長野市議会議員会派

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「青木島遊園地廃止問題」長野市が庁内に「検証委員会」設置 =問われる市の資質=

さきの報道で、たった一件の苦情をきっかけに すったもんだしたあげく〝大人の都合〟で一方的に廃止した「青木島遊園地問題」について、長野市(市長)が 公園を廃止した経緯について庁内に「検証委員会」を設置し、検証する考えを示してます。

 

 

 

その後、去る26日には 第1回の検証委員会が行なわれ、西澤副市長を座長(委員長)とし この日(第1回)は検証する事項などを確認したことが伝えられました。

この検証委員会は非公開で行なわれ、今後の開催は未定とのこと。

また、委員会には 検証の中立性を確保するために「外部委員」を起用するとのことです。

 

 

 

みなさん既にご案内のとおり 今回の「青木島遊園地廃止問題」については、多くの住民の意に反して 半ば一方的に廃止した行政手続きそのものに対してや、廃止に至る経緯~いわゆる苦情者への対応 また「廃止する・しない」を巡って地元住民との合意形成の齟齬(そご)、さらに一連の経緯を巡る「公文書」が残されていなかったり また存在する公文書にも事実と異なる記載が為(な)されたりと、市側の一連の対応には大きな疑問や反論が渦巻くこととなってしまっています。

この〝最悪の展開による最悪の結果〟を招いたことについて 改めて検証すべきとの声が挙げられていたところですが、さすがに市(市長)も「遊園地を廃止したからそれでオシマイ」というワケにはゆかなくなったというところでありましょう。

その後の会見で荻原市長は「検証によって どこが間違っていたかはっきりすると思う。場合によっては新たなマニュアルなども必要になると思う」と話したとのことでありました。

 

青木島遊園地については、昨年末 心ある市民の方(かた)から私の方に「子どもたちの欠かせぬ居場所としての遊園地を存続させるための力を貸しててほしい」との切実な声が寄せられました。

このことについては、私のような立場の者が前面に出て活動するよりも 市民の方々が主体となって、いわゆる〝世論〟を喚起するのがふさわしいと考え 敢えて後方支援に徹したところです。

その中で、存続を願う方々の力を結集するべく「存続を願う会」の設立を促し、市民の声を公の場でアナウンスすると同時に 市(市長)に対し積極的に意見を述べる活動を進めてきました。

それに対し、市(市長は)「フラットな気持ちで」市民説明会を行ない「廃止のままでいくのはどうかと思う」などどし、市民の声を受け止める姿勢を示したところでした。

しかし、実際には違っていたのです。

表向きに市(市長)が対話姿勢を示す裏で、遊園地廃止に向けた手続きは着々を進められており、市長の市民対応は 単なるパフォーマンスに終始したあげくに、(市の)予定どおりの期日で遊園地は廃止されることになってしまったのです。

 

 

・・・・・・。

今回の検証委員会は、いったい何を「検証」するのでしょうか。

そのうえで言えることは、この検証委員会の取り組み内容は そのまま〝荻原市政の資質〟を示すことになる ということであります。

(このことについては従前にも触れましたが)検証について、例えば行政手続きの進め方についての検証に終始したとすれば。

遊園地の廃止手続きを区長会に任せたのがマズかったとか、遊園地廃止の6つの理由が不十分であったとか、いわゆる〝手続きが良くなかった〟などとの「検証」に止(とど)まったとすれば、荻原市政は「その程度か」との烙印(らくいん)を押されることになるでしょう。

今回のことで長野市が検証すべきは「一連の取り組みが 果たして市民の心に寄り添うものであったかどうか」ではないでしょうか。

その第一義は「子どもの心」です。

たった一人の苦情者の声。これに対し 右往左往すること無く「子どものために公僕として何をすべきだったか」との「基本」に立って(一連の対応を)検証することができるかどうか。

第二に「市民対応」。

行政職として、自らを省みずに市民の声に応える努力をしたか。保身に走って ときに市民の方(ほう)を犠牲にして 自分の立場を守るだけの〝つじつま合わせ〟に終始しなかったか。

このような市民の心・機微(きび)に触れた検証を行なってこそ、初めて実のある検証と呼べるものであり、通り一辺倒の手続き論だけを検証したところで、それこそ〝パフォーマンス検証〟の誹(そし)りを免れないところであります。

 

私自身、今回の検証委員会の出す結論については 大いに関心を寄せる者の一人です。

果たして マトモな検証結果を出すことができるか否か…これが「やっちまった」荻原市政が汚名を挽回し、今後に期待をつなげることができるかどうかの分岐点にも位置づけられるからです。

もっと言えば、私たちは 現市政を無碍(むげ)に批判しているのではない。

やるべきことをやり、キチンと市民の声に応じた施策を行ないさえすれば、批判どころか大きく評価するところなのです。

しかし、実際には それが市民の心を大きく乖離(かいり)している。だから批判せざるを得ないのです。

 

 

時節は7月末。

あれから3ヶ月が経って、ようやく検証委員会の重い腰が上がり ノロノロと検証作業が始まることになりました。

他の事業では「スピード感をもって!」を強調する荻原市政ですが、やや都合の悪い案件については〝牛歩〟なのが、加えてのマイナス評価につながってしまうのは残念に尽きないところです。

 

後援会資料で障がい者支援を

長野市議会にとって今年は統一地方選の年で、私たち(改選をめざす)市議ならびに新人候補予定者は、9月10日告示の選挙に向け活動を開始しています。

現時点においては「後援会活動」として、自身の考えや思いを 後援会資料や後援会報にまとめ、一人でも多くの人に見知っていただくため 配布に勤(いそ)しんでいるところです。

 

 

私は、今回の選挙戦のテーマを「長野市政を みなさんと共に創り上げます!」といたしました。

と いうのも、ここのところ これまで以上に〝行政任せの市政運営の限界〟を強く感じることとなったからです。

例えば「青木島遊園地存廃問題」に端を発した、役人ベースの〝保身〟を通底に置いたままの間違った 市民感覚と乖離した対応・障がい者(とりわけ知的障がい者)支援における〝守るべきものをはき違えた〟旧態依然とした施設運営・勤労者福祉施設や公民館などの公共施設マネージメントにおける 効率主義だけに立った、半ば一方的な施設の廃止傾向など、本来は「市民が主役(主体)」であるべき市政運営が、行政寄り(依り)の偏(かたよ)った志向(思考)で運営されていることが、いわば目に余ることになっているからなのです。

