長野市議会議員会派

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犬と散歩できる公園の拡大を、単なる要望の枠を超えて「提案」

長野市内で「動物福祉」に配慮した犬のしつけトレーニングや 愛犬と楽しめるイベント、また子どもらの(動物福祉の)教育活動を行なっておられる「NPO法人家庭犬育成協会 パドックNAGANO」さんと協調し、市に対し 犬と散歩できる公園の拡大を求めて要望&提案活動を行なっています。

さきの28日には、パドックNAGANO代表のHさんご夫妻と共に 市に対し〝第二弾〟となる要望…というより「提案」を行ない、併せて意見交換を行ないました。

 

長野市の公園については、このブログでも多く触れているとおり 放課後児童の欠かせぬ居場所であったところ(遊園地)を〝大人の都合〟で廃止するなど、およそ適正とは言い難い扱いを重ねており 慚愧(ざんき)に堪えないところであります。

そういう面がある中で、こちらのパドックNAGANOさんは「動物福祉」や 犬と人・さらには愛犬家とそうでない市民との〝共生〟をめざす立場において、長野市の公園をより良い形で活用すべきとの視点で提案を行なっておられるのです。

私自身「青木島遊園地問題」に深く関わった者の一人として 長野市の公園の活用の如何(いかん)について考えるところであり、そういう面で パドックNAGANOさんの活動に共感したうえで 市内の公園での犬の連れ歩き容認を推進し、もって市内の公園を有効活用すべきとの認識を共有し、共々に市と向き合っているところであります。

 

各位、とりわけ犬を飼っておられる方々におかれては 長野市の公園の多くが「犬の連れ歩き禁止」となっていることをご存知のことでしょう。

このことについては、遠く昭和の時代に 市内の公園において重大な(飼い主の)マナー違反があったことや、公園内…というより市域内での いわゆる糞害などの飼主モラルが悪いとの指摘の中で、公園における犬の連れ歩きへの理解が深まっていないことが未だに続いていることが理由として挙げられています。

ところが 時代は変わり、今や犬は 番犬などの〝家畜〟の扱いから 家族の一員として愛玩される存在へと変わり、その扱い(飼い方)も〝進歩〟するようになってきました。

これまで平気で為(な)されてきた糞害も大きく低減し、愛犬家じゃない市民の方々からも 犬を家族の一員として連れ歩く人(愛犬家)への理解も深まってきました。

長野市においても、さきの監査報告で「犬の公園開放を推進すべき」との指摘がされるなど 双方の理解度は深まりつつあるところから、このタイミングでのパドックNAGANOさんの提案は まさに機(期)を得たものであると言えるところです。

 

従前にも触れていますが、この 公園での犬の連れ歩き拡大要望は、既に昨年10月に〝第一弾〟が行なわれています。

その際 長野市からは「新たに市域の犀川南エリアで1ヶ所(の公園)を解放する考えがある」との意向を聞いていたのですが、それを受けたうえで 今回の提案〝第二弾〟においては「北部エリア・具体的には城山公園の開放を」を提案されています。

と いうのも、長野市の人口分布は 犀川を挟んで北と南に分かれている中、北部の人口が多いことから、犀川南エリア公園の開放を否定するものではないものの、南部の公園(解放)の伸張だけでは ややバランスが悪いのではないか という意見なのです。

そのうえでの、北部・とりわけ「城山公園」での犬の連れ歩き解放の推進提案です。

パドックNAGANOさんは 城山公園が国宝「善光寺」に隣接していること、そのうえで 善光寺境内では犬の連れ歩きが容認されているのに、例えば犬連れの観光客が 善光寺参拝の後に引き続いて城山公園を散策(散歩)しようとしても、城山公園に入った途端に「犬はダメ」は厳し過ぎるでしょう、という論理です。

このことは、善光寺~城山公園を一体的に連動させての観光資源と考える長野市の方針にも矛盾しているところであり、いわゆる観光インバウンドの推進を進める長野市にとっても 城山公園における犬の連れ歩き解放は、むしろ推進すべき取り組みと言っても過言ではないところであります。

