6月定例会では、地元である篠ノ井の茶臼山一帯の活用、市の情報発信の改善、5月の行政視察をふまえた本市の取り組み等を取り上げました。
質問の項目は次のように構成しています。
(1) 茶臼山動物園、自然植物園、恐竜公園の整備と活用について
ア 繁忙期の混雑・渋滞対策について
イ 茶臼山エリアの魅力と集客力の向上について
ウ 地域活性化に向けた連携協力について
(2) 利用者目線の情報発信について
ア 市民の安全、安心につながる情報発信について
イ 子ども、若者向けの情報発信について
ウ 選ばれる観光地となるための情報発信について
(3) 未来に続く長野のための取組について
ア 「選ばれる都市」につながる都市ブランディングについて
イ 行政改革とDXの推進について
(4) その他
ア 犯罪を生みにくくする植栽帯の工夫について
イ その他
質問と答弁については、下のリンク先よりご覧いただけます。(長野市議会インターネット議会中継)
https://nagano-city.stream.jfit.co.jp/?tpl=play_vod&inquiry_id=3866
茶臼山には動物園、植物園、恐竜公園が整備されてきました。茶臼山動物園は本年40周年を迎えていますが、新しい展示施設を整備し、入場者数はまだ伸びています。
これも含め、茶臼山には、まだ新たな可能性があるのではと考えています。
敷地の高低差は施設配置や眺めにプラスになる反面、敷地内の移動しずらさにつながる面もあります。電動車いすのような移動支援を提案しました。
また、茶臼山の自然や眺望を今のニーズに沿って楽しんでいただけるよう、ドッグラン、デイキャンプ(バーベキュー場等)についても提案しました。
6月市議会の報告です。25日の社民党県連の大会や故竹内久幸さん(元県議)を偲ぶ会の段取りがあり、また自らの議員進退に関わる問題もあり、今頃に...
26日に長野市内の川中島町に出没した「猪(イノシシ)」は、町内のお寺さんの境内で近隣住民にケガを負わせるなど大暴れをした後に 域内を流れる堰(せき/農業用水路)に逃げ込みました。
その後は 近所の藪(やぶ)の中で目撃されるなどしましたが、現在のところ 足取りはプッツリと途絶えたままとなっています。
そんな突発事案の「対応」を巡り〝ちょっと気になること〟を思わされたところでした。
そんなこんなの〝イノシシ騒動〟ですが、(イノシシが)出没した川中島エリアは 田舎とはいえ約2,7000人の人口を抱える市南部のベッドタウンでもあり、多くの住民 その中には当然のことながら、学校に通う児童生徒もいることから、ときならぬ野生獣の出現には 大人もさることながら、身体の小さな児童生徒へ被害が及ばないかが心配されたところでした。
さきに被害に遭ったKさんを看た医師は「野生獣の被害に遭った場合、噛まれ傷などの受傷被害もそうだが それ以上に「感染症」が怖い」と話しておられたそうです。
家で飼われるペットや家畜と違い、山野を駆ける野生獣は 思わぬ感染症を有していることがあり、万一噛まれるなどすると 口径(唾液)等を介してバイ菌が被害者の体内に入り、発熱などの体調不全の原因となるそうです。
したがって イノシシに襲われ受傷したKさんも、噛まれ傷の手当てと同時に 感染症を防ぐ点滴を受けたそうです。
そんな 悪しき副産物を有した野生獣に、万一 抵抗力の低い児童が被害に遭えば、ガタイのでかい野生獣の突進を食らったダメージに併せ そこ(受傷箇所)から感染症にでも罹(かか)れば、まさに踏んだり蹴ったりの厄難を負うことになりかねません。
したがって、イノシシが出没した域内の小中学校においても それぞれに警戒を促す連絡などが為(な)されたことを聞き及んでいます。
そんな中、JR川中島駅の近在に住む 小学生の子供を持つ親御さん(Nさん)から、やや気になるお話がありました。
「イノシシが出てから、ウチの子が通う小学校からは (イノシシ関連の)情報メールが届いたんだけど、JR今井駅のそばに住んでて 中尾山の麓(ふもと)にある小学校に(子供が)通う親御さんには「そんなメールは来てない」っていうんだよね。」とのことでした。
今回〝イノシシ騒動〟が起きたエリアには、4つの小学校と2つの中学校があります。
そこに、今回のイノシシの出没歴を重ねると、ほぼ満遍なく それぞれの学区内に(イノシシが)出没しているのが分かります。
そのうえで言える(推測)されるのは、おそらく このイノシシは、域内の西部にある山部(中尾山方面)から下ってきたんじゃないか ということです。
と いうことは、逃走に疲れたイノシシは その帰巣本能に基づき、向かうとすれば 西の方角ではないか、と。
ところが今回、域内の南部・北東部の学校ではメール(LINE)配信がありましたが、最も注意を要するハズの西部の学校では それ(メール(LINE)配信)が行なわれなかったようなのです。
ましてや 件(くだん)のイノシシは JR今井駅周辺で目撃(それも児童に)されており、その子らは 西部にある小学校に通学しており、もしかしたら野生獣に遭遇するリスクが最も高い環境にあるのです。
で、そのことを市教育委員会に訊(き)くと「市教委からは情報発信は行なうけれど、その先 保護者にまで配信するかどうかは学校裁量に任されています」とのことでした。
そのうえで市教委は「当該の小学校(長)に訊いたところ「情報発信によって児童や保護者が動転(パニック)することを憂慮し、敢えて その時点での情報発信を行なわなかった。騒動が落ち着いたところで、一連の経過についてお知らせする予定でいる」とのことです」と報告してくれました。
一連の対応を訊いて、私は やや複雑な心地になりました。
野生獣の出現は、地震や河川水害などと異なり それ(被害)自体が未詳の面が多く、どこでどう被害が及ぼされるかを判断するのは非常に難しい面があります。
一方で 今回の場合、域内の地勢を考えれば 当該の野生獣は「西」に向かう(戻る)可能性が高いことから、とりわけ西部の関係者においては警戒を強めるべきではなかったか。
そのうえで 情報発信により 児童や保護者に混乱をもたらすと(現場が)判断すれば、それ(情報)を出さないことが了(りょう)とされることがあるし、また逆に 万が一のことがあれば、その時に情報を出さなかったことが大いに責められることになるでしょう。
