障がい者・とりわけ知的障がい者支援に取り組むグループ「Gota」のMキャプテンを介して『障害者優先調達推進法』について意見を交わす機会がありました。
その中で、この 本来は障がい者支援につながるべく制定された法律が、その目的(障がい者支援)を果たしていないこと、さらには 同法の上に胡座(あぐら)をかく形で、関係者が社会規範に悖(もと)る行為(事業)を 半ば公然と行なっている実態が見えてくることとなりました。
『障害者優先調達推進法』は、障がい者就労施設等の受注の機会を確保し、障がい者就労施設等が供給する物品等に対する需要の増進等による障がい者の自立を促進するため、「国等による障害者就労施設等からの物品等の調達の推進に関する法律(障害者優先調達推進法)」として、平成25年4月1日から施行されています。
この、一義的には障がい者の生活向上に資していると思われる同法が 実際にはそうなっていないことが、関係者の話しで明らかになってきているのです。
その詳細(具体例)については後日に譲ることといたしますが、ザックリ説明すると 下記のような顛末になっています。
今回 話題(問題)になったのが、長野県から障がい者就労施設(団体)に出された印刷物の発注における課題(問題)です。
長野県においても『障害者優先調達推進法』に基づき、障がい者就労施設等からの物品等を積極的に調達するとの方針の下 ある印刷物を、障がい者就労施設(A施設)に発注しました。
[参考]長野県における障害者優先調達の取り組み(長野県HP)
↓
https://www.pref.nagano.lg.jp/shogai-shien/kenko/shogai/shuurou/yusenchotatsu.html
ところが、印刷物の作成を 入札に基づき受注したA施設は、その作業(印刷)を自分の施設で行なうことなく 取引のある民間の印刷会社(B社)にそのまま外部発注したそうなのです。
A施設から受注したB社は 製品(印刷物)を仕上げてA施設に納品し、A施設はそれを完成品として県に納入したとのことでありました。
この、一見 何ということの無いように見える受発注・納品の流れには、実は大きな問題点が内在しているのです。
◆問題1 受注品の丸投げ
A施設は、県が『障害者優先調達推進法』に基づき 障がい者就労施設で作業が行なわれることを前提に業務(印刷)が発注されているのに(されているはずなのに)、それを自らの施設で行なうことなく、外部に〝丸投げ〟しています。
(この行為についてA施設は「施設利用者の体調が悪く対応できなかった」と〝一時的な対応だった〟と説明しているのですが、実際には この丸投げ行為は、半ば常態化しているようなのです)
問題2 外部発注が特定の社に出されている
A施設は この〝丸投げ外部発注〟を、ごく限られた印刷会社に出しているようなのです。
そもそも「問題1」で述べたとおり、県からの受注を外部に丸投げすること自体が大問題なのですが、そのうえ その丸投げの先を、一部の者の裁量によって 限られた印刷会社に出して取引を成立させているようなのです。
これは、県からの発注という(それも『障害者優先調達推進法』に基づく)公金を扱う取引の受注ルールを私的に歪曲させたものであり、さらに二次的な外部発注(丸投げ)の先を一部の担当の裁量で行なうという、二重三重のルール違反と言わざるを得ない行為と断ぜさるを得ないものでありましょう。
「Gota」のMキャプテンは「これは 民間事業者に言わせれば とてつもなく不公平な談合取引で『障害者優先調達推進法』の 福祉の衣を着た〝福祉ビジネス〟に他ならない」と憤りを禁じ得ない表情でおりました。
◆問題3 『障害者優先調達推進法』に基づき発注されているのに、作業に障がい者さんが関わっていない
『障害者優先調達推進法』の本来の目的は、公(おおやけ)の事業や役務を障がい者支援施設に優先的に発注することにより 障がい者さんたちの活躍の場を設け、もって工賃アップに貢献し やり甲斐のある場を提供することであるハズです。
しかし、今回の受発注の一切に 障がい者さんは関わっておらず、法の目的に副(そ)うこと無く、ただただ取引が行なわれただけに止(とど)まっているのです。
◆問題4 発注元である県(自治体)の無関心
今回の一連の誤った取り組みについて「Gota」として県に照会したところ、県(所管課)の返答は「県としては、発注した物品が落札価格の範囲内で納品さえされていれば、その過程の中でどのような作業が行なわれていても関知するところではありません」とのことでありました。
これは いわば〝丸投げ容認〟の無責任体質に他ならないものですが、それでも いわゆるルール上では 何ら問題が無いという解釈が成立しているのでありました。
・・・・・・。
ここには『障害者優先調達推進法』の制定における、所管省の〝法の目的〟の見誤りと、それを間違った解釈のままに制度設計している自治体の漫然とした取り組みのツケが現れていると言わざるを得ません。
国(所管省)は、障がい者支援施設に発注することだけを目的とし、そのこと(発注)で 真に障がい者さんらに就労の機会と技能の向上と やり甲斐の創出・そのうえでの工賃アップが図られるかどうかは二の次になっている。
そして その間違った解釈は、そのまま 県や市町村にコピーされ、現場も(解釈を)間違えたまま発注を行ない、そして(ここが一番の悪なのですが)障がい者支援施設そのものも 真の障がい者支援を行なわないままに、受発注をこなすだけに汲々としている実態がある。
このことについては、私の立場でも 今後の大きな課題として、改善に向け取り組む決意を新たにしております。
「守るべきものが違う」ここには大きな齟齬(落差)があるところですが「Gota」チームと協働し、正すべきものを正し 真の障がい者支援を実現してゆきたいと思うところです。
日本海の海水浴場に「イルカ」が出没し 海水浴客に被害を与えていることが報じられるに接し、思わず 昨日に地域で起こった〝イノシシ被害〟に重ね合わせたところです。
