この10日(日)に、統一地方選挙の一環として「長野市議会議員選挙」が告示を迎えます。
議会改革の一助として実現した「議員定数の削減」によって 現有39を36議席に削減した中、実に50名を超える候補者が立候補することとなっており まさに激戦の様相を呈することとなっています。
さらに言えば、とりわけ今回の長野市議選には いわば多種多様な候補者が名を連ねておられることを実感します。
これまで 選挙の不文律でもあった〝地盤・看板・カバン〟を持たない人(とりわけ若い人)が複数名に亘り立候補を表明、その詳細は存じませんが おそらく独自の手法・独自の人脈等を駆使して、今までに無い活動を展開しておられることでしょう。
このことについて、私自身は「多様化」という視点で歓迎すべきことと思っています。
時代は正(まさ)に ジェンダーフリー・SDGsの傾向にあります。さまざまな立場の人たちが多様な意見や考えを持ち それを議会という場で述べ合い議論を深める。
これは間違いなく ややもすると前例踏襲・旧態依然を旨とする市議会(行政)に新味をもたらすものでありましょう。
何というか、一色で同じ方向にだけ向いて泳ぐ魚の群れに 色とりどりの魚が混じった様相とでも申しましょうか…いずれにしても 選挙結果によっては、議会という池州(いけす)は今までとは違う眺めになると思います。
そのうえで私は、今回の選挙は 長野市政にとって大きな節目となることを予感するところです。
市行政においては 市長が交代して半期が経過しようとしており、その評価(真価)が問われることになっています。
さきのブログで触れたとおり、各紙においても「荻原市政をどう評価するか」が焦点となっており、かかる市政に向き合う議会の姿勢そのものも問われていることになっています。
「令和元年東日本台風」さらに「コロナ禍」を経て誕生した新市長に対峙する議会構成を占う今回の長野市議選。
さまざまな事柄が変遷する中、これからの市議会がどのようなメンバーで運営されることになるのか…このことについて 市民の関心が高まり、高い投票率をもって審判が下される環境ができることを期待するばかりであります。
かくいう候補者の一人である私とすれば、前掲の多様性を受け入れつつ 私は私なりに時代に則(そく)した新たな感性を磨きながら、今の市民・これからの市民の方々のニーズに応えられるよう活動を活性化してまいる所存であります。
そのうえで 今の荻原市政については、私は正(まさ)に是々非々「迎合も対立もしない」スタンスで向き合っています。
一部の議員の中には、まるで飼い犬のように彼に盲従する人もいれば あたかも親の敵(かたき)のように激しく対立する人もいます。
しかし、主体はあくまで市民。私たちは、市民の方々に選択された者の一人に過ぎないのです。
つまりは その行動の原資(基準)として「市民はどう考えるか」「市民のためにどうあるべきか」だけを考えて行動すべきところであり、そこを履き違えてはならないと強く認識するところです。
その行動基準をもって、市政をチェックする。
行政行動(事業)が 市民益に叶っていれば了(りょう)とし、そうでなければ否定(否決)すべきところです。
そういう点では、私は「成果主義」を挙げるところです。
このことについては、先日のブログで述べた「予算主義⇔決算主義」に通じるところですが、市行政の行為(事業)について「やっただけ」で終わることを許さず そのこと(事業)がどのような成果をもたらしたかまでを検証し、そこでようやく事業の善し悪しを判断すべきと考えています。
とりわけ、市民から預かった血税を支弁する以上は「○○をやりました。」だけの子供の日記のような報告ではなく「○○を行なったことで、▽▽のような成果がもたらされました。」までを聞いたうえでチェックを重ねてゆく。
そんな作業の積み重ねこそが、真に市民の期待に応える(議会の)行動となると改めて認識しているところです。
で、その(市行政の)「成果の検証」について 此度(こたび)典型的な事例がみられています。
さきに 荻原市長が、海外からの観光需要を取り込もうと 初めて「海外トップセールス」を行なったのです。
荻原市長とすれば 就任後初の〝外遊〟で、タイと中国に出向いたものです。
これは、9/1からタイの首都バンコクで開かれた、日本の伝統的な食や文化などの魅力を広めようと8年前から行われ 約12万人が訪れる人気のイベント「バンコク日本博」に参加したものだそうです。
そのオープニングセレモニーでステージに上がった荻原市長は「長野市は冬のオリンピックを開催した国際的な知名度の高い都市である一方、都市と自然が融合したとても素晴らしい街です。果物をはじめ おいしい食べ物がたくさんありますので、タイの皆さんの心をわしづかみにできると自信をもってやってまいりました。」とスピーチしたことが報じられていました。
というのも、長野市に宿泊した外国人環境客は 延べ11万7,000人余り(コロナ前)もあり、このうち中国とタイからの観光客が台湾・オーストラリアに次いで多いことから 市長は初めての外遊先として、伸びしろがあるこの2か国を選んだとのことです。
この「バンコク日本博」では、自ら長野市の観光PRブースに立ち 果物などの特産品などをアピールしたそうです。
さらに市長は、タイの人気情報番組にも出演し、軽妙な語り口で 長野市の果物を引き合いに「フルーツ好きな(タイの)人にはたまらない街だと思います。ぜひ私はタイの皆さんに長野市に来ていただきたいと思う。」と愛好を崩して長野市をアピールしておられました。
さらに市長は タイの日本大使館や日本政府観光局などを訪れて懇談したほか、現地のスーパーなどを視察して日本産のフルーツの販売状況など確かめられたとのこと。
その後は 中国を訪れ、首都・北京や長野市の姉妹都市である石家荘市(せっかそうし)などを訪問、現地の旅行会社などに長野市の魅力をアピールしたとのことでありました。
市長は、今後も積極的に海外でのトップセールスを行ない 外国人環境客の誘致や農産物の輸出などに力を入れていきたいとしたとのことです。