さらにパドックNAGANOさんは、城山公園の開放は 市民の生活の質向上・長野市のイメージアップ・長期的な視野から、長野市への移住先候補としての魅力度アップ・観光インバ ウンドの向上・犬を通じての観光客と長野市民との交流のきっかけの可能性等、さまざまな面で有益なことが多いことなどのご提案もされておられました。

この提案に対し、市も共通認識を持っているようでした。パドックNAGANOさんの提案を前向きに捉え、今後は順次に亘り 市の南部⇔北部での公園における犬の連れ歩き解放に向け計画的に推進するとの意思表示をしておりました。

 

その(市の)前向き回答を受けたうえで、パドックNAGANOさんは「家庭犬育成」の立場で さらなる〝前向き提案〟をされたところです。

それは、犬の連れ歩きを解放する公園における「飼い主マナー向上に向けたイベントの開催」です。

これまで 愛犬家さんらは「とにかく犬の連れ歩き解放を!」と いわば要求型の要望を重ねていましたが、それでは愛犬家の一方的な過ぎないものに止(とど)まってしまい、前掲の 愛犬家以外の市民の理解不足、すなわち飼い主マナーの向上を実証したうえで あまねく市民理解を得るには足りない面が否めないところでありました。

その面においてパドックNAGANOさんは、犬の連れ歩きを解放する公園(現場)において 実際に犬を連れ歩いたうえで、していいことといけないことの教授などを行ない もって愛犬家もそうでない人も共生できる公園づくりを進めてゆけたら、と崇高な目標を掲げておられるのでした。

そこで、今回の提案の場には 飼い主マナーを所管する保健所職員を招き、公園開放に併せての飼い主マナー向上イベントも提案し (市の)後方支援の内諾も得たところであります。

 

この取り組みの推進のカギは、ひとえに「市民理解」であり、そのためには 官民協働をはじめ、あまねく関係者の連携や多方面からのアプローチが欠かせないところです。

意見交換の最後に、今後も双方が ときに連携を重ねながら、最終的に全ての市民が好意をもって受け容れられる成果を目指して共々に取り組むことで一致しました。

私としても こちらの団体とも連携しつつ、市内公園の犬の連れ歩きが早期かつ適切に推進されるよう計らってゆきたいと思うところです。

 

パドックNAGANOさんのHP

      ↓

 

パドックNAGANO|長野市|家庭犬のしつけ、お楽しみイベント、犬、しつけ、楽しい

長野市で犬のしつけ方勉強会やお楽しみイベントを開催しています。​楽しいしつけで愛犬を優しく育てたい方、 愛犬との暮らしを楽しみたい方は、わんちゃんと一緒にパドック...

パドックNAGANO

 

 

 

青木島遊園地存廃問題 =この無念を引き継いで=

大きな社会問題となった「青木島遊園地存廃問題」ですが、この遊園地について、子どもの居場所として 施設(遊園地)の存続を願うべく設立された「青木島遊園地の存続を願う住民有志の会」が会議を開き 参加させていただきました。

 

この件については、これまで問題発生以来 随時に亘りレポートしてまいりましたが、さまざまな経過を経て 最終的に「青木島遊園地は廃止」との結論に至ってしまったのは ご案内のとおりであります。

そのうえで(これも みなさんご案内のとおりですが)前掲の〝さまざまな経緯〟の中で、市行政における 多用ともいえる課題が散見…というよりも遍在していた(いる)ことが明らかになりました。

このこと(諸課題)についても かなりの頻度で触れておりますが、一部の住民(世帯)から発せられた 子どもの声(音)に対する苦情に対する市(所管課)の初期対応の誤り(行き違い)や、関係する人(者)たちが 保身ともいえる〝つじつま合わせ〟に走り、結果 一番たいせつにしなければならない子どものことを後回しにするような行動を取ったことで、大切な子どもの居場所である遊園地を廃止することになってしまったのです。

しかしながら 逆に言えば、今回の問題が明るみに出て それに対し毅然と向き合い「存続を」の市民運動を起こしたことで、前掲のような 市の、いわば膿(うみ)のようになっていた(いる)問題が炙(あぶ)り出しにされたところであります。

