◆長野市議会 令和5年6月定例会が閉会
この日(23日)、長野市議会 令和5年6月定例会が最終日を迎えました。約23億円の 令和5年度長野市一般会計補正予算を計上した議案第49号をはじめ 追加を含む議案20件・承認3件・報告15件が採決・承認に付され、可決成立しました。
これまでもご報告していますが、この6月議会においては(も) 青木島小学校区における放課後児童の健全な居場所の確保について が、多くの そして多様な議論となりました。
私自身も、本会議や常任委員会(福祉環境委員会)で この案件について取り上げ、長野市(市長)が 自らの計画(青木島こども未来プラン)を拙速のうちに進めてゆかないよう警鐘を鳴らし続け、それも含めて議論の末に一定の成果を導き出すことができました。
それは、荻原市長の「閉会のあいさつ」の中に表(あらわ)されていました。
これまでの議論を踏まえ、本会議で 私の方からも再三に亘り「新たな放課後児童の適切な環境が整うまでは 計画を拙速に進めるべきではない」と主張、それに対し 市長や所管の部局長から「決して急ぐことなく取り組んでゆきたい」旨の答弁を引き出したところですが、この日の市長閉会あいさつの中にも その文言(決して急ぐことなく)が盛り込まれていたことから、今後は それを言質(げんち)とし、改めて市と向き合う中で 現場職員の〝勇み足〟を現認する都度に「決して急ぐことなく取り組め」と釘を刺してゆきたいと思うところです。
ただ 市や社協の一部職員の中には、最初の段階で発せられた「とにかく計画を早く進めろ」を盲信(もうしん)している者も未だに居るようなので、早いとこ〝エンジンブレーキ〟がかかるよう計らってゆきたいと思うところです。
で…それとは別に、一連の課題を通じて〝荻原市政の新たな特徴〟が指摘されることに。
それを称すれば「市の施策の〝市長直轄ビジョンへの変遷〟」と申しましょうか。
今回の「青木島こども未来プラン」は、従来であれば 所管の「こども未来部」が筆頭となり 関係部局と連携しながら事(こと)を進めてゆくところですが、今回の「プラン」については、市長の膝元(ひざもと)にある「企画政策部」が筆頭を担い、その下に こども未来部や教育委員会が配置され 計画を進めてゆこうという体制になっていました。
ここには、政策に より市長の意向を反映させること・そのために筆頭を(実質的に)市長直轄の部局(=企画政策部)が担ったうえで、市長の意(い)を踏まえて施策展開してゆこうという思惑のようなのです。
これは、一見すると 非常に合理的に思えます。
指示系統からすると、市長が 膝元の企画政策部長に指示を出せば、当該部長は その意を体(たい)して所管の部長に(指示=意向)を伝え、結果 全体として、荻原市長の意を体しての施策が完遂される。
ところが、です。
特に 今回の「青木島こども未来プラン」については、計画自体が 現場(児童センターや小学校)の現状を度外視し、無理に無理を重ねたものになっています。
そのまま現場の全員が 当初計画を丸呑みしたまま進めれば、最終的に適切な環境を与えられるべき放課後児童にしわ寄せが及び…そんな状態でプランは実行されても、荻原市長のメンツは立っても その陰で主役であるハズの放課後児童や関係者が泣かされることになってしまうところでした。
このことは、ここのところ見え隠れする「市長直轄体制」の弊害…現場の状況を度外視して「とにかく計画ありき」で進める〝ブルドーザー体制〟のネガティブ成果の典型と申せ、この進め方については今後 警戒してゆかなければならないと思わされたところです。
一方、そんな中 かかる〝ブルドーザー体制〟の中にあって、市の内部で 結果イイ意味での「ハレーション(逆影響)」が散見され、そこに 私たちは光明(こうみょう)を見出すことになりました。
今回の無理な計画について、半ば強引に進めようとする 市長&市長直轄部局に対し、現場を預かる こども未来部(児童センター所管)&教育委員会(小学校所管)が、多くの関係者の 現状に即した切実な「声」を受け、それを封じ込めたり 変な風に咀嚼(そしゃく)すること無く、半ばダイレクトに市長(部局)に届けてくれているようなのです。
このことは、このプランが いかに無理で、とにかく児童にあらぬ負担をかけることになるということ(現実)を共通認識とした担当部局の適切な判断であり、子どもを含む現場の関係者と所管の部局との一致点でありました。
そして このこと(関係者と担当との一致)は これまでに無かったことであり、その成果は私たちに これからも地道に「声」を集めて行政に働きかけることの大切さ(と成果)を再認識させてくれるものでありました。
それらを踏まえて私たちは、今後も 子どもたちを巡る課題を詳(つまびら)らかにしたうえで、それ(現状)に見合った施策を展開するよう(市に)働きかけてゆくこと・そのうえで 諸施策が 真に子どもたちの笑顔につながるよう計らってゆきたいと改めて思いを強くしたところです。
6月議会は閉会しましたが、さまざまな課題は現存したままであります。
私自身 その厳しい現状を再認識したうえで、今後も不断の努力を重ねてまいります。
◆コチラは 真に子どもたちのために「毎朝の横断歩道での見守り」
子どものためと言いながら、その深層には〝大人のメンツ〟あり…そんな世知辛い政治の世界を他所(よそ)に、地域では「純度100% 子どものため」での毎朝の善行が続けられています。
私の住む地域の通学路(を渡る横断歩道)では、毎朝に亘り「見守り」が行なわれています。
ここの横断歩道は、数年前にできた新興住宅地から 学校へ通う百人をゆうに超える児童生徒が通る(渡る)箇所です。
道幅の都合で 片側歩行を余儀なくされているため、朝はどうしても左側通行(歩行)となっており、この横断歩道は必ず渡る地点となっています。
この日は あいにくの雨でしたが、傘をさした児童生徒が元気に学校に向かいます。
ここの立ち番は、近所に住むNさんとAさん。
よくあるのが、自分の子どもが通学する間に限り 当番制で代わるがわる行なうものですが、ここの横断歩道に立つお二人は 完全なるボランティアです。
自分の子や孫がいるでも無し、一途に「子どもたちの安全のため」を思って 雨の日も風の日も、横断歩道に立ち続けておられるのです。
ここは 域内を縦貫する生活道路にもなっていることから、通学時間帯の車両通行も少なからずあります。
一定の時間内に児童が大挙して渡ることから、その最中(さなか)の交通安全遵守は 日々の常設課題です。
お二人が見守っておられることで、横断を控えた児童の前に 全ての通行車両は一時停止してくれており、この箇所での交通事故は未然に防がれています。
横断歩道の前での一時停止は当たり前のこと(運転者の義務)なのですが、止まってくれた車両に丁寧に一礼する姿が好印象でありました。
将来ある子どもたちの交通安全を 毎朝の善行によって守ってくださるボランティア精神に深甚なる敬意を表すると共に、このような心根の積み上げこそが 健全な地域社会構築の礎(いしずえ)となることを再認識したところであります。
長野市政の新たな課題となっている 青木島小学校の放課後児童を取り巻く課題は「青木島こども未来プラン(案)」として内外に示されており、その(プランの)対応について 賛否が渦巻く状況になっています。
これまでも触れているとおり 多くの関係者からの疑問や不安の声が上げられ、それに付随して 議会の場でも議論百出となっています。
