長野市議会議員会派

改革ながの市民ネット

「日常」の大切さ

ことし令和5年は「統一地方選挙」の年です。

長野県においては 4月に県議会議員選挙・長野市においては9月に市議会議員選挙が執行されます。

で、この日(8日)には、長野県議会議員選挙が選挙期間を終えました。

今回の選挙については、私は当事者ではないため いわば俯瞰(ふかん)で各陣営の様子を見守り、ひいては地方議会議員瀬挙の有様(ありよう)について考える機会ともなりました。

そんな中で実感したのが「何のために選挙に臨むのか・何を思って議席獲得をめざすのか」ということでありました。

 

特に今回の県議選は いわゆる〝コロナ明け〟ということもあり、各陣営とも準備不足の感が否めず 告示の間際になって活動全開、陣営によっては告示間際になって立候補を表明し〝泥縄〟とまでは申しませんが、かなり慌ただしい中でスタートしたところも少なからず見受けられたところです。

選挙には、業界用語で「地上戦」と「空中戦」との区別があります。

「地上戦」とは、比較的地道な活動で 日常的にお宅訪問など「足」で稼ぐやり方で、これには時間と労力が要されるところです。

これに対して「空中戦」は 主に遊説カーによる宣伝活動で、一度に多くの方々に自分の訴えを聞いていただけるメリットがある反面 いわゆる〝上滑り〟になるリスクも孕(はら)んでいます。

そのうえで、今回の県議選は その「空中戦」に臨む候補者が少なからず居(お)り 私とすれば驚かされるところとなりました。

そもそも 特に地方議員というものは、日常活動の中で人との関わりを持ち その縁(ゆかり)をもって支持を固め・広げ やがて来る改選期に臨むものではないかと思っていたところ、そのようなプロセスを踏まずに いきなり空中戦に打って出ることには、違和感というか 逆に言うとその勇気に感心さえしたものでした。

私には、そのようなことはできません。

今回の県議選でのさまざまな陣営の活動を見て、そこで私自身は 完全に「地上戦型」であることを再認識することとなりました。

 

で さらに言うと、当選(改選)に向けた〝支持拡大〟についての何たるか も 。

その通底には 自分(候補者)自身が「何のために選挙に臨むのか」を明確にしなければ(有権者には)伝わらないということがあり、そのためには いかに日常活動が大切であるか、ということを再認識させられました。

何というか「信念」というと やや大げさですが、候補者(議員)自身が 確たるプロセスをもって日常活動に臨み、そのプロセスに共感してくださった人が いわゆる支持拡大のキーマンとなってくださる。その積み重ねこそが 真の支持者として「輪」を広げる礎(いしずえ)になるのです。

今回の県議選においても、日頃からプロセスをもって活動を重ねている候補は 比較的安定的な選挙戦を展開しており、対して それらの積み重ねの無い候補を抱える陣営は、空中戦が中心になったりの不安定な戦いを強いられている様子が見て取れました。

さらに言えば、選挙に際し 当該に候補者に〝ニーズ〟が有るか無いかで、その評価が大きく分かれることも実感することに。

いくら候補(陣営が)「議場に送ってください!」と叫んでみても、その候補にニーズが無ければ票は集まらないもの。それには、日常活動を通じてみなさんのニーズを集め それに応えてゆく積み重ねこそが重要であることを再認識させられました。

ある人に言われました「なあクラちゃん、政治家なんてものはヨ 普段せっこ良く動いておいて、選挙が始まったら泰然自若としていられるようじゃなきゃダメだぞ。だから日常の活動を大切にして過ごせ。」と。

まさにそのとおり。

告示を迎えてバタバタと走り出す陣営を横目に、自らを戒めたところでありました。

 

 

 

青木島遊園地存廃問題 =否応なく進められる廃止に向けた動き=

大きな社会問題となっている「青木島遊園地存廃問題」ですが、長野市は 新年度を迎えたのを待っていたかのように、施設(遊園地)の廃止に向け動き出すことになっています。

 

私自身 これまでも遊園地の存続を願う会の方々に乞われ、また 私自身も、今回の事(こと)の運び(運び方)に大きな疑問を抱く中で 遊園地存続を願うみなさんの意に共感し、存続活動の いわば後方支援を担わせていただいています。

 

先日には「存続を願う住民有志の会」の方々が、改めて市に対し「公開質問状」を提出しました。

 

 

 

※質問の内容については、別枠(後掲載)に掲載しております。

公開質問状にあるとおり「願う会」の方々は、市が遊園地廃止に いわば突き進んでいる経過について 未だに疑問を投げかけておられます。

そして、その 何とも言えない〝納得できない感〟は、決して かかる願う会の方々だけでは無く、私も含め 多くの市民の方々にとっても、未だ胸の内に燻(くすぶ)る 悪しき共通認識であろうと思います。

