暑い。とにかく暑い。
と、さきに投稿したところですが…それからも相変わらず暑い日々が続いています。
連日に亘り、日中は35℃を超えん(超えた)とする高温が続き、まさに辟易(へきえき)とするほどです。
「暑いですね。」と口にするのが面倒になるほどの暑さ…望まざるに拘わらず もうしばらくの間は続くようであります。
あ~暑い。
そんな中 この猛暑に思わぬところが影響を及ぼされていることを知り、それほどまでに暑いことを再認識させられました。
報道によると、この暑い気候に伴い「保護猫」が増えているというのです。
長野市保健所の「動物愛護センター」には、ここのところ 保護猫の持ち込み(救助搬送)が増えているとのことです。
保健所が野良猫を保護するのは、ケガや病気をしている場合や 親からはぐれたりした子猫などがほとんどで、去年 長野市保健所が保護した子猫は繁殖期後半の6月に39匹・7月に14匹だったそうです。
それが今年は、6月には11匹だったものの 7月は29匹に急増したとのこと。
で、そのうち6匹が〝熱中症の疑い〟で 弱っていて保護された猫だそうです。
通行人が 路上や街角でグッタリしている猫を見かけ、そのまま放置するには忍びなく 保護して保健所に搬送してくださっているそうなのです。
そのまま放置されていれば 暑さに任せて(熱中症で)死んでしまうところでしたが、心根の優しい通りがかりの人に見つけてもらい、寸(すん)でのところでかけがえのない命を助けてもらいました。先ずは ひと安心といったところでしょう。
長野市保健所動物愛護センターによると、保護した猫には 先ずは熱中症の治療を施すことになり、そのため 本来の目的である「譲渡」までには時間がかかってしまうため、譲渡活動が進まずに保健所で抱える猫の頭数が増えてしまっている状況になってしまっているとのことです
マ ただ、猫とはいえ 健康が第一であることから、熱中症の症状を改善し できる限り元気な状態(体調)で譲渡の展示に臨ませ、一人でも多くの方々に引き取ってもらえるよう最善を尽くしているそうです。
猫は自由な生き物の代表とされ、その気ままな行動が ある意味で〝魅力〟となっています。
また 猫は、より快適な場所を探し出しては そこでくつろぐ特技があることから、例えば自宅で猫を飼っているときには「猫のいる場所(=快適な場所)を探せ」と言われるほどの〝処世術〟を身につけていると言われていますが、そんな猫であっても この暑さには勝てないということでしょうか…このニュースに触れ ますます今年の夏の暑さを再認識させられました。
冒頭でも述べましたが、この「暑さ」は ときに重大な健康被害をもたらす怖さをもっています。
猫も人も、あともう少しの期間とはいえ 猛暑に負けてどうにかならないよう、それぞれに体調管理を怠りなくして乗り切ってゆきたいものです。
通りがかりの猫を呼び止めてアドバイス というワケにもゆきませんが、せめて日陰に入って自己防衛してくれよ、と思うところであります。
(写真は資料)
19日付の信濃毎日新聞に(WEB記事も同)長野市保健所のK所長が「長野県の平均寿命の都道府県別順位が後退したのは、病死に加えて若年者(じゃくねんしゃ)の自殺の増加も影響している」と分析した論文をまとめたことが掲載され、少なからずの衝撃をもって受け止めました。
記事は、厚生労働省が5年に1回発表している「都道府県別平均寿命」で、昨年12月に発表された2020年は 長野県の女性が前回15年の1位から4位に、男性は3回連続の1位から2位に落ち込んだことを序文としています。
そのうえで、その要因として「30歳未満の若年層の死亡が多いことが影響している」との論文を 長野市保健所の所長で 社会医学系指導医でもあるK氏がまとめたとのこと。
そして 注目すべき(せざるを得ない)のが、かかる若年層の死亡原因が 病気や不慮の事故に加え「自殺も増加した」と指摘していることであります。
最新の2020年の平均寿命は 長野の男性が82,68歳(全国平均81,49歳)で全国2位・女性が88,23歳(同87,6)で全国4位だったそうです。
年齢別死亡率を見ると、今回女性の平均寿命が1位だった岡山と比べて長野の女性の死亡率は15~16歳では低いものの、5歳や22歳の周辺で特に高かった。また 男性は5歳や19歳の周辺で1位の滋賀と比べて特に死亡率が高く、30歳以上の年代ではそれぞれ死亡率の傾向は似ていたとのこと。
他方、長野の年齢・死因別の死亡数(3年平均)をみると、女性の20~24歳は自殺が15年比で2倍の8,7人に、病死は同2,6倍の6人にそれぞれ増加。5~9歳では病死が同2,5倍の3,3人となったそうです。
男性は、20~24歳で自殺が15年と同数の14,3人で高止まりしており、15~19歳では自殺が15年比で1,5倍の11人だったとのことです。
これまで、長野の男女の主な死因は 戦前が結核・戦後は脳血管疾患・現在は癌(がん)へと変化してきました。
かつて(1965(昭和40)年頃)の長野の平均寿命全国順位は 男性9位・女性26位でしたが、その後 住民を巻き込んだ保健活動を展開したことや、長野は他県と比較してがんの死亡率が低かったことから 男性は90年から2010年まで5回連続で1位・女性は10年/15年と2回連続で1位で「長寿県ナガノ」を全国に知らしめることとなりました。
それが ここ最近は凋落傾向にあり、その要因の一つとして考えられるのが「若者の自殺」とは…
高齢者が長生きできないことに加え、若年者が自らの人生にピリオドを打ってしまうことが現実してあることが改めて明らかになったことに、慚愧の念を新たにするところです。
論文の中でK所長は「高齢者が〝健康長寿〟のイメージで知られる県内で、若い人たちが「生きづらさ」を抱えている実態が明らかになっている」と指摘したうえで「若年層の死亡率が増えている原因や背景について考え、どうすれば減らすことができるか 皆で考えることが重要だ」としています。
特に「夏休み明け」は自殺が増加する傾向にあることから、K所長は「子どもや若い世代が命を失わないための対応を強化することが重要だ」とも訴えておられました。
記事はさらに長野県の対応を掲載しています。
