今や大きな社会問題となっている「青木島遊園地廃止問題」ですが、こと ここに至って、この問題に対する見方が 二手(ふたて)に分かれていることを実感します。「もう終わりにしよう」という見方と「まだ終わっていない」との見方です。
前者を主張する人には「どう訊(き)いても、市長は「廃止」の一点張りなんだから もうどうしようもない」とか「本会議などで 市長が頭を下げて(謝って)いるんだからイイじゃないか」と言う向きがあります。
他方、後者の人は「遊園地の廃止プロセスは非常に不透明で、また 現在(これまで)の説明には矛盾点や事実誤認の面があり、とても納得できるものではない。市(市長)は引き続き説明責任を果たすべきだ」と言うものです。
私は と聞かれれば、無論「後者」の方。このまま幕引きすべきではないと強く思う者の一人です。
これまでも このブログで触れていますが、今回の青木島遊園地廃止問題については その経緯を調べたり、それぞれの関係者に照会するなどしたとき、その結果が「了(りょう)」とされるには程遠いものになっており、おかしいと思うと同時に そのような不詳な経過を辿っていることを非常に残念に思うところです。
そして さらに残念なことには、一連の結果を招くことになってしまったことに際し、市行政サイドは 市民(住民)にハッキリと分かる(納得できる)説明を履行せず、ときにこじつけ ときに理解できない理由をもって「説明した」とし、非常に釈然としなままに事(こと)を進めようとしており、多くの市民が何ともいえないストレスを抱えながら留め置かれているのです。
そのうえで、これまで この案件について熱心に取り組んでこられた人からは「市(市長)は、こと ことに及んだ中、改めて住民説明会を開くべきではないか。」との声が上げられています。
振り返れば、市(市長)は 遊園地の存廃が決まらない段階(実は もう決まっていたのかしれませんが)においては 住民説明会を開きました。
で、その場では結論を出さず「ご意見を承(うけたまわり)りました。それを踏まえて熟考します。」と言って会を閉じたのです。
実際のハラの中は別にしても。
その後、市長は 多くの市民の期待に背(そむ)く形で「遊園地廃止」を表明しました。
が、そこは本会議場。さきに集会に足を運んでくれた市民を初め、市民に面と向かって意思表示していないのです。
それについては、もしかしたら「市民の代表である議員のみなさんに説明した。」で済まそうとするかもしれませんが、それは話しのスリ変え。あまねく市民に対する説明責任を果たしたとは到底言えないでしょう。
で、このことについて 大手地方紙の記者が取材で、市長に「改めて説明会を開くつもりがあるか」旨の質問をぶつけたところ、氏は「(説明会を開くかどうか)地元区長会と相談する。」と答えていることが掲載されていました。
市(市長)は、ここでもまた「他人(ひと)のせい」にするのでしょうか。
青木島遊園地を 多くの市民の期待に反し、半ば一方的に廃止に追い込んだ市行政。
そのうえ そこに至る経過や理由については 判然としないままに自ら終止符を打ち (前掲のとおり)市民にストレスだけを残して次に進もうとしている姿勢。
ここはやはり、改めて市民に説明責任を果たすべきでありましょう。自らの意思で。
ところが、です。
説明会の開催については「地元区長に相談する。」とは。
もし「市長が廃止を決めたんなら、結論の出たハナシだから説明会はやらんでもヨシ。」と言われたら、それを大義として説明会を開かないつもりでしょうか。
さき(2/11)の住民説明会の後、市長は確かに言いました「区長に地域のことを任せ過ぎた」と。
それは、案件について より市が主体的に取り組むべきだったとの〝反省の弁〟と解釈できるところですが、その舌の根も乾かぬうちに「改めての住民説明会は地元区長と相談」とは。
その主体性を欠いた発言は「言ってることとやってることが違う」と言わざるを得ないところです。