私自身は(従前から述べているとおり)青木島小学校の校地内に児童センターを移転・統合する場合には 小学校の校内に(センター・プラザ塔など)放課後児童のための良好な環境が整うまでは、決して急ぐことなく取り組むこと・そのうえで それまで(新たな環境が整うまで)は、青木島児童センターを存続するべきことを主張しています。
そんな中、地域の識者であるIさんから「学校の位置づけ」についてご意見をいただきました。
かかるご意見を通じて、私の立場でも 課題(問題)を切り分けて考える(述べる)べきことを再認識したところです。
予(かね)てよりIさんは、少子高齢化・人口減少社会が伸張する中「学校」が果たす 地域社会の中での役割の大きさ(多様さ)を重視されています。
少子化に伴い 児童生徒数が減る中、各地で「廃校」を余儀なくされる学校施設が増えつつあります。
Iさんは そのような時流に危機感を覚え「それでイイのか?」と疑問を呈されています。
そのうえで、学校という大きな公共物は 今後〝新たな役割〟を担うべきである との論です。
今、社会自体で 地域コミュニティが低下しており、子ども同士はもとより 地域の方々との〝異年齢交流〟も乏しい状況になっています。
一方「学校」という公共施設は、質的にも物理的にも 地域の中心(拠点)を成す存在となっています。
Iさんは かかる「学校(地域の中心となる公共物)」を、将来社会において実効ある活用に付すべきとしておられるのです。
少子化が伸張する中にありながらも、地域の中心(拠点)である学校については 生徒数の減少に任せて衰退→廃校に追い込むのではなく、学校施設を地域全体で活用し ひいては地域コミュニティの拠点とすべきではないか。
Iさんの論の根拠には、自らが小学校へ出向き〝講師〟として子どもたちに 多年の経験に基づきさまざまなことを教え、もって〝異年齢交流〟を行なっている実績があるのです。
そこで感じられた手応え…学校は 単に学校としての役割だけでなく、地域の人たちがあい寄り、ときに子どもらに人生経験に基づいた物事を伝えたり、ときには社会人の生涯学習の場=異年齢交流の場 として活用することができれば、学校という学びの場の「幅」が広がり それはいずれは在校生たる子どもたちにとっても多面的な学習(吸収)の場になり得るのではないか。
このIさんの論には、予(かね)てより 私も大いに賛同しています。
旧来より 地域の教育拠点であった「学校」は、将来的には地域(住民)全体の寄り拠(よりどころ)として機能させるべきであり、校舎・校庭などが整備された(学校)施設は 児童生徒数が減ったからといって無駄に空(あ)けることなく有効活用し、もって持続可能な地域社会の礎(いしずえ)とするべきでしょう。
そのうえでIさんは、この(共通)認識を前提にしたうえで 私に対し、懸案の「青木島小学校問題」に対する見解について留意するよう ご示唆くださいました。
曰(いわ)く「クラちゃんが主張する「青木島児童センターの校内への移転・編入に反対」の意見は、聞きようによっては(これまで見解が一致している)学校施設の多面的活用そのものを反対しているようにも捉えられる。」
「例えば、校内の「中庭」を取っても、本来 中庭はセキュリティの面でも有効に利用されるべきものだけれど、それが「とにかく反対」と述べてしまうと、本来の児童福祉そのものに反対していると思われてしまう。」
「おそらく クラちゃんは今、青木島小学校の放課後児童のことについて 学校施設の利用の是非を意見していると思うけど、そのことと、(将来に向けた)学校利用のあるべき形については 分けて議論構成した方がイイと思うよ。」とのことでありました。
これまで議論しているとおり、私や 青木島小学校の放課後児童に心を寄せる関係者の方々は、現在の青木島小学校の児童数や 空き教室が無い状況を度外視して「校内への移転・編入ありき」で計画を進めることに対し強く反対しています。
例えば「中庭」についても、中庭の利用自体を反対しているのでは無く、市が 新たな放課後児童の安全で快適な環境を整えないまま「とにかく(計画実行のために)放課後児童を中庭に連れてゆけ!」旨の、子どものためではなく いわば大人のメンツのために拙速な中庭利用を強行しようとしている姿勢そのものに反対しているのです。
さらに言えば、私や 放課後児童に心を寄せる関係者は「青木島こども未来プラン」そのものに反対しているのではないのです。
青木島こども未来プランが、真に関係者 とりわけ子どもたちのための環境が整うまでは、現有の体制を維持すること。
そのためにも、青木島児童センターについても廃止すること無く継続し 校内に十分な居場所が確保されてから 移転・編入を実施すべきではないか。
児童の受け皿が整ってから 話しを進めなさい。との論であります。
Iさんのおっしゃるとおり「学校施設の在り方」については、将来社会の〝地域の寄り拠(よりどころ)〟として活用すべきという認識で考えてゆくべき。
その前提に立ったうえで、現下の「青木島こども未来プラン」については 放課後児童の環境が整うまでは拙速に計画を進めてはならない。
私自身、今後の議論の中では「今の問題」と「将来課題」とを明確に分けて議論してゆきたいと思います。しかし、それを ない交ぜにしてしまうと、肝心の議論の焦点がぼやけて(ズレて)しまうことが懸念されます。また 場合によっては〝論点ズラし〟の道具にされてしまうかもしれません。
いずれにしても「学校」の担う役割は 人口減少社会の今だからこそ重要性を増していると申せます。
開会中の長野市議会6月定例会の常任委員会「福祉環境委員会」に出席しました。
「こども未来部」の所管事項調査における発言(質疑)についてレポートします。
こども未来部の所管事項調査での発言(質疑)は、他でもない「青木島こども未来プラン」について です。
このことについては「青木島遊園地存廃問題」に端を発し、そこからる問題が派生(拡大)する中で 今や青木島小学校区の放課後児童全体の問題に至っていることは既にご案内のとおりであり、このブログにおいても随時に亘りレポートさせていただいております。
すったもんだの末に、結局 子どもたちの欠かせぬ居場所(遊び場)であった遊園地を廃止に追い込み、その顛末の〝名誉挽回〟とばかりに 突然の形で表明された「青木島こども未来プラン(案)」は、その見た目の華やかさと裏腹に数々の課題を抱えています。
ところが当局(市・社協)は そのことを知ってか知らずか「とにかくプランありき・実施期限ありき」の姿勢で 半ば強行突破を図ろうとしており、この運び方に対し 現場(子どもを取り巻く環境)をよく知る関係者の方々から多くの疑問の声が寄せられています。
長野市議会の中にも「とにかく早く計画を進めろ」との強行派が居るところですが、少なくとも私を含め 現場の声を直(じか)に聞いた議員は、今のまま説明が不十分で計画の実現にはそれ相当の時間がかかること、したがって〝計画ありき〟で あまねく市民の方々の納得を得られないままに前へと進むことはすべきではないとの一貫した主張を重ね、現在に至っています。
そんな中での所管の常任委員会。本会議に続き 議事録の残る場で、改めて市に対し 現状の(多くの市民(関係者)が納得しない)ままに計画を進めるべきではないと強く意見し、市(市長はじめ職員)の翻意(ほんい)を促したところです。
計画への問題提起については、さきの本会議でも述べさせていただきました。
