長野市議会議員会派

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「死ぬほど嫌いな家事をおしえて」 ~家事のタイヘンさを再認識~

家電大手のシャープが、ツイッターを通じて「死ぬほど嫌いな家事をおしえて」と投稿したところ、何と1万以上のリツィートが寄せられたことが報じられ、耳目を集めると同時に「家事」というものが いかに面倒で難儀であるかが再認識されました。

 

 

 

報道によると、シャープの家電担当職員(女性)が、ふとした思いから 自社のツイッターに「死ぬほど嫌いな家事を教えてください」と投稿しました。

このこと(行為)は、企業が行なうアンケートのように堅苦しいものではなく 主に家庭で家事を担う(担わされる)同じ女性として〝共感〟を得たいとの思い、また 反応を今後の参考にしたいとして投稿したようです。

ちなみに この女性社員が「死ぬほど嫌いな家事」は、アイロンがけ だそうです。

 

 

 

 

この何気ないツィートは、シャープのフォロワー83万人の対し発信されましたが、たちまちアンケート調査さながらの様々な意見が寄せられ、実に8万5千人以上の「いいね!」が付けられるほどの話題となったそうです。ている(10月27日時点)。

すると…風呂の掃除・排水口の掃除・掛け布団のカバー掛け・グラタンを食べたあとの皿洗い・整理整頓・片付け・黒光りする虫退治・献立を考えること・弁当箱を洗うこと・洗濯物の取り込み・洗濯物の収納・草取り・庭木の剪定・食器洗い・床拭き・トイレ掃除・水筒洗い・ごみをまとめること・鏡の水垢掃除・食洗機で洗った食器に残る水をとる作業・などなど、具体的な家事が「死ぬほど嫌いな家事」として集まったそうです。

 

 

 

その〝グチ〟に対し、上手に排水口を掃除する方法や 布団カバーのかけ方・鏡についた水垢の落とし方など、様々なコツを教える人も登場、悩みがある人と悩みに応える人が一堂に会する あたかも相談イベントのような盛り上がりとなる展開にもなったそうです。

これを受けて シャープ社は「1万以上の〝死ぬほど嫌い〟が集まった」と受け止め、今後は これらの「嫌い」を減らしていこう!と、他社にも呼びかけたのことでした。

今回寄せられた〝グチ〟は、メーカーや調査会社が行う 堅苦しい「ヒアリング」より本音に近いと推測(評価)され、結びにシャープ社は「積極的に企画書および会議にお使いください。他の会社の方も良かったらどうぞ。」とも投稿し、これを〝社会全体の問題〟として提起したことが伝えられていました。

 

「家事」は〝究極のボランティア〟とも申せ、家庭生活の根幹を成す作業を 無償で行なう「必須作業」です。

その内容は多岐に亘っており、そのことを一手に担う家人の日々のご労苦はいかばかりかと拝察されるところです。

 

で、ここへきて問題視されているのが「家事は女衆(おんなしょ)がするのが当たり前」という旧来からの風潮であり、この考えを改めることこそが、専ら家事を担う(担わされる)家人の負担軽減につながると思うのです。

 

今回のシャープの何気ないツイートは、いみじくも現下の社会構図を浮き彫りにしたと同時に、家庭においても「共助の精神」で家事にあたるべきことを再認識したところでした。

 

ちなみに 専業主婦業を給与に換算すると、実に年収1,300万円にも匹敵するとの試算が出されています。

こんな数字をみても、家事の大変さが再認識させられるところですね。

 

 

「発言」と「失言」の違い

「五輪」に関連する、しかし資質の全く異なる2人の方の口から発せられた言葉を見聞し、その「〝発言〟と〝失言〟との違い」について考えさせられました。

 

まず「発言」について。

さきに現役を引退した 女子スピードスケートの小平奈緒さんが、自身の引退会見で「まっとうな意見」を述べ 改めて注目されることとなりました。

 

小平さんは会見の中で、札幌市が招致を進める冬季五輪について「(JOCから)シンボルアスリートとして札幌(五輪)招致に協力してほしいという要望もありますが、スポーツの純粋な楽しさをもう一度 私自身も考えてみたいなというところがあります。(だから)今は札幌五輪のことに関しては、いったん置いておいているところです。」と述べ、招致活動への参加要請を(実質)拒否したことを明らかにしたことが報じられました。

 

 

 

さらに彼女は「五輪(というもの)は、スポーツを〝やる人たち〟にとっても それを〝支える人たち〟にとっても〝見る人たち〟にとっても「いいもの」であってほしいのです。それを(利害に)利用されたくないなっていう思いはあります。」

「(特に)「支えてくれる人たち」が 本当に真摯(しんし)にスポーツと向き合ってくれることをただただ願っています。」とも述べておられました。

この深層には、具体的には触れていないものの 東京五輪に関わる不正疑惑が次々と明らかになっていることに疑問を呈し、彼女自身が複雑な心境に置かれていることを示すものであり、そのうえで 彼女の持つ いわば哲学的な視点をもって、柔らかく しかし的確に述懐したものでありました。

ご案内のとおり さきの東京五輪招致・運営を巡る汚職事件では、大会組織委員会の元理事・高橋治之容疑者が 受託収賄容疑で4度も逮捕され、その関連で 物品の納品や企画に関わった関係者(経営者)が 贈賄容疑で次々と逮捕されており、おそらくは小平奈緒さんは そんな〝汚された五輪〟に心を痛め、その現状に対し 毅然とした態度をもって発言したものと推察されるところです。

 

この「小平発言」に対し、多くの人たち(国民)が反応していました。

「これがまっとうなオリンピック選手の意見じゃないですか?」

「彼女の こういう自分の考えを的確な表現で発言する、聡明なところが大好きです。」

「本当にこの人は、アスリートとしても「人」としても尊敬できる。関係者からおかしな圧力がなければ良いけれど(そういうものには屈しない人だとは思いますが)。」

「小平さんすごい!選手からこういう発信はなかなかできるもんじゃないと思うけど、発言してくれてありがとうって思います。」

多くの人たちが、小平奈緒さんの いわば勇気ある発言に対し共感し「よくぞ言ってくれた!」と、今風でいうと「スカッとした」と賞賛の声を寄せていました。

 

