6月8日(木)、長野市議会 令和5年6月定例会が開会しました。

これまで社会の〝足かせ〟となっていた新型コロナウイルス感染症も「5類相当」に格下げとなったことなどから、社会は いわば〝通常モード〟として再び歩み始めることになっています。
そんな中での6月議会でありますが、これまでのさまざまな社会課題に併せ 前掲の望ましい社会変化も考慮しながら、市民生活の向上をめざして諸課題・議案と対峙するところであります。
この日(初日)に行なわれた 荻原市長の所信(議案説明)の中では、補正予算として 住民税非課税世帯に対し物価高騰対策(支援)として3万円/世帯を支給する支援策・低所得の子育て世帯への児童1人あたり5万円の生活支援・5月上旬の豪雨災害復旧費・子どもの福祉医療費拡大(1レセプト500円)の18歳までの拡大(R6年1月開始)・新たなコロナ対応・長沼保育園開所・保育園での紙オムツ回収(モデル園)実施 などが表明(説明)されました。
そんな中 私が注目…というか〝引っかかった〟のが「むすび」で述べた市長発言です。
市長は演説の最後に 敢えての形で「子育て」の話題を持ち出し、その中で「子どもの主体性を守り、子どもの権利を守る」を強調しておられたのです。
自ら「(私は)市長就任以来、これまで「子どもたちの夢を応援するまち」の実現を目指し(てきた)」とし、さらに「そのための施策を進める上で、私が大切にしていること」として 前掲のとおり「子どもたちの主体性を尊重し、(さらに)子どもたちの育ちを支える保護者の皆様の目線に立って考え、施策を展開する」と言い切っているのです。
さらに市長は 発言を踏み込み「まず、子どもの権利をしっかりと守り、大人が支える環境を作る」としたうえで、子どもの権利を守る条例制定に意欲を示しておられました。

・・・・・。
それを聞いた私は、両手を挙げて「そうだ!」と言えない心境に陥ったものでした。
確かに、この部分だけを切り取って聞けば 実に耳障りのイイ詭弁が流されてくるところです。
ところが、です。
これまで、実際に市(市長)が手をつけてきた行政行為は「子どもの権利」などには ほど遠いものでありました。
このことは言うに及ばず、一連の〝青木島遊園地存廃問題〟からの〝青木島こども未来プラン(案)の提示〟で悪しけくクローズアップされています。
子どもの最適な居場所であった青木島遊園地を〝大人の都合〟で奪ったあげく、今度は いわば効率第一主義の下で 青木島児童センターを小学校〃内に無理矢理に編入させようとしています。
こんな〝強攻策〟に走る為政者が「子どもの権利を守る」と表明してみても、それを満額受け容れることは 到底できないものでありましょう。

「現業不一致」という言葉があります。
言っていることとやっていることが違う。いまの長野市(市長)は その道を歩んでいると言わざるを得ない残念な状況にあると申せます。
とりわけ現市長は、言い方(口調)は誠に丁寧ではあるものの やっていることは強行路線であり、何というか「カオとハラが違う」と 懐疑的にならざるを得ないのが正直な実感というところです。
私は この議会においては、本会議ならびに委員会審査を通じて 市の〝深層(心理)〟を質してゆくこととしています。
私の投げかけに(市/市長は)どう応えてくるのか。注目されるところです。
国民が 本人確認の際に公的な本人確認書類として利用したり、さまざまな行政サービスを受ける便利なICカードである「マイナンバーカード」ですが、その信頼が大きく揺らぐ事態となっています。

前掲のとおり マイナンバーカードは、マイナンバーの証明・本人確認書類としての活用や・コンビニで各種証明書(市区町村の証明書のほか、新型コロナウイルス感染症予防接種証明書等)が入手できること・国や地方自治体から給付金を受け取る際に預貯金口座情報の提出や行政機関での確認作業が不要になること・そして 健康保険証として使用できること等、さまざまなメリットが挙げられています。
特に「健康保険証」の扱いについては下記のようなメリットが挙げられています。
・就職、転職、引越しをしても、健康保険証として継続使用できる
・マイナポータルで保険医療を受けた記録を管理・確認できる
・確定申告での医療費控除手続きが簡単になる
・医療費が高額になった場合、窓口で自己負担限度額以上の支払いが不要になる(限度額適用認定書の申請も不要)
・医師等からその情報に基づいた総合的な診断や適切な処方を受けられる
ところが、です。
便利なハズのマイナンバーカードにも、さまざまなデメリットが挙げられています。
紛失や盗難のリスク・個人情報漏えいのリスク(可能性)・有効期限があるため更新手続きが必要のデメリット です。
※総務省によると、マイナンバー自体は 他人に知られても個人情報を調べたり 手続きをしたりはできない仕組みであり、また マイナンバーカードに搭載されているICチップには、税・年金・特定健診結果・薬剤情報などのプライバシー性の高い情報は記録されていないとのこと。また 同カードには他人による悪用や偽造を防ぐための特殊な加工も施されているほか、ICチップの読み取りに必要な数字4桁のパスワードは一定回数間違えるとロックがかかり、本人が手続きしないと解除できず 不正に情報を読み出そうとすればICチップが自動で壊れる仕組みもあるとのこと。
そのように いわば賛否両論のあるマイナンバーカードですが、ここへきて その信頼が大きく揺らぐこととなっています。
で 折も折、その背景には 国(デジタル庁)による、拙速(せっそく)ともいえる導入に向けた動きが絡(から)まっているのでした。
健康保険証を2024年秋に廃止して マイナンバーカードに置き換える「マイナンバー法等改定案」の採決が衆参両院の「地域・こども・デジタル特別委員会」で採決・可決され、来年の秋には今の保険証が無くなって マイナンバーカードが保険証の役割を担うこととなりました。
これは、これまで「任意」であったマイナンバーカードの取得について これまで紙の形で交付されている健康保険証を廃止してマイナンバーカードに一体化さることで「マイナカードを持たなければ医療機関の受診に著しい不便が生じかねない」とすることで 半ば強制的にカードを取得させるものです。
マイナンバーカードを持たない人には「資格確認書」を発行する経過措置を講ずるとのことですが、これは申請主義・有効期間・更新手続きも必要とのこと。やむを得ない事情で手続きができなければ、保険料を払っていても保険診療を受けられなくなる恐れがあるとのことです。
重ねて 現下、マイナンバーカードに関する「トラブル事案」が 地域のそこここで報告されており「一体どうなっているんだ?」との不安(不信)の声が挙げられています。
ここのところのニュースでは、マイナンバーカードを使って コンビニで住民票の交付を受けたところ、全く別人のものが交付されたり、公的な給付金の受取口座が 別人の口座で登録されていたりしたこともあったとか。
さらに マイナ保険証において、他人の情報がカードに紐づけられていたケースがあり、混乱を招いていることが報じられています。
また これとは別に、地域の消費生活センター等に マイナンバー制度に便乗した不正な勧誘や個人情報の取得を行おうとする電話やメールがあったとの情報が寄せられているとのことで、マイナンバーカードの普及が 必ずしも万全のうちに行なわれていないことが明らかになっているのでした。
こんな状況に際し、本来 政府寄りであるハズの読売新聞が、保険証の廃止を急ぐ国に対し 社説で強い憂慮の意見を示しており、ちょっとした話題になっています。