本来であれば、未来ある子どもの居場所を守るべき大人…それも地域自治を担うべき公僕の者が 自分たちの手で(子どもの居場所を)奪おうとする所作は、到底納得できないどころか そこに大きな違和感と疑問を禁じ得ないところでありましょう。

で さらに悪しきことは、市(市長)は それが望まれないことと判っていながら〝大人の事情〟をもって(遊園地廃止を)強行しようとしている。

さらにさらに悪しきことには、それら(遊園地廃止)について「行政手続き上は瑕疵(かし)は無い」とし、形式上では問題ないことを錦の御旗と掲げ いわばブルトーザーが整地するかの如くに事(こと)を進めようとしているのです。

その所以(ゆえん)をもって、未来ある子どもたちの放課後の健全育成をひたすらに思う「願う会」の方々は このままの状態を看過すれば、この遊園地の存廃問題に止(とど)まらず、長野市自体の 子育て(子育ち)に向き合う姿勢そのものが問われることになってしまうことに大きな危機感を抱いておられるのです。

「願う会」の方々は、単なるワガママやエゴを根拠に遊園地の存続を求めているのではないのです。

 

 

その一方で、長野市においては 青木島遊園地の廃止に向け、更地化の工事に着手することが明らかになりました。

 

 

 

これまでの経過の中で、一見すると 市(市長)は「これまで 苦情対応など努力を重ね、住民説明会も開いて最善を尽くした」としているところですが、ヨク見れば いわゆる肝心な部分は省いたままに事(こと)を進めようとしていることが見て取れます。

それは何いう「説明責任」でなないか と。

市(市長)は、遊園地の存廃がハッキリしない中 いわば〝生煮え状態〟の状況では住民説明会を行ないましたが、その後の〝どんでん返しの廃止宣言〟の後は 住民と向き合うこと無く、議会や記者会見・百歩譲っても区長会に説明しただけで事態をやり過ごそうとしており、いわゆるエンドユーザーたる市民への具体的なフォローも無いままに 更地化の工事計画を進めようとしているのです。

この顛末において、市は説明責任を果たしていると言えるかどうか。

答えは「否(いな)」でありましょう。

 

さらに言えば 市(市長)は、青木島遊園地を廃止する代わりに「子どもの居場所を隣接小学校の校庭に確保する」とした〝公約〟を果たさないままであり、遊園地は廃止されるも 子どもの居場所は無いまま推移する(させる)ところなのです。

 

 

事(こと)は既に佳境に入っているのかもしれませんが、このままを許せば 長野市は将来に大きな禍根を残すことになるでしょう。

 

また 今回の案件を通じて、かかる遊園地存廃問題に止(とど)まらず 市行政に内在するさまざまな問題…いわば膿(うみ)のようなものも見えてくることになりました。

行政手続きの陰(かげ)にある(行政の)本質・情報公開のあり方⇔「公文書」の意義とその信憑性・区長会を隠れ蓑にした住民説明の問題 等々「これでイイのか」という事柄の数々には、市行政に対し危機感すら覚えるところです。

 

私自身「願う会」の方々の活動を支援しながら、その先にある さらに大きな(根深い)課題を感じ取りながら 如何に取り組むべきかを思慮するところであります。

 

 

[資料]公開質問状の全文

「公開質問状」

(青木島遊園地の存廃問題における長野市の対応について)

1,質問の趣旨

 青木島遊園地(以下/遊園地)の存廃問題におけるこれまでの一連の市の取り組み及び対応について、事実と異なる報告が行なわれていること、ならびに事案の処理経過の中に未だ不透明な状況が遍在していること、さらには行政手続きの中に瑕疵とも取れる内容が散見されることなどから、長野市長の見解をご回答願いたく、質問を行なうものです。

 なお、当該質問は公開質問の形式によるものとし、当該質問のやりとりの内容(回答なき場合はその旨)を公開の対象とします。

※当質問状に対する回答は、本書面到達後10日以内に行なわれることを求めます。

 

[質問の内容]

・過去における市の取り組みについて

遊園地を取り巻くさまざまな状況の中で生じた課題に対する市の取組み・対応について未だ疑問とされる点があるので 改めて見解を伺います。

①長野市の資料によると、2017年に 遊園地の愛護会について、苦情が原因で愛護会組織を 解散したいとした資料が残っていますが、当時の青木島区長も青木島児童センター(以下/児童センター)館長自身は「愛護会を解散したい」との事は言っていないと述べており、資料の記述内容と発言の事実(有無)に整合が取れていません。

これは長野市の事実誤認であるか、またはやり取りの内容を意図的に書き換えたのか、見解を求めます。

②2021年3月、児童センター利用児童が遊園地を利用していた際に苦情が寄せられ、館長  がこども政策課に相談した際に遊園地の利用自粛を促す指示をしていますが、その際 問題沈静化のために現場に出向き一方的に児童に我慢を強いる選択をさせたのは、放課後児童の居場所を確保することが職責であるはずの同課の使命を果たしていないのではないでしょうか。見解を伺います。