 

片や「失言」の場面。

日本の総理まで務めた森喜朗氏が、自身が顧問を務める医科大学の創立50周年記念式典の挨拶の中で 自身が「杖(つえ)」を使用していることに触れ「杖をついていると身体障害者に見えて、みんなが大事にしてくれる。」と発言し、これがSNSで物議を醸していることが報じられています。

氏は続けて「医師の指導でリハビリの効果がかなり出てきており、もう杖はいらない。」とも語ったとのことです。

 

 

 

これは、おそらくご本人は 無自覚のうちにしゃべったと思われるところですが、明確な障がい者差別発言です。

杖をつく高齢者を いわば普通の人⇔障がいがあって歩行困難の人を 普通でない人 に準(なぞら)えており、看過できるものではありません。

今や 障がい者と高齢者は いわば同族であり、何ら分け隔てするべきでない社会情勢(状況)であるのに(SDGsなどで顕著) 森氏はそんな社会常識は頭の中に微塵(みじん)も無い様子…私をしても「またか」と思わざるを得ない失言ぶりでありました。

 

この〝またも失言〟について、紙面では「過去の失言の一覧表」まで登場する始末。

 

 

 

最も記憶に新しいところでは、氏が東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長だったときに「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる。」などと発言し 辞任に追い込まれた件がありますが、その後の会合で氏は「女の人はよくしゃべると言っただけだ。本当の話をするので叱られる。」などと 反省皆無の態度を示し、ナントカの上塗りをしたものでした。

 

今回の森氏の発言が報じられると、やはりSNS上でさまざまな反応が。

「また森氏か…人が変わるのはなかなか難しい。特にこの人はもう無理、みんなうんざりしてる。」

「森喜朗さんって、思っていることを 何の思慮・配慮も無く口に出す人ですね。」

「この人はいつまで上席に居られるの?全ての組織から除名すべきではないの?」

極めつけは「もう一言も喋るな。」

 

 

・・・・・・。

「五輪」という共通の項に関連した二人。しかしながら その口から出る言葉の「質(しつ)」は、両極端というには余りあるほどに違い過ぎるものでありました。

片や、アスリートとして競技を突き詰めたうえで「五輪」というものを  真に「平和とスポーツの祭典」として見つめ直してほしいと一途に願う心を持つ人の発言⇔片や、政治の延長線上に「五輪」を据え その大義の上に立って(隠れて)権力を行使しようとする人種(の代表格)が発する発言…これほどまでに〝五輪に向き合う純度〟の違いに、私自身 何だかため息が出る思いがするところです。

 

事ほど左様に、社会においては様々な事業や事案があるところですが それらに向き合う中、その成果が大きく分かれてくるのが、その者が 本当に(真の意味での)目的達成のため努力しているかどうかではないかと思います。

それ(目的)が、事業(相手)のためなのか・名誉や立場のためなのか・金(かね)のためなのか…取り組む者の資質によって、結果は大きく違うものになる。

 

「五輪」を巡る二人の対照的な発言に触れ「向き合う姿勢によって大きく異なる内容」について思いをいたしたところでありました。

 

 

(長野市の「セントラルスクウェア」にある 長野五輪記念モニュメント)

 

コロナ禍が再燃してはいないか

コロナ禍「第7波」が収まる傾向を見せ、それに伴い 陽性感染者の計測(カウント)方法も変更されるなど、ここのところ コロナの蔓延状況が改善の兆しを見せ始めているように思われていました。

それに伴い、インバウンドの再開を期して 外国人(観光客)の入国制限も緩和され、国内の観光地も再びの賑わいをみせつつあり、コロナ禍前とまではゆかないまでも 社会(経済活動)は改善の方向に向け舵を切っていると好印象に思っている(いた)ところです。

ところが、ここへきて またコロナ陽性感染者が増加傾向にあることが報じられ(報告され)、この冬に向けて安閑としていられないのではないかと懸念の意を強めるところです。

私の懸念をなぞるように、先日のニュース番組でも ここのところの(陽性感染者の)増加傾向について報道されており、このこと(懸念)は 全県に亘っての共通認識(問題意識)となっているようでありました。

 

 

 

 

長野市民である私が「あれ?」と思い始めたのは、10月に入ってからの〝週明け〟の各日です。

10月の初め、例えば3日(月)は陽性感染者20人と少ないものの、5日(水)には206人をカウントしています。

また、次週の10日(祝)は18人と少ないものの、13日(木)には215人を数えることに。

さらに次の週、17日(月)は43人に止(とど)まるも 19日(水)には213人が陽性感染者となっていました。

そして今週。24日(月)は26人と少ないものの、26日(水)には243人を数え、看過ならない事態となっています。

なお今週においては 27日(木)が207人・28日(金)が175人と、やや高止まり傾向にあるのが 何とも不気味に思えるところです。

 

 

 

この状況をもって「第8波が襲来!」と叫ぶのは やや早計ではあるかもしれませんが、こんな(感染者数)乱高下を続けるうちに、またも まとまった〝波〟と化すことを大いに憂慮する者の一人です。

 

週が進むうちに いきなりドン!と(感染者数が)増えるのは、学校や施設などでの集団感染があるのではないかと思っているところですが、それとて 計ったように毎週 々 グラフが急に高まるのもでき過ぎた話しではないかとも思われ、それ故に 急に数が上がる背景には、また市中のコロナウィルスが活発化して 集団だけではなく家族や個人のレベルにまで(感染が)及んでいるのではないかと思わずにおれません。

 

 

 

例えば 直近(28日)の県内の感染者数は1,169人。また1,000人を超えただけでなく、県内で満遍(まんべん)なくと言えるほど 多くの感染者数が記録されるに至っています。

 

 

 

これに伴う病床使用率は31,6%と、じき医療特別警報発出の目安となる35%に迫る勢いを示しており、これからどんどん寒くなる時期を迎えるにあたり グラフが悪しけく右肩上がりを辿るのではないと 他者各位と同様に警戒心を抱いています。