この、いわば膠着(こうちゃく)した市政運営を正すためには、いわゆる〝行政力〟に頼るだけではなく〝市民力〟が欠かせないと考え、(そのために)標記のタイトルとさせていただきました。

 

この悪しき傾向は、市民の付託を受けた 議会に身を置く者が正してゆかなければならない。

そのため、今回の選挙戦においては「議会の役割・在るべき姿」を訴求してゆく姿勢を鮮明に打ち出すことといたしました。

それに基づき、資料(リーフレット)に掲載した内容は下記のとおりです。

◆地方自治体・議会の役割(在り方)が、今こそ問われています
  地方自治体(長野市)の運営は、それが直ちに市民生活に直結するものです。 その中に身を置く市議会議員は、身近な市民生活や市政運営に内在する課題のひとつひとつに正面から向き合い 市民の付託を受けた者として、市民と行政の架け橋として真摯(しんし)に活動することが求められています。
◆地方議会の在るべき姿を訴求してゆきます
  自治体運営(長野市政運営)は、ややもすると旧態依然とした体制のまま、議会も巻き込んでの迎合主義〝井の中の蛙(かわず)〟状態に陥ってしまうものです。
  私は、そんな体制(態勢)に明確な「NO(ノー)!」を突きつけ、あくまで是々非々の立場で、市民の方々が挙(あ)げる疑問の声や意見・要望を敏感に感じ取り、それらを市政運営に具体的に反映させるべく取り組みを強めてまいります。
◆市民にとって「当たり前なことが当たり前に行なわれる市政運営」を実現します
 あまねく市民の方々に「納得」していただける市政を構築し、みなさんと共に健全な長野市政を創り上げてゆきます。
 そのために、みなさんの忌憚(きたん)のない「声」を私にお寄せください!
 市民にとって「当たり前」な市政運営は、行政サイドの偏(かたよ)った取組みではでき得ません。どうかみなさん、私と一緒に「市民のための長野市政」を創り上げましょう!

と させていただきました。

こんな 私の考えに共鳴(共感)してくださる方がいかほどにいらっしゃるかは知る術もありませんが、少なくとも私は 今の長野市議会に求められていいるのは「そこ」にあると強く認識し、一人でも多くの方々にご理解(共鳴・共感)していただけるよう 歩みを進めてゆきたいと思っています。

 

そのうえで、資料の末尾に「宣言」のようなものを掲げさせていただきました。

議会は行政の追認機関であってはならない。
厳しい姿勢でチェック機能を果たしてゆきます!

 

ややもすると、とりわけ地方議会においては「市と議会は車の両輪として」などと詭弁を弄し、議会の方から市(市長)にすり寄る形で その蜜月ぶりをアピールしながら支持を得ようとする動きが散見されますが、私は「それは違う」と明言するところです。

あくまでも議会は 行政(市長)の追認機関であってはならないのです。

あくまでも市民の付託を受けた者として ときに厳しい姿勢で行政を見つめ・チェックを重ね、然るべく指摘し 改めるべきは改めさせなければならない。

迎合主義に走る者は、議会に不要な存在なのです。

 

私は今後、さらに厳しい姿勢で市政のチェックに取り組んでゆきます。

そんな「決意表明」でもある 今回の資料なのでした。

 

 

 

 

ところで、今回の資料づくりにおいて 知的障がい者支援に取り組む「Gota」チームと打ち合わせたうえで「障がい者さんの「工賃」の創出」にひと役かわせていただきました。

と いうのも、社会で暮らす知的障がい者さんに 何らかの役務(仕事)をお願いし、その成果を「工賃(賃金)」として得ていただくことが(社会に)求められているところですが、今回の後援会資料づくりにおいても 幾ばくかの作業を役務としてお願いできるのではないか、とのアドバイスをいただいたのです。

それ(作業内容)は、印刷物の「折り作業」と、折った資料への「入会ハガキの封入作業」です。

これなら、障がい者さんにも無理なく作業していただくことができ、そのうえで それが工賃の足しになれば、こんなありがたことはありません。

さっそくに「Gota」さんを通じ、市内の授産施設に作業を依頼し 快く受けていただきました。

 

 

 

作業終了の連絡を受け、モノを取りに伺うと 作業自体はスムーズに行なわれたとのことでした。

開いた状態で届いた資料を半分に折り、そこに入会ハガキを封入してもらいました。

 

 

 

私の立場においても、これからも「障がい者さんたちのためにできること」を模索し、少しでも工賃(給与)アップにつながるよう計らってゆきたいと思うところです。

 

なお。この取り組みについては 資料の末尾に「この資料は、知的障がいの者の方々が通う施設で作成作業に関わっていただきました。それぞれの作業が「工賃」に反映されています。」と記載させていただきました。

この一文を目にした方々が、それぞれの立場で 障がい者支援に心を砕いてくださることを期待するところであります。

 

いずれにしても、非常に厳しい選挙戦となることは自明です。

そんな状況ではありますが、私自身 地に足を着けて、地道に愚直に歩んでまいります。

 

なお、これまでの活動の概要については「クラちゃんニュース」としてまとめさせていただいておりますので ご高覧いただければ幸いです。

 

 

過去の活動成果報告 =昭和児童センター設置の経緯=

地区内を挨拶回りする最中(さなか)、活動報告の一環として「青木島遊園地存廃問題」への取り組みや、現下の「青木島こども未来プラン」への対応などを話させていただくのですが、その際 複数の人から「クラちゃんは川中島(地区)を地盤とするのに 青木島のことに一生懸命になっているの?何か川中島のためにも活動してよ。」とのお声をいただくことがあります。

そのことについては、私は 全市民から選挙を通じて付託を受けているものであり、地盤(在住地)は川中島町ではありますが 広く市政全体の課題に取り組む職責を担っていると自負(自認)しています。が、どうしても 地区住民の方々の内心には、いわゆる〝地域モンロー〟のようなものがあって「オラがムラを良くしてくれ」との思いがあることも理解するところです。

そこで この場では、冒頭の話題の児童センターに関する件について 川中島地区における活動成果を改めてご報告させていただきます。

「昭和児童センター」設置に関する活動成果です。

 

 

 

 

放課後児童の預かり事業については、各学校区内に設置され 働く親御さんの代わりに児童を(親御さんの終業時間まで)預かるもの(事業)として欠かせぬものとなっています。