報道によると、17日の「海の日」折からの猛暑によってか 多くの海水浴客が訪れていた福井県美浜町の水晶浜海水浴場で突然「速やかに浜にお上がりください!」とのビーチセーバーのアナウンスが鳴り響きました。
何をと見れば、海上を泳ぐ男性客のスグ後ろを 背ビレを立てた「イルカ」が1頭泳いでいるではありませんか。
この浜では イルカが頻繁に現れ、16日早朝には 約5mの沖合を泳いでいた男性に野生のイルカがぶつかり、男性はろっ骨を複数折る大けがを負ってしまったとのこと。これとは別に、別の男性3人も イルカに噛まれるなどして軽いケガを負ったそうなのです。
専門家によると、この単独のイルカは 群れからはぐれた「はぐれイルカ」ではないか とのことです。
この「はぐれイルカ」の行動には、いくつかの可能性があるようです。
第一には 群れからはぐれた個体が「群れ」を求めて 人に接近しているのではないかとのこと(過去にはクジラの群れに接近した事例もあるそうです)。
第二には「相手より自分が格上である」と、強い行動で示すためにぶつかってきているのではないか、とのこと。いわゆる〝マウント〟を取りにきているのではないか と。
第三には、人にじゃれついているのではないか とのこと。
いずれにしても イルカは高い知能を有していることから、さまざまな行動パターンが考えられるようです。
一方で専門家は「イルカは個体も大きく スピードや力(ちから)も持ち合わせているため、その受けるダメージは 陸上でイノシシやクマにやられるものに匹敵することから、それらと同じくらい危険なものです。」と警鐘を鳴らしています。
イルカは、その体重は100~200kgもある〝巨漢〟で、泳ぐスピードは50~60km/h にも達します。また 泳ぎ回る魚を捕食するため、鋭い歯を持っていることから、イルカにまともにぶつかられたら、人間などひとたまりもありません。また その歯でかまれなどすれば、人の指など簡単に食いちぎられてしまうでしょう。」と警告します。
そのうえで専門家は「海中では 人は陸上以上にハンディがあることから、場合によってはイノシシやクマに出くわしたときよりも被害が大きいことが想定されます。」と
海(水中)の場合は、例えば ぶつかった衝撃で気を失うなどすれば それは直ちに溺死につながることから「遊泳中にイルカを見ても 興味本位で近寄るなどの行為は絶対にしないでほしい。」とのことでありました。
動物(獣)については、テレビ番組などで 人が勝手につくりあげたイメージがあるのではないか と思います。
例えば イルカ。外国の番組「わんぱくフリッパー」の中で、飼い主に慣れ切ったイルカ(フリッパー)が活躍するストーリーや、シーワールドなどのアトラクションで芸をするイルカなどを見るにつけ「イルカは人なつっこく従順な生き物」とのイメージ先行があるのではないか。
また 例えばアライグマ。人気番組「あらいぐまラスカル」の 人なつこく可愛らしいキャラクターから、ペットとして販売されるも その実は非常に獰猛(どうもう)な性質ゆえに人慣れせず、今や捨てられ野生化したアライグマが増加傾向にあるとか。
今回の〝イルカ騒動〟においても、相手(イルカ)は やはり「獣(海獣)」としてのパワーを持ち合わせていることから〝弱者〟の人間は、野生動物に対しては 充分に注意しなければならないということでありましょう。
このことについては、先日 川中島町御厨の寺の境内でイノシシの突進をくらったKさんが 図らずも証明することになってしまいました。
Kさん曰く「相手(イノシシ)は、体長1mそこそこだったけど、その力たるや とても人間なんかが敵(かな)うもんじゃなかった。後ろからドーンと突き飛ばされれば もうそれっきり。ただぶっ飛ばされるだけだったよ。」と、今も やや痛む左腕をさすりながら話してくれました。
文明社会の頂点に居る人間ども。
しかし 素手ともなれば、その存在は非常に弱いものでありましょう。
で あるから、大自然に対し 常に謙虚でなけれなならない。
さまざまな事案が、私たちに教えてくれているのです。
16日のローカルニュースで、昭和24年に長野市内を流れる「裾花川」が決壊し 大きな被害が出た災害の「記録誌」が編さんされたことが報じられ、この取り組みに共感すると同時に、私も 裾花川氾濫のリスク(可能性)について同じく憂慮の思いを新たにしたところです。
報道によると、この記録誌を編さんしたのは 市内荒木で区長を勤めるYさん。
長野市史でも希有ともいえる〝市中水没〟の事実を踏まえたうえで「昭和24年の裾花川の決壊を知っている人がどんどんいなくなっていく。「裾花川が決壊するなんてありえないよね~」それじゃあまずいんじゃないかと思って記禄誌の編さんに取り組みました。」とのことでありました。
Yさんは、当時の新聞記事や気象台のデータと照らし合わせながら 住民の証言を得たり、関係者と現場を歩くなどしながら 当時起こったことを時系列に並べたそうです。
それによると、昭和24年9月23日の朝、それまで2つの低気圧の通過に伴う大雨が収まり 長野市内は「曇り時々小雨」の状態だったそうです。
大雨が収まって やれやれと思っていた午前5時過ぎ 裾花川の異常水位が現認され、その後 午前7時半頃、旧国鉄の鉄橋の下流「九反(くたん)」で堤防が100mに亘り決壊、水は九反・荒木方面から 大豆島(まめじま)まで濁流となって押し寄せたそうです。
さらに1時間後、上流の裾花橋の東側が崩れると 橋梁の材木が鉄橋を塞(ふさ)ぎ、もう一か所で堤防が崩れてしまい 長野駅構内では、およそ1メートルの浸水を記録したとのこと。
重ねて正午過ぎには、県庁のすぐ南 岡田町でも決壊し、人々は、近くの山王小学校に避難を余儀なくされました。
この災害で 4人が生命を奪われ、38戸が全壊・約2,000戸が浸水被害を受けることとなってしまいました。
この記録的な水害の背景には 2つの特徴が語られています。