市(市長)は、どうしてこうも言業不一致・矛盾に満ちた言動を行なうのでしょうか。
ここまでズレると、わざと市民感情を逆撫でするよう振る舞っているんじゃないかと思いたくなってしまうところです。
これら 未だボタンの掛け違え状態が続くままでは、この問題は終わったとは到底思えないのであります。
今や大きな社会問題になっている「青木島遊園地廃止問題」は、その存廃を巡って 長野市議会の本会議でも ときに激しい議論が展開されています。
この間 青木島遊園地を廃止に至らしめた経過について検証されましたが、残念ながら市長はじめ所管部長から明確でない(納得でき無い)答弁が散見され、私も含めて議員側から繰り返し質疑がされるも 「存続できない」旨の消極的な答弁が重ねられたところです。
また 答弁(説明)の中で、これも非常に残念なところですが、聞く側が納得できない というより、実際のところ(事実)に合わない説明が為(な)される場面もあり、この点については強い疑義を呈せざるを得ませんでした。
市(所管課)が関係者に行なった対応について、実際に行なわれたこと(対応)と報告(答弁)が違い、説明を重ねる(聞く)度(たび)に首を傾げ 議場では再質問を余儀なくされることにも。
で…これが非常に問題になってしまう(しまった)ところですが、議論の根拠となる 市(所管課)と関係者とのやり取りに等について記(しる)された「議事録」に、事実と異なる内容が載せられ それが独り歩きしていたり、職員が市長に経過報告する際 事実と違った内容を伝えていることが明らかになり、問題視されたところです。
例えば この日(6日)の本会議の個人質問で、市の所管(都市整備部)部長が、児童センターが 実際には21年3月まで遊園地で子どもたちを20~30人ずつで遊ばせていたのに、市長には「(児童はそれまでも)5人以下で遊ばせてきたが、その後も苦情を言われ2021年3月から一切遊ばせていない」と 事実と異なる説明をしていたと認めたのです。
このことは、過般の本会議で 市が地主と不動産業者とのやり取りを知りながら 市民(住民)にそれを伝えず説明会を開くなどしたことへの行政不信と併せて、市への信頼を貶(おとし)めることにもなってしまいました。
・・・・・・。
このように、関係者が たとえ他意が無いにしても、結果として 関係者(特に上司)への報告を、より自分にとって有利になるよう造作し そのまま上げてしまう行為…これは、何も この遊園地問題に限らず、事業体の中では実際にある行為だと思います。
しかしながら、それが 例えば市民生活の如何(いかん)に関わる行政事業だったり、また例えば障がい者さんなどの社会的弱者を守るべき立場の福祉事業などの場合、そのこと(事実と違う対応)の結果は そのまま公共の福祉に反する結果を招くことになることから、それは看過することはできないものでありましょう。
今回の一連の経緯は、奇しくも 現下の地域社会における とりわけ公的機関における構造的な問題を炙(あぶ)り出すことにもなりました。
で、この手の問題が露見する度に〝共通点〟として言えることは「向いている方が違う」ということではないか と。
今回の遊園地問題において 市行政サイドは、子どもの方を見ていない。
また、他の事業体における主宰者も、利用者やエンドユーザーに目を向けず、自らの団体や自身の保身のために 事実を曲げてまでストーリーづくりに汲々としている。
こんなことで、公共の福祉は守れるハズがありません。
そこにはシッカリとメスを入れてゆかなければなりません。
今や大きな社会問題となっている「青木島遊園地廃止問題」ですが、この件について、未だ市民の関心が非常に高いことを実感することとなりました。
この日 数十人が集まられている会合(行事)に出席したのですが、その際(そんなつもりは無かったのですが)突然の形で「情勢報告を」と乞(こ)われ、来る県議選の情勢や 市政一般について話させていただきました。