ここまではイイ。かつてのオリンピック金メダリストがなった市長として海外に出向き、長野市を広く内外にアピール。今までの市長に無い個性をもって 長野市の〝露出〟に努める姿勢は評価すべきところでしょう。
そのうえで です。
私(=市民)が注目(検証)するのは「今回の外遊で どのような具体的な成果がもたらされるか(もたらされたか)」であります。
さらに言えば、その「成果」については その〝中身〟が問われるところでありましょう。
よくいう「長野市のことを精一杯PRし、好印象を得てきました」とか「タイの情報番組でパーソナリティと有意義な時間を共有してきました」などの〝抽象的な成果〟では、市民は納得してくれるでしょうか。私は「否(いな)」だと思います。
市長と一部の職員が経費(市費)を浪(ろう)して遠く海外まで出向く以上は「ガンバってきました」などとの成果報告では許容されるものではなく、そこには 例えば向こうの農産物移出事業体と大型契約を結ぶとか、長野市への訪問を確実に促すべく観光エージェントと提携するなどの「具体性」が求められるところであり、そこまでの成果が見込めないままの〝成果〟であれば、それは まさに外遊「ただ遊びに行っただけ」との誹(そし)りは免れないところでありましょう。
重ねて申せば、私は 市(市長)とは 迎合も対立もしません。
むしろ、市(市長)のことを案ずればこそ「成果」を求めるのです。
彼を〝裸の王様〟にしないために。
・・・・・・。
このことを典型的な事例とするように、私(=市民)は 今後も市(市長)に対し「成果」を求めてゆきたいと思います。
ただただ予算化し「やっただけ」の事業・ただただ設置し ロクな稼働もしないような設備を許さず、それらが何をもたらし 市民益の向上に資したか(そうならなかったか)を厳しくチェックし、そのうえで 市民も市(市長)も「良かった」と共々に言い合えるような市政をめざし、自分(議員)なりに機能してゆきたいと 心底から思うところです。
ネットのニュースで、私たちの身近な社会生活(行動)の中に潜む ときに生命に関わる危険が招いた痛ましい事故が報じられ、他人事でない感を強めると同時に (私の)周辺で起きている事案と関連づけざるを得なかったところです。
ニュース記事は、複数人で草刈り作業を行なっていた男性作業員が 他の作業員が使っていた草刈り機(ビーバー)で足を切られ、生命を失うことになってしまったとのことでありました。
現場は豊橋市の池の周辺とのこと。
おそらく池の淵にうっそうとする雑草のせいで視認が悪くなり(淵を見誤り)池に転落することを防ぐために草を刈っておこうという作業と思われるところですが、そんな場所で重大事故が起きてしまいました。
作業は豊橋市が委託。当時、現場では4人が2人1組で作業しており、被害に遭った人(Aさん/69歳 男性)は 一方の作業員が刈った草を集めていたそうです。
豊橋市などによると、作業を始めた後の午前9時頃ごろ Aさんは他の作業員(Bさん)が使っていた草刈り機で右大腿部を切られ、病院に搬送されましたが約3時間後に死亡が確認されたとのことです。
さらに警察によると、作業中にBさんの草刈り機の振り幅が大きくなり、勢い余ってAさんに当たったことが原因と見られているとのこと。
警察は業務上過失致死にあたる可能性もあるとみて調べていると報じられていました。
この草刈り機は肩掛け式で、通称「ビーバー」と呼ばれ 広く普及しているものです。
私たち田舎に住む者にとっては〝雑草との戦い〟において欠かせない便利な動力機械です。
(資料)
古来「草刈り」といえば、鎌(かま)で行なっていましたが、この「ビーバー」の登場により 飛躍的に作業能率が上がることとなりました。
この機械の特徴(特性)は、何といっても〝小回りが効く〟というところでしょう。
手(鎌)で刈るには範囲が広すぎる・でも大型の乗用草刈り機などは入れないような難儀な場所でも自在に作業でき、回転刃や紐カッターを駆使して効率よく除草してゆくのです。
(資料)
しかし、です。
この「回転刃」が、状況によっては非常に危険な存在となるのです(ご利用者は既にご案内のとおり)
難儀な雑草を刈り取るため 円状の周囲を研(と)がれた鉄製の刃が動力によって高速で回転、触れるもの全てを刈り取ってゆきます。
(資料)
そこには人感センサーなど無く、機械を背負った者の裁量に任せ 草だろうが小木(しょうぼく)だろうがガンガンと切り(刈り)進めてゆくのです。
今回は そんな最中(さなか)に起きてしまいました。
おそらく、作業現場であった池の淵は広々としており 作業をより効率的に進めるために振り幅を大きくして、ひと振りで広い面積を刈ってしまおうとの心理が働いたものと思われますが…。
前掲のように鉄製・円状で高速回転する刃。そこに人の身体が接触しようものなら ひとたまりもありません。
警察によると 受傷箇所は大腿部。おそらく動脈を傷つけてしまったのでしょう。
今回の事故は 恐ろしいものではありましたが、でも これは、地域のどこででも起こり得る事故でもあるところです。
この時期、雨が全然降らなくとも 何故か雑草だけは生い茂(おいしげ)ってゆきます。
今も地域のどこかで、必ずといってイイほどビーバーが稼働し 草刈り作業が行なわれていることでしょう。
言い換えれば、私たち(作業する人)は 常に危険と隣り合わせにいるのです。
今回の事故は、事前の確認不足・現場での目視不足・いわゆる〝ながら作業〟等が招いたものと思われます。
とりわけ (ガソリン動力のビーバーの場合)機械の音が大きく 声が聞こえにくいこと・また 草刈り中は足元しか見ないため 周囲に目が行き届きにくいことなどから、作業の前に相互に安全確認しておくことが肝要です。
作業中は互いに近寄らない・作業を進める方向を確認しておくことなどすることで 刃が仲間の方に向かないようにすることを大前提に、作業中に「オーイ!」などと改めて声をかける必要のないよう事前対応が求められるところです。
また 今回の事故は「慣れ」が招いたものかもしれないとも思います。
かくいう私も この機械をいくらか扱えるため、地域の公園の草刈りなどに出張っては ビーバーを使って除草作業に参加する者の一人なのです。
そんな立場をもってしても、今回の事故は とても他人事とは思えません。