現在の青木島小学校が 空き教室が無いのに、校地内への「統合・編入ありき」で進めているのではないか・市民意見を聞くと言いながら 実際には編入話しが進められているのではないか・支援員さんはじめ関係者の意見を十分に聞き取らないままに計画を進めているのではないか・「子どもの権利」を踏まえ 子ども自身の意見を聞くべきではないか・新たな居場所として提案されている「中庭」は必ずしも適していないのではないか など、本来は子どもたちのために進められるべき計画が いわば〝大人の都合〟で無理を承知で進められようとしていることを述べたうえで「計画・期限ありき」ではなく 新たな環境が整うまでの間は現在の青木島児童センターを継続することを意見しました。
かかる議会での議論に併せて 青木島児童センターの関係者や保護者・青木島小学校のPTAや関係者からも、この計画に対する多くの疑問の声や意見が寄せられているのです。
これら意見に対し市は「計画自体は進めるものの、市民の意見を伺いながら 決して急ぐことなく取り組んでゆきたい。」と述べるに至っています。
そのうえでの、今回の福祉環境委員会。
議論の場を委員会室に移した中、改めて市(こども未来部)に対し 拙速に計画を進めることなく、市民の声を十分に聞いたうえで 新たな環境が整うまでの間は現状を維持することを述べたところ…。
市(こども未来部長)は、市が示した当初の強行とも取れる姿勢 → 本会議での「決して急ぐことなく」との柔軟姿勢 → さらにこの日は「市としても拙速に事(こと)を進めるつもりは無い」との〝聞く耳がある姿勢〟を明確にする発言(答弁)をしたのでした。
このことは、市長の肝煎りで進めようとする「青木島こども未来プラン」が 拙速に過ぎること・今後は関係者はじめ関係者の意見に耳を傾けて慎重に進めるべきことを、ようやく「自覚」することとなった 市職員の〝変化〟を表すものでした。
これは間違いなく、当初から疑問を唱え 市に対して勇気をもって意見を重ねた市民の不断の行動の成果であり、その(市民意見の)強さ・逞(たくま)しさのようなものを実感したところです。
そのうえで私は、議論の過程の中で 荻原市政の〝特徴〟のようなものに気づき、そのことについて指摘しました。
ご案内のとおり、荻原市長は かつてのトップアスリート・オリンピック金メダリストです。
彼は、これまでの人生行路の中で オリンピックで金メダルを取るために全力を尽くしてきました。
アルベールビル・リレハンメル両五輪大会、いわば時限のある中で結果を出すために 大勢のコーチ陣とナショナルトレーニングセンターなどの恵まれた環境の中でトレーニングを重ねてきました。
限られた期間で結果を出すために、自分も頑張るので スタッフのみなさんも全力を尽くしてください。
そうです。荻原氏の中には「アスリート気質」が脈々と流れており、それが市長となった今も変わらず現存しているのではないでしょうか。
だから「青木島こども未来プラン」についても、期限を決めた中で 何が何でも結果を出す。そのために スタッフ(今は市職員など)に対し「結果」を出すよう鼓舞し続けているのではないか。
しかし、その〝結果〟とは「子どものために何ができるか」ではなく「市長として内外にいかにアピールできるか」を求めるものであり、だから そこには無理が生じ、結果 肝心の子どもたちにストレスを与えるものになってしまっているんじゃないか。
この〝見当違い〟について、市職員なども 徐々に気づき始めていると申せます。
私は さらに意見しました。
「もしかしたら 末端の現場職員は、相変わらず「子どものため」ではなく「上(市長のため)に全力を尽くす」との見当違いで動いて(働いて)いるように思えます。」
「例えば小学校の中庭に放課後児童を連れてゆく問題。現場の職員は 子どものために最適な居場所はどこか?との視点ではなく「とにかく児童を中庭に連れてゆこう。それが市の狙いだから」との視点で無理を強いようとしています。これは 本来(職員が)めざすべき方向とは明らかに違っています。この誤った視点こそを是正しなければならない。」
「そのために(管理職である)出席職員こそが正しい認識をもって、みなさんの方から現場の職員に正しい指示を出してください。そうすれば 現場の職員も認識を新たにしたうえで、真に「子どもたちのために何が最適か」の視点で業務に臨み、結果として子どもたちにも笑顔が生まれることでしょう。」旨を述べたところです。
市職員には、どれほど響くでありましょうか。
しかし 少なくとも「青木島こども未来プラン」については、結果を急いで(子どもたち初め関係者に)無理を強いるようになってはならない。
少なくとも、新たな環境が整うまでは 現存の青木島児童センターを維持してゆくべきである。
私たちは、明確な「思い」を共有し、これからも不断の取り組みを続けてゆきます。
あくまでも「子どもたちのために何ができるか」を通底に据えながら。
(写真は資料)
開会中の長野市議会6月定例会は この日から常任委員会が行なわれており、私は「福祉環境委員会」に出席し 保健福祉部・こども未来部・環境部の議案審査/所管事項調査に臨みました。
議案第49号 令和5年度長野市一般会計補正予算ほか条例議案・請願3本が審査に付されました。
議案等については改めて報告させていただきますが、この日の委員会審査においては、それぞれの部局での「所管事項調査」について発言(質疑)しましたので レポートさせていただきます。
保健福祉部においては、知的障がい者支援について発言(質疑)しました。
それに先立ち、障害支援課から 資料の提示がありました。
去る3月議会で 私が「市内の就労継続支援B型事業所における高額機械の設置・稼働状況の調査を求める」と発言したのに対し調査を行ない まとめたものです。
それによると、長野市内にある58のB型事業所のうち 100万円以上の高額設備・機械を設置している事業所は22ヶ所で、内訳は下記のとおり。
◆高額設備・機械の設置状況
100~200万円の設備・機械を設置→4事業所
200~300万円の設備・機械を設置→2事業所
300万円以上の設備・機械を設置→15事業所
(設置時期が古く価格評価できない→1ヶ所)
◆設備・機械の稼働状況
稼働予定の設備等を保有 2事業所
稼働していない設備を保有 1事業所(老朽化による故障)
他 19事業所は、状況に応じて稼働中
などとしています。
私は 発言(質疑)に先立ち、かかる資料が提出されたこと自体については 担当課(障害支援課)の取り組みを評価させていただきました。
ややもすると〝聞きっ放し〟になりがちな行政対応の中で、従前の質問に対して「アンサー」を用意してきたことは ある意味で当然のことではありますが(資料を整えた)姿勢については認めるべきところであります。
私は この資料を見た際に、これ(資料)を作成したことで、市(職員)ならびに各施設(職員)が 新たな自覚をもってくれればと期待を抱きました。
市(職員)には、各施設へ調査に入ることで 市内の多くの施設が多額の資金を投じた設備・機械を有していることを再認識してもらいたい。
一方 各施設においては、過去に設置はしたものの、やや漫然と動かしていた(事業所によっては休眠させていた)設備や機械に対するチェックが入ったことで 多額の公金を支弁して購入した設備・機械を今まで以上に有効に活用してゆかなければと、自覚を新たにしてもらいたい。
ただ これは、私の一方的な期待…今回の資料作成を通じて 関係者がどれほどの自覚を抱いたかは懐疑的なところです、が。