そんな中…長野市立昭和小学校においても「児童館」は存在していたのですが、その場所が問題となっていました。

昭和小学校の児童館は 学校から遠く離れた川中島支所・公民館の敷地内にあり、放課後児童は 学校が終わった後、徒歩で約15分ほどかけて児童館まで「通(かよ)う」を余儀なくされていました。

このことには その間の交通事故の可能性など さまざまなリスクがあり問題視されていたのですが、当時(平成15年前後)の昭和小学校は 児童数が1,000人前後で空き教室などとても無く、現状(通い児童館)を維持せざるを得ない状況だったのでした。

そんな中、昭和小にとって 大きな転機が訪れました。

(年次は失念しましたが)昭和小学校が改築(改修)工事を行なうこととなり、校庭の隅(すみ)に「仮設校舎」が建設されたのです。

やがて工事は終了、子どもたちは元どおりに校舎に戻ったことから 仮設校舎は「不要」となり、解体するとの情報が私の下に伝わってきました。

私自身は平成15年に初当選し まだ駆け出しの頃でしたが、それまでも昭和児童館の問題を承知していた者として、頭の中に閃(ひらめ)くものがあったのを 今もハッキリと覚えています。

「この仮設校舎を、そのまま昭和児童センターとして活用すればイイじゃないか。」

この仮設校舎を そのまま児童館として活用すれば、これまで危ない思いをして遠くの施設に通っていた放課後児童の劣悪な環境が解消されると同時に、新たな児童館の建設費用と 仮設校舎解体の費用がダブルで節約できることになります。一石二鳥イヤ三鳥の提案であることは間違いありません。

当時の市長は鷲沢正一氏。一筋縄でゆかない頑固者として知られていました。

が、遠慮などしておれません。

このまま仮設校舎を解体してしまえば 全ては覆水に返ってしまうことから、私は矢も楯も無く市長室に飛び込み「仮設校舎を解体せずに 昭和児童センターとして活用を!」と直談判したのでした。

私の話しを聞いた 普段はなかなか首を縦に振らない鷲沢市長でしたが「実は、オレも倉野さんと同じように考えていたんだ。」と吐露し「それしかないな。」とポツリ。

もって、昭和小学校の仮設校舎は そのまま「昭和児童センター」として活用されることになったのでした。

 

 

 

 

今でこそ「公共施設マネージメント」として (公共)施設の有効活用が論じられているところですが、当時、仮設とはいえ 既存の市有施設を別の目的(所管外)で活用(流用)することは斬新な発想であり、いわば〝公マネの走り(先駆け)〟とでも申しましょうか。

いずれにしても、新人議員の提案に市長が応えたことで 大規模校の放課後児童問題が一気に解決することとなったのでした。

 

 

 

時節は夏休みに入り、各児童センターでは終日に亘り 児童の預かり事業が行なわれています。

私自身 挨拶回りを重ねる中で、ときに過去の取り組みを回顧しつつ これからも児童をはじめざまざまな面での福祉向上に力を尽くしてゆきたいと改めて思いをいたしたところであります。

青木島児童センター園庭お砂場の「日よけ」を固定するフレームを〝市民力〟で設置

26日の早朝6時「青木島児童センター」に市民の有志が集まり、施設の園庭にある「砂場」で遊ぶ子どもたちを直射日光から守るための日よけ(タープ)を固定するためのフレーム設置が〝市民の力〟で行なわれました。

と いうのもの、昨年来 この児童センターの利用児童の欠かせぬ「居場所」であった青木島遊園地が、いわゆる〝大人の都合〟で廃止されたことにより 子どもの居場所が奪われることになってしまったことに鑑み、施設の隣に住むYさんと 地元の「長野千曲ライオンズクラブ」が〝共鳴〟し、で あるなら、既存の施設の環境整備を進めることで 子どもの放課後保育をより良いものにしてあげよう!と立ち上がったものです。

 

(さらに)で あるなら、小学校が夏休みに入り 終日に亘り児童センターを(児童が)利用することになっていることから、一日も早く設(しつ)えてあげたい ということになり、この日の〝早朝作業〟となったところです。

砂場の日よけ(タープ)については、管理主体である長野市社会福祉協議会が「モノ」だけは持ってきていましたが、それも ただブラ下げているだけで用を為していません。

この状況について「子どもたちが熱中症なってしまうから 早期にキチンとした整備を」と申し入れておりましたが、生煮えの答えに終始していたことから「だったら行政をアテにせず〝市民力〟で整備してやろう」となったものです。

 

作業は、その道に長(た)けるYさんが中心となって進められました。

予め砂場の尺(しゃく)を取ったうえで それに見合ったサイズの単管パイプを用意し、クランプで結合しながら枠を成してゆきます。

 

 

 

ある程度に組んだ枠を砂場に持ち込み「せーの!」で立てては さらに結合してゆきます。

 

 

 

「オレは毎日 こんなことやってるからよ。」と言いながら手を進めるYさんの段取りはさすがのもので、あれよというまに枠が組まれてゆきました。

 

 

 

単管パイプの組上げにより 砂場全体をカバーするガッチリとした直方体の枠が組まれ、そこにタープを掛けてゆきます。

 

 

 

ほどなくして、今までダラリと掛かるだけだったタープが いわば屋根のようにシッカリとした形で砂場を覆うこととなりました。

 

で…Yさんの設計は ただ(枠を)置いただけに止(とど)まりません。

枠の強度↑のために組まれた 地面を横につなげる単管パイプについて、そのままだと子どもがつまずいて転ぶかもしれないと、Yさんは地面に接したパイプを埋設するように指示されたのです。

 

 

なるほど、これなら単管パイプが土中に収まり いわば〝バリアフリー〟に。

 

 

これなら 子どもが「お砂場だ!」と走ってきても、(パイプに)つまづいて転ぶことは無いでしょう。

 

 

 

Yさんの優しさがにじみ出る加工だったのでした。

 

 

後刻、児童センターに足を運んでみると、そこからは 子どもたちの明るい歓声が聞こえてきました。

 

 

 

 

日よけに守られながら、子どもたちが 笑顔いっぱいに砂遊びに興じていました。

 

 

 