県保健・疾病対策課によると、県内の未成年者の自殺死亡率は全国平均を上回って推移しているとのこと。
2021年は4,8人で 全国47都道府県の中では6番目に高く、2017~2021年の5年間について見ると 県内の未成年者の自殺者のうち原因や動機が特定された人では、学業不振・親子や家族関係の不和・統合失調症・就職の失敗や生活苦の割合が全国平均より多かったとのこと。
こうした状況を受け、県は2018年に知事や専門家・教育関係者らが自殺対策を検討する「子どもの自殺対策プロジェクトチーム」を創設、2019年には地域の支援者を多職種の専門家で支援する「子どもの自殺危機対応チーム」を設置しました。
第4次自殺対策推進計画(2023~2027年度)では 20代の若者を含む働く世代へのハラスメント防止・長時間労働是正への支援などを盛り込んでいます。
そのうえで 県保健・疾病対策課同課は、なぜ県内の未成年者の自殺死亡率が全国平均より高い傾向が続いているのか「明確な原因は分からない」とし、このことが対策を難しくしている一因としているとのことでありました。
この度の 長野市保健所K所長の論文は 単に長野県の平均寿命低減を嘆くだけでなく、その要因について鋭くメスを入れたうえで「若年者の自殺」を明確に指摘、関係者に強い警鐘を与えるものとなりました。
まだまだ前途有為な若者が、自ら人生の幕を下ろしてしまう現実は 非常に憂うべきものであり、それをどのようにしたら防ぐことができるか…哲学的な観点を含め、私たちに実に難しい問題が突きつけられていると申せます。
これを直接的に 政治が行政が即座に何とかできるものではありませんが、K所長の述懐にあるとおり、せめて若者たちが感じる「生きづらさ」を軽減してあげられるような社会環境を構築してゆくことに努力を惜しまないこと、そして その姿勢を示すことで若者の理解を得ることができればとも思うところです。
※厚生労働省が自殺防止のためホームページで紹介している主な相談窓口は次の通りです。
▽いのちの電話
(0570)783556(午前10時~午後10時)
(0120)783556(午後4~9時、毎月10日は午前8時~翌日午前8時)
▽こころの健康相談統一ダイヤル
(0570)064556(対応の曜日・時間は都道府県により異なる)
▽よりそいホットライン
(0120)279338(24時間対応)
19日付の信濃毎日新聞に(WEB記事も同)長野市保健所のK所長が「長野県の平均寿命の都道府県別順位が後退したのは、病死に加えて若年者(じゃくねんしゃ)の自殺の増加も影響している」と分析した論文をまとめたことが掲載され、少なからずの衝撃をもって受け止めました。
記事は、厚生労働省が5年に1回発表している「都道府県別平均寿命」で、昨年12月に発表された2020年は 長野県の女性が前回15年の1位から4位に、男性は3回連続の1位から2位に落ち込んだことを序文としています。
そのうえで、その要因として「30歳未満の若年層の死亡が多いことが影響している」との論文を 長野市保健所の所長で 社会医学系指導医でもあるK氏がまとめたとのこと。
そして 注目すべき(せざるを得ない)のが、かかる若年層の死亡原因が 病気や不慮の事故に加え「自殺も増加した」と指摘していることであります。
最新の2020年の平均寿命は 長野の男性が82,68歳(全国平均81,49歳)で全国2位・女性が88,23歳(同87,6)で全国4位だったそうです。
年齢別死亡率を見ると、今回女性の平均寿命が1位だった岡山と比べて長野の女性の死亡率は15~16歳では低いものの、5歳や22歳の周辺で特に高かった。また 男性は5歳や19歳の周辺で1位の滋賀と比べて特に死亡率が高く、30歳以上の年代ではそれぞれ死亡率の傾向は似ていたとのこと。
他方、長野の年齢・死因別の死亡数(3年平均)をみると、女性の20~24歳は自殺が15年比で2倍の8,7人に、病死は同2,6倍の6人にそれぞれ増加。5~9歳では病死が同2,5倍の3,3人となったそうです。
男性は、20~24歳で自殺が15年と同数の14,3人で高止まりしており、15~19歳では自殺が15年比で1,5倍の11人だったとのことです。
これまで、長野の男女の主な死因は 戦前が結核・戦後は脳血管疾患・現在は癌(がん)へと変化してきました。
かつて(1965(昭和40)年頃)の長野の平均寿命全国順位は 男性9位・女性26位でしたが、その後 住民を巻き込んだ保健活動を展開したことや、長野は他県と比較してがんの死亡率が低かったことから 男性は90年から2010年まで5回連続で1位・女性は10年/15年と2回連続で1位で「長寿県ナガノ」を全国に知らしめることとなりました。
それが ここ最近は凋落傾向にあり、その要因の一つとして考えられるのが「若者の自殺」とは…
高齢者が長生きできないことに加え、若年者が自らの人生にピリオドを打ってしまうことが現実してあることが改めて明らかになったことに、慚愧の念を新たにするところです。
論文の中でK所長は「高齢者が〝健康長寿〟のイメージで知られる県内で、若い人たちが「生きづらさ」を抱えている実態が明らかになっている」と指摘したうえで「若年層の死亡率が増えている原因や背景について考え、どうすれば減らすことができるか 皆で考えることが重要だ」としています。
特に「夏休み明け」は自殺が増加する傾向にあることから、K所長は「子どもや若い世代が命を失わないための対応を強化することが重要だ」とも訴えておられました。
記事はさらに長野県の対応を掲載しています。
県保健・疾病対策課によると、県内の未成年者の自殺死亡率は全国平均を上回って推移しているとのこと。
2021年は4,8人で 全国47都道府県の中では6番目に高く、2017~2021年の5年間について見ると 県内の未成年者の自殺者のうち原因や動機が特定された人では、学業不振・親子や家族関係の不和・統合失調症・就職の失敗や生活苦の割合が全国平均より多かったとのこと。
こうした状況を受け、県は2018年に知事や専門家・教育関係者らが自殺対策を検討する「子どもの自殺対策プロジェクトチーム」を創設、2019年には地域の支援者を多職種の専門家で支援する「子どもの自殺危機対応チーム」を設置しました。