社説の内容は以下のとおりです。
「保険証の廃止 見直しは今からでも遅くない」 2023/06/07 05:00
身近な健康保険証を廃止し、トラブルが続出しているマイナンバーカードに一本化するのは無理があろう。廃止方針をいったん凍結し、国民の不安を 払拭(ふっしょく)するのが筋だ。
2024年の秋に保険証を廃止し、マイナカードに一本化する関連法が成立した。来秋以降、患者はマイナカードを医療機関に提示し 診療を受けることになる。
政府は行政のデジタル化を進めるため、マイナカードの普及を図っている。保険証の機能を持たせるのもその一環だ。
だが、マイナカードを巡るトラブルは後を絶たない。コンビニで別人の住民票が交付されたり、給付金の受取口座が、別人の口座で登録されていたりした。
とりわけ深刻なのは、マイナ保険証に関する問題だ。他人の情報がカードにひもづけられていたケースが7300件あった。
行政文書は、あとで修正できるかもしれないが、医療に関する手違いは、国民の健康や生命に重大な影響を及ぼす恐れがある。政府は事態を軽視してはならない。
そもそも政府は昨年6月の段階では、現行の保険証とマイナ保険証の「選択制」を打ち出していた。希望すれば、カードだけで受診を可能にするという構想だ。だが、河野デジタル相が10月、唐突に来年秋の保険証廃止を表明した。
カードを持たない人には、健康保険組合などが「資格確認書」を発行するという。しかし、確認書の取得は本人の申請が前提だ。1年ごとに更新する必要もある。
政府は、病気や障害を理由とした代理申請も認める方針だが、具体的な運用は検討中という。
現在、何ら不都合なく使えている保険証を廃止し、事実上、カードの取得を強制するかのような手法が、政府の目指す「人に優しいデジタル化」なのか。
マイナ保険証の不具合が相次いでいることを踏まえ、医療関係団体などは保険証の廃止に反対している。医療現場から懸念の声が上がるのも無理はない。
法律が成立したからといって、制度の見直しは不可能だ、と考えるのは早計だ。
政府は1980年、納税者番号の一種「グリーンカード制度」を導入する法律を成立させたが、政財界から批判が噴出したため、5年後に法律で廃止した。
マイナ保険証の見直しは、今からでも遅くはない。トラブルの原因を解明し、再発防止に努めるのが先決だ。当初の予定通り、選択制に戻すのも一案だろう。
国(行政)は、どうして これほどまでに制度設計を急ぐのでしょうか。
ここのところのトラブルは、所管庁(デジタル庁)が 各自治体に対し、カードへの移行作業を急がせるあまりに生じた「人為的ミス」からきているのではないかと思わざるを得ません。
で その結果、イチバン迷惑を被(こうむ)るのは 他でもない国民であり、国(所管庁)は そのことを斟酌(しんしゃく)すれば 様々な功罪の可能性を踏まえたうえで、念には念を入れて考察を重ね 絶対に大丈夫と言い切れるようになった段階で初めて次の段階に進むべきではないかと思うところです。
ジャンルは全く違いますが「拙速(せっそく)」というワードで 長野市と共通するのが「青木島小の放課後児童問題」です。
長野市は、半ば市の都合で 子どもの欠かせぬ居場所である「青木島遊園地」を廃止に追い込み、その〝名誉挽回〟とでもいう勢いで「青木島こども未来プラン」なる大風呂敷を広げて 計画を拙速に進めようとしています。
そこには 市の焦(あせ)りとも取れる〝悪しきスピード感〟が見え隠れするところですが、市民(子ども・保護者・支援員など現場の職員)は、そんなスピードは これっぽっちも求めていないのです。
求めているのは「安心感」ならびに「納得感」です。
子ども(放課後児童)が 真に安心・安全・ゆとりのうちに時間を過ごす環境が担保されない限りは、拙速に計画(形式)ばかりを進めるべきではない。
そんな 強い意向(=心の声)が、実に多くの市民(前掲の人たち)から挙げられており、この「現実」を 長野市は真摯に受け止めて(計画を)改善してゆかなければならないのです。
〝マイナ保険証〟を巡る国の拙速な取り組みに鳴らされている強い警鐘は、行政が陥りがちな「△△ありき」との〝悪しき動き〟に対するマイナス評価として、ここ長野市でも共通課題として取り上げられるところであります。
この日(6日)、全く違うジャンルなれど「守る」というワードで共通する事柄に触れたものでした。
6月25日に開催される「長野市(消防)ポンプ操法大会」に向け、早朝から 各分団の訓練が行なわれています。

ポンプ操法大会(ポン操大会)は「消防団員が 迅速・確実かつ安全に行動するために、定められた消防用機械器具の取扱い及び操作の基本について その技術を競う大会」と意義づけられ、全国の自治体において(大会が)開催されているものです。
今年、私の住む川中島町からは「消防川中島第2分団」が出場することになっており、分団を挙げての訓練が行なわれています。
あと数週間に迫った本番に向け、選手の行動(精度)も確実に上がってきていることが感じられます。


訊けば、経日の練習の中で 筋挫傷(きんざしょう)など不測の体調トラブルも起きているとのことですが、いずれにしても本番が(コンディションの)ピークとなるよう万全を期してもらいたいと思うところです。

消防団活動については「究極のボランティア」とも称され、生業を持ちながら その時間を割いて、予防消防を初め 有事(火災等)の際には被害の最小限化に向けた諸活動に挺身してくださっています。
その通底には「地域の安全は自分たちの手で守る」との崇高な意識があり、私自身 地域に暮らす者の一人として、団員各位の心根(こころね)に 常に敬意と感謝の念を抱いているところです。
「ポンプ操法大会」については、いわゆる〝大会〟ですので 勝負(順位)にはこだわるところではありますが、この際は ある意味でそれ(勝負)を超えた中で、大会の意義である「迅速・確実かつ安全な行動」を念頭に据え 実際の災害現場に直面した際に慌てることなく行動できるよう、そういう面(意義)で修練(訓練)を重ねてもらいたいとご期待いたすところです。
さて「守る」という点で、障害者(とりわけ知的障がい者)さんを「守る」べく 不断の取り組みを行なうチームが、「行政(行政関係)」という いわば〝難敵〟を相手に奮闘を重ねていることをお伝えしなければなりません。
これまでも紹介していますが「Gota」という市民グループ(チーム)が、授産施設利用者さんらの「声」を受け(代弁し) 行政ならびに行政関係団体が問題(課題)を抱えながらも 半ばそれを看過したままに事業を行なっていることに厳しく警鐘を鳴らしたうえで改善を求め、さらには自ら(Gota)も率先して障がい者さんの工賃(時給)アップや 真に社会的自立できることをめざし、さまざまな活動・提案を行なっているものです。
この日は、B型の自立支援施設の利用者さんが プランナーとの折り合いが悪くなったことに端を発し、市の対応や 利用者さんに向き合う姿勢そのものについて疑問を投げかけ、そこから派生し 意見交換を行ないました。
そこで 総じて感じ取られたのは、市側の〝保身の姿勢〟でした。
これは 私の感覚的なものですが、市(障害福祉課)は 市民(Gota)側の話しは聞いているものの、それは あくまで〝対岸〟にいるまま。何というか 遠くに立ったままで向こう岸の声を聞いている感…服を濡らしてまで対岸に渡り 胸襟を開いて真摯に耳を傾けるような姿勢は感じ取られないままでありました。
彼らが「守ろうとするもの」は いったい何でしょうか。
障がい者の社会生活か。それとも 自らの立場か。
少なくとも「Gota」のメンバーは 障がい者さんを「守る」ことを通底に置き、今後もさまざまな視点で行政課題を指摘し 改善を求めてゆくことになります。
しかし、それは 単なるクレーマー的な敵対主義ではない。
ややもすると過(あやま)てる行政関係者の目を覚(さ)まさせ、障がい者支援を正しい方向…もっと言えば「当たり前の方向」に軌道修正してゆきたいだけなのです。
ただ残念ながら、そのためには 今ある問題を厳しく指摘してゆかなければならない。
・・・・・。
果たして行政側に、その(Gotaの)深層心理を理解し、受け容れたうえで共に行動する度量があるかどうか。今のところ懐疑的な面は否めないところです。
私としては、Gotaの活動に共感したうえで 障がい者さんの社会生活を「守る」を旨とし、今後も適切に仲立ちの役割を担ってゆきたいと思いをいたしたところです。
この日(4日)、私の住む川中島町の「公民館対抗ソフトボール大会」が 実に4年ぶりに開催されました。