ジャンルは やや異なりますが、消防団(員)に向けた「火災発生メール」について、今までは 長野市域のどこで(火災が)発生しても、全ての団員にメール配信されていましたが、例えば豊野エリアの火災情報が篠ノ井の団員に届けられても対応できず 意味があるのかとの声によって ある程度(発生⇔対応)エリアを限定した情報発信に改められたとの事例もあり、そこに情報発信の難しさが感じ取られたところでありました。
今回の〝イノシシ騒動〟における情報発信においては、本人?が神出鬼没であるが故(ゆえ)に その対応も硬軟分かれ、非常に難しい面があることを感じさせられました。
今後は 事案の特殊性にも鑑(かんが)み、例えば庁内でも 所管の「森林いのしか対策課」と情報交換し、域内の地勢や 当該野生獣の生態などを勘案して情報発信を臨機応変に行なうなどの〝柔軟性〟が求められるのかもしれません。
いずれにしても、いろんな面でお騒がせしたイノシシ。
あれから 一体どこへ行ったのでしょう。
◆長野市消防団ポンプ操法大会
25日(日)、市内の消防学校で「長野市消防ポンプ操法大会」ならびに「ラッパ奏法大会」が開催され、今年 出場することとなっている市内の消防団(選手)が出場しました。
で…この日の出走(応援)を通じて、私たちは 改めてポンプ操法大会の意義を実感することになったのでした。
これまでも触れていますが、ポンプ操法大会(ポン操大会)は「消防団員が 迅速・確実かつ安全に行動するために、定められた消防用機械器具の取扱い及び操作の基本について その技術を競う大会」と意義づけられ、全国の自治体において(大会が)開催されているものです。
今年、私の住む川中島町からは「消防川中島第2分団」が出場することになっており、分団を挙げて訓練に取り組んできました。
[参考]6/7付の倉野立人ブログ
↓
https://blog.goo.ne.jp/kz2df777/d/20230607
私も ほぼ毎回に亘り練習(訓練)を見させていただいたきましたが、最初はおぼつかなかった選手の動作も、回を重ねる毎(ごと)に 機敏で正確さを増すようになっており、それは選手の表情にも表(あらわ)れていました。
最初の頃は 俯(うつむ)きがちだった視線も、やがて真っ直ぐ前を見据えるようになり、同時に号令の声の張りや 指の先にまで集中力が行き渡っている様子が伝わってきて、見ているこちらにまで その手応えのようなものが伝わってきていたのでした。
それら 十分に研鑽を積んだうえでの本大会。その実力を如何なく発揮されることが期待されました。
当分団は 全体の1番走を引き当てています。
開会式直後の厳粛さを余韻としたの中で出走となりました。
スタートまで約20分。サポートする団員が きびきびとポンプやホースなどのセッテイングを行ないます。
メジャーを用いて、それぞれの器具を定められた位置に 正確無比にセットします。
この作業自体が、選手に100%の実力を発揮させるための大切な作業になります。
やがて出走時間となりました。
場内アナウンスで選手の紹介を受け、直ちに出走に臨みました。
指揮者の号令一下、選手達は機敏に消火活動をスタートさせます。
その動きは非常にスムーズ、前掲姿勢を保ちながら 限りなく直線のラインを辿って火点に直行します。
伝令による「送水 始め!」の号令に直ちに応じ、速やかにホースに水が送り込まれます。
遅滞なく指示が送達されたうえで 送水もスムーズに行なわれ、アッという間に火点を突き倒し 放水消火が完遂されました。
放水(消火)を終えた後は、落ち着いた足取りで撤収に入り、最後の敬礼もキビキビとした中で「ポンプ操法を終了しました!」の報告を行ない、応援する人たちから大きな拍手を受けていました。
訓練と 何ら変わることのない正確な操作の完遂。
私も含め、関係者は手応えのようなものを感じ取っていました。
・・・・・・。
その日の午後、全ての分団の出走→採点(減点方式)が行なわれたのですが、当分団は まさかの6位に沈んだとの報…それを聞いた瞬間、私自身 信じられない思いとなったものでした。
その理由(=減点の理由)はどこに?と訊くと、どうやら 送水時のポンプ操作の際、ポンプの出力が規定のトルクを超えてしまい、それが大きな減点につながってしまったようなのです。(動作などの減点以上に、機械(ポンプ)の稼働に関する齟齬(そご)は 大きく減点されてしまうそうなのです)
この結果を受けての結果報告会。
選手の動作(活動)自体は非常にイイ出来(でき)だった故に、思わぬところで足元をすくわれた感の厳しい結果に 選手たちは一様に悔しさを滲(にじ)ませ、涙 涙の御礼あいさつとなっていました。
この結果について、かつて選手として出走し 今回はコーチ役を担っていた分団員のYくんは「これは明確に 分団の連帯責任だ。」と言っていました。
曰(いわ)く「日々の訓練の中で、選手のみならず 団員全員が、ポンプのトルクが一定であることに慣れてしまい、本番でも その前提で競技に臨み、結果 トルクが上がってしまったことを見落としてしまいました。これは 直接ポンプを操作した選手の責任でも何でもなく、むしろ、そこにまで注意し アドバイスしなかった周囲の者の責任とも言えるんです。」と絞り出すように話してくれ、選手以上に悔しさを滲(にじ)ませていたのでした。
後で 当局(消防局)に訊くと、ポンプ(機械)の操作(稼働)に関する減点が大きい理由は「それ(機械の齟齬)が 直接に消火活動の結果につながると同時に、万が一機械が正常に作動しなかった場合は、現場の者の安全にも関わってくるからです。」とのことでありました。
確かに 火災現場に直面した際、本来は通常に作動し 直ちに送水されるべきポンプが(通常に)作動しなければ、火災を鎮圧するどころか そこにいる人たち全員を危険に晒(さら)すことになってしまいます。
そのような事態に至らないよう、機械(ポンプ)を稼働させる際には 果たして定められた能力を問題なく発揮しているかどうかの確認作業を、常に(不断に)行なわなければならない。
今回のポンプ操法大会は、私を含む関係者が 改めて大会の意義を再認識する機会となりました。
ときに 人の生命財産に直結する消防(団)かつどうには「これで万全」ということは無い。