第4次自殺対策推進計画(2023~2027年度)では 20代の若者を含む働く世代へのハラスメント防止・長時間労働是正への支援などを盛り込んでいます。
そのうえで 県保健・疾病対策課同課は、なぜ県内の未成年者の自殺死亡率が全国平均より高い傾向が続いているのか「明確な原因は分からない」とし、このことが対策を難しくしている一因としているとのことでありました。
この度の 長野市保健所K所長の論文は 単に長野県の平均寿命低減を嘆くだけでなく、その要因について鋭くメスを入れたうえで「若年者の自殺」を明確に指摘、関係者に強い警鐘を与えるものとなりました。
まだまだ前途有為な若者が、自ら人生の幕を下ろしてしまう現実は 非常に憂うべきものであり、それをどのようにしたら防ぐことができるか…哲学的な観点を含め、私たちに実に難しい問題が突きつけられていると申せます。
これを直接的に 政治が行政が即座に何とかできるものではありませんが、K所長の述懐にあるとおり、せめて若者たちが感じる「生きづらさ」を軽減してあげられるような社会環境を構築してゆくことに努力を惜しまないこと、そして その姿勢を示すことで若者の理解を得ることができればとも思うところです。
※厚生労働省が自殺防止のためホームページで紹介している主な相談窓口は次の通りです。
▽いのちの電話
(0570)783556(午前10時~午後10時)
(0120)783556(午後4~9時、毎月10日は午前8時~翌日午前8時)
▽こころの健康相談統一ダイヤル
(0570)064556(対応の曜日・時間は都道府県により異なる)
▽よりそいホットライン
(0120)279338(24時間対応)
この日(17日)は、市議選を控えて前倒しで行なわれた 長野市議会9月定例会の常任委員会(福祉環境委員会)が行なわれ、委員の立場で出席しました。
この議会で 福祉環境委員会の関連議案としては、補正予算として 現下の諸物価値値上げ傾向に鑑み、住民税所得割非課税世帯などの いわゆる生活弱者の方々(世帯)に対する「物価高騰特別対策支援金(2万円/世帯)」をはじめ「冬季光熱費助成金(1万円/世帯)」また子育て世帯に対する「生活支援特別給付金(3万円/子ども)」・子ども(18才以下)全員に1万円を支給する「ながの子育て世帯臨時特別給付金」などがあります。
これらの支援金については、速やかな支給が求められるところです。
また 事業としては、子ども(小中学生)に体験や学びの場を提供するために 子ども1人あたり1万円の電子クーポンを配布する「子どもの体験・学び応援モデル事業(総額3億6,4600万円)」や、保育園で出る紙オムツについて これまでの保護者持ち帰りを止め保育園が回収(市が処分)する「保育所等使用済みおむつ処分事業(総額1.862万9千円)」などがあります。
今回の議会ならびに常任委員会は、私たちにとって任期最後の議論の場となります。
そこで私は、これまでの取り組みの検証と 今後に向けた〝宣言〟を含めて発言を行ないました。概要は下記のとおりです。
◇「子どもの体験・学び応援モデル事業」について
このことについては 7/25付のブログでも触れていますが、事業そのものの意義は理解するものの どうにも〝バラまき感〟が否めず、また 一時的な体験支援によって、経済的に厳しい世帯は 子どもが体験によって「やる気」を出すことで、その後の家計負担が増える・または それ(家計)を理由に子どもに〝その後〟を断念させるような「罪つくり事業」になりはしないかと懸念を述べたうえで、今回は 事業の効果測定などを行なうとのことだが、事業を始める以上は(継続支援により)最後まで責任をもつくらいの覚悟をもたなければならない旨を指摘しました。
[参考]7/25付のブログ記事
↓
https://blog.goo.ne.jp/kz2df777/d/20230725
◇知的障がい者支援について
さきの議会で指摘した、授産施設「空風」に設置されるも未稼働状態が続いている いわゆるレトルト機械(高額機械)について、その後の状況を確認しました。
所管課(障害福祉課)によると、7月末に部長以下職員で現場確認を行ない 経年による水漏れなどの修理の完了を確認、8月末には稼働(出荷)する計画とのこと。
施設においては利用者さんの就労希望を募ったところ、1名から希望があり そこに職員(1名)を配置して製造にあたる予定とのことでありました。
この報告に対し 私が今後の機械をどのように「活用」する計画なのかと問うたところ、所管課は 製品を製造するという事実(計画)や 出荷する相手先などの説明に終始していたのでした。
私が聞きたいこと(求めていること)は、そこじゃないんだ。
そもそも この(高額)機械は、利用者(障がい者)さんの社会環境の向上のために設置されたハズであることから、機械が再稼働したことで 利用者さんの工賃(収入)が上がらなければ何の意味も無いことになります。
製品の出荷や納入先などは二次的な成果であり、先ず目指さなければならないのは この機械の再稼働によって(利用者さんの)工賃を上げることにあることに気づいてもらいたい(価値観を改めてもらいたい)のです。
また、これだけ(総額 約1,000万円)もの機械を投入して、そこで働く利用者さんが たったの1名ということも、果たして投資に見合っているのかと指摘せざるを得ません。
施設側は「あくまで利用者の意向に沿って」を大義としていますが、単に〝手上げ〟だけで作業を募り 結果「1名でした」で看過していいものでしょうか。これだけの機械を設置している以上は、1人でも多くの利用者さんが作業に参加し それが工賃アップにつながるよう努力してこそ利用の目的(税金の適正支弁)につながることから、事業主体には最大限の努力を行なうべきでありましょう。
この件に対する所管課の答弁が、製品を製造することが「成果」であると捉えて答弁したことに鑑み 私は、他の施設においても 受注した役務(印刷)について、障がい者さんの手を経ずに 民間業者に〝丸投げ〟して製品だけを整え納品し、それでヨシとしている実態を引き合いに出し「障害者優先調達支援法」が 間違った解釈のうえで運用されていることを指摘しました。