いつも日常的に行なう作業。で あるからこそ、事前打合せと作業中のルール確認を徹底することが ひいては自分の身を守ること・さらには 同じ仲間同士が受傷する(される)などの悲劇につながることを未然に防いでくれることを改めて自覚(自戒)したいところです。
・・・・・。
そのうえで、私の周囲で かかる除草作業に関する難儀(難解)な課題が聞かれているのです。
このこと(課題)自体は、草刈り(ビーバー)そのものが全てというワケではなく、その詳細等については 状況に応じて後日に譲ることといたしますが、いずれにしても 不測の事態がさまざまな出来事を招くことがあること、そのものが「社会」であることを心に留め 日常生活の中で起きる(起きるかもしれない)あらゆる事案に向き合ってゆきたいと思うところです。
報道などで周知が進んでいるとおり、来る9月10日(日)に 統一地方選挙の一環としての「長野市議会議員選挙」が告示を迎えようとしています。
かくいう私も候補者の一人として立候補することになっておりますが、そこ(立候補/告示日)に向け、正直 今が一番キツい時期となっています。
先ずは 佳境に入っている地回り(挨拶回り)。告示を迎えると 公職選挙法の規制に伴いリーフレットなどの資料が配付できなくなるため、何が何でも前日(9日)までのうちに 地盤である地域を中心に一軒 ゝ に足を運び、挨拶を兼ねての配布作業を終えなければならないのですが、日々の用務に加え 現職ゆえに様々な案件と向き合うことも要され、なかなかはかどっていないのが現実です。
でき得る限り時間を割いて東西南北に足を向けておりますが、ここ数日が地域完全踏破のための〝胸突き八丁〟となっています。
また 告示日を数日後に控え、立候補に向けた届出事務・選挙日程の思考・初日 とりわけ「出陣式」の準備・選挙中の「個人演説会」のお願い等々 事前の準備作業も佳境に入っています。
これらについては多くの支援者の方々にお支えいただいているとはいえ、どうしてもそれら事前作業には本人が絡(から)まざるを得ない面があり、打合せや 必要に応じては会議の資料づくりと〝二刀流〟ならぬ三刀流四刀流の取組みを求められることも重なり、そのこと自体はありがたいところではありますが、物理的(時間的)にタイトになるを強いられているところであります。
で、その一番のシワ寄せは 何いう「ブログ更新」なのです。
私のブログは「今日のランチ(^_^)」などと写真一枚で済ます類(たぐ)いのものではなく、記載には それ相当の時間を要するものなので、前掲の様々な〝選挙関連活動〟に時間が割かれてしまうと ブログ更新が儘(まま)ならなくなってしまいます。
そんなこんなで、読者のみなさんには「ブログ更新どうした?」と思われている方もおられるとは存じますが、諸事情をご賢察のうえそ理解いただければ幸甚に存じます。
髙山(こうざん)の登山ではありませんが、いわば今が七合目過ぎか…一番キツいところであると思われますが、私なりに精一杯に歩みを進めておりますので どうぞヨロシクお願い申し上げます。
◇市議選「候補者アンケート」に思う…「成果」を見定めるべき
来る市議選に向け、候補者の考え方の一端を伝え 投票行動の参考にしていただこうと「候補者アンケート」が一部紙面に掲載されて(され始めて)います。
この詳細については後日に譲ることといたしますが、この場では 各候補者における回答全般における「傾向」のようなものについて述懐するところです。
アンケートは とりわけ現下の市政運営(荻原市政)に対する評価が求められており、そのうえで「各論」について述べることを求める内容となっています。
そのうえで、多くの候補が「評価する」としていることに気づかされます。
それらを見て 私は、各候補の云々(うんぬん)と言うより それ(「評価する」の回答)が、今の地方政治(行政)の現状を表(あらわ)していることを実感させられたものでした。
このことについては、アンケートの運び方自体に課題(特徴)があるところではあります。
設問の軸は「荻原市政を評価するか否か」であり、これは有権者にとっても 各候補が「荻原市政寄りか そうで無いか」を判断する いわば分かりやすい指標となっています。
ところが(私自身)ヨク考えてみれば、荻原市政は道半ばであり 現時点でイイとも悪いとも決めつける段階では無いと思うのです。
確かに 彼(荻原市政)は、就任以来 さまざまな施策を打っています。
しかしそれらは 今のところ「実施」に止(とど)まっており、明確な「成果」につながっていないのが実際のところでないか と。
したがって 現時点では、いわば心底から評価するともしないともいうべきで無い…イヤ言いようが無いと思わざるを得ないのです。
そんな中、多くの候補(特に最大会派の現職)は「評価する」としています。
そして その理由も「〇○の施策を打っているから」と、いわば予算づけしし実施した時点で「評価」につなげているのです。
このことについて 私は何ら非難するところではありません。
私自身、現に 信毎のアンケート「産業振興」の項目については、期待を込めて「やや評価」とさせていただきました(しかし、結果はまだまだこれからの評を付けて ですが)。
そのうえで私は、今の地方行政の現状を垣間見た思いがいたしました。
それは「予算主義」です。
とりわけ地方行政においては 事業等に〝予算を付けること〟に重きが置かれており、その後のこと…事業はどのような成果をもたらしたか・逆に 予算づけして事業を行なったものの、成果が挙がらなかったのではないか・この事業は市民益に叶ったものだったのか、などの検証への意識が薄く いわば予算化したところでイイ悪いが決せられてしまう傾向にあるのです。
これに対するのが「決算主義」です。
これは(前掲のとおり) 予算化した事業がどのような成果をもたらしたか否かを検証する作業であり、年間の事業を総括する作業になります。
議会においては「決算特別委員会」で審査に付されるものです。
私自身、これまでも 税金を投入して行なった事業の結末をチェックする作業 これこそが重要ではないかと考えていました(います)が、長野市議会おいては かかる決算(チェック)作業が軽んじられている傾向にありました。