③遊園地を利用する児童の声が「うるさい」とされ、そのことが問題の根源であるかのように                                                                             報じられてきましたが、実際にはそうではなかったこと、また「うるさい」とされた子どもの声も、長野市の顧問弁護士によると受容の範囲であることが明らかになっています。

それにも関わらず子どもの声がうるさいとされたことに盲従して遊園地の廃止に斜傾した市の所管課の取組について改めて見解を求めます。

④長野市が掲げる「遊園地を廃止する6つの理由」について、時間が経過する中で廃止理由そのものが破綻している状態にありますが、多くの関係者の指摘があるにも拘わらず 市は未だにホームページ等で当初のままの状態で(6つの理由を)掲載し続けています。このことについては訂正または撤回すべきと考えますが、見解を伺います。

⑤長野市のホームページ「青木島遊園地の廃止を判断した経緯」の記述の中に「遊園地開設後、児童センター、保育園、小学校に囲まれた立地の特殊性から集団で利用する環境となり、昼間は保育園や小学校から子供たちが多数訪れ、夕方からは児童センターなどの子どもたちが毎日 40~50 人で一斉に遊ぶという状況になり、大きな声や音が発生していたようです。」とされているが、このうち特に「開設後」「毎日40~50人」との記述は事実と異なり、いわば印象操作との誹りを免れない表現である。このことについて当時の公園緑地課長に訂正を求め受諾されていますが、未だに訂正されていません。なぜこのような事実と異なる表現を行ない、未だ訂正の無いままに推移しているのでしょうか。今後の訂正時期を含め市の見解を伺います。

また、公園への苦情が長年解決されなかったと読み取れる表現は「5人以下で遊ばせていた」という事実誤認が誤った根拠となったのではないでしょうか。

遊園地では実際に5人以下で遊ばせていたという事実は無いことから、なぜこのようは表現を用い続けたのでしょうか。見解を伺います。

⑥令和4年12月議会の答弁で、当時のこども未来部長は「近隣住民が公園の管理を手伝ってくれていることを把握している。」と発言しています。であれば、愛護会の維持が難しいとされた時点で、なぜその近隣住民に愛護会維持に向けた要請等を行なわなかったのでしょうか。市は関係者の言われるままに愛護会廃止に斜傾せず、組織の維持に向け積極的に介入すべきであったと思われますが見解を求めます。

⑦遊園地の土地に関する借地期限は令和7年までと設定されているにも関わらず、今回 地権者への返還が大幅に前倒しされていますが、その理由を改めて伺います。

⑧遊園地の廃止という、利用者ならびに地元住民にとって非常に身近かつ重要な連絡について、回覧板と現地看板のみ、しかも経過も知らされず事後連絡のみでした。この安直ともいえる行政手続きは大きな行政不信の火種ともなっていますが、なぜこのような安直な経緯を辿ることになったのでしょうか。またこのような手続きで住民の理解が得られると考えていたのか見解を伺います。

⑨遊園地廃止を知らせる回覧板を回した際、それ(回覧板)に対する意見や質問が無かったことで すなわち住民理解を得られたと判断したとされていますが、その 住民側に責任を転嫁した安易な手法に大きな疑問を未だ感じています。市(所管課)はどのような判断で、回覧板で済ます、しかも無反応をもって「住民理解を得られた」と安直に判断したのでしょうか。本来は事前説明会やチラシの全戸配布などで丁寧に住民の意向を調査すべきでありました。今回の件における回覧板対応について市の見解を伺います。

⑩過去に区長会や地元市議らが遊園地土地の購入を要望し、当時の市長も購入を目指すことを公言していたのにも拘わらず借地のままの状態が続いていました。この背景には苦情問題が絡んでいるのかなど懐疑的な声が寄せられており、なぜ土地購入の判断に至らなかったのか、当時の経過と見解を伺います。

⑪遊園地の廃止表明については、地権者の理解を得られなかったことが廃止理由とされていますが、この施設は児童センター利用児童・保育園の園児をはじめ地域住民にとっても必要であることから、市は改めて地権者(不動産会社)からの買い戻しも念頭に置いての対応を検討すべきと考えますが、見解を伺います。

⑫現在の青木島児童センターは利用者数も多いことから、遊園地廃止によって遊び場を移され、また施設そのものを移転することによって良好な放課後の環境を変えられてしまうことは、子どもたちにとって誠に相応しくない状況となってしまうものですが、市長はそれら現実の状況を把握するため自ら現地に足を運んで見聞したのでしょうか。見解を伺います。

⑬今回の案件は、遊園地が公園緑地課・児童センターがこども未来部と、所管がまたがり ややもすると対応が分かりにくい状況になっています。本件について総合的にはどの課がイニシアチブを取るのでしょうか。