このことについては後日に譲ることとしますが、この日の発言のまとめとして次のように述べたところです。
発注元の行政体や受注する施設等は「障がい者施設に発注さえすれば・その結果製品さえ納入されれば それでヨシ」としているようだが、それは真の障がい者支援につながっていないことを自覚してほしい。
本来の 法(障害者優先調達支援法)の目的は、障がい者施設に発注することで「役務」が生じ、それによって 利用者さんの工賃が上がり、役務を通じて経験値を得たうえで〝やり甲斐〟を感じてもらうことではないか。
しかし実際は 全く違う解釈になっている。
少なくとも長野市においては、障がい者支援における価値観(成果)について「どのくらい作ったか」ではなく「どのくらいの利用者さんに どのくらいの恩典を供することができたか」と捉え、すべての事業について「障がい者さんのために」をコンセプト(基準)として業務に臨んでもらいたい。
そのうえで、現下の知的障がい者支援事業においては 虐待や偏(かたよ)った施設運営など、表(おもて)に出ていない課題(問題)が山積していることから 今後も継続的に検証してゆく旨を述べたところです。
◇「青木島こども未来プラン」について
このことについては、さきに一方的に廃止された「青木島遊園地存廃問題」に端を発し、その後の子どもの居場所を巡って〝大風呂敷〟が敷かれたものの その中身は問題だらけとなっており、それは いわば「新たな地域の社会問題」として注目されているものです。
この経過については、さきのブログでもレポートしていることから詳細は割愛するところですが、いずれにしても 無理を承知で無理な計画を進めようとしていることは周知のところであり、そんなゴリ押しを 市民の一人としても軽々に認めるワケにはゆきません。
[参考]過去のブログレポート
↓
2023年7月20日のブログ記事一覧-倉野立人のブログです。
そんな中、この日の所管部長(こども未来部長)や所管課長(こども政策課長)の口からも「現状のまま計画を進めるのは難しい」との発言が聞かれ、市の方(ほう)も ようやくそのこと(無理なこと)を認めざるを得なくなったことが窺(うかが)われました。
私の方からは、次の何点かについて質(ただ)し 答弁がありました。
Q,青木島こども未来プランの実施期限をどう考えるか。
A,期限にこだわることなく さまざまなご意見をいただきながら考えてゆきたい。
Q,小学校の集会室をそのままセンターに使うのは無理があると思うがどうか。
A,集会室は 他の活用もありセンター専用とするのは無理があるので、他の空き教室・余裕教室も念頭に検討している。
Q,今の青木島児童センターで 何ら問題なく児童保育が行なわれていることから、今の体制を維持すべきと考えるが。
A,今後の状況に応じ検討してゆきたい。
特にA=答弁 については記述を要約しましたが、概して〝言語明瞭 意味不明瞭〟的な いわゆる苦しい答弁に終始していたものでした。
そこで改めて私は 明確に述べました「将来に向けた 子どもたちの保育環境が完全に整うまでは、今の青木島児童センターの運営を維持すべきである」と。
市の説明を聞くと、あくまでセンターを校内に移設することに拘泥しており その理由として「安全に放課後施設に行ける」とか「送迎の車両が混雑する問題がある」を言っていますが、少なくとも青木島児童センターにおいては、何の危険も無く移動できており・送迎車両も関係者の努力により何の支障も無く取り回されています。
市による早期移転計画は、相変わらず子どものためでは無く〝大人の都合(事情)〟なのです。
そのうえで私は、市民グループ(地元ライオンズクラブ)が、ボランティアで 今の児童センター園庭整備に取り組んでいることも引き合いに出し、多くの市民が 現有の青木島児童センターの維持存続を願っていること、そして そのこと(青木島児童センター存続)こそが、真の児童福祉に叶うことであることを改めて述べたところです。
そのうえで(それに加えて)2点を申し上げました。
先ず1点は、青木島児童センターの児童支援に向けた職員体制について。
児童センターにおいては、健全な児童保育(福祉)向上のためには 適切な職員体制で臨むべきところであるが、青木島児童センターにおいては そのこと(職員体制)について問題が生じていると側聞している。このことを市は把握しているのかと問うと。市は首を縦に振りました。
と、なると です。
本来の人事権は市社会福祉協議会にあるものの、所管する立場の市(こども未来部)としても適切に関与し、あくまで子どもたちにとって何が最善かを共に考え善処するよう意見しました。
また 青木島児童センターの遊戯室へのエアコン設置について、先ず 青木島児童センターとして活用されている建屋は 今後どうなるのかと問うたところ、将来的に活用方法が変わっても建屋は残すとのことでありました。
と、なると です。
万が一 建屋を潰すとなれば無駄な投資になるけれど、今後も(建屋を)残すのであれば 現状で放課後児童が熱中症の危険にもさらされていることから、(長期活用も踏まえて)一刻も早くエアコンを設置し 建屋そのものの住環境を整えるよう強く意見したところです。
◇新たな社会問題「安売りガソリンスタンド」が引き起こす諸問題
このことの詳細については後日に譲りますが、私の住むエリアに 数年前に安売りのガソリンスタンドが開業に、それが渋滞などの様々な問題の要因となってしまっています。
ここ(福祉環境委員会)では「環境部」に対して〝声〟が。
何と、ひっきりなしに来店→給油することで 多量の「ガソリン揮発臭」が生じ、それが宅地に流れ込んでの〝悪臭問題〟に発展しているそうなのです。
このことについて、取りも敢えず現状を(公に)伝えると同時に 今後の対応について共々に計らってゆくよう意見しました。
今後の新たな地域課題に急浮上です。
今期の所管委員会「福祉環境委員会」の審査は終結しました。
これで最終日(22日)の採決を待つことになります。
私の任期はこれでひと区切りとなりますが、今後も 常に問題意識をもって諸課題と対峙してゆく所存であります。
この日(16日)、3日間に亘って催された「川中島駅前広場盆踊り2023」が最終日を迎えました。
