長野市議会議員会派

改革ながの市民ネット

令和5年6月議会 個人質問で登壇 =「青木島こども未来プラン」について問う=

開会中の長野市議会 令和5年6月議会の本会議において、個人質問で登壇しました。

 

 

 

私は今回、青木島遊園地廃止問題から派生した 青木島小学校の放課後児童問題を中心に質問展開しました。

以下、質問⇔答弁の概要です。

これまでも触れているとおり、長野市は 半ば一方的に青木島遊園地を廃止し、そのうえで今度は 隣接する青木島児童センターを廃止し、青木島小学校の校内(児童プラザ)に移転統合しようと「青木島こども未来プラン(案)(以下/プラン)」として計画を進めています。

しかしながらこの計画を改めて検証すると、現在の青木島小学校の児童数や空き教室の状況(実態)を度外視し「移転統合ありき」のままに(計画を)進めようとしている帰来があるのです。

これはまさに、さきに一方的に青木島遊園地を廃止した経緯と同じ流れであり、これを看過すれば またもや〝大人の都合〟で罪も無き放課後児童が弄(もてあそ)ばれることになってしまいます。

そのような事態(同じ轍/てつ)は、何としても避けなければなりません。

そこで先ず、この「青木島こども未来プラン(案)」が、(案)とはいうものの 既にこの計画どおり進めることになっている、もはや既定路線なのではないかと市民から懐疑的な声が上がっていることを挙げ、果たしてそう(規定路線)なのか、見解を質しました。

 

なぜ冒頭にこのことを聞くのか。それは「青木島遊園地問題」で 市民は大きく裏切られたからです。

2月11日の住民説明会で 遊園地の存続を匂わされ、心ある市民は存続に大きく期待しました。

しかし実際には、裏で廃止の密約ができあがっており、結果 市民は弄ばれた恰好になってしまったのです。

そのことを踏まえれば、今回のプランも既定路線で、誰が何と言おうと「プランありき」となっているのではないかと 多くの市民が強い疑念を抱いています。

そこで、今回のプランについては「計画ありき」ではなく、市民の声を聞いたうえで適切に計画変更してゆくべきと述べたところです。

これに対し 市(企画政策部)は「現段階では あくまで(案)なので、これから広くご意見をいただきながら進めてゆきたい」旨を答弁したことから、市長に対しても「市民の声を聞いて適切に変更するということでいいか?」と問うと「さきほどの答弁のとおり」とし、今後も市民意見を聴取しながら進めてゆくことを明言しました。

 

次に、市民意見の聴取について その〝拙速ぶり〟を指摘。

5月13日に青木島小の保護者を対象にした説明会が行なわれたのですが、その場で唐突な形でプランを絵図で示したペーパーが配られ それは全員が初見なのに、その場で「ご意見のある方はどうぞ」と意見を求められ「発言できなかった人はアンケート用紙にその場で書いて置いてゆけ」と〝即答〟を求める有様(ありさま)でした。

さらにその後、地域に対しては「回覧板」という安易な形で市民意見を求める通知を出し、それも短期の期限で提出を求めるという 非常に拙速といわざるを得ない手順を踏んでおり、またもや市民に負担と周知不足を招いているのです。

このことについてどう考えているのか質しました。

答弁を通じて、どうやら その陰(かげ)には「7月末には結論を出したい」との胸算用があることが感じ取られました。

市は どう見ても拙速で粗い意見聴取なのに、それを拙速と思っていないフシがあります。

これは「こっちは7月末に結論を出したいんだ」との〝自己都合〟が見え隠れするところであり、このことについても 市民の意識とは乖離(かいり)していることを述べておきました。

 

 

 

そのうえで「現場の声」をどう聞き取っているのかを質しました。

すなわち、児童の現状を第一に知るプラザ・センターの支援員さん一人ひとり、さらに学校の教職員一人ひとりの意見や要望を聞き取ったうえで、現状に即した対応を行なうべきとしたうえで、それら意見聴取や計画への反映はどのように行なっているか、さらに青木島小PTAの保護者・児童センター保護者会の親御さんからの意見対応について質しました。

これに対し市(こども未来部)は、これまでも説明会を行なってきたこと・今後も意見を伺いながら進めてゆきたい旨を述べていました。

と いうことは、関係者は これからもドンドンと意見を出し、積極的に計画の改善・改良を求めてゆくべきことが示唆されるところであり、これら答弁を受けて さらに活発な意見具申を行なうべき と思ったところです。

 

