27日、市役所庁舎において「議会と市民の意見交換会」が開催されました。
この行事は、長野市議会として「より市民に身近な議会の実現に向け 情報公開と市民参画及び市民意見の把握と反映に努めると共に、議会での議論の経過と議決に関する説明責任を果たす」ことを主旨として行なわれているものです。
昨年度からはオンラインによる参加方法を追加して開催しています。
長野市議会においては、4つの常任委員会(総務委員会・福祉環境委員会・経済文教委員会・建設企業委員会)ならびに4つの特別委員会(災害対策等調査研究特別委員会・観光戦略調査研究特別委員会・公共交通対策調査研究特別委員会・水道事業広域化調査研究特別委員会)があるのですが、この意見交換会では テーマを絞ることのできる「特別委員会」について〝分科会方式〟で行ない、それぞれの特別委員会の取り組み課題について関心のある方々を参加者として募り 意見等を伺う中で市政運営に役立てさせていただこうというものです。
私は今期「災害対策等調査研究特別委員会」に所属していることから、同特別委員会の意見交換会に参加しました。
議員間の任務分担の中で 記録係を受け持ったことから発言は叶いませんでしたが、参加された市民の方々の意見を記録する中 参加者各位の識見の高さと、それぞれ発言内容は異なるものの その通底にある〝共通点〟のようなものを実感しました。
参加者さんの発言内容は 概ね下記のとおりです。
「災害対応は、行政・社協・NPOの三者連携 日頃からのコミュニケーションが大事。このことは令和元年東日本の際に実感した。互いに支え合わなければならない」
「この度 住民パワーで新たに自主防災会を発足させた。先ずは地区全体のタイムラインをつくってゆきたい」
「災害対応について、県⇔市が適切に連携してほしい。排水機場について、未だ全機が稼働できてない地区の対応・設備(排水機場)/市が所管⇔堤防/県が所管 と所管が違い、設備は改善されても堤防の高さが改善されていないなど「ちぐはく」な状況にあるので連携を。また排水機場の操作について判断基準や手順が煩雑なのでもっとシンプルにしてほしい」
「さきの令和元年東日本台風の『長野市災害記録誌』を読むと「災害関連死」についての分析が見られない。「命の灯を消さない取り組み」が見られない。それ(災害関連死)を防ぐ議論があったのか。また、在宅避難への支援・障がい者など 弱者への議論が見えない。「こぼれ落ちそうな方を救う議論が必要」
[参考]令和元年東日本台風 長野市災害記録誌
↓
https://www.city.nagano.nagano.jp/documents/668/363607.pdf
「災害弔慰金について、死亡理由など「背景」は公表されているが、そのうえで次にこのようなことが起きないよう検証と対応が重要」
「災害対策と避難所対策は一連の流れの中にある。せっかく助かった命を その後の生活の中で失なうことのないように支援が必要」
「福祉避難所について、学校体育館の指定はやめてもらいたい。学校については、市職員が派遣はされるものの(施設側としては)主に日直と教職員が対応する。しかし教職員に避難所運営のスキルは無く、避難者・施設の双方に負担感が増す。また学校でコロナやインフルなどリスク発生の際には 避難者と生徒の双方に大きな被害(感染拡大)が出るリスクが高い。また発災後に帰宅したくても、応急危険度判定員の判定が無ければ戻れないので、それら人材の把握と育成を」
「盲学校については、機材やスタッフも代わりがいないので 避難所には適さない」
「観光客の避難対応について、所管は観光課だが 危機管理課とどう連携しているのか」
「堤防は日常的に多くは軽車両の通行に止まり、脆弱なまま。敢えて多くの車両を通して転圧を進め強靱化すべき。大型車両の交互通行で強靱化を」
「柳原地区は水害のメッカ。避難用ボート(小舟でいい)の配備を」
「上水道が使えないときのために、井戸の活用をすべき。現状把握と配備を」
「福祉避難所について、原則は 小学校などの一時避難所から随時移行することになっているが、R3から国が方針転換したこともあるので、条件の合う人は 最初から福祉避難所へ行けるようにすべき。ほとんどの自治体は「先ずは一時避難所へ」の方針が変わってないので、大きな台風を経験した長野市は、先駆けて最初から福祉避難所へ行けるようにしてほしい」
「女性の立場で、乳幼児を抱えた女性に配慮を。避難などのマニュアルは改善されているが、読みやすい簡易な資料を作成して」
「近年 オートキャンパーが増えており、自炊の技などの災害時の活用に期待できるので、それらを契機に若い人たちにも防災に関心をもってもらうようにしたら」
「ペットの同行避難は、避難所までは行けるが 飼育はあくまで外でしなければならず、室内飼いの飼い主は避難所へは入らない。今後は 同行避難から「同伴避難」へ進化させて。ただ 犬猫嫌いやアレルギーもあるので、南北の運動公園などで棲み分けを」
「防災無線は聞こえないので個別(戸別)無線機の装備を。また、災害情報の際には 対象エリアを細かくしてほしい」
「災害の重点点項目に「自助・共助」はあるが「公助」が無いのでは」
「危機管理部門だけではできない問題がある。行政は「縦割りから横割へ」の意識改革を。そのために議会が機能すべき」
「防災アプリについて。長野市は立ち上がりが遅く情報まで1分以上もかかる」
「在宅避難・措置避難の支援を。そのために 障がい者や避難困難者を対象にした訓練を行なうべき」
「災害情報について。アプリに統一性が無く、結局いろいろなサイトを見なければならなくなる」
「基地局がやられると、アプリに頼った体制はマヒする恐れ。またスマホバッテリーについて 例えば個別の安否確認だけでスマホのバッテリーが終わってしまうので、ワンストップで確認できるサイトの設営・併せてスマホの充電箇所の充実を」
「災害備蓄庫の中身が古いままなので、点検を」
「意見交換会の展開を、発災前・発災時・発災後に分けて(整理して)行なうべき」
「地震多発の昨今、家具固定の啓発など「市民ができること」の啓発を」
「災害の状況によっては対応が異なる。実情に合わせた防災訓練を行うべき」
「今回の意見交換会は、単なる要望や意見陳述に止まり 行事の主旨に即していないのではないか。次回から改善を求める」
等 でありました。
参加者の方々のご意見を拝聴するうち、ある〝共通点〟に気づかされました。
それは、災害対応について それぞれの方々は、インフラ整備などのハード事業を求めているというよりも、いわゆる人為(じんい)に基づく ソフト面の充実を求めているところであります。
例えばご意見の中で、一見「排水機場の整備」とのハード事業を求めているように感じ取られる内容も、ヨク聞けば「県と市の連携を求める」ものであり、避難所運営についても 福祉事務所の運営について合理的な行政判断を求める などとしています。
とりわけ 私が印象深かったのは「災害関連死」の話題でありました。
大災害が発生した際、行政などの関係者は 先ずはインフラ整備などのハード面の復旧に傾注します。これはこれでやむを得ないところですが、災害というものは、発災→社会インフラ復旧 が集結点ではない。
むしろ 被災者の困難は、その後から始まるのではないか。
そして〝その後の生活〟の中で 立ちゆかなくなったり 体調を崩すなどして、せっかく災害を乗り切った身体に 後になって重大な心身の耗弱がもたらされるとすれば、そんな残念なことはありません。
行政は〝その後〟にまで温かい心をもって接し、被災した人が 引き続き生命(いのち)を長(なが)らえることができる支援に努めるべきである。