 

 

 

時節はもう11月を迎えようとしており、人の社会は歳末に向けて一気に走る時期でもあります。

一年の締めくくりに向かおうとするこの時期に またもコロナ禍の襲来を受けるとすれば、厳しさを増す社会情勢の中で われわれ庶民は八度(やたび)の重荷を背負わなければならないのかと、辟易(へきえき)させられるところです。

そのような状況をもって、これからの時期(11月~12月)は また再びコロナに警戒すべきと強く認識します。

「何だかもう大丈夫」などと 根拠の無い安心感に浸かること無く「また波が来るかもしれない」の警戒感をもって日常に臨む。

私も含めて、兜の緒を締め直したいものであります

 

 

地区の土木要望 ~昨今の傾向が顕著に~

過日、地区(区)における「土木要望」に同行しました。

 

 

 

これは、市内にある32地区(区)ごとに、住民から寄せられた 道路など社会インフラの改善要望について取りまとめ、年に一回 担当職員に直接現場を見せて実態(状況)や課題を伝え、その実現に役立てようというものです。

私たち議員は 本来であれば市域全体の課題を見聞すべきところではありますが、物理的に限りがあるため それぞれが在住する地区について同行(任意)することになっています。

したがって 私(たち)の立場においては、在住する地区の要望内容だけを取り上げる(注視する)のではなく あまねく市域全体に目(気)配りすべきことは言うまでもないことを冒頭に申し上げておきます。

 

土木要望調査は、10/24・25の2日間に亘って行なわれました。市においては 市内32地区を全て調査することになっており、当地区(川中島地区)にはこの日程が充てられました。

市域(地域)は広範であることから、各地区においても相当の時間を要したことと思います。

 

 

 

要望や内容は多岐に亘っており、道路の改修や拡幅・児童など交通弱者の安全確保のための環境整備など、さまざまな社会環境の中で改善してもらいたい内容が挙げられ、それを地区ごとにトリアージ(優先順位)をつけて 順次対応することとなっています。

 

 

 

職員に対応する住民代表の方々も真剣そのもの。限られた時間内で状況(現況)を伝え、早期の改善を求めて説明しておられました。

 

 

 

こちらの地区では、地区内を縦貫する道路が やや複雑な形状(線形)で交差している地点があり、その抜本的な解決のために 住民自らが計測・図面興(おこ)しをしておられました。

 

 

 

この地点は、古くからの道路が交差する箇所で 以前は車両の通行量もそれほどではなかったものの、昨今のクルマ社会の伸長に伴い 一気に危険度が増してきました。

 

 

 

地区代表の方は、具体的に「ランドアバウト交差点」の整備を求めておられ、その探究心には感心させられたところです。

 

 

この実現には 用地の確保など難しい課題があるのが実際のところですが、この発想自体が斬新かつ合理的と評価されるところであり、受ける市側も一考する旨を返答していました。

 

また 前掲のとおりクルマ社会が伸張する中、児童など交通弱者の安全が脅かされる状況にもなっていることが地区を問わず訴えられていました。

この地点は、一見すると広く快適な環境に思えますが、実際には 道路線形が緩やかに左にカーブする中、通行車両(画面手前から奥行き)は 左路側に寄ったラインで走行してゆくとのこと。

で ここで危険なのが、朝の時間帯には 通学児童が右側(画面左側)をクルマと反対方向に歩いてくるため、状況によっては対向するクルマが歩行者(通学児童)に接近しながら通過するという〝ヒヤリハット〟が常態的になっているそうなのです。

 

 

 

このように、特に朝夕のラッシュ時=登下校時に クルマ⇔歩行者(児童生徒)のニアミスが起きていることは おそらくどの地区でも共通した課題(問題)であろうことと類推されるところであり、早急の改善が求められるところでしょう。

(この地点については とり急ぎ「サインポール」の設置をすべきと思うところです)

 

また、都市化が進むも 未だ旧来の〝大八車道路(=狭い道路)〟が遍在する地区においては、せめて軽自動車(軽トラ)が危険なく通行できる道路幅の確保が求められています。

 

 

 

このような道路を利用するのは 高齢ドライバーが多いことから、脱輪して事故につながらないよう 拡幅などの改善が求められていました。

 

 

 

 

そのうえで、昨今の要望事項で非常に増えている〝ジャンル〟を再認識させられます。

それは、道路の冠水や水路の溢水などの「都市型水害問題」です。

域内の都市化の伸張に伴い、今まで地下浸透していた雨水が地表を流れ それは自ずと低い方へ溜まることになります。

そのうえ、昨今はゲリラ豪雨などの 短時間でドッと降る雨が多発していることから、地域のそこここ(の低い箇所)で いわゆる「水っつき」が発生し、地区住民にとって難儀な事象となっているのです。

例えばこの地点。一見すると平らな路面ですが、一度(ひとたび)ゲリラ豪雨に見舞われると、アッという間に湖と化してしまうそうです。

見るように、路下には水路があり グレンチング(金網)で浸透する構造になっていても、その容量を上回る雨水が溜まってしまうそうなのです。

 

 

 

また こちらの地区では、かかる都市型水害状況に加えて 水路の傾斜がウマく作用しておらず、雨水がスムーズに流下しない状況になっているようです。

 

 

 

さらにこちらは、上流部の水門の不具合により 大雨時に水路水をシャットアウトすることができない状況になっているようです。

 

 

 

こちらの地区では、いわゆる下流部の道路(=通学路)が度々冠水に見舞われているのですが、その原因は 遙か上流部の水路の分岐にあるとのこと。

冠水する地点から延々と歩き、上流部の分水部分を検証するに至りました。

 

 

今回の現地調査を通じ、未だ地区にはさまざまな課題が内在していることを再認識すると同時に、とりわけて「水害(都市型水害)の問題」は、おそらく どの地区においても多く挙げられる〝昨今の喫緊の課題〟であろうと類推させられたところであります。

時代は移ろい 社会状況が変遷を遂げる中でありますが、いつの時代においても課題は存在すること、そのうえで 時勢に合った課題を検出し、それを解決に向けて取り組むこと これが行政の責務であることを 併せ再認識いたしたところでありました。