そのうえで市長に「子どもの権利」に絡めて見解を質しました。

市長は この青木島こども未来プラン計画の上位計画である「長野市こども〝のびのび〟ビジョン」の筆頭に「子どもの権利を守る施策の充実」を掲げています。

「子どもの権利」の大原則を成している 国連が定める『子どもの権利条約』の4原則の中には「子どもの意見の尊重(意見を表明し参加できること)」が明記されています。

これに照らせば、荻原市長は所信で「子どもの権利をしっかりと守る」を明確に表明していることから、例えば青木島こども未来プランの策定に向けても子どもの意見を尊重すべきです。

市長に、その考えがあるか、さらに踏み込んで 子どもの声を直接聞き取るつもりがあるか質しました。

すると市長は「子どもの声も聞きながら計画を進めてゆきたい」旨の答弁が。

で あるとするなら、どのように子どもの声を聞き取ってゆくのかを 再度質したところ、その後はこども未来部長の答弁となり 同様の趣旨の答弁。

いずれにしても「子どもの声を聞く」ことの言質(げんち)は取れましたので、今後の取り組みに加味すべきとしたところです。

 

次に、現在の青木島小学校の生徒数や空き教室の無い状況、さらにセンター・プラザの利用児童数を考え合わせたうえで、直ちにセンターを校内(プラザ)へ編入統合する作業が、子どもに負担無く、今の青木島児童センター並みの環境を維持したうえで可能と考えているのか質しました。

これに対し 市(教育委員会)は「状況を見据えて調整してゆく」旨の答弁。

逆に言えば、今の状況で直ちにセンターを(校内に)移転編入することはできないと言っているのと同じと解釈できます。

 

さらに、子どもの新たな居場所として校庭や中庭を示していますが、これが青木島遊園地の環境に代わり得る最適な環境であると考えているか質したところ「さまざまな遊びの場の一つと考えている」との答弁。真正面から応えていないことが分かります。

また、中庭は 地面がインターロッキングで、転倒した際にすぐにケガにつながる危険度が非常に高いと聞いていますが、その現状をどう考えてるか。学校の時間内は校医さんが治療してくれますが、放課後児童がケガを負った場合は、誰が責任をもって治療することになるのか質しました。

すると 市(こども未来部)の答えは「中庭のケガの状況は さほどでも無いと聞いている。転んだ程度のケガは、その都度 保健室で治療している」旨の、事態を軽視していると言わざるを得ない〝軽い答弁〟に終始していました。

また 放課後児童のケガについては「その一義的な責任は社協にある」と逃げたうえで「ケガを負ったときには 現場の支援員が看護にあたることになる」とのこと。

このことについては その認識の軽さを指摘すると同時に 中庭での遊びでケガが多発すれば、また再び支援員さんの負担が増えることになることを述べ 今後の(委員会での)課題とすることを述べておきました。

 

プランには「プールを廃止して新たな遊園地を設置」とありますが、さきに篠ノ井東小での不審者騒動などもあったことから「セキュリティ」についてどう考えるか質しました。

また、そもそも プールの跡地利用は、別に有効は活用方法があるのではないかとの意見があることから、今後は市民意見を聞いて柔軟に考えるつもりがあるか質しました。

これについて市(教育委員会)は「学校の開放」が考えに先立っており「セキュリティ」については「植栽を植えました」程度の答弁。

どうやら市教委は(も)、計画を実行した際のリスクマネジメントなどの考察なしに絵だけを描いている。このことが改めて判りました。

この「甘い見通し」についても 今後の指摘課題としてゆかなければなりません。

また、プール廃止後の後利用についても「何が何でも駐車場&遊園地」というワケでもなさそうなので、このことについても 市民意見を集めることが肝要でしょう。

 

 

 

次に、財政面から質しました。

さきの青木島遊園地を廃止に追い込んだ〝6つの理由〟のひとつが「遊園地が公金を使っての借地であること」でした。

それら財政の視点で、今回のプランの総工費は一体いくらになると積算しているのか質しました。

すると市の答弁は「まだ積算をしていない」とのこと。

この理由(言い訳)は、事業が複層しており また校舎改修などの従前からの計画もあるので一概に積み上げることはできない との、案の定の言い分でした。

しかし、そんな〝青天井の予算計画(イヤ、現時点で それすらも無い)〟で許されるものでしょうか。

今回の計画は、無論 公金(税金)を支弁するものであり「一体 いくらかかるんだ?」との予算の面も 市民にとっては重要な判断材料になるハズであります。

それが、予算の裏付けも無いままに計画だけを独り歩きさせることは 片手落ちと言わざるを得ないことから、この点についても 今後の検証材料としてゆきたいと思います。

 