そういう面からして、私は 災害対応に「福祉」の視点が欠かせないのではないかと思いを新たにしました。
当事者の立場に立って(被災者に)寄り添うこと・社会生活に限界のある人たちを支える「心」をもって接すること…自然災害からの復興(復帰)は「自己責任」が基本であります(これについても釈然としないものはありますが)が、そのうえであるにしても 被災者を福祉する視点で対応策を講じることこそが、行政(政治)に求められていいることを再認識させられました。
今回の参加者の方々は、非常に高い識見とスキルをもって「災害」という事象に向き合っておられることを実感しました。
私たち議会の者は、かかる市民の方々の高い社会関心を受け さらなる努力を重ねてゆくべきことを大きな成果(=課題)として受け止めたところでありました。
中野市で発生した重大事案の陰(かげ)に隠れた格好になっていますが、かの事案と同じ日(25日)の朝、長野市の小学校に男が侵入し 男子児童に液体をかけた事案が発生しているのは ご案内のとおりです。
(前掲の)中野市の事案に比すれば およそ大したことの無いように見える事案でありましたが、見方によっては 周囲のさなざまな影響が及ぼされることを思わされたところであります。
事件は、25日朝 長野市南部の小学校の校門付近で発生しました。
長野冬季オリンピックの開閉会式だった「南長野総合運動公園(オリンピックスタジアム)」の近接にある小学校です。
報道によると、25日(火)朝の自由時間のとき 児童たちが校門付近で「かくれんぼ」をして遊んでいて、チャイムが鳴った(8:15)ので校舎に入ろうとしたときに 男が敷地内に侵入し、児童たちを追いかけまわしたうえ 中の1人(低学年男児)にペットボトルのような容器に入った黄色い液体を服にかけ逃げたということです。
男子児童は救急搬送されましたが、ケガはありませんでした(後に液体は「お茶」であることが判明)
通報を受けて付近を捜査していた警察官が 通報から約3時間後に、付近を歩いていた(侵入したと覚(おぼ)しき)男を発見し、事情を聴きました。が、男に知的障がいがあることが判り その後は保健所と連携して対応しているとのことです。
なお 学校の入り口は正門の1ヶ所のみで、男はそこから侵入したとみられています。
今回の案件は、外部と素通しになっている校地内で発生しました。
この小学校は 入り口は1ヶ所のみですが、そこは門扉が閉じられているワケでもなく いわば開放してある状態でしたから、誰でも出入りできる状態にありました。
そのうえで、学校建屋の入り口(事務室)には受付簿や 受付を経て校内に入っていることを証明する札(ふだ)のようなものがあり、そこ(建屋入り口)でセキュリティを維持するようになっており、この(管理)状況は 市内の殆(ほとん)どの学校がそうなっているようです。
学校 とりわけ小中学校における第三者の侵入事案は、全国的に少なからず発生しているところであります。過去には 他市で児童生徒や教職員など関係者の身体生命を脅かす事案(事件)も起きていることから、長野市においても注意を怠りなくすべきことは当然のところであります。
また、今回 児童の身体にかけられた液体は「お茶」だったからよかったようなものの、これが強酸のような毒性や刺激性の強い液体であれば 皮膚等に重大なダメージを及ぼすようなことにもなり、そういう点でも予断ならないところでありましょう。
そのような〝防犯〟の面からいえば、今後は よりセキュリティを厳しくし、第三者がみだりに校地内に入ることができない仕組みをつくることが求められているのかもしれません。
一方 地域に在する学校と地域住民との関わりも大切なことであり、何でも無碍(むげ)に立ち入り禁止とすることがヨシとも言えないとも思うところです。
例えば知見を有する地区住民の人が学校を訪れ、児童生徒にさまざまな経験値を伝える〝教育ボランティア〟などは、児童生徒にとって「生きた教材」であり、大いに歓迎すべき取り組みでもあります。
いずれにしても 学校における「開放」と「セキュリティ」の難しさを再認識させられたところでありました。
そんな中、さきに示された「青木島こども未来ビジョン」の中には 青木島小学校の〝地域への開放〟が大きく謳(うた)われており、このことについて 今回の事案等に鑑み〝不安視〟する声が寄せられています。
地域の子どもの居場所でもあった「青木島遊園地」を市の一方的な都合で廃止したあげく、その〝名誉挽回〟とばかりにブチ上げられた「青木島こども未来プラン」ですが、その遍所(へんしょ)に〝無理〟があることが指摘されており、このまま計画を進めれば 結局こどもたちにリスクを負わせることになってしまうのではとの厳しい指摘が寄せられています。
そういう観点で寄せられた不安の一つが「地域等への開放」です。
その(不安の)通底には、何だか長野市は この計画について美辞麗句を並べ「(計画は)良いとこばかりですよ。」と宣伝ばかりをしているのではないかとの不信感があるのです。
この「地域等への開放」についても、今回起きてしまった〝侵入事案〟のような不測の事態への対応は想定しているのか?イザというときに児童生徒をどのように守ってゆくとの裏付けはあるか?など 不明な点が多く、直ちに計画を容認することはできないというのが 保護者の方々の本音でありましょう。
市行政サイドにおいては、お題目ばかりを並べるのではなく 本当に関係者が安心できる裏付けを示したうえで(市民に)向き合うようにしないことには、またぞろ〝絵に描いた餅〟の誹(そし)りを免れません。
とりわけ「青木島こども未来プラン」の起案者においては、それらも踏まえて 関係者に真に安心・納得してもらえる〝プラン〟を示すことが強く求められるところです。
さて ところで、今回の案件の中で 私はもう一つの問題を感じ取らされたものでした。
小学校に〝侵入〟した男性(A者)のことです。
報道によると、このA者は 知的障がい者であったとのこと。
さすれば このA者、もしかしたら悪意をもって〝侵入〟したんじゃなかったのではないか。
通りかかった小学校の門前で、何やら子どもたちが 楽しそうにかくれんぼ遊びをしている。
自分も仲間に入りたいと思ったけれど、うまく自己表現ができないままに感情ばかりが高まって校地内に飛び込んでしまい、勢いで 手にしたペットボトルの液体(お茶)をふりかけてしまった。
やや性善説に過ぎるとは思いますが、私とすれば いわゆる「悪気は無かった」うえでの行き過ぎた行為であったと解釈する(したい)ところであります。
前述のとおり 知的障がい者さんにおいては、自己表現やコミュニケーションの仕方が上手(うま)くできないことから、ときに周囲に誤解されたり 場合によっては悪意をもって受け止められることもあり、その対応は難しいところであります。
今回の事案も そんな難しい(ややこしい)状況が重なり合って起きてしまったと考えられるところであり、それらをもってしても 対応の難しさを実感させられました。
5月のある日 突発的に起きた事案は、私たちにさまざまなことを考えさせることとなったものでありました。
「あんな田舎まちで なぜ?」事件の報に接し、にわかに信じられない思いでした。
既に全国を席巻し みなさんご案内のとおり、中野市で 猟銃が使用された凶悪事件が発生しました。
事件の詳細については ここでは論調を控えるところですが、驚くべきことは かかる重大事件の舞台が、いわゆる〝田舎町〟で起きたことでしょう。