いずれにしても、実態は資料のとおり。多くの障がい者支援施設が それは高額な設備・機械を有して運営されているかが白日の下(はくじつのもと)になったところです。
そのうえで私は改めて「資料の作成はゴールではなく、これからがスタート」旨を発言しました。
これら高額の設備・機械が その投資に見合うよう…それはすなわち 真の障がい者支援に結びついてゆかなければ(投資の)意味が無い。
これら高額の設備・機械は、実際に障がい者さんが取り扱っているか? それが役務(えきむ/就労)となり、何より その役務の成果が「工賃(時給)」に反映されているか?が問われているのです。
ところが実際には 各施設は、状況によっては 受注した業務自体をこなすことに汲々となり、本来の障がい者さんの役務にすべきところを飛び越え かかる高額な設備・機械を(施設職員が)使って受注作業をこなしたうえで(障がい者さん抜きで)納品し 完結してしまうこともある。
さらに言えば「納期を守らなきゃ」との自己弁護を根拠に、施設での作業すらも行なわないままに外部に委託し 受注→納品のつじつまだけを合わせる、障がい者就労支援に まるでなっていないままに作業に臨んでいる帰来もあるのです。
残念ながら この実態は、非常に根深いものがあると申せます。
例えば 去る3月議会で指摘した、市社会事業協会の施設「空風」において未稼働のまま留め置かれていた「レトルト機械」についても、施設は「8月には再稼働を」と言ってはいるものの、その〝再稼働〟も 実際に機械が再び動いて製品が供給されるのではなく、8月から ようやく試運転が(再び)始まるような状態でいるようです。
このように、投資に見合った設備・機械の運用でイイのかなどと詰めていたところ、今年度から着任したU保健福祉部長が「あながち知的障がい者支援施設は、工賃アップだけが主目的ではありません。」と反論してこられました。
曰く「資料の末尾に「平均工賃を目指しているが 利用者がいきいきと笑顔で働くことも同じように大切に考え、市場原理を追求するあまり無理を強いることは厳禁と考えている」とあるように、施設で伸び伸び活動してもらうことも大切と考えます。」とのこと。
至極ごもっともな見解でありました。
で あるとするならば。
私はU部長に「部長は、例えば市社会事業協会の各施設の(利用者さんへの対応の)実態をご存知か?」と問いました。
「確かに、直ちに工賃アップにつながらなくても 利用者さんが伸び伸びと施設で時間を過ごしていれば了(りょう)とします。しかし実際には 本来は主役であるハズの利用者(知的障がい者)さんが 職員によって「管理」されるままに時間を過ごさなければならないことになっており、部長の言う理想の姿とはほど遠い状況にあるのが実際のところです。」
と、したうえで。
所管課(障害福祉課)に対し「この際は、市社会事業協会の施設における 利用者さんを取り巻く環境の実態調査」を行なうよう意見しました。
どうやら 新任のU部長はじめ多くの関係者は、利用者さんが各施設で〝伸び伸びと時間を過ごしている〟と思い込んでいるらしいのです。
それなら この際、各施設の利用者さんを取り巻く実態を調査してゆくべきじゃないだろうか。
各施設は、真に利用者さんが伸び伸び活動できる場を提供しているのか?障がい者支援ではなく〝管理〟に終始していないか?虐待や言葉の暴力など不適切な対応をしていないか?等々、さきに設備・機械の実態を明らかにしたように 今度は利用者さんへの対応の如何(いかん)について白日の下にさらしてゆこうじゃないか。
その実態調査を通じて、関係者は認識を新たにすべきである。
実態調査については、後日 文書をもって所管課に指示し、各施設での調査に付することとします。
形式だけで終わらせてはならない「人への支援」先ずは実態を明らかにしたうえで関係者が認識を新たにし、そのうえで 真の障がい者支援につなげてゆければと思うところです。
資料は提出されました。でも、これからが本番です。
実家に足を運んだ際、オフクロが〝変な体験〟を話してくれました。
曰(いわ)く「こないだ電話がかかってきて「いらない靴はありませんか?」って言うの。」
「何でも 家庭でいらなくなった靴を引き取って 他で有効活用させていただきますっていうの。」
「そりゃウチにも お父さん(亡父)が履いてたのとか(要らない靴)はあるから、一瞬「あります」と答えようと思ったけど、何かが変で。」
「だから瞬間的に「息子が帰ってきたら聞いてみます。」と返事したら「あ、息子 いるんだ。」と言って「じゃあイイです。」って切れちゃった。」とのこと。
それを聞いた私は、オフクロの〝△△も方便〟の対応を「ウマく答えたね。」と花丸をあげたものでした。
(ウチのオフクロ、この手の電話には その中身に関わらず、上記の言い方で断ることにしているのです)
この「靴ありませんか」電話、私は以前に 同じような事例を耳にしていました。
まさか それがウチ(実家)にかかってくるとは…それがまず驚きでしたが、この「いらない靴を引き取ります」の話しには〝その先〟があるそうなのです。
「いらない靴はありませんか?」そう言われれば、どの家庭にも 履かなくなった靴の1つや2つは絶対にありますよね。
捨てるのはそんなに難しくないけれど、ついついそのままにして下駄箱を占領してしまっている 要らなくなった靴たち。
それが どこかで有効活用されるのならば、出してもイイかな。
ところが、話しは それからが〝本題〟のようなのです。
一度(ひとたび) 靴の回収をお願いしてしまうと、電話の主はそれ(要らなくなった靴)に加えて「靴の他に 金属製品で捨てるものがあれば一緒に回収しますので、どんな金属でもイイから 捨てるようのがあれば一緒に用意しておいてください。」と言って やって来るそうなのです。
そうです、要らなくなった靴を回収すると親切を示しながら、本当の狙いは この〝金属〟もっと言えば その先には「貴金属」があるようなのです。
これが、この手の巧妙な〝誘い水〟です。
いきなり本題(貴金属)に触れれば 相手に警戒されてしまうけれど「靴」なら つい応じてしまう ハードルの低さ。
「いらない靴ならあるよ。」と相手の警戒心を解かせて(ハードルを下げさせて)、そのうえで 要らない〝金属〟も引き取るとの話しも付け足したうえで、とにかくアポ(対面)できさえすれば 後は口八丁(くちはっちょう)のこっちのもの。
要らない靴や不要の金属を受け取った後は「他にいらない金属製品や不良品はありませんか?」と、いかにも親切なフリをして家に上がり込み、家主(高齢者)と一緒に 家にある〝不要品〟を探すんだそうです。
そして 電話(最初の段階)では〝金属〟だったけど、いつしかそれが〝貴金属〟に変わり、話しが作られてゆくそうなのです。
「このネックレス もう壊れてるから一緒に持ってきますね。あと この指輪も使ってないでしょ?これも持ってきますね。」と。
連中にとって「要らない靴」は、目的ではなく 家に上がり込むためのキッカケでしかなかったのでした。
この手の詐欺まがい行為を分析したものの見解によると、この「要らない靴を引き取りますよ」の巧妙なところは、人のイイ高齢者の心理を巧みに突いているところだそうです。
「汚い(履き古した)靴を引き取ってもらった」という〝申し訳ない感〟を利用し「靴だけを持って帰ってもらうのは申し訳ない」という心理を増幅させ、さらに「家財の整理を手伝ってもらっている」という心理状態に持ち込み「ここまでしてもらってるのに断ったら悪い」という気持ちにさせて 言われるままに家財をどんどん提供してしまうようになってしまうのだそうです。