で、ひと亘りの話しの後「ところで、話題となっている「青木島遊園地廃止問題」ですが…」と言い始めた瞬間、聴衆のみなさんの身がグッとこちらに乗り出すような〝圧(あつ)〟が感じられたのです。
これは、この業界?にいると実感される 独特の「空気感」のようなものですが、人は とりわけ関心の高い話題については、何というか 耳目(じもく)をひときわこちらに寄せてこられるもので、この日の集会では やはり「青木島遊園地廃止問題」について、みなさんが知りたがっておられることを身をもって実感したのでした。
そのうえで、みなさんは何より〝ことの真相(真実)〟を知りたがっておられるんだ、との空気(雰囲気)が やはりひしひしと伝わってきたのでした。
この問題が表沙汰になってから相当の時間が経過しましたが、マスコミ報道の加熱に伴い 憶測も孕(はら)みながら様々な報道が流されており、多くの人は いったい真実がどこにあるのかハッキリしないままに、いわば報道(情報)に踊らされているような感もあります。
そこに輪をかけて、行政サイドによる説明も二転三転の様相を示していることから「真実は一体どこにあるの?」と、多くの人が何とも言えないストレスを抱えている様子が伝わってきたものでした。
その意を受けて 丁寧に説明させていただくと「そうだったのか。」とご理解いただくことができましたが、未だに多くの人が真実を知らないままにおられる現状は決して望ましいものではないと 改めて思わさらたところです。
そのうえで、改めて真実を確認したみなさんは「これまでの市の事(こと)の運びはおかしいよね。」と異口同音に話しておられました。
なお さらに細かい経過については、私のブログを読んで事態の流れをつかんでくださいと 併せてご案内させていただきました。
(前掲のとおり)時間は相当に経過し、人によっては「(廃止を)もう市長が決めたことだから仕方ないじゃん。」と〝もう終わったこと〟として済ませてしまおうとする向きもあります(それは残念ながら市(行政・議会)の中にも その意識があります)。
しかし、実際にはそうではない。
心ある多くの市民は 未だに「青木島遊園地廃止はおかしい」と思っており、にも関わらず 半ば廃止を強行した市の対応に疑問と反対の意を唱えているのです。
この日の会合(行事)を通じて、市民の間に 未だ青木島遊園地廃止に異論の意が根強くあることを再認識し、併せて、この問題が まだ終わっていないことをも再認識したところです。
青木島遊園地の存廃問題…荻原市長が出した答えは結局「廃止」でした。 3月1日、最大会派・新友会の代表質問に答える形で「遊園地は廃止とし、4月...
今や社会の大きな社会問題となっている「青木島遊園地廃止問題」は、開会中の 長野市議会3月定例会においても論戦の的となっています。
そんな中 市のリーダーである荻原健司長野市長は、議会初日の施政方針演説の中で「未だ熟考中」としたうえで「近く私の考えを示す」と皆に大きな期待を抱かせたあげく、結局「廃止」を打ち出して大きな落胆を誘いました。
そのうえ、その廃止理由が 今間まで尾首(おくび)にも出していなかった「地主の意向」とし、さらに詰問(きつもん)を受ける中で、例えば2/11に行なった住民説明会の時点でも 地主に借地期限の再延長を交渉している事実を(市民に)報告しないままに市民と向き合っていたことを認め「二枚舌の背信行為」と激しく非難されることになりました。
この顛末は、市が 自らの都合で、区長会(=一部の市民)との取り交わしだけで 土地の返却を(地主に)申し入れておきながら、その後の存続を願う世論に慌てた中で 再び地主に話しを元に戻してくれと乞(こ)うも「何を今さら」と断られた、まさに自業自得を絵に描いたようなお粗末対応でありました。
で、さらに問題視されているのが その間の市(市長)の言動です。
廃止を巡って 発言も二転三転を繰り返し、極めつけは 2/11の住民説明会。
「フラットな気持ちで住民の声を聞きたい」と、いかにもまだ何にも決まっていないような口ぶりで多くの地元住民を集め、その後で「廃止だけでいくのはどうかな…」などと 廃止見直しを匂わせるような発言をして、多くの市民を〝その気〟にさせておきながら 出した結論が「地主都合で廃止」です。