 

長野市内の公園における飼い犬の散歩を開放させるよう要望

この日(26日)、地域の愛犬育成団体とのコラボレーションにより、長野市(都市整備部/一部スポーツ課)に対し、長野市内の公園における飼い犬の散歩を開放させるよう要望いたしました。

 

 

 

 

ところで、この日の朝は ことのほか冷え込み、気象報道によると 長野市内で「初霜」を観測したとのこと。

なるほど、近隣の住宅街に混在する圃場に目をやれば 稲刈りが終わった黄土色の田は、表面をパウダーコーティングしたかのように薄(うっす)らと白い霜が降りていました。

 

 

 

何だか ついこないだまで半袖で過ごしていたような気がしますが、10月に入って急に秋めいてきて 今や初冬の趣(おもむき)となっています。

こういう季節の変わり目(それも急変)には体調を崩しがちになるので、私も含め気をつけたいところです。

 

 

 

 

(話しは戻って)標記の課題について、市民団体の代表者の方々と 市都市整備部長はじめ関係職員が同席し、要望書の提出に併せて意見交換を行ないました。

 

私が〝コラボ〟をお願いしたのは、長野市内で 犬の「育成」に取り組む『NPO法人 家庭犬育成協会パドックNAGANO』さんです(以下 パドックさん)。

と いうのも、これまでも 複数の愛犬家の方々から個別に「長野市内の公園の殆(ほとん)どは犬の散歩(連れ込み)が禁止されている。どうにかならないものか。」との切実な声をいただき さきの9月議会の本会議でも発言したところですが、いかんせん議員の立場だけでの発信では 何というか目に見える形での市民意見のバックボーンが弱くなってしまうため、この際は 日常的に愛犬の育成に取り組む市民(団体)の方々と協調したうえで市に向き合った方が より効果的であると考え、パドックさんに白羽の矢を立たさせていただいたものです。

実は 私はパドックさんとは何の面識も無く、ネットで検索して いわば偶発的に連絡を取らせていただき、もしかしたら無理かもしれない〝コラボ〟を いわば飛び込み営業的にお願いしたのですが、当のパドックさんは 私の心配をイイ意味で裏切ってくれ、今回の要望に一も二も無く賛同してくださり 今回の要望に至ったところです。

したがって 当日まではメールやLINEでやり取りしたものの、この日の要望の合流が 互いに「初めまして…」ということだったのですが、人と人との機微(きび)は不思議なもので 同じ目標をもって歩き始めた者同士は初対面から意気が通じるものがあり、いわば阿吽(あうん)の呼吸の中で要望(意見交換)に臨むことができました。

 

 

 

 

協会のHPによると、 パドックさんは「犬の飼い主に対し 家庭犬として適正かつ終生飼育するための啓発および知識・技能を学ぶ機会を提供し、人と犬が豊かに暮らせる社会の実現に寄与する」を目的として設立され、そのために

①家庭犬の飼い方についての知識・技術習得に関する事業

②災害時同行避難推進事業

③動物介在教育事業 等を積極的に行なっておられるそうです。

 

[参考]NPO法人 家庭犬育成協会パドックNAGANO HP

             ↓

 

犬のしつけ | 長野市|家庭犬育成協会パドックNAGANO

人と犬が豊かに共生する社会をめざし、家庭犬のしつけ方についての勉強会やお楽しみイベントを開催しています。パドックNAGANO設立の目的について綴っています。

パドックNAGANO

 

 

 

そのうえで パドックさんは、私同様 イヤそれ以上の愛犬家から「長野市の殆どの公園は、犬の散歩(連れ込み)が禁止されている」との嘆きにも近い声を聞いておられるほか、県内外から移住してきた方々が 長野市内の公園の多くが犬を連れて入れないことに驚きと戸惑いを示すことも少なからずあるとのことです。

市内に数多(あまた)ある公園の中で 犬の散歩が容認されているのは数カ所に止まり、他の殆どの公園については「犬の連れ込みを禁止します」との看板が掲げられています。

公園で愛犬と余暇を楽しみたいと思っても、犬を伴っての散歩はシャットアウト。愛犬家はいつも残念な思いを抱きつつ 公園の周りの道路や歩道で、往来する車や歩行者に気を遣いながらの散歩を余儀なくされています。

その背景には、市民の中には犬を忌避する人がいること・幼児等が遊ぶこともある公園に犬が入ることで危険を感じる親御さんがおられること等の諸問題があることを含め、最大の課題は 犬自身の問題ではなく いわゆる「飼い主マナー」であることをパドックさんはじめ関係者は承知しています。その多くは「糞の放置」など排泄物を適切に処理しないことであり、この一部の飼い主の無責任行為には 多くの心ある愛犬家も心を痛めています。

これらの社会問題を踏まえ、パドックさんをはじめ それぞれの動物愛護団体は飼い主マナーの向上に向けた教育・啓発活動に勤しんでいるところですが、それら諸活動の効果はもとより 昨今では飼い主ご自身の意識向上も伴い、飼い主マナーは確実に向上していることが実感されています。

それに加え、最近では 市民を対象にしたアンケートでも、公園での犬の散歩を容認する回答が多数を占めるなど〝世論〟にも変化が生じはじめたこと、また さきの9月市議会では、市の代表監査委員からも「公園における犬の散歩は順次開放に向けて取り組むべき」と発言されるなど「容認論」は市民権を得(え)つつあることが示されるようになっています。

そのうえでパドックさんは、公園に犬を連れて入ることは 飼い主の要望というだけでなく、広く市民にとっても有益であると考えておられます。

昨今の社会状況下において、さまざまな研究や実践により 動物の存在が人々に安らぎや癒(いや)しをもたらすばかりでなく、人々のコミュニケーションを引き出したり (犬の散歩による)運動のきっかけになったりすることが明らかになっています。