いくら訓練を積んだとしても その手から僅か洩れた水のせいで大事に至ることもある。
おそらく イヤ絶対に、今回の大会で 当分団の活動(訓練)に関わった関係者の全ての者は、万が一の際にも 機械の作動を確実に確認し、消火等の活動にミスや遅滞が生じないよう取り組むことでありましょう。
それだけのことを学んだだけでも、この大会に出場したこと・そのために普段の努力を重ねたことの意義のようなものを再認識したところであり、それが 最大の「成果」であったと確信したところです。
◆NPO法人「自遊学舎」総会(懇親会)
夕方は 一路(旧)バードラインを経て、飯綱エリアを拠点として活動を重ねる NPO法人「自遊学舎」さんの総会にお招きいただき、第二部から参加させていただきました。
こちらの「自遊学舎」さんは、飯綱エリア=中山間地域の地勢を活かし 豊かな自然環境を「強み」として 子どもの育成事業や、間伐材を活用した SDGsにも資する循環型の社会活動を継続的に行なっておられます。
[参考]2019年 9/23付ブログ記事
↓
自然に親しむ~エネルギーの原点回帰~ - 倉野立人のブログです。
私自身は「自遊学舎」さんが 市への申請業務の際に関わらせていただいてからのお付き合いで、かれこれ10年来の仲となっています。
あれから時間が経過する中ですが、時代は(前掲の)SDGsの循環型社会の流れにもなってきており、改めて 当団体の取り組む活動がクローズアップされて然るべき時勢ともなっています。
メンバーの中には、中山間地域の有休農地の解消と 定住人口増加を期して、営農するIターン者の育成のためにプランを練るなどする人も居かれ、その「思い」を伺う中で 将来の中山間地域活性化にあるべき姿を垣間見たところでありました。
私としても、これからも みなさんと気の置けない関係を継続させていただき、その不断の活動が 中山間地域に暮らす人たちの満足感につながるようお手伝いさせていただきたいと改めて思ったところであります。
26日のニュースで「川中島町にイノシシが出没、住民に軽傷を負わせ逃げる」と報じられ、報道内容を確認すると 私の知人が「やられていた」ことが分かり、それぞれにお見舞いを申し上げたところです。
ニュースを聞いて現場に駆け付けると 今回の〝被害者〟となった、公私共にお世話になるKさんが臨場してくださり、事(こと)の顛末を伺うことができました。
以下、各局の報道も重ね合わせながらレポートします。
報道によると、26日の朝 長野市川中島町御厨の讃楽寺(さんらくじ)の境内に「猪(イノシシ)」が出没したとのこと。
件(くだん)のイノシシは 体長1m余りの成獣で、侵入した境内を駆け回ったあげくに居合わせたご住職と近所の男性に襲いかかり 逃げていったそうです。
Kさんによると 26日の午前8時過ぎ、お寺の裏にあるご自宅の2階の窓から 墓地の中を黒い大きなモノ(動物)が徘徊しているのが目に留まり「イノシシじゃないか?」として とり急ぎご住職に伝えに走ったそうです。
Kさんは事後に、墓地内の〝イノシシ逃走ルート〟を案内してくれました。
墓地の中には、イノシシの残した血痕が点々と残されていました。
200坪ほどの墓地の中を 時計回りに駆けていったようです。
どうやらイノシシは、町内を流れる堰(せき)を伝って移動を続けたようです。
ちょうど 讃楽寺さんの裏には、階段状になった(堰の清掃などで使う)昇降口があり、そこから境内に侵入したようだ とのことです。
境内に侵入したイノシシは、Kさんが現認したとおり墓地を一周して 庫裡(くり)の前に差しかかり、そこで住職のIさんと鉢合わせしたそうです。
そこでのIご住職は、逃げることもできずにイノシシと対峙し、向かってくる相手に足を繰り出して応戦したそうです。
そのときの恐怖はいかばかりだったでしょうか。
イノシシ侵入をI住職に伝えに来たKさんも身の危険を感じ、本堂沿いに退避しようと背中を向けたところ、標的を変えたイノシシがKさんの背後から襲いかかり、左腕にかみついたりズボンに食らいついてきたようです。
後に救急搬送されたKさんは 最終的に5針を縫うことになり、とんだ厄難となったのでした。
ご本人曰く「こんなデカいイノシシは生まれて初めて見たし、ましてや襲われるなんて初めての経験だった。」とのこと、そりゃあそうでしょう。
ひと暴れしたイノシシは、侵入してきた階段を辿って 再び堰に飛び込み、泳ぐように上流方面に逃げ去ったとのことです。
このイノシシは、こちらに現れる前に 町内の数カ所で目撃されており、その後も行方は要(よう)として分からないままだそうです。
この事案を受け 域内の小学校では集団下校することとし、住民相互に警戒しながら過ごすを余儀なくされていました。
このニュースは ネットを賑わせることにもなり、ヤフーニュースでは 一時上位にランクされるほど。
長野市においては、これまでも 住宅地でイノシシなどの野生獣が目撃されたり、以前には JR長野駅にクマが目撃されるなど、野生獣が身近に現れる事案が散見されています。
また、例えば北海道などでは 住宅地にヒグマが現れるなど、住民にとって身体生命に危険を及ぼす可能性のある事案も聞かれるなど 予断ならない様相となっているのはご案内のとおりです。
いずれにしても KさんやIご住職におかれては、重大なケガに至らなかったことは 不幸中の幸いと申せます。
思わぬ形で 知人さんの厄難を聞くことになってしまいましたが、この手の事案は 地域のそこここで起きる可能性があることから、互いに気をつけよう…とは言っても 向こうの方からやって来るのは防ぎようもできないところですが、何かあったら 直ちに声を掛け合うこと・スグに110番通報すること・あとは、今回のようにやむを得ない場合を除いて 相手(獣)に立ち向かうようなことは避ける、などが せめてもの自営手段というところでしょうか。
「猪突猛進」を地でいく イノシシ突進劇でありました。
◆長野市議会 令和5年6月定例会が閉会
この日(23日)、長野市議会 令和5年6月定例会が最終日を迎えました。約23億円の 令和5年度長野市一般会計補正予算を計上した議案第49号をはじめ 追加を含む議案20件・承認3件・報告15件が採決・承認に付され、可決成立しました。