⑭児童センターの校地内への移転案は、校庭の混雑状況や空き教室の無い状況、また駐車場問題等から考えても実効性に無理があると言わざるを得ませんが、現状をどう考えているのか見解を伺います。

⑮今の状態では子どもたちを適切に受け容れるのは無理があるにも関わらず、半ば強引に児童センターを校地内に移転させるのは、子どもたちのみならずセンター職員や教職員に対しても大きな負担を強いることになりますが、それらを度外視して なぜ強引に児童センターを移転しようとしているのか見解を伺います。

⑯遊園地の更地化に向けた工事について、またもや看板のみの通告・区長会のみへの説明と、これまでの反省が全く活かされない対応が為されようとしています。

そもそも多くの住民が遊園地の更地化(廃止)に疑問と反対の声を上げているにも拘わらず工事を強行しようとしている姿勢に納得がゆかないことから、改めて更地化工事を行なわないことを求めますが、見解を伺います。

⑰遊園地の土地取引に関するやり取りについて「公文書は存在しない」とされた中、その一方で「職員のメモ」は存在するとされていますが、そのメモについても、市長への報告など組織的に活用されたのだから公文書と同等の意味合いを持ちます。したがって職員メモにつても公文書として公開の対象とすべきと考えますが、見解を伺います。

⑱今後作成される公文書については、これまでの所作が物語るように、長野市だけの文責で作成されたものではその真実性・信憑性について信頼に足りないことから、例えば遊園地の土地に関するものであれば、地権者・不動産会社・長野市など案件に関わる全ての者の同意(署名捺印)を得たうえで作成するよう求めますが見解を伺います。

 

・遊園地の土地や契約等に関する市の取り組みについて

遊園地の土地を巡る扱いについて、さまざまな疑問が寄せられているので見解を求めます。

①公園(遊園地)の廃止は「市長の自由裁量」ですが、その裁量を発揮する以前に所管課が借地契約を解除してしまえば、市長は遊園地廃止以外に決済の余地が無くなってしまいます。

これら所管課の行為は結果的に市長の権限を越えることとなり、法的瑕疵があるのではないでしょうか。見解を求めます。

②遊園地は、施設南側の宅地開発の際、都市公園法で定められる「緑地」として位置づけられていましたが、今回の遊園地廃止方針に伴い 隣接の青木島小学校校庭を緑地と見なすとされています。ところが、国交省が発行する「地域の実情に応じた公園の設置の取扱いについて」の但し書きによると、周辺に既に相当規模の公園等が存する場合等、特に必要がないと認められる場合における留意点として「開発区域に隣接して緩衝緑地が存する場合や廃止した学校跡地を公園等として新たに整備する場合については、適用できる場合がある」とされています。ところが、遊園地に隣接する青木島小学校は未だ廃校していないことから、同校校庭を開発宅地の緑地とみなすことは都市計画法および但し書きにも準拠していないのではないでしょうか。見解を伺います。

 

・要望書について

去る3月16日に提出した要望書に対する下記の2点に対する見解を求めます。

①「青木島遊園地は、今の子どもたちにとってどうしても必要である。存続のために最善の手立てを尽くして取り組んでいただきたい。」

②「事実を詳(つまび)らかにし、風通しの良い住民に寄り添った市政の円滑な運営に努力していただきたい」

 

音楽家の坂本龍一さん逝去に思う(思わされる)

ここ数日、不測の事務作業でブログに手が回らない状況になってしまいました💦

 

で そんな中「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」のメンバーとしても活躍した 音楽家の坂本龍一さんが亡くなっていたことが報じられ(享年71才)、悲しみを共有すると共に 彼の人生(人生観)を通じて 思わされることしきりでありました。

 

 


坂本龍一さんの死去を報じたNHKの報道の要旨は下記のとおりです。

坂本龍一さんは 幼少の頃からピアノと作曲を学び、東京芸術大学大学院を卒業後、1978年に ミュージシャンの細野晴臣さん・高橋幸宏さんと共に「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成、当時の最新の電子楽器を使った斬新な音楽性で“テクノポップ”という新たなジャンルを築き上げました。

その後は 映画「戦場のメリークリスマス」に俳優として出演し、そこで坂本さんが手がけた映画のテーマ曲は、彼の代表曲の一つとなりました。

そして1988年には、映画「ラストエンペラー」の音楽でアカデミー賞作曲賞を受賞したほか、グラミー賞など数々の賞を受賞して国際的な評価を高められたことは周知のこととなっています。

 

そして…坂本龍一さんは 単なるミュージシャンの枠を超えて、社会活動にも注力されてきたことが その死後にクローズアップされています。

アメリカ・ニューヨークに拠点を置く中、2001年の同時多発テロを経験した坂本さんは「非戦」ということばを使い、平和へのメッセージを発信してきました。

俳優の吉永小百合さんと平和を願うチャリティコンサートを各地で開催したり、集団的自衛権の行使を可能にすることなどを盛り込んだ安全保障関連法案に反対したりといった活動に取り組んできました。