今回の一連の経過を踏まえ、私たちは 市政に対する認識を新たにし〝△△ありき〟で行政運営が行なわれないよう、そのためのつじつま合わせのような〝悪しき官主導〟とならないよう チェック機能の精度を高めてゆくべきことを強く認識したところでありました。

また、このことは 内外に大きな反響を呼び、さきには 国会の場(内閣官房所管の「こども未来戦略会議」)で「子どもの声(音)は騒音ではない」を定義(法制化)とすべきことが議論されることになるなど、そういう面では いわば物理的には遊園地は廃止になったものの、このことに対する市民運動に端を発した取り組みは 私たちに課題と共に 大きな教訓を与えてくれたものと考えるところでありました。

 

 

・・・・・・。

そのような分析がある一方、会のリーダー もっと言えば父親的存在として会をまとめ牽引してくださったKさんは、非常に厳しい自己分析をされておられたのでした。

「今回のことで 市行政におけるさまざまなこと(課題)が見えてきたのは分かる。私もそう思う。」

「けれど。」とKさんは言葉を続けました。

「実際には、私たちは 青木島遊園地を存続させることができなかった。このことは、存続を願って立ち上げられた会の目的を果たすことができなかったことを表(あらわ)している。そして そうなってしまったことは、ひとえに会の代表である私の力不足に尽きる。」と、悲壮なほどに簡潔に 総括しておられたのでした。

それを聞いた 私や出席者は、Kさんの無念さを痛いほど感じ 胸が塞(ふさ)がる思いがしたところでありました。こちらの方こそ、力不足をお詫びすることろです。

 

かくいうKさん、この種の問題であれば ややもすると市行政と対決姿勢を鮮明にしての〝抗議活動〟的な活動になるところですが、氏は争いの構図を良しとせず あくまで対話型・話し合いと議論の積み重ねをもって存続を実現しようという、いわば良識のうちに目的を達成するよう尽力されたのです。

しかし、誰がどう考えても「良識」であるハズの 遊園地存続の願いは、市行政に届く(響く)ことはありませんでした。

Kさんの無念とは、いわば力(ちから)づくの戦いに敗れた者の悔しさではなく「市民の良識」が 相手(市行政)に通じなかったことへの虚無感に他ならないと思います。

これだけ多くの市民が遊園地の存続を願い、その願意が いかに良識のものであっても、為政者は自分たちのための理屈を正当化し 事業をゴリ押ししてしまうものなのか。

 

私を含め周囲の者は、Kさんの潔(いさぎよ)いとも言える〝敗戦の弁〟に抗(あらが)うことはできませんでした。

何という責任感の強さでありましょう。

 

しかし 私たちは、Kさんの心からにじみ出た「無念の思い」をシッカリと受け止め これからの子どもの健全な放課後の居場所づくりに向けて、不断の取り組みを続けてゆかなければなりません。

 

Kさんの いわば絞り出すような弁を聞き、思いを新たにいたしたところでありました。

 

 

帯状疱疹 =季節の変わり目が要注意 とのこと=

私の知る御仁(男性/70代後半)の人(Aさん)が、何と「帯状疱疹」に罹(かか)ったことを知り ビックリさせられました。

と いうのも、件(くだん)のAさんは 家業は農業の元気な人で、確かロードレース(自転車)も愛好するバリバリのスポーツマン、いわゆる〝医者いらず〟の人だからです。

そんなAさんと電話で話すと「イヤ まいった…」と一言。いつもの「やぁ!元気か!?」の声は鳴りを潜め、いかにも具合悪そうなご様子でした。

訊けば、ここ数週間に天気が急変した頃に調子が思わしくなくなり、そのうえ 脇の下から首にかけて痛痒(いたがゆ)い症状が出たので、何年かぶりに医者の門を叩くと「Aさん、鬼の霍乱(おにのかくらん)だよ。帯状疱疹だ。」との診断を受けたそうです。

症状が出たときは、発症箇所の不快感と共に 全体の倦怠感も起きたことから「すわ コロナか?」とも思ったようですが、幸い そちらは陰性だったそうです。

医者いらずのAさん「こんなものは蕁麻疹(じんましん)の延長だろ。軟膏でも塗っとけば大丈夫じゃないか。」と啖呵(たんか)を切ったそうですが、その際 ドクターに「帯状疱疹を軽く見ない方がイイ。」と 強くたしなめられたそうで、結局 大事をとって病院に一泊してきたとのことでした。

