。

驚くべきは そのことについての担任の一言です。

担任は、A子ちゃんのケガを案じながらも A子ちゃんに対し「A子ちゃんも 言い方がキツかったから叩かれちゃったんじゃないの。」と言い放ったそうです。

それを聞かされたA子ちゃんは 友だちに正しいことを言ってあげたのに叩かれ、あげく信頼を寄せる担任の先生からも 自分(A子ちゃん)に非があるようなことを言われ、心身共に傷ついてしまったそうです。

これは正(まさ)に〝話しのスリ替え〟でしょう。

本来 担任は、先ずはC太郎くんが横断歩道以外の場所を渡ったこと そして理由の如何(いかん)に関わらず暴力を振るってはならないことを諫(いさ)め、そのうえで 勇気をもってC太郎くんを注意したA子チャンの行為は、褒(ほ)めることはあっても「そんな言い方だから…」などと詰(なじ)ることは筋違いも甚(はなは)だしいところでありましょう。

一連の出来事を聞かされ、それも愛娘も悪いようなことを言われたBさんは 到底納得できるものではなく、後日 担任はもとより教頭も交えてこの顛末(てんまつ)について話しをすることにしてるとのこと。

私も この顛末に強い違和感を覚えたことから、今後の事実確認の際には こちら(A子ちゃん)にも非があるようなことを それも本人に対して言い放つデリカシーの無さに抗議すると同時に、C太郎くんやその保護者に対して どのような話し(聴取)をしたのか確認するようアドバイスしました。

 

今回のことは いわば〝大人の価値観〟に依(よ)れば、それぞれの者が保身に走り 事(こと)の決着をつけずに、自分の立場は守りながら 責任を押しつけ合って〝玉虫色〟に収めようとするハラが見えます。

そんな中 であります。

一番の被害者であるハズのA子ちゃんが にわかに信じられないような「金言」を口にし、私は 大いに感心させられました。

何と A子ちゃんは「ワタシ、これからC太郎くんと仲良くなろうと思う。仲良くなれば 叩かれることなないでしょ。」とママのBさんに告げたとのことでした。

何という素晴らしい発想。もっと言えば 大人での価値観では思いつかない発想と言えるでしょう。

自分は全く間違えていない。なのに 理不尽にC太郎くんに叩かれ、あげく信頼する担任からも「A子ちゃんも悪い」ようなことを言われれば、こちら(A子ちゃん)がヘソを曲げても何ら不思議はありません。

しかし、A子ちゃんは 実に大きな器(うつわ)の持ち主だったのです。

今回 C太郎くんが私(A子ちゃん)を叩いたのは、C太郎くんと意思の疎通が無かったからじゃないか。

だったら、いっそ 私の方からC太郎くんに歩み寄っていこう。

その結果 彼との意思の疎通が得られたならば、叩かれるなどの反発し合うような間柄にならないんじゃないか。

理不尽な扱いを受けながらも、A子ちゃんは 敢えて相手(C太郎くん)の懐(ふところ)に飛び込もうとしている。

そして、そのことこそが 対立の構図を避け、最良の解決方法につながる。

そのことを 幼心ながら感じ取った優しい感性には、感心するばかりでありました。

 

 

・・・・・・。

一連の A子ちゃんの素晴らしい感性に基づく考え方を聞いて、図らずも私は「青木島遊園地問題」を重ね合わせたところです。

この問題を振り返れば、一部の苦情者の一方的な「声」を怖(おそ)れた所管課職員は ただただ相手の要求を呑(の)むばかり…そして無為に時間ばかりが経過し 事態はのっぴきならないところまで突き進んでしまった。

もし こんな事態に至る前の所期の段階で、所管課職員(それは公園管理者に限らず)が積極的に苦情者に歩み寄り、相手の言い分を聞くに併せて市の(チルドレンファーストの)考え方を丁寧に伝え 理解を得る努力を重ねていたとすれば。

少なくとも 無碍(むげ)に遊園地を潰して〝ナントカビジョン〟なる大風呂敷を広げるようなことにはならなかったのではないか。

 

今回の A子ちゃんの勇気ある行動を巡っての顛末は、相変わらずの 大人の価値観による「議論のスリ替え作為」を見せられると同時に、そんな小(こ)つまらないプライドに拘泥(こうでい)する大人の了見を大きく超えた、子どもの 無垢(むく)で、でも広い心に基づく考え方の素晴らしさを見せてもらった感でありました。

 

コロナ5類移行から約2週間

夜半(零時過ぎ)になって、PCが動作不良に陥(おちい)ってしまいました。

画面の真ん中に 何やらパスワードを入力せよとの窓が出現したので、思いついたパスワードを入力。ところが、どのパターンを入力しても動作せず 動作不良(フリーズ)のままです。

仕方がないので、翌朝になって取引のあるOA会社のサービスマンさんに訊くと、契約の問題じゃないかとのアドバイス。

そこで、0120で始まるサービスセンターに電話をかけたのですが、それが「回線が混み合っています」で全くつながらない。

さんざん待ってようやく(電話が)つながり、そこからまたアドバイスを受けながら操作し、やっとこさ動作するに至りました。

 