2015年、国会前で行われた反対集会に参加した際は「憲法の精神、9条の精神がここまで根付いていることを皆さんが示してくれ 勇気づけられています。民主主義を取り戻す、憲法の精神を取り戻す。ぼくも皆さんと一緒に行動してまいります。」と訴えておられました。

また、東日本大震災で発生した 福島第一原子力発電所の事故の後は、作家の大江健三郎さんらと原発を廃止するための法律の制定を目指すグループを設立したほか、他のミュージシャンとともに「脱原発」をテーマにした音楽フェスティバルも開いてきました。

その音楽フェスティバルを企画した思いについて、2012年の会見の際「なるべくたくさんの人に来ていただいて この問題にまず関心をもってもらいたいし、ひとりひとりがよく考えてもらいたいという思いです。」と話しておられました。

さらに、加速する気候変動への行動を起こすため 2007年には坂本さん自身が代表理事を務める一般社団法人「more trees(モア・トゥリーズ)」を設立、全国の自治体と協定を結んで 植林などの森林を保全する活動も展開してきました。

2009年に北海道の下川町を視察した際には「森を増やしてCO2の排出を減らすというふうに、ベクトルを反対に変えなければ 人間が住めない星になってしまうかもしれませんので、これをやらないといけないと思います。下川町も日本という国自体も森林が結構多いんです。ただ、森林はほったらかしておくと、不健康になってしまうので、手をかけて健康な森にしてあげないといけない。」と話しておられました。

坂本さんについて「more trees」の事務局長さんは「これまでの活動で『森が崩壊したところでは文明が滅んでいった』と話されていました。地域で森林保全活動を始める際には必ず宿泊し、地域の人たちとひざをつきあわせて 気さくにお酒を共にしていました」と話していました。

 

また、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市や大船渡市の被災者のため、支援団体の代表を務めて仮設住宅を建設する資金の寄付を全国に募ったり、2019年に陸前高田市でコンサートを行なった際にも この仮設住宅に足を運んでいます。

また、東日本大震災で壊れてしまった楽器の修復をしたり、子どもたちに楽器を贈ったりする取り組みを進め、震災の2年後に宮城県松島町で開催された音楽祭をきっかけに坂本さんが呼びかけて、宮城・岩手・福島の3県の子どもたちや若者でつくる楽団「東北ユースオーケストラ」を結成しました。

坂本さんが亡くなる2日前の先月26日に東京で行なわれた演奏をオンラインで聴いた坂本さんは「素晴らしかった!!よかったです。みんなありがとうお疲れさまでした」などとメッセージを寄せていたとのことです。

坂本さんが亡くなったことについて「東北ユースオーケストラ」は、「皆様とともに、深く哀悼の意を捧げます。これまで導いてくださり、どうもありがとうございました。坂本監督無くしてあり得なかったオーケストラ。わたしたちの音楽は続きます」などとするコメントを発表しました。

 

本当に、限りある人生の中でさまざまな足跡(そくせき)を残し、多くの人々に惜しまれながらの旅立ちであったことが伝えられていました。

 

そんな坂本龍一さんは、2020年に癌(がん)が発見され、その後は病と戦うーというよりも、伴走しながら人生を集大(しゅうたい)されていった様子が伝えられています。

音楽家としては シンプルに「音」に帰結、雨が降り出すと必ず窓を開けて 雨の音をじっくり静かに聞いていたり、竹林に行って その中を風が通っていく・竹が揺れる音なんかをじっと聞いたりしていたそうです。

その後は 体力の低下を実感する中、体調の良い日は自宅内のスタジオで創作活動を続けすなど、最期まで音楽と共にある日々を送ってこられたそうです

 

 

そんな、音楽だけではなく 社会とも強いつながりを持った坂本龍一さんは、死の間際まで将来社会を憂い「活動」を行なっておられたことが改めて報じられています。

東京都が認可し 民間で行なわれる神宮外苑の再開発事業に対し、工事によって大量に伐採されることになるイチョウ並木を慮(おもんばか)り「目の前の経済的利益のために先人が100年をかけて守り育ててきた貴重な神宮の樹々を犠牲にすべきではない」と、事業中断と見直しを求める書簡を 小池百合子・東京都知事や文科相らに送っていたとのこと。そのうえで「一人一人が住みたい場所のビジョンを持ち、共有されて都市を形づくる。その先に政治家を選ぶということがある。」とメッセージを寄せていたそうです。

この書簡は、首長(知事)が東京の都市計画についてどのようなビジョンを持つのか、都民に広く知られるべきではないか、と問いかける内容となっています。。

 

 

 