そのうえでドクターには「おそらく この時期の陽気の急変に身体がついてゆけなくなって、それまでのストレスも手伝って発症したようだ。Aさんは〝万年青年〟を自負しているけれど、いつまでも若いと思わずに 自分の身体は労(いたわ)るようにしてください。」と指導された と、苦笑交じりに自戒の弁を述べておられました。

 

Aさんのみならず、私も含め 多くの方々が、ここ数週間の天気の乱高下ぶりに(身体が)戸惑っておられることと思います。

朝晩は例年並みに涼しいのに 日中は20℃をゆうに超える気温を観測、と思ったら その翌日は冷たい雨が降って長袖の出番…と、暑いんだか寒いんだか ワケの分からない陽気が続いています。

この〝ジェットコースター天気〟には、さすがのAさんも勝てなかったようでありました。

 

折しもネットの特集記事でも「季節の変わり目には帯状疱疹に注意を」との喚起記事が載っていました。

特に今は新年度の時期でもあり、気候の急変に併せて 進学や就職などで生活パターンが変わったり住み慣れた土地から転居したりと、新たな生活環境の変化で疲れやストレスがたまる可能性も高まりがちな季節でもあることが指摘されていました。

 

 

帯状疱疹は ご案内のとおり「水ぼうそう」と同じ『水痘・帯状発疹ウイルス』が原因だそうです。幼少期に水ぼうそうにかかることが多い日本人は 成人の9割ほどがこのウイルスの抗体を有していますが、ウイルス自体は背骨周辺の神経細胞内で症状を出さずに潜伏しており、それが 加齢や疲労・ストレスの蓄積によって体の免疫力が低下するなどし、そこに季節の変わり目などの普段と違う条件が加わるなどして 水痘・帯状発疹ウイルスが再び活性化を始め、帯状発疹を引き起こすようなのです。

それで、Aさんの主治医が「(帯状疱疹を)軽く見るな」と言ったのには、帯状疱疹には深刻な後遺症を遺(のこ)すリスクがあるからだそうです。

特に目や鼻の周りに現れた『眼部帯状疱疹』は 結膜炎や角膜炎などを併発して、視力低下や失明に至ることがあり、また 耳や顔面で発症すると『ラムゼイ・ハント症候群』と呼ばれる合併症につながり、めまいや耳鳴り・難聴などに悩まされることになるそうです。

また 今回のAさんのように肩(脇)や首筋にかけて発症すると、状況によっては腕が上げられなくなるなど運動麻痺(まひ)の症状が出たりすることもあるそうです。

 

 

また、発症した部位に関わらず 帯状疱疹の合併・後遺症で頻度が高いのは「帯状疱疹後神経痛(PHN)」だそうです。皮膚症状が治まった後も、3ヵ月以上に亘って長く痛みが残る場合があるとのことで、他では「アロディニア(異痛症)」という症状もあり、これは持続性の痛みや疼痛(とうつう)/チクチクした痛み に加えて、着替えの際の皮膚と下着の軽い接触だけでも痛みがあり、日常生活や睡眠に支障をきたす場合もあるそうです。

こんな事例を列挙するだけでも、何だか痛みが想像されてしまうほどです。

 

そのうえで、帯状疱疹を予防するには「睡眠」と「食事」あと「適度な運動」と「入浴」が意外と大切です、と識者は述べていました。

過度な疲労やストレスなどにより免疫力が低下しないよう バランスの良い食事や十分な睡眠に加え、散歩やウォーキングなど体温が少し上がる程度の強さの運動を日々続け 夜にはゆっくりと湯船に浸かって疲れを癒やす。そんな何気ない日常こそが 帯状疱疹を予防する第一歩になるそうです。

で、逆に気をつけなければならないのが、激しすぎる運動や長時間のトレーニングなど〝やり過ぎ〟だそうです。

そういえば 件のAさん、やること常に全力投球「そんなにやって大丈夫?」と言いたくなるほどのバイタリティーでありました。

今回の思わぬ帯状疱疹は、Aさんにイイ意味で警鐘を鳴らしてくれることになったようです。

万年青年といえども、今後はご自分の身体とも相談しながら 無理のない範囲で日々精進していただきたい。

Aさんに見舞いの言葉をかけながら、自分自身も自戒しながら この季節の変わり目を乗り切ってゆきたいと思ったところでありました。

 