事件現場となった中野市は、長野県北部にある人口約4万人の地方都市です。
特に 事件現場となった「江部(えべ)」周辺は、通称「延徳田んぼ」と呼ばれる 昔からの営農地域で、まさに長閑(のどか)を地でゆくローカルエリアなのです。
そして、中野市といえば「うさぎ追いし かの山 小ぶな釣りし かの川~」の、里山の風景を歌った唱歌「ふるさと」の歌詞のモチーフとされ この唱歌の作詞者である国文学者の高野辰之先生(1876~1947年)の出身地であることも知られています。
実は かくいう私、30才の頃 人生の紆余曲折の中で、この「江部」にある工場に 数年間に亘り勤めたことがあるのですが、その際にも〝延徳田んぼ〟の長閑(のどか)な風景を実感したものでありました。
そんな田舎町で、まさか社会を戦慄させるような重大事件が発生するとは…。
側聞すると、事件の背景については 非常に複雑なものが絡んでいるようであり、今後の捜査の進捗が待たれるところですが、私も含め 多くの人が驚き憂慮するのが「重大事件の〝ローカル化〟」ではないか と。
これまでは 銃器を用いて人の生命財ち産を奪うなどの重大事件は、いわば〝都会で起きるもの〟が定説でありました。
それが今や、全国の田舎まち(地方都市)で 頻繁にとも言うべき頻度で発生しており、憂慮に堪えないところです。
地方に暮らす人たちは「こっちは田舎町だから大丈夫」との いわば根拠に乏しい〝正常化バイアス〟が作用し、例えば玄関を施錠しないまま外出したり 車のカギを抜かないまま駐車することが、半ば当たり前のように行なわれてきました。
ところが、今や そういうワケにはゆかなくなっている。
ましてや、今回のように猟奇ともいえる重大事件が かかる〝延徳田んぼ〟の域内で起きてしまったことに「もはや田舎とて 絶対に安全とは言い切れない」と思わされたところです。
また 今回の事件は、わが国の治安の状況変化・猟銃を初め 用途によっては重大な危険物ともなる所持品管理の在り方・警察官の自己防衛や犯人への対応の在り方など、改めて考えさせられることにもなっています。
今回の事件で生命財産に重大な被害に遭われた方々に哀悼とお見舞いの意を新たにいたすと同時に、こんなことが こんな田舎で起きることなど無いよう願うばかりであります。
〝大人の価値観〟で捉(とら)えれば 大きな争議に発展してしまうような問題が、無垢(むく)な子どもの「逆転の発想」で 場の空気自体が(イイ意味で)変わってしまい、却(かえ)って子どもに教えてもらうこととなりました。
数日前、小学校低学年の女児(A子ちゃん)の親御さん(Bさん)から相談のLINEが。
訊(き)けば、登校中に 横断歩道の無い場所(道路)を横断した同級生男児(C太郎くん)を「そこは渡っちゃいけないトコだよ!」と注意したところ、C太郎くんは逆ギレし Aちゃんの顔を強く叩いてきたそうです。
ただでさえ小柄なA子ちゃんは、男児のC太郎くんの突然の暴力によって鼻血を出すなどのケガを負ってしまったそうです。
驚くべきは そのことについての担任の一言です。
担任は、A子ちゃんのケガを案じながらも A子ちゃんに対し「A子ちゃんも 言い方がキツかったから叩かれちゃったんじゃないの。」と言い放ったそうです。
それを聞かされたA子ちゃんは 友だちに正しいことを言ってあげたのに叩かれ、あげく信頼を寄せる担任の先生からも 自分(A子ちゃん)に非があるようなことを言われ、心身共に傷ついてしまったそうです。
これは正(まさ)に〝話しのスリ替え〟でしょう。
本来 担任は、先ずはC太郎くんが横断歩道以外の場所を渡ったこと そして理由の如何(いかん)に関わらず暴力を振るってはならないことを諫(いさ)め、そのうえで 勇気をもってC太郎くんを注意したA子チャンの行為は、褒(ほ)めることはあっても「そんな言い方だから…」などと詰(なじ)ることは筋違いも甚(はなは)だしいところでありましょう。
一連の出来事を聞かされ、それも愛娘も悪いようなことを言われたBさんは 到底納得できるものではなく、後日 担任はもとより教頭も交えてこの顛末(てんまつ)について話しをすることにしてるとのこと。
私も この顛末に強い違和感を覚えたことから、今後の事実確認の際には こちら(A子ちゃん)にも非があるようなことを それも本人に対して言い放つデリカシーの無さに抗議すると同時に、C太郎くんやその保護者に対して どのような話し(聴取)をしたのか確認するようアドバイスしました。
今回のことは いわば〝大人の価値観〟に依(よ)れば、それぞれの者が保身に走り 事(こと)の決着をつけずに、自分の立場は守りながら 責任を押しつけ合って〝玉虫色〟に収めようとするハラが見えます。
そんな中 であります。
一番の被害者であるハズのA子ちゃんが にわかに信じられないような「金言」を口にし、私は 大いに感心させられました。
何と A子ちゃんは「ワタシ、これからC太郎くんと仲良くなろうと思う。仲良くなれば 叩かれることなないでしょ。」とママのBさんに告げたとのことでした。
何という素晴らしい発想。もっと言えば 大人での価値観では思いつかない発想と言えるでしょう。
自分は全く間違えていない。なのに 理不尽にC太郎くんに叩かれ、あげく信頼する担任からも「A子ちゃんも悪い」ようなことを言われれば、こちら(A子ちゃん)がヘソを曲げても何ら不思議はありません。
しかし、A子ちゃんは 実に大きな器(うつわ)の持ち主だったのです。
今回 C太郎くんが私(A子ちゃん)を叩いたのは、C太郎くんと意思の疎通が無かったからじゃないか。
だったら、いっそ 私の方からC太郎くんに歩み寄っていこう。
その結果 彼との意思の疎通が得られたならば、叩かれるなどの反発し合うような間柄にならないんじゃないか。
理不尽な扱いを受けながらも、A子ちゃんは 敢えて相手(C太郎くん)の懐(ふところ)に飛び込もうとしている。
そして、そのことこそが 対立の構図を避け、最良の解決方法につながる。
そのことを 幼心ながら感じ取った優しい感性には、感心するばかりでありました。
・・・・・・。
一連の A子ちゃんの素晴らしい感性に基づく考え方を聞いて、図らずも私は「青木島遊園地問題」を重ね合わせたところです。
この問題を振り返れば、一部の苦情者の一方的な「声」を怖(おそ)れた所管課職員は ただただ相手の要求を呑(の)むばかり…そして無為に時間ばかりが経過し 事態はのっぴきならないところまで突き進んでしまった。
もし こんな事態に至る前の所期の段階で、所管課職員(それは公園管理者に限らず)が積極的に苦情者に歩み寄り、相手の言い分を聞くに併せて市の(チルドレンファーストの)考え方を丁寧に伝え 理解を得る努力を重ねていたとすれば。
少なくとも 無碍(むげ)に遊園地を潰して〝ナントカビジョン〟なる大風呂敷を広げるようなことにはならなかったのではないか。
今回の A子ちゃんの勇気ある行動を巡っての顛末は、相変わらずの 大人の価値観による「議論のスリ替え作為」を見せられると同時に、そんな小(こ)つまらないプライドに拘泥(こうでい)する大人の了見を大きく超えた、子どもの 無垢(むく)で、でも広い心に基づく考え方の素晴らしさを見せてもらった感でありました。
〝大人の価値観〟で捉(とら)えれば 大きな争議に発展してしまうような問題が、無垢(むく)な子どもの「逆転の発想」で 場の空気自体が(イイ意味で)変わってしまい、却(かえ)って子どもに教えてもらうこととなりました。
数日前、小学校低学年の女児(A子ちゃん)の親御さん(Bさん)から相談のLINEが。