で、あろうことか この間、市(市長)は 地主と借地期限中途解約の手続きを進めており「フラット」どころか大きく廃止に向けて傾いていたのに それを隠す格好で市民と向き合っていたのでした。
こんな理不尽がありましょうか。
今回の顛末は 道義的にも許せないとの思いを強めると同時に、一方で なぜ市(市長)は、こんな風に市民にウソをついてまで「廃止」に拘泥するのか 不思議にさえ思えるところでありました。
せめて、新たな体制(放課後児童の学校施設での受け入れ)が整うまでの間まででも 借地期限を延長してもらえばイイじゃないか。私だけじゃなく、多くの関係者が思うところです。
そんな中、不動産事情に詳しい御仁(Aさん)が 私にこう話してくれました。
「長野市は、もう のっぴきならないとこまで来てるんじゃねーか。」
「去年の段階で 市(担当課)は、地主が「住民の意向と違う」とのまっとうな理由で土地の返却に反対していたのに、それを説得する形で あくまで廃止を申し入れた。それを聞いた地主は 市の(廃止への)ハラが固いと判断して(廃止を)受諾、そうなれば その後は後利用計画へ一直線さ。」
「市は、地主とは それほどの廃止契約は進めてなかったと言うけれど、他方 地主と不動産業者はかなりの事業(契約)を進めていたんじゃないか。そんなトコへ「案に相違して世論が高まったから やっぱりまた借地期限を延ばして…」などと翻意を促してみてもダメさ。ガキの使いじゃあるまいし。」
「たぶん「そこまで言うなら違約金を払え。」とでも言われてるんじゃねーの。オレならそうするね。ここまで振り回しといて「やっぱり止(や)めた」は ねー(無い)ってもんだ。」
「で、サ。」とAさん。
「一番の罪は、住民説明会だ。」と断じます。
「だって 市(市長)は知ってたんだろ。もう 状況がのっぴきならないとこまで来てることを。」
「なのに、それを一切カオにも出さずに「フラットな状態で(意見を)聞きたい」だって?何がフラットだって。市はみんな知ってたんじゃねーか のっぴきならないことを。」
「後でそれを聞いて、オレは思い出したね。終戦間際の大本営発表を。」
「多くの戦地が玉砕 ゞ で敗走しているのに、軍の幹部は 本陣でふんぞり返って、あげく国民には「わが損害は軽微なり」と事実と全く違う報道を流させて場を繕(つくろ)っていた。あれと全く同じじゃねーか。」
「で、これが そもそも悪気(あこぎ)な市長ならまだイイ。ところが、荻原市長はスポーツマンの金メダリスト 清廉潔白をモットーとしていた人だから、その人が表裏(おもてうら)のある行為を承知してた。この 高いとこ(清廉さ)から落ちた(ダーティーな)イメージ悪化の落差は大きいんじゃねーの。」とも。
最後にAさん「荻原市長は完全に失敗したな 今回のジャンプを。部下に押されてジャンプ台を飛び出したのはイイが、世論という風に押されて飛型を崩し 今や大転倒の様相だ。負ったケガが大きくなければイイけどな。」と。
誰がどう見ても理不尽にしか映らない顛末は、第一義に子どもたちの居場所を奪ったままに推移するだけではなく、メダリスト市長をも転倒(=支持率低下)に貶(おとし)めることになってしまいました。
残念に他ならない、これまでの諸行であります。
開会中の長野市議会3月定例会は「本会議」が行なわれていますが、今や大きな社会問題となった「青木島遊園地廃止問題」についても議論が集中することになり、私も含め 多くの議員がこの件について取り上げることになっています。
それら さまざまな議論を通じて、さまざまな事実や経過が炙(あぶ)り出されることになっており、で…これは非常に残念なことなのですが、長野市行政(事業)の実態が白日の下(はくじつのもと)に晒(さら)されることになっています。