「子どもの声は騒音ではない」政府が法制化も視野に検討とのニュースが

「子どもの声がうるさい」との一部住民(世帯)の苦情に起因して、子どもの欠かせぬ居場所であった青木島遊園地が廃止されてしまいましたが、その際に 遊園地の存続を願う市民運動に協力し合った同志ともいえる方から、ネットで報じられたニュース記事を目にしたとの連絡が入り、その内容を共々に注目しました。

それによると、国(内閣官房)が主宰する「こども未来戦略会議」の場で、子どもの発する「音」について 話題(議論)になったとのことです。

そのうえで政府は「子どもの声は騒音ではない」と法律で定めることも視野に検討に入ったとのことで、このことを 今年の夏を目処(めど)にスタートする「国民運動」の一つとして盛り込めないか、こども家庭庁を中心に調整が進めるとのことでありました。

この背景には、長野市で大きな社会問題となった「青木島遊園地問題」があることは間違いないことであり、罪も無き子どもの声を巡っての行政対応の如何(いかん)が行政不信にまでつながってしまったことが ひいては国までも動かすことになったようであります。

 

 

 

同会議では、長野市の青木島遊園地問題を初め、全国各地で散見される「子どもの声(音)がうるさい」の苦情に伴うトラブルや対策の事例が紹介されたとのこと。

長野市のような地方都市で かかる子どもを標的にした騒音(苦情)問題は、いわばレアケースと言えるところですが、住宅が密集し多様な人が暮らす都市部においては 遍在する問題のようです。

東京都内にある保育園では、住民に配慮し 7年前から高さ3mもの防音壁を設置しているそうです。

 

 

 

また 前掲の青木島遊園地においても、遊園地を利用する子どもの通う児童センターの関係者が、周辺環境に最大限配慮して子どもを遊ばせてきたり 送迎の車が発する音にまで気を配ってきましたが、その努力にも関わらず 遊園地は廃止されることになってしまいました。

 

 

 

そんな中、国における会議で出された「子どもの声は騒音ではないこと」を定める法制化の議論。

このことにおける先進事例は、遠くドイツで定められた「子ども施設の 子どもの騒音への特権付与法」があるとのことです。

文献によると、ドイツの連邦議会は 2011年「乳幼児・児童保育施設及び児童遊戯施設から発生する子どもの騒音への特権付与法」を可決したとのこと。

それは 騒音被害につき、現行ドイツ法上 周辺の土地から発生する騒音により本質的な被害を被った場合には損害賠償請求を行なうことが認められているのに対し、前掲の法律は「子どもたちが発する音についてはこれを特別扱いとし、そのような音を理由として損害賠償請求の対象にすることから除外する」とした特別法なのだそうです。

この背景には、これまでドイツでは 子どもらが発する音を理由として児童保育施設等を相手取った訴訟が相次いだことがあり、判決では多くの場合 子ども達の音に対して寛大な判決が下されてきたものの、保育施設の運営者や子どもを持つ親は法的に不安定な状態に置かれていることに変わりがなかったことから この際は法的に子どもの声は責めるに値しないことをルール化したというものだそうです。

なお 法律の理由書によると「子どもから発生する音」とは、子どもが発するあらゆる声(話し声・歌声・笑い声・泣き声・叫び声など)の他、遊戯・かけっこ・跳躍・踊りなどの「身体的活動による音」や、遊具や楽器による音・さらには子ども自身による音だけでなく 保育施設等の場合には、子どもの世話に従事している職員が発する音も含まれる とされているそうです。

会議の席上 岸田総理は「子どもの声が騒音であるという意見に対して 我々は考えを改めなければいけない。これこそ次元の異なる政策であると考えて これからも政策を進めていきたい。」と、取り組みに前向きな考えを示したとのことでありました。

