10日に告示された「令和5年長野市議会議員選挙」も 5日目を迎えました。
選挙通の人は「選挙なんて、始まったときには もう終わりみたいもんだ。」とおっしゃられますが、まさに そのとおりだと思います。
マ それは、前日のブログに載せたように「日常活動が大切」というところに結びつくものですが、いずれにしても残すところあと2日間…悔いだけは残さぬように やれることは全てやっておこうと心に期したところです。
この日(14日)の朝は、西友川中島店前の「北原」交差点で 手振りと声出しをさせていただきました。
何かと慌ただしい朝の時間帯は 職場や学校へと急ぐ人たちが次々と通過してゆかれるところですが、そんな中でも 車中から手を振ってくれたりクラクションを鳴らしてくださる人が居(お)り、感謝に堪えないところでした。
やがて時刻は8時。公選法での「声出し」の許容時刻となりました。
取り急ぎ当地区で この日の第一声を発させていただき、マイクを通じて みなさんに朝のご挨拶とお願いのアナウンスとさせていただきました。
この日、選挙事務所には 羽田次郎参議院議員が慰問に訪れてくださいました。
羽田(家)といえば、私は 故 羽田孜先生との思い出があるのです。
私が この業界?に入ったのは、当時に発足した「新進党」の県連事務局入りがキッカケだったのですが、その頃 新進党県連を牽引されていた羽田孜先生は 折りに触れて県連事務局にお越しになっていました。
その際、いわゆる〝長いもの(麺類)好き〟の羽田孜先生は とりわけ(事務局の)隣りで営業していた「とく助」のうどんが大好物でおられ、県連に来る度に そこのうどんを注文し、事務局で会議の際には 私が隣店までうどんを取りに行っては羽田孜先生の下へ届けたものでした。
羽田孜先生は その都度「うまい!」と言いながらうどんを口にされていました。
だから 私にとっては「羽田孜先生=とく助のうどん」のイメージが強くあり、この日 父親似の羽田次郎議員の来訪を受け、昔を懐かしく思い出したところでした。
なお 羽田議員には、私が地回りをする間 遊説カーに乗ってくださり、一助を為(な)してくださいました。
ありがとうございました。
午後は、2ヶ所で個人演説会(ミニ集会)を開いていただきました。
午後3時の会場は、存外に活発な意見交換の場になりました。
参加人数はそれほどでもなかったのですが、後段の「意見交換」の場面で さまざまなご意見をいただきました。
人口減少社会の中での土地利用の在り方・定住人口を維持するための社会環境の整備や制度設計の見直しの必要性等々 将来社会を維持するためにも大切な意見が出されたことから、今後も機会をみてワークショップなどを行ない 共々に造詣を深めてゆくことで一致しました。
夜は、私も暮らす地域の公民館で個人演説会を開いていただきました。
こちらの地区では、去る8/26に 突如の形で開業したガソリンスタンドが及ぼす影響について、関係職員を一同に集めたうえで 住民の「声」を届ける仲立ちをした経緯があることから、そのことにも触れながら これからも社会でさまざまな課題が生じるであろう中、私なりに知恵を絞って より実効的に取り組むことをお約束させていただきました。
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なお 会場には、杉尾秀哉参議院議員が駆けつけてくださり 過分ともいえる応援演説をいただきました。
ありがとうございました。
そのうえで、後段の場面では 私が有志の方々と取り組む「知的障がい者支援」について触れ、理解とご協力をお願いさせていただきました。
閉会後のお見送りでは、みなさんに励ましの言葉をいただき 感謝 ゞ でありました。
選挙戦もいよいよ終盤。ギアを上げて走り抜くばかりです。
告示中の市議選の最中(さなか)に発せられた 荻原長野市長の発言が物議を醸(かも)しています。
私も それ(記事)を読んだ瞬間に大きな違和感を禁じ得ず、周辺からも多くの疑問の声が寄せられましたので 触れさせていただきます。
記事は「市議選巡り荻原市長」のタイトルで「私が進める市政 応援してもらえる人には当選してほしい」とありました。
目が点になりました。
この発言を額面どおり受け止めると「長野議会(議員)は、私(荻原市長)に賛成する者だけで構成されるのが望ましい」となり、それは即ち、彼(市長)が いわば独善的な専制政治をめざしているということになります。
それは極論すれば、隣国半島の政治体制か・隣国に一方的な武力攻撃を行なっている国の体制とも共通している考えなのでありましょうか。
そもそも地方議会というものは、それぞれ選挙で選ばれた者(市長⇔議会/議員)が政治(行政)に臨み、それぞれがそれぞれの立場で意見を述べ合い それらが修練されてより良い方向へと進むものであるハズです。
その(修練の)過程では、ときに意見の対立・激しい議論の交錯があるかもしれません。
しかしそれは、立場は違えど 共に住民(市民)生活の向上を願っての行動(発言)であり、そのやり取り無くして議論が進むことは、一方の考えだけが独り歩きするという危うさを孕(はら)んでいると言わざるを得ません。