決算特別委員会は 9月議会が終了した後の(遅い)タイミングで開かれ、かつて在籍した最大会派においては「勉強のため」として 主に新人議員が(決算特別委員会)のメンバーに指名され、事業の結果説明を聞き置くだけの いわば追認機関に止(とど)まっていたものです。
私は この現状に大きな疑問を抱き、最大会派を飛び出して新会派を立ち上げた以降に「決算審査の重要性」を訴えました。
その後 さまざまな経過を経たうえで「決算特別委員会」は、次年度の予算編成に(委員会の)審査結果が反映されるよう 前倒しで実施されること・決算審査については 一部の議員が行なうのではなく、議会全体(全員)が審査に臨むために 分科会方式を取ることなどと改善が為(な)され、現在に至っています。
それでも 今回の候補者アンケートでは、予算化(事業化)した時点で「評価」とし いわば結果は抜きにしてヨシとしている人が多い傾向は 残念と言わざるを得ないところです。
私自身は、行政の行なう事業については シッカリと成果を見定め、そのうえで「良かった・悪かった」と評点すべきであると考え、これからも そのような姿勢(視点)で行政と向き合ってゆきたいと思っています。
施設を整備したり 機器を配置した時点で完結とせず、それらが どのように機能したか(しなかったか)・その投資が 真に市民益に叶う働きをしたかどうかを検証をして、初めて「評価」につながると強く認識するところです。
・・・・・・。
そんな中、これだけは 明確な「結果」として評せざるを得ない案件が。
他ならぬ「青木島遊園地廃止問題」です。
このことについては 今さら多くを語りませんが、いずれにしても 市(市長)は 多くの市民の「声」に基づき、首長としての権限を公使したうえで英断し、遊園地を存続することができた。
しかし実際には、過去の経過に拘泥し 予定通り廃止の選択を許してしまった。
これは 明確な「結果」であり、これについては「評価しない」の判断を明確に示すことができる(できた)ところです。
非常に残念な「マイナス成果」でありました。
さきの9月1日は、わが国の中枢を成していた(いる)東京直下/首都圏に 未曾有の被害をもたらした「関東大震災」から100年が経過した日でありました。
1923年(大正12年)9月1日の午前11時58分頃に発生した大地震は、東京都や神奈川県を中心に 火災・建物倒壊・土砂災害などの大規模かつ多様な被害を一斉に発生させ、実に10万人を超える住民が犠牲となってしまいました。
その後 この日は「防災の日」とされ、各地で防災訓練が行われるなどして 震災そのものは国民の間に定着しています。が、もはや当時を知る人も少なくなり、首都圏直下型地震の実際の恐ろしさは風化しつつあるようです。
この日、あの未曾有の大震災から100年の大きな節目を迎えるにあたり 私たちは起こった事実を改めて回顧し、首都圏を再び大地震が襲う恐れ/怖さを再認識し この際は世代を超えて記憶を受け継ぎ災害に備えなければならないと思うところです。
気象庁や内閣府などの資料によると、関東大震災の震源は神奈川県西部 深さ23kmで、マグニチュードは7.9に及んだとのこと。東京府(当時)と埼玉・千葉・神奈川・山梨県が震度6に及び、北海道や中国・四国地方にまで及ぶ広範囲で揺れを記録したそうです。
自然災害においては「発生時刻」が 被害の大小や被害の類別を左右すると申せます。
さきの「阪神淡路大震災」は早朝の食事用意どきに伴う火災発生・「御嶽山水蒸気爆発」は行楽時期の休日の昼どきに伴う人的被害拡大など、いつなんどき(災害が)起きるかで 不測の被害拡大を招くことを、私たちは思い知らされています。
で、この関東大震災においても然り。大正は9月の昼飯前 炊事の煮炊きに火が使われている時刻(11時58分頃)に発生した大きな揺れは、ただ揺れるだけではなく 火のついた五徳(ごとく)をひっくリ返して火災を発生させ、そこに 折しも襲来した台風の影響による強風を受け(火災が)拡大し、地震による揺れ・その多くが木造建築だったことで類焼の拡大・津波などによる家屋流出などで約30万戸が何らかの被害を受けたそうです。
無論、電気・水道・道路・鉄道などにも甚大な被害が発生しました。
さらに、震災の前日にはまとまった雨が降ったことから 山地や丘陵で土砂災害が多発、、神奈川県小田原市では列車が海に転落したり「震生湖」ができるなど、地形が大きく変わり、さらに房総から伊豆半島東岸にかけて12mにも及ぶ津波が発生したそうです。
このように「未曾有」といえる関東大震災でしたが、その(災害の)歴史は 残念ながら今も繰り返されています。
大きなものでは 前掲の「阪神淡路大震災」や「東日本大震災」、類(たぐい)は違いますが「東日本台風」などの水害、また(前掲の)「御嶽山水蒸気爆発」など、私たちの暮らす社会においては いわば否応なしにさまざまな災害が降りかかっているのが現状です。
そんなとき、私たちはどうやって我が身を守ればいいのでしょうか。
このことについては、余りに規模の大きい災害の場合は どうすることもできない面はありますが、私とすれば、せめて 自衛と自覚のためにも「マイタイムライン」を推奨するところです。
「マイタイムライン」とは、各々が暮らす地域の地勢や それぞれの生活環境に合わせた形で、自分なりの避難行動を予(あらかじ)め決めておくものです。
この いわば自主計画は、イザというときに慌てずに行動することができ 画一的でない「自分なりの避難計画」として非常に有効であることから、この際は 個々人が自分の生活を基本としたうえで、計画づくりに臨んでもらうことが強く求められています。
私といたしましても、この「マイタイムライン」を推奨したうえで、それらを蓄積した「地区マイタイムライン」などにイイ意味で派生させたうえで「自分の身は自分で守る・地域の安全は そこに住む人たちの目線で保持する」を念頭に(進)勧めてゆきたい、と、関東大震災から100年を契機に 改めて思いをいたしたところであります。
[参考]長野市の資料(HP)/マイタイムラインをつくってみよう!