3×4m程度の〝限りあるスペース〟ですが、子どもにとっては何のその。そんな(限られた)中でも 存分に創造力を働かせ、夢中で手やスコップを動かしていました。

中には お砂場の中に「池?」を造ろうと 水を運ぶ子らも。

器に水を入れ歩く子の足元は 今朝ほどの造作で〝バリアフリー〟となっており、子どもは汲んだ水をこぼすこと無く運ぶことができていました。

 

 

 

 

青木島児童センターについては、子どもの気持ちを度外視したままに遊園地(=居場所)が廃止に追い込まれ、その後は さらに子どもの望ましい環境を度外視したままに、児童センターを小学校内に移転させようとの無理な計画が進められようとしています。

それ(無理な計画)は 本来 関係者がめざすべき児童福祉に叶うものでは無いことから、心ある市民は 周辺環境が整うまでは 今の青木島児童センターの環境を維持・整備したうえで〝決して急ぐことなく〟放課後児童の環境整備に臨むべきと考えておられるのです。

 

そのうえでの今回の「市民力の発揚」でありました。

今回の〝お砂場整備〟は「たかが日よけ・されど日よけ」の位置づけで、限られた環境・だからこそ心ある整備を行なうことで、子どもの安心・安全な居場所の確保に資することができました。

 

 

 

これからも、ときに市民レベルのスピード感と柔軟性をもって「できること」を模索しながら、大人の事情で無碍(むげ)に居場所を奪われてしまった 青木島児童センター利用児童の笑顔が取り戻されるよう努めてゆきたいと、一同は心中(しんちゅう)に期したところでした。

 

取りも敢えず、おつかれさまでございました!

 

 

 

 

★ オ・マ・ケ 「お砂場(の上)に、新たな生命体が ^^」

児童たちが日(陽)に晒(さら)されることから、使用が憚(はばか)られていたお砂場は、この日をもって使用再開されることに。

で その際、ネコ(の糞尿)被害防止のために砂場を覆(おお)っていたカバーを外すことになったのですが、さて外そうという段に ヨク見れば。

 

 

 

(この画像ではヨク分かりませんが)何と、ここ数ヶ月の間にできた水たまりの中で オタマジャクシが元気に泳いでいるではありませんか。

これを現認した私たち このまま地面に流してしまうには忍びないと、Y支援員さんに〝保護〟を依頼 バケツに移してあげました。

 

 

 

このオタマジャクシたち、これからセンターの〝新たな友だち〟として飼われることになるそうです。

こんな水ったまりにカエルの子とは…自然界の生命力の強さを再認識すると同時に、ここの児童センター利用児童も このオタマジャクシにあやかり、いかなる環境の下でも元気に生き抜く「たくましさ」のようなものを育(はぐ)んでほしい、と勝手に願いを込めたところでありました。

 

 

 

長野市が行なう「子どもの体験・学び応援モデル事業」に多くの「?」が

24日の定例記者会見で 長野市の荻原市長が「子どもたちのスポーツ体験や英会話教育などを支援するために、市内の小中学生全員に1万円分の電子クーポンを配布する」ことを発表したことが報じられました。 事業名は「子どもの体験・学び応援モデル事業」です。             この新たな事業については、さき(21日)の政策説明会で 各議員に説明されていましたが、この日の市長会見(記者発表)まで部外秘扱いになっていましたので 論評を控えておりました。 が…私自身、21日の時点でこの事業の説明を受けた中で さまざまな疑問点が瞬(またた)くこととなったのでした。   長野市(財政部説明/添付資料)によると、この事業(の趣旨)は「スポーツや文化芸術・自然体験・民間の各種教室など 市や民間が多様な体験プログラムを用意し、そのプログラムの参加に利用できるクーポンを配布することで、子どもたちがプログラムを通じて自分の好きな活動を見つけ、自己肯定感を育みながら成長できる環境を提供するもの」とされています。         クーポン利用の対象は下記のとおりだそうです。 ◆体験プログラム (原則として)長野市で開催される 国の学習指導要領に示されている内容・心身の成長が期待される体験(持続的な参加を強制するものではないこと) 例/スポーツ教室やキャンプ体験・かけっこ教室・楽器演奏体験 ◆教育プログラム 市の登録を受けた事業者が提供する 主に以下に該当するサービス ・文化芸術教室(英会話・音楽・絵画・パソコン教室など) ・スポーツ教室(野球・ダンス・水泳教室など) ・学習塾/中学生のみ(進学塾・補修塾・家庭教師など)           市は、庁内に「体験・学び応援事業事務局」を設置し そこから利用者世帯にクーポンを発行します。クーポンを手にした子ども(世帯)は 予め登録した事業者の施設に足を運んで 1万円分の体験サービスを受ける、というものです。 市(応援事業事務局)は、クーポンの利用結果や、利用者・事業者にアンケートと行なうなどして効果測定を実施し、子どもの学校外活動の参画状況・体験プログラムのニーズ把握などを調べたうえで、継続的な実施をめざす としています。         対象は、10月1日時点で小中学生を有する者とされ、クーポンが利用できる期間は 今年の11月1日から来年の1月31日となっています。 総事業費として、約3億6.000万円が計上されています。      
荻原市長は「子どもたちの成長につながる上質な体験や学びの機会を提供することは、オリンピックを開催した長野市らしい支援の在り方であり、未来に向け人を育てる取り組みを推進します。」としておられました。       私自身、この事業を聞いた瞬間には 子どもに体験の機会を与えることは意義深いと肯定的に捉えたものでした。 が…説明を聞き進めるうちに、いくつか(いくつも)の疑問点が生じてきたところです。 ・クーポン支給の「その後」はどうなるの? 1万円のクーポン支給、そこまではイイ。ところが 問題はその後でしょう。 それまで▽▽教室にいったことの無かった子ども(Aくん)が、クーポンをもらって▽▽教室に行きました。そこで学ぶ喜びを知ったAくんは、この教室でズ~っと学びたいと思うようになりました。 ところが、困ったのはAくんのママ。経済的に余裕のないこの世帯は、継続的にAくんを通わせることなどできないことから、1万円のクーポンを使い切った時点で Aくんには▽▽教室を諦(あきら)めさせることに。 Aくんは、クーポンを手にしたばっかりに 現実の厳しさを再認識させらさることとなってしまいました。 そうです。このクーポンは いわゆる〝バラマキ〟であるために、特に経済的に厳しい世帯には 一時の夢を見させるだけの「罪つくりな事業」となってしまうのです。   一方 この事業は、既に習い事に通う月謝の補填にも使えるとのこと。 経済的に余裕のある世帯には実質的な支援になり、そうでない世帯には 一時の夢を見させることになる。 いわば「富める者を支援し 富まざる者には辛い仕打ち」を与えることになりかねないのです。   ・なぜ 冬季限定のクーポン? クーポンが利用できる期間は 今年の11月1日から来年の1月31日、いわば冬季限定です。 その一方で、体験プログラム/スポーツ教室 の筆頭には「野球」が。???であります。(市長のキャリアがスキーだから、ウィンタースポーツ偏重ということでしょうか)   ・支援(クーポン支給)の対象は〝事業者〟のみ? 前掲の 例えば「野球」の場合、多くの子どもは地域のスポーツ少年団に加入して〝体験〟を積んでいます。それら地域のスポーツ団体は、今回の支援の対象から洩れることになるのでしょうか。 それらを踏まえれば、今回の事業は いわゆる「事業者支援」ということになるのでしょうか?     ・・・・・・。 何となく聞こえのイイ「子どもの体験・学び応援モデル事業」は、どうやら〝バラマキ施策〟の様相を呈しているようです。 それも、子どもに体験させることで それがかえって各世帯の経済状況を顕著にさせる〝格差施策〟にもなってしまうことが懸念されます。   これら さまざまな疑問点に対し、おそらく市は「あくまで試行的・実証実験的な事業ですから〝まずは行なってみて〟それから今後のことは考えたい」との答弁が聞こえてくる感ですが、その〝実験〟に 3億超の予算投入です。   なお この事業は、文科省やこども家庭庁の所管では無く、経済産業省のマターなのです。 そこに「子ども体験をキッカケに(事業者の)経済活性化を」とのハラが見えてきます。     荻原市長が「全国で初の取り組みです!」胸を張って表明した「子どもの体験・学び応援モデル事業」は、初見の段階においても 多くの「?」が点(とも)っていることから、来る9月(実質8月)議会で検証してゆきたいと思うところです。   何だか、向いている方が違う…と思うのは、私だけでしょうか。