私を含めた 心ある議員は、何も市長を憎くんで議論に臨んでいるのではありません。
前述のとおり あくまで市民生活の向上を願う中で、提案に無理があれば それを修正すべきことを意見し、そのことによって、それら(提案)がより良い方向=真に市民が求める方向 へと適切に進んでゆくことを期しているだけなのです。
それが議員の職責であり、責任ある行動であることは言うまでもありません。
「何でもオッケー」は、一見 市長を支えているようですが、実際にはどうでしょうか。裏返せば「市長のいうことは何でもやらせておけ」との、彼に全ての責任を負わせた〝無責任行動〟とも言えるのではないでしょうか。
一例を挙げれば、青木島遊園地廃止問題に端を発した「青木島こども未来プラン」の提案です。
子どもの居場所を一方的に奪うこととなった不始末の〝名誉挽回〟とばかりに打ち出した壮大な計画(大風呂敷)でありましたが、その内容を精査すると それは青木島小学校児童を取り巻く現状(実態)を度外視したものであり、このことを強行すれば かえって青小児童の福祉に反する結果をもたらすことになるところでした。
このこと(計画)に対し、私を含めた 現場を知る議員は強く異論を唱え、結果 市(市長)は「決して急ぐことなく 関係者の意見を充分に聞いて(計画を)進めたい」とトーンダウン、改めて いわば落ち着いて計画(議論)を進めることとなりました。
これを もし議会(議員)が「市長の言うことなら何でもオッケー」という者ばかりだったとすれば、当初の〝大風呂敷〟のまま事(こと)が進み やがてそこには新たな課題が生じて、市(市長)は いわば〝二度目の失敗〟を犯すことになったでしょう。
いうなれば、一見「市(市長)の提案に反対」と思えた私たちの意見が、結果として市長を救ったことになったのです。
「裸の王様」という寓話があります。
これは 周囲の意見に耳を貸さない王様が、裸のまま街を闊歩し国民から冷笑されるも それを家臣から聞かされること無く大恥をかくという戒(いまし)めの寓話ですが、今回の「私が進める市政に対し 応援してもらえるような人には当選してほしいと思っている。」との発言は、市政における「チェック機能」を遠ざけようとするものであり、それは即ち 自らを裸の王様に貶(おとし)めようとする、非常に残念な発言と言わざるを得ないところです。
私は今回の選挙において 荻原市政への向き合い方について「サブタイトル」を掲げました。
それは「迎合も対立もしない」です。
荻原市長の言うことには何でも賛成(=迎合)もしないし、何でも反対(=対立)もしません。
あくまで政策本位・中身の議論を踏まえたうえで 賛成か反対か、または修正かを論じてゆこうというものです。
そして何いう、そのバックボーンには「市民」があります。
ある政策(施策)について議論するとき、それは市民の声を反映したものか・それが真に市民益につながるかどうかを吟味したうえでチェック作業に臨む。
これこそが 選挙を通じて市民のご付託を受けた者の責務であり、それ(チェック作業)無くして議場に座り「何でもオッケー」で事(こと)に臨めば、それは課せられた任務の放棄との誹(そし)りを免れないところでありましょう。
今回の市長発言。彼がどこまで思慮して言ったものかは知る由もありませんが、市長という公人が取材の場で口にしたものとすれば〝口が滑った〟と言わざるを得ないでしょう。
百歩譲って、ハラの中ではそう思っていても「それを言っちゃあオシマイよ」というものです。
人がイイというか ○カ正直というか、敢えて本音を口に出して見せたというか…いずれにしても「ダイジョウブかいな?」と思わせられた〝問題発言〟でありました。
10日に告示された「令和5年長野市議会議員選挙」も 4日目を迎えました。
市議選の試合時間?は 1週間と限定されている中、その試合(選挙戦)も折り返し・後半戦に入ろうとしています。
私たち陣営を含めて 各陣営とも、ここで一丁ギアを入れ替えて ゴールに向けひた走るところであります。
ただ…ある人(Aさん)は「選挙(期間)になってから頑張っても遅い。」とおっしゃられます。
曰(いわ)く「議員なんてものは、日常活動こそが重要。普段シッカリ仕事をしていれば、それが即ち評価点につながり それが投票結果に反映されるものだ。だから本来は 選挙になったら昼寝していられるくらいじゃなきゃダメだ。」とのこと。おっしゃるとおりであります。
私自身、それなりに日常活動は重ねてきたつもりではありますが、Aさんが言われるように 選挙中に昼寝していられるほどの心臓は持ち合わせていませんので(^^;)いずれにしても悔いだけは残さぬように、選挙ことばでよく言われる「最後の最後まで」頑張ってゆきたいと思うところです。
この日(13日)の朝は、JR川中島駅前での「あいさつ運動」からスタートしました。
駅を利用する人は存外に早い時間、6時半を過ぎた頃から 電車に乗ろうと改札に向かう人が結構いらっしゃいます。