この大会に限らず 住民があい集い開催されるスポーツ大会などの行事は、令和2年に発生した「新型コロナウィルス禍」の影響により 軒並み中止(自粛)を余儀なくされてきました。
それら 非常に厳しい社会情勢を経て、コロナ禍もようやく収まりを見せ 去る5月8日から感染症法上の位置づけが「5類相当」に〝格下げ〟になったことなどから、集会やイベントなどの社会活動も 徐々に〝通常モード〟に戻る様相となってまいりました。
それを受けての 今回のソフトボール大会。
コロナ禍の自粛年月、4年もの長き自粛期間を経ての開催となったところです。
当地区(町)には24の地域公民館があるのですが、やはりブランクの影響は否めないところ…この日のエントリーは17公民館に止(とど)まりましたが、それでも参加者のみなさんは おそらく久しぶりにユニフォームやジャージに袖を通し、それぞれに一抹の感慨をもってグランドに集結しておられました。
開会式の選手宣誓では、1番クジを引いた地区の代表選手 それも女性のお二人が、元気いっぱいに「選手宣誓」を行なってくれました。
その爽(さわ)やかな声と内容は、コロナ禍の中 自粛を強いられたうえで、ようやく今日(こんにち)を迎えた感慨が込められており、数日前の大雨一過の晴天も相まって 私たちに一服の涼を与えてくれたのでした。

「コロナ禍では色々とタイヘンだったけれど、それら多様な経験も踏まえて 今日はチーム一丸となって頑張り、そして楽しんでゆきたいと思います。」旨の宣誓に、一同から「そうだ!」とばかりに 大きな拍手が送られていました。
大会は トーナメント戦で行なわれ、4年ぶりに揃ったナインは「さあ行こう!」と掛け声をかけ合い ゲームに臨んでいました。

それぞれのゲームは どこも熱戦!
とても4年ぶりとは言えない熱い戦いが繰り広げられ「どっちもガンバレ!」と声援を送らせていただきました。

・・・・・・。
さて、このソフトボール大会は 地区(町)の公民館活動の一環として行なわれたところであり、その 公民館は住民自治協議会の傘下にあることから、この大会は「住民自治協議会活動」の一つとしてカウントされるものです。
前掲のとおり、このソフトボール大会自体は スポーツを通じた地区住民の健康増進と親睦のために非常に有意義なものでありますが、それとは別の次元で「住民自治協議会(住自協)」の今後の在り方について問題提起されています。
ムラの識者のIさんは 町の掲げる「まちづくり計画」について、計画そのものよりも その後(策定後)の〝運用〟こそが重要であるとの認識を示したうえで、今の住自協においては「まちづくり計画」が、策定することはしたけれど その後は必ずしも目に見えた〝運用〟が図られていないのではないか、このままを看過すれば 住自協活動そのものが形骸化してしまうのではないかと危惧されておられるのでした。
[参考]川中島町住民自治協議会ホームページ
↓
https://www.kawanakajima.org/
川中島町まちづくり計画
↓
https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/img.p-kit.com/kawanakajimajuujikyo/Header/1598948170038032100.pdf
そのうえでIさんは、今の「まちづくり計画」について 計画の策定後の「全体スケジュール」が示されていないことに疑問を呈されています。
すなわち、計画(項目)はできたものの それを実施期間(令和2年度~同6年度)の中で、どの年度にどれだけ進捗させるかの〝実施計画〟が示されていないこと・各部会の計画(課題)への周知が表面的で、例えば「環境部会」については行政の保管業務が殆(ほとん)どとなってしまい 本来の「まちづくり」に資する取り組みが低迷しているのでないか、との指摘です。
そのうえでIさんは、かかる〝形骸化しつつある住自協活動〟の一因に「監査」の真の役割が果たされていないのではないかと 併せ指摘されておられるのでした。
「監査」には、団体の会計を調べる「会計監査」と、行なわれた事業の適正を調べる「事業監査」がありますが、住自協のような住民組織における監査は その殆(ほとん)どが「会計監査」のみに止(とど)まっており、そのことが 住自協の活動の中身を精査するまでに至っていないのではないか、というもの(指摘)です。
これが企業であれば、会社の経営方針に基づき 事業がどの段階でどの程度まで進捗しているかが「監査」され、年度ごとの 例えば株主総会で報告され、株主の承否を受けることになります。
住自協は 利益を求める団体ではありませんが、こと「計画の進捗」が監査され指摘されることで、参加者(住自協関係者)の意識啓発と自己活動のチェックにつながり それはすなわち住自協そのものの活性化につながることが期待されます。
それが、計画(まちづくり計画)を作った(策定した)ことで達成感をもって〝完結〟してしまえば、そこから先の事業は いわば成り行き任せになってしまい、時間だけが無為に経過することになってしまう。
「仏つくって魂入れず」という諺(ことわざ)がありますが、Iさんは 住自協活動についても、そのような形骸化を強く懸念されておられます。
そうさせないためにも、年度ごとの事業監査の必要性・そのこと(監査)による 年度ごとの計画の進捗状況のチェックと、それを受けての実行の連鎖こそが 住自協活動の真の活性化につながる。
「せっかくみんなでつくった「まちづくり計画」だもの。実効あるものにしてゆかなきゃ、ね。」
厳しい指摘の深層にある、Iさんの郷土愛でありました。
さきの2日は、間断なく 終日に亘りまとまった雨が降りました。
朝から晩まで 止むことを忘れたかの雨降りは、私の住む長野市でもけっこうな降り様(ふりよう)でしたが、としわけ今回の(雨)気象は、主に列島の太平洋岸エリアに「線状降水帯」を それも複数の地域に同時多発的に発生させることとなり、多くの地域で水害を発生させることとなってしまいました。
私の暮らす長野圏域においては、主に県の中南部に被害がもたらされたことが報じられています。
飯田エリアでは 観測史上最大の24時間降水量を記録し、河川の増水と同時に 急傾斜地に多くの雨(水分)が浸透したことで、土砂崩れなどが発生し 社会インフラに多くの被害が発生したことが伝えられていました。