「異次元の少子化対策」を標榜する岸田総理においては、これら 子どもの声を騒音で無いと位置づけることにより〝子どもの発する声(音)〟を法的に庇護し、もって少子化対策に反映させたいとの狙いがあるようです。

 

長野市における「青木島遊園地問題」においても、少子化が悪しけく伸張する中にあって 子どもにとって欠かせぬ居場所である遊園地を廃止するとは何たる愚策か!と激しい反対意見が寄せられ、多くの市民 というより国民の多数が「子どもの声はうるさい」とする一部の苦情者に屈した長野市の姿勢に強い違和感を示したものでした。

一方で、全国のそこここで 子どもの声(音)に起因する苦情問題は後を絶たないところであり、それら いわば収集が付かない事態に陥っている中における「法制化」は、不毛な争いを避けるという面では大きな意義があると思います。

 

ただ その一方で、今回「青木島遊園地問題」に深く関わった者の一人としては、この手の問題における「初期対応の大切さ」や「対話の重要性」さらには「社会の中では課題解決に〝人間力〟が不可欠であること」を強く実感したところでもありました。

問題が発生したときに、表面的な対応…対話を抜きにして 物理的な造作などで片を付けようとする(した)ことが 却って事(こと)を難解なものにしてしまった。

そうなる前に、やるべきことはいくらでもあったんじゃなかったか。慚愧に堪えないところであります。

 

私の立場においても、今回の「子どもの声(音)は騒音ではない」の法制化に注目すると同時に、かかる〝法的措置〟は最後の手段とすること。その前に 人として理解と寛容の精神を発揮して(させて)、皆の総意をもって 未来ある子どもたちの環境を守る(守れる)社会を構築しなければ、との思いを新たにいたしたところでありました。

「チャットGPT」を 行政事業に用いることへの懸念

識者のIさんと意見交換する機会があり、そこで「ChatGPT(以下 チャットGPT)」が話題になりました。

で…一致したのが、チャットGPTの普及が 利便性と引き換えに、行政事業が市民ニーズに副(そ)わなくなってしまうのでは、との「懸念」でありました。

 

チャットGPTとは、ユーザーが入力した質問に対して まるで人間のように自然な対話形式でAIが答えるチャットサービスです。

2022年11月に公開されてから、回答精度の高さが話題となり 利用者が増加しています。

チャットGPTは、小説の自動生成やゲームでの会話を生成する用途で開発された「GPT」という言語モデルがベースになっているとのこと。

GPTは 与えられたテキストの指示に対して自然言語を生成するAIで、インターネット上にある膨大な情報を学習し 過去の会話内容を記憶したりしながら、複雑な語彙・表現も理解し そのうえでより自然な会話に近づくための機能が搭載されているとのことです。

 

 

 

 

話しの中でIさん「今後 チャットGPTは、人間社会の中で便利に使われることになるだろう。顧(かえり)みてみれば、昔は辞書や広辞苑に頼って言語を見出し それを文章化していたものが、パソコンの普及によって 文字そのものが手軽に検出できるようになった。そして 今はAIの開発によってチャットGPTが誕生し、文章そのものが機械によって創造できるようになる。」

「もしかしたら これからは、行政事務に関する文章(文書)や、議会の質問や答弁書まで チャットGPTによって作成されるようになるかもしれない。」とのことです。

「そのうえで…」とIさん。

「チャットGPTの普及に伴い、私たちは いわば〝新たなリスク〟を負うようになるかもしれない。」と警鐘を鳴らしておられるのでした。

「チャットGPTは、過去の(膨大な)データを蓄積・駆使して リクエストした人のニーズに合った文章を作り上げてくれる。」

「ただ その文章は、あくまでリクエストした人(依頼者)のニーズに合った内容…もっと言えば リクエストした人にとって都合のイイ内容の文章になることから、いわゆる「公(おおやけ)」の立場の者にとって適切かどうかは懐疑的な面が否めない。」

「それは何故か。そこには先ず〝客観性〟に乏しいことが挙げられる。」

「チャットGPTは、ニーズにこそ応える能力はあっても「それは間違っています」などと客観的に判断することは無い(設定されていない)。だからそれが たとえ公序良俗に合っていようといまいと、あくまで依頼者のために案文するので 行政職員が自らの利益(自治体に都合のイイ内容)を求めれば、それが市民ニーズに応えていないものでも、それを(自分たちにとって)正しいものとして文書化してしまうことも考えられる。」とのことでありました。