きのう(2日)のブログ記事でレポートしたとおり、私の個人質問においては 市が青木島遊園地を廃止に至らしめた経緯の中での矛盾点を指摘し、それに対し明確な答弁もないままのやり取りが交わされました。
荻原市長は 半ば唐突な形で「熟考の結果」としながら、遊園地の廃止を「地権者の意向」とし、またも廃止の理由を市民に押し付ける形で事態の幕引きを表明しました。
この顛末については、私も含め 多くの市民は納得できるハズもなく、大きな疑問と反論の声が上げられています。
「苦情者のせい」を理由に、昨年の早いうちに(まだ借地期限が残っているのに)地主に(遊園地の)廃止を持ち掛け、一旦は(地主に)断られるも廃止決定を押し切りました。
そして、遊園地設置の経過を逆手に取った形で「区長会の判断」として〝遊園地廃止の要望書〟を出させ 廃止手続きを〝粛々と〟進めさせ、あげくは「地主の都合」を唐突に廃止理由の筆頭に掲げてきたのです。
その顛末の全てを「市民のせい」に責任転嫁したような事(こと)の進め方には、行政不信しか残らないところでありましょう。
そのうえ、さきの私の質問の中で いわば「新たな行政不信」が明らかになってしまいました。
前掲のとおり、市(公園緑地課)は 昨年の早いうちに遊園地の廃止について地主を了解させたのですが、地主は それならと、土地の後利用について 現地測量などに動き始めたのですが、市はそれを「民(みん)のこと」として承知しながらも看過し、そして、他でもない市長ご自身も そのことを承知しながら市民対応に当たっていたのでした。
その後 市は、遊園地存続の機運が高まったことを受けて 半ば慌てた形で地主に対し「土地返還の延長」を申し入れていましたが、実質的に暗礁に乗り上げていたようです。
そして…これは極めて残念なことなのですが、去る2/11に行なわれた住民説明会の時点で、市長はじめ市は このこと(地主の後利用計画と交渉)を知りながら、その事実を億尾(おくび)にも出すことなく説明会を開催、300人に近い住民に 時間を割いて足を運ばせることとしたのです。
その際 市長は、まるで何も決まっていないかような顔つきで「フラットな状況で意見を聞きたい」と言い切り、それを信じた市民は 自分の思いを温め市(市長)に訴えたのでした。
しかし、その裏では「廃止」がほぼ決定的となっていたのです。
この いわば事実経過の隠ぺいについて市(市長)は「遊園地の利用継続について地主と交渉中だった」などと釈明したものの、市民 とりわけ地元住民にとっては「信頼を裏切られた」との思いが強まるばかりでありましょう。
さらに、遊園地の廃止方針に併せて示された 隣接の小学校施設を活用し放課後児童の居場所を確保するとされる「オギワラビジョン」についても、状況を詰めてゆくと 児童センターの上部機関である社会福祉協議会や、施設を利用する小学校との協議は進んでおらないとのこと。
いわば 空手形(からてがた)を切っている状態のようなのでした。
にも関わらず「できるだけ早い時期に 青木島遊園地に代わる居場所を整備します。」というのは、何ともアテにならない話し…これでは 他でもない子どもたちの環境は改善されるどころか劣悪を極めることになりかねない状況です。
そして この日(3日)、また 新たな事実が明らかになることに。
この日の議員の質問への答弁で、遊園地の廃止に向けて必須事務である「開発許可」が 未だ出されていないこと、そして、これは あくまで仮定の話しですが、一旦 遊園地廃止→後利用計画が出された以上、借地期限の延長(3/31)を更に延長するときには「違約金」が生じるのではないか という観測が出されたのでした。
この二つの分析は、相反する意味合いをもっています。
つまり、担当課(公園緑地課)が遊園地の廃止を決めていても、片や許認可の所管課(建設指導課)が開発許可を出さなければ開発はできず、遊園地廃止に向けた工事は行なわれないことに。
一方、借地期限の延長を3/31と定めた以上、それを延長して遊園地を存続させれば その時点から、市は事業者に「違約金」を支払わなければならなくなるのでは、という説もあるとのことなのです。