今回、列島の各地で被害をもたらす〝主犯格〟となった「線状降水帯」この気象状況は、今や私たちにとって「難敵」となっています。

この気象状況については、昨今の極端ともいえる天気の象徴として 既に周知のところです。
海を低空で流れてくる風(雲)が 移動中に多量の水分を含んで積乱雲となり、それが線状に並んだうえで1ヶ所に長時間に亘って留(とど)まりながら、その間 雨を降らせ続けるもので「バックビルディング」とも呼ばれているものです。


この「線状降水帯」は よくある雨風型の激しい台風と異なり、ひたすら雨を降らせるだけの そういう点では一見地味なタイプなだけに、これまで避難のタイミングなど対応がタイムリーにしにくい やっかいな存在となっています。
これまで「線状降水帯」については、実際にそれ(線状降水帯)が発生してから その事実を伝えていましたが、それだと 被害(水害)が発生した後の報告(事後報告)であり 住民の社会安全を事前に守る役割を果たしていないとのことから、最近になって 気象庁は「線状降水帯予測情報」として、約半日ほど前に(線状降水帯が)発生すること・それに伴う事前の注意 対応をを呼びかけることとしています。
[参考]「顕著な大雨に関する気象情報」に伴う 線状降水帯による大雨の半日程度前からの呼びかけ/気象庁HP
↓
https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/bosai/kishojoho_senjoukousuitai.html
今回も、関東エリアに初となる「線状降水帯予測情報」の発出となりましたが、それでも水害そのものは抑えることはできず 各地で冠水・越水の被害が起きてしまったことが報じられていました。

これらの状況を目にする都度に、私たちは「令和元年東日本台風」の水害を思い起こさざるを得ないところです。
一夜にして千曲川上流部から運ばれてきた大量の河川水が 流域堤防を越えて越水被害をもたらすと同時に、最終的には長沼(穂保)エリアの堤防を壊して周辺地区に甚大な水害を及ぼすに至ってしまいました。

今回 列島のそこここで水害を受けた様子を側聞する中、今や雨の被害は いつなんどきどこで起きても不思議のないことを実感させられたところです。
そのうえで、せめてもの事前対応の功(こう)は 早め避難による人的被害の軽減に尽きると思います。
財産は水に浸かってしまっても、生命だけは確実に助かるよう行動しよう。
降ってくる大雨・河川から来る越水は止(とど)めることは難しくとも、身体生命だけは損なわれないように努める。
これは 最低限かつ最大の 事前の自己防衛であると肝に銘じるところです。
大雨から一夜明けた3日。「令和元年東日本台風」の被災箇所を巡ってみました。
上流部の篠ノ井塩崎。
千曲川本流が大きくカーブを切る地点は、濁流を成し流量も増えてはいましたが、大過なく収まっていました。

下流部の村山橋付近も然り。
長野市域では大きな被害が無かったことを裏付けていました。

今回 水害に見舞われた地域と住民の方々に、哀悼とお見舞いの意を表すると共に「明日は我が身」を念頭に、かつての経験を無にせぬよう 対策・対応をぬかりなくすべきことを再認識いたしたところです。
去る日、ネットの投稿記事で 何とも言いようの無い(=呆れる)ような件が載せられているのを目にし、今の世情の理不尽さを実感させられました。
あろうことか、自宅そばの水田に棲(す)む人から「カエルの鳴き声がうるさいから何とかしろ」と、水田の持ち主に苦情が寄せられた というものでありました。

記事は「田んぼ」の近くに住んでいるネットユーザーがTwitterに投稿したもの(画像)を伝えていました。
投稿は下記のとおりです。
5月26日、田んぼの近くに住んでいるユーザーがTwitterに投稿した画像が話題を集めている。
「どこかから風で飛んできたヤツなんだけど世知辛い…」
と文章とともに添付されたビラらしき画像には、
《田んぼの持ち主様へ カエルの鳴き声による騒音に毎年悩まされています。鳴き声が煩くて眠ることができず非常に苦痛です。騒音対策のご対応お願いします。近隣住民より》
と〝カエルの鳴き声に対する苦情〟が書かれている。5月30日現在、この投稿は1564万回表示を超え、5.5万の「いいね」がされるなど大きな反響を呼ぶことになりました。
そのリプライには、
「そもそも田んぼがあったところに住んでるんだからあきらめろ」
「カエルを何とかしろって、全部のカエルの口にチャックつけろと言うのかw」
など、リプライの大多数は 苦情を入れる方がおかしいというものでした。


さらに記事は、この〝カエル問題〟について、過去には〝裁判沙汰〟になったことも伝えていました。
2021年には「隣家の池にすむカエルの鳴き声が耐えられない」として、東京都板橋区の住宅街に住む住人が 隣家に対し「全てのカエルの駆除と75万円の損害賠償」などを求めた訴訟が起こされましたが、東京地裁は 原告側の請求を全面的に棄却し「カエルの鳴き声は自然の音の一つで、我慢すべき限度を超えているとはいえない」との判断を示した というものです。

男性は訴訟で、昨年5月以降 隣家の池でカエルが繁殖し、早朝から深夜まで鳴き声に悩まされていると主張。実際に騒音の大きさを測定し、都の環境基準を上回る66デシベルに達したこともあったと訴えていました。ただ この数値は「目覚まし時計の音」と同レベルだったそうです。
一方、被告側は「小型のアマガエルが6~7匹生息しているだけだ」と反論。判決も「原告が主張するような騒音の発生を示す証拠はなく、仮にあったとしても自然音として受け入れるべきだ」と判断したとのこと。
原告の代理人弁護士は「騒音の立証は難しい。今後は話し合いで解決していきたい」と話していました。
これらを踏まえたうえで記事は「今回のビラの主は 苦情を入れている段階ですが、仮に裁判を起こしても(板橋区の例と)同様に“自然の音のひとつ”として棄却されるでしょうね」と結んでいました。
「音」に起因する社会問題(トラブル)は 近年に亘り枚挙に暇(まいきょにいとま)が無いことが伝えられています。
その種類については、いわば〝大きな音〟に類する 例えば工場の機械音や 改造車のエンジン音などの「騒音」に関するトラブル、一方で 隣家やマンションの上下階など 他世帯の人が出す「生活音」などの〝気になる音〟に類する「煩音(はんおん)」に関するトラブルが挙げられています。
[参考] 「煩音(はんおん)」に関するブログ記事
↓
青木島遊園地廃止問題 =騒音と煩音(はんおん)= - 倉野立人のブログです。
長野市における「青木島遊園地廃止問題」は、今や全国的な社会問題にも発展することになっています。今回の騒動の発端ともなったのが、遊園地の近隣に暮らす住民(Aさん世帯)...
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これら「音」に関するトラブルについては、被害を訴える人⇔他意なく音を発生させている人 の間で、意識(認識)に相当の差があり それがまたトラブルを助長することにもなってしまっているところですが、最近では それらをも突き抜けるようなレベルで発せられる「うるさい 何とかしろ」の理不尽ともいえるような声には、呆れるとしか言いようの無いところです。
今回の〝理不尽な声〟は、何と「カエル」に向けられています。
古来 縄文時代から営まれてきた稲作。その遙か以前に生存していたカエルは、おそらく当時から水田に棲(す)み 田植えが終わった圃場でゲコゲコ鳴いては人々と共存してきたことでしょう。
田植えが終わった水田から聞こえるカエルの鳴き声は、いわば 人間社会と自然界との共存の象徴でもあったと言えるでしょう。
それが今「うるさい」と言われることに。
で 今回の苦情主は、カエルの鳴き声を「何とかしろ」と、水田の持ち主に理不尽な要求を突きつけています。
どうやってカエルを黙らせろというのか。一休さんのトンチじゃあるまいし。
そのうえで私が気になるのは、苦情主が これを理不尽を分かっていながら騒いでいるのかどうかなのです。
カエルを黙らせるのは無理だと分かっていながら 敢えて騒いでいるとすれば、まだ救いはあるでしょう。それは〝八つ当たり〟の範疇(はんちゅう)で。
しかし この人が、本気で「カエルを黙らせろ」と血流を上げているとすれば、それは異常としか言いようがありません。
そこには「オレは絶対に正しい!だからオマエら、おれのストレスを何とかしろ!」との 理不尽な原理主義からくる〝排除の論理〟に他ならないところでしょう。
例え社会との関係を絶(た)ってでも、自分の要求を貫き通そうとする理不尽。
・・・・・。
この 呆(あき)れさせられた記事について「これって同じだよね」とLINEをくれた人が。
他でもなく、さきの「青木島遊園地存廃問題」で 共に遊園地の存続にむけて取り組んだ方(Aさん)でした。
Aさんは「カエルを黙らせろって?生命を営む者が必然的に出す音を絶(た)てなんて、そんな理不尽 ある?これって 青木島遊園地と同じじゃん。遊園地で遊ぶ子どもは、必然的に ある程度の音(声)は出てしまうもの。それを「うるさい 何とかしろ!」と騒いだのも、理不尽の最たるものだったよね。」と、今さらながら憤(いきどお)っておられました。
ちなみに さきの〝カエルの鳴き声訴訟〟は、(前掲のとおり)東京地裁が 原告側の請求を「カエルの鳴き声は自然の音の一つで、我慢すべき限度を超えているとはいえない」として棄却しています。
青木島遊園地についても、その初期対応の中で「子どもの声(音)は 子どもの成長に欠かせないもので、我慢すべき限度を超えているとはいえない」として 相手を説得(説諭)できなかったものかと、返すがえすも慚愧の念(ざんきのねん)新たなるところでありました。