また 加えてそこには、高齢者の〝孤独感〟にも付け入っているようです。
ここのところ誰も訪ねてこない。もっと言えば 誰とも話すことが無い中(一見)親切な人たちが わざわざ足を運んでくださった。
ありがたい話しじゃ。
下手をすれば、訪れた者たちにお茶まで振る舞ったあげく 身ぐるみを剥(は)がされてゆくのでした。
・・・・・・。
この「要らない靴を引き取ります」電話は、それが犯罪行為と認定されるかと言えば 非常に微妙なケースと言えるでしょう。
決して 脅したり強奪しているのではない。あくまで任意で出してもらっているのです。
今や 社会には、さまざまな手段を講じて横行する〝特殊詐欺〟を初め「コミュニケーション」を悪用した行為が蔓延している状況は、由々しきことと言わざるを得ません。
少子高齢化が伸張し 独居老人が増える中、さらに言えば 認知症の高齢者が増える中においては この手の〝最初は親切詐欺〟は もっと増えるのかもしれません。
私は これに対抗するのは、やはり「コミュニケーション」ではないか、と。
普段から 当該の高齢者とコミュニケーションを持っていれば、その人も短絡的に詐欺(まがい)に騙(だま)されること無く「ちょっと待てよ」と 心のブレーキをかけることができるでしょう。
そのためには、私たち周囲の者の「ちょっとした気遣い」が欠かせないと思います。
身内の高齢者には、用事があっても無くても 不定期に電話をかけて「様子 どう?」と訊いたり、地域の高齢者には 道すがらや、たまにはチャイムを鳴らして安否確認を行なうなどして「善のコミュニケーション」を維持すること。
社会が情報化・多様化するからこそ、そういった〝基本的なやり取り〟が大切だよね、と思い知らされた出来事でありました。
開会中の 長野市議会6月定例会の本会議で、都度(つど)挙げられている話題(項目)が「検証」という文言(テーマ)です。
この「検証」の論拠は 他でもなく「青木島遊園地問題」において 市が辿(たど)った経過に対する検証を指(さ)しているのは ご案内のとおりです。
この「検証」については、私も早くから注目し これまでも本ブログで触れさせていただいております。
↓
2023年5月30日のブログ記事一覧-倉野立人のブログです。
2023年5月30日のブログ記事一覧です。日々の思いを、訥々と。【倉野立人のブログです。】
goo blog
2023年6月13日のブログ記事一覧-倉野立人のブログです。
2023年6月13日のブログ記事一覧です。日々の思いを、訥々と。【倉野立人のブログです。】
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これまでも私は、かかる「検証」について 単なる事務作業に止(とど)めてはならないことを申し上げてまいりました。
そもそも「検証」とは、当該の案件が 果たして正しかったのか(適正であったのか)を振り返る(確かめる)作業であると理解しています。
しかし、その「正しかったか(適正だったか)」の確認作業も それ(検証)を行なう者の立場によっては〝偏(かたよ)った検証〟にないかねない危うさを孕(はら)んでいることを指摘しておかなければなりません。
6/13付のブログで触れたとおり 検証が〝身内が身内を裁く〟に終始したとすれば、その検証は「検証しました」との〝やっただけ検証〟…すなわち検証したという事実だけを自己評価して「以上 終わり」となってしまい、それは客観性に欠ける主観的なものになってしまいかねません。
「検証」という虎の衣に隠れ、肝心の中身についての追求が甘くなってしまうのではないか。
また、この「検証」自体も、どこか一方の立場の者に都合のイイような検証結果をもたらすようでは、その役割を果たしたとは言えません。
とりわけ 今回の「青木島遊園地問題」においては、遊園地の廃止に向けて 市は自分たちの都合に任せて行政手続きを一方的に進めてゆきました。
ただ、一連の一方的な事務作業も 行政の手続き上では瑕疵(かし)なく行なわれたことから、それに基づき 通り一辺倒の検証を進めたとすれば「総じて問題ナシ」との〝お手盛り検証〟に過ぎなく終わってしまうことも往々にして予想されるところです。
これは正に、行政サイドにとって都合のイイ検証です。
「検証はしてみたけれど、手続き上は問題なかったことが検証されました。」こんな結果が平然と報告されたならば、私たち市民は 到底納得などできないですよね。
そんな アリバイづくりのような検証なら、むしろやらない方がよほどマシというものです。
そうならないためにも「検証」という作業には「客観性」が不可欠なのです。
そんな中 この案件における検証について、その適正について期待できるかもしれない発言(答弁)が発せられました。
私や、この件について問題意識をもつ議員の質問に対し、検討委員会の座長を務める西澤副市長が「検証の中立性を確保するため、外部委員による検証も検討している。」と述べたのです。
従前(6/13付)でも述べましたが、今回 市側から表明された「検証委員会」設置の取り組みは、いわば市の姿勢 というより「本質」を〝検証〟することとなるものです。
何のための検証か、誰のための検証か…その検証結果に 中立性は担保されるのか。
もっと言えば、単なる手続きについての検証ではなく、市の行なった行為が 果たして市民の期待に応えたものであったか?市民の「思い」に背(そむ)くものにならなかったか…とまで イイ意味で踏み込んだ検証になるかどうか。
引き続き 大いに注視してゆきたいと思うところです。
開会中の長野市議会 令和5年6月議会の本会議において、個人質問で登壇しました。
私は今回、青木島遊園地廃止問題から派生した 青木島小学校の放課後児童問題を中心に質問展開しました。
以下、質問⇔答弁の概要です。
これまでも触れているとおり、長野市は 半ば一方的に青木島遊園地を廃止し、そのうえで今度は 隣接する青木島児童センターを廃止し、青木島小学校の校内(児童プラザ)に移転統合しようと「青木島こども未来プラン(案)(以下/プラン)」として計画を進めています。
しかしながらこの計画を改めて検証すると、現在の青木島小学校の児童数や空き教室の状況(実態)を度外視し「移転統合ありき」のままに(計画を)進めようとしている帰来があるのです。
これはまさに、さきに一方的に青木島遊園地を廃止した経緯と同じ流れであり、これを看過すれば またもや〝大人の都合〟で罪も無き放課後児童が弄(もてあそ)ばれることになってしまいます。
そのような事態(同じ轍/てつ)は、何としても避けなければなりません。
そこで先ず、この「青木島こども未来プラン(案)」が、(案)とはいうものの 既にこの計画どおり進めることになっている、もはや既定路線なのではないかと市民から懐疑的な声が上がっていることを挙げ、果たしてそう(規定路線)なのか、見解を質しました。
なぜ冒頭にこのことを聞くのか。それは「青木島遊園地問題」で 市民は大きく裏切られたからです。
2月11日の住民説明会で 遊園地の存続を匂わされ、心ある市民は存続に大きく期待しました。
しかし実際には、裏で廃止の密約ができあがっており、結果 市民は弄ばれた恰好になってしまったのです。
そのことを踏まえれば、今回のプランも既定路線で、誰が何と言おうと「プランありき」となっているのではないかと 多くの市民が強い疑念を抱いています。