訊(き)けば、登校中に 横断歩道の無い場所(道路)を横断した同級生男児(C太郎くん)を「そこは渡っちゃいけないトコだよ!」と注意したところ、C太郎くんは逆ギレし Aちゃんの顔を強く叩いてきたそうです。
ただでさえ小柄なA子ちゃんは、男児のC太郎くんの突然の暴力によって鼻血を出すなどのケガを負ってしまったそうです。
驚くべきは そのことについての担任の一言です。
担任は、A子ちゃんのケガを案じながらも A子ちゃんに対し「A子ちゃんも 言い方がキツかったから叩かれちゃったんじゃないの。」と言い放ったそうです。
それを聞かされたA子ちゃんは 友だちに正しいことを言ってあげたのに叩かれ、あげく信頼を寄せる担任の先生からも 自分(A子ちゃん)に非があるようなことを言われ、心身共に傷ついてしまったそうです。
これは正(まさ)に〝話しのスリ替え〟でしょう。
本来 担任は、先ずはC太郎くんが横断歩道以外の場所を渡ったこと そして理由の如何(いかん)に関わらず暴力を振るってはならないことを諫(いさ)め、そのうえで 勇気をもってC太郎くんを注意したA子チャンの行為は、褒(ほ)めることはあっても「そんな言い方だから…」などと詰(なじ)ることは筋違いも甚(はなは)だしいところでありましょう。
一連の出来事を聞かされ、それも愛娘も悪いようなことを言われたBさんは 到底納得できるものではなく、後日 担任はもとより教頭も交えてこの顛末(てんまつ)について話しをすることにしてるとのこと。
私も この顛末に強い違和感を覚えたことから、今後の事実確認の際には こちら(A子ちゃん)にも非があるようなことを それも本人に対して言い放つデリカシーの無さに抗議すると同時に、C太郎くんやその保護者に対して どのような話し(聴取)をしたのか確認するようアドバイスしました。
今回のことは いわば〝大人の価値観〟に依(よ)れば、それぞれの者が保身に走り 事(こと)の決着をつけずに、自分の立場は守りながら 責任を押しつけ合って〝玉虫色〟に収めようとするハラが見えます。
そんな中 であります。
一番の被害者であるハズのA子ちゃんが にわかに信じられないような「金言」を口にし、私は 大いに感心させられました。
何と A子ちゃんは「ワタシ、これからC太郎くんと仲良くなろうと思う。仲良くなれば 叩かれることなないでしょ。」とママのBさんに告げたとのことでした。
何という素晴らしい発想。もっと言えば 大人での価値観では思いつかない発想と言えるでしょう。
自分は全く間違えていない。なのに 理不尽にC太郎くんに叩かれ、あげく信頼する担任からも「A子ちゃんも悪い」ようなことを言われれば、こちら(A子ちゃん)がヘソを曲げても何ら不思議はありません。
しかし、A子ちゃんは 実に大きな器(うつわ)の持ち主だったのです。
今回 C太郎くんが私(A子ちゃん)を叩いたのは、C太郎くんと意思の疎通が無かったからじゃないか。
だったら、いっそ 私の方からC太郎くんに歩み寄っていこう。
その結果 彼との意思の疎通が得られたならば、叩かれるなどの反発し合うような間柄にならないんじゃないか。
理不尽な扱いを受けながらも、A子ちゃんは 敢えて相手(C太郎くん)の懐(ふところ)に飛び込もうとしている。
そして、そのことこそが 対立の構図を避け、最良の解決方法につながる。
そのことを 幼心ながら感じ取った優しい感性には、感心するばかりでありました。
・・・・・・。
一連の A子ちゃんの素晴らしい感性に基づく考え方を聞いて、図らずも私は「青木島遊園地問題」を重ね合わせたところです。
この問題を振り返れば、一部の苦情者の一方的な「声」を怖(おそ)れた所管課職員は ただただ相手の要求を呑(の)むばかり…そして無為に時間ばかりが経過し 事態はのっぴきならないところまで突き進んでしまった。
もし こんな事態に至る前の所期の段階で、所管課職員(それは公園管理者に限らず)が積極的に苦情者に歩み寄り、相手の言い分を聞くに併せて市の(チルドレンファーストの)考え方を丁寧に伝え 理解を得る努力を重ねていたとすれば。
少なくとも 無碍(むげ)に遊園地を潰して〝ナントカビジョン〟なる大風呂敷を広げるようなことにはならなかったのではないか。
今回の A子ちゃんの勇気ある行動を巡っての顛末は、相変わらずの 大人の価値観による「議論のスリ替え作為」を見せられると同時に、そんな小(こ)つまらないプライドに拘泥(こうでい)する大人の了見を大きく超えた、子どもの 無垢(むく)で、でも広い心に基づく考え方の素晴らしさを見せてもらった感でありました。
夜半(零時過ぎ)になって、PCが動作不良に陥(おちい)ってしまいました。
画面の真ん中に 何やらパスワードを入力せよとの窓が出現したので、思いついたパスワードを入力。ところが、どのパターンを入力しても動作せず 動作不良(フリーズ)のままです。
仕方がないので、翌朝になって取引のあるOA会社のサービスマンさんに訊くと、契約の問題じゃないかとのアドバイス。
そこで、0120で始まるサービスセンターに電話をかけたのですが、それが「回線が混み合っています」で全くつながらない。
さんざん待ってようやく(電話が)つながり、そこからまたアドバイスを受けながら操作し、やっとこさ動作するに至りました。
日頃は便利に使っているPCですが、いざトラブルとなると 自分ではどうすることもできません。
(メンテの)知識が無いということは、(トラブルの際)如何(いか)に無力かということを自覚(自戒)させられます。
パソコンにスマホにと「文明の利器」を当たり前のように使っていますが、その(便利な)環境の上に胡座(あぐら)をかいている自分がいて その者(自分)は、いかほどの危機管理能力も無いまま日々を過ごしているのです。
ちょっとしたトラブルが 存外に尾を引くことになったこの日、今や活動に欠かせなくなっているPCなどの機器の扱いについて より気を配ってゆかなければと思いをいたしたところです。
◇コロナ感染症「第5類に移行」から 約2週間が経過→大過なきも やはり〝受診・治療(検査)控え傾向〟か
社会を席巻した「新型コロナウイルス感染症」について これまで国を挙げての対応が為(な)されていた「2類相当」から、この5月8日をもって 季節性インフルエンザ等と同等の「2類」に移行(引き下げ)されているのはご案内のとおりです。
このこと(5類移行)に伴い、感染者集約が定点病院のみで行なわれ 公表(報告)が水曜日のみとなったり、(コロナの)診療費が一部有料になるなど その対応が従来と変わってきています。
あれから約2週間。
前掲のとおり、これまで連日に亘り公表(報告)されてきた感染者数や 無料だった診療費(治療費)が有料になったことでコロナ対応の様態が変わってくる(再悪化)ことが懸念されたところですが、感染者数については 今のところ大きな変化は無く、これまでと同様に〝低数横ばい傾向〟を維持しているようですが、診察・受診の様態には 若干の変化がみられるようです。
さきの報道によると、先週の水曜日が 5類に移行してから初の発表日であったことから注目されましたが、結果は 県内の医療機関で、1つの医療機関当たり3.65人と4人に満たず 先週(2類の頃)とほぼ横ばいだったとのことでした(これまでの全数把握からインフルエンザと同じ県内88医療機関での1週間ごとの定点把握に変更)
報道の内容は「保健所別では 北信で10.40人と最も多く、次いで上田の6.38人、松本市の4.60人などとなっています。年齢別にみると、20代と40代の割合が多くなっていて 県では大型連休中に動きのあった年代で増えている可能性もあるとしています。入院している人は16日現在で109人、うち重症が4人・中等症が11人。患者の数の把握方法は変わったものの、ほぼ横ばいで推移している」としていました。