そのうえで これら犬に起因するプラス効果は、飼い主のみならず 広く市民にとっても豊かな地域づくりや健康増進につながるものと考えておられます。

それら飼い主マナー向上傾向と 犬の公園散歩を容認する社会状況の変化を踏まえ、また動物がもたらすプラスの効果に期待しながら、この際は 長野市においても公園への犬の連れ込みの解禁に向け舵を切っていただきたいと切望しておられました。

 

そのうえで、開放にあたっては とりわけ私の方から、今までのように 一・二の公園を限定的に開放するのではなく、概ね市域全域に亘り開放すべきと申し上げました。

確かに 管理する所管課は、開放に伴い糞害の苦情などが一斉に寄せられることへの懸念があること、また 新たな看板等の経費や準備作業に応分の負担が生じることは承知するところですが、市内には多くの愛犬家が遍在していることから、ある公園だけを開放しても そこに愛犬家が集中して不測のトラブルが発生したり、そこまで足を運ぶことが難儀である人も少なからずおられたりすることから、そこは市内公園を偏り無く開放したうえで、多くの市民ニーズに応えるべきと考えるところです。

但し、そこは市内の全ての公園を開放してほしいと申し上げているのではなく、たとえば自治会などが管理する いわゆる小さな公園は、まさに管理の面で住民に負担をおかけしていることから それらは従来どおり連れ込み禁止とする一方で、市が管理する一定規模以上の公園については偏り無く開放すべきではないか。

そのうえで それぞれの飼い主においては、多くの市民 とりわけ幼児などが無邪気に遊ぶ公園においては、犬を連れて入ることで迷惑や不快感を与えることの無いよう「公園は公共の施設である」ことを再認識し、リード(手綱)の装着や、糞の回収袋(容器)の持参等の最低限のマナーを遵守すべきことは言うまでもありません。そのためには、パドックさんをはじめ動物愛護団体においても これまで以上に飼い主マナー向上に向けた普及啓発に努め、愛犬家もそうでない方々も 共に笑顔で公園を利用できるよう最大限の努力を払うべきことは論を待たないところです。

 

そのうえで パドックのH理事長は「地域に暮らす多くの愛犬家は ペットを大切な家族と考え、愛犬と共に暮らすことで生活にハリができたり 癒(いや)しや安らぎを感じたりしながら日々の生活を送っています。「共生社会」と言われて久しい昨今、人と動物が共に生きる豊かな社会は 私たち人間に多くの恩恵をもたらします。しかし、配慮に欠ける行為があれば 周囲に不快感を与えてしまうのも事実です。犬の飼い主に向けては、公序良俗に副(そ)った行動ができるよう 犬のしつけはもとより、飼い主ご自身にも適切な指導・アドバイスを行なってまいりますので、愛犬家の願意と昨今の社会意識の変化を踏まえ、特段のご配慮をいただきますよう、お願い申し上げます。」と 心を込めて述懐されていました。

 

そのうえで、願意を下記の3点とし要望されました。

・市内公園への犬の散歩(連れ込み)の禁止を解除し、開放してください。

・開放に際しては、一定規模以上の公園を市域内の偏り無く開放してください。

・飼い主マナー一層の向上に向け、市保健所・獣医師会・動物愛護団体等関連機関と連携した啓発・指導を積極的に行ない、飼い主マナー向上への啓発・指導に向けたさらなるお取り組みをお願いいたします。

 

今回の要望に対し、市都市整備部長は「願意を受け止め、前向きに検討したい。」としたうえで「さまざまな社会状況(の変化)を踏まえ、また 今回要望をいただいたことなどから、今後 新たな公園について、犬の散歩が開放できるよう 順次準備作業を進めています。但し 一斉に開放というワケにもゆかない行政事情もありますが、少なくとも 今までの(行政の)認識とは明らかに変わってきていますので、それらを踏まえて 鋭意取り組んでまいります。」という旨の回答でありました。

 

その後 話しは意見交換に及び、そこでは「犬の(公園)散歩開放が、市の活性化や市民の健康増進につながる」旨の〝ポジティブ議論〟が交わされました。

犬を(モラル遵守を前提に)自由に散歩させることで 犬自身はもとより「人」の交流が深まり、コロナ禍などで途絶えがちな地域コミュニティの復活(醸成)につながるのではないか。

市民アンケートによると 長野市民が多く行なう運動は「散歩」であり、そういう面で言うと ただ独りで歩くよりも、傍らに犬が居る(一緒に歩く)ことで 自(おの)ずと市民の運動量も増え、健康増進(=健康寿命の延伸)につながるのではないか、など〝犬効果〟は無限であることが交わされたところです。

 

 

最後に私の方から〝まとめ〟として「今回の要望が最初で最後ではなく、今後も愛犬家(愛護団体)⇔市担当部課が適切に意見交換・情報交換を行なうことで、状況がより良い方向に進むように計(はか)らってゆきましょう。」と述べ、一方の見解だけで事(こと)が進まぬよう〝バランス感〟を大切にすべきことを申し上げました。

 

 

 

市内の公園も、市民の公共物(公共施設)であることから、あまねく市民の方々が有効に活用できるよう計らうことが肝要です。

私の立場においても、適切な仲立ち役となり、誰もが笑顔で過ごせる長野市づくりに取り組んでゆきたいと思いを新たにいたしたところでありました。

 

人としての判断

2件の、全く異なるジャンルの案件(ニュース)に触れ、そこに関わる者(人)の判断によって評価が全く異なることを実感しました。

 

まず一報です。

24日、神奈川県相模原市にある 同市の外郭団体「相模原市社会福祉事業団」が運営する障がい者福祉施設で、職員が利用者に対して不適切な言動を行なったのに、それを記録した文書が 上司の指示で(別の職員により)「問題はなかった」との(事実と違う)表現に書き換えられていたことが分かった、と報じられました。

 

 

 

事(こと)の顛末は下記のとおりです。

去る日の施設内で、知的障がいがある男性利用者(Aさん)がトイレになかなか行こうとしなかったため、50才代の男性職員(B職員)が「そんなんじゃ、園(えん)に来られなくなるよ。」と言ったうえで Aさんの手を引っ張って椅子から立たせ、トイレに連れていったところ Aさんは泣き出してしまったようです。