また 青木島保育園移転の目処について問うと、あくまで「その場合は~」との未確定な答弁。この点についても ハッキリしないままに「仮設校舎として使う」などの〝たられば話し〟の材料にすぎないことが改めて分かりました。

 

次に、現状の青木島児童センターの抱える喫緊の課題について触れました。

遊園地が廃止され 遮(さえぎ)りが無くなった青木島児童センターは、西陽が照りつけ 今や既に熱中症の危険にさらされています。関係者からは 園庭の砂場や雲梯(うんてい)を西陽から守るタープのような遮蔽物と、遊戯室へのエアコン設置が求められていることから 対応の如何を質しました。

これに対し 市(こども未来部)は「今の青木島児童センターの課題については承知している。対応できることは対応し いずれにしても検討してゆきたい」とのこと。

至急に現場(支援員さん)との調整を行なわなければなりません。

 

一連の質疑を通じて、また、既にさまざまな立場の市民から意見が寄せられているとおり、青木島小学校の生徒数や空き教室などの現状を見れば 青木島こども未来プランを絵に描いたように進めるのは現実的に無理であると言わざるを得ません。

市長は所信で「主役である子どもたちの主体性を尊重し、子どもたちの育ちを支える保護者の皆様の目線に立って考え施策を展開する」と述べられ、さらに「子どもが伸び伸びと遊び、育つための場づくりや環境づくりを目指す」そのための「子どもの権利をしっかりと守る」を明言されましたが、で あるとするなら、その子どものための環境が整うまでの間は、青木島児童センターは環境を整えたうえで現状のまま維持し、青木島こども未来プランのインフラが具体的に整った後に移転統合を行なうべきではないか。

市民が求めているのは「スピード感」ではなく「安心感」です。と。

この点について市長の見解を問うと「計画は計画として進めているけれど、さまざまな意見が出されていることを踏まえ、決して急ぐことなく進めてゆきたい」との答弁が得られました。

 

 

今回の質疑を通じて、先ずは 市と市民との「意見(意識)の乖離」が明らかになりました。

市は、子どもたちの新たな居場所づくりを〝早急にスピード感をもって〟進めたいと思っている。

そして そのためには、多少の無理があっても そこは理解を得ながら進めたいと思っている。

だがしかし それ(スピード感)は、市民が真に求めているものではない。

(前掲のとおり)市民(関係者)は、真に安心できる子どもの新たな居場所が完全に整備されてから 移行なり編入なり行なってほしいと願っているのです。

この いわば〝温度差〟を無くしてゆかなければ。

もっと言えば、市(市長以下 職員)に 市民が抱く「真のニーズ」を理解させ、それに合った施策展開を促してゆかなければならない。

 

今回の質疑を通じて、早急に 市民と市との意見交換会のような「場づくり」を設(しつら)える必要性を強く認識しました。

但し、それは あくまで「市民が主体」でなければなりませんので、私のような立場の者は縁の下(えんのした)に潜(もぐ)り、下支えに徹してゆきたいと 併せ思うところです。

 

いずれにしても市がブチ上げた「青木島こども未来プラン」は、改善すべき点が枚挙に暇(まいきょにいとま)が無いことが再認識され、そのうえで一縷(いちる)の光明は、市が「市民の意見を伺いながら 決して急ぐことなく進めてゆきたい」と〝譲歩の方向〟にシフトしたということでしょう。

 

こんな中でも、子どもの大切な一日いちにちは 確実に過ぎていきます。

〝大人の都合〟ではなく「子どものために」最適な選択がなされるよう それぞれの立場で知見を集めてゆかなければなりません。

 

 

「検証」の重要性と〝難しさ〟

報道等で、大手芸能プロダクション会社(J事務所)において 元経営者(故人)から(かつて所属した)タレントが性被害を受けたとして告発した問題について、当該J事務所が「外部専門家による再発防止特別チーム」を組成して「検証」を行なうことになったことが報じられました。

 

 

 

それによると、この検証チームは 検事総長経験者・精神科医・(性暴力などの被害者支を実践している)臨床心理の研究者で構成され、件(くだん)のJ事務所とは一切関わりを持たず 第三者委員会としての機能を有しているとのこと。被害を申告する人たちに寄り添い 同事務所の過去の対応上の問題点を調査・検証し、ガバナンス上の問題に関する再発防止策を提言し実行を求めるそうです。