またIさんは、AIが蓄積する〝過去のデータ〟の信憑性(しんぴょうせい)についても一石を。

「例えば 行政職員が「公文書」を作成すれば、それはチャットGPTにとっての「過去の情報」となり、リクエストに応えた文章づくりの基礎になるよね。」

「でも、その公文書自体が間違っていれば。あるいは、故意に改ざんされたものであるとすれば。」

「チャットGPTは、その間違った公文書を基に さらに公(おおやけ)の文書づくりを行なうことになり、間違いの連鎖・間違いの増幅が重ねられることになる。これは とりわけ公正性が求められる行政職(事業)にとって大きな過ちの構図になりはしないか。」

「それで、一度(ひとたび)構築された 誤った公文書を訂正するとなれば、その(訂正に伴う)影響は他の分野(部局等)へも波及することになり、さまざまな「辻褄(つじつま)」が合わないことになって、行政の信憑性が瓦解することにもなりかねない。」

「だから、行政職がチャットGPTを使う際には 過去のデータが露の一滴も間違っていないという保証が求められることになり、それは逆に 行政職にとって大きなプレッシャーになるハズだ。」と断じておられました。

そのうえでIさんは「現時点で チャットGPTは、個人や公益性が求められない分野での活用はイイと思うが、特に行政職が公務の中で用いるのは時期尚早じゃないかと思う。よく自治体の長が「作業の効率化のためにチャットGPTの積極導入を」と言うけれど、オレは逆だと思うね。」とも。

 

奇しくも、26日の朝刊に 記者会見で話した荻原市長の記事が。

そこには、青木島遊園地問題の中で 本来は児童福祉を目指すハズの長野市社会福祉協議会の指導主事が、児童の「思い」を踏みにじった行為を謝罪する発言と併せて「チャットGPT」の活用を前向きに考える旨の発言が載っていました。

 

 

 

顧(かえり)みれば、今回の「青木島遊園地存廃問題」においては、長野市が いわば自らの都合のイイように廃止に向けたストーリーを作り上げ、多くの心ある市民が「存続を!」の声を上げる中においても それを見直すことなく遊園地を潰してしまいました。

この件には 無論「チャットGPT」は登場していませんが、そんな現段階においても このような市民の声を無視した愚策が行なわれたのです。

このうえ 市行政にチャットGPTが導入されれば、いわば輪をかけて 自ら(=行政)にとって都合のイイ文書類が出されることになり、ますます市民無視の行政ペースでの行政事業が進められることになるのでは、と懐疑的にならざるを得ません。

 

しかも、今回(遊園地問題)においては〝公文書の改ざん〟ともいえる事実誤認が指摘され 問題視されました。

ここに Iさんの指摘する「誤ったデータでも、それを基にチャットGPTはニーズに合った文章をつくる」との〝チャットGPTの弊害〟が指摘されるところです。

 

市(市長)は、そこまで思慮して チャットGPTの導入を考えているのでしょうか。

とにかく前向きな市長発言に、不安と懸念ばかりが募るところです。

 

ボランティアに思う「情けは他人(ひと)のためならず」

この日(23日)は 25回長野マラソン・第19回長野車いすマラソンが開催され、多くのランナーが長野市内を駆け抜けました。

好天に恵まれたこともあり、きっと佳き〝ラン・ディ〟を過ごされたことと思います。

 

 

さて、述べたように この日は好天。マラソン日和でもあり、いわば何をするにも好日でありました。

かくいう私は、犀川河畔にあるマレットゴルフ場「アカシアの杜」の整備作業にカオを出させていただきました。

 

 

 

こちら犀川河畔も好天となり、多くのマレットゴルフ愛好者の方々が 普段スティックを持つ手を鋤簾(じょれん)や竹ホウキに持ち替え、日常的にラウンドを楽しむマレットコースの整備作業に汗を流しておられました。

 

 

 