このことに対し Aさんの母親が施設に問い合わせ、それを受けたB職員が 一旦は記録に「無理矢理手を引っ張った」と記述していたところ、B職員の上司にあたる50才代の女性看護師(C看護師)が「この表現だと虐待のように受け取られる」として改ざんを指示したうえで文言を示し「介助して立ってもらう」とか「トイレに誘導」などと、問題なく介護していたように映る内容に変更させたというものです。

上司による事実の隠蔽(いんぺい)であり、由々しき行動と言わざるを得ません。

さらに この件については、重ねての由々しき行動が。

実はこの件、内部の職員らから「記録の改ざんで、虐待疑い事案の隠蔽に当たるのでは」と市に通報があったもので、市は それ(内部告発)を受けて、一旦は事業団に調査に入ったようなのです。

ところが、その調査もひと亘(わた)りのものに過ぎなかったようです。

報道によると、市は(告発を受け)事業団に話を聞いたものの、そのうえで「問題ない」と判断していたとのこと。いわゆる〝ザル聴取(聞いただけ聴取)〟に終始したようなのでした。

本来は 障がい者の側に立って福祉に精励すべき施設職員が、あろうことか上司の指示で事実を隠蔽し、さらに そのことを監督すべき相模原市もロクな調査をしなかったことが明らかになり「何(誰)のための福祉事業か」と言いたくなるところです。

 

さらに…振り返ってみれば、当市は 去る2016年7月に 同市の知的障がい者施設「津久井やまゆり園」で大量殺傷事件が発生したところであり、あれだけの大事件を契機に県・市を挙げて 職員対応(体制)をはじめとする障がい者福祉施策を見直し、関係者は いわば障がい者福祉の原点に立ち返って業務に精励することになっていたハズであります。

そのお膝元で起きた今回の案件…この案件自体は小さなものかもしれませんが〝あの教訓〟が全くと言っていいほど活かされていなかったこと(しかも施設の上司が隠蔽を指示している)が如実に示されたものであり「たかだかそれだけのこと」では済まされない事案であると言わざるを得ません。

残念極まりない 福祉施設関係者のあざとい言動でありました。

ちなみに 相模原市事業団は市が全額出資しており、理事長は市の幹部OBが務めているとのこと。

ここにも市⇔事業団との〝馴れ合いの構図〟を想像させられるところであります。

 

 

 

他方の第2報は、高校野球の公式戦でのひとコマです。

16日、高校野球の秋季東北大会決勝で、東今夏の甲子園を制覇した仙台育英高校(宮城県)が東北高校(同)と対戦した際、微妙なプレー(判定)に対する抗議で17分間も試合が中断するも 仙台育英高監督の 自チームの利益にこだわらない〝正しい判断〟を示し、大いに賞賛されることとなったことが報じられていました。

 

 

 

その場面は 7回表・仙台育英高の攻撃。

無死満塁で 打者が一塁手の前へ「ノーバウンド」か「ワンバウンド」か際どいライナーを放ちました。これについて、一塁手が捕球した打球に対し 一塁塁審は「キャッチ(アウト)」を宣告しましたが、ワンバウンドで捕球したと思った一塁手は本塁へ送球→本塁を踏んだ捕手は一塁へ送球し、これで「3-2-3」の併殺で2死二・三塁と考えられました。が、打球に対して「キャッチ」と判定した審判団の見解は、打球をライナーと判定(これでワンアウト)→その後に一塁ランナーに対するアピールアウトがあったことから(これで2アウト)。しかし 三塁ランナーはホームインをしていますので1点が認められる、とジャッジしたのです。

ところが、これが 一塁手がワンバウンドで捕球していたとなると、満塁のため本塁は封殺となり1点は入らないことになります。

守る東北高校にとっては 1点を失うかどうかの瀬戸際ですので、何度も伝令を出して疑義を申し出ましたが、一旦下された判定は容易に覆(くつがえ)るものではありませんでした。

しかし、中断の最中(さなか)、一転して「一塁手はワンバウンド捕球。よって本塁封殺が成立し (仙台育英高に)1点は入らない」との判定が下り、その後は揉(も)めること無く試合は進行したそうなのです。

なぜ、急転直下の好判定が下されたのか?そこには、貴重な1点を取れなかった仙台育英高の監督の一言にありました。

何と、仙台育英高の須江監督が 審判団に対し「僕たちも 一塁手はワンバウンド捕球だと思う。」と申告し、不利益を被(こうむ)ることになっても正しい判定を求め、結果 事態の収拾につながったというのです。

試合後、自チームが不利になる前代未聞の申告(伝令)について須江監督は「やっぱり甲子園を懸けた試合はフェアじゃなくちゃいけない。コロナとか理不尽なことで(選手は)いろいろものを奪われてきた。公正にできることは大人がしてあげないといけない。そして 審判の方(かた)がジャッジを改めたということは素晴らしいことだと思います。」と述べていたとのことです。

勝てば官軍・ 勝利すれば賊軍のトーナメント戦、しかも来春のセンバツが懸かった大一番ともなれば、(言い方は悪いですが)いかなる手を使っても1点は欲しいというのが心情というものです。

今回のケースは いわば審判の誤審。責任を審判のせいにすれば「いいやウチに1点!」と譲らないこともできないことな無かった場面です。

しかし 仙台育英高の須江監督は「正しい判定」を受け容れる道を選んだのでした。

この指揮官に学んだ選手(生徒)は、おそらく 今後の人生においても「正しいのはどちらか」のうえに立った、まさに正しい判断をしながら社会生活を送ることになるでしょう。

逆に「勝つためには手段を選ばず」の監督に育てられた選手は「自分に有利なジャッジには、たとえそれが間違っていてもとぼけておけ。」との いわば「バレなければそれでイイ」との 安易な利己主義に立って人生を歩むことになるのではと思われるところです。

 

 

相模原市の福祉施設の〝事実の隠蔽案件〟と 高校野球の〝真実(事実)を申告した案件〟は、全く異なるジャンルの出来事なれど、そこに「人」としての判断の在るべき姿、それ(判断)によって大きく評価が分かれることを実感することとなりました。