で、この 坂本龍一さんの渾身の書簡に対し、小池都知事は「さまざまな思いをお伝えいただいた。」としたうえで「ぜひ事業者でもある明治神宮にも送られた方がいいのではないか。」と冷ややかに応じたことが報じられています。

これは、再開発の事業者(主体)は 明治神宮・三井不動産・伊藤忠商事・日本スポーツ振興センターなどの民間事業者が中心なので「私に言われても困る」といったところでしょうが、東京都だって再開発の認可を行なう立場であることから「私は部外者」というワケにはゆきません。

この“塩対応”には「当事者意識に欠けている」といった批判が寄せられ、そして 坂本さんが亡くなった今、ネット上では「あのときの冷淡な対応を忘れまい」と、知事発言が再び炎上しているのとのことでした。

 

 

坂本隆一さんは、私たちに多くのことを遺(のこ)し 旅立ってゆかれました。

テクノポップという新ジャンルの音楽。

それは非常にインパクトの大きい遺産でしたが、もしかしたら私たちは もう一方の遺産、彼の社会活動について学ぶべきことが多いのではないかとも思うところです。

人生の中で直面した事象に疑問を呈し、それに正面から向き合い 持てるスキルを活かして具体的に活動する。

そしてそのことは、自らが癌(がん)に冒(おか)され、いわば時限が切られたことで 逆に原点回帰を遂げ、シンプルに社会と音楽と向き合うことで(人生の)集大成と為す…。

 

私などは とても同為には及ばないところですが、その 氏の考え方については、学ぶべきところ多くあり「かくありたい」と思うところです。

奇しくも今 長野市においては、子どもの健全な居場所について 本来のあるべき形と逸脱した方針が示され、それに斜頸しながら行政体が進もうとしています。

この 決して望まれない状況に際し「守るべきものは何か」を改めて心に留め、為すべきことに全力を尽くしてゆかねかればならない。

 

坂本龍一さんの訃報に触れ その人生行路を回顧するとき、私自身 励まされる思いがいたしたところでありました。

 

「青木島遊園地廃止問題」年度末の日に またも一方的な掲示物が

大きな社会問題となっている「青木島遊園地廃止問題」ですが、年度末となった31日、長野市の所管課職員が 遊園地の4月30日をもっての廃止、現状復旧工事のための4月中旬をもっての閉鎖を知らせる掲示物を設置したことが報じられました。 

 

 

 

 

かかる看板は、遊園地の出入り口にあたるフェンスに貼られています。

内容は下記のとおり。

青木島遊園地は、令和5年4月30日をもって廃止します。

現状復旧工事を行ないますので、令和5年4月中旬には閉鎖いたします。

長い間ご利用いただき、ありがとうございました。

長野市公園緑地課

 

以下、記事の全文です。

長野市が、廃止を決めた同市青木島町大塚の公園「青木島遊園地」を4月中旬で閉鎖することが31日、分かった。同日、掲示物を公園に設置。4月末での廃止も記載した。

関係者への取材で、市が地元区長会を対象に原状回復工事についての説明会を6日に開くことも分かった。  

公園の土地は借地で利用期限は4月末までとなっている。市はこれまで、遊具を撤去するなどした上で同月中に地権者に返すと説明していたが、閉鎖時期は明言していなかった。

市公園緑地課は取材に対し、閉鎖の具体的な日時は「未定」としている。  

公園は2004年4月に開設。「子どもの声がうるさい」といった苦情をきっかけに市が22年2月にいったん廃止を決めた。ほとんどの住民に知らされないまま手続きが進んだことに反発の声が上がり、荻原健司市長が今年2月11日に再検討を表明したが、後利用計画があるとして3月1日に再び廃止を表明した。そのうえで、地元区長会を対象に 原状回復工事についての説明会を6日に開くことも分かったとのこと。

公園の土地は借地で 利用期限は4月末までとなっている。長野市はこれまで、遊具を撤去するなどしたうえで同月中に地権者に返すと説明していたが、閉鎖時期は明言していなかった。

市公園緑地課は取材に対し、閉鎖の具体的な日時は「未定」としている。

公園は2004年4月に開設。「子どもの声がうるさい」といった苦情をきっかけに市が22年2月にいったん廃止を決めた。

ほとんどの住民に知らされないまま手続きが進んだことに反発の声が上がり、荻原健司市長が今年2月11日に再検討を表明したが、後利用計画があるとして3月1日に再び廃止を表明した。

廃止差し止めを求める住民監査請求も出されたが、市監査委員が同28日に棄却した。

 

 

自治体の運営(行政事業)は「単年度」を基準として行なわれることになっています。

4月1日をもって始まり、3月31日をもって終わり。これは、事業しかり・会計しかり・人事しかり…あらゆる事務事業が 一年間(一年度)を一期として区切りをつけることが旨(むね)とされています。