↓
https://www.city.nagano.nagano.jp/documents/1067/702852_1205966_misc.pdf
行政(自治体)においては、例えば河川の河道掘削や排水機場の整備・また火災に備えた機器やインフラ整備などのハード面を、一方で住民(市民)は「マイタイムライン」などのソフト対策や防災・減災意識の醸成を担うなどしながら、それぞれの立場で重層的な取り組みを行なうことで、より安全な社会づくりが進むと考えるところです。
9月2日、私の総合後援会・安茂里後援会、そして私が会長を務める原ようこを応援する会の共催で、「布目ゆきお市議×原ようこさん…市政を語る会」を...
さきのブログ記事の続編です。
障がい者 とりわけ知的・精神障がい者支援に取り組む「Gota」チームのMキャプテンが、問題を提起してくれました。
障がい者の「人権」に関する問題提起です。
Mキャプテンは 2つの事例を挙げ、障がい者さんの人権が 本来は障がい者さんを支援(庇護)する立場の者(法人など)の都合で、いわば蔑(ないがし)ろにされている実態を問題しています。
1つめの事例は 高松市から。
同市内にある障がい者支援施設(自閉症と診断された 重度や最重度の知的障害者を中心に現在47人が利用)が、職員不足を理由に 利用者11人の契約を解除すると保護者に通知してきたのです。
この施設には、自閉症のうち 自分や他人を傷つけるといった行動が頻繁に現れる「強度行動障害」がある人もいて、家庭や地域での生活が難しいことから 施設は欠かせない存在として利用されています。
その背景には 施設職員の大量退職(30名のうち12名が退職)があり、そのまた背景には あろうことか施設内部における問題(幹部職員から部下へのパワハラ)があったとのことなのです。
高松市によると、この施設については 2020年以降内部告発などが相次いでおり、同市は運営法人に対して無期限の特別監査に入ったうえで 関係者のヒアリング・口頭や文書での指摘を行なっているそうですが、どうやら改善には至らなかったようです。
この状況について 高松市のO市長は「利用者や保護者の同意なしに利用者を強制退所させるということは人権上問題があり、あってはならないものだと考えている。もし利用者の強制退所ということになれば、法人に対して社会福祉法に基づく業務改善勧告を出すことも視野に入れている」と説明しています。
しかし現状は いわばにっちもさっちもゆかない状況に陥っているようです。
施設側は「新規職員の採用も難しく、利用者の安全と残った職員を守るためには苦渋の決断だった。理事会では 家族の方から他の施設に移ってくれる人を募る案も出たが、最終的には定員を減らすしかないという結論に至った」と説明したうえで、契約を解除する11人の人選については「障害の特性や 家族構成などを総合的に勘案して選定した」としています。
これに対し 保護者の多くは以前から施設側に説明会の開催を求めているものの、それ(説明会)が行なわれていないことから 今回の解除通知に対して「職員減少は契約解除の理由に当たらない。そのうえで 説明会が実施されない限り契約解除には応じない」としており、議論は平行線を辿ったままであることが報じられていました。
2つめの事例は、ここ長野市から。
精神障がいをもつ人(Aさん)が、本人の希望や 通所施設の関係者からの勧めにより就職しようとした施設について、結果的に就職に至らなかったものの いわゆる研修として就労した日にち分において発生するハズの賃金が、関係者(ケアマネ・主任)の手で書類が作られていなかったことをいいことに〝(就労が)無かったこと〟にされていたのです。
そのうえ この就職の斡旋について関係者は、本人の意向や適応などを度外視したように「歯をくいしばってでも(一定期間)頑張れば正社員になれるのに」などと、本来はAさんに寄り添って支援すべき立場の者が まるで厳しい監督官のような口ぶりで事(こと)に当たっており、これは不適切対応の誹(そし)りを免れないと言わざるを得ない状況です。
障がい者さんの就労移行は いわば薄氷を踏むような非常にデリケートな作業であること、そのことは百も承知のハズの関係者が 何ともデリカシーの無いままに話しを進めたあげく 成立しなかったら「しょうがないね」と結末をつけ、そのあげくに せっかく就労(研修)して得られるハズの日給を無かったことで済ませるというのは、いったい誰のための存在なのかと聞きたくなるような〝職務怠慢〟ぶりでありましょう。
この2つの事例の共通点は「施設都合」に他なりません。
高松市の事例は、職員間のパワハラを要因とする職員の大量退職について そのツケを利用者(障がい者)さんに回したあげく、施設の存続を最優先させようとしている。
長野市の事例は 一見すると利用者(障がい者)さんのために動いているようだが、その実(じつ)は 思慮(配慮)も浅いままに話しを進め、成立しないとなったときには 利用者(障がい者)さんの立場(日給を受ける権利)を度外視したままに完結してしまっている。
「これは完全に人権問題だ」をMキャプテンは断じ、私もそう思うところです。
事ほど左様に、障がい者さんの人権が置き去りにされたままで 施設や団体だけが温存され維持されているとすれば。
一体、誰のため・何のための障がい者支援施設(団体)でありましょうか。
そのうえでMキャプテンは「この際、市民に問いたい」と吐露します。
「この 内向きな事業。どう考えても 目的(障がい者支援)に叶っていないのに、それが何の疑問も抱かれずに運営されている実態がある。これはどう考えてもおかしい。」
「だから この際は、広く市民に(実態を)知ってもらい、それでイイを思うのか問いたい。」と。
「Gota」は、さまざまな媒体を通じて 地域における障がい者支援の実態を伝え、それを民に問うたうえで正してゆきたいと考えています。
そのために為(な)すべきことを模索し、実行に移してゆくことになります。
連日の猛暑、熱中症にご注意いただくとともに、新型コロナ感染も県から「医療警報」が発出され、手洗いや換気、3密回避、混雑時のマスク着用など特段...