市民の理解を置き去りに進められている 遊園地廃止の手続き。
その期限は3/11に〝固定〟されており、それを動かすことで生じる さらに複雑な事象。
状況は一層悪い方向に、何より 子どもたちにとってマイナス方向へと動き続けていると言わざるを得ない状況にあり、忸怩たることこのうえないところであります。
昨日(3/2)、長野市議会3月定例会一般質問で登壇しました。前日の3月1日、他議員からの青木島遊園地に関した質問に対する市長の答弁を受け、私は、市が下した最終判断の内容に理解が及ばず、通告済であった質問項目の順番を入れ替え、青木島遊園地のみの質問となりました。ちなみに、通常であれば質問原稿を念入りに作成するところでありますが、午前中の同僚議員の質問及びそれに対する答弁を踏まえ、ほぼ、ぶっつけ本番で質問に臨みました。その概略をご報告させていただきます。
以下、私の質問内容です(議事録未入手のため、答弁は後日、別途掲載します)
<冒頭>
これまでの議論、市長の答弁をお聞きし、私が当初予定していた質問項目の順番を入れ替え、質問せざるを得ない状況となった。私のみならず、多くの市民、特に、地元の子供たち、住民にとって、大きな衝撃であり、大変ショッキングな結論だ。
<修正が必要な最終判断の理由>
市長が、廃止判断について、地権者の意向を理由としていることに大変な違和感を覚える。昨日(3/1)の市長答弁の「市が昨年、地権者に対し、廃止方針を示し、今年度いっぱいでの現状復旧を申し入れて以降、地権者が新たな土地利用を計画されている」ことと、引き続く論戦で「2月11日の住民説明会を経て、2月中旬に関係者との調整を行った」との答弁から、地権者の行動(新たな土地利用を模索すること)は、至極当たり前のことだ。
仮に、関係者との調整(本年2月)の中に地権者が入っていたのであれば、地権者に、概ね1年前に、廃止方針を示し、今年度いっぱいでの現状復旧を申し入れて以降、先月中旬まで、遊園地として継続利用について交渉をされてこなかったこととなる。よって、地権者の新たな土地利用計画を廃止決定の理由とするのは不適切であり、筋が違っているのではないか。「地主の方が新たな土地利用を計画されているから」との理由は修正すべきだ。
<この期に及んで、土地の継続利用はそもそも無理がある>
概ね1年前に、来月末で廃止と伝えているにもかかわらず、2月11日以降の段階で土地利用継続に関する調整(継続のお願い)に応じて欲しい、など無理がある。本年2月11日に開催した「住民説明会」の時点において、存続に向けての最大の課題は「土地の継続利用」だったのではないか。
<なぜ、施政方針(2/22)で示さなかったのか>
本定例会初日の市長施政方針演説において、青木島遊園地の課題として「周辺の住環境、子育て環境等、顕在化してきた課題を含め、総合的に改善・解決していく必要がある」、また、「近く、私が考える解決策を示す」と述べられた。2/22議会初日において、既に廃止決定の結論が出ていたのでは。なぜ、施政方針の際に、昨日(3/1)の答弁内容について説明されなかったのか。
<来月に迫った新学期に間に合うのか>
市長は、青木島遊園地問題の改善・解決策として「長期展望として学校の空き教室活用、青木島小学校敷地内への遊具増設、保護者の送迎用駐車スペース確保、校庭の開放、青木島保育園、児童センターの活用」を挙げられ、関係部局に検討を指示した、と述べられた。概ね1か月後には新学期が始まる。改善・解決策は、新学期に間に合うのか。
以上ですが、納得のいく答弁とは言い難い状況でした。更に、本日(3/3)繰り広げられた議論においても納得できる答弁とは言えず、でした。正直、私は、市長がこれまで会見等で、存続に向けた前向きな発言をされている、と受け止めてきました。青木島遊園地を巡る顕在化してきた課題解決に向けた取り組みを進めながら、少なくとも、廃止の延期、凍結等といった一歩前進した結論に繋がるのでは、と大きな期待を寄せておりました。