そのお一人おひとりに「おはようございます。お願いします。」の声をかけさせていただきました。
通勤客の中には「頑張って!」と 逆に声をかけて歩み寄ってくださる方も。
心強い限りであります。
さわやかな朝の空気の中、職場へ学校へと急ぐ方々にエールを送りつつ、今日も一日 私のことを一人でも多くの人に見知っていただけるよう努めてゆくところです。
この日は 遊説カーから一旦分離し、地域の挨拶回りに同行しました。
と いうのも、私が忙しがってて 事前の地回り(後援会活動)が間に合っていなかったため、いわゆる「やり残し」となってしまった地域を引き回していただいたものです。
但し 公選法上では、軒並み みだりに戸別訪問を行なうことは良ろしくないとされ、さらに 資料等を配布することは厳に禁止されていることから、いわば身(み)ひとつで(訪問先を)飛ばし飛ばしの行脚となりました。
それでも、行った先では「頑張って!」と声をかけてくださる方(世帯)・また「もう期日前投票に行ってきちゃったよ。」と言ってくださる方など居られ、お願いが転じて感謝の行脚ともなったところです。
こちらのお宅では、奥からわざわざ高齢のおばあちゃんにお出ましいただき「がんばれ!」のエールをいただきました。
握手する手の力が存外に強いのにビックリ。まだまだ健在の感でありました。
昼過ぎには、後援会長のYさんにご来所いただきました。
と いうのも、Y後援会長は 不測の体調不如意になられ加療を余儀なくされているのですが、私のたってのお願いにより お名前だけは後援会長のままで、会の「重し」となっていただいているのです。
ところが まさに親身になって私のことを心配してくださるY後援会長は、検査入院明けのその足で選挙事務所に足を運んでくださり、居合わせたみなさんを慰問してくださったのです。
Y会長の全快を願い、そのイイきっかけともなれるよう「結果」を出すこと、そのために全力を尽くすことを改めて心に期したところでありました。
夕方は、篠ノ井西寺尾地区で個人演説会を開いていただきました。
そもそもは地盤でも無い当地区なのですが、今や 私にとって〝第二の地盤〟とも言えるような関わりをもって交流を深めていただいております。
当地区と私は 後援会役員と当地区の方が親戚関係であることでつながりがある一方、そこからのご紹介を経て交流するうち、さまざまな出来事の中で結びつきが強くなったのです。
その〝出来事〟の最たるものは 何いう「東日本台風被害」でありました。
市域内の千曲川上流部に位置する当地域は、堤外農地の果樹園が大流水によって 果樹の倒木など甚大な被害を受けました。
この 言葉を失うほどの被災に際し、私は直ちに復旧支援に向けて動きました。
農水省OBの篠原 孝衆議院議員と連携し、農水省⇔長野市の関係課とをつなぎ、復旧のための費用の捻出(補填)のための手続きを進めたところです。
その甲斐もあって 当地区では比較的スムーズに行政支援が受けられたことから、それらを実績として評価してくださった地区住民の方々との結束は益々強固なものになってくれたところです。
それにつけても、私が公(おおやけ)の立場で支援に動けたのも 当地区の方々を初めとする多くの市民の方々が、私に再び立場を与えてくださったことに他ならず…そのような イイ意味での相関関係の中、この日もこうして個人演説会を開いてくれたことに感謝の思いを新たにしたところでありました。
また、当地区とは「ゲートボール」を通じても 交流をもたせていただいております。
こちらの西寺尾地区 もっと言えば篠ノ井地区は「ゲートボール」が未だに盛んな地域であり、先日も遊説中に声がかかり 遊説隊が揃ってゲートボール場へ足を運んだところでした。
と いうのも、かくいう私はゲートボールの楽しさと 競技の有する〝多面的効果〟を実感している者の一人であり、今後 この競技を維持 再普及したいと思っているからです。
このことを話し出せば長くなるので割愛しますが、戦後の荒廃期 ロクな遊びの無かった子供達のために考案されたものの、その後は高齢者の間で爆発的に普及し いつの間にか「年寄りのスポーツ」と言われるようになってしまったゲートボールを、これからは 高齢者を指導者として子供達に再び普及させたいと考えており、そのためには いま元気でプレーされる高齢者が現役のうちに何とかしなければ、と思っているのです。
このままゆけば〝絶滅危惧種〟となってしまうゲートボール…当地区のように盛んな地区の勢いを維持していただきながら、普及啓発に努めてゆきたいと思っています。
閉会後には〝第二の地盤〟でもある西寺尾のみなさんから「最後までがんばれ!応援しているよ!」との温かく力強いエールをいただき、元気百倍の感でありました。
いよいよ後半戦に突入せんとする選挙戦。
厳しい状況の中なれど、多くの方々に支えられていることを実感し 改めて頑張る決意を新たにしたところです。
10日に告示された「令和5年長野市議会議員選挙」も 3日目を迎えました。