これまでもご報告していますが、この6月議会においては(も) 青木島小学校区における放課後児童の健全な居場所の確保について が、多くの そして多様な議論となりました。
私自身も、本会議や常任委員会(福祉環境委員会)で この案件について取り上げ、長野市(市長)が 自らの計画(青木島こども未来プラン)を拙速のうちに進めてゆかないよう警鐘を鳴らし続け、それも含めて議論の末に一定の成果を導き出すことができました。
それは、荻原市長の「閉会のあいさつ」の中に表(あらわ)されていました。
これまでの議論を踏まえ、本会議で 私の方からも再三に亘り「新たな放課後児童の適切な環境が整うまでは 計画を拙速に進めるべきではない」と主張、それに対し 市長や所管の部局長から「決して急ぐことなく取り組んでゆきたい」旨の答弁を引き出したところですが、この日の市長閉会あいさつの中にも その文言(決して急ぐことなく)が盛り込まれていたことから、今後は それを言質(げんち)とし、改めて市と向き合う中で 現場職員の〝勇み足〟を現認する都度に「決して急ぐことなく取り組め」と釘を刺してゆきたいと思うところです。
ただ 市や社協の一部職員の中には、最初の段階で発せられた「とにかく計画を早く進めろ」を盲信(もうしん)している者も未だに居るようなので、早いとこ〝エンジンブレーキ〟がかかるよう計らってゆきたいと思うところです。
で…それとは別に、一連の課題を通じて〝荻原市政の新たな特徴〟が指摘されることに。
それを称すれば「市の施策の〝市長直轄ビジョンへの変遷〟」と申しましょうか。
今回の「青木島こども未来プラン」は、従来であれば 所管の「こども未来部」が筆頭となり 関係部局と連携しながら事(こと)を進めてゆくところですが、今回の「プラン」については、市長の膝元(ひざもと)にある「企画政策部」が筆頭を担い、その下に こども未来部や教育委員会が配置され 計画を進めてゆこうという体制になっていました。
ここには、政策に より市長の意向を反映させること・そのために筆頭を(実質的に)市長直轄の部局(=企画政策部)が担ったうえで、市長の意(い)を踏まえて施策展開してゆこうという思惑のようなのです。
これは、一見すると 非常に合理的に思えます。
指示系統からすると、市長が 膝元の企画政策部長に指示を出せば、当該部長は その意を体(たい)して所管の部長に(指示=意向)を伝え、結果 全体として、荻原市長の意を体しての施策が完遂される。
ところが、です。
特に 今回の「青木島こども未来プラン」については、計画自体が 現場(児童センターや小学校)の現状を度外視し、無理に無理を重ねたものになっています。
そのまま現場の全員が 当初計画を丸呑みしたまま進めれば、最終的に適切な環境を与えられるべき放課後児童にしわ寄せが及び…そんな状態でプランは実行されても、荻原市長のメンツは立っても その陰で主役であるハズの放課後児童や関係者が泣かされることになってしまうところでした。
このことは、ここのところ見え隠れする「市長直轄体制」の弊害…現場の状況を度外視して「とにかく計画ありき」で進める〝ブルドーザー体制〟のネガティブ成果の典型と申せ、この進め方については今後 警戒してゆかなければならないと思わされたところです。
一方、そんな中 かかる〝ブルドーザー体制〟の中にあって、市の内部で 結果イイ意味での「ハレーション(逆影響)」が散見され、そこに 私たちは光明(こうみょう)を見出すことになりました。
今回の無理な計画について、半ば強引に進めようとする 市長&市長直轄部局に対し、現場を預かる こども未来部(児童センター所管)&教育委員会(小学校所管)が、多くの関係者の 現状に即した切実な「声」を受け、それを封じ込めたり 変な風に咀嚼(そしゃく)すること無く、半ばダイレクトに市長(部局)に届けてくれているようなのです。
このことは、このプランが いかに無理で、とにかく児童にあらぬ負担をかけることになるということ(現実)を共通認識とした担当部局の適切な判断であり、子どもを含む現場の関係者と所管の部局との一致点でありました。
そして このこと(関係者と担当との一致)は これまでに無かったことであり、その成果は私たちに これからも地道に「声」を集めて行政に働きかけることの大切さ(と成果)を再認識させてくれるものでありました。
それらを踏まえて私たちは、今後も 子どもたちを巡る課題を詳(つまびら)らかにしたうえで、それ(現状)に見合った施策を展開するよう(市に)働きかけてゆくこと・そのうえで 諸施策が 真に子どもたちの笑顔につながるよう計らってゆきたいと改めて思いを強くしたところです。
6月議会は閉会しましたが、さまざまな課題は現存したままであります。
私自身 その厳しい現状を再認識したうえで、今後も不断の努力を重ねてまいります。
◆コチラは 真に子どもたちのために「毎朝の横断歩道での見守り」
子どものためと言いながら、その深層には〝大人のメンツ〟あり…そんな世知辛い政治の世界を他所(よそ)に、地域では「純度100% 子どものため」での毎朝の善行が続けられています。
私の住む地域の通学路(を渡る横断歩道)では、毎朝に亘り「見守り」が行なわれています。
ここの横断歩道は、数年前にできた新興住宅地から 学校へ通う百人をゆうに超える児童生徒が通る(渡る)箇所です。
道幅の都合で 片側歩行を余儀なくされているため、朝はどうしても左側通行(歩行)となっており、この横断歩道は必ず渡る地点となっています。
この日は あいにくの雨でしたが、傘をさした児童生徒が元気に学校に向かいます。
ここの立ち番は、近所に住むNさんとAさん。
よくあるのが、自分の子どもが通学する間に限り 当番制で代わるがわる行なうものですが、ここの横断歩道に立つお二人は 完全なるボランティアです。
自分の子や孫がいるでも無し、一途に「子どもたちの安全のため」を思って 雨の日も風の日も、横断歩道に立ち続けておられるのです。
ここは 域内を縦貫する生活道路にもなっていることから、通学時間帯の車両通行も少なからずあります。
一定の時間内に児童が大挙して渡ることから、その最中(さなか)の交通安全遵守は 日々の常設課題です。
お二人が見守っておられることで、横断を控えた児童の前に 全ての通行車両は一時停止してくれており、この箇所での交通事故は未然に防がれています。