1つは この日の気象。
災害発生の朝、長野市内も雨は降っていましたが 少雨に止(とど)まっていたとのこと。しかし その上流(鬼無里・戸隠エリア)で豪雨となり、そこで降った大量の雨水が河川水となり 一気に流下してきたそうです。
2つめは 当時の地勢。
今の裾花川は、江戸時代 松代藩(による公共工事)により、河川線形が変えられ 市内西部を流れをようになった(された)ものだそうです。
昭和24の水害の際には、濁流は もとあった市内全域を流れる支川の線形を辿るように流れ、もって 市内全域が水に浸かることとなってしまいました。
災害の後、裾花川上流では コンクリート型アーチダム「裾花ダム」が建設され、上流水の流下を大幅にコントロールすることができるようになりました。
また この災害においては、災害復旧工事に 当時の受刑者が動員され、一人の逃亡者も無く工事の大きな人手となられる美談があるなど (記禄誌には)実にさまざまな経過を辿った史実がつぶさにまとめられているそうです。
なお この冊子の最後の章は、地区の防災計画になっているとのこと。
大きな災害の歴史(史実)を振り返ると同時に 災害時の避難行動等の対応の何たるかについても詳しく掲載され、地区の自主防災会活動に役立てられることになっているそうです。
ここのところ、列島の各地で「線状降水帯」による異常な多雨による水害・土石流災害が頻発する様相、さらに長野市においては「令和元年東日本台風」による河川堤防の越水→決壊などの甚大な被害が発生するなど、河川に起因する水害や 多雨による山肌の崩落による被害が続々と報じられています。
そんな中にあっての「裾花川氾濫」の危険性の考察は、私たち長野市民にとって 避けて通れない課題であると認識するところです。
みなさん既にご案内のとおり、裾花川に接して聳(そび)える旭山(あさひやま)は 固くて脆(もろ)い「裾花凝灰岩」で構成されており、今もボロボロと崩れながら現在の景観を成しています。
これが、例えば地震や異常な多雨などによって崩落し 裾花川の本流を塞ぐことにでもなれば、そこには〝不測のダム湖〟ができ、それが臨界点に達したときには 昭和24年の水害と同様に 旧市内に向けて一気に流下することになるのではないでしょうか。
そんな懸念は いわば取り越し苦労であったとも思っていました。
しかし 今回のYさんによる記禄誌編さんの報に触れ、やはり過去の災害を忘れないでおくと同時に、ダムができたとは言え 災害の可能性については常に心に留め、今のうちから対応(対策)に知見を及ぼすべきことを再認識したところです。
もとより 裾花川流域には、長野県庁・長野市役所などの公的機関をはじめ JR長野駅などの交通インフラ拠点や住居・商業エリアなどの本市の中枢が密集しており、言いようによっては 千曲川・犀川が及ぼす水害以上に〝複合的被害〟が大きいのではないかと思うところです。
予測不能の昨今、裾花川流域も要注意 の思いを、Yさんと共に新たにいたしたところです。
予(かね)てより市民要望が重ねられてきた「公園での犬の散歩開放」について、市が 今年度「南長野運動公園」を開放するのに続き「城山公園」についても(一部)開放するよう検討していることが報じられました。
この「長野市内の公園における犬の散歩開放」については、私自身 そう(開放)すべきとの思いを温めていたところですが、いち議員の提案にしてしまうと それだけのことに止(とど)まってしまうと考え、ここは市内の愛犬家団体の方々から提案していただく形がふさわしいのではないかと思慮し そこで市内の有為な愛犬団体に〝飛び込みアポ〟を取り、事情を説明したうえで要望書(提案書)を出していただく運びとなりました。
私が〝白羽の矢〟を立てたのが「NPO法人家庭犬育成協会 パドックNAGANO」さんです。
特に面識も無いままにメールを送って協力を請(こ)うたところ、代表のHさんご夫妻は 私の思いを直ちに理解してくださり 後に協働で 2度に亘り市に要望書を提出したところです。
第1弾の要望書では 大きな河川で南北に隔てられる長野市においては(南北の)均衡ある公園開放を提案、それに対し市は 新たに「南長野運動公園」の開放を(R5年度中に向け)検討している旨を明らかにしてくれました。
一同は そのこと自体は評価すると同時に、で あるのならと、引き続き北部の公園の開放を求めることとなり、その対象を「城山公園」としたのでした。
この「城山公園の開放を」の要望には、パドックNAGANOさんの 単なる犬の開放の要望を超えた〝多面的な見識〟が包含されていました。
パドックNAGANOさんは 城山公園が国宝「善光寺」に隣接していること、そのうえで 善光寺境内では犬の連れ歩きが容認されているのに、例えば犬連れの観光客が 善光寺参拝の後に引き続いて城山公園を散策(散歩)しようとしても、城山公園に入った途端に「犬はダメ」は厳し過ぎるでしょう、という論理です。
このことは、善光寺~城山公園を一体的に連動させての観光資源と考える長野市の方針にも矛盾しているところであり、いわゆる観光インバウンドの推進を進める長野市にとっても 城山公園における犬の連れ歩き解放は、むしろ推進すべき取り組みと言っても過言ではないところであります。
さらにパドックNAGANOさんは、城山公園の開放は 市民の生活の質向上・長野市のイメージアップ・長期的な視野から、長野市への移住先候補としての魅力度アップ・観光インバ ウンドの向上・犬を通じての観光客と長野市民との交流のきっかけの可能性等、さまざまな面で有益なことが多いことなどのご提案もされておられました。
この提案が、今回の市の〝前向き表明〟の根拠の一つになっていることは間違いありません。
犬と散歩できる公園の拡大を、単なる要望の枠を超えて「提案」 - 倉野立人のブログです。
長野市内で「動物福祉」に配慮した犬のしつけトレーニングや愛犬と楽しめるイベント、また子どもたちを対象に(動物福祉の)教育活動を行なっておられる「NPO法人家庭犬育...