長野市保健所に照会すると、長野市においても 5類移行後は「感染症情報」として 季節性インフルエンザと同じ表(ひょう)の中で感染状況を報告することになっています。
コロナ感染症も 感染性胃腸炎やインフルエンザと同じ調査の枠に入れられ、週1回の報告の遡上に載ることになっています。
ちなみに〝5類初登場〟のため、週ごとの発生者数を示す折れ線グラフは「点」のみで 2点以上を結ぶ「線(折れ線)」を成していません。今後 報告が第2週~3週と続くうちに、発生件数の変化が目視されるようになります。
今後も いわば粛々と感染者の推移は公表(報告)されてゆくことになります。
今のところは「2類相当」から大きな変化は無いところですが、5類になったとしてもコロナが居なくなった・または弱毒化したワケでは決してありませんので、今後も最大限の注意を払いながら社会生活を送るべきことは言うまでもありません。
[参考]長野市感染症情報/長野市HP
↓
長野市感染症情報
長野市
ところで「5類移行」の もう一つの大きな変化である「診療費(治療費)の一部有料化」に伴い、医療現場は(案の定)変わりつつあることが 併せ報じられています。
有料化に伴う〝治療控え傾向〟です。
報道によると、県内(松本市)の医院でも コロナ受診の一環でもある「PCR検査」を希望しない患者が増えているとのこと。
これまで無料だった検査費用が、診察料と合わせ 約5.000円かかるようになったことからか、今までは医師が検査を勧めれば受けていた患者が「検査はいりませんので診察だけお願いします」という風に変わってきているそうです。
ところが これが痛しかゆしとなっているそうです。
というのも 医師曰(いわ)く「風邪でもコロナでも、熱が出た・のどが痛い・咳や痰(たん)が出るといった初期症状は共通しているので、それがコロナなのかはPCR検査をしてみなければ分からないのです。しかし それが任意(有料)となれば、医師から強制的に(PCR検査を)受けさせることもできず、(コロナか否か)ハッキリしないままに処方しなければならないのです。」とのこと。
また、万が一の入院調整についても 医療機関相互の手に委ねられることになっていることから、現場の負担が増すことへの危惧が吐露されていました。
コロナ5類移行については、前掲のとおり 今のところ大過なく推移しているようですが、今後の状況によっては 患者の増加や医療現場の混乱(負担増)など、不測の事態に至ることは無いとは決して言えず 相変わらずの予断なき対応が求められるところでありましょう。
そのような中 この時期にインフルエンザが流行(はや)り始めているとの一部報道もあり、私たちは さまざまな流感に注意しなければならないようです。
それにつけても、コロナ感染症に有効な口径薬の供用が待たれるところであります。
日々 何やらバタバタしているのですが、この日(20日)も バタバタすることとなったのでした。
朝は早うからオフクロから電話があり、様子見に行くことに。
と いうのも、さきの出張中に電話があり「団地(須坂市明徳団地)で〝空き巣被害〟があった」とのことだったのです。
ヨク訊(き)くと、被害に遭ったお宅は「空き家」だったそうです。
朝 やや早い時刻に玄関チャイムが鳴るので出てみると、いつもオフクロを気にかけてくれるお向かいの奥さんが慌てた様子で「隣りの空き家に泥棒が入って、警察が調べてる」と伝えてくれたそうです。
オフクロんちの斜向かいのその家は もう10年も前に家主さんが他界したのですが、ご親族が群馬だかにお住まいのため継ぐ人がいなく 以来「空き家」になっていたそうです。
それでも、家族の依頼で庭の手入れだけは造園屋さんに頼んでいたのですが、先週 その造園屋さんが庭に入ったところ、窓の一部が割れているのに気づき 通報に至ったようなのです。
オフクロ曰(いわ)く「こんな閑静な団地で こんな物騒なことが起きるなんて…施錠は怠りなくしているけど、怖くて仕方が無いわ。」とのこと、そりゃあそうです。
報道等では 実にいろんな事件・事故が伝えられていますが、実際に身近で起きたとなれば 心中穏やかならぬことは察するに余りあるところです。
で、宅内に1ヶ所 施錠に不安があるとのことでしたので、取るものもとりあえず車首を向けました。
(この「空き家での空き巣被害に起因する諸問題」については これまでも(空き家問題に)関わっており、識者から指南を受けていますので 後日また触れさせていただきます)
家で オフクロの話しを傾聴したうえで、所轄の警察に電話し 団地内のパトロールを強化してくれるよう依頼しました。
と…実家についてメンテしている最中(さなか)、篠ノ井岡田にお住まいのOさんから電話があり「ムラ(岡田)のお寺さんが火事だ。すぐ来てくれ!」との報が。
オフクロに事情を話し飛び帰ることとし、屋島橋~五輪大橋経由~南パイパスの最短コースを駆って 現場(げんじょう)のお寺さんに向かうと、境内にある庫裡(くり)の屋根が焼け落ちる大きな火災となっていました。
このお寺さんは、茶臼山公園にほど近い「観照寺」篠ノ井岡田の集落内に位置し、近隣をはじめとする檀家衆を抱える 真言宗智山派の寺院です。
私が現着した際には ほぼ鎮火していましたが、屋根裏などで未だ燻(くすぶ)る火勢があり、念入れの消火活動が継続されていました。
現場には 消防士はもとより 一報を受けて多くの消防団員さんが集結され、かいがいしく補助活動を担っておられます。
火災の末期には 屋根裏から再出火することが間々あることから、消防士の指示で 団員さんが、その方(屋根)に向けて 念入れの放水を行なっていました。
〝お寺さんでの火事〟と聞いて、私は 線香やロウソクが原因かと思いましたが、訊けば 今回の火災原因は「天ぷら揚げ」とのことでした。
家人が庫裡の台所で天ぷらを揚げていたところ 何らかの理由で燃え上がり、火の手が天井まで及んで 手の施(ほどこ)しようが無くなってしまったそうです。
折りしも季節は山菜の時期。天ぷらを揚げる機会も増えるところであり、今回の昼火事は 他人事では済まされないところです。
通報してくれたOさんと(電話で)一致したのですが、この日の火事の〝不幸中の幸い〟は「風が吹いていなかったこと」です。
ついこの間は 域内を強い風が吹き往生したところでしたが、万一 その(強風の)気象と火事が重なったとすれば…庫裡と廊下でつながる本堂も延焼を免れることはできず、寺社全体が燃え尽きる惨事となってしまったことでしょう。
Oさんは電話で「泥棒は金目の物しか持ってゆかないけれど、火事は一切合切(いっさいがっさい)持ってっちゃうから怖い。お互い気をつけような。」と言っておられました。
奇しくも〝泥棒騒ぎと昼火事〟の両方に触れた この日のバタバタ行程。
いずれも「他人事(ひとごと)じゃない」の感を強くもったところです。
Oさんは このお寺さんの檀家ではないとのことですが、(宗教団体への行政の介入はできないものの)ご関係者から お困りの声が出されれば、関係機関につなげるので その際はご一報くださいとお伝えしました。
ところで、この日の昼火事の現場は 集落の中にあるお寺さん。
火事場につながる道路は 昔ながらの〝荷車道路〟狭隘(きょうあい)な道幅となっています。
消防車や救急車などの大型な緊急自動車は現場まで入ることができず、直近までの駐車を余儀なくされ、そこから延々とホースを連結しての消火活動となっていました。