そこで、今回のプランについては「計画ありき」ではなく、市民の声を聞いたうえで適切に計画変更してゆくべきと述べたところです。
これに対し 市(企画政策部)は「現段階では あくまで(案)なので、これから広くご意見をいただきながら進めてゆきたい」旨を答弁したことから、市長に対しても「市民の声を聞いて適切に変更するということでいいか?」と問うと「さきほどの答弁のとおり」とし、今後も市民意見を聴取しながら進めてゆくことを明言しました。
次に、市民意見の聴取について その〝拙速ぶり〟を指摘。
5月13日に青木島小の保護者を対象にした説明会が行なわれたのですが、その場で唐突な形でプランを絵図で示したペーパーが配られ それは全員が初見なのに、その場で「ご意見のある方はどうぞ」と意見を求められ「発言できなかった人はアンケート用紙にその場で書いて置いてゆけ」と〝即答〟を求める有様(ありさま)でした。
さらにその後、地域に対しては「回覧板」という安易な形で市民意見を求める通知を出し、それも短期の期限で提出を求めるという 非常に拙速といわざるを得ない手順を踏んでおり、またもや市民に負担と周知不足を招いているのです。
このことについてどう考えているのか質しました。
答弁を通じて、どうやら その陰(かげ)には「7月末には結論を出したい」との胸算用があることが感じ取られました。
市は どう見ても拙速で粗い意見聴取なのに、それを拙速と思っていないフシがあります。
これは「こっちは7月末に結論を出したいんだ」との〝自己都合〟が見え隠れするところであり、このことについても 市民の意識とは乖離(かいり)していることを述べておきました。
そのうえで「現場の声」をどう聞き取っているのかを質しました。
すなわち、児童の現状を第一に知るプラザ・センターの支援員さん一人ひとり、さらに学校の教職員一人ひとりの意見や要望を聞き取ったうえで、現状に即した対応を行なうべきとしたうえで、それら意見聴取や計画への反映はどのように行なっているか、さらに青木島小PTAの保護者・児童センター保護者会の親御さんからの意見対応について質しました。
これに対し市(こども未来部)は、これまでも説明会を行なってきたこと・今後も意見を伺いながら進めてゆきたい旨を述べていました。
と いうことは、関係者は これからもドンドンと意見を出し、積極的に計画の改善・改良を求めてゆくべきことが示唆されるところであり、これら答弁を受けて さらに活発な意見具申を行なうべき と思ったところです。
そのうえで市長に「子どもの権利」に絡めて見解を質しました。
市長は この青木島こども未来プラン計画の上位計画である「長野市こども〝のびのび〟ビジョン」の筆頭に「子どもの権利を守る施策の充実」を掲げています。
「子どもの権利」の大原則を成している 国連が定める『子どもの権利条約』の4原則の中には「子どもの意見の尊重(意見を表明し参加できること)」が明記されています。
これに照らせば、荻原市長は所信で「子どもの権利をしっかりと守る」を明確に表明していることから、例えば青木島こども未来プランの策定に向けても子どもの意見を尊重すべきです。
市長に、その考えがあるか、さらに踏み込んで 子どもの声を直接聞き取るつもりがあるか質しました。
すると市長は「子どもの声も聞きながら計画を進めてゆきたい」旨の答弁が。
で あるとするなら、どのように子どもの声を聞き取ってゆくのかを 再度質したところ、その後はこども未来部長の答弁となり 同様の趣旨の答弁。
いずれにしても「子どもの声を聞く」ことの言質(げんち)は取れましたので、今後の取り組みに加味すべきとしたところです。
次に、現在の青木島小学校の生徒数や空き教室の無い状況、さらにセンター・プラザの利用児童数を考え合わせたうえで、直ちにセンターを校内(プラザ)へ編入統合する作業が、子どもに負担無く、今の青木島児童センター並みの環境を維持したうえで可能と考えているのか質しました。
これに対し 市(教育委員会)は「状況を見据えて調整してゆく」旨の答弁。
逆に言えば、今の状況で直ちにセンターを(校内に)移転編入することはできないと言っているのと同じと解釈できます。
さらに、子どもの新たな居場所として校庭や中庭を示していますが、これが青木島遊園地の環境に代わり得る最適な環境であると考えているか質したところ「さまざまな遊びの場の一つと考えている」との答弁。真正面から応えていないことが分かります。
また、中庭は 地面がインターロッキングで、転倒した際にすぐにケガにつながる危険度が非常に高いと聞いていますが、その現状をどう考えてるか。学校の時間内は校医さんが治療してくれますが、放課後児童がケガを負った場合は、誰が責任をもって治療することになるのか質しました。
すると 市(こども未来部)の答えは「中庭のケガの状況は さほどでも無いと聞いている。転んだ程度のケガは、その都度 保健室で治療している」旨の、事態を軽視していると言わざるを得ない〝軽い答弁〟に終始していました。
また 放課後児童のケガについては「その一義的な責任は社協にある」と逃げたうえで「ケガを負ったときには 現場の支援員が看護にあたることになる」とのこと。
このことについては その認識の軽さを指摘すると同時に 中庭での遊びでケガが多発すれば、また再び支援員さんの負担が増えることになることを述べ 今後の(委員会での)課題とすることを述べておきました。
プランには「プールを廃止して新たな遊園地を設置」とありますが、さきに篠ノ井東小での不審者騒動などもあったことから「セキュリティ」についてどう考えるか質しました。
また、そもそも プールの跡地利用は、別に有効は活用方法があるのではないかとの意見があることから、今後は市民意見を聞いて柔軟に考えるつもりがあるか質しました。
これについて市(教育委員会)は「学校の開放」が考えに先立っており「セキュリティ」については「植栽を植えました」程度の答弁。
どうやら市教委は(も)、計画を実行した際のリスクマネジメントなどの考察なしに絵だけを描いている。このことが改めて判りました。
この「甘い見通し」についても 今後の指摘課題としてゆかなければなりません。
また、プール廃止後の後利用についても「何が何でも駐車場&遊園地」というワケでもなさそうなので、このことについても 市民意見を集めることが肝要でしょう。
次に、財政面から質しました。
さきの青木島遊園地を廃止に追い込んだ〝6つの理由〟のひとつが「遊園地が公金を使っての借地であること」でした。
それら財政の視点で、今回のプランの総工費は一体いくらになると積算しているのか質しました。
すると市の答弁は「まだ積算をしていない」とのこと。
この理由(言い訳)は、事業が複層しており また校舎改修などの従前からの計画もあるので一概に積み上げることはできない との、案の定の言い分でした。
しかし、そんな〝青天井の予算計画(イヤ、現時点で それすらも無い)〟で許されるものでしょうか。
今回の計画は、無論 公金(税金)を支弁するものであり「一体 いくらかかるんだ?」との予算の面も 市民にとっては重要な判断材料になるハズであります。
それが、予算の裏付けも無いままに計画だけを独り歩きさせることは 片手落ちと言わざるを得ないことから、この点についても 今後の検証材料としてゆきたいと思います。
また 青木島保育園移転の目処について問うと、あくまで「その場合は~」との未確定な答弁。この点についても ハッキリしないままに「仮設校舎として使う」などの〝たられば話し〟の材料にすぎないことが改めて分かりました。