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さらに 記事の文中には、パドックNAGANOさんの〝第二の提案〟が反映されていました。
それは「犬(というより飼い主)のマナー向上に向けた取り組み」です。
さきの要望の際 パドックNAGANOさんは、犬の連れ歩きを解放する公園における「飼い主マナー向上に向けたイベントの開催」を提案されました。
これまで 愛犬家さんらは「とにかく犬の連れ歩き解放を!」と いわば要求型の要望を重ねていましたが、それでは愛犬家の一方的な過ぎないものに止(とど)まってしまい、前掲の 愛犬家以外の市民の理解、すなわち飼い主マナーの向上を実証したうえで あまねく市民理解を得るには足りない面が否めないところでした。
その面においてパドックNAGANOさんは、犬の連れ歩きを解放する公園(現場)において 実際に犬を連れ歩いたうえで、していいことといけないことの教授などを行ない もって愛犬家もそうでない人も共生できる公園づくりを進めてゆけたら、と崇高な目標を掲げておられるのでした。
そこで、今回の提案の場では 公園開放に併せての飼い主マナー向上イベントも提案され(市の)後方支援の内諾も得たところであり、それが 市の表明の中に織り込まれていたのでした。
今後、計画的に 公園での犬の散歩開放が進むことが期待されます。
他市に比して「犬の散歩に厳しい」とされる長野市。ざまざまな経過を辿って今の状況になっているところですが、今後は あまねく市民の理解を深め、誰もが楽しめる公園づくりに向け取り組みが進められるよう期してゆくところです。
・
北陸エリアに 多雨を降らせる「線状降水帯」が発生する中、富山県南砺市(なんとし)で発生した土砂崩れに 現職の南砺市議会議員が巻き込まれたことが報じられましたが、その経緯を聞いて 胸が塞がる思いがいたしたところです。
土砂崩れが起こったのは 13日深夜2時頃。南砺市の山あいにある集落にも雨による災害発生が迫ってきたことから、当該の市議(A市議/65才)が 大雨の降る中を地元区長と共に避難を促し地回りをしていたそうです。その最中(さなか)、1軒の世帯と連絡が取れなくなったことが分かったことから A市議がそのお宅に向かいましたが、その後発生した土砂崩れのあと(A市議の)行方がわからなくなってしまったそうです。
それを受けて、警察や消防などが捜索していましたが、夜が明けた13日午後1時過ぎになって行方不明地点そばの川の法面(のりめん)と 崩れた屋根の間に挟まっていた1人のご遺体が見つかり、警察によってA市議さんと確認されたとのことでありました。
直後に被災地に駆けつけた南砺市のT市長は「まだ受け止められないです。彼はこの地域のリーダーとして 責任感の下に最後の最後まで1人1人確認をしながら避難させるつもりでいたと思います。まさかこんなことになるとは思わず残念です。」と沈痛な表情で話していたことが伝えられていました。
今回の災害には、さまざまな難しいケースが重なっていたことが見て取れます。
先ずは 災害の要因が「線状降水帯」であったこと。
台風などの〝明らかな気象災害〟と異なり、ただただ降り続くだけの雨災害は 避難を判断するタイミングが難しく「逃げろ!」との号令がかけにくい状況にあると思われます。
そんな中、いわば雨量が臨界点に達し いよいよ避難しなければならないときは、即ち土砂崩れなどの災害が発生するタイミングと重なるときでもあり そこには大きなリスクが生じるものでありましょう。
また、災害発生時刻が深夜であったことも 事態を難しくしました。
深夜であることから 個別(戸別)の声かけもしにくく、よって関係者の方から個別(戸別)に足を運び 避難の声かけを余儀なくされたのでありましょう。
A市議を含む関係者が 自ら災害の危険エリアに行かなければならなくなってしまいました。
で…その後の報によると、A市議が向かった「連絡が取れなくなった世帯」の人は 既に自主避難していて〝不在〟だったとのこと。この連絡の行き違いも かえすがえす残念なことでありました。
今となって 経過を分析すれば、さまざまに事前の策を講ずることができたかもしれず いわゆる「たられば」の評価があり、今回のA市議の行動について論評がされていることも聞き及んでいます。
そういう中ではありますが、同じ地方議会議員の一人とすれば 自分は安住(安全)の中に身を置いたまま ただ手をこまねいていただけではないA市議の実直な行動には、心から敬意を表したいと思います。
(前掲のとおり)ときが深夜だっただけに、直ちに警察・消防を動かして災害に対応する時間が無かったとすれば。
おそらく私とて、A市議と同じ行動を取ったと思うところです。
聞けば、A市議は この集落を地盤として議員活動に挺身しておられたそうです。
地域を愛し、地域住民を思い そのうえで南砺市全体の向上を図る。
そんな中で起こった不測の災害においては、反射的に身体が動いたのでありましょうか。
ただ そんな命懸けの行動に移る前には、事前の避難者の有無とか 行政行動の確認など、確認すべき事項はいくつかあることは周知されていますが、そんな判断をする暇(いとま)が無いほど事態は切迫していた。
今回の災害の報に接し、A市議のご冥福を心からお祈りすると同時に 不測の災害発生の際の行動の難しさを思い知らされたところでありました。
今後 私たちは、氏の生命を賭して起こした行動を無にすることなく 自治体は異なれど、地域住民の安全保持を如何に担保すべきかを 改めて考えるべきところであります。
合掌