さきの29日、個人の立場で 地域(県内)の公園について広く情報発信をされている人が 長野市に対し、行政が発信する情報が必ずしも市民ニーズに合っていないこと、そして 市民が探そうとする(検索しようとする)情報が、必ずしもスムーズに(市民の手に)届いていないこと(実態)が伝えられ、一同は「目からウロコが落ちる」かの指摘をいただいたのでした。
話しのキッカケは、公私共にお世話になるMさんからの一本の電話。
「ねえクラちゃん、私の孫娘の知人(Aさん)が インスタグラムで「公園情報」を発信しているそうなんだけど、その人曰(いわ)く「長野市がホームページを通じて発信している公園の情報が、公園を利用する子育てママさんのニーズに応えていない内容で〝使えない〟」とのことなの。この際は ぜひ改善してほしいとのことなので、対応してあげてくれない? 」とのことでありました。
いずれにしても行政事務に関することなので、Aさんには市役所へご足労いただき そこに所管課職員を呼んでお話しを聞かせていただくこととしました。
その際 当初は、公園を所管する公園緑地課だけを呼んでお話しを伺うこととしていましたが「市の情報発信にも課題アリ」とのAさんのご意見に鑑み、当日になって ホームページを所管する広報広聴課にも急きょ同席したもらったところ、そのひらめきが当たってくれ、総体的な面で有意義な意見交換の場となったのでした。
前掲のMさんのお話しのとおり、件(くだん)のAさんは インスタグラムを通じて、広く県内の公園に関する情報発信を重ねておられます。

タイトルは「nagano_park(ながのぱーく・公園と長野県が大好き)」で、4,000人をゆうに超えるフォロワー登録がある人気のインスタです。
で、フォロワーのほぼ100%が「子育て中のママ」であることも特徴となっていいるそうです。

Aさんは 県内にあるさまざまな公園に足を運んでは、それぞれの公園の場所や特徴・また遊具やトイレの情報などを〝利用者目線〟でレポートし、そこを利用する人(この場合は子育てママ)にとって有効な情報を発信しておられるそうです。
そして フォロワーである子育てママさんたちは、行きたい公園があれば このインスタを検索したうえで必要な情報を入手し、いわゆる予備知識をもったうえで遊びに行くことができているとのことなのです。
何というか、公園に行きたい子育てママさんにとって「痒(かゆ)いところに手が届く」ような有為な情報となっているそうです。
「nagano_park(ながのぱーく・公園と長野県が大好き)」インスタグラム
↓
https://www.instagram.com/nagano_park/
そんな、市民ニーズに応えたインスタを展開する Aさんからの長野市ホームページの評価は…
残念ながら「分かりにくいことこの上なく、欲しい情報が届かない」との 厳しい…というより「困ってます」との切実な声だったのでした。
Aさんを初め 多くの子育てママさんたちは、長野市のホームページ(HP)が発信する公園情報に対し 何とも言えないストレスを抱えておられるそうです。
特にAさんは、例えば長野市に嫁(とつ)ぐなどして 初めて長野市で暮らすようになって子宝に恵まれ、そんな中で(子育てに)孤軍奮闘するうちに公園情報が必要になった人が長野市HPを検索したらどう思うか…との まさに当事者目線に立ってモノ申しておられたのでした。
その前提に立っての子育てママさんたちのストレス。
それらを 私が聞いた限りで(ストレスを)列挙すると 下記のようになります。
先ず 長野市HPのトップページ。
子育て奮闘中のママさんにとって「公園」は 子育てに重要なステージであることから、公園に関して調べたいとき 先ずは「子育て」のバナーから入る傾向にあるそうです。
ところが…

子育てママのニーズで 子育て > 公園 の感性でクリックしても、そこには「公園」は存在せず、相談事業や給付などの支援策のみにつながるだけとなっています。

これはなぜか。
このサイト(子育て)が、所管(こども未来部)の情報のみに止(とど)まっているから。
公園のことは、ここ(子育て)では受け持っておらず、それ(公園)を知りたい人は そっち(都市整備部)が所管するサイトに行ってください ということになっています。
長野市HP自体が〝縦割り行政〟の域を出ていないことを示しているのです。
それでは と、長野市HPで「公園」で検索をかけると…。


検索結果には、市内の個別の公園の件がバラバラに列挙されており、初見の人にとっては 何がなんだか分からない情報が並んでいるだけなのです。

何とめんどくざいことに、長野市にある一定規模以上の公園を検索しようとしたときには「都市公園」で検索しないと到達しないのです。
初見の子育てママが「都市公園」なる行政用語を直ちに思いつくかどうか…懐疑的このうえないところです。

「都市公園」で検索すると、その何個目かの項目に「長野市内の都市公園」がようやく登場します。
ところが その先が また微妙に分かりにくい内容となっており、Aさん曰(いわ)くの「子育てママのニーズに合っていない」ものだったのでした。