おそらく今回の案件で このような経過(検証チームの組成)となったのは、組織の絶対的カリスマであった創業者の過去の所業について 内部(身内)だけで事実確認をして結論を出すことは無理だとの判断に至ったものであろうことが推察されるところですが、この判断は賢明であったと評価されるところです。

先ずは、過去にどのような事実があったのか・そのことによって どのような被害が及ぼされたのか・そのうえで 今後、組織としてどのような道を歩んでゆくべきなのか等が白日の下(はくじつのもと)に検証に付され、二度と類似の事案が起こらないように努めてゆくことが求められるところでありましょう。

 

「検証」この作業は、組織にとって ある意味では難儀な作業であると同時に、(組織を)再活性化させるためには〝通らなければならない道〟でもあると思います。

自らの組織の内部で起きた問題点、それもとりわけ 外部から(問題点を)指摘されたときに、自ら(問題点を)炙(あぶ)り出し、何が悪かったのかを自らの手で白日の下に晒(さら)し評価を受けることは、勇気を要することであります。

できることなら、臭(くさ)いモノには蓋(ふた)をしたまま やり過ごしたい。そう思うのは人情というものでしょう。

しかし、それでは 組織は堕落の一途を辿ることになる。

 

一方で〝誰が検証するのか〟も、その検証の成果を左右することにもなると申せます。

今回のJ事務所においては、事務所とは一切関わりを持たない 第三者(それも有識者)が検証チームを組成し検証作業に当たるとのこと、これは 主観を持たずに客観的に事態を分析する面において有為なものと評価されるところです。

「身内が身内を裁(さば)く」との言葉がありますが〝検証〟とは言っても、例えば 問題が起きた組織の内部の者が検証チームを組成しチェック作業を行なうと、それは概して身内に甘いものとなり 下手をすれば忖度(そんたく)が加味された、当該組織にとって(逆に)都合のイイ検証になりかねない危うさがあると思われます。

 

その点において、長野市では(従前に触れましたが)さきの「青木島遊園地問題」について、庁内に検証委員会を設置し 一連の経緯を「検証」することになっています。

 

 

 

[参考]5/30付ブログ「青木島遊園地廃止の経緯 庁内に委員会設置し検証へ」

           ↓

https://blog.goo.ne.jp/kz2df777/d/20230530

 

ただ、この〝長野市版の検証〟は「身内が身内を裁く」の典型的なものであることから、どこまで(身内に)厳しく また第三者(=市民)から納得を得られる検証になり得るかどうか 懐疑的な面は否めないところでありますが、市(市長)が「検証に付する」と宣言したのですから、その客観性などについては その(検証の)推移を見守るところです。

 

事ほど左様(ことほどさよう)に、社会活動を行なう組織(団体)においては、これまでの業(ごう)を適切に見直すためにも「検証」を行なうべきところが多々見受けられるところです。

前掲のとおり「検証」は できれば避けて通りたい難儀な作業ではありますが、そのことに着手することで 組織が真に再活性化することを思って、敢えて茨(いばら)の道を選択する勇気を(各組織に)求めたいところであります。

雨の日の出来事 ~その立場になっってみろ~

気象庁は 去る8日、長野県域を含む関東甲信越地方が「梅雨入りしたとみられる」と発表し、その前後から 地域は不定期に雨に見舞われる陽気となっています。

この頃には 太平洋沿岸エリアで線状降水帯が発生するなどして 場所によっては水害に見舞われたところもあり、また 一説によると、今年の梅雨は降雨量が多いなどと言われる面もありますので、大きな水害を経験した私たちとすれば あんなことはもうご勘弁願いたいと心底思うと同時に、万が一のために備えを怠りなくすべきことを再認識するところです。

 

そんな梅雨入りとなったある日、クルマで走行中に見た他車の行為を通じて「当事者の立場になってみろ」と 義憤の念にかられたところでした。

その日は午後から ややまとまった雨が降り、生活道路には 轍(わだち)に雨水が溜(た)まった状態になっていました。

夕方にその道路をクルマで通行したのですが、折りしもその頃(18時前後)は クルマの交通量も増え、歩道の無い道路の路側帯を 帰途を急ぐサラリーマンや学生さんが歩いていました。

で、そんなときです。

私の前を走っていた いま流行のミニバン(△△ファード)が、何のためらいも無く走行を続け 轍(わだち)の水をビシャビシャ跳ね飛ばしたまま通過していったのです。

当然 跳ね飛ばした水は路肩にまで結構な勢いで達し、路側帯を歩いていた人(歩行者)のズボンに相当量がかかってしまったのでした。

水をかけられた歩行者さんは 思わず飛びのいていましたが、それでも相当量の雨水が衣類にかかったことが見て取れました。

で、件(くだん)のミニバンは、停車することも無く サーッと走り去っていったのでした。

それを目にした私は、クルマのハンドルを握る者の配慮の無さ・それをクルマの立場が優位であるという勘違い運転に 憤懣(ふんまん)やるかたなきを強く覚えたところでした。