この日(30日)、障がい者 とりわけ知的・精神の障がい者支援に取り組む「Gota」のメンバーが、長野市で最大の障がい者支援団体の理事長・事務局長との意見交換に臨みました。
これまでも このブログで触れていますが、「Gota」チームは、社会における「障がい者支援」について、その制度や事業が 真に障がい者支援につながっていないのではないか?とのシンプルかつ的確な「疑問」を通底に、実際に授産施設などで行なわれている事業や(職員などの)行為について検証し、さまざまな証拠(エビデンス)をもって問題点を指摘し、関係者に改善を求め続けています。
しかしながら これまでも関係者の腰は重く、具体的な指摘があっても その事実関係を確かめようともせずに〝聞き流し〟の状態を看過しているのです。
ところが、そのような状況にあって 一番〝実質被害〟を被(こうむ)るのは 何いう当事者(障がい者)の方々です。
真に障がい者支援を期する「Gota」は、この停滞した状況をどうにかして打破するため いわば世論の力を利用することにしました。
その一つが、私のような者(議員)やマスメディアを使っての〝情報公開〟です。
こちらの団体が所有する高額機械が 障がい者さんの社会環境向上(工賃アップ)のために設置されたハズにも関わらず〝放置〟されていた件について「Gota」が再三に亘り指摘してきたことに対し いわゆる〝スルー〟を決め込んでいたことから、「Gota」は私(議員)を使って 公(議会の福祉環境委員会)でその事実を〝公表〟しました。
さらに その事実が新聞記者の目に留まり記事になったことで、ようやくの形で再稼働に向けて動き出すことになったのです。
2022年12月16日のブログ記事一覧-倉野立人のブログです。
2022年12月16日のブログ記事一覧です。日々の思いを、訥々と。【倉野立人のブログです。】
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ただ、これはほんの一例なのです。
「Gota」のMキャプテンは、他の施設における高額の設備投資が障がい者支援につながっていない実態・国の「障がい者優先調達推進法」が歪曲して解釈され、施設の受発注が不適切に行なわれている実態・利用者さんの就労移行における、施設やケアマネなど関係者の不適切対応・障がい者支援事業特有の会計制度での問題点など、枚挙に暇なく「情報」を提示し 、団体の長(理事長)に改善を迫ったところです。
ところが、当の施設関係者 とりわけ最高責任者(理事長)においては、問題意識を共有するどころか「Gota」のMキャプテンの持つ情報(施設運営における問題点)そのものを知らず、列挙される情報に圧倒されるばかり…あげくは 情報の内容そのものよりも、なぜMキャプテンが そんな多様な情報を握っているのかに気を奪われ、肝心の中身については上の空(うわのそら)の感でありました。
このやり取りを見ていた私は 2つのことに思いが及びました。
一つは〝信頼性〟について です。
おそらく 永年に亘り障がい者支援に取り組んできたMキャプテンには、障がい者さんや施設関係者から厚い信頼が寄せられており、が 故に〝表(おもて)〟では言いにくい話し(真実の話し)が寄せられるようになっているんじゃないか。
ところが一方、施設や勤務先で そのこと(真実の話し)を告げれば、直ちに裏切り者のレッテルを貼られてしまうことから 言うに言えないでいる。
やはりそれは「信頼関係」の有る無しで左右されると思うところです。
二つ目は〝隠ぺい体質〟です。
これまでも再三に亘り「Gota」は この団体に情報を伝えてきました。
しかし実際には それら(正しい情報・問題点)が、組織のトップに伝えられていない実態がある。
これは「耳障りの悪い話しは(トップに)伝えないでおこう」との〝内部隠ぺい〟の悪しき体質であり、情報共有どころか、時間経過(問題発生)と共に情報が途絶し、やがて団体トップは〝裸の王様〟になってしまうものです。
こんなことが許されるハズもありません。
繰り返せば、それで低劣な生活基盤が改善されないまま放置されるのは 他でもない障がい者さんたちなのです。
そこで「Gota」チームは、マスコミを媒体として さらに具体的な情報開示の手法を取ることにしました。
利用者(障がい者)さんが一同に会したうえで、日頃感じる問題点などについて(公の場で)述べていただき、それを文字(新聞等)にして世論に訴えようというものです。
で これには一つの伏線があったのです。
この日の意見交換の場でMキャプテンが組織の改善を申し入れた際、団体の長は「あなたは理事や評議員じゃないから受け入れるのは難しい」旨の回答をしたのです。
立場が無ければ意見を言えない・それを受け入れることもできない というのは、内向きな組織運営を象徴しているものではないか。
で あるとするならば、こちらは広く「世論」に問うてゆくことにしよう。
これまでも再三に亘り述べていますが、障がい者支援事業は「サービス業」なのです。
お客様たる障がい者さんの真の社会基盤向上のために努力を重ねるべき存在の者たちが、いつの間にか障がい者さんらを管理する立場になり、しかも公金や ときに利用者さんの稼ぎをも流用する形で、組織や自分たち(職員)を守ることを優先させながら推移しているのです。
これら〝悪しき勘違い〟をどうやって是正させてゆくか。