そういう意味合いにおいて、今回の「遊園地廃止の掲示物」も 年度末の区切りをもって掲示されたことと拝察されます。

とりわけ、年度末においては「人事」も改編(異動)が行なわれることから、おそらくは 令和4年度に、この遊園地問題に絡んだ職員が現職(担当)のうち(任期内)に何らかの区切りをつけなければ との思惑も絡んで、3月31日のこの日に「廃止を通知する掲示物」を設置したのではないかとも思われます。

「イロイロあったけれど、廃止と(市長が)決めたから、年度内のうちに(廃止を)市民に伝達した」との〝担当(課)としてのケジメ〟をつけたのではないか と。

しかし それ(ケジメ)は、所管(課)の一方的なものでしかありません。

これまでも触れていますが、青木島遊園地廃止問題については 未だ不透明な点が多くあり、あまねく住民が廃止に向けて納得したワケではありません。

市(市長以下 所管課)においても、廃止そのものは市長が表明したものの、それも議会の場と記者会見で行なっただけで 当の地元住民にキチンとして形で行なったものでは何らありません。

いわば 市は説明責任を未だ果たしていないのです。

にも拘わらず、またも市(所管課)は「廃止します」との意思表示を 現場に掲示物を掲げただけで済まそうとしているのです。

 

廃止を一方的に表明したときに あれほど厳しい批判を受けたのに、またも同じ轍(てつ)を踏もうとしている現場の実態。

年度末の駆け込みというか 人に言わせれば「〝掲示物〟で済まそうといいうのは、市の逃げの姿勢に他ならない」との評価も…残念でなりません。

 

で…さらにタチの悪いことに、廃止の最終通告の説明を またも区長会だけを対象に行なうとのこと。

さきの住民説明会を開くことになった(開かなければならなくなった)経緯を全く踏まえていない〝おんなじことの繰り返し〟には「どうなっているんだ」と言わざるを得ないところです。

(このことは、さきの住民監査請求に対する監査委員会の報告の中にも。「区長会に説明したことで全ての住民に説明したと解釈し得る」旨の判断には疑問を呈せざるを得ないところでありました)

 

確か市長は、住民説明会の後に「区長会に任せ過ぎた」と話したハズであります。

それが何故か、またも区長会をハブとして〝住民説明〟に代えようとしている。

 

〝年度末の節目〟を経て、またも長野市は事態をなし崩し的に前へと進めようとしています。

市民の良識という草の芽が、ブルトーザーで押しつぶされようとしています。

 

市内大手印刷会社の経営危機に思わされる

過日、長野市内の老舗ともいえる印刷会社「蔦友印刷」が、事業を停止し自己破産申請の準備に入ったことが報じられ、驚きと共に この業界の厳しい状況を知らされました。

 

 

 

報道(帝国データバンク等)によると、負債額は約12億4,400万円。

蔦友印刷は明治35年(1902年)創業の老舗。官公庁などから受注を得て 2001年12月期の売上高は約26億1800万円を計上したとのこと。

しかし、昨今の需要減と 同業他社による競合激化等で受注は低迷、21年12月期の売上高は約7億3,700万円まで落ち込み、債務超過に陥ったそうです。

この厳しい状況に際し、経費削減やグループ企業の株式売却などを進めたが 事業継続は難しいと判断されたようです。

 

ご案内のとおり 昨今は社会全体でペーパーレス化が進み「紙」による情報媒体が大きく減する傾向になっています。

また いわゆるSDGs社会の推進に伴い、環境に配慮した社会活動が求められる中 紙による印刷物は減りこそすれ増えることはほぼ考えにくい状況となっており、旧来からの紙の印刷による事業展開では立ちゆかなくなったということなのでありましょうか。

業績が下がれば このような破産の道を選択せざるを得ない…民間の厳しさを実感させられるところです。

 

ところで この状況に鑑み、ブレーンのMくんが やや規模や環境は異なれど、かかる民間事業者に対比される状況を話し、私も同意を感じたところでありました。

 

従前にも触れましたが、長野市内にある知的障がい者施設に 財団などの補助金を得て設置された高性能の印刷機が設置されています。

ところが、せっかくの高性能印刷機でありながら その稼働は「フル(稼働)」とは言えず、限られた受注の中で やはり限られた(印刷)業務を行なっています。

と いうのも、そこにはやむを得ない事情が。

かかる施設は、知的障がい者の就労を支援する施設であることから、例えば その印刷機についても、それを障がい者さん(利用者さん)が使用して一定のスキルを身につけ 将来的には生業(なりわい)として関係する企業などに就労(就職)できるようになることが目的とされているからです。

その前提に立って施設(職員)に求められるのは、利用者さんが就労に向けた訓練となるようジョブを受注し、そのうえで給与(工賃)アップにつながるよう職場環境を整えることに他なりません。