「長野市内の都市公園」をクリックすると、そこには 市内の地区名が添えられた公園のバナーが多数に亘って並んでいます。
この掲載の仕方については われわれ長野市民は、何の疑問も無く許容するところですが、Aさんのいう「初めて長野市で暮らす人」にとっては 困惑させられる掲載じゃないか、と。
曰(いわ)く「長野市に初めて住んだばかりなのに「○△地区の公園」と言われても、そこがどこだか分からない」とのこと。
中には、笑えない笑い話しとして「大豆島」を「だいずじまってどこ?」と真顔で聞かれた事例もあったそうです。
この〝情報の列挙〟は、行政的情報伝達の最たるもの。
「整理はされていても分かりにくい」の典型との指摘であります。

そうは言っても検索を進め、例えば「川中島地区の公園」をクリックすると、それぞれ公園が一覧表で紹介されていますが、これとて 行政情報の域を出ていないとの指摘。
しかもこの一覧表、スマホ対応になっておらず いちいち横にスライドさせないと全容が把握されないようになっており、これが非常にストレスとのこと。
さらに、住所・所在地の次に「面積」が掲載されていますが、これって筆頭にもってくる情報なのか?市民(特に子育てママ)にとっては、備考程度の情報じゃないかとのこと。
行政にとっての序列じゃなく、市民ニーズを考えて情報提示してほしいとのことでした。ごもっともな指摘です。

また、その先をクリックすると(例えば御厨公園)、そこにはグランド部分が大きく掲載されており、アイキャッチ(視覚)に訴える情報としては あまりに物足りないものになっています。
ただ だだっ広いグランド部分を載せるだけじゃなく、現に遊具がある(それも更新しただかり)のに、その(遊具の)全体像を載せるとかしないと、市民(子育てママ)にとって魅力ある公園に映らないのではないかとの指摘でありました。

これだけの事例を挙げても、長野市のHPが 特定の目的を持つ市民のニーズに応え切れていないことが分かります。
そのうえで Aさんは更(さら)に、市民が目的をもって検索しても 載っている情報がバラバラで分かりにくいとの声が多いと指摘されていました。
これを公園に特化すると、例えば 子どもに人気の「フワフワドーム」が どの公園にあるかを検索したくても、個別に公園を検索して それ(フワフワドーム)があるかを調べなければならず、これがもし 公園のサイトに「フワフワドーム」がキーワードとしてあれば、ワンストップで検索できるのに…という指摘が多くあるそうです。

また、長野市(北国)ならではの特徴「トイレの冬季閉鎖」の情報についても指摘が。
「私たちは、別にトイレの冬季利用を求めているのではありません。(冬季に)使えないのなら、その情報を掲載しておいてもらいたいのです。」とのことでありました。
例えば トイレトレーニングの子を持つ最中(さなか)のママさんにとって〝トイレ情報〟は非常に大切で、使えると思って行ったトイレが閉鎖されていると 子どもが間に合わない事態にもなり、誤情報や無情報は非常に困る とのことです。
ちなみに 長野市は、今年の2月に ホームページをリニューアルしたばかりなのです。
より使いやすく分かりやすい情報媒体となれるよう、創意工夫を重ねてきたところでありました。
しかし 実際には。
公園という個情報に限ってみても、これほどの「使いにくさ」が指摘されるに至っています。


このこと(課題)は、何も公園に関してだけではないでしょう。
市とすれば、使いやすさを求めて改善したハズのホームページが、市民目線で しかも特定の価値観(目的)を持った人が検索すると、いつの間にか〝迷路〟に入り込んでしまうものであるとすれば、それは結果として評価されないモノになってしまいます。
そのうえで 今回の公園情報については、先ずは所管課が 情報内容の精査と掲載方法(ジャンル分けなど)に工夫することが求められたほか、それを市民ニーズに即して横断的に掲載する広聴広報課の裁量が求められるところであります。
「自治体のホームページは、行政情報であるが行政情報にあらず。それは「生活情報」でなければならない。」
改めて 情報発信の難しさを実感すると同時に、当事者感覚が いかに的を得ているかを再認識した、貴重な学びの時間でありました。
29日の報道で 長野市の荻原市長が、市の半ば一方的な都合で廃止した「青木島遊園地」について、その(廃止の)経緯について 庁内に委員会を設置したうえで検証することを表明したことが報じられました。

報道の内容は下記のとおりです。
近隣住民からの騒音への苦情などをきっかけに長野市が公園を廃止した経緯について、荻原健司市長は、近く庁内に委員会を設置し、検証する考えを示しました。
長野市が先月末で廃止した「青木島遊園地」をめぐっては、廃止に至る地元との合意形成が十分にできていなかったほか、関連する公文書が残されていなかったり、事実と異なる記載がなされたりするなど、市側の一連の対応に対して、地元住民や市議会から批判が相次いでいます。
29日の会見で、長野市の荻原市長は一連の経緯を検証するために近く、副市長をトップとする委員会を設置する考えを明らかにしました。
荻原市長は「検証によってどこが間違っていたかはっきりすると思う。場合によっては新たなマニュアルなども必要になると思う」と話していました。
また、廃止した公園に代わる新たな遊び場の計画案について、荻原市長は、今月行った保護者説明会や、近く行う地区住民への回覧での意見も踏まえて、7月末にも最終決定する意向を示しました。
この検証委員会が意味するものは何でしょうか。
市行政が、既に終わった行政事業について 改めてその経緯を検証することは、極めて稀(まれ)なことと申せます。
このことについて ある人は「青木島遊園地を廃止に追い込んでしまったことを反省するうえで、その経緯を検証することは評価できる」とおっしゃいます。
一方で ある人は「子どもの気持ちを無視して無理矢理(遊園地を)廃止しておいて、今さら何が検証だ。後になって検証する暇(いとま)があるなら、何で議論となっている時点で立ち止まって考え直さなかったんだ。これは市(市長)のパフォーマンスに過ぎない。」と言って(憤(いきどお)って)おられました。
いずれにしても、既に青木島遊園地は ただの更地(さらち)となってしまっています。
子どもの居場所は 大人の都合で奪われることになってしまいました。
何で こんなことになってしまったのか。

私は 今回の検証委員会は、それなりの意味を有していると思います。
長野市の〝歴史的な汚点〟となってしまった 遊園地の廃止を巡る経緯を振り返ることは、同じ過ちを繰り返さないようにするためにも必要な作業であろうと思います。

但し、です。
その検証が、どこをどう検証するのか で、それが真に市民の期待に応えるもの(検証結果)になるかどうかが分かれてくるのではないかとも思うところです。
概して 市(行政)の検証作業というものは〝手続き論〟に終始しがちな帰来があります。
行なった事業が、然るべきルールに則(のっと)り手続きされたものかどうかの検証。
ルールに基づいていれば ○、それを逸脱したり 即していなければ X。以上をもって検証とする。
ただ果たして 今回のように市民感情の機微(きび)に触れた課題について、そのような事務的な検証でイイのでしょうか。
私は違うと思います。
真に検証すべきは、一連の市(職員)の対応は、真に市民の「声」に応えたものであったのか。市民の心に響く対応だったのか。
そここそを「検証」すべきではないか。
が、会見で市長は やや気になる発言をされています。