コロナ再燃?

市議選に向け あいさつ回りを重ねる中、やや気になる話しを耳にします。

何軒かのお宅で「コロナ感染症」の話しが出されたことです。

あるお宅では、孫の通う学校で(コロナ)集団感染が発生し また(孫らが)来れなくなってしまったとのこと、また あるお宅では、親族がバスの運転手をしており そこ(職場)でクラスターが起きてしまったことで運転手自体が足りなくなり、減便を余儀なくされたとのこと(これは さきに報道されたN社のことのようです)、また あるお宅では、直接的な感染は無いものの「長野県知事と副知事が揃って感染しちゃったわよね。」と話題にされました。

 

あれだけの猛威を振るい社会に甚大な影響を与えた「新型コロナウィルス禍」でしたが 今年2月頃に発生した「第8波」を経た後に感染者数が激減、そして5月には医療法上の「5類」に〝格下げ〟されるなどして 沈静化の様相となっています。

その後の社会では マスク着用が自由化されるなどし、人の移動やイベントなどの社会行動も コロナ禍に前に戻ることとなり、コロナウィルス感染症は もはや〝過去の流感〟との意識が広がりつつある(広がっている)ところです。

 

そんな中 足を運んだお宅で聞かれた〝コロナの話し〟には、私自身 何というか〝ひと昔前の話し〟を聞かされたようなミスマッチ感を彷彿としてしまうところでありましたが、実際にはそうでも無い…コロナ禍は 未だ脈々と社会に影響を与え続けていることを自覚(自戒)させられてしまいました。

それらを踏まえ、私たちは 改めて〝兜の緒(かぶとのお)〟を締め直さなければならないようで、それは〝夏休みの到来〟にあるようです。

報道によると、さきに行なわれた厚労省の専門家会議の中で「コロナ感染症は今後、夏の間に一定の感染拡大が生じる可能性がある」とされたとのこと。

 

 

 

同専門家会合によると、現在のコロナ感染状況は「全国的に緩やかな増加傾向が続いている。特に沖縄県で感染の拡大がみられる」とのこと。

このことから「今後、夏の間に一定の感染拡大が生じる可能性がある」として、手洗い・換気・マスクの効果的な場面での着用などの基本的な対策が重要だとのことです。

会議の中で、新規患者数は全国的には4月上旬以降 緩やかな増加傾向で、5類移行後も7週連続で増加が続いているということ、地域別では46都道府県で前週より(新規感染者が)増えているとのことです。

新規入院者数や重症者数も増加傾向で、医療提供体制は全国的にひっ迫はみられていないものの 沖縄県では入院者数の増加や病院内でのクラスターの発生で医療への負荷が増大していると指摘されました。

検出される新型コロナウイルスの種類についても、特にインドなどで拡大し 免疫を逃れやすい可能性が指摘されている「XBB1.16」の割合が増加傾向だとのことです。

 そのうえで 今後の感染の見通しについては「過去の状況などを踏まえると 夏の間に一定の感染拡大が起きる可能性があり、医療提供体制への負荷が増大する場合も考えられる」としたうえで、時間の経過などで 感染やワクチンによる免疫が低下していること・変異ウイルスの増加・夏休みなどで接触の機会が増えること、などが感染の再燃つながることから 特に注意が必要だ としています。


また 別の席(日本医師会の記者会見)では、コロナが沖縄県で急拡大していることなどを踏まえ「現状は第9波と判断することが妥当だ」と指摘されていました。

 

 

 

会見の中で 日本医師会のK常任理事は、新型コロナウイルスの感染状況について「5類への変更後 一貫して全国で徐々に増えているのは変わらない。ほとんどの県で 5月より6月のほうが報告数が増えており、特に沖縄県の感染者の増加が非常に著しい」と述べたうえで「これまで 一時的に下がって、もう一度上がる状態がずっと持続している場合には〝新しい波〟と考えてきたことから、今の状況は「第9波」と判断するのが妥当ではないか」とのことでありました。

この いわば慎重論に対し、厚労大臣は「現時点で第9波とは考えていない」と〝火消し発言〟をしていましたが、専門家(医師)の予測には 決してフタをすべきではないと思われるところであります。

 

私自身、5類移行後には〝隠れ感染者〟が一定数は居るのではないかと思わされています。

と いうのも、ご案内のとおり 5類移行後のコロナ診療は自費となったことから、感染後のワクチン接種も自費(約5,000円)となっており そのための受診控えが増えているんじゃないか。