このような地勢においても、消火などの災害対応は貫徹しなければならない。
昔ながらの集落における(災害対応の)難しさをも実感させられたところです。
[参考]天ぷら火災の対応
↓
これだけは気をつけたい 天ぷら火災 | 植物油のおいしいおはなし | 植物のチカラ 日清オイリオ
今週、5月16日から18日の3日間、長野市議会建設企業委員会にて行政視察を行いましたので報告いたします。尚、議会への報告書原文を掲載します。
5月16日(火)
福島県福島市 「新まちなか広場整備事業について」
<概要>
令和3年4月から令和9年1月までを期間とした「福島市中心市街地活性化基本計画」は9事業の整備を進めるとし、「新まちなか広場整備事業」もその一つである。
当該地は、平成11年6月に暫定広場に、令和元年に暫定オープンとなったが、当初計画していた公益施設としての位置づけを断念した経緯がある。令和2年4月、換地処分を行い、「新まちなか広場」として着手するに至った。
新まちなか広場は、フレキシブルな場、まちのランドマーク等をコンセプトに、「都市防災総合推進事業交付金」を活用し整備された。現在、日常的にランチや待ち合わせ、イベント等に利用されコンセプトに掲げた活用が図られている。
<所感>
音楽を意識したイベント開催や日常的に利用される機会が増し、また、公の施設とされていることから、公益性の有無によらず多くの市民による広場利用が図られ、有益な場となっているのではないか。
また、福島市の利用促進を図る取り組みとしての広場使用料の減免は、街なかの賑わいづくりを後押しする仕組みであると考える。
しかし、平日の利用者が限定的であること、冬季の利用促進、利用者のニーズ把握が不十分なことから利用者目線に立った改善が進まないこと等、更なる取り組みが求められている。今後、指定管理者制度導入を検討するとのことだが、課題を認識した上で、解消に向けた方策を思案していることから、更なる賑わいと活性化等、コンセプトに掲げた広場となることに期待したい。
福島市の特長として音楽が挙げられ、新まちなか広場において利用促進の一つの柱であるといえる。長野市は、様々な施設の利用促進や活性化を図る上で、長野市における特長や強みをとらえ、それを活かした整備を進められたい。
5月17日(水)
愛知県岡崎市 「空き家対策」について
<概要>
岡崎市は、現在、空き家について、①二次的住宅(いわゆる別荘)、②賃貸用住宅(賃貸で一時的に住んでいない住宅)、③売却用住宅(買主が決まっていない住宅)④その他の住宅(居住世帯が長期に渡り不在となっている、死亡により居住者がいない住宅)と4つに分類し、特に、④その他の住宅を管理が行き届いていない空き家として、発生抑制と除去、活用促進に向けた対策を進めている。
空き家の現状について令和3年5月から令和4年4月に、机上調査、現地調査、そして、意向調査を行い、現在、市が絞り込んだ空き家を1,425件と整理している。特に、市街化区域では、平成28年から6割程度増加している状況から、市独自の対策を講じている。
(NHK大河放映中につき、市役所では専門のセクションを設けていました)
<所感>
市としての取り組みとして、弁護士、司法書士、税理士、宅健士含め不動産団体と協定を結び連携を図り、令和3年度から、「空き家管理・活用相談員派遣事業」(10件/年)を進め、初年度(R3)5件、令和4年度は10件について対応ができた、とのことだった。
また、令和2年7月、一部を使用している共同住宅の空き住戸を「法定外空き家等」と定義する等とした「空き家等対策の推進に関する条例」を施行し、現行の空き家法を補完するための制度を設けた。
更に、財産管理人制度の新たな取り組みとして、市街化区域外や接道要件のない、また、狭小地の空き家といった売却困難な空き家について、不動産関係団体との連携を図り、市内各所における空き家解消と発生抑制への取り組みを進めている。岡崎市による空き家解消への意欲と空き家解消への課題認識の深さをうかがい知ることができるものだ。
長野市の空き家対策は現在、法律に基づき取り組みが進められており、条例制定には至っていないが、現在、国において議論が進んでいる法改正の後は、岡崎市の条例を網羅した対策が可能となる、とのことだ。人口減少から、現在直面している課題であるとともに、センシティブな問題でもある。丁寧な進め方が求められるが、長野市の空き家解消、発生抑制に向け、解体費用への助成等、市民ニーズに沿った制度の拡充を図られたい。
5月18日(木)
広島県福山市 「中央公園リニューアル」について
<概要>
2012年3月、福山駅前再生ビジョンが策定され、福山城と中央公園・図書館をまちづくりの核として位置づけ、公共空間の再整備を行った。再生ビジョンでは、エリアの将来像を可視化し、地域資源を活かしたまちづくり、新しいライフスタイルの創出、自治体経営に必要な自主財源確保等に取り組むとして、都市・地域経営課題を明示し、大規模開発からリノベーションまちづくり、へと舵を切った。
中央公園におけるパークPFIは、官民連携による新しい公園の賑わい創出、飲食・物販等のサービス提供により公園利用者の利便性向上と日常生活を豊かにするといった基本方針の下、ソフトのリノベーションを重点的に実施するとした整備方針に基づき導入された。
2019年6月、7月の2か月間の実証実験により中央公園のポテンシャルが再確認され、リノベーションスクール等への参加企業6社により設立されたコンソーシアムにより、パークPFI事業として、ガーデンレストラン他、様々な事業が展開されている。
<所感>
福山市は中心市街地の衰退による、地価の下落、若者や女性の人口流出等、福山市自身の魅力創出を課題としていた。現市長が福山駅前の再生を政策の柱に据え、更に、公民連携やリノベーションスクール等により、遊休不動産を活用する人材発掘や育成に力を注いだ。
また、中心市街地の再生に向け、スクール参加者等の発想や視点を事業に大きく反映させたことは重要なことであり、参考とすべきである。中央公園リニューアルにより、地価の下落に歯止めがかかり、多くの若者や女性が公園利用者となる等、様々な事業を通し、多くの市民が利用する公園となった事例はパークPFI効果を再認識するところである。
中央公園のパークPFIは、公園のリニューアルに基づき取り入れられ、再生を果たしたものだが、こうした事例を参考に長野市において、長年、施設の在り方が検討されている川中島古戦場史跡公園での導入を図るべきだ、と考える。
3か所の視察において、特に感じることは、行政としての視点に留まらず、より多くの市民の視点、考え、思い等を事業に反映させることの重要性だ。加えて、そのためのプラットフォームを形式的なものとせず、また、誰もが考えを伝えることができる土台を作らなければならない。政策決定に至る経緯を大切にしなければならないことであり、その努力を怠ってはならない。 以上です。
5/15(月)~17(木)にかけて、所属する「長野市議会 福祉環境委員会」の行政視察に参加しました。
最終日の17日は 兵庫県尼崎市を訪れ、近年 話題(社会的課題)となっている「ヤングケアラー支援」における先進事例を調査研修する機会をいただきました。
「ヤングケアラー」とは、本来は 大人が担うと想定されている、家事や家族の世話などを日常的に行なっている(担っている)子供のことを指(さ)します。
ヤングケアラーになってしまうことで、家庭における責任感や 一方で(自己負担の)自覚が乏しいままに 自分の生活そのものに影響が及ぶこととなり、結果 学業や友人関係などに影響が出てしまうことがあるものです。