会場となっている駅前広場は、人また人で埋め尽くされていました。
初日(14日)にも相当の人が集まったのですが、この日(最終日)は それを凌駕せんとする人の数が。
踊る人・話す人…それぞれに広場に居るのですが、概して共通しているのが みんな「笑顔」でいることです。
初日の際にも触れましたが、コロナ禍によって中断された 地域コミュニティーの原資ともいえるイベントが4年ぶりに開催(復活)され、待ちかねた多くの住民が 櫓(やぐら)をめざして集まってきました。
「久しぶり!」「元気だった?」との旧交の輪がそこここででき、その後は笑顔また笑顔。
〝交流の場〟ということばがありますが、このイベントは まさにそれ。
数年間に亘って会えなかった・交流できなかったストレスのようなものが一気に払拭され、広場に集まったみんなは まるで同じ舟に乗る者同士のような親しさをもって時間を共有していたのでした。
みんなは待っていました。このときを この場所を。
最終日のこの日は、応募していただいた お絵かきや作文コンテストの表彰がされ、可愛らしい作品が表彰され、温かな拍手が送られていました。
そして この盆踊りイベントのフィナーレとして、恒例の〝花火タイム〟が盛大で でもささやか(個々)に行なわれました。
と いうのも、よくある花火大会と違い こちらの花火は、子どもを中心に一人一本の手持ち花火の一斉点火で彩(いろど)られるのです。
この日は「送り盆」の夜。
祖先や近しかった人が盆の間に舞い降りてくれ、再び黄泉(よみ)へと帰るこの夜。
またねと心で囁(ささや)きながら故人を偲び思いを馳せる それぞれの思いがこの駅前広場に集まり、個々の花火が大きな輪となって天へと届く瞬間なのです。
縁石に座る子どもらに、大人たちが火を付けて回ります。
点(つ)いた火は 隣の人へとシェアーされ、個々の思いが連鎖となって 横へと広がってゆくのでした。
やがて駅前広場には、小さな火 でもそれが大きな輪となって花火の輪ができてゆきます。
それは 一瞬ではありますが、実に幻想的な風景となったのでした。
また来年も待っているから。私も みんなと一緒に天を仰いだものでした。
幻想的な花火のペイジェントが終わりました。
会場には消防団員の方々が出張ってくれ、防火バケツによって燃えかす(芯)を安全のうちに回収してくださいました。
さあ、今回 最後のアイスキャンディープレゼントタイムです。
こんなに人が居たのと訊きたくなるほどの長蛇の列。
「これを味わなきゃ終われないよね。」との声も聞かれます。
久しぶりの開催のうえに 台風の近接も報じられ、何かと心配の伴った「川中島駅前広場盆踊り2023」でしたが、ご関係者のご尽力とご人徳により 大過なくそして盛大に開催することができました。
実行委員会の方々は、心地よい疲労感を覚え それ以上の達成感に浸りながら「また来年も!」との手応えを実感して 宴(うたげ)を閉じたのでした。
そして、翌日(17日)の早朝には ほぼ全員が出張っての撤収作業です。
約5mにも及ぶ櫓(やぐら)が、朝日を受けて手際よく解体されてゆきます。
広場を明るく照らした提灯も そおっと下ろされ、一つひとつ丁寧に解(ほぐ)されては収納されてゆきました。
「ローマは一日にして成らず」ではありませんが「イベントは一日にして成らず」準備・設営から撤収まで、その前後には大きな手間をかけて まちの一大行事が催されたのでした。
おそらく この達成感を胸に、来年もまた この駅前広場に人の輪が広がることでしょう。
本当にみなさん、おつかれさまでした。
そして、ありがとうございました!
この日(8月15日)は、わが国の終戦記念日です。今年で第二次大戦後 78年の歳月が経過したことになります。
一部(軍部)の政治家の暴走により引き起こされた ともいえる第二次世界大戦は、当初の戦勝ムードから一変 やがて烈火を極める敗走戦へと戦況は雪崩をうつこととなり、1945年(昭和20年)のこの日、昭和天皇による玉音放送をもって改めてポツダム宣言受諾が正式に表明され、戦闘行為が停止されたのでした。
あれから78年。
私たちは 平和社会の恩恵の中に今を暮らしています。
しかしそれは、さきの大戦で図らずも散華(さんげ)せられた先人のおかげさまであり、私たちは今後も そのご薫陶を忘れることなく社会の中で過ごしてゆくことを改めて思うところです。
◇川中島駅前広場 盆踊り2023 2日目
平和社会を享受する中、先人に感謝しつつ「川中島駅前広場 盆踊り2023」が2日目を迎えました。
気をもんでいた台風も どうやら西に進路を変えたようで、当地はいくらかの南風の中でしたが 大過なくイベントが行なわれていました。
この日の開祭に際し、進行を務めるDJショーケンさんが 不戦の思いに触れると同時に、イベント等へ天候の影響があった際の大変さを知る立場で 西日本の方々にお見舞いの言葉を述べられ、意識を共有しておられたのが印象的でした。
二度と無い今年の夏。みなさんは この日も盆踊りに興ずる中で、思い出づくりとしておられる風でした。
夜店の定番 生ビールも供され、普段は手酌で晩酌のお父さんたちが この日ばかりは売り子で大活躍です。
毎週に亘って 地元野菜などを販売する「エコプロジェクト信州」のみなさんも〝特別出店〟されており、笑顔で接客されておられました。
こちらはMさんご夫婦。
動物好きの奥さんがニャンを連れてご同伴。どっかへ行かないよう ニャンなのに「リード」をつけて愛玩しておられるのでした。
人見知りしない大物ニャンでした ^^/
盆踊りの〝華〟でおられる日舞の会の方々の今夜のご衣装は 鮮やかな緑色の浴衣。
毎日衣装替えをしてのご出演、会場に彩りを添えてくださっていました。
この日も「ゴミ受け入れブース」が設けられ、ほぼ全員の参集者が 出したゴミを持ち込んでくれていました。
それに対し 当番を担う方から「ありがとう!」の声がかけられ、お互いに気持ちのイイやり取りが交わされていました。
この日の当番さんにも 改めて敬意を表させていただきました。
※ちなみに、イベント直後の会場の路上の様子。ゴミひとつ無い 素晴らしい美化ぶりでしょ。
会場には「地域おこし協力隊」として長野市に移住しておられるSさんご夫妻が。