北陸エリアに 多雨を降らせる「線状降水帯」が発生する中、富山県南砺市(なんとし)で発生した土砂崩れに 現職の南砺市議会議員が巻き込まれたことが報じられましたが、その経緯を聞いて 胸が塞がる思いがいたしたところです。
土砂崩れが起こったのは 13日深夜2時頃。南砺市の山あいにある集落にも雨による災害発生が迫ってきたことから、当該の市議(A市議/65才)が 大雨の降る中を地元区長と共に避難を促し地回りをしていたそうです。その最中(さなか)、1軒の世帯と連絡が取れなくなったことが分かったことから A市議がそのお宅に向かいましたが、その後発生した土砂崩れのあと(A市議の)行方がわからなくなってしまったそうです。
それを受けて、警察や消防などが捜索していましたが、夜が明けた13日午後1時過ぎになって行方不明地点そばの川の法面(のりめん)と 崩れた屋根の間に挟まっていた1人のご遺体が見つかり、警察によってA市議さんと確認されたとのことでありました。
直後に被災地に駆けつけた南砺市のT市長は「まだ受け止められないです。彼はこの地域のリーダーとして 責任感の下に最後の最後まで1人1人確認をしながら避難させるつもりでいたと思います。まさかこんなことになるとは思わず残念です。」と沈痛な表情で話していたことが伝えられていました。
今回の災害には、さまざまな難しいケースが重なっていたことが見て取れます。
先ずは 災害の要因が「線状降水帯」であったこと。
台風などの〝明らかな気象災害〟と異なり、ただただ降り続くだけの雨災害は 避難を判断するタイミングが難しく「逃げろ!」との号令がかけにくい状況にあると思われます。
そんな中、いわば雨量が臨界点に達し いよいよ避難しなければならないときは、即ち土砂崩れなどの災害が発生するタイミングと重なるときでもあり そこには大きなリスクが生じるものでありましょう。
また、災害発生時刻が深夜であったことも 事態を難しくしました。
深夜であることから 個別(戸別)の声かけもしにくく、よって関係者の方から個別(戸別)に足を運び 避難の声かけを余儀なくされたのでありましょう。
A市議を含む関係者が 自ら災害の危険エリアに行かなければならなくなってしまいました。
で…その後の報によると、A市議が向かった「連絡が取れなくなった世帯」の人は 既に自主避難していて〝不在〟だったとのこと。この連絡の行き違いも かえすがえす残念なことでありました。
今となって 経過を分析すれば、さまざまに事前の策を講ずることができたかもしれず いわゆる「たられば」の評価があり、今回のA市議の行動について論評がされていることも聞き及んでいます。
そういう中ではありますが、同じ地方議会議員の一人とすれば 自分は安住(安全)の中に身を置いたまま ただ手をこまねいていただけではないA市議の実直な行動には、心から敬意を表したいと思います。
(前掲のとおり)ときが深夜だっただけに、直ちに警察・消防を動かして災害に対応する時間が無かったとすれば。
おそらく私とて、A市議と同じ行動を取ったと思うところです。
聞けば、A市議は この集落を地盤として議員活動に挺身しておられたそうです。
地域を愛し、地域住民を思い そのうえで南砺市全体の向上を図る。
そんな中で起こった不測の災害においては、反射的に身体が動いたのでありましょうか。
ただ そんな命懸けの行動に移る前には、事前の避難者の有無とか 行政行動の確認など、確認すべき事項はいくつかあることは周知されていますが、そんな判断をする暇(いとま)が無いほど事態は切迫していた。
今回の災害の報に接し、A市議のご冥福を心からお祈りすると同時に 不測の災害発生の際の行動の難しさを思い知らされたところでありました。
今後 私たちは、氏の生命を賭して起こした行動を無にすることなく 自治体は異なれど、地域住民の安全保持を如何に担保すべきかを 改めて考えるべきところであります。
合掌
週末から週明けにかけ 西日本を覆うように発生した「線状降水帯」は、長時間に亘って一定のエリアに居座り続け、それは即ち 限られた範囲に大量の水分を滞留させることとなりまして。
そして それは、さまざまな様態をもってエリア内に甚大な被害を及ぼすこととなったのでした。
とりわけ衝撃的であり、一方で「またか…」と思わされたのが、10日の早朝に発生した 福岡県久留米市で発生した大規模な土石流災害です。
10日の早朝(午前3時頃)、福岡県に「線状降水帯情報」が発表されましたが、時間帯が早朝だったこともあり周知が至らず、その直後に発生した土石流によって甚大な被害が発生したのでした。
今回の土石流のメカニズムは〝堆積ダムの決壊〟のようです。
報道によると 被災した現地は、2本の支川が合流して1本になった河川沿いの集落に被害が及ぼされたとのこと。
等高線地図によると、被災現場の上流には 山地を縫うように左右から支川が流れており、それが途中で合流して流下しています。
その河川に沿(そ)いながら下流域に集落が構成されており、扇状地に近い地勢といえるでしょう。
そんなエリアに「線状降水帯」が居座り、間断なく多量の雨を降らせ続けました。
多雨を受けた山地は やがて飽和状態となり、降った水分をまとめて下流へと流下させます。
その際には、根の浅い杉などの樹木を倒したり 過去に行なった切り捨て間伐により山地に留め置かれた木材をも巻き込んでゆきます。
それが、今回の地勢の特徴でもあった「2本の支川」の合流点で 流水も流下物のない交ぜにしながら堆積するようになり、それがやがて(短時間のうちに)〝堆積ダム〟をつくってしまったようなのです。