横断歩道の前での一時停止は当たり前のこと(運転者の義務)なのですが、止まってくれた車両に丁寧に一礼する姿が好印象でありました。
将来ある子どもたちの交通安全を 毎朝の善行によって守ってくださるボランティア精神に深甚なる敬意を表すると共に、このような心根の積み上げこそが 健全な地域社会構築の礎(いしずえ)となることを再認識したところであります。
長野市政の新たな課題となっている 青木島小学校の放課後児童を取り巻く課題は「青木島こども未来プラン(案)」として内外に示されており、その(プランの)対応について 賛否が渦巻く状況になっています。
これまでも触れているとおり 多くの関係者からの疑問や不安の声が上げられ、それに付随して 議会の場でも議論百出となっています。
私自身は(従前から述べているとおり)青木島小学校の校地内に児童センターを移転・統合する場合には 小学校の校内に(センター・プラザ塔など)放課後児童のための良好な環境が整うまでは、決して急ぐことなく取り組むこと・そのうえで それまで(新たな環境が整うまで)は、青木島児童センターを存続するべきことを主張しています。
そんな中、地域の識者であるIさんから「学校の位置づけ」についてご意見をいただきました。
かかるご意見を通じて、私の立場でも 課題(問題)を切り分けて考える(述べる)べきことを再認識したところです。
予(かね)てよりIさんは、少子高齢化・人口減少社会が伸張する中「学校」が果たす 地域社会の中での役割の大きさ(多様さ)を重視されています。
少子化に伴い 児童生徒数が減る中、各地で「廃校」を余儀なくされる学校施設が増えつつあります。
Iさんは そのような時流に危機感を覚え「それでイイのか?」と疑問を呈されています。
そのうえで、学校という大きな公共物は 今後〝新たな役割〟を担うべきである との論です。
今、社会自体で 地域コミュニティが低下しており、子ども同士はもとより 地域の方々との〝異年齢交流〟も乏しい状況になっています。
一方「学校」という公共施設は、質的にも物理的にも 地域の中心(拠点)を成す存在となっています。
Iさんは かかる「学校(地域の中心となる公共物)」を、将来社会において実効ある活用に付すべきとしておられるのです。
少子化が伸張する中にありながらも、地域の中心(拠点)である学校については 生徒数の減少に任せて衰退→廃校に追い込むのではなく、学校施設を地域全体で活用し ひいては地域コミュニティの拠点とすべきではないか。
Iさんの論の根拠には、自らが小学校へ出向き〝講師〟として子どもたちに 多年の経験に基づきさまざまなことを教え、もって〝異年齢交流〟を行なっている実績があるのです。
そこで感じられた手応え…学校は 単に学校としての役割だけでなく、地域の人たちがあい寄り、ときに子どもらに人生経験に基づいた物事を伝えたり、ときには社会人の生涯学習の場=異年齢交流の場 として活用することができれば、学校という学びの場の「幅」が広がり それはいずれは在校生たる子どもたちにとっても多面的な学習(吸収)の場になり得るのではないか。
このIさんの論には、予(かね)てより 私も大いに賛同しています。
旧来より 地域の教育拠点であった「学校」は、将来的には地域(住民)全体の寄り拠(よりどころ)として機能させるべきであり、校舎・校庭などが整備された(学校)施設は 児童生徒数が減ったからといって無駄に空(あ)けることなく有効活用し、もって持続可能な地域社会の礎(いしずえ)とするべきでしょう。
そのうえでIさんは、この(共通)認識を前提にしたうえで 私に対し、懸案の「青木島小学校問題」に対する見解について留意するよう ご示唆くださいました。
曰(いわ)く「クラちゃんが主張する「青木島児童センターの校内への移転・編入に反対」の意見は、聞きようによっては(これまで見解が一致している)学校施設の多面的活用そのものを反対しているようにも捉えられる。」
「例えば、校内の「中庭」を取っても、本来 中庭はセキュリティの面でも有効に利用されるべきものだけれど、それが「とにかく反対」と述べてしまうと、本来の児童福祉そのものに反対していると思われてしまう。」
「おそらく クラちゃんは今、青木島小学校の放課後児童のことについて 学校施設の利用の是非を意見していると思うけど、そのことと、(将来に向けた)学校利用のあるべき形については 分けて議論構成した方がイイと思うよ。」とのことでありました。
これまで議論しているとおり、私や 青木島小学校の放課後児童に心を寄せる関係者の方々は、現在の青木島小学校の児童数や 空き教室が無い状況を度外視して「校内への移転・編入ありき」で計画を進めることに対し強く反対しています。
例えば「中庭」についても、中庭の利用自体を反対しているのでは無く、市が 新たな放課後児童の安全で快適な環境を整えないまま「とにかく(計画実行のために)放課後児童を中庭に連れてゆけ!」旨の、子どものためではなく いわば大人のメンツのために拙速な中庭利用を強行しようとしている姿勢そのものに反対しているのです。
さらに言えば、私や 放課後児童に心を寄せる関係者は「青木島こども未来プラン」そのものに反対しているのではないのです。
青木島こども未来プランが、真に関係者 とりわけ子どもたちのための環境が整うまでは、現有の体制を維持すること。
そのためにも、青木島児童センターについても廃止すること無く継続し 校内に十分な居場所が確保されてから 移転・編入を実施すべきではないか。
児童の受け皿が整ってから 話しを進めなさい。との論であります。
Iさんのおっしゃるとおり「学校施設の在り方」については、将来社会の〝地域の寄り拠(よりどころ)〟として活用すべきという認識で考えてゆくべき。
その前提に立ったうえで、現下の「青木島こども未来プラン」については 放課後児童の環境が整うまでは拙速に計画を進めてはならない。
私自身、今後の議論の中では「今の問題」と「将来課題」とを明確に分けて議論してゆきたいと思います。しかし、それを ない交ぜにしてしまうと、肝心の議論の焦点がぼやけて(ズレて)しまうことが懸念されます。また 場合によっては〝論点ズラし〟の道具にされてしまうかもしれません。
いずれにしても「学校」の担う役割は 人口減少社会の今だからこそ重要性を増していると申せます。