たとえコロナと分かった後も ワクチン接種などの専門治療を控えることで治癒が遅れ、そうこうしているうちに 第二第三の感染が起きているんじゃないか と。

また 感染の報告についても〝定点観測〟となったことから、どうしてもアバウト(概数)となってしまい その数も実際より低め公表となっているような気がします。

 

いずれにしても、減ったとはいえ「コロナはコロナ」あの難儀な症状は変わることなく身体に悪影響を及ぼすことから、私たちは(前掲のとおり)夏の本格到来に合わせて〝兜の緒〟を改めて締め直して 第9派が本格化しないよう努めることが求められていることは間違いありません。

 

あんな思い(社会状況)は もうこりごりです。

でも、私たちの経験値をすれば 第9波は防げる。

そんな自覚をもって、この夏を乗り切りたいものです。

 

本当に怖い「水の事故」

夏休みシーズンに入ったここ数日、全国各地で「水の事故」が相次いでおり、去る17日には 長野市内を流れる裾花川でも水難事故が発生することとなってしまいました。

そんな中、小学生の子を持つ親御さんの元(もと)に 長野市教育委員会(長野中央警察署)から〝注意喚起メール(LINE)〟が届いたことを教えていただきました。

 

 

 

文面は下記のとおりです。

日頃から本市の教育行政にご理解とご協力をいただき、ありがとうございます。

長野中央警察署から以下の内容について配信依頼がありました。お子様と一緒にご確認ください。

<以下、長野中央警察署より>

7月17日午後長野市の裾花川において、長野市内の小学生が川遊び中に溺れる事案が発生しました。

水の事故は、6月から8月に多く発生しています。

特に夏休み期間中は、川遊びなど水に関わる機会が多くなります。

川の場所によっては、川の流れが速くなっていたり、急に深くなっていたりするところがあるので注意しましょう。

子どもだけで川遊びをしないようにして下さい。

水際の護岸やテトラポットなどはとても滑りやすく、転落などの危険性がありますので、魚釣りや水遊びの際は、必ずライフジャケットを着用しましょう。

子どもは、活動的で常に動き回ることを念頭に、子どもを遊ばせる際、保護者の方は周囲に危険個所がないかを確かめ、子どもから目を離さないようにして下さい。

 

今回の水難事故を受け、関係者による現地調査が行なわれたことも報じられています。

 

 

 

調査の中で関係者は「事故現場は川の流れも緩く、一見的には危険な要素は見当たらないけれど 川の中央部に進むと急に深くなっており、もし足を取られでもすれば溺れることになってしまう。再発防止には、皆さんご自身が「水は怖いんだ・危険なんだ」ということを認識して時間を過ごしていただきたい。」と話しておりました。

 

 

一連の「水の事故」に接し、私自身も その怖さを体験したことを思い起こします。

遡ることン十年前の大学生時代の盛夏 岐阜県郡上八幡を故郷にもつ友人(寮友)のNくんの実家に遊びに行かせていただいた折、せっかく来たのだからと 町内を流れる銘川(めいせん)の「吉田川」で泳いだことがありました。

 

 

 

長良川の遙か上流である吉田川、その水流はどこまでも澄み 古き佳き自然を今に残すものでありました。

川岸には頃合いのイイ巨石が並び、そこから多くの少年たちが飛び込んでは 楽しく嬌声を上げていました。

 

 

 

そんな中、にわか少年となったわれわれも 子供達に交じって遊泳を楽しんだのですが、そのときに「怖いな」と思ったのが 一見緩やかに思えた川の流れの強さ(勢い)でした。

右岸から左岸へと川を横切ろうと (川を)真横に泳いで(横切って)みたのですが、実際に自分が上がったのは、予定していた場所の数十メートルも下流でした。

どうやら水の勢いに押され、下流へ下流へと押し流されたようなのです。

見た目は本当に穏やかな流れなのに、人一人を いとも簡単に下流へと運んでしまう水勢(すいせい)に「怖い」と初めて実感させられたものでした。

 

また 河川においては、川岸や水中にある石が 水苔(みずごけ)によって非常に滑りやすくなっていることも ご案内のとおりです。

水深が浅いからといって 安易に川の中央部に近づいたとき、万一 足元を(滑って)取られて転び、深みに身体を持ってゆかれたとすれば 本人の意思に拘わらず下流(深み)へ流されることは必定でありましょう。

 

特に今夏は暑くなりそう…というか 既に猛暑の様相となっており、人は涼(りょう)を求めて 川や海などの水辺に行きたくなるのは人情というものです。

しかし、そこには〝見えない危険〟が潜んでいる。

 

本来は楽しいハズの 水辺のレジャーです。

ましてや 日に焼けた思い出をつくる夏休みの時期に、不測の事故など 誰も願うものではありません。

充分に注意喚起しながら、楽しい時間を過ごしていただきたいものです。

本当に怖い「水の事故」

夏休みシーズンに入ったここ数日、全国各地で「水の事故」が相次いでおり、去る17日には 長野市内を流れる裾花川でも水難事故が発生することとなってしまいました。

そんな中、小学生の子を持つ親御さんの元(もと)に 長野市教育委員会(長野中央警察署)から〝注意喚起メール(LINE)〟が届いたことを教えていただきました。

 

 

 

文面は下記のとおりです。

日頃から本市の教育行政にご理解とご協力をいただき、ありがとうございます。

長野中央警察署から以下の内容について配信依頼がありました。お子様と一緒にご確認ください。

<以下、長野中央警察署より>

7月17日午後長野市の裾花川において、長野市内の小学生が川遊び中に溺れる事案が発生しました。

水の事故は、6月から8月に多く発生しています。

特に夏休み期間中は、川遊びなど水に関わる機会が多くなります。

川の場所によっては、川の流れが速くなっていたり、急に深くなっていたりするところがあるので注意しましょう。

子どもだけで川遊びをしないようにして下さい。

水際の護岸やテトラポットなどはとても滑りやすく、転落などの危険性がありますので、魚釣りや水遊びの際は、必ずライフジャケットを着用しましょう。

子どもは、活動的で常に動き回ることを念頭に、子どもを遊ばせる際、保護者の方は周囲に危険個所がないかを確かめ、子どもから目を離さないようにして下さい。

 