ある意味 試行錯誤が続きますが、いずれ山を越えるべく 不断の努力を重ねてゆくところです。
子どもらが通う小中高校、8月のこの時期には一斉に夏休みが明け 2学期が始まっています。
夏休み明けには 真っ黒に日焼けした子ども達が、また元気にランドセルやカバンを背負い それぞれの学校へ通学を再開しています。
休み明けの日には、楽しかった夏休みの思い出を胸に 自由研究をまとめた模造紙を持った子どもが元気に登校する姿を目にし「2学期も元気で過ごせよ!」と 心のエールを送ったものでした。
そんな中でありますが、過日に伺ったお宅には 平日の午前11時頃にも関わらず玄関に小学生と覚しき子が履く靴があり「あれ?」と思っていたら、対応に出てくれたおばあちゃんが「実は…」と(おばあちゃんの方から)口を開いてくれたのでした。
「夏休みはとうに明けているんだけど、孫が小学校に行けてないのよ…」と 小声で。
訊けば、夏休みに入った頃は 元気で外遊びなどに興じていたのが、休みも終わりに近づくと元気がなくなり やがて2学期の始業を迎えた日には「(学校に)行きたくない」と言い出すようになってしまったそうです。
この子(孫)の思わぬ意思表示に際し、祖母の立場では 無理にでも行かせるべきかどうが慮(おもんばか)っていたところ、幸い 若い衆(その子の親)に理解があり「行きたくないなら無理に行かんでもイイ。」と言ってくれ、学校に連絡したうえで在宅しているとのことでありました。
マ、玄関先で根掘り葉掘りやれば それを(その子が)聞きつけたりして無用に傷ついてもいけませんので「こちらのお宅は 理解のある親御さんと優しいおばあちゃんが居(お)られヨカッタと思います。どうか長い目で見てやってください。何かあればいつでも相談に乗ります。」とだけ告げ辞去しましたが、おばあちゃんの優し気(げ)な視線 でも孫を心底心配している様子を見て、これら(不登校の)案件の難しさと 家族の意義のようなものを感じ入ったところです。
夏休みなど長期休み明けには、不登校や 場合によっては高(こう)じて自傷や自殺につながるケースが少なからずあることが現下の社会問題にもなっていることはご案内のとおりです。
専門家によると、長期休暇後のこの時期は 久しぶりの登下校での疲れに加え、1学期から引きずっていた友人関係の悩みなどから(夏休みによって)一時的に回避できていたものが 再登校で蒸し返しになることへの畏怖感などから不登校になる子どもが増える時期だそうです。
小学生に加え 多感な中高生においては、さらに その心の乱れは顕著で、不登校のみならず ときには自殺にまで至ってしまうこともあることから、周囲の方々は いわゆる「サイン」を見逃さず、適切な見守りやアドバイスを送ってあげることが肝要と言われています。
不登校については「週末明けの月曜日」や「嫌いな教科がある日」など 特定の日を欠席したり遅刻をするケースから 前掲のように長期休み明けに登校できなくなるケースなど、さまざまな様態がありますが、その深層心理をみてゆくと それは単なる〝拒否〟ではなく、子どもなりの「危機回避」であると言われています。自分でうまく(学校での)ストレスを回避し 学校生活をコントロールしているとも言えるとのこと。
しかしそれを「さぼっている」とか「なまけている」と 表面的な事象だけを捉えて(不登校を)批判し、子どもなりにコントロールしている最中(さなか)に無理やり登校させようとすることは逆効果になってしまうことから 先ずは「見守り」から入るべきことが勧められています。
また、長期休み明け後の不登校は その伏線として〝休み前〟があるとのことです。
長期休み前に いじめや人間関係の悪化で学校へ行くのが嫌になっている場合、学校に行かないで済んでいる長期休み期間中は それらの問題(トラブル)は〝小休止〟しています。それでも 当の子どもは、休みの間もずっと悩みを絶えず胸の中に抱え トラブルがずっと頭から離れない状態が続いているのです。
で、子どもの多くは 人間関係や学校生活の悩みを家族に打ち明けることはしないため、休み中に一人でその悩みを抱え続けていた中で「なんとかしてこのまま学校へ行かずに済む方法はないだろうか」と考えているそうです。そのため、いよいよ長期休みが明ける段になって「また学校へ行けなければならないのか…」との いわば絶望感に駆られ、登校拒否や それ以上の行為に及んでしまうことがあるのではないかとのことであります。
子どもは必ずどこかでSOSを発していますが、実際には「もし自分のせいで迷惑がかかってしまったら」とか「相談することでいじめがエスカレートしてしまうのではないか」などと思い悩み、学校の先生や家族 または友人など、近くにいるはずの人にかえって打ち明けることができず、その我慢や辛抱が限界に達して思わぬ行動に出てしまう…いわば、思いやりのある優しい子どもほど 極限に至ってしまうといえるのかもしれません。
いずれにしても、たとえ子どもであっても 生きている中では色んなことが起きることを周囲が理解し「子どもだから(大人の)言うことを聞け!(とにかく学校へ行け)」などとの短兵急な指導は控え、子どもだからこそ 相手(子ども)の心情に心を寄せ対応してあげることこそが求められていると思うところです。
そのうえで、伺った先の おばあちゃんの孫を思う優しさに触れ、いくらか時間がかかっても この子は自分なりに歩んでゆけると確信したところでありました。