開会中の長野市議会6月定例会の常任委員会「福祉環境委員会」に出席しました。
「こども未来部」の所管事項調査における発言(質疑)についてレポートします。
こども未来部の所管事項調査での発言(質疑)は、他でもない「青木島こども未来プラン」について です。
このことについては「青木島遊園地存廃問題」に端を発し、そこからる問題が派生(拡大)する中で 今や青木島小学校区の放課後児童全体の問題に至っていることは既にご案内のとおりであり、このブログにおいても随時に亘りレポートさせていただいております。
すったもんだの末に、結局 子どもたちの欠かせぬ居場所(遊び場)であった遊園地を廃止に追い込み、その顛末の〝名誉挽回〟とばかりに 突然の形で表明された「青木島こども未来プラン(案)」は、その見た目の華やかさと裏腹に数々の課題を抱えています。
ところが当局(市・社協)は そのことを知ってか知らずか「とにかくプランありき・実施期限ありき」の姿勢で 半ば強行突破を図ろうとしており、この運び方に対し 現場(子どもを取り巻く環境)をよく知る関係者の方々から多くの疑問の声が寄せられています。
長野市議会の中にも「とにかく早く計画を進めろ」との強行派が居るところですが、少なくとも私を含め 現場の声を直(じか)に聞いた議員は、今のまま説明が不十分で計画の実現にはそれ相当の時間がかかること、したがって〝計画ありき〟で あまねく市民の方々の納得を得られないままに前へと進むことはすべきではないとの一貫した主張を重ね、現在に至っています。
そんな中での所管の常任委員会。本会議に続き 議事録の残る場で、改めて市に対し 現状の(多くの市民(関係者)が納得しない)ままに計画を進めるべきではないと強く意見し、市(市長はじめ職員)の翻意(ほんい)を促したところです。
計画への問題提起については、さきの本会議でも述べさせていただきました。
現在の青木島小学校が 空き教室が無いのに、校地内への「統合・編入ありき」で進めているのではないか・市民意見を聞くと言いながら 実際には編入話しが進められているのではないか・支援員さんはじめ関係者の意見を十分に聞き取らないままに計画を進めているのではないか・「子どもの権利」を踏まえ 子ども自身の意見を聞くべきではないか・新たな居場所として提案されている「中庭」は必ずしも適していないのではないか など、本来は子どもたちのために進められるべき計画が いわば〝大人の都合〟で無理を承知で進められようとしていることを述べたうえで「計画・期限ありき」ではなく 新たな環境が整うまでの間は現在の青木島児童センターを継続することを意見しました。
かかる議会での議論に併せて 青木島児童センターの関係者や保護者・青木島小学校のPTAや関係者からも、この計画に対する多くの疑問の声や意見が寄せられているのです。
これら意見に対し市は「計画自体は進めるものの、市民の意見を伺いながら 決して急ぐことなく取り組んでゆきたい。」と述べるに至っています。
そのうえでの、今回の福祉環境委員会。
議論の場を委員会室に移した中、改めて市(こども未来部)に対し 拙速に計画を進めることなく、市民の声を十分に聞いたうえで 新たな環境が整うまでの間は現状を維持することを述べたところ…。
市(こども未来部長)は、市が示した当初の強行とも取れる姿勢 → 本会議での「決して急ぐことなく」との柔軟姿勢 → さらにこの日は「市としても拙速に事(こと)を進めるつもりは無い」との〝聞く耳がある姿勢〟を明確にする発言(答弁)をしたのでした。
このことは、市長の肝煎りで進めようとする「青木島こども未来プラン」が 拙速に過ぎること・今後は関係者はじめ関係者の意見に耳を傾けて慎重に進めるべきことを、ようやく「自覚」することとなった 市職員の〝変化〟を表すものでした。
これは間違いなく、当初から疑問を唱え 市に対して勇気をもって意見を重ねた市民の不断の行動の成果であり、その(市民意見の)強さ・逞(たくま)しさのようなものを実感したところです。
そのうえで私は、議論の過程の中で 荻原市政の〝特徴〟のようなものに気づき、そのことについて指摘しました。
ご案内のとおり、荻原市長は かつてのトップアスリート・オリンピック金メダリストです。
彼は、これまでの人生行路の中で オリンピックで金メダルを取るために全力を尽くしてきました。
アルベールビル・リレハンメル両五輪大会、いわば時限のある中で結果を出すために 大勢のコーチ陣とナショナルトレーニングセンターなどの恵まれた環境の中でトレーニングを重ねてきました。
限られた期間で結果を出すために、自分も頑張るので スタッフのみなさんも全力を尽くしてください。
そうです。荻原氏の中には「アスリート気質」が脈々と流れており、それが市長となった今も変わらず現存しているのではないでしょうか。
だから「青木島こども未来プラン」についても、期限を決めた中で 何が何でも結果を出す。そのために スタッフ(今は市職員など)に対し「結果」を出すよう鼓舞し続けているのではないか。
しかし、その〝結果〟とは「子どものために何ができるか」ではなく「市長として内外にいかにアピールできるか」を求めるものであり、だから そこには無理が生じ、結果 肝心の子どもたちにストレスを与えるものになってしまっているんじゃないか。
この〝見当違い〟について、市職員なども 徐々に気づき始めていると申せます。
私は さらに意見しました。
「もしかしたら 末端の現場職員は、相変わらず「子どものため」ではなく「上(市長のため)に全力を尽くす」との見当違いで動いて(働いて)いるように思えます。」
「例えば小学校の中庭に放課後児童を連れてゆく問題。現場の職員は 子どものために最適な居場所はどこか?との視点ではなく「とにかく児童を中庭に連れてゆこう。それが市の狙いだから」との視点で無理を強いようとしています。これは 本来(職員が)めざすべき方向とは明らかに違っています。この誤った視点こそを是正しなければならない。」
「そのために(管理職である)出席職員こそが正しい認識をもって、みなさんの方から現場の職員に正しい指示を出してください。そうすれば 現場の職員も認識を新たにしたうえで、真に「子どもたちのために何が最適か」の視点で業務に臨み、結果として子どもたちにも笑顔が生まれることでしょう。」旨を述べたところです。