今回の水難事故を受け、関係者による現地調査が行なわれたことも報じられています。

 

 

 

調査の中で関係者は「事故現場は川の流れも緩く、一見的には危険な要素は見当たらないけれど 川の中央部に進むと急に深くなっており、もし足を取られでもすれば溺れることになってしまう。再発防止には、皆さんご自身が「水は怖いんだ・危険なんだ」ということを認識して時間を過ごしていただきたい。」と話しておりました。

 

 

一連の「水の事故」に接し、私自身も その怖さを体験したことを思い起こします。

遡ることン十年前の大学生時代の盛夏 岐阜県郡上八幡を故郷にもつ友人(寮友)のNくんの実家に遊びに行かせていただいた折、せっかく来たのだからと 町内を流れる銘川(めいせん)の「吉田川」で泳いだことがありました。

 

 

 

長良川の遙か上流である吉田川、その水流はどこまでも澄み 古き佳き自然を今に残すものでありました。

川岸には頃合いのイイ巨石が並び、そこから多くの少年たちが飛び込んでは 楽しく嬌声を上げていました。

 

 

 

そんな中、にわか少年となったわれわれも 子供達に交じって遊泳を楽しんだのですが、そのときに「怖いな」と思ったのが 一見緩やかに思えた川の流れの強さ(勢い)でした。

右岸から左岸へと川を横切ろうと (川を)真横に泳いで(横切って)みたのですが、実際に自分が上がったのは、予定していた場所の数十メートルも下流でした。

どうやら水の勢いに押され、下流へ下流へと押し流されたようなのです。

見た目は本当に穏やかな流れなのに、人一人を いとも簡単に下流へと運んでしまう水勢(すいせい)に「怖い」と初めて実感させられたものでした。

 

また 河川においては、川岸や水中にある石が 水苔(みずごけ)によって非常に滑りやすくなっていることも ご案内のとおりです。

水深が浅いからといって 安易に川の中央部に近づいたとき、万一 足元を(滑って)取られて転び、深みに身体を持ってゆかれたとすれば 本人の意思に拘わらず下流(深み)へ流されることは必定でありましょう。

 

特に今夏は暑くなりそう…というか 既に猛暑の様相となっており、人は涼(りょう)を求めて 川や海などの水辺に行きたくなるのは人情というものです。

しかし、そこには〝見えない危険〟が潜んでいる。

 

本来は楽しいハズの 水辺のレジャーです。

ましてや 日に焼けた思い出をつくる夏休みの時期に、不測の事故など 誰も願うものではありません。

充分に注意喚起しながら、楽しい時間を過ごしていただきたいものです。

市民生活を〝民間力〟が守る =ライオンズクラブが長野市に「未来型災害支援ターミナル」寄贈 など

今年6月に 国際的なボランティア団体「ライオンズクラブ」が、さきの「令和元年東日本台風」で大きな被害を受けた長野市に「未来型災害支援ターミナル」を寄贈し、そこに装備されている大型ドローン(2機)が イザというときに活用されることが期待されています。

 

 

 

これは さきの「令和元年東日本台風」の際に、千曲川が決壊し道路も寸断され 避難所などに救援物資を届けるのに時間がかかったことを、当時 被災地で活動していたライオンズクラブが「何とかならないか」と考え、ライオンズクラブ国際協会の支援を得たうえで 専門企業に依頼し大型ドローンを製作したものです。

 

 

 

このドローンは、全幅が約2mの大型のもので、最大20kgの荷物を自動で運搬できるものです。

 

 

 

この設備の寄贈を受けた長野市は、被災地の状況確認や迅速な救援物資の運搬に役立てることにしています。市職員11人がドローン運用の専門チームを結成し、ライセンスを取得すると共に イザというときに備えて訓練を重ねるということです。

 

 

 

 

未曾有の自然災害においては、被災地の状況把握と緊急支援物資の速やかな搬送が求められるところですが、それを「人海(じんかい)」で行なうとなると 出動した者自身に危険が及ぶなど さまざまなリスクが懸念されます。

そのような場面での「ドローン」の活用は、人的リスクを回避すると共に 時間的にも非常にスピーディーな対応が可能であることから、非常に機を得た事業(寄付)であると思います。

 

で…それら機を得た事業が、行政ではなく「民間力」で行なわれたことが非常に意義が大きいと申せます。

このことを 行政だけに依存していれば、設置(配備)まで相当の時間がかかることと思いますが、それが 実にスピーディーに行なわれたことは大きく評価されるところでありましょう。

 

このように「民間力が市民生活を守る(向上させる)」ことは、今後の地域の運営において〝肝〟となる善行ではないか と。

この ドローン関連機材の寄付をはじめ、例えば児童センターの整備に、また 例えば障がい者支援にと、民間の方々が積極的に手を挙げ さらには 民間力ゆえに行政の〝縛り〟無しに、いわば自由度をもって市民生活を向上させてくれることに大きな期待が寄せられています。

 

・・・・・・。

行政に関連した中に身を置く者としては、いわゆる行政絡みとなると いたずらに時間がかかったり、(前掲のとおり)〝縛り〟があって使い勝手の悪い案件があることに 一抹のジレンマを感じているところです。

そういう面において、このような「民間力の発揚」は 非常に頼もしくあり、今後もさまざまな場面で取り組まれることを期待いたすところです。

 

「青木島こども未来プラン」 迫る〝7月末に示される方向性〟

この日(19日)は、長野市の大きな懸案となっている「青木島小学校の放課後児童問題」の直下にある青木島小学校の「学校開放日」とのことで、たまたま訪れた中で 学校に子どもを通わせる児童の保護者さんや関係者さんと意見を交わす機会となりました。

 

 

 

 

昨年来「青木島遊園地存廃問題」に端を発した〝青木島小学校の放課後児童の環境を如何(いか)に守るか〟との大きな問題は「遊園地の廃止で終了」というワケにゆくハズも無く、舞台を青木島小学校に移す(市が無理やり移そうとする)中 いわば〝第2ラウンド〟のゴングが鳴ることになっています。

これまでもレポートしているとおり、市(市長)は「青木島こども未来プラン」と称して これまでの(遊園地を一方的に廃止した)汚名返上とばかりに壮大?な計画をブチ上げたところですが、この〝机上の空論〟には 今いる児童に大きな〝無理〟を強いることになることから、保護者や関係者から強い疑問の声が上げられることとなっています。

 

 

青木島遊園地問題 =長野市が 子どもの新たな居場所について計画案を発表= - 倉野立人のブログです。

長野市が子どもたちの欠かせぬ居場所であった「青木島遊園地」を半ば一方的に廃止したことで、市(市長)は子どもたちの〝新たな居場所を提供する〟として、計画(案)を示し、...