全く新たな様相となったと思われる今回の市議選、私などは 何というか見えざる敵と戦うが如き〝五里霧中戦〟という感覚を覚えながらの日々となっていますが、そもそも不器用なワタクシは 今さら目新しいことも出来ませんので、これまでの道程を踏まえて 地道に一歩一歩進むしかないというのが実際のところであります。
この日は、域内にある2つめのJR駅(今井駅)の前で「あいさつ運動」と この日の第一声を発させていただきました。
こちらの駅は、当地区が かつて1998年の長野冬季五輪大会に「選手村」となったことを契機に新設(当時)された駅で、今や 域内南部の通勤通学客の乗降駅として活用されています。
この週明けあたりから ようやく平年並みになった陽気の朝、列車の発着時刻に合わせるように多くの通勤通学客が駅の中へと歩みを進めておられます。私たちは そのお一人おひとりに頭(こうべ)を下げつ「おはようございます。よろしくお願いします!」と声をかけさせていただきました。
中には、向こうの方から歩み寄ってきて「倉野さん、おはよう。きのう期日前投票に行ってクラちゃんに入れてきたよ。」と言ってくださる人もおられ、恐縮するやら感謝するやら。
いずれにしても この日この場所においても、一人でも多くの人に 私のことを見知っていただけるよう努めたところです。
その後 時刻は8時。法定で許された時間(時刻)となりましたので、当駅々前にて第一声を発させていただきました。
後は、臨機応変に選挙活動を展開したところです。
お昼には、地元の住宅建設会社「坂田木材(株)」さんにお邪魔しました。
こちらの坂田木材さんは、経営者(坂田会長)さんが近在の人であることがご縁で 親交をもたせていただいています。
そのうえで(坂田木材さんと)親交を深めるうちに、この会社の取り組むテーマについて共感を覚えることになったところです。
坂田木材さんは「木造住宅を建てることは 地球環境にも住む人にもやさしい」を社是とし、環境問題への関心の高まりの中、Co2吸収効果・省エネ効果・炭素貯蔵効果・化石燃料抑制効果など、木造住宅の有するさまざまなメリットを謳(うた)っておられます。
さらに「木材は、先人たちが植えて育てたものから伐採し 建築用の材料などとして利用することで、その販売した収益によって 次の木を植えて育てることができます。その結果、健全な森が維持されるのです」との、木造による住宅産業の推進による循環型社会の構築という 将来社会をも見据えた崇高な考えをもって事業に邁進しておられるのです。
さらに坂田木材さんは 地域の限られた土地の有効活用や、いわゆる空き家問題に際し 物件の利活用についても造詣を深めておられ、これからの地域社会おける 建築分野について欠かせない存在になることが期待されています。
私といたしましても、いわゆる循環型社会構築の必要性を感じる中で坂田木材さんの社是に共感すると同時に、今後も適切に連携しながら 共々に地域発展に資してゆきましょうと述べたところです。
ところで、こちらの社は スポーツにおいても造詣が深く、社員さんの多くが地域スポーツ(野球)のコーチなどに関わっておられるとのこと。
いかにも元気一杯の社員さん一同とレンズに収まり、私自身も元気をいただいた感でありました。
この日も地域で「個人演説会」を開いていただいたのですが、その内容は新味を帯びたものに。
開催時間を 敢えて昼間(午後3時)に設営し、当該地域(団地と近在)に住まわれる女性ばかりにご参加いただく対話集会とさせていただいたのです。
お取りまとめを ムラの女性リーダーでもあるOさんに乞い、それに応えてOさんは 知人友人の広く声をかけていただき 実りある会としていただきました。
あいさつの中で、私が考える選挙への考え方…すなわち ただ単にお願い(受諾)するだけでは無く、それぞれの方々が抱く課題や意見を候補者にぶつけ、それにどのように応えた(応える)かを推し量るのが選挙ではないか ということを訴え、とりわけ皆様におかれては 女性の視点で私にご意見をぶつけていただき、私の対応ぶりを評価していただきたいと申し上げました。
そのうえで、現有の荻原市政に対しては「迎合も対立もしない」ことを述べ、あくまでド真ん中に立って 政策本位で対応する旨を強調したところです。
参加者の方(かた)からは、団地内の側溝整備が行き渡っていないことや、地区内の公園に〝日よけ〟が無いことなどの指摘があり、区長会とも連携し 一定のルールの中で対応させていただくことといたしました。
参加者の中には、私の〝行動力〟に期待する声も聞かれたことから、これまで以上にフットワークを強め みなさんのため・ひいては市政(市勢)のために全力で取り組むことをお約束させていただきました。
いずれにしても、今や社会は女性によって保(も)っていると申せます。
今回のミニ集会(個人演説会)を契機に、市政に女性の視点を盛り込むべきことを再認識いたしたところです。
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安茂里育ち・上松在住、社民党推薦の原ようこ候補の個人演説会を9月13日夜に開きます。 原ようこ候補の訴えを聴いてください。お誘いあわせてご参...