市職員には、どれほど響くでありましょうか。
しかし 少なくとも「青木島こども未来プラン」については、結果を急いで(子どもたち初め関係者に)無理を強いるようになってはならない。
少なくとも、新たな環境が整うまでは 現存の青木島児童センターを維持してゆくべきである。
私たちは、明確な「思い」を共有し、これからも不断の取り組みを続けてゆきます。
あくまでも「子どもたちのために何ができるか」を通底に据えながら。
(写真は資料)
開会中の長野市議会6月定例会は この日から常任委員会が行なわれており、私は「福祉環境委員会」に出席し 保健福祉部・こども未来部・環境部の議案審査/所管事項調査に臨みました。
議案第49号 令和5年度長野市一般会計補正予算ほか条例議案・請願3本が審査に付されました。
議案等については改めて報告させていただきますが、この日の委員会審査においては、それぞれの部局での「所管事項調査」について発言(質疑)しましたので レポートさせていただきます。
保健福祉部においては、知的障がい者支援について発言(質疑)しました。
それに先立ち、障害支援課から 資料の提示がありました。
去る3月議会で 私が「市内の就労継続支援B型事業所における高額機械の設置・稼働状況の調査を求める」と発言したのに対し調査を行ない まとめたものです。
それによると、長野市内にある58のB型事業所のうち 100万円以上の高額設備・機械を設置している事業所は22ヶ所で、内訳は下記のとおり。
◆高額設備・機械の設置状況
100~200万円の設備・機械を設置→4事業所
200~300万円の設備・機械を設置→2事業所
300万円以上の設備・機械を設置→15事業所
(設置時期が古く価格評価できない→1ヶ所)
◆設備・機械の稼働状況
稼働予定の設備等を保有 2事業所
稼働していない設備を保有 1事業所(老朽化による故障)
他 19事業所は、状況に応じて稼働中
などとしています。
私は 発言(質疑)に先立ち、かかる資料が提出されたこと自体については 担当課(障害支援課)の取り組みを評価させていただきました。
ややもすると〝聞きっ放し〟になりがちな行政対応の中で、従前の質問に対して「アンサー」を用意してきたことは ある意味で当然のことではありますが(資料を整えた)姿勢については認めるべきところであります。
私は この資料を見た際に、これ(資料)を作成したことで、市(職員)ならびに各施設(職員)が 新たな自覚をもってくれればと期待を抱きました。
市(職員)には、各施設へ調査に入ることで 市内の多くの施設が多額の資金を投じた設備・機械を有していることを再認識してもらいたい。
一方 各施設においては、過去に設置はしたものの、やや漫然と動かしていた(事業所によっては休眠させていた)設備や機械に対するチェックが入ったことで 多額の公金を支弁して購入した設備・機械を今まで以上に有効に活用してゆかなければと、自覚を新たにしてもらいたい。
ただ これは、私の一方的な期待…今回の資料作成を通じて 関係者がどれほどの自覚を抱いたかは懐疑的なところです、が。
いずれにしても、実態は資料のとおり。多くの障がい者支援施設が それは高額な設備・機械を有して運営されているかが白日の下(はくじつのもと)になったところです。
そのうえで私は改めて「資料の作成はゴールではなく、これからがスタート」旨を発言しました。
これら高額の設備・機械が その投資に見合うよう…それはすなわち 真の障がい者支援に結びついてゆかなければ(投資の)意味が無い。
これら高額の設備・機械は、実際に障がい者さんが取り扱っているか? それが役務(えきむ/就労)となり、何より その役務の成果が「工賃(時給)」に反映されているか?が問われているのです。
ところが実際には 各施設は、状況によっては 受注した業務自体をこなすことに汲々となり、本来の障がい者さんの役務にすべきところを飛び越え かかる高額な設備・機械を(施設職員が)使って受注作業をこなしたうえで(障がい者さん抜きで)納品し 完結してしまうこともある。
さらに言えば「納期を守らなきゃ」との自己弁護を根拠に、施設での作業すらも行なわないままに外部に委託し 受注→納品のつじつまだけを合わせる、障がい者就労支援に まるでなっていないままに作業に臨んでいる帰来もあるのです。
残念ながら この実態は、非常に根深いものがあると申せます。
例えば 去る3月議会で指摘した、市社会事業協会の施設「空風」において未稼働のまま留め置かれていた「レトルト機械」についても、施設は「8月には再稼働を」と言ってはいるものの、その〝再稼働〟も 実際に機械が再び動いて製品が供給されるのではなく、8月から ようやく試運転が(再び)始まるような状態でいるようです。
このように、投資に見合った設備・機械の運用でイイのかなどと詰めていたところ、今年度から着任したU保健福祉部長が「あながち知的障がい者支援施設は、工賃アップだけが主目的ではありません。」と反論してこられました。
曰く「資料の末尾に「平均工賃を目指しているが 利用者がいきいきと笑顔で働くことも同じように大切に考え、市場原理を追求するあまり無理を強いることは厳禁と考えている」とあるように、施設で伸び伸び活動してもらうことも大切と考えます。」とのこと。
至極ごもっともな見解でありました。
で あるとするならば。
私はU部長に「部長は、例えば市社会事業協会の各施設の(利用者さんへの対応の)実態をご存知か?」と問いました。
「確かに、直ちに工賃アップにつながらなくても 利用者さんが伸び伸びと施設で時間を過ごしていれば了(りょう)とします。しかし実際には 本来は主役であるハズの利用者(知的障がい者)さんが 職員によって「管理」されるままに時間を過ごさなければならないことになっており、部長の言う理想の姿とはほど遠い状況にあるのが実際のところです。」
と、したうえで。
所管課(障害福祉課)に対し「この際は、市社会事業協会の施設における 利用者さんを取り巻く環境の実態調査」を行なうよう意見しました。
どうやら 新任のU部長はじめ多くの関係者は、利用者さんが各施設で〝伸び伸びと時間を過ごしている〟と思い込んでいるらしいのです。