その〝分岐点〟は「誰(何)のために行動するか」であることを再認識すると同時に、私たちが どちらに倣(なら)うべきであるかは、言うまでもないところであります。

 

 

災害の記憶 ~新潟中越地震から18年~

この日(10月23日)は、遡(さかのぼ)ること18年前「新潟中越地震」が発生した日です。

地震が起きた日に際し、主たる被災地であった 旧山古志村で鎮魂の鐘が鳴らされたことが報じられていました。

 

 

 

「新潟県中越地震」は、2004年(平成16年)10月23日(土) 午後5時56分、新潟県中越地方(北緯37度17.5分/東経138度52.0分)を震央とし 震源の深さ:13 km・最大震度7を記録した大規模地震です。

 

 

 

この地震に伴い、強い揺れに見舞われた小千谷市・十日町市・長岡市・見附市を中心に 全体で68名の尊い命が奪われました(そして その死者のうち、建物倒壊などによる直接的な死者は16人で、他の52人は避難中のストレスやエコノミークラス症候群によるものであったことが悪しけく特徴づけられています)。

 

 

また 地震による避難者は10万人を越え、住宅損壊も約12万棟に上りました。さらに 旧山古志村(現長岡市)を中心とした山間地域では、地震により多くの箇所で崩壊や地滑りが発生したほか、域内を流れる「芋川」流域では 大規模な河道閉塞が発生し、周辺地区で人家が水没するなどの被害も生じました。

 

 

 

鉄道では時速200キロ超で走行していた上越新幹線「とき325号(10両編成/乗員乗客154人)」が、この地震で脱線してしまい、新幹線の安全神話を揺るがす出来事に、私たちは驚きをもって画面を注視したのでした。

 

 

 

営業運転中の新幹線が脱線したのは開業以来初めての出来事で あわや横転という事態にもなりかけましたが、揺れを感知して自動で非常ブレーキが作動、そのうえ 車体下の機器類が偶然レールに挟まるという好偶然が重なり、約1,6km走った末に傾きながらも停止したのは不幸中の幸いに尽きると申せます。

 

 

それから…地震発生後、土砂崩れに巻き込まれた自家用車の中(付近)から幼子(おさなご)が救出されたことは、未だに私たちの脳裏に残っています。

あのときは 誰もが中継画面を祈るような気持ちで見入り「幼児が救出されました!」の一報には、歓喜というか安堵というか とにかく大きなため息をついたのを、今も覚えています。

 

 

 

 

さらには 山古志地区名産の「錦鯉」の殆(ほとん)どが、地震によって水と酸素の吸入ができなくなり 全滅の憂き目に遭ったことも悲報として伝えられました。

多くの 手塩にかけて育てた錦鯉の命もが奪われたことは、主要産業への大打撃と別の次元で 私たちは悲しみを味わうこととなってしまいました。

 

 

 

 

「新潟中越地震」は、さまざまな面で 私たちに衝撃を与える災害でありました。

ニュース速報は、家並みの崩壊・新幹線の脱線・河川(河道)の閉塞によるダム湖の出現・大量の錦鯉の死滅等々、ときに我が目を疑うような状況(状景)の連発に、地震の怖さを改めて思い知らされたところでありました。

あれから18年…この間も 地域のそこここで自然災害が発生し、その度に私たちは自然の猛威・脅威を痛感させられているところですが、それでも 私たちは、此(こ)の地で生きてゆかなければなりません。

 

 

そんな中、未曾有の地震災害から18年が経過した今年、地元の中学生が災害対応訓練に参加し、その際に「金言」を呈したことが報じられ、感心させられました。

その君(きみ)は「防災給食」を食べた際に、こう言っていたのです。

「地震を止めることはできないけれど、犠牲者は防げる」と。

まさに 地域の災害対応の目的そのものを言い当てている 素晴らしい一言でありました。

 

 

 

 

今の私たちの社会生活の中で「できること」は何か。そのことを常に念頭に置きながら行動し 関連する事業を進め、イザというときに備えること。

何かあってから慌てるのではなく、その際には冷静に行動して とにもかくにも「生命を守る行動」に徹すること。その準備を怠りなくすることこそが、今の私たちに課せられる使命と言えると思うところです。

そのための 例えば非常食の備蓄についても、今のうちから積み上げておくべきでしょう。

 

新潟中越地震から18年。改めて自然災害への向き合い方について思いをいたしたところでありました。

 

なお、新潟中越地震の被災状況を 私たちの住む長野市に投影した場合、最も懸念されるのが〝ダム湖〟の発生ではないか、と。

そこは なにいう、裾花川流域であります。

ご案内のとおり、市域の西部を流れる裾花川は 右岸に「旭山」を背負って 県庁付近を流下ています。

で…さらにご案内のとおり、今もなお 旭山の山肌は、いかにも脆(もろ)く ボロボロと崩れているのが現状です。

ここに大地震が発生し 旭山の山腹が大きく崩れたとすれば、裾花川は一気にせき止められ 即座に〝ダム湖の出現〟となりはしないか。

当地での同様の災害(ダム湖発生)は 1847年の「善光寺地震」で起きたと史実にあるところですが、あれから年月は経過するも 一朝ことあれば、可能性は無いことはない…新潟中越地震の災害史を振り返るとき、そんな懸念が頭をよぎるところであります。

 

小平奈緒さん有終の引退レース

22日(土)、今季で現役引退を表明した 女子スピードスケートの小平奈緒選手の〝ラスト・ラン〟に臨む大会が開催され、私も その現役最後の勇姿に触れさせていただきました。

 

 

 

長野県茅野市出身で 生粋(きっすい)の信州っ子である小平奈緒選手は、自らは世界的アスリートになるも その現役引退のステージについては「生まれ育った信州で」を公言していました。

その郷土愛ともいえる言動には われわれ長野県人は感動するしかなく、そんな彼女が現役最後の軌跡を残す大会とあったことから、私もその勇姿を一目見たい!と思い 当日券を購入して会場に向かいました。