移住後 初めての参加となる盆踊りを楽しんでいる風でした。
〝育ての親〟でもある地元のTさんが 行事の歴史や苦労話について解説されておられました。このお二人が地域に馴染むのも(イイ意味で)時間の問題でしょう。
4年ぶりの開催となっている まちの盆踊りも2日目を数えました。
来る人も 主催する人たちも、みんなが久しぶりに味わう「交流の場」は それぞれの想像以上に楽しいものであるようです。
大人も子どもも 男も女も一様に笑顔を湛えて時間を共有しています。
そんな〝4年ぶりの ひと夏の思い出〟も、16日にフィナーレを迎えます。
(この日もアイスキャンディーのお振る舞い)
この日(8月15日)は、わが国の終戦記念日です。今年で第二次大戦後 78年の歳月が経過したことになります。
一部(軍部)の政治家の暴走により引き起こされた ともいえる第二次世界大戦は、当初の戦勝ムードから一変 やがて烈火を極める敗走戦へと戦況は雪崩をうつこととなり、1945年(昭和20年)のこの日、昭和天皇による玉音放送をもって改めてポツダム宣言受諾が正式に表明され、戦闘行為が停止されたのでした。
あれから78年。
私たちは 平和社会の恩恵の中に今を暮らしています。
しかしそれは、さきの大戦で図らずも散華(さんげ)せられた先人のおかげさまであり、私たちは今後も そのご薫陶を忘れることなく社会の中で過ごしてゆくことを改めて思うところです。
◇川中島駅前広場 盆踊り2023 2日目
平和社会を享受する中、先人に感謝しつつ「川中島駅前広場 盆踊り2023」が2日目を迎えました。
気をもんでいた台風も どうやら西に進路を変えたようで、当地はいくらかの南風の中でしたが 大過なくイベントが行なわれていました。
この日の開祭に際し、進行を務めるDJショーケンさんが 不戦の思いに触れると同時に、イベント等へ天候の影響があった際の大変さを知る立場で 西日本の方々にお見舞いの言葉を述べられ、意識を共有しておられたのが印象的でした。
二度と無い今年の夏。みなさんは この日も盆踊りに興ずる中で、思い出づくりとしておられる風でした。
夜店の定番 生ビールも供され、普段は手酌で晩酌のお父さんたちが この日ばかりは売り子で大活躍です。
毎週に亘って 地元野菜などを販売する「エコプロジェクト信州」のみなさんも〝特別出店〟されており、笑顔で接客されておられました。
こちらはMさんご夫婦。
動物好きの奥さんがニャンを連れてご同伴。どっかへ行かないよう ニャンなのに「リード」をつけて愛玩しておられるのでした。
人見知りしない大物ニャンでした ^^/
盆踊りの〝華〟でおられる日舞の会の方々の今夜のご衣装は 鮮やかな緑色の浴衣。
毎日衣装替えをしてのご出演、会場に彩りを添えてくださっていました。
この日も「ゴミ受け入れブース」が設けられ、ほぼ全員の参集者が 出したゴミを持ち込んでくれていました。
それに対し 当番を担う方から「ありがとう!」の声がかけられ、お互いに気持ちのイイやり取りが交わされていました。
この日の当番さんにも 改めて敬意を表させていただきました。
※ちなみに、イベント直後の会場の路上の様子。ゴミひとつ無い 素晴らしい美化ぶりでしょ。
会場には「地域おこし協力隊」として長野市に移住しておられるSさんご夫妻が。
移住後 初めての参加となる盆踊りを楽しんでいる風でした。
〝育ての親〟でもある地元のTさんが 行事の歴史や苦労話について解説されておられました。このお二人が地域に馴染むのも(イイ意味で)時間の問題でしょう。
4年ぶりの開催となっている まちの盆踊りも2日目を数えました。
来る人も 主催する人たちも、みんなが久しぶりに味わう「交流の場」は それぞれの想像以上に楽しいものであるようです。
大人も子どもも 男も女も一様に笑顔を湛えて時間を共有しています。
そんな〝4年ぶりの ひと夏の思い出〟も、16日にフィナーレを迎えます。
(この日もアイスキャンディーのお振る舞い)
みんなが待ちに待った〝まちの交流イベント〟が4年ぶりに復活しました。
「川中島駅前広場 盆踊り2023」が盛大に開催され、初日を迎えたのです。
JR川中島駅前に在する「本町区(もとまちく)」の住民有志は 事(こと)あるごとに様々なイベントや企画を催しておられ、まさに〝地域コミュニティーの源泉地〟となっておられます。
とりわけ、お盆のこの時期に催される「盆踊り」は 昨今の地域における季節の風物詩ともなっており、周辺に暮らす方々 とりわけ夏休み中の子どもや家族・ふるさと川中島に帰省した若年家族や若者たちなどが この櫓(やぐら)をめざしてあい集い、旧交を温めたりしているのです。
ところが、そこに降って沸いたコロナ禍が。
ご多分に漏れず こちらのイベントも無期限延期を余儀なくされ、何だかんだで3年間もの空白期間となってしまったのでした。
それでも まちの盛り上げを期する関係者の「心の炎」は、絶えることなく灯(とも)し続けられていたのでした。
あれから丸三年。
止まっていた時計が再び動き出すように、まちの交流イベントが再開したのです。
正式な開会は午後7時なのですが、そのずっと前の時間帯から JR川中島駅前広場には多くの人たちが集まってきていました。
台風の接近も予想されていたことから 出店の開店を早めたそうなのですが、それらに早くも長蛇の列が。
夜店の定番でもある金魚すくいでは 取れた破れたと歓声が上がっています。
実行委員会のメンバーは、保健所の許可を得たうえで イカ焼きやフランクフルト・おでんやラムネなどを廉価で供しています。
ここにも早うから長蛇の列が。
可愛い売り子さんが花を添えていました。
こちらでは〝プチ同窓会〟の輪が。
(前掲でも触れましたが)このイベントを契機に皆が旧交を温めておられ、会場のそこここで同じ年端の人たちが談笑する姿が見受けられます。
ここにも このイベントの大きな意義が感じ取られるところです。
私は実感しました。みんな、イベントに飢えていたんだ。
3年間に及ぶコロナ禍の影響で 行事やイベントはことごとく中止や延期を余儀なくされ、人と人との交流が 自粛によってロックされてきました。
それが ようやく解き放たれた今、人々は 再会(再開)を待ち望んでいたのかもしれません。