日頃は便利に使っているPCですが、いざトラブルとなると 自分ではどうすることもできません。

(メンテの)知識が無いということは、(トラブルの際)如何(いか)に無力かということを自覚(自戒)させられます。

パソコンにスマホにと「文明の利器」を当たり前のように使っていますが、その(便利な)環境の上に胡座(あぐら)をかいている自分がいて その者(自分)は、いかほどの危機管理能力も無いまま日々を過ごしているのです。

ちょっとしたトラブルが 存外に尾を引くことになったこの日、今や活動に欠かせなくなっているPCなどの機器の扱いについて より気を配ってゆかなければと思いをいたしたところです。

 

 

 

 

◇コロナ感染症「第5類に移行」から 約2週間が経過→大過なきも やはり〝受診・治療(検査)控え傾向〟か

社会を席巻した「新型コロナウイルス感染症」について これまで国を挙げての対応が為(な)されていた「2類相当」から、この5月8日をもって 季節性インフルエンザ等と同等の「2類」に移行(引き下げ)されているのはご案内のとおりです。

このこと(5類移行)に伴い、感染者集約が定点病院のみで行なわれ 公表(報告)が水曜日のみとなったり、(コロナの)診療費が一部有料になるなど その対応が従来と変わってきています。

 

 

 

あれから約2週間。

前掲のとおり、これまで連日に亘り公表(報告)されてきた感染者数や 無料だった診療費(治療費)が有料になったことでコロナ対応の様態が変わってくる(再悪化)ことが懸念されたところですが、感染者数については 今のところ大きな変化は無く、これまでと同様に〝低数横ばい傾向〟を維持しているようですが、診察・受診の様態には 若干の変化がみられるようです。

さきの報道によると、先週の水曜日が 5類に移行してから初の発表日であったことから注目されましたが、結果は 県内の医療機関で、1つの医療機関当たり3.65人と4人に満たず 先週(2類の頃)とほぼ横ばいだったとのことでした(これまでの全数把握からインフルエンザと同じ県内88医療機関での1週間ごとの定点把握に変更)

報道の内容は「保健所別では 北信で10.40人と最も多く、次いで上田の6.38人、松本市の4.60人などとなっています。年齢別にみると、20代と40代の割合が多くなっていて 県では大型連休中に動きのあった年代で増えている可能性もあるとしています。入院している人は16日現在で109人、うち重症が4人・中等症が11人。患者の数の把握方法は変わったものの、ほぼ横ばいで推移している」としていました。

 

 

 

長野市保健所に照会すると、長野市においても 5類移行後は「感染症情報」として 季節性インフルエンザと同じ表(ひょう)の中で感染状況を報告することになっています。

 

 

 

コロナ感染症も 感染性胃腸炎やインフルエンザと同じ調査の枠に入れられ、週1回の報告の遡上に載ることになっています。

 

 

 

ちなみに〝5類初登場〟のため、週ごとの発生者数を示す折れ線グラフは「点」のみで 2点以上を結ぶ「線(折れ線)」を成していません。今後 報告が第2週~3週と続くうちに、発生件数の変化が目視されるようになります。

 

 

 

今後も いわば粛々と感染者の推移は公表(報告)されてゆくことになります。

今のところは「2類相当」から大きな変化は無いところですが、5類になったとしてもコロナが居なくなった・または弱毒化したワケでは決してありませんので、今後も最大限の注意を払いながら社会生活を送るべきことは言うまでもありません。

 

[参考]長野市感染症情報/長野市HP

       ↓

 

長野市感染症情報

長野市

 

 

 

ところで「5類移行」の もう一つの大きな変化である「診療費(治療費)の一部有料化」に伴い、医療現場は(案の定)変わりつつあることが 併せ報じられています。

有料化に伴う〝治療控え傾向〟です。

 

 

 

 

報道によると、県内(松本市)の医院でも コロナ受診の一環でもある「PCR検査」を希望しない患者が増えているとのこと。

これまで無料だった検査費用が、診察料と合わせ 約5.000円かかるようになったことからか、今までは医師が検査を勧めれば受けていた患者が「検査はいりませんので診察だけお願いします」という風に変わってきているそうです。

ところが これが痛しかゆしとなっているそうです。

というのも 医師曰(いわ)く「風邪でもコロナでも、熱が出た・のどが痛い・咳や痰(たん)が出るといった初期症状は共通しているので、それがコロナなのかはPCR検査をしてみなければ分からないのです。しかし それが任意(有料)となれば、医師から強制的に(PCR検査を)受けさせることもできず、(コロナか否か)ハッキリしないままに処方しなければならないのです。」とのこと。

 

 

 

また、万が一の入院調整についても 医療機関相互の手に委ねられることになっていることから、現場の負担が増すことへの危惧が吐露されていました。

 

コロナ5類移行については、前掲のとおり 今のところ大過なく推移しているようですが、今後の状況によっては 患者の増加や医療現場の混乱(負担増)など、不測の事態に至ることは無いとは決して言えず 相変わらずの予断なき対応が求められるところでありましょう。

そのような中 この時期にインフルエンザが流行(はや)り始めているとの一部報道もあり、私たちは さまざまな流感に注意しなければならないようです。

それにつけても、コロナ感染症に有効な口径薬の供用が待たれるところであります。