こちらの「アカシアの杜」マレットゴルフ場は、遡(さかのぼ)ること平成15年 市に対する造成の要望(実現)が捗々(はかばか)しくなかったことに端を発し「だったら住民パワーで事業を緒に就け、ボトムアップで行政を巻き込みましょう!」との私の提案を多くの住民が受け容れてくださり、当時 最悪ともいえたニセアカシアが鬱蒼(うっそう)と林立する雑木地帯に皆で分け入り、苦労に苦労を重ね 住民主体で造成作業を進めた経緯があります。

これまでも触れていますが、冬の時期には 各家庭に眠る使わなくなったスキーを持ち寄り、そこに伐採したニセアカシアの幹を積んではコースガイドに活用したりと まさに手造りを地でいく「民間主導の公共事業」を先導したものでした。

 

 

 

その後 約2年をかけて完成するも、竣工した年に発生した「平成17年豪雨」で できたばかりのコースが水没、一様に落胆したものでしたが そこで再び私が「お盆までに再興しましょう!」と 敢えての形でみなさんにゲキを飛ばし、コースに堆積した〝花泥〟と闘いながら何とかコースを復旧させたという…造成→災害→復興と、苦難に満ち それ故に愛着もひとしおのマレットゴルフ場として、多くの方々に愛好されているのです。

 

(過去の大会スナップ)

 

 

施設の竣工後は それ相当の年月を重ねていますが、みなさん 年齢を感じさせない熱意と元気によって、健康長寿の拠点ともいえる このマレットゴルフ場を経年に亘り管理・運営を続けてくださっているのです。

 

私は そこに、非常に純度の高い いわば〝ボランティア力(りょく)〟を実感をもって感じ取るところです。

自らの利益を求めず、純粋に マレットゴルフを愛好し、そのための拠点となる施設(アカシアの杜)を守ろうという変わらぬ姿勢こそが、この施設が経年に亘り健全に運営され続けていられる原資ではなかろうか と。

(強いて言えば、こちらの愛好者の求める「利益」とは 自らの健康ということでしょうか)

 

人は 概して、ある行動について それが自分にメリット(利益)があるか無いかで「やる・やらない」を決める傾向にあると思います。

そして その判断に基づき「やる・やらない」は、ときに他者に冷たい行動となり いわゆる世知辛い結果を招くことになるものです。

できるものなら、他者の幸せをも自らの幸せに置き換え 結果として公共の福祉につなげてくれたならば、自分の行動で社会全体が幸せ感を実感し そのうえで自らも達成感に浸ることができることでしょう。

 

 

その点、こちらのマレットゴルフ愛好者の方々は 挙げてマレットゴルフ場の整備=公共の福祉をめざし共々に無償の汗を流し、そのことで 結果としてみんなが達成感に浸ることができており、まさにボランティアの完成形とも言えると評されるところです。

愛好者のみなさんにおかれては、これからも このマインドを育(はぐく)まれ、この施設がいついつまでも健全な形で維持管理運営されることを改めて期待するところです。

 

全体(他者)への貢献(マレットゴルフ場整備)が、ひいては自らの幸せ(健康寿命の延伸)につながる。

まさに「情けは他人(ひと)のためならず」を体現するかの、マレットゴルフ場愛護会活動でありました。

 

 

 

午後には、松本市で ライオンズクラブの地区年次大会が開催されました。

 

 

 

社会人による奉仕団体であるライオンズクラブは、ボランティアを通じて社会福祉の向上と その行動(アクティビティ)による自己研鑽をめざし、地区ごとに活動を重ねています。

私も いちクラブのいち会員として身を置く中、これからの奉仕の在り方についても考えるところです。

そのような中、多難な状況におかれる「青木島児童センター」に対し、何らかボランティアができないものか…思いをいたすところです。

長野市の いわば一方的な価値観により、隣接する遊園地が廃止させられてしまった青木島児童センターは、状況(情勢)が激変しようとしている中 他の施設に比しても大変なことになっています。

その事態においても 市や市社協の対応は十分とは言えず、ご関係者は苦労を重ねておられることが伝えられています。

そんなところに、何らか支援 というと大げさですが、お手伝いのようなことができるとすれば。

自クラブの三役にお諮りしながら〝他愛の活動〟ができないか 模索したいと思うところです。