こちらの実行委員会にも、開催については かなりの迷い(慎重論)があったと聞き及んでいます。
それでも コロナ5類移行を契機に、再びみんなの笑顔の創出のために 再びオールを漕ぎ出そうじゃないか。
そんな まちを思う関係者の総意が、この夜の大きな盛り上がりにつながったのでした。
やがて定刻の19時。K区長の開祭宣言と同時に 盆踊りのスタートです。
こちらの地区には 日舞を趣味にもつ舞踊の会があり、その方々を師範として盆踊り(の音楽)が延々と流され 踊りの輪が連なってゆきます。
老いも若きも男も女も みんな分け隔てなく踊りの輪を成し、笑顔のうちに時間を共有しておられました。
この日は ときどき小雨がパラつく微妙な天候となっていましたが、それでも時間が経っても人が減る気配は無く、駅前広場は人また人の盛況ぶりです。
「コロナ禍以降、ここでこんなに人を見たのは久しぶりだわい。」とムラの名士も驚きを隠せないでおられました。
ところで こちらの盆踊りイベント、ひとつ特徴ある〝部署〟があるのです。
会場の数カ所に「ゴミ分別担当スタッフ」を配し、会場で出たゴミを その場で分別しながら受け入れておられるのです。
概して イベントの際には、終わった後に(会場に)ゴミが散乱し イベント後に片付けるものですが、こちらのイベントは ゴミが発生した瞬間に分別回収を受け入れるために 散らかりゴミはゼロ。
会場を訪れた人も 今はこのシステムを理解しており、ゴミが出た際には自主的にゴミブースに(ゴミを)持ち寄ってくださいます。
この崇高な取り組みにより、会場は美化のまま維持されていたのでした。
担当スタッフの方々に「このこと(イベント会場でゴミを出さない努力)は、来場した 特に子ども達の情操教育にもなり、非常に意義が深いと思います」と伝え、最大限の敬意を表したところです。
やがて初日のフィナーレを迎え、お楽しみの「アイスキャンディープレゼントタイム」です。
4年越しのアイスキャンディーです。待ちかねた子ども達は長蛇の列を成し、それでも順序よく並んでは 次々にもらってゆきました。
〝踊り子〟だった日舞の女性陣は 直ちに受付嬢に早変わり、笑顔で子どもらに 真夏のオマケを供していました。
「冷たくってオイシイ!」だってサ ^^/
4年ぶりのまちの交流イベントは、若干の降雨に見舞われたものの 大過なく初日のフィナーレを迎えました。
閉会後のミーティングで N実行委員長は、久々のイベントが無事に開催できたことに感謝の意を表すると共に あと2日ヨロシクお願いしますとされておられました。
こちらの地区の交流イベントは、来訪者のみならず 主催する住民そのものも活性してくれるエネルギーのようなものがあると思います。
イベントに向け計画し 力を合わせて準備を行ない、当日には来訪者の笑顔に触れて達成感を覚える。
これこそが 地域活性化の原点じゃないか。
「川中島駅前広場盆踊り2023」は、14日~16日の3日間 午後7時~9時をめどに〝連日開催〟されています。
どうかみなさん、お誘い合わせて(お一人でも)足を運んでみてください。
暑い。とにかく暑い。
戸外を歩いていると、アタマがボーっとしてくるような感じです。
市内を移動中に 大型の気温表示計に目をやると、ついに36℃の標示が。
体温の中にいることになります。
私自身、この日初めて「あれ…熱中症?」というような 何ともいえない感覚に陥ったものです。
頭痛というほどではありませんが、頭が重くなるような感覚と 何というか足が前に進みにくくなるような倦怠感。
あと、電池切れの近い電化製品のような動作不良を実感することとなり「こりゃヤバイ」と思い、甲子園球児のクーリングタイムではありませんが 通りがかりのスーパーの休憩スペースに飛び込み しばし身体を冷やしたものでした。
この 言いようのない酷暑。これを乗り切るには、それなりの体力と滋養が必要なようだということを実感したところです。
そのためにも「シッカリ食べてよく寝る」ことが大切であることを再認識したところです。
そんな中、従前に栄養士として働いていた方から「今、高齢者の間で「栄養失調」の人が意外と多い」旨を知らされ、この際は みなさんに改めて周知するところです。
で、このこと(栄養失調)が、夏バテ要因の筆頭にもなり ひいては重大な健康被害の要因にもなることを、私たちは思っている以上に深刻に捉えなければならないとのことなのです。
高齢者の方々は、食事自体は 朝・昼・夜と 三食を規則正しく摂っておられます。
それなのに、昨今 栄養失調に陥る高齢者が増えているとのこと。
これは「新型栄養失調」とも呼ばれ、厚生労働省の調査によると 70歳以上の5人に1人が該当すると報告されているそうです。
新型栄養失調になるのは、食事をしっかり摂っているつもりでも タンパク質やビタミン、ミネラルなど体の滋養の原資となる栄養が足りない「低栄養」が原因とのことです。
戦中戦後の貧しい時代ならいざ知らず〝飽食の時代〟との言われるこの時代に栄養が足りない高齢者が増えている?不可思議ともいえる社会状況ですが、そこにはいくつかの理由があるようです。
低栄養になる要因の一つに「粗食志向」があるとのこと。
高齢化に伴い「メタボや肥満にならないよう」との〝過剰な心がけ〟によって、また「年寄りはそんなに動かないのだから、たくさん食べなくて大丈夫」などと言っては〝粗食を良し〟とする思考が低栄養を招くことになってしまうそうです。また、40~50才代の頃の健康診断で指摘されたコレステロールや脂質過剰が意識の中に残っており、年を取っても卵や肉を避ける傾向があり それがタンパク質の不足を招いてしまうことになっているそうです。
そこに加えての要因の2つめに「加齢による消化吸収力の衰え」があるようです。
高齢になると身体の消化吸収力が低下するため、若い人と同じ量のタンパク質を摂っても、効率よく筋肉や血管にすることができなくなってきます。
1日あたり必要とされるタンパク質の摂取量は、高齢者と現役世代の必要量に差は無いそうです。なのに、高齢者の消化吸収量が衰えることで 必然的に体内の滋養が減ってしまうことになってしまうのです。
この 高齢者のタンパク質不足は「フレイルティ(虚弱)」の症状を招くことになり、疲れやすい・力が出ない・持久力が無い といった〝バテる〟状態の要因となるとのこと(夏バテや熱中症の要因)