ところが実際には、それに見合った受注・受注に見合った作業・作業に見合った工賃(アップ)につながっていないのです。

しかし そんな状況でも、施設は破産することは無いし 施設の職員は守られているのです。

それは(既にご案内のとおり)マイナス分には公的機関からの補助金が購(あがな)われるからです。

 

障がい者支援事業は、通常の社会経済活動とは異なり いわばハンディを負った方々をケアする種別であることから、一概に同じ土俵に乗せるのはどうかとも思います。

しかし いわば理念の面において考えれば、例えば高額の資金をもって設置した印刷機は あくまで利用者さんのスキルアップのために導入されたハズであることから、設置した以上は 予定年限での減価償却をめざして活用され、施設と利用者さんにとってプラスの資産とならなければなりなせん。

それが かかる見通しも無く〝機械を設置することが目的〟となってしまった場合、機械を置いてから使い方を考えるような「本末転倒」になってしまう。こんなことは許されるべきものではありません。

しかし実際にはどうか。私の知る限り、施設の機械(印刷機)は 設置の目的に叶っているとは言い難いと言わざるを得ません。

それでも、施設運営は大過なく回っている。

 

・・・・・・。

今回の 市内大手印刷会社の自己破産(申請へ)は、民間事業者の悲哀と 補助金で生き残れる施設運営との「違い」のようなものを感じさせられることとなりました。

知的障がい者施設においては、事業の性質上 自己破産のようなことは無いにしても、何というか そのくらいの必死さ・ひたむきさをもって設備の稼働→ひいては利用者さんの就労の充実(工賃アップ)につながる努力を怠りなくすべきでは、と Mくんと一致したところでありました。

 

職責を果たしているのか =長野市教育委員会の「障がい者雇用未達成」に勧告=

さきの30日、長野労働基準局が「2021年6月1日時点で職員に占める障がい者の割合が法定雇用率を下回り、翌22年末までに一定の改善が見られなかったとして、県内市町村など計12機関に適正な採用を実施するよう勧告した」との報道がされました。

 

 

 

そこで悪しけく注目されたのが、長野市教育委員会への勧告は4年連続となっていることです。

障害者雇用促進法に基づき、各自治体の教育委員会には「法定雇用率」として 職員数の2,5%の障がい者雇用が求められています。しかし、長野市教育委員会における22年末時点の障害者雇用率は1,43%に止(とど)まり、実数で8,0人不足しているとのこと。

長野市教委総務課は「組織内で受け入れ先の確保ができていないのが大きな課題」としたうえで「(障害者が従事できる)仕事づくりや業務の切り出しに随時取り組んでいきたい」としているとのことでした。

この勧告は、法定雇用率を満たさなかった機関に作成が義務付けられる「障害者採用計画」の実施率が50%未満などの場合に対象となるとのこと。12機関は他に、長野市・小諸市・岡谷市の病院事業、上水内郡飯綱町教委・木曽郡南木曽町教委・同郡大桑村・上高井郡高山村・下伊那郡阿智村・同郡天龍村だそうです。

なお、国や地方公共団体などに求められる法定雇用率は2,6%となっています。

 

自治体の教育委員会は まさに当該市町村の「学び」を司(つかさど)る機関であり、また「道徳」の科目では 人として在(あ)るべき道・為(な)すべき所作を如何(いか)に説(と)くかを考察する機関でもあります。

特に昨今は、ノーマライゼーション社会の構築に向けた教育・「誰ひとり取り残さない」とされるSDGsに向けた教育などが推進される中、その膝元にある教育委員会の障がい者雇用が基準にすら達していないことには、何ともいえない残念感が漂うところです。

 

で…さらに残念なことに、そこ(法定雇用率未達成)に 教育界の保守性というか〝保身〟的な意識が見え隠れするところです。

もし まずは身体障がい者を雇用するとなれば そこには在勤職員のフォローや施設の改修が要されることとなり、いわゆる教育現場の負担増が憂慮されることになる。

ましてや それが知的障がい者ともなれば、果たしてどの場面で雇用すればイイかなど 考えも及ばない…教育現場の臨界点のようなものも見え隠れするところであります。

「現場はタイヘンなんです。」弁解の声が聞こえてくるようです。

 

このこと(保身)は、昨年末から関わってきている「青木島遊園地廃止問題」にも重なる思いがします。

肝心の 子どものことを置き去りにして〝大人の事情〟を優先して強行しようとしている遊園地廃止事業。

しかし 手続きには瑕疵(かし)はなく「現場」の職員の身分は固く守られている。

これらのことからも、真に障がい者を思い 真に子どものことを思えば、為(な)すべきことは自ずと見えてくるハズであります。

しかし、現実は…。

 

 

今回の報道に触れ「職責」というものを考えたとき、何をもって「責任」と捉えるべきかを考えてしまいます。

とりわけ教育委員会においては、総論での「教育」の視点で その職責をもって障害者の雇用率を上げなければならないと強く思うところです。