10日に告示された 令和5年長野市議会議員選挙が2日目を迎えました。
この日は、まず朝に 7時からJR川中島駅前で「手振り」を行ないました。
と いうのも、公職選挙法により 拡声器を使っての〝音出し〟は午前8時から午後8時まで制限されていることから、せめてその前に 朝イチで音を出す場所でアピール行動をしようというものです。
私が地盤とする川中島エリアは、域内に2つのJR駅があるという いわば希有な地域です。
ただ ローカル駅ゆえに乗降客数は限られたところではありますが、朝 何本か発着する上下線の時間に合わせて駅に向かうみなさんに、つかの間アピールさせていただきました。
その後 私は企業さんの朝礼に向かうため、当地でこの日の第一声をさせていただいた後に街宣車から分離、その後は乗ったり降りたりの選挙活動に励んだところです。
午後に一旦 選挙事務所に戻ると、私が永年仕えた 北澤俊美元参議院議員が慰問に訪れてくださっており、親しく懇談されていました。
選挙においては いわば百戦錬磨の北澤先生、おそらくは事務所の雰囲気みたいなものを視察に来られたものと思われます。
私の選挙事務所は 告示前は人気(ひとけ)も少なく沈(ちん)やりとしていましたが、イザ選挙が始まると同時に 賄(まかな)い当番を担う(妙齢の)女性陣を中心に、いわば火が点(つ)いた状態に。
北澤先生が来所されたときも そんなメンバーが歓待しておられ、そのニギヤカさ(雰囲気)を感じ取って 先生も喜んでくださっておられる風でした。
せっかくでしたので、先生を囲んで全員写真を。
「どうせ戦うなら 悲壮感をもたず明るく努めてゆこう!」とのみなさんの前向きな機運が溢れていました。
みんなを前に北澤先生は「私も永年選挙に臨んだ者として実感しているのは「選挙というものは「誰が出ているか」じゃない「誰が支えているか」が重要なのです。いくら本人に資質があっても、支える人がそうでもないと結果は出ない。逆に 本人が大したことが無くても 支える人たちがシッカリしていれば結果は伴(ともな)ってくるのです。」
「倉野くんに資質が無いとは言いませんが(笑)いずれにしても 彼は周囲の方々に恵まれていることは確かなようですね。」と、先生なりのウィットに富んだお褒(ほ)めをいただきました。
ところで 選挙運動の最中(さなか)、あの青木島遊園地の存続を願い活動を共にした方(かた)から「こっちにも遊説に来て!」とのリクエスト(LINE)が入電されました。
ちょうど30分ほど空いていましたので、急きょの形で車首を青木島に向けることに。
街宣の途中に青木島遊園地の横を通過すると…かつて子どもたちの健全な居場所であった遊園地が、草ボーボーの ただの空き地になっています。
との あまりの状況(惨状)に眉をひそめた私は、選挙の事は抜きにして さっそくに市の公園緑地課に電話し「今は市の管理の手は離れてしまっているけど、かつて市の管理地であった場所(しかも いわく付で廃止になった場所)がこんな状況では良ろしくないので、管理会社に連絡して草刈りを行なってもらうよう打診すべきではないか。」と一報を入れたところです。
その後、遊説カーを更北支所前に移動し つかの間でしたが街宣させていただきました。
青木島遊園地は存続させるべきであったこと・存続を願い 心ある市民が本当に頑張り、それに共感した私も陰(かげ)ながら精一杯支援させていただいたこと・残念ながら 市(市長)は〝廃止ありき〟で推移し、市民の「声」に背(そむ)くことになったこと・などの経過を述べたうえで「大切なのは むしろこれからです!」と 改めて訴えました。
市や関係者は、まるで これまでの悪しき経緯が無かったかのような風に、新たな計画(青木島こども未来プラン)を遡上に載せ それ(計画)をドンドンと進めようとしてきました。
それに対し、私たち現状を知る者たちは〝計画ありき〟の方針に待ったをかけ、真に放課後児童の良好な環境が整ってから前に進むように主張しています。
そうです、話しはまだこれからなのです。
そのためにも、私としては ぜひ当選を勝ち取って、この計画に対するチェック機能を果たしてゆきたい。
青木島での街宣を通じて、さらなる決意を強めたところでありました。
夜は、地区内の2ヶ所(地域公民館)で まさに膝詰(ひざづ)めのミニ集会(個人演説会)を開いていただきました。
これは、今回の選挙で 倉野立人後援会がめざしているものの一環です。
参加人数に囚(とら)われず 心ある人の集まりで自由に意見を交わす。
いわゆる〝カオの見える同士〟の中(仲)において交わす言葉のキャッチボールは、親近感の醸成と併せて お一人おひとりの意志のようなものなものまで感じ取られるところでありました。
この会場では「今の政治は、政治に関わる者が勝手に(専決的に)物事を進める帰来があり、私は大いに不満を抱いている。」旨の発言(Aさん)があり、私も甚(いた)く同意したものです。
この参加者さんが述べられた問題を長野市に重ねてみると、それは さきの「青木島遊園地廃止問題」に符合します。