そして、そんな低栄養が 単なる体調不良に止(とど)まらず、認知症や寝たきりのリスクにもつながるそうです。
低栄養によって筋肉が落ち・免疫機能の低下・血管や臓器の劣化の要因ともなり、それが例えば歩行時の転倒にもつながり、ひいては骨折・肺炎等の感染症・脳出血・心不全の可能性、それらがやがて認知症や寝たきりになるリスクにもつながるとのことです。
そんな低栄養にならないためには、やはり 魚・肉・卵・乳製品・大豆製品などのタンパク質、さらに タンパク質の合成を促進するビタミンやミネラルを含有する野菜を積極的に摂ることが欠かせない。余り前のことですが。
私も地域を歩く中、食事を〝省略〟する高齢者の高齢者の方々を多く見かけます。
朝はご飯と漬物だけ。昼は素麺(そうめん)だけ。夕飯は菓子パン一つ。これで一日の食事とか。
「そんなんで大丈夫?」と訊くと「オラ もうこんな年を取ったから、そんなに食わなくてもイイんだ。」と笑って応えてくれますが、どう考えても栄養不足でありましょう。
今や人生100年の時代。
そんな中、人生の仕上げの段階を元気に過ごすよう また現下の酷暑を乗り切るためにも、70・80代を迎えた(超えた)人ほど、タンパク質や野菜をシッカリ摂ってほしい。
酷暑にしんどさを覚えた私からも、先輩方に乞うところです。
過般の報道で、隣国における公(おおやけ)の場で発した わが国政治家の発言に大きな違和感を覚えたのですが、そのこと(発言)に対して 県内の主要地方紙が、私と同様の反応を示しました。
で、この認識は 私だけでなく多くの方々が覚えた(思った)のではないでしょうか。
麻生太郎 自民党副総裁が、訪問した台湾で講演し その際に「日本・台湾・米国などの有志国に強い抑止力を機能させる覚悟が求められる」と述べ、その節(せつ)の結びに「戦う覚悟です。」と言い切ったのです。
私は、この発言を たまたまたニュース報道で耳にし、思わずその場に固まってしまいました。
「戦う覚悟」とは。
あたかも戦時に突入する直前の大本営発表を彷彿とさせる政治家の発言ではないか。
但し 麻生氏の前フリには「抑止力」なる文言が置かれています。
その下りは 平たく言うと「戦争をしないための抑止力を強めるために戦う覚悟を」とのことのようですが、それ(抑止力)のための「戦う覚悟」の前提には 止(とど)めの無い軍備増強と、合法的に(自衛隊員が)戦地に赴(おもむ)けるための法律の改正が伴うのではないか。強い懸念を禁じ得ません。
また この〝麻生的発想〟に、私は 北朝鮮の金正恩体制の政治的行為(思想)を重ねてしまうところです。
彼は、朝鮮労働党中央軍事委員会拡大会議の場で「核戦争抑止力をさらに強化するために戦略武力を高度の臨戦状態で運営する」とし、あくまで抑止力のために核ミサイル開発に注力する意思を改めて示したことが報じられています。
いわば 自国の核(武力)開発を〝抑止のため〟と正当化(スリ換え)しているものでありますが、この異常ともいえる発言(方針)は 言いよう(聞きよう)によっては、さきの麻生発言に共通していると言えるのではないでしょうか。
このことについて、11日付の信濃毎日新聞1面の「斜面」でも 危機感をもって論評されていました。内容は下記のとおりです。
時代劇で武将が討たれる時、こんなセリフをよく聞く。辞書を開くと「覚悟」には「観念」の意味がある。「迷いを去る」「心構えをする」との意味でも使う。さて、今回の発言はどんな意味で、誰に言ったのだろうか◆自民党ナンバー2の麻生太郎副総裁が台湾で講演した。「最も大事なのは台湾海峡を含む地域で戦争を起こさせないこと」。その通り。そのため「日本、台湾、米国などの有志国に強い抑止力を機能させる覚悟が求められる」と言った。「戦う覚悟」と◆武力を持つだけでなく本気のファイティングポーズを示さなければ、相手の武力行使は止められない―。そうした抑止論に驚きはない。戦わぬために戦う覚悟が要る、との発想が世界の現実と考える人々は発言を評価している。戦わない覚悟こそ持て、と思う筆者はうなずけない◆麻生氏お得意の失言ではなく、断交により訪台できない首相の代役として言ったのだろうか。日中平和友好条約45年の今年、戦争を省みる8月15日を前に「戦う覚悟」を言い放つ神経に驚く。台湾総統選で「きちんとした人を選ばないと」とも発言した◆台湾の有権者に失礼ではないか。ウクライナ戦争について「弱いのがいじめられる」と話していた麻生氏。「戦う覚悟」は日本国民に対して発したようにも聞こえる。台湾有事は日本有事なのだから、その時は観念して参戦を受け入れ、戦争に協力しろと。
勇ましい言葉の行方が恐ろしい。
・・・・・・。
今、社会(世界)は これまでに無く 国同士の緊張状態が高まっていると思います。
第二次世界大戦以降、その反省を基に 無用な争いを回避し、決定的な争議は起きていない(起こさない)状況が維持されてきましたが、あれから七十有余年が経過し 再び国家同士の険悪ムードが高まる様相となってきました。
で…非常に残念ながら その琴線を切ってしまったのが、ロシアによるウクライナ軍事侵攻でありましょう。
そのうえで 私(だけじゃないでしょうが)が憂慮するのが、その悪しき状況に乗っかるように 一国の政治家が「この際は軍備増強を」の方向に傾斜し、それを多くの国民が 支持または「やむなし」と思うようになってきていることではないか、と。
ご案内のとおり、わが国は 一部の政治家の暴走ともいえる論理展開をきっかけに、忌まわしい戦争に突入し、多くの罪も無き国民が生命財産を奪われることとなってしまいました。
にも関わらず、今現在 国をリードする役割を担う政治家が「戦う覚悟を」と言い放つ恐ろしさ。
少なくとも私は、抑止力のために武力を増強し 他国に拳を上げてファイティングポーズを取る政治姿勢は「違う」と思います。
残念ながら(これは与野党問わず)今の政治家が 真の外交努力を尽くしているとは思えません。
それを尽くしたうえで次の段階に進むのであればイザ知らず、それを無くして花火だけを上げる〝パフォーマンス外交〟は危険極まりないと思わざるを得ないことを感想するばかりです。