「今後 検証の際に、どこの手順が間違っていたのか(を検証したい)」旨の発言が。
これは もしかしたら、私が懸念した(前者の)〝お役所的検証〟を示唆するものではないでしょうか。
「手順が間違っていたから 遊園地ひとつを廃止するだけのことが こんなに大きく問題視されることになっちゃった。だから今後は、行政事業を行なう際は「手順」を間違えないようにして、あらぬ揚げ足取りをされないようにしよう。」
そんな「検証」であるとするならば、それは 市行政のための検証であり、市民のための検証にはならないのではないでしょうか。
今回 いわば突然の形で表明された「検証委員会」この取り組みは、いわば市の姿勢 というより「本質」を表(あらわ)すこととなるでしょう。
どのような推移を辿るのか。
何のための検証か 誰のための検証か…大いに注視してゆきたいと思います。

27日、市役所庁舎において「議会と市民の意見交換会」が開催されました。
この行事は、長野市議会として「より市民に身近な議会の実現に向け 情報公開と市民参画及び市民意見の把握と反映に努めると共に、議会での議論の経過と議決に関する説明責任を果たす」ことを主旨として行なわれているものです。
昨年度からはオンラインによる参加方法を追加して開催しています。

長野市議会においては、4つの常任委員会(総務委員会・福祉環境委員会・経済文教委員会・建設企業委員会)ならびに4つの特別委員会(災害対策等調査研究特別委員会・観光戦略調査研究特別委員会・公共交通対策調査研究特別委員会・水道事業広域化調査研究特別委員会)があるのですが、この意見交換会では テーマを絞ることのできる「特別委員会」について〝分科会方式〟で行ない、それぞれの特別委員会の取り組み課題について関心のある方々を参加者として募り 意見等を伺う中で市政運営に役立てさせていただこうというものです。
私は今期「災害対策等調査研究特別委員会」に所属していることから、同特別委員会の意見交換会に参加しました。
議員間の任務分担の中で 記録係を受け持ったことから発言は叶いませんでしたが、参加された市民の方々の意見を記録する中 参加者各位の識見の高さと、それぞれ発言内容は異なるものの その通底にある〝共通点〟のようなものを実感しました。
参加者さんの発言内容は 概ね下記のとおりです。
「災害対応は、行政・社協・NPOの三者連携 日頃からのコミュニケーションが大事。このことは令和元年東日本の際に実感した。互いに支え合わなければならない」
「この度 住民パワーで新たに自主防災会を発足させた。先ずは地区全体のタイムラインをつくってゆきたい」
「災害対応について、県⇔市が適切に連携してほしい。排水機場について、未だ全機が稼働できてない地区の対応・設備(排水機場)/市が所管⇔堤防/県が所管 と所管が違い、設備は改善されても堤防の高さが改善されていないなど「ちぐはく」な状況にあるので連携を。また排水機場の操作について判断基準や手順が煩雑なのでもっとシンプルにしてほしい」
「さきの令和元年東日本台風の『長野市災害記録誌』を読むと「災害関連死」についての分析が見られない。「命の灯を消さない取り組み」が見られない。それ(災害関連死)を防ぐ議論があったのか。また、在宅避難への支援・障がい者など 弱者への議論が見えない。「こぼれ落ちそうな方を救う議論が必要」


[参考]令和元年東日本台風 長野市災害記録誌
↓
https://www.city.nagano.nagano.jp/documents/668/363607.pdf
「災害弔慰金について、死亡理由など「背景」は公表されているが、そのうえで次にこのようなことが起きないよう検証と対応が重要」
「災害対策と避難所対策は一連の流れの中にある。せっかく助かった命を その後の生活の中で失なうことのないように支援が必要」
「福祉避難所について、学校体育館の指定はやめてもらいたい。学校については、市職員が派遣はされるものの(施設側としては)主に日直と教職員が対応する。しかし教職員に避難所運営のスキルは無く、避難者・施設の双方に負担感が増す。また学校でコロナやインフルなどリスク発生の際には 避難者と生徒の双方に大きな被害(感染拡大)が出るリスクが高い。また発災後に帰宅したくても、応急危険度判定員の判定が無ければ戻れないので、それら人材の把握と育成を」
「盲学校については、機材やスタッフも代わりがいないので 避難所には適さない」
「観光客の避難対応について、所管は観光課だが 危機管理課とどう連携しているのか」
「堤防は日常的に多くは軽車両の通行に止まり、脆弱なまま。敢えて多くの車両を通して転圧を進め強靱化すべき。大型車両の交互通行で強靱化を」
「柳原地区は水害のメッカ。避難用ボート(小舟でいい)の配備を」
「上水道が使えないときのために、井戸の活用をすべき。現状把握と配備を」
「福祉避難所について、原則は 小学校などの一時避難所から随時移行することになっているが、R3から国が方針転換したこともあるので、条件の合う人は 最初から福祉避難所へ行けるようにすべき。ほとんどの自治体は「先ずは一時避難所へ」の方針が変わってないので、大きな台風を経験した長野市は、先駆けて最初から福祉避難所へ行けるようにしてほしい」

「女性の立場で、乳幼児を抱えた女性に配慮を。避難などのマニュアルは改善されているが、読みやすい簡易な資料を作成して」
「近年 オートキャンパーが増えており、自炊の技などの災害時の活用に期待できるので、それらを契機に若い人たちにも防災に関心をもってもらうようにしたら」
「ペットの同行避難は、避難所までは行けるが 飼育はあくまで外でしなければならず、室内飼いの飼い主は避難所へは入らない。今後は 同行避難から「同伴避難」へ進化させて。ただ 犬猫嫌いやアレルギーもあるので、南北の運動公園などで棲み分けを」
「防災無線は聞こえないので個別(戸別)無線機の装備を。また、災害情報の際には 対象エリアを細かくしてほしい」
「災害の重点点項目に「自助・共助」はあるが「公助」が無いのでは」
「危機管理部門だけではできない問題がある。行政は「縦割りから横割へ」の意識改革を。そのために議会が機能すべき」
「防災アプリについて。長野市は立ち上がりが遅く情報まで1分以上もかかる」
「在宅避難・措置避難の支援を。そのために 障がい者や避難困難者を対象にした訓練を行なうべき」
「災害情報について。アプリに統一性が無く、結局いろいろなサイトを見なければならなくなる」
「基地局がやられると、アプリに頼った体制はマヒする恐れ。またスマホバッテリーについて 例えば個別の安否確認だけでスマホのバッテリーが終わってしまうので、ワンストップで確認できるサイトの設営・併せてスマホの充電箇所の充実を」
「災害備蓄庫の中身が古いままなので、点検を」
「意見交換会の展開を、発災前・発災時・発災後に分けて(整理して)行なうべき」
「地震多発の昨今、家具固定の啓発など「市民ができること」の啓発を」
「災害の状況によっては対応が異なる。実情に合わせた防災訓練を行うべき」
「今回の意見交換会は、単なる要望や意見陳述に止まり 行事の主旨に即していないのではないか。次回から改善を求める」
等 でありました。
参加者の方々のご意見を拝聴するうち、ある〝共通点〟に気づかされました。
それは、災害対応について それぞれの方々は、インフラ整備などのハード事業を求めているというよりも、いわゆる人為(じんい)に基づく ソフト面の充実を求めているところであります。
例えばご意見の中で、一見「排水機場の整備」とのハード事業を求めているように感じ取られる内容も、ヨク聞けば「県と市の連携を求める」ものであり、避難所運営についても 福祉事務所の運営について合理的な行政判断を求める などとしています。
とりわけ 私が印象深かったのは「災害関連死」の話題でありました。
大災害が発生した際、行政などの関係者は 先ずはインフラ整備などのハード面の復旧に傾注します。これはこれでやむを得ないところですが、災害というものは、発災→社会インフラ復旧 が集結点ではない。
むしろ 被災者の困難は、その後から始まるのではないか。
そして〝その後の生活〟の中で 立ちゆかなくなったり 体調を崩すなどして、せっかく災害を乗り切った身体に 後になって重大な心身の耗弱がもたらされるとすれば、そんな残念なことはありません。
行政は〝その後〟にまで温かい心をもって接し、被災した人が 引き続き生命(いのち)を長(なが)らえることができる支援に努めるべきである。
そういう面からして、私は 災害対応に「福祉」の視点が欠かせないのではないかと思いを新たにしました。
当事者の立場に立って(被災者に)寄り添うこと・社会生活に限界のある人たちを支える「心」をもって接すること…自然災害からの復興(復帰)は「自己責任」が基本であります(これについても釈然としないものはありますが)が、そのうえであるにしても 被災者を福祉する視点で対応策を講じることこそが、行政(政治)に求められていいることを再認識させられました。
今回の参加者の方々は、非常に高い識見とスキルをもって「災害」という事象に向き合っておられることを実感しました。
私たち議会の者は、かかる市民の方々の高い社会関心を受け さらなる努力を重ねてゆくべきことを大きな成果(=課題)として受け止めたところでありました。
中野市で発生した重大事案の陰(かげ)に隠れた格好になっていますが、かの事案と同じ日(25日)の朝、長野市の小学校に男が侵入し 男子児童に液体をかけた事案が発生しているのは ご案内のとおりです。
(前掲の)中野市の事案に比すれば およそ大したことの無いように見える事案でありましたが、見方によっては 周囲のさなざまな影響が及ぼされることを思わされたところであります。
事件は、25日朝 長野市南部の小学校の校門付近で発生しました。
長野冬季オリンピックの開閉会式だった「南長野総合運動公園(オリンピックスタジアム)」の近接にある小学校です。