質問とは「わからないことや知りたいことなどを問いただすこと」です。私を含め、今定例会で複数の議員から青木島遊園地に関する質問がなされましたが、かみ合う場面がほぼありませんでした。残念でなりません。おそらく、来週の一般質問においても取り上げられると思いますが、説得力のある、多少なりとも納得のできる答弁を期待したいところです。
昨日(3/2)、長野市議会3月定例会一般質問で登壇しました。前日の3月1日、他議員からの青木島遊園地に関した質問に対する市長の答弁を受け、私は、市が下した最終判断の内容に理解が及ばず、通告済であった質問項目の順番を入れ替え、青木島遊園地のみの質問となりました。ちなみに、通常であれば質問原稿を念入りに作成するところでありますが、午前中の同僚議員の質問及びそれに対する答弁を踏まえ、ほぼ、ぶっつけ本番で質問に臨みました。その概略をご報告させていただきます。
以下、私の質問内容です(議事録未入手のため、答弁は後日、別途掲載します)
<冒頭>
これまでの議論、市長の答弁をお聞きし、私が当初予定していた質問項目の順番を入れ替え、質問せざるを得ない状況となった。私のみならず、多くの市民、特に、地元の子供たち、住民にとって、大きな衝撃であり、大変ショッキングな結論だ。
<修正が必要な最終判断の理由>
市長が、廃止判断について、地権者の意向を理由としていることに大変な違和感を覚える。昨日(3/1)の市長答弁の「市が昨年、地権者に対し、廃止方針を示し、今年度いっぱいでの現状復旧を申し入れて以降、地権者が新たな土地利用を計画されている」ことと、引き続く論戦で「2月11日の住民説明会を経て、2月中旬に関係者との調整を行った」との答弁から、地権者の行動(新たな土地利用を模索すること)は、至極当たり前のことだ。
仮に、関係者との調整(本年2月)の中に地権者が入っていたのであれば、地権者に、概ね1年前に、廃止方針を示し、今年度いっぱいでの現状復旧を申し入れて以降、先月中旬まで、遊園地として継続利用について交渉をされてこなかったこととなる。よって、地権者の新たな土地利用計画を廃止決定の理由とするのは不適切であり、筋が違っているのではないか。「地主の方が新たな土地利用を計画されているから」との理由は修正すべきだ。
<この期に及んで、土地の継続利用はそもそも無理がある>
概ね1年前に、来月末で廃止と伝えているにもかかわらず、2月11日以降の段階で土地利用継続に関する調整(継続のお願い)に応じて欲しい、など無理がある。本年2月11日に開催した「住民説明会」の時点において、存続に向けての最大の課題は「土地の継続利用」だったのではないか。
<なぜ、施政方針(2/22)で示さなかったのか>
本定例会初日の市長施政方針演説において、青木島遊園地の課題として「周辺の住環境、子育て環境等、顕在化してきた課題を含め、総合的に改善・解決していく必要がある」、また、「近く、私が考える解決策を示す」と述べられた。2/22議会初日において、既に廃止決定の結論が出ていたのでは。なぜ、施政方針の際に、昨日(3/1)の答弁内容について説明されなかったのか。
<来月に迫った新学期に間に合うのか>
市長は、青木島遊園地問題の改善・解決策として「長期展望として学校の空き教室活用、青木島小学校敷地内への遊具増設、保護者の送迎用駐車スペース確保、校庭の開放、青木島保育園、児童センターの活用」を挙げられ、関係部局に検討を指示した、と述べられた。概ね1か月後には新学期が始まる。改善・解決策は、新学期に間に合うのか。
以上ですが、納得のいく答弁とは言い難い状況でした。更に、本日(3/3)繰り広げられた議論においても納得できる答弁とは言えず、でした。正直、私は、市長がこれまで会見等で、存続に向けた前向きな発言をされている、と受け止めてきました。青木島遊園地を巡る顕在化してきた課題解決に向けた取り組みを進めながら、少なくとも、廃止の延期、凍結等といった一歩前進した結論に