これまでも この〝ヤングケアラー問題〟について話題とはなっていましたが、ここのところの社会情勢の多様化・変遷(コロナ禍を含む)が著しい中において一層の遍在化 それに伴い問題が表面化することとなりました。
そこで 国(厚生労働省)においては、令和4年度に「ヤングケアラー支援体制強化事業の実施要項」が示され、同年度から令和6年度を「ヤングケアラー認知度向上の集中取り組み期間」とし、ヤングケアラーに関して分かりやすく広く関心を集めるような広報・啓発活動を実施することとしています。
[参考]厚生労働省「ヤングケアラー支援体制強化事業の実施要項」
↓
https://www.mhlw.go.jp/content/11920000/yongcarer.support.overview20220331.pdf
そのような中にあって 今回の視察市である尼崎市は、全国に先んじて ヤングケアラー支援に取り組んでおられるのでした。
この日の視察は、尼崎市の子どもの育児支援・ヤングケアラー支援の拠点施設(あまぽーと・いくしあ)で行なわれ、所管の「こども青少年局」の関係課職員から説明を受けました。
「ヤングケアラー支援」については(前掲のとおり)昨年度あたりから公的支援が緒に就いたところであり、それも 現段階では(長野市も含め)〝調査段階〟というのが実際のところであります。
しかし 尼崎市においては、遡(さかのぼ)ること平成30年度には 事前研修会やシンポジウムなどを行なっており、全国に先駆けてのヤングケアラー支援に臨んでいました。
「なぜ このように早く(ヤングケアラー支援に)取り組んだのですか。」私の問いに対し「尼崎市には、そうならざるを得ない社会的背景があるのです。」とのことでした。
その背景には、尼崎市が 全国での住民1人あたりの生活保護費受給ランキングが、計928地域中13位の上位にランクされるなど、厳しい市民生活を余儀なくされる世帯が多くあり その中で「ヤングケアラー」の存在がクローズアップされたことがあったそうです(同ランキングで長野市は533位)
この 尼崎市の(厳しい)社会状況を踏まえる中、国においても(令和4年度「ヤングケアラー支援体制強化事業の実施要項」)支援事業が本格化することになったことから、令和元年に設置された「子どもの育児支援/いくしあ」の活用も含め、さまざまな支援事業に取り組んでいます。
◆ヤングケアラーピアサポート事業(こども青少年課)
・ヤングケアラー同士が 自らの悩みや不安を共有・相談できる居場所を提供(委託事業)
・毎月1回のイベント開催により 当事者相互の関係性を構築
◆ヤングケアラー等世帯訪問支援事業(こども相談支援課)
・家事 育児に困っている世帯に専門の訪問支援員を派遣、掃除・洗濯・配膳などを支援
説明を聴取するうち 私は、尼崎市のヤングケアラー支援が 非常に機微(きび)に触れたものであることを実感しました。
聴取の中で 私は「ヤングケアラーピアサポート事業」と「ヤングケアラー等世帯訪問支援事業」が いわば車の両輪を成していることに気づきました。
すなわち「ヤングケアラーピアサポート事業」は、当事者の気分転換を促す いわばソフト事業であり「ヤングケアラー等世帯訪問支援事業」は、当事者の生活そのものを実施的に支援する いわばハード事業であること、その双方の支援を並行して行ないながら、なおかつ所管課は ヤングケアラーに該当する若者を温かく見守り、そして(ここが非常に肝心なのですが)個人情報の保護(秘匿)を遵守したうえで キメ細かい支援を行なっているのでした。
尼崎市(こども相談支援課)においては、子どもの支援を担う「児童ケースワーカー」を (前掲の)「いくしあ」に2名・保健行政拠点の「北部保健福祉センター」に9名・「南部保健福祉センター」に8名を配置し、それぞれが担当地区を持ったうえで 家庭児童相談に当たっています。
尼崎市においては、これまでも 児童虐待などの家庭問題について相談・支援を行なっていますが、昨今のヤングケアラー問題の遍在化に鑑み 関係者が改めて「要保護児童対策協議会」の場での情報交換や「いくしあ」に寄せられる相談を受けるなどして 児童生徒の中にヤングケアラーに該当する子がいるか等との状況把握に努め、関係者が協力し合って支援に当たっているとのことです。
そのうえで尼崎市では、令和4年度から「ヤングケアラー等世帯訪問支援事業」を開始、ヘルパー派遣により 子どもや保護者の負担軽減を図り、世帯全体の自立を促す取り組みを継続しています。
「ヤングケアラー等世帯訪問支援事業」は、敢えて広報を行なっていないとのこと。
これは、該当世帯(児童)に対する配慮とのこと。情報は表(おもて)に出さず、あくまで児童ケースワーカー⇔当該世帯との 相互信頼に基づく情報共有体制の中でヘルパー派遣を決定し、いわば〝陰(かげ)ながらの支援〟に徹しているそうなのです。
また、前掲の 子どもの育ち育成センター「いくしあ」には、尼崎市教育委員会事務局 こども支援課が入っており、スクールソーシャルワーカーを通じて 市長部局・児童ケースとの情報共有を図っているとのことです。
そして 資料の最後には、ヤングケアラー支援で注意すべきこと(難しさ)について触れていました。
すなわち、ヤングケアラー自身は「自分がヤングケアラーであること」を自覚しないままに(厳しい)日常生活を〝当たり前のこと〟として送っていることがほとんどであることから、関係者(大人)の無遠慮な介入が 子どもや世帯のスティグマ(劣等感)を呼び起こすことにもなってしまうことがあるそうです。したがって、事業展開については慎重に進めなければならない とのことでありました。
「ヤングケアラー支援」については、遠からず 長野市においても具体的に取り組むべき課題となることは必定です。
尼崎市の先進事例を学び、私たちの暮らす地域においても その知見を然るべく役立ててゆくべきことを実感いたしました。
所属する「長野市議会 福祉環境委員会」の行政視察に参加しています。
この日(5/16)は、奈良県奈良市の「奈良市子どもセンター」および「保育園のコットベッド」について調査研修を行ない、そこで〝現場の声〟を聴取する いわば醍醐味のようなものを実感することができました。
◇「奈良市子どもセンター」について
奈良市は、全国の自治体に先進して(3番目)子供を保護(庇護)する「児童相談所(児相)」を市独自に保有し、それを含めた総合的な子ども関連施設「奈良市子どもセンター」を管理運営しています。
児童相談所は「子どもに関する家庭その他からの相談に応じ、子どもが有する問題又は子どもの真のニ-ズ・子どもの置かれた環境の状況等を的確に捉え 個々の子どもや家庭に最も効果的な援助を行ない、もって子どもの福祉を図ると共に その権利を擁護する」ことを設置(活動)理念として運営されています。
しかして その(相談)内容は、児童虐待やDV(家庭暴力)など 子どもの生存権をも脅かす機微に触れたものになっており、その対応には関係者の綿密な連携と真摯な対応が求められています。
そのような中 奈良市においては、平成29年に「改正児童福祉法」が施行され これまで都道府県が設置主体であった児童相談所が「中核市(並びに特区)でも(児相を)設置できる」との附則が盛り込まれたことを契機に、当時の市長の指示で 奈良市として児童相談所を設置する運びとなったとのこと。