〝廃止ありき〟で行政手続きを進め、市民には〝事後報告〟でしかなかったこの案件は、まさにAさんの抱く 政治に対する疑問や不満を、図らずも投影しているものでありましょう。
私はAさんのご意見に対し この案件(遊園地問題)に触れながら「当選した暁(あかつき)には、徹底した情報公開と 事前段階での市民説明を求めてゆきます。」旨をお約束として伝えさせていただきました。
この日の夜は、隣りの地区でもミニ集会を設営していただきました。
こちらの地区は、かつて県議会議員を輩出したほどの いわば政治に造詣の深い地域であられ、参加者の方からは 総論・各論に至る、多岐に亘るご意見が出されました。
人口減少傾向が進む日本社会の将来に対する不安・ウクライナ情勢の影響に伴う社会経済不安・さらに高止まりしたガゾリン価格のせいで日々の事業が行き詰まってしまうなどの窮状が訴えられ、そのうえで 地域の基幹産業である桃の営農における後継者不足や価格低迷などの課題について意見されたところです。
これらさまざまな社会問題については 一朝一夕では解決できるものではありませんが、社会の大局を見据えながら 今後も相互の共通課題として捉え、ぜひ当選を勝ち取ったうえで意見交換を継続してゆきたい旨で一致しました。
この日も 単なる「お願い」の枠を超え、非常に多岐に亘る活動となりました。
私は、まさに このこと自体が選挙のあるべき姿だと思います。
単なる「お願い」と「受諾」のやり取りに止(とど)まらず、地域課題や将来課題を意見交換したうえで「コイツになら任せてみよう」と思っていただく努力を重ねることで、候補者自身のスキルも上がってくるのではないか。
「選挙は研さんの場である」を再認識した 告示2日目でありました。
9月10日、長野市議会議員選挙がスタートしました。定数36人に51人が立候補する大激戦です。 無所属・社民党推薦で立候補した原ようこ候補は、...
この日 9月10日(日)、令和5年執行の長野市議会議員選挙が告示を迎え、私も候補者の一人として立候補の届け出を行ないました。
(これはどの陣営にも共通して言えることですが)この日は好天に恵まれ、スタートダッシュにふさわしい陽気となってくれました。
とりわけ我が陣営は 地元の神社の境内で出陣することが恒例となっていることから、天候にメチャメチャ左右されるのです。
でも顧(かえり)みてみれば これまでも一度も雨天の出陣となったことは無く…農地は雨が渇望されていますが、この日だけはご勘弁クダサイと 晴天に感謝したところです。
出陣に先立ち「神事」が斉行され、選挙活動の無事なる完遂を共々に祈念させていただきました。
神事の後 番組は「出陣式」に移行し、ご参集のみなさまに これまでのご厚情への心からなる御礼と、選挙活動を通じて精一杯お訴えさせていただくこと・そのうえで方々の倍旧のご支援をお願い申し上げました。
ご案内のとおり、同時刻(時間帯)には 別途「届出班」の方々が市役所で立候補の届出を行なってくださっています。
今回の選挙は、何せ候補者数が多い(50人超)ために選挙事務にも相当の時間がかかっていることから、その(時間)調整が難しいところがあります。
この間、ご参会いただいた全てのみなさんに「必勝だるま入眼」を行なっていただき、それぞれに気勢を上げていただきました。
私も、天に届けと「えいっ!!」と声を上げて入眼させていただきましたよ。
その後 相当の時間が経過しましたが、待ちに待った「七つ道具」が到着、選挙事務所前で直ちに第一声を行ない 遊説隊は市中へと出発しました。
私は市内で行事の挨拶のために分離し、一旦 単独行動に。
こんな感じで(遊説カーを)乗ったり降りたりの繰り返しをしながら、いずれにしても一人でも多くの方々に 倉野立人を見知っていただくよう活動展開してゆくところであります。
選挙の「華」である今回の遊説隊 とりわけ「ウグイス嬢」については、ベテランさん1名を配したうえに 地元の女性陣に日替わりで乗車していただくことになっています。
これがまた 硬軟あいまった明るい雰囲気を醸成してくれています。
遊説中に立ち寄ったNさん方。普段は辛口なNさんも「ベテランさんはハキハキしていてイイ。サポートさん(地元の人)も 慣れない中でも精一杯にマイクを握っている姿勢が伝わってきて これまたイイ。」と褒(ほ)めてくださいました。
野球の投手リレーではありませんが、ウグイスさんも何人かの交代を重ね それぞれに持ち味を発揮していただきました。
なかなか経験することの無いウグイスですが「最初は緊張したけど、慣れてくるとやり甲斐があります。」と前向き感想を述べてくれます。こちらもお願いした甲斐があったというものです。
この日は選挙初日につき 地盤とする地域をくまなく回り、マイクを通じて とりも直さず立候補のご挨拶をさせていただきました。
宅内の窓から・農作業の手を休めて・玄関からお出ましくださって それぞれに手を振ってくださる方もおられ、感謝に堪えないところです。
走りながらの車窓からのご挨拶を恐縮に存じながら、それでも限られた期間・限られた手法をもって でき得る限りの努力を重ねてまいります。