 

この手の問題については 従前も触れたことがありますが、人は えてして、(クルマの)ハンドルを握ると 何だかエラク(偉く)なった気分になり、同時に自己チュー(自己中心的)になる帰来(きらい)があるようです。

雨の日、もし自分が歩行者で クルマに水をぶっかけられたらどう思うか・または水に濡れるという実害を被ったら その気持ちはいかばかりのものか。

しかし えてしてハンドルを握る者は、自分は濡れずに快適空間の中に居(お)り そぼ降る雨中の中に居(い)る人のことは 二の次三の次になる。

もっと言えば、自分は濡れていないのだから(水しぶきに濡れる)歩行者は関係ない。とも思う「自己中心・他者排斥」の悪しき心理が働いてしまうのかもしれません。

 

私は こんな心無いクルマの去りゆく姿を見ながら、この心理は 私たちの社会生活(社会活動)の中でも悪しけく蔓延していいるのではないかとも思わされたところです。

例えば 障がい者や高齢者などの「社会的弱者」を〝支援〟している(ハズの)事業。

一見すると、かかる社会的弱者に心を砕き その(社会的弱者の)社会生活を助けているように思える事業ですが、その深層には 例えば雨の日に、共に濡れて戸外を歩く姿勢(意識)がどれほどにあるのだろうか。

自分は さまざまな面で守られている車内に籠(こ)もり、一方で 本来は庇護(ひご)すべき社会的弱者が雨のそぼ降る戸外をトボトボ歩いていても「しょーがないね。」と冷ややかに見つめるだけとなっていないだろうか。

ましてや、自分たちが駆るクルマが かかる社会的弱者に泥水をかけても、そ知らぬカオで行き過ぎるようなことであれば、これは言語道断と言わざるを得ないところです。

クルマに乗る自分たちは特別で、雨中を歩く人は格下の者。

そんな勘違いが 普通に心の中に芽生えたとき、人は堕落(だらく)し始める。

雨が降るような厳しい環境だからこそ、人は他者に優しくなければならない。

で、その通底には「雨の日に 共に戸外を歩いてみよ」すなわち「その立場になってみよ」とのご託宣(たくせん)があると思います。

少なくとも私は、かつてそういう時期があったが故に、戸外を濡れて歩く思いを共有してゆきたい。

そんな「共感」をもつ心理が無ければ、為政の道を歩むべきではないとも思うところです。

 

雨の日の一瞬の出来事の中に、さまざまな思いをいたしたところでありました。

 

 

 

 

長野市議会 令和5年6月定例会が開会

6月8日(木)、長野市議会 令和5年6月定例会が開会しました。

 

 

 

 

これまで社会の〝足かせ〟となっていた新型コロナウイルス感染症も「5類相当」に格下げとなったことなどから、社会は いわば〝通常モード〟として再び歩み始めることになっています。

そんな中での6月議会でありますが、これまでのさまざまな社会課題に併せ 前掲の望ましい社会変化も考慮しながら、市民生活の向上をめざして諸課題・議案と対峙するところであります。

 

この日(初日)に行なわれた 荻原市長の所信(議案説明)の中では、補正予算として 住民税非課税世帯に対し物価高騰対策(支援)として3万円/世帯を支給する支援策・低所得の子育て世帯への児童1人あたり5万円の生活支援・5月上旬の豪雨災害復旧費・子どもの福祉医療費拡大(1レセプト500円)の18歳までの拡大(R6年1月開始)・新たなコロナ対応・長沼保育園開所・保育園での紙オムツ回収(モデル園)実施 などが表明(説明)されました。

そんな中 私が注目…というか〝引っかかった〟のが「むすび」で述べた市長発言です。

市長は演説の最後に 敢えての形で「子育て」の話題を持ち出し、その中で「子どもの主体性を守り、子どもの権利を守る」を強調しておられたのです。

自ら「(私は)市長就任以来、これまで「子どもたちの夢を応援するまち」の実現を目指し(てきた)」とし、さらに「そのための施策を進める上で、私が大切にしていること」として 前掲のとおり「子どもたちの主体性を尊重し、(さらに)子どもたちの育ちを支える保護者の皆様の目線に立って考え、施策を展開する」と言い切っているのです。