止むことのない雨・流れ続ける支川・混濁しながら流下する堆積物…それは時間と共に大きな力となって一ヶ所に溜(た)まり、やがて耐えきれなくなった堆積ダムは一気に決壊し それまでため込んだ一切合切(いっさいがっさい)を怒濤の如く下流へと向かわせたのでした。
さらに悪いことに、当地では「泥質変成岩」なる巨岩が構成されており、それが多雨によって揺るがされたうえ 土石流に乗っかる形で流下し、まさにボウリングのボールの如くの勢いで麓(ふもと)の集落を襲ったそうです。
流下する大量の河川水+倒木・伐採木+泥質変成岩が、未だ明けやらぬ下流の集落を直撃…それによる被害の大きさは 想像に余り有るところであります。
・・・・・。
私たちは このニュースに接し、平成26年7月9日に発生した、木曽郡南木曽町読書(よみかき)で発生した土石流災害を思い出さざるを得ません。
この年のこの日、台風第8号が梅雨前線に暖かく湿った空気を運んだことで 関東甲信地方では大気の状態が非常に不安定となり、県内の所々で積乱雲が発達し 南木曽では1時間に70mmの非常に激しい雨を観測しました。
そかし、この多雨は 南木曽町のはるか上部の山中で降ったことなどから警戒が遅れ、その後は (今回の久留米市のように)一気に土石流が流下し、沢筋の集落を飲み込み JR中央西線を寸断する大きな被害となったのでした。
山地が多く、限られた面積の中に住居域を求める わが国の社会構造は、今回 また南木曾災害のような、沢筋や扇状地において土石流災害を及ぼします。
今回の久留米市においても、上流域に堰堤(砂防ダム)は整備されていたそうですが、それを一気に乗り越えて土石流は流下し、その猛威は すでに人智を超えたといえるところです。
また、被災地では 住宅に多量の土砂が流入されるなどし、このシーンは さきの「令和元年東日本台風」での長沼(穂保)地区の被害を思い起こさせられるところでした。
とても他人事とは思えないところです。
今回の北九州エリアの災害について、長野市危機管理防災課に対応を照会しました。
長野市は今のところ、関係機関からの要請待ちとのこと。
支援要請があれば、物資・人など ニーズに応じた対応を行なう準備は怠りなくしているようです。
(但し、基本的には 距離的に近い自治体から支援が行なわれます)
それを踏まえたうえで私は所管課に対し「長野市は さきの令和元年東日本台風の際に 全国の自治体から多くの支援を受けた。その後は いわば〝恩返し〟の意味で、要請には直ちに応えてほしい」と伝え、所管課も「当然 そのように対応するつもりです」と力強く答えてくれました。
今やいつなんどき どこで起きても不思議のない自然災害。
また、過去の災害が繰り返される状況には 歯がみするしかありません。
◆日本海側の北陸エリアに「線状降水帯」発生か
12日になって気象庁は、北陸地方の石川県・富山県に「線状降水帯」が発生したことを発表しました。北陸信越エリアの日本海側のほぼ全域が 多雨を降らせる線状降水帯に覆われることとなっているようです。
石川・富山エリアでは「顕著な大雨に関する情報」が発表されました。梅雨前線や湿った空気の影響で、石川県や富山県では線状降水帯による非常に激しい雨が同じ場所で降り続いており「命に危険が及ぶ」土砂災害や洪水による災害発生の危険度が急激に高まっているとのことです。
北陸地方では、これから13日にかけても活発な雨雲がかかり 雨の降る量がさらに増えると報じられており、長野県の隣県では 雨による自然災害に厳重に警戒することが呼びかけられています。
そもそも わが国の海沿い(沿岸)の地域においては、海上から立ち上る水分による湿った空気が本土に上陸し、それが雨や雪を降らせることとなっています。
例えば冬の時期の北陸エリアでは「ベタ雪」と称される水分の多い雪(湿雪)が降ることが知られていますが、今回のケースは それと同じような発生メカニズムにより、そのうえ(今回のケースは)それが巨大な積乱雲となって滞留することで「命に危険が及ぶ」土砂災害や洪水による災害発生の危険度につながっているようです。
そんな厳しい気象状況の中ですが、私たちの住む長野県域は 北陸エリアとは「山」で隔(へだ)てられており、それが いわば城壁の役割を果たしてくれています。
日本海沿岸で発生した雨雲も、移動する中で 長野県境の山地にぶつかることで水分が抜け、直接に海へと面する北陸県に降るような多湿の雨は 長野県に入った時点で相当程度が抑制されることになっているのは幸いと申せましょう。
但し、油断(予断)は禁物。
現に さきの令和元年には、千曲川の上流部にまとまった雨が降ったことにより 河川氾濫が起きるなどの大きな災害を受けた経験があるだけに、今後の気象情報を注視し 万が一の際には適切な行動が取れるよう備えておくことが肝要でありましょう。
ここのところ 列島のあらゆる場所で発生する「線状降水帯」なる〝巨大で動かない雨雲〟は、厄介このうえない存在となっています。
また再び列島のどこかで、これまでにも起きた自然災害と同種の被害が及ぼされるかもしれないと思うとき 忸怩たるというか、歯がみするような心境に至るところです。
◆三重県の児童相談所が、女児虐待の疑いがあったのに、AIの評価を基に保護を見送り
自分の4歳の娘(A子ちゃん)を虐待し 命を奪うこととなってしまった傷害致死事件で、この母親が実際にA子ちゃんを虐待していたにも関わらず、所管の児童相談所が A子ちゃんを保護すべきかどうかについて、AI(人工知能)の判断を参考にしたところ AIの判断が「保護率39%」だったことから、保護を見送り在宅での提起見守りに止(とど)めていたことが分かりました。
結果、A子ちゃんは 家で再び母親の虐待を受けることとなってしまい、最悪の結果を招くことになってしまいました。