夜は、各地域の方々のご尽力により「個人演説会」が設営され お訴えの機会をいただきました。
旧来の選挙手法でいえば、できるだけ大きなハコ(会場)に多くの人を集め その数を競うようなことが主流でありましたが、それも今は昔。
コロナ禍の影響もあり、ただただ(人を)集めることに汲々とせず 寄ってくれた方々と膝詰めで話す。この方がよほど親近感の情勢に資してくれるものです。
こちらの地区は、かつて地元の方々の要望をイイ意味で反転させ 住民パワーでマレットゴルフ場を造成した、私(の政治理念)にとっても大きな転機となった地区であり、そこが初日の個人演説会場となったことに縁(えにし)を実感しました。
私も みなさんを前に、当時の苦労を回顧すると同時に あのときに発揚され現在にも受け継がれているボランティアスピリッツこそが、もしかしたら今後の地域自治の指針にもなり得ることを話させていただきました。
選挙初日は まさに駆け足のままに終了しました。
残された日は あと6日…さまざまな面で限られた中ではありますが、私なりに精一杯に「思い」を伝え、ご理解いただく努力を重ねてまいります。
読者のみなさんにおかれましても、倍旧のご支援のほどをお願い申し上げる次第であります。
ここ数日、暑さも和らぎ、昨日は何か月ぶりになるだろうか、長袖シャツを着用しました。
この夏は、本当に暑い日が続き、私自身、体調管理には苦労しております。
そんな暑い夏ですが、間近に迫った長野市議会議員選挙への市民の関心度はどうでしょうか。今朝の信濃毎日新聞は投票率について論じておりました。
ここ数年、長野市議会議員選挙の投票率は下降傾向にあります。様々な要因があるのだと思いますが、私も当事者として重く受け止めております。
さて、本ブログへの投稿も滞りがちとなっていますこと、お詫び申し上げます。先述のとおり、連日、忙殺されており、頭の整理がおぼつかなく、筆が進まない状況となっておりました。こんなことではいけないのですが、どうかご容赦ください。
いよいよ明日から始まります。今日まで続けてきた私自身の活動への評価とこれからの思い等、審判を受けますが、最後まで全力を尽くしてまいります。 鈴木洋一拝
この10日(日)に、統一地方選挙の一環として「長野市議会議員選挙」が告示を迎えます。
議会改革の一助として実現した「議員定数の削減」によって 現有39を36議席に削減した中、実に50名を超える候補者が立候補することとなっており まさに激戦の様相を呈することとなっています。
さらに言えば、とりわけ今回の長野市議選には いわば多種多様な候補者が名を連ねておられることを実感します。
これまで 選挙の不文律でもあった〝地盤・看板・カバン〟を持たない人(とりわけ若い人)が複数名に亘り立候補を表明、その詳細は存じませんが おそらく独自の手法・独自の人脈等を駆使して、今までに無い活動を展開しておられることでしょう。
このことについて、私自身は「多様化」という視点で歓迎すべきことと思っています。
時代は正(まさ)に ジェンダーフリー・SDGsの傾向にあります。さまざまな立場の人たちが多様な意見や考えを持ち それを議会という場で述べ合い議論を深める。
これは間違いなく ややもすると前例踏襲・旧態依然を旨とする市議会(行政)に新味をもたらすものでありましょう。
何というか、一色で同じ方向にだけ向いて泳ぐ魚の群れに 色とりどりの魚が混じった様相とでも申しましょうか…いずれにしても 選挙結果によっては、議会という池州(いけす)は今までとは違う眺めになると思います。
そのうえで私は、今回の選挙は 長野市政にとって大きな節目となることを予感するところです。
市行政においては 市長が交代して半期が経過しようとしており、その評価(真価)が問われることになっています。
さきのブログで触れたとおり、各紙においても「荻原市政をどう評価するか」が焦点となっており、かかる市政に向き合う議会の姿勢そのものも問われていることになっています。
「令和元年東日本台風」さらに「コロナ禍」を経て誕生した新市長に対峙する議会構成を占う今回の長野市議選。
さまざまな事柄が変遷する中、これからの市議会がどのようなメンバーで運営されることになるのか…このことについて 市民の関心が高まり、高い投票率をもって審判が下される環境ができることを期待するばかりであります。
かくいう候補者の一人である私とすれば、前掲の多様性を受け入れつつ 私は私なりに時代に則(そく)した新たな感性を磨きながら、今の市民・これからの市民の方々のニーズに応えられるよう活動を活性化してまいる所存であります。
そのうえで 今の荻原市政については、私は正(まさ)に是々非々「迎合も対立もしない」スタンスで向き合っています。
一部の議員の中には、まるで飼い犬のように彼に盲従する人もいれば あたかも親の敵(かたき)のように激しく対立する人もいます。
しかし、主体はあくまで市民。私たちは、市民の方々に選択された者の一人に過ぎないのです。
つまりは その行動の原資(基準)として「市民はどう考えるか」「市民のためにどうあるべきか」だけを考えて行動すべきところであり、そこを履き違えてはならないと強く認識するところです。