さらに市長は 発言を踏み込み「まず、子どもの権利をしっかりと守り、大人が支える環境を作る」としたうえで、子どもの権利を守る条例制定に意欲を示しておられました。

 

 

 

・・・・・。

それを聞いた私は、両手を挙げて「そうだ!」と言えない心境に陥ったものでした。

確かに、この部分だけを切り取って聞けば 実に耳障りのイイ詭弁が流されてくるところです。

ところが、です。

これまで、実際に市(市長)が手をつけてきた行政行為は「子どもの権利」などには ほど遠いものでありました。

このことは言うに及ばず、一連の〝青木島遊園地存廃問題〟からの〝青木島こども未来プラン(案)の提示〟で悪しけくクローズアップされています。

子どもの最適な居場所であった青木島遊園地を〝大人の都合〟で奪ったあげく、今度は いわば効率第一主義の下で 青木島児童センターを小学校〃内に無理矢理に編入させようとしています。

こんな〝強攻策〟に走る為政者が「子どもの権利を守る」と表明してみても、それを満額受け容れることは 到底できないものでありましょう。

 

 

 

「現業不一致」という言葉があります。

言っていることとやっていることが違う。いまの長野市(市長)は その道を歩んでいると言わざるを得ない残念な状況にあると申せます。

とりわけ現市長は、言い方(口調)は誠に丁寧ではあるものの やっていることは強行路線であり、何というか「カオとハラが違う」と 懐疑的にならざるを得ないのが正直な実感というところです。

 

私は この議会においては、本会議ならびに委員会審査を通じて 市の〝深層(心理)〟を質してゆくこととしています。

私の投げかけに(市/市長は)どう応えてくるのか。注目されるところです。

 

長野市議会 令和5年6月定例会が開会

6月8日(木)、長野市議会 令和5年6月定例会が開会しました。

 

 

 

 

これまで社会の〝足かせ〟となっていた新型コロナウイルス感染症も「5類相当」に格下げとなったことなどから、社会は いわば〝通常モード〟として再び歩み始めることになっています。

そんな中での6月議会でありますが、これまでのさまざまな社会課題に併せ 前掲の望ましい社会変化も考慮しながら、市民生活の向上をめざして諸課題・議案と対峙するところであります。

 

この日(初日)に行なわれた 荻原市長の所信(議案説明)の中では、補正予算として 住民税非課税世帯に対し物価高騰対策(支援)として3万円/世帯を支給する支援策・低所得の子育て世帯への児童1人あたり5万円の生活支援・5月上旬の豪雨災害復旧費・子どもの福祉医療費拡大(1レセプト500円)の18歳までの拡大(R6年1月開始)・新たなコロナ対応・長沼保育園開所・保育園での紙オムツ回収(モデル園)実施 などが表明(説明)されました。

そんな中 私が注目…というか〝引っかかった〟のが「むすび」で述べた市長発言です。

市長は演説の最後に 敢えての形で「子育て」の話題を持ち出し、その中で「子どもの主体性を守り、子どもの権利を守る」を強調しておられたのです。

自ら「(私は)市長就任以来、これまで「子どもたちの夢を応援するまち」の実現を目指し(てきた)」とし、さらに「そのための施策を進める上で、私が大切にしていること」として 前掲のとおり「子どもたちの主体性を尊重し、(さらに)子どもたちの育ちを支える保護者の皆様の目線に立って考え、施策を展開する」と言い切っているのです。

さらに市長は 発言を踏み込み「まず、子どもの権利をしっかりと守り、大人が支える環境を作る」としたうえで、子どもの権利を守る条例制定に意欲を示しておられました。

 

 

 

・・・・・。

それを聞いた私は、両手を挙げて「そうだ!」と言えない心境に陥ったものでした。

確かに、この部分だけを切り取って聞けば 実に耳障りのイイ詭弁が流されてくるところです。

ところが、です。

これまで、実際に市(市長)が手をつけてきた行政行為は「子どもの権利」などには ほど遠いものでありました。

このことは言うに及ばず、一連の〝青木島遊園地存廃問題〟からの〝青木島こども未来プラン(案)の提示〟で悪しけくクローズアップされています。

子どもの最適な居場所であった青木島遊園地を〝大人の都合〟で奪ったあげく、今度は いわば効率第一主義の下で 青木島児童センターを小学校〃内に無理矢理に編入させようとしています。

こんな〝強攻策〟に走る為政者が「子どもの権利を守る」と表明してみても、それを満額受け容れることは 到底できないものでありましょう。

 

 

 