報道によると、25日(火)朝の自由時間のとき 児童たちが校門付近で「かくれんぼ」をして遊んでいて、チャイムが鳴った(8:15)ので校舎に入ろうとしたときに 男が敷地内に侵入し、児童たちを追いかけまわしたうえ 中の1人(低学年男児)にペットボトルのような容器に入った黄色い液体を服にかけ逃げたということです。
男子児童は救急搬送されましたが、ケガはありませんでした(後に液体は「お茶」であることが判明)
通報を受けて付近を捜査していた警察官が 通報から約3時間後に、付近を歩いていた(侵入したと覚(おぼ)しき)男を発見し、事情を聴きました。が、男に知的障がいがあることが判り その後は保健所と連携して対応しているとのことです。
なお 学校の入り口は正門の1ヶ所のみで、男はそこから侵入したとみられています。

今回の案件は、外部と素通しになっている校地内で発生しました。
この小学校は 入り口は1ヶ所のみですが、そこは門扉が閉じられているワケでもなく いわば開放してある状態でしたから、誰でも出入りできる状態にありました。
そのうえで、学校建屋の入り口(事務室)には受付簿や 受付を経て校内に入っていることを証明する札(ふだ)のようなものがあり、そこ(建屋入り口)でセキュリティを維持するようになっており、この(管理)状況は 市内の殆(ほとん)どの学校がそうなっているようです。
学校 とりわけ小中学校における第三者の侵入事案は、全国的に少なからず発生しているところであります。過去には 他市で児童生徒や教職員など関係者の身体生命を脅かす事案(事件)も起きていることから、長野市においても注意を怠りなくすべきことは当然のところであります。
また、今回 児童の身体にかけられた液体は「お茶」だったからよかったようなものの、これが強酸のような毒性や刺激性の強い液体であれば 皮膚等に重大なダメージを及ぼすようなことにもなり、そういう点でも予断ならないところでありましょう。
そのような〝防犯〟の面からいえば、今後は よりセキュリティを厳しくし、第三者がみだりに校地内に入ることができない仕組みをつくることが求められているのかもしれません。
一方 地域に在する学校と地域住民との関わりも大切なことであり、何でも無碍(むげ)に立ち入り禁止とすることがヨシとも言えないとも思うところです。
例えば知見を有する地区住民の人が学校を訪れ、児童生徒にさまざまな経験値を伝える〝教育ボランティア〟などは、児童生徒にとって「生きた教材」であり、大いに歓迎すべき取り組みでもあります。
いずれにしても 学校における「開放」と「セキュリティ」の難しさを再認識させられたところでありました。
そんな中、さきに示された「青木島こども未来ビジョン」の中には 青木島小学校の〝地域への開放〟が大きく謳(うた)われており、このことについて 今回の事案等に鑑み〝不安視〟する声が寄せられています。

地域の子どもの居場所でもあった「青木島遊園地」を市の一方的な都合で廃止したあげく、その〝名誉挽回〟とばかりにブチ上げられた「青木島こども未来プラン」ですが、その遍所(へんしょ)に〝無理〟があることが指摘されており、このまま計画を進めれば 結局こどもたちにリスクを負わせることになってしまうのではとの厳しい指摘が寄せられています。
そういう観点で寄せられた不安の一つが「地域等への開放」です。

その(不安の)通底には、何だか長野市は この計画について美辞麗句を並べ「(計画は)良いとこばかりですよ。」と宣伝ばかりをしているのではないかとの不信感があるのです。
この「地域等への開放」についても、今回起きてしまった〝侵入事案〟のような不測の事態への対応は想定しているのか?イザというときに児童生徒をどのように守ってゆくとの裏付けはあるか?など 不明な点が多く、直ちに計画を容認することはできないというのが 保護者の方々の本音でありましょう。
市行政サイドにおいては、お題目ばかりを並べるのではなく 本当に関係者が安心できる裏付けを示したうえで(市民に)向き合うようにしないことには、またぞろ〝絵に描いた餅〟の誹(そし)りを免れません。
とりわけ「青木島こども未来プラン」の起案者においては、それらも踏まえて 関係者に真に安心・納得してもらえる〝プラン〟を示すことが強く求められるところです。
さて ところで、今回の案件の中で 私はもう一つの問題を感じ取らされたものでした。
小学校に〝侵入〟した男性(A者)のことです。
報道によると、このA者は 知的障がい者であったとのこと。
さすれば このA者、もしかしたら悪意をもって〝侵入〟したんじゃなかったのではないか。
通りかかった小学校の門前で、何やら子どもたちが 楽しそうにかくれんぼ遊びをしている。
自分も仲間に入りたいと思ったけれど、うまく自己表現ができないままに感情ばかりが高まって校地内に飛び込んでしまい、勢いで 手にしたペットボトルの液体(お茶)をふりかけてしまった。
やや性善説に過ぎるとは思いますが、私とすれば いわゆる「悪気は無かった」うえでの行き過ぎた行為であったと解釈する(したい)ところであります。
前述のとおり 知的障がい者さんにおいては、自己表現やコミュニケーションの仕方が上手(うま)くできないことから、ときに周囲に誤解されたり 場合によっては悪意をもって受け止められることもあり、その対応は難しいところであります。
今回の事案も そんな難しい(ややこしい)状況が重なり合って起きてしまったと考えられるところであり、それらをもってしても 対応の難しさを実感させられました。
5月のある日 突発的に起きた事案は、私たちにさまざまなことを考えさせることとなったものでありました。