同年10月には 庁内に「県市児童相談所検討プロジェクトチーム」を設置、翌30年には「奈良市児童相談所等のあり方検討会議」を発足させ、市独自の児童相談所を含む総合的な子ども支援施設(機関)の設置に向けた検討を進め 令和4年4月に「奈良市子どもセンター」として供用開始されました。
(写真は資料)
「奈良市子どもセンター」には 前掲の「奈良市児童相談所」を初め、就学前の子ども(保護者)が自由に遊べる「キッズスペース」妊婦さんと0〜3歳児の 子どもと家族が集える「地域子育て支援センター」就学前の児童の発達障がい等に対応する「子ども発達相談(所)」家庭のさまざまな悩みについて相談を受け支援につなげる「子ども家庭総合支援拠点」さまざまな事情により 一時的に子どもが家庭から離れて生活する「一時保護所」が設けられています。未満児から未就学児とその家族・そして課題を抱える子どもの〝駆け込み寺〟ともなる施設(児相)の設置に伴い「奈良市子どもセンター」は、まさに実効ある子ども支援拠点として活用されているのでした。
このような総合的な機能を有する「奈良市子どもセンター」は、奈良市子ども未来部を筆頭に組織を成しています。
「子どもセンター」は、子ども未来部の中で独立した所管となっており、その中に「子育て相談」「一時保護課」「子ども支援課」の各課で業務を分掌しています。
その中でも、特に注目すべきは やはり奈良市が独自に運営する「奈良市児童センター」でありましょう。
前掲のとおり、児童(子ども)を取り巻く問題は 多岐に亘ると同時に機微(きび)に触れる内容が多く、それは例えば 大人の立場(所管)の解釈によっても対応が異なる場合が考えられます。
奈良市は、特に児童相談所に関する課題(問題)について その所管が市⇔県と異なるよりも、市が独自に児相業務を担った方が「子どもに寄り添う対応」ができるのではないかとの考えの下、児童相談所を市単運営することを選択したそうです。
そのうえで 奈良市子どもセンターの児童相談所は、下記に「めざす4つの視点」を設け事業に臨んでいます。
①子どもとその家庭に「寄り添う児相」
・共に考える「伴走型支援」・発達相談・権利擁護 等
②地域のさまざまな社会資源と連携して支援する「まちの児相」
・保健センターや保健所との連携・行政と一体となった支援・地域の支援者や里親との連携
③外部の声を聞く「開かれた児相」
・アドバイザーの活用・第三者評価の活用(意見拝受)
④気軽に寄って相談できる場所
・キッズスペース・地域子育て支援センター
また「奈良市児童相談所」が連携する機関は、下記に及んでいます。
奈良県庁・奈良県児相・市本庁・市教育委員会・保健センター・里親・乳児院・児童養護施設・児童虐待防止ネットワーク団体・社会福祉協議会・医療機関・民生児童委員・消防・警察・学校・中間教室・こども園・保育所・幼稚園・外部アドバイザー
子どもに関するあらゆる機関と連携して児童相談(保護・庇護)にあたっていることが分かります。
私たちの視察に対し 説明者を担ってくださったセンターのH所長は、施設設置の際の苦労と 設置後のさまざまな機関との連携、それだけに それら関係機関との連絡調整の重要さと大変さを吐露してくださいました。
当然のことながら、奈良市独自の児童相談所の設置は(奈良市にとって)初めての事業であることから、市長の英断を受けた後は 議会対応や県との調整・奈良市職員が 児相の職員として適切に機能できるように職員研修・また 実際の相談事案(DVや虐待等)が発生したときの警察等への通報や送致などの難しさが、実感をもって伝えられました。
そのうえでH所長は「子どもの権利」について強調されておられ、そのことが強く印象として残りました。
すなわち、子どもに向き合う全ての大人は「子どもの権利」を尊重し、ときに「子どもの意思表示」を真摯に受け止めてゆかなければならない。
そのために奈良市では「アドボケイト」なる〝被相談者〟を設け、かかる子どもの意思表示を受け容れているそうです。
「アドボケイト」とは、権利表明が困難な子ども・高齢者・障がい者など、本来は個々人がもつ権利をさまざまな理由で行使できない状況にある人に代わり その権利を代弁・擁護し、権利実現を支援する人を指(さ)し、奈良市では 県弁護士会と連携し、弁護士の有志をもって その任に就いていただいているそうです。
〝奈良市版アドボケイト〟は、子どもたちから「アドボのおっちゃん」として親しまれながら、子どもの抱える「(H所長いわく)しょーもない相談」を聞きながら それを端緒に(子どもや家庭の抱える)本当の課題(深層)を明らかにしつつ、適切な解決を図る努力を重ねているそうです。
ここに「奈良市児童相談所」が市民(子ども)に寄り添う活動を実践している姿を垣間見たところでありました。
長野市においても、子どもを初めとする いわゆる社会的弱者の人たちを取り巻く問題や課題は多岐に亘っていることから、この奈良市の実践例を大いに参考にし 真に市民に寄り添える市政が為(な)されるよう計らってゆくべきと思いをいたしたところでありました。
◇奈良市保育園「コットベッド」配備事業
奈良市は、公立保育園について 園児を対象にした「コットベッド」を配備しています。
「コットベッド」とは、子ども(園児)のお昼寝(午睡)に用いられる 個別に配備される簡易ベッドのことを指(さ)します。
硬質プラスチックのフレームに、園児が横になる面はポリエステルのメッシュが施されており、そこに敷布(シーツ)を敷いて子供を寝かせ 敷布のみを交換(洗濯)するものです。
フレームの支柱が約10cmほどの高さがあるため、子供が横になる際の敷布が床に直接触れずに済み 埃(ほこり)が人体に付着する率が著しく低下、またアレルギーの原因となるダニの繁殖も防ぐメリットがあり、また かかる(床上10cmの高さを伴う)三次元構造や一人一台の個別利用に伴い、頭ジラミやノロウイルスに代表される感染性胃腸炎など、様々な感染症が毎年度発生している中、集団保育における様々な感染症の拡大を防止できます。
さらに ベッド面はネットのため、汗などで湿ってもすぐに乾くとともに、おねしょなどで汚れても水洗いができ、さらに座面がネットのため 子供が横になると身体を包み込むように凹(くぼ)むことから、お母さんのお腹の中にいるような安心感と心地よさが感じられます。また、自分のスペースが確保できるため睡眠が安定します。そのうえ、床とベッドの間に空気の層ができるので 夏は涼しく冬は暖かい保育環境を提供できるとのことです。
また コットベッドは重ねて収納することができるため、お昼寝の準備や収納も簡単かつ効率的にでき、さらに綿入れのお布団が要らなくなったことで 持ち帰りの際の保護者負担も大きく軽減されているとのことです。
奈良市のこの事業で特徴的なのが〝財源〟でありました。
「コットベッド配置事業」の財源について、コロナ禍で国から交付された 支弁に自由度のある「持続化給付金(10/10)」を活用し、市の負担ゼロで 全ての園児にコットベッドをあてがうこととしたそうです。
(コットベッド自体が、園児同士の距離を保つこととなり〝コロナ対策〟の効果は大きかったようです)
「持続化給付金」については 自治体ごとにさまざまな用途があったところですが、こんな使い方があったのか、と 目からウロコの支援金の活用でありました。
「コットベッド」の導入で、なかなか寝付けなかった園児も「自分のベッドだ」との歓心をもって午睡することから〝一石二鳥〟の効果があるとのことでありました。
さまざまな面で子どもに寄り添う施策を展開する奈良市。
その具体的内容と共に、説明に当たってくださった職員の熱意や思いが直(じか)に伝わり〝子ども行政かくありなん〟を実感させてくれたのでした。