その行動基準をもって、市政をチェックする。
行政行動(事業)が 市民益に叶っていれば了(りょう)とし、そうでなければ否定(否決)すべきところです。
そういう点では、私は「成果主義」を挙げるところです。
このことについては、先日のブログで述べた「予算主義⇔決算主義」に通じるところですが、市行政の行為(事業)について「やっただけ」で終わることを許さず そのこと(事業)がどのような成果をもたらしたかまでを検証し、そこでようやく事業の善し悪しを判断すべきと考えています。
とりわけ、市民から預かった血税を支弁する以上は「○○をやりました。」だけの子供の日記のような報告ではなく「○○を行なったことで、▽▽のような成果がもたらされました。」までを聞いたうえでチェックを重ねてゆく。
そんな作業の積み重ねこそが、真に市民の期待に応える(議会の)行動となると改めて認識しているところです。
で、その(市行政の)「成果の検証」について 此度(こたび)典型的な事例がみられています。
さきに 荻原市長が、海外からの観光需要を取り込もうと 初めて「海外トップセールス」を行なったのです。
荻原市長とすれば 就任後初の〝外遊〟で、タイと中国に出向いたものです。
これは、9/1からタイの首都バンコクで開かれた、日本の伝統的な食や文化などの魅力を広めようと8年前から行われ 約12万人が訪れる人気のイベント「バンコク日本博」に参加したものだそうです。
そのオープニングセレモニーでステージに上がった荻原市長は「長野市は冬のオリンピックを開催した国際的な知名度の高い都市である一方、都市と自然が融合したとても素晴らしい街です。果物をはじめ おいしい食べ物がたくさんありますので、タイの皆さんの心をわしづかみにできると自信をもってやってまいりました。」とスピーチしたことが報じられていました。
というのも、長野市に宿泊した外国人環境客は 延べ11万7,000人余り(コロナ前)もあり、このうち中国とタイからの観光客が台湾・オーストラリアに次いで多いことから 市長は初めての外遊先として、伸びしろがあるこの2か国を選んだとのことです。
この「バンコク日本博」では、自ら長野市の観光PRブースに立ち 果物などの特産品などをアピールしたそうです。
さらに市長は、タイの人気情報番組にも出演し、軽妙な語り口で 長野市の果物を引き合いに「フルーツ好きな(タイの)人にはたまらない街だと思います。ぜひ私はタイの皆さんに長野市に来ていただきたいと思う。」と愛好を崩して長野市をアピールしておられました。
さらに市長は タイの日本大使館や日本政府観光局などを訪れて懇談したほか、現地のスーパーなどを視察して日本産のフルーツの販売状況など確かめられたとのこと。
その後は 中国を訪れ、首都・北京や長野市の姉妹都市である石家荘市(せっかそうし)などを訪問、現地の旅行会社などに長野市の魅力をアピールしたとのことでありました。
市長は、今後も積極的に海外でのトップセールスを行ない 外国人環境客の誘致や農産物の輸出などに力を入れていきたいとしたとのことです。
ここまではイイ。かつてのオリンピック金メダリストがなった市長として海外に出向き、長野市を広く内外にアピール。今までの市長に無い個性をもって 長野市の〝露出〟に努める姿勢は評価すべきところでしょう。
そのうえで です。
私(=市民)が注目(検証)するのは「今回の外遊で どのような具体的な成果がもたらされるか(もたらされたか)」であります。
さらに言えば、その「成果」については その〝中身〟が問われるところでありましょう。
よくいう「長野市のことを精一杯PRし、好印象を得てきました」とか「タイの情報番組でパーソナリティと有意義な時間を共有してきました」などの〝抽象的な成果〟では、市民は納得してくれるでしょうか。私は「否(いな)」だと思います。
市長と一部の職員が経費(市費)を浪(ろう)して遠く海外まで出向く以上は「ガンバってきました」などとの成果報告では許容されるものではなく、そこには 例えば向こうの農産物移出事業体と大型契約を結ぶとか、長野市への訪問を確実に促すべく観光エージェントと提携するなどの「具体性」が求められるところであり、そこまでの成果が見込めないままの〝成果〟であれば、それは まさに外遊「ただ遊びに行っただけ」との誹(そし)りは免れないところでありましょう。
重ねて申せば、私は 市(市長)とは 迎合も対立もしません。
むしろ、市(市長)のことを案ずればこそ「成果」を求めるのです。
彼を〝裸の王様〟にしないために。
・・・・・・。
このことを典型的な事例とするように、私(=市民)は 今後も市(市長)に対し「成果」を求めてゆきたいと思います。
ただただ予算化し「やっただけ」の事業・ただただ設置し ロクな稼働もしないような設備を許さず、それらが何をもたらし 市民益の向上に資したか(そうならなかったか)を厳しくチェックし、そのうえで 市民も市(市長)も「良かった」と共々に言い合えるような市政をめざし、自分(議員)なりに機能してゆきたいと 心底から思うところです。