「現業不一致」という言葉があります。

言っていることとやっていることが違う。いまの長野市(市長)は その道を歩んでいると言わざるを得ない残念な状況にあると申せます。

とりわけ現市長は、言い方(口調)は誠に丁寧ではあるものの やっていることは強行路線であり、何というか「カオとハラが違う」と 懐疑的にならざるを得ないのが正直な実感というところです。

 

私は この議会においては、本会議ならびに委員会審査を通じて 市の〝深層(心理)〟を質してゆくこととしています。

私の投げかけに(市/市長は)どう応えてくるのか。注目されるところです。

 

揺らぐ「マイナンバーカード」に対する信任

国民が 本人確認の際に公的な本人確認書類として利用したり、さまざまな行政サービスを受ける便利なICカードである「マイナンバーカード」ですが、その信頼が大きく揺らぐ事態となっています。

 

 

前掲のとおり マイナンバーカードは、マイナンバーの証明・本人確認書類としての活用や・コンビニで各種証明書(市区町村の証明書のほか、新型コロナウイルス感染症予防接種証明書等)が入手できること・国や地方自治体から給付金を受け取る際に預貯金口座情報の提出や行政機関での確認作業が不要になること・そして 健康保険証として使用できること等、さまざまなメリットが挙げられています。

特に「健康保険証」の扱いについては下記のようなメリットが挙げられています。
・就職、転職、引越しをしても、健康保険証として継続使用できる
・マイナポータルで保険医療を受けた記録を管理・確認できる
・確定申告での医療費控除手続きが簡単になる
・医療費が高額になった場合、窓口で自己負担限度額以上の支払いが不要になる(限度額適用認定書の申請も不要)
・医師等からその情報に基づいた総合的な診断や適切な処方を受けられる

 

ところが、です。

便利なハズのマイナンバーカードにも、さまざまなデメリットが挙げられています。

紛失や盗難のリスク・個人情報漏えいのリスク(可能性)・有効期限があるため更新手続きが必要のデメリット です。

※総務省によると、マイナンバー自体は 他人に知られても個人情報を調べたり 手続きをしたりはできない仕組みであり、また マイナンバーカードに搭載されているICチップには、税・年金・特定健診結果・薬剤情報などのプライバシー性の高い情報は記録されていないとのこと。また 同カードには他人による悪用や偽造を防ぐための特殊な加工も施されているほか、ICチップの読み取りに必要な数字4桁のパスワードは一定回数間違えるとロックがかかり、本人が手続きしないと解除できず 不正に情報を読み出そうとすればICチップが自動で壊れる仕組みもあるとのこと。

 

そのように いわば賛否両論のあるマイナンバーカードですが、ここへきて その信頼が大きく揺らぐこととなっています。

で 折も折、その背景には 国(デジタル庁)による、拙速(せっそく)ともいえる導入に向けた動きが絡(から)まっているのでした。

健康保険証を2024年秋に廃止して マイナンバーカードに置き換える「マイナンバー法等改定案」の採決が衆参両院の「地域・こども・デジタル特別委員会」で採決・可決され、来年の秋には今の保険証が無くなって マイナンバーカードが保険証の役割を担うこととなりました。

これは、これまで「任意」であったマイナンバーカードの取得について これまで紙の形で交付されている健康保険証を廃止してマイナンバーカードに一体化さることで「マイナカードを持たなければ医療機関の受診に著しい不便が生じかねない」とすることで 半ば強制的にカードを取得させるものです。

マイナンバーカードを持たない人には「資格確認書」を発行する経過措置を講ずるとのことですが、これは申請主義・有効期間・更新手続きも必要とのこと。やむを得ない事情で手続きができなければ、保険料を払っていても保険診療を受けられなくなる恐れがあるとのことです。

重ねて 現下、マイナンバーカードに関する「トラブル事案」が 地域のそこここで報告されており「一体どうなっているんだ?」との不安(不信)の声が挙げられています。

ここのところのニュースでは、マイナンバーカードを使って コンビニで住民票の交付を受けたところ、全く別人のものが交付されたり、公的な給付金の受取口座が 別人の口座で登録されていたりしたこともあったとか。

さらに マイナ保険証において、他人の情報がカードに紐づけられていたケースがあり、混乱を招いていることが報じられています。

また これとは別に、地域の消費生活センター等に マイナンバー制度に便乗した不正な勧誘や個人情報の取得を行おうとする電話やメールがあったとの情報が寄せられているとのことで、マイナンバーカードの普及が 必ずしも万全のうちに行なわれていないことが明らかになっているのでした。

 