次に、現状の青木島児童センターの抱える喫緊の課題について触れました。
遊園地が廃止され 遮(さえぎ)りが無くなった青木島児童センターは、西陽が照りつけ 今や既に熱中症の危険にさらされています。関係者からは 園庭の砂場や雲梯(うんてい)を西陽から守るタープのような遮蔽物と、遊戯室へのエアコン設置が求められていることから 対応の如何を質しました。
これに対し 市(こども未来部)は「今の青木島児童センターの課題については承知している。対応できることは対応し いずれにしても検討してゆきたい」とのこと。
至急に現場(支援員さん)との調整を行なわなければなりません。
一連の質疑を通じて、また、既にさまざまな立場の市民から意見が寄せられているとおり、青木島小学校の生徒数や空き教室などの現状を見れば 青木島こども未来プランを絵に描いたように進めるのは現実的に無理であると言わざるを得ません。
市長は所信で「主役である子どもたちの主体性を尊重し、子どもたちの育ちを支える保護者の皆様の目線に立って考え施策を展開する」と述べられ、さらに「子どもが伸び伸びと遊び、育つための場づくりや環境づくりを目指す」そのための「子どもの権利をしっかりと守る」を明言されましたが、で あるとするなら、その子どものための環境が整うまでの間は、青木島児童センターは環境を整えたうえで現状のまま維持し、青木島こども未来プランのインフラが具体的に整った後に移転統合を行なうべきではないか。
市民が求めているのは「スピード感」ではなく「安心感」です。と。
この点について市長の見解を問うと「計画は計画として進めているけれど、さまざまな意見が出されていることを踏まえ、決して急ぐことなく進めてゆきたい」との答弁が得られました。
今回の質疑を通じて、先ずは 市と市民との「意見(意識)の乖離」が明らかになりました。
市は、子どもたちの新たな居場所づくりを〝早急にスピード感をもって〟進めたいと思っている。
そして そのためには、多少の無理があっても そこは理解を得ながら進めたいと思っている。
だがしかし それ(スピード感)は、市民が真に求めているものではない。
(前掲のとおり)市民(関係者)は、真に安心できる子どもの新たな居場所が完全に整備されてから 移行なり編入なり行なってほしいと願っているのです。
この いわば〝温度差〟を無くしてゆかなければ。
もっと言えば、市(市長以下 職員)に 市民が抱く「真のニーズ」を理解させ、それに合った施策展開を促してゆかなければならない。
今回の質疑を通じて、早急に 市民と市との意見交換会のような「場づくり」を設(しつら)える必要性を強く認識しました。
但し、それは あくまで「市民が主体」でなければなりませんので、私のような立場の者は縁の下(えんのした)に潜(もぐ)り、下支えに徹してゆきたいと 併せ思うところです。
いずれにしても市がブチ上げた「青木島こども未来プラン」は、改善すべき点が枚挙に暇(まいきょにいとま)が無いことが再認識され、そのうえで一縷(いちる)の光明は、市が「市民の意見を伺いながら 決して急ぐことなく進めてゆきたい」と〝譲歩の方向〟にシフトしたということでしょう。
こんな中でも、子どもの大切な一日いちにちは 確実に過ぎていきます。
〝大人の都合〟ではなく「子どものために」最適な選択がなされるよう それぞれの立場で知見を集めてゆかなければなりません。
報道等で、大手芸能プロダクション会社(J事務所)において 元経営者(故人)から(かつて所属した)タレントが性被害を受けたとして告発した問題について、当該J事務所が「外部専門家による再発防止特別チーム」を組成して「検証」を行なうことになったことが報じられました。
それによると、この検証チームは 検事総長経験者・精神科医・(性暴力などの被害者支を実践している)臨床心理の研究者で構成され、件(くだん)のJ事務所とは一切関わりを持たず 第三者委員会としての機能を有しているとのこと。被害を申告する人たちに寄り添い 同事務所の過去の対応上の問題点を調査・検証し、ガバナンス上の問題に関する再発防止策を提言し実行を求めるそうです。
おそらく今回の案件で このような経過(検証チームの組成)となったのは、組織の絶対的カリスマであった創業者の過去の所業について 内部(身内)だけで事実確認をして結論を出すことは無理だとの判断に至ったものであろうことが推察されるところですが、この判断は賢明であったと評価されるところです。
先ずは、過去にどのような事実があったのか・そのことによって どのような被害が及ぼされたのか・そのうえで 今後、組織としてどのような道を歩んでゆくべきなのか等が白日の下(はくじつのもと)に検証に付され、二度と類似の事案が起こらないように努めてゆくことが求められるところでありましょう。
「検証」この作業は、組織にとって ある意味では難儀な作業であると同時に、(組織を)再活性化させるためには〝通らなければならない道〟でもあると思います。
自らの組織の内部で起きた問題点、それもとりわけ 外部から(問題点を)指摘されたときに、自ら(問題点を)炙(あぶ)り出し、何が悪かったのかを自らの手で白日の下に晒(さら)し評価を受けることは、勇気を要することであります。
できることなら、臭(くさ)いモノには蓋(ふた)をしたまま やり過ごしたい。そう思うのは人情というものでしょう。
しかし、それでは 組織は堕落の一途を辿ることになる。
一方で〝誰が検証するのか〟も、その検証の成果を左右することにもなると申せます。
今回のJ事務所においては、事務所とは一切関わりを持たない 第三者(それも有識者)が検証チームを組成し検証作業に当たるとのこと、これは 主観を持たずに客観的に事態を分析する面において有為なものと評価されるところです。
「身内が身内を裁(さば)く」との言葉がありますが〝検証〟とは言っても、例えば 問題が起きた組織の内部の者が検証チームを組成しチェック作業を行なうと、それは概して身内に甘いものとなり 下手をすれば忖度(そんたく)が加味された、当該組織にとって(逆に)都合のイイ検証になりかねない危うさがあると思われます。
その点において、長野市では(従前に触れましたが)さきの「青木島遊園地問題」について、庁内に検証委員会を設置し 一連の経緯を「検証」することになっています。
[参考]5/30付ブログ「青木島遊園地廃止の経緯 庁内に委員会設置し検証へ」
↓
https://blog.goo.ne.jp/kz2df777/d/20230530
ただ、この〝長野市版の検証〟は「身内が身内を裁く」の典型的なものであることから、どこまで(身内に)厳しく また第三者(=市民)から納得を得られる検証になり得るかどうか 懐疑的な面は否めないところでありますが、市(市長)が「検証に付する」と宣言したのですから、その客観性などについては その(検証の)推移を見守るところです。
事ほど左様(ことほどさよう)に、社会活動を行なう組織(団体)においては、これまでの業(ごう)を適切に見直すためにも「検証」を行なうべきところが多々見受けられるところです。
前掲のとおり「検証」は できれば避けて通りたい難儀な作業ではありますが、そのことに着手することで 組織が真に再活性化することを思って、敢えて茨(いばら)の道を選択する勇気を(各組織に)求めたいところであります。