事後の調査によると、児童相談所は昨年2月 A子ちゃんの身体に痣(あざ)が見つかったとの連絡を受け母親らと面会しましたが▽あざが虐待によるものと断定できない▽母親が児相の指導や支援に応じる姿勢をみせた などのほか▽AIで評価した際「保護率39%」の低率を示したこともあったことから、A子ちゃんを一時保護せずに定期的な見守りとすることを決めたそうです。
富山県は 児童相談所業務において、虐待や虐待を疑われる過去事例をAIシステムに刷り込んだうえで、保護等の必要性について参考にしているとのこと。
所管(児相)は「AIの判断は あくまで参考値で、最終判断は人間がしている」とのことですが、今回 最悪のケースを招いた事案の中では、AIがそれ相当の判断の要因を成していたことは事実に他ならないところです。
これまでも私自身、例えば文書(公文書)を作成する際の AI(チャットGPT)の活用(導入)については懐疑的な面があることを述べているところですが、同じAIでも こんな使い方もあるのかと思わされると同時に、ここでもやはり AIに頼り過ぎることで望ましい判断ができなくなることの悪しき実例を見せられた感、ますますAIの導入に警鐘を鳴らさざるを得ないと改めて思ったところです。
特に 児童保育など 一律の判断が難しい〝ケースバイケース〟の案件について、そこにAIによる「過去事例」を当てはめることには やや無理があるのではと思わざるを得ません。
所管は 今回の案件について「AIはあくまで参考」とは言うものの、保護決定を判断する段階で「AIの判断も39%に止まっていることだし、今回は保護を見送ろう」としたことは往々にして見て取れます。
まさか 責任を追及された際に「だって AIが「保護の必要性は低い」と言ったんだもん!」と、AIを責任逃れの材料にしたとは思いたくはありませんが、今後 とりわけ行政職員がAIを活用する際には、自らの責任をAIに転嫁し「AIがそう言ったのだから仕方ない」と、間違った結論の導きをするのではないかと憂慮させられるところです。
問題が起きたとき「一体 そんなことを誰が言ったんだ?」は、原因追求の過程で必要な項目ですが、それに対する答えが「AIがそう言いました。」と平然と答えるようなことになりはしないかと、事案の発生の都度に心配になるところです。
さまざまな課題を抱える「青木島児童センター」について、先週末に園庭の外構を整備したのに引き続き、建屋に差し込む強烈な西日(西陽)を防ぐための「葦簀(よしず)」を交換して差し上げました。
これは、センターの隣りに住み 従来から青木島児童センターの子どもたちの環境整備に心を砕いておられるYさんの心根に共感した「長野千曲ライオンズクラブ」が Yさんと共同(協働)で、今後も青木島児童センターを継続的に支援してゆこうと一致したうえで行なわれたものです。
これに先立ち 去る5日には、Yさんとクラブ有志・そこに自主的に子どもたちも加わってくれ、みんなで一緒にみんなの園庭を整備しました。
2023年7月6日のブログ記事一覧-倉野立人のブログです。
2023年7月6日のブログ記事一覧です。日々の思いを、訥々と。【倉野立人のブログです。】
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その際 西側の窓に掛けられている葦簀(よしず)を目にした一同は、あまりのボロさに「こりゃ このくらいはスグにでも換えてやらにゃ…」となったものでした。
葦簀(よしず)というのは不思議なもので、その体裁が建屋の風合いを左右するものです。
これが風雨にさらされ劣化が進むと、何だか建屋そのものが手入れされていないような窮状(というとチト大げさですが)を表すようになってしまうことから「たかが葦簀・されど葦簀」ということで、このくらいは新しいモノを設(しつら)えてあげよう となったものです。
この日は あいにく人手が間に合わなかったことから、私が差し繰って物品の調達と張り替えを行ないました。(猛暑だったので苦悶の表情ですが ^^;)
この葦簀(よしず)、どのくらいの経年なのか知りませんが 随分と劣化が進んでおり、ちょっと力(ちから)を入れるとボロボロと解(ほつ)れてしまいます。
存外に作業は慎重を要してしまいましたが、それでも 脚立を駆使してボロを外し、新しいモノに掛け替えることができました。
作業は短時間で終了、それでも(葦簀が)リフレッシュされると、道路に面した(西側の)センターの窓側の見栄えは随分と良くなりました。
(ビフォーアフターは下のとおりです)
これらの作業には、2つの狙いがあります。
1つは 他でもない、青木島児童センターで時間を過ごす子どもたちの環境を整備してあげることです。
どうせなら、気持ちよく 安心安全のうちに「一時帰宅場所」である児童センターで有意義な時間を過ごしてほしいとの、いわば〝親心〟とでも申しましょうが。
で もう1つの狙いは、この青木島児童センターの現在の良好な環境を 市民の手で守ってゆく! との〝意思表示〟です。
長野市は、現状を度外視したままに 青木島児童センターを廃止し、小学校地への移転を目論(もくろ)んでいます。
その無理な計画は 他でもない子どもたちに対し しわ寄せが及び、今ある良好な放課後こども事業が壊されることになってしまう。
私たちは、新たな環境(インフラ)がキチンと整うまでは 今ある青木島児童センターを維持すべきと考えており、そのことについて ただ主張するだけでなく、実際に整備を(市民の手で)進めることで「子どもたちの良好な環境は 私たち市民も積極的に守ってゆきたい」と、明確な意思表示をしてゆくものです。