こんな状況に際し、本来 政府寄りであるハズの読売新聞が、保険証の廃止を急ぐ国に対し 社説で強い憂慮の意見を示しており、ちょっとした話題になっています。

 

 

 

社説の内容は以下のとおりです。

「保険証の廃止 見直しは今からでも遅くない」 2023/06/07 05:00

身近な健康保険証を廃止し、トラブルが続出しているマイナンバーカードに一本化するのは無理があろう。廃止方針をいったん凍結し、国民の不安を 払拭(ふっしょく)するのが筋だ。

2024年の秋に保険証を廃止し、マイナカードに一本化する関連法が成立した。来秋以降、患者はマイナカードを医療機関に提示し 診療を受けることになる。

政府は行政のデジタル化を進めるため、マイナカードの普及を図っている。保険証の機能を持たせるのもその一環だ。

だが、マイナカードを巡るトラブルは後を絶たない。コンビニで別人の住民票が交付されたり、給付金の受取口座が、別人の口座で登録されていたりした。

とりわけ深刻なのは、マイナ保険証に関する問題だ。他人の情報がカードにひもづけられていたケースが7300件あった。

行政文書は、あとで修正できるかもしれないが、医療に関する手違いは、国民の健康や生命に重大な影響を及ぼす恐れがある。政府は事態を軽視してはならない。

そもそも政府は昨年6月の段階では、現行の保険証とマイナ保険証の「選択制」を打ち出していた。希望すれば、カードだけで受診を可能にするという構想だ。だが、河野デジタル相が10月、唐突に来年秋の保険証廃止を表明した。

カードを持たない人には、健康保険組合などが「資格確認書」を発行するという。しかし、確認書の取得は本人の申請が前提だ。1年ごとに更新する必要もある。

政府は、病気や障害を理由とした代理申請も認める方針だが、具体的な運用は検討中という。

現在、何ら不都合なく使えている保険証を廃止し、事実上、カードの取得を強制するかのような手法が、政府の目指す「人に優しいデジタル化」なのか。

マイナ保険証の不具合が相次いでいることを踏まえ、医療関係団体などは保険証の廃止に反対している。医療現場から懸念の声が上がるのも無理はない。

法律が成立したからといって、制度の見直しは不可能だ、と考えるのは早計だ。

政府は1980年、納税者番号の一種「グリーンカード制度」を導入する法律を成立させたが、政財界から批判が噴出したため、5年後に法律で廃止した。

マイナ保険証の見直しは、今からでも遅くはない。トラブルの原因を解明し、再発防止に努めるのが先決だ。当初の予定通り、選択制に戻すのも一案だろう。

 

国(行政)は、どうして これほどまでに制度設計を急ぐのでしょうか。

ここのところのトラブルは、所管庁(デジタル庁)が 各自治体に対し、カードへの移行作業を急がせるあまりに生じた「人為的ミス」からきているのではないかと思わざるを得ません。

で その結果、イチバン迷惑を被(こうむ)るのは 他でもない国民であり、国(所管庁)は そのことを斟酌(しんしゃく)すれば 様々な功罪の可能性を踏まえたうえで、念には念を入れて考察を重ね 絶対に大丈夫と言い切れるようになった段階で初めて次の段階に進むべきではないかと思うところです。

 

ジャンルは全く違いますが「拙速(せっそく)」というワードで 長野市と共通するのが「青木島小の放課後児童問題」です。

長野市は、半ば市の都合で 子どもの欠かせぬ居場所である「青木島遊園地」を廃止に追い込み、その〝名誉挽回〟とでもいう勢いで「青木島こども未来プラン」なる大風呂敷を広げて 計画を拙速に進めようとしています。

そこには 市の焦(あせ)りとも取れる〝悪しきスピード感〟が見え隠れするところですが、市民(子ども・保護者・支援員など現場の職員)は、そんなスピードは これっぽっちも求めていないのです。

求めているのは「安心感」ならびに「納得感」です。

子ども(放課後児童)が 真に安心・安全・ゆとりのうちに時間を過ごす環境が担保されない限りは、拙速に計画(形式)ばかりを進めるべきではない。

そんな 強い意向(=心の声)が、実に多くの市民(前掲の人たち)から挙げられており、この「現実」を 長野市は真摯に受け止めて(計画を)改善してゆかなければならないのです。

 

〝マイナ保険証〟を巡る国の拙速な取り組みに鳴らされている強い警鐘は、行政が陥りがちな「△△ありき」との〝悪しき動き〟に対するマイナス評価として、ここ長野市でも共通課題として取り上げられるところであります。