気象庁は 去る8日、長野県域を含む関東甲信越地方が「梅雨入りしたとみられる」と発表し、その前後から 地域は不定期に雨に見舞われる陽気となっています。
この頃には 太平洋沿岸エリアで線状降水帯が発生するなどして 場所によっては水害に見舞われたところもあり、また 一説によると、今年の梅雨は降雨量が多いなどと言われる面もありますので、大きな水害を経験した私たちとすれば あんなことはもうご勘弁願いたいと心底思うと同時に、万が一のために備えを怠りなくすべきことを再認識するところです。
そんな梅雨入りとなったある日、クルマで走行中に見た他車の行為を通じて「当事者の立場になってみろ」と 義憤の念にかられたところでした。
その日は午後から ややまとまった雨が降り、生活道路には 轍(わだち)に雨水が溜(た)まった状態になっていました。
夕方にその道路をクルマで通行したのですが、折りしもその頃(18時前後)は クルマの交通量も増え、歩道の無い道路の路側帯を 帰途を急ぐサラリーマンや学生さんが歩いていました。
で、そんなときです。
私の前を走っていた いま流行のミニバン(△△ファード)が、何のためらいも無く走行を続け 轍(わだち)の水をビシャビシャ跳ね飛ばしたまま通過していったのです。
当然 跳ね飛ばした水は路肩にまで結構な勢いで達し、路側帯を歩いていた人(歩行者)のズボンに相当量がかかってしまったのでした。
水をかけられた歩行者さんは 思わず飛びのいていましたが、それでも相当量の雨水が衣類にかかったことが見て取れました。
で、件(くだん)のミニバンは、停車することも無く サーッと走り去っていったのでした。
それを目にした私は、クルマのハンドルを握る者の配慮の無さ・それをクルマの立場が優位であるという勘違い運転に 憤懣(ふんまん)やるかたなきを強く覚えたところでした。
この手の問題については 従前も触れたことがありますが、人は えてして、(クルマの)ハンドルを握ると 何だかエラク(偉く)なった気分になり、同時に自己チュー(自己中心的)になる帰来(きらい)があるようです。
雨の日、もし自分が歩行者で クルマに水をぶっかけられたらどう思うか・または水に濡れるという実害を被ったら その気持ちはいかばかりのものか。
しかし えてしてハンドルを握る者は、自分は濡れずに快適空間の中に居(お)り そぼ降る雨中の中に居(い)る人のことは 二の次三の次になる。
もっと言えば、自分は濡れていないのだから(水しぶきに濡れる)歩行者は関係ない。とも思う「自己中心・他者排斥」の悪しき心理が働いてしまうのかもしれません。
私は こんな心無いクルマの去りゆく姿を見ながら、この心理は 私たちの社会生活(社会活動)の中でも悪しけく蔓延していいるのではないかとも思わされたところです。
例えば 障がい者や高齢者などの「社会的弱者」を〝支援〟している(ハズの)事業。
一見すると、かかる社会的弱者に心を砕き その(社会的弱者の)社会生活を助けているように思える事業ですが、その深層には 例えば雨の日に、共に濡れて戸外を歩く姿勢(意識)がどれほどにあるのだろうか。
自分は さまざまな面で守られている車内に籠(こ)もり、一方で 本来は庇護(ひご)すべき社会的弱者が雨のそぼ降る戸外をトボトボ歩いていても「しょーがないね。」と冷ややかに見つめるだけとなっていないだろうか。
ましてや、自分たちが駆るクルマが かかる社会的弱者に泥水をかけても、そ知らぬカオで行き過ぎるようなことであれば、これは言語道断と言わざるを得ないところです。
クルマに乗る自分たちは特別で、雨中を歩く人は格下の者。
そんな勘違いが 普通に心の中に芽生えたとき、人は堕落(だらく)し始める。
雨が降るような厳しい環境だからこそ、人は他者に優しくなければならない。
で、その通底には「雨の日に 共に戸外を歩いてみよ」すなわち「その立場になってみよ」とのご託宣(たくせん)があると思います。
少なくとも私は、かつてそういう時期があったが故に、戸外を濡れて歩く思いを共有してゆきたい。
そんな「共感」をもつ心理が無ければ、為政の道を歩むべきではないとも思うところです。
雨の日の一瞬の出来事の中に、さまざまな思いをいたしたところでありました。
6月8日(木)、長野市議会 令和5年6月定例会が開会しました。
これまで社会の〝足かせ〟となっていた新型コロナウイルス感染症も「5類相当」に格下げとなったことなどから、社会は いわば〝通常モード〟として再び歩み始めることになっています。
そんな中での6月議会でありますが、これまでのさまざまな社会課題に併せ 前掲の望ましい社会変化も考慮しながら、市民生活の向上をめざして諸課題・議案と対峙するところであります。
この日(初日)に行なわれた 荻原市長の所信(議案説明)の中では、補正予算として 住民税非課税世帯に対し物価高騰対策(支援)として3万円/世帯を支給する支援策・低所得の子育て世帯への児童1人あたり5万円の生活支援・5月上旬の豪雨災害復旧費・子どもの福祉医療費拡大(1レセプト500円)の18歳までの拡大(R6年1月開始)・新たなコロナ対応・長沼保育園開所・保育園での紙オムツ回収(モデル園)実施 などが表明(説明)されました。
そんな中 私が注目…というか〝引っかかった〟のが「むすび」で述べた市長発言です。
市長は演説の最後に 敢えての形で「子育て」の話題を持ち出し、その中で「子どもの主体性を守り、子どもの権利を守る」を強調しておられたのです。
自ら「(私は)市長就任以来、これまで「子どもたちの夢を応援するまち」の実現を目指し(てきた)」とし、さらに「そのための施策を進める上で、私が大切にしていること」として 前掲のとおり「子どもたちの主体性を尊重し、(さらに)子どもたちの育ちを支える保護者の皆様の目線に立って考え、施策を展開する」と言い切っているのです。
さらに市長は 発言を踏み込み「まず、子どもの権利をしっかりと守り、大人が支える環境を作る」としたうえで、子どもの権利を守る条例制定に意欲を示しておられました。
・・・・・。
それを聞いた私は、両手を挙げて「そうだ!」と言えない心境に陥ったものでした。
確かに、この部分だけを切り取って聞けば 実に耳障りのイイ詭弁が流されてくるところです。
ところが、です。
これまで、実際に市(市長)が手をつけてきた行政行為は「子どもの権利」などには ほど遠いものでありました。
このことは言うに及ばず、一連の〝青木島遊園地存廃問題〟からの〝青木島こども未来プラン(案)の提示〟で悪しけくクローズアップされています。
子どもの最適な居場所であった青木島遊園地を〝大人の都合〟で奪ったあげく、今度は いわば効率第一主義の下で 青木島児童センターを小学校〃内に無理矢理に編入させようとしています。
こんな〝強攻策〟に走る為政者が「子どもの権利を守る」と表明してみても、それを満額受け容れることは 到底できないものでありましょう。
「現業不一致」という言葉があります。
言っていることとやっていることが違う。いまの長野市(市長)は その道を歩んでいると言わざるを得ない残念な状況にあると申せます。
とりわけ現市長は、言い方(口調)は誠に丁寧ではあるものの やっていることは強行路線であり、何というか「カオとハラが違う」と 懐疑的にならざるを得ないのが正直な実感というところです。
私は この議会においては、本会議ならびに委員会審査を通じて 市の〝深層(心理)〟を質してゆくこととしています。
私の投げかけに(市/市長は)どう応えてくるのか。注目されるところです。