それなら この際、各施設の利用者さんを取り巻く実態を調査してゆくべきじゃないだろうか。
各施設は、真に利用者さんが伸び伸び活動できる場を提供しているのか?障がい者支援ではなく〝管理〟に終始していないか?虐待や言葉の暴力など不適切な対応をしていないか?等々、さきに設備・機械の実態を明らかにしたように 今度は利用者さんへの対応の如何(いかん)について白日の下にさらしてゆこうじゃないか。
その実態調査を通じて、関係者は認識を新たにすべきである。
実態調査については、後日 文書をもって所管課に指示し、各施設での調査に付することとします。
形式だけで終わらせてはならない「人への支援」先ずは実態を明らかにしたうえで関係者が認識を新たにし、そのうえで 真の障がい者支援につなげてゆければと思うところです。
資料は提出されました。でも、これからが本番です。
実家に足を運んだ際、オフクロが〝変な体験〟を話してくれました。
曰(いわ)く「こないだ電話がかかってきて「いらない靴はありませんか?」って言うの。」
「何でも 家庭でいらなくなった靴を引き取って 他で有効活用させていただきますっていうの。」
「そりゃウチにも お父さん(亡父)が履いてたのとか(要らない靴)はあるから、一瞬「あります」と答えようと思ったけど、何かが変で。」
「だから瞬間的に「息子が帰ってきたら聞いてみます。」と返事したら「あ、息子 いるんだ。」と言って「じゃあイイです。」って切れちゃった。」とのこと。
それを聞いた私は、オフクロの〝△△も方便〟の対応を「ウマく答えたね。」と花丸をあげたものでした。
(ウチのオフクロ、この手の電話には その中身に関わらず、上記の言い方で断ることにしているのです)
この「靴ありませんか」電話、私は以前に 同じような事例を耳にしていました。
まさか それがウチ(実家)にかかってくるとは…それがまず驚きでしたが、この「いらない靴を引き取ります」の話しには〝その先〟があるそうなのです。
「いらない靴はありませんか?」そう言われれば、どの家庭にも 履かなくなった靴の1つや2つは絶対にありますよね。
捨てるのはそんなに難しくないけれど、ついついそのままにして下駄箱を占領してしまっている 要らなくなった靴たち。
それが どこかで有効活用されるのならば、出してもイイかな。
ところが、話しは それからが〝本題〟のようなのです。
一度(ひとたび) 靴の回収をお願いしてしまうと、電話の主はそれ(要らなくなった靴)に加えて「靴の他に 金属製品で捨てるものがあれば一緒に回収しますので、どんな金属でもイイから 捨てるようのがあれば一緒に用意しておいてください。」と言って やって来るそうなのです。
そうです、要らなくなった靴を回収すると親切を示しながら、本当の狙いは この〝金属〟もっと言えば その先には「貴金属」があるようなのです。
これが、この手の巧妙な〝誘い水〟です。
いきなり本題(貴金属)に触れれば 相手に警戒されてしまうけれど「靴」なら つい応じてしまう ハードルの低さ。
「いらない靴ならあるよ。」と相手の警戒心を解かせて(ハードルを下げさせて)、そのうえで 要らない〝金属〟も引き取るとの話しも付け足したうえで、とにかくアポ(対面)できさえすれば 後は口八丁(くちはっちょう)のこっちのもの。
要らない靴や不要の金属を受け取った後は「他にいらない金属製品や不良品はありませんか?」と、いかにも親切なフリをして家に上がり込み、家主(高齢者)と一緒に 家にある〝不要品〟を探すんだそうです。
そして 電話(最初の段階)では〝金属〟だったけど、いつしかそれが〝貴金属〟に変わり、話しが作られてゆくそうなのです。
「このネックレス もう壊れてるから一緒に持ってきますね。あと この指輪も使ってないでしょ?これも持ってきますね。」と。
連中にとって「要らない靴」は、目的ではなく 家に上がり込むためのキッカケでしかなかったのでした。
この手の詐欺まがい行為を分析したものの見解によると、この「要らない靴を引き取りますよ」の巧妙なところは、人のイイ高齢者の心理を巧みに突いているところだそうです。
「汚い(履き古した)靴を引き取ってもらった」という〝申し訳ない感〟を利用し「靴だけを持って帰ってもらうのは申し訳ない」という心理を増幅させ、さらに「家財の整理を手伝ってもらっている」という心理状態に持ち込み「ここまでしてもらってるのに断ったら悪い」という気持ちにさせて 言われるままに家財をどんどん提供してしまうようになってしまうのだそうです。
また 加えてそこには、高齢者の〝孤独感〟にも付け入っているようです。
ここのところ誰も訪ねてこない。もっと言えば 誰とも話すことが無い中(一見)親切な人たちが わざわざ足を運んでくださった。
ありがたい話しじゃ。
下手をすれば、訪れた者たちにお茶まで振る舞ったあげく 身ぐるみを剥(は)がされてゆくのでした。
・・・・・・。
この「要らない靴を引き取ります」電話は、それが犯罪行為と認定されるかと言えば 非常に微妙なケースと言えるでしょう。
決して 脅したり強奪しているのではない。あくまで任意で出してもらっているのです。
今や 社会には、さまざまな手段を講じて横行する〝特殊詐欺〟を初め「コミュニケーション」を悪用した行為が蔓延している状況は、由々しきことと言わざるを得ません。
少子高齢化が伸張し 独居老人が増える中、さらに言えば 認知症の高齢者が増える中においては この手の〝最初は親切詐欺〟は もっと増えるのかもしれません。
私は これに対抗するのは、やはり「コミュニケーション」ではないか、と。
普段から 当該の高齢者とコミュニケーションを持っていれば、その人も短絡的に詐欺(まがい)に騙(だま)されること無く「ちょっと待てよ」と 心のブレーキをかけることができるでしょう。
そのためには、私たち周囲の者の「ちょっとした気遣い」が欠かせないと思います。
身内の高齢者には、用事があっても無くても 不定期に電話をかけて「様子 どう?」と訊いたり、地域の高齢者には 道すがらや、たまにはチャイムを鳴らして安否確認を行なうなどして「善のコミュニケーション」を維持すること。
社会が情報化・多様化するからこそ、そういった〝基本的なやり取り〟が大切だよね、と思い知らされた出来事でありました。