これら 関係者の善行(ぜんこう)が、どこまで行政関係者の心に響くかは分かりません。
でも 少なくとも私たちは、これまでの行政計画を見定めたうえで 現時点では「現状維持」が最も相応(ふさわ)しいと考えています。
それら「市民の冷静な声」を受けて、彼ら(行政関係者)が目覚めてくれることを願うばかりです。
で…次なる課題は「砂場の日よけ(タープ)」です。
これも管理者の〝やっつけ設置〟に終始していることから、Yさんの指導を受け 順次に整備してまいります。
2011年3月11に発生した「東日本大震災」に伴い、地震や津波や甚大な被害を受けた 東京電力福島第一原子力発電所において、溶け落ちた核燃料デブリを冷却するための注水や原子炉建屋などへの雨水や地下水の流入によって汚染水が発生し、ここから放射性物質の大半を取り除いたあとに残るトリチウムなどを含む処理水が増え続けているのは周知のことです。
その処理水は 1日あたり100tをゆうに越える量が発生しており、このままゆけば年内~年明けにかけて保管用タンクが満杯になることが報告されています。
この状況に鑑み東電ならびに政府は 福島第一原発の建屋内にある放射性物質を含む水について、トリチウム以外の放射性物質を安全基準を満たすまで浄化した水(ALPS処理水)として安全基準を満たし、さらに海水で大幅に薄めたうえで「海洋放出」することを決定しています。
これを受けるなどし、さきにIAEA(国際原子力機関)のグロッシ事務局長が来日し 現地(福島第一原発)を視察したうえで「海洋放出は科学的根拠に基づくものであり、国際慣行に沿うと評価される。現地では処理水放出の準備ができており 政府がどのような決定をしても速やかに対応できる準備ができていると感じた。」としたうえで、同機関は福島に常設の事務所を設け 今後も処理水放出の状況を確認していくこと、そして風評被害などを懸念する地元に対しては「信頼を獲得するために透明性を持って説明を繰り返す」と強調したことが伝えられています。
併せて、放出計画に関する評価を盛り込んだIAEA包括報告書を日本政府に説明し、それを受けた政府・東電は 夏ごろの放出開始の〝お墨付き〟を得る段取りとなっていることになっているようです。
これらの〝経緯〟をもってすれば、東電福島第一原発処理水の海洋放出は 安全が確保されていると思われるところです。
所管の経済産業省も、HP等で その安全性のPRに努めています。
放出後も、水質などのデータの客観性を確保するため「第三者(機関)による確認」を開始・継続することを表明しています。
また、専門家は「人体への影響があるとされる トリチウムを含む水も、(人体に入っても)10日後には約半分が排出(排泄)されるなどして 体内にたまり続けることはない」と述べるなどしています。
しかし、関係者 とりわけ原発が面する海に関わる漁業関係者や関連産業の方々の懸念は未だ払拭されているとは言えず、今回の政府決定に対しても反対や懸念の声を上げるに至っています。
さきには 東北地方の生協などに従事する方々が25万筆を超える(処理水海洋放出)反対の署名を集めたことが報じられるなど、処理水海洋放出への不安は払拭されたとは言い難い状況であることが伝えられています。
そんな中、いま永田町で連立政権に立つ与党の代表が「福島第1原発の処理水を海洋放出する時期について、直近に迫った海水浴シーズンは避けた方が良い。」と発言、これが思わぬ波紋を広げているとのことです。
おそらく この政治家は、海洋放出の時期について せめて人びとが海に繰り出す時期を避けても(延ばしても)大勢に影響なく、その位の配慮をしてもイイんじゃないか、との〝軽い親切心〟で言ったのかもしれません。
が、その〝政治家の一言〟が、(海洋放出に)ナーバスになっている漁業関係者などの琴線に触れることになってしまいました。
「ほら、やっぱり人体に影響があるんじゃないか。」
「海水浴シーズンの放出はダメで 他のシーズンならOKというのは理屈に合わない。全てのシーズンがダメということだ。」などと、再び(海洋放出への)不信感が再燃・爆発することとなっています。
このことには、さきに発した政府・東電の〝約束〟が伏線となっています。
そもそも、政府や東電は2015年に 福島県漁業協同組合連合会に「関係者の理解なしには、いかなる処分もしない」と文書で回答しているのです。
言うまでもなく、現時点で関係者の理解は得られておらず 海洋放出そのもが認められていません。そこに「海水浴シーズンはダメ」という与党議員(政党代表)の発言は、政府・東電が半ば強引に海洋放出の計画を進めてきたことを裏付けることにもなってしまい、まさに〝覆水盆に返らず〟となってしまいました。
これを聞いた私は、政治家のセンセイ方の〝当事者意識の欠如〟を感じざるを得ませんでした。
海洋放出は既に決まったこと。でも 気の毒だから(放出時期は)ちょっとだけ遅らせてあげるのが親切ってもんじゃないの。
この発言は 関係者に配慮しているようで、全く配慮していない。
いわば〝上から目線〟の目溢(めこぼ)し発言と取られても仕方ないところでありましょう。
政治(行政)では、ときに厳しい判断を示さなければならないこともあるでしょう。
でも その時は、相手の立場に立って当事者意識を共有し そのうえで問題点を共に考え、相手が納得できるまで真摯に向き合うことが求められていると思います。
そのような真摯な行動無しに「絵」だけを描いてみせても、関係者は納得することは無いでしょう。
「オレは関係ないけど、せいぜい頑張ってね。」そんな内心をもった言葉のかけ方は、不信と不満の温床にしからならないことを肝に銘じなければなりません。