この日 開催されたのは「第29回 全日本スピードスケート距離別選手権大会(女子500m)」で、会場は 長野市内にあるオリンピック施設の「エムウェーブ」です。

 

 

 

 

この日の〝小平奈緒選手ラスト・ラン〟を目当てに 会場には多くの観衆が訪れており、(関係者によると)あの長野五輪大会以来の大入り満員となっていたそうです。

 

 

 

会場では、コロナ対策を兼ねての〝便利応援グッズ〟が配られていました。

 

 

 

一見すると 選手紹介のポスターのようなのですが、段ボール紙でできたこれ 予め施された折り目に沿って山折り・谷折りを繰り返すと、何ということでしょう…叩くと大きな音が出る「ハリセン」に早変わりです。

 

 

 

コロナ対策のために大きな声を出せず、また 会場はスケート場のため、手袋をしていると拍手もそれほど響かないことから このハリセンの出番。打ち鳴らすと存外に大きな出て 会場ではレースの盛り上がりに応じて「パンパン!」とリズミカルな〝音応援〟が展開されていました。

 

 

この日の午前の女子500mは計10レース、小平奈緒選手は第9レースでの出走となっていました。

それぞれの選手が力走を重ね 会場のボルテージが上がったところで「次は第9レース。アウトコース、小平奈緒選手」とアナウンスされると、会場には大きな拍手(ハリセン音)が鳴り響きます。

その直後、静まりかえる場内。

そして「Take your mark.」のアナウンスの一瞬後に号砲が鳴り、小平奈緒選手と伴走選手がスタートダッシュ!。

 

 

 

アウトコース(白ウェア)の小平奈緒選手は、まさにロケットスタートの如くの鋭い出足でリンクを捉え、アッという間に観衆の前を飛び去ってゆきます。

 

 

 

後はまるで白い弾丸、見る間に第一コーナーへと飛び込んでゆきました。

 

 

そして迎えた第4コーナー、万雷の音応援を受けながらさらにペースを上げ フィニッシュラインを超えていったのでした。

 

 

 

タイムは37秒49の好タイム、現在ぶっちぎりの1位です。

 

 

 

この勇姿に 会場は割れんばかりのハリセン音、中継を担うDJも「小平奈緒選手、みごとトップに立ちました!」と興奮気味にアナウンスします。

ところが、当の小平選手は 自らの好タイムに浮かれることなく、むしろ逆の所作を示していました。

そうです、彼女の後には まだ最終組が控えていることから、小平選手は 観衆に対して「まだ次のレースがありますよ。」というように、みんなに落ち着くよう アピールしていました。

 

 

 

そうです、これは さきの北京オリンピックと同じ…暫定1位に立った後に、後を滑る韓国のインサンファ選手と伴走選手を気遣い「静かに」とアピールした所作の イイ意味でのデジャブとなったのでした。

最後の最後に 彼女の他を敬う真摯な姿勢を見ることができたのでした。

 

その後滑った高木美保選手のタイムが小平選手を下回ると 小平奈緒選手の最終戦の優勝が確定、ここでようやく ウィニングランとしてリンクを一周します。

 

 

リンクサイドには横断幕も飾られていました。

全ての観衆が 小平奈緒選手の現役引退を惜しみ、そのうえでその有形無形の功績に温かなエールを送っていました。

 

 

 

リンクを一周して観衆に応えた小平奈緒選手は、ゆっくりとリンクサイドに座り 現役生活にピリオドを打ち 静かにスケート靴を脱いでいました。

 

 

 

 

競技終了後、表彰式が行なわれ、優勝した小平奈緒選手は表彰台の真ん中に立ち、みんなの祝福に応えていました。

 

 

 

その後 引退にあたってのインタビューが行なわれ、会場の観衆はもとより 多くの小平ファンに向けて言葉が向けられました。

 

 

 

場内インタビューでは「本当に、夢にまで見たこの会場で滑ることができて、幸せでいっぱいです。(テレビ)画面で(98年長野五輪を)見た時より、人のぬくもりを感じました。この会場が温かく包まれるような感じでした。今朝、アップで滑る後を追うように拍手が流れ、ウエーブのようになって背中を押される感じでした。それ以上、皆さんの顔を見ると涙が流れてしまうので、レースに集中しました。」と感無量の表情で振り返っていました。

場内が満員(6,400人)となった最高の花道に小平選手は「閑散とした中で滑ることが多かったけど、(こんなに多くの人に来てもらって)長野・信州で生まれ育った私としては本当にありがたかったです。私自身、これからどんな景色が見られるのか楽しみです。」と今後に夢を膨らませていました。

そのうえで、今回のラストランについては「本当に夢中で、感情の扉が開く隙がなかった。」と言うほど集中を極め、最後のレースで頂点に立った。」

「画面越しでは伝わってこなかった、人のぬくもりが感じ取れましたね。人生で初めて鳥肌が立ったのが長野五輪だったんですけど、鳥肌を越えて 心が震えて(心臓が)飛び出てきそうな感じでした。」と うっすら涙を浮かべながら、率直な感想を述べていました。

 

 

 

小平奈緒選手は アスリートとして輝かしい結果を収めた一方、人格者としても人の心に強い印象を遺してくれました。

さきの北京オリンピックでは、無念の2位に終わったライバルを気遣い 慰め、その優しい姿は世界に大きな感動を呼びました。

 

 

 

また さきの令和元年東日本台風の際には、いち災害ボランテアとして被災地支援に参加してくれたことも記憶に新しいところです。

 

 

 

そんな、〝ただ強い(速い)だけではない〟小平奈緒選手は、素晴らしい人格者としても周知されているところであり、そんな人間的な魅力も相まって この日の引退レースに多くの人たちが足を運んだのでしょう。

それは まさに私も同じでありました。

 

大会優勝という 余力を十分残して、現役としてはリンクを去ることとなった彼女においては、その第二の人生についても大きな期待が寄せられるところです。

私や 私だけでなく多くの人は、ひとまずは小平奈緒選手に心からなる慰労の意を寄せ、そのうえで 今後も社会に好影響を与えながら活躍してほしい、と やはり心から期待とエールを寄せるところであります。