さきの報道で、上田市にある就労支援施設で 利用者を暴行してけがをさせたとして職員が傷害容疑で逮捕・有罪判決を受けた事件で、県は22日、施設を運営する一般社団法人に対し「事業者の指定を取り消す行政処分」を行なったと発表したことが伝えられています。
「障害者総合支援法」の規定に基づく対応で、県による障害福祉サービス事業者の指定取り消しは初めてとのことです。
所管する長野県障がい者支援課によると、昨年7月に職員ら3人が事業所で利用者に暴行を加えて傷害を負わせた他 うち職員1人は、以前から利用者3人にたたいたり蹴(け)ったりする身体的虐待を繰り返していたとのこと。4年ほど前から 週2~3回に亘り虐待を受けていた利用者もいたそうです。
なお 傷害容疑で逮捕された職員は、懲役1年6月・保護観察付き執行猶予3年の地裁上田支部の判決が確定しています。
県は処分理由で、同法人が事件後も職員研修などの再発防止策を講じず それどころか職員2人に事件について口止めをして組織的な隠蔽(いんぺい)を図り県の監査に対して事件発生を隠す虚偽の答弁をしたと指摘、職員の人格尊重義務に反する行為を認知していたにもかかわらず 障害者虐待防止法に基づく市町村への通報も行なわなかったとしています。
県は昨年10月~今年4月に監査を行ない 5月に元利用者からの聞き取りも実施したうえで今回の処分に至ったとのことです。
所管課(県障がい者支援課)の課長は「重大な事案で重く受け止めている」としたうえで「昨年度から 県条例で研修や各施設への虐待防止の責任者配置などを義務化している。取り組みが十分できていない施設に対しては集中的に指導を行なう」としているとのことでした。
また、上田市の障がい者支援課は「利用者の拠所(よりどころ)となり 安全、安心であるべき施設で虐待が起きていたことは遺憾で切ない」としたうえで、この就労支援センターには現在も1人が利用していることから「利用者に合った別の事業者でサービスが受けられるよう支援したい」としています。
記事の最後には、法人の代表理事が取材に対し「(被害者や家族に)精神的な負担や迷惑もかけ申し訳ありませんでした」と述べていたことが添えられていました。
これまでも述べていますが、障がい者支援施設(法人等)については 障がい者さんが通ってくれて初めて施設運営が成り立つものであり、いわば障がい者さん=お客様=主(しゅ)⇔職員=サービス提供者=従(じゅう)の関係であるべきところです。
しかし実際の現場は、施設職員の思うがままに利用者さんを〝管理〟しているケースが非常に多く、しかも そのような、いわば主客逆転の悪しき構図が むしろ当たり前のこととなっているのは非常に残念なところです。
そのうえで、今回の上田のケースは 常態化した暴力がエスカレートしてケガ(傷害)に発展し、警察事案となってしまいました。
そのうえで、今回の事案(事件)について 障がい者支援に心を砕く「Gota」のMキャプテンは疑問を呈しています。
「今回は傷害事件に発展して(世間/社会に)明らかになったけれど、これが そこ(傷害)まで至らなかったときには、相変わらず(虐待は)表(おもて)に出ず 常態化のまま看過されてたんじゃないか。
バレなかったら 虐待は続いていたんじゃないか。」と。
このことは、Mキャプテン自身が 障がい者支援施設での〝主客逆転現象〟を目の当たりにし、ときによっては虐待ではないかと思われる事態(事実)を把握している いわば経験値によって分析されているものです。
現に 今回のケースにおいても「4年ほど前から 週2~3回に亘り虐待を受けていた利用者もいた」との取材報告があることから、虐待については 今回(傷害事件)だけではなかったのでしょう。これまでもあったのです 継続的に。
それらを踏まえてMキャプテンは、今回の 一見〝手柄〟に思える県による資格取り消し処分は「いろんな面で遅い」と断じています。
数年前から為(な)されていたという虐待。県においては その時点で事態を把握し、早いうちに行政指導を行なっていれば 最悪の事態(傷害事件)は避けられたんじゃないか。
それを気づくことなく看過していたばっかりに、利用者さんを〝管理〟する との「勘違い」を起こしていたアホな職員が勝手にエスカレートし、あげく凶行に走ることになってしまった。
そういう点では 所管する県(行政サイド)にも、直接責任は問われない(ここが厄介)ものの「管理責任」はある と言わざるを得ないでしょう。
今回のことは いわば氷山の一角と申せます。
他のさまざまな施設でも、似たようなことが平気で為(な)されている帰来がある。
で 問題(課題)なのは、この記事を読んだ関係者が どう思うかでありましょう。
傷害事件で逮捕・資格取り消し → これはマズいから、ちょっと手加減するようにしよう。
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これでは全然ダメ。事(こと)の深層(真相)を理解していない。
(前掲のとおり)そもそも障がい者支援施設は、障がい者さんが通ってくれて初めて施設運営が成り立つものだから、主客の関係を適切に見直すようにしよう。
そのように抜本的な反省がなければ、障がい者福祉は正しく成り立ってゆかない。
そのことに 関係者は気付かなければならないのです。