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さきの6月議会でも、私はもとより多くの議員からも 現計画について「拙速に進めるべきではない」との異論が出されたことから、市(市長)は それまでの「スピード感をもって進める」との口調を改め「7月末を目処に市の方向性は出したいと思うが、調整が整わないところがあれば、決して急ぐことなく、多くの皆さんの意見を尊重しながら進めてゆきたい。」と(イイ意味で)トーンダウンすることとなっています。

 

そのこと(トーンダウンしなければならないこと)は、奇しくも この日の学校開放(による施設現認)によって再認識されることとなりました。

北校舎の2階には、今の青木島児童センターに通う放課後児童(低学年)を収容するという「集会室」があります。

 

 

 

この部屋を見れば、(ご覧のとおり)ただの〝がらんどう〟となっています。

ここに、遊ぶ・学ぶ・休む・整える などのさまざまな様態の放課後児童を一律に放り込むというのでしょうか。

 

 

 

このことについて、市(所管課)から〝信じ難い説明〟があったと ある保護者さんは嘆いておられました。

所管の職員は「この集会室は、今の青木島児童センターと床面積が同じだから 何の問題もありません。」と 半ば平然と答えたとのこと。

読書する児童の脇を かけっこする児童が嬌声を上げて駆け抜ける。それを「静かにしなさい!」と諫(いさ)めなければならない支援員さんの気苦労。

そんな〝ごちゃ混ぜ児童センター〟にしてしまえば、健全な子どもの居場所などになるハズもありません。

そこまで思慮せず(または分かっていながら 敢えて触れずに)「床面積が同じだから ここを使う予定です」とは、よくぞ言ったものだと思わざるを得ません。

(おそらくは、避難所みたく パーテーションでも立てろというところでしょうが、多様な児童の居場所を何と考えているのでしょうか)

 

また、こちらは「中庭」です。

 

 

 

 

大人の都合で潰した青木島遊園地の代替えとして(市は「選択肢のひとつ」と言ってはいますが)推奨しているスペースですが、これとて あの緑豊かな遊園地の代わりになり得るとは到底思えないと、保護者さんは嘆いておられました。

確かに、セキュリティの上では 校舎に囲まれて「管理」はしやすいかもしれませんが、(ある保護者さん曰(いわ)く)「教室に直結しているので、無断で校内に舞い戻ってしまう児童が出るのではないか」との新たな問題も想定されるとのこと。

で 何より、この中庭の〝地面〟が、レンガを敷きつめたインターロッキングであるため ちょっとつまずいて転べば即スリ傷となり、勢い余って頭でも打てば大怪我につながる危険が内在しているとの指摘もあるところです(現に 今でもケガした児童が多発)。

 

 

 

 

そのうえ 今の猛暑の中では、インターロッキング上は あたかもフライパンの目玉焼き状態。「ここで遊べ」は「熱中症になれ」と言っているようだと言(ご)ちる親御さんも。

 

 

事ほど左様に、さきに市(市長)が提案した「青木島こども未来プラン」は 施設や児童数などの、現状を度外視した無理な計画であることが明らかになっています。

そのうえで…というか荻原市長は、既に公(おおやけ)の場で「7月中を目処に市の方向性は出す」と明言していることから、かかる〝現実〟を踏まえて どのような方向性を示すのか、否が応でも注目されるところであります。

前掲のとおり「調整が整わないところがあれば、決して急ぐことなく、多くの皆さんの意見を尊重しながら進めてゆきたい」を旨として 適切な見直しを表明するのか?それでも 当初の計画どおり突き進むのか?

彼の口からどんな発言がされるのか、ここでも資質が問われることになるでしょう。

 

また、市には〝積み残し案件〟が遍在していることも忘れてはなりません。

青木島遊園地を廃止に追い込んだ 一連の経過(経緯)について「検証委員会」を設置して検証することになっています。

この検証結果(取り組み状況)も 未だ聞かされていない状態です。

 

さらに「青木島こども未来プラン」の提案に合わせて「多くのみなさんから意見や質問を伺いたい」としながら、そのクエスチョンに対するアンサーも聞かされていない状況です。

 

そんな中、時間だけは刻々と過ぎています。

先ずは、7月末に示される市長の方向性の中身・そのうえでの〝積み残し案件〟の市の報告や回答の中身を聞いたうえで、私たち市民は 二の矢・三の矢を準備することになるでしょう。

ところが 市は、計画などの提示には〝スピード感〟があるものの、市民対応(回答)などのリターンには非常に時間がかかる(下手をすればしらばくれて終わらせる)癖(へき)があることから、私たち議会に身を置く者は その点のチェックも怠りなくし、適切に「詰めて」ゆきたいと思うところです。

 

 

ところで…最近になって、市から〝新たな行政用語〟が散見されるに至っています。

それは「立ち止まる」との言葉です。

これは「青木島こども未来プラン」における矛盾点や問題点を指摘された市(所管)が、それに対する答弁の枕(まくら/冒頭)に多用するようになっているもので「その点については、いったん立ち止まって考えたいと思います。」とか「市民のご指摘を受けて、立ち止まることとしました。」などと多用されているのです。

これは、一見 丁寧に答えているように聞こえますが、その中身は「やり直す」とか「見直す」ではなく、ただ一時停止するだけのことなのです。

これは その後になって「立ち止まって考えてみたけれど、やっぱり当初の計画どおり進めることにしました。」と答える〝余地〟を残している 実に(市にとって)都合のイイ言葉と言えるでしょう。

このことについては、市(市長)の〝前歴〟を回顧せざるを得ないところです。

あれだけ多くの市民が存続を願っていた青木島遊園地について、市民集会を開いてまでして 市民の声を聞き取ったあげく「やっぱり廃止」を突き通してしまった。

今回もまた「みんながイロイロ言うので 立ち止まってはみたけれど、やっぱり当初の計画どおり進めます。」と言いかねない危うさを孕(はら)んでいると考えざるを得ないのです。

「立ち止まって考える」これは、後で何とでも言い逃れのできる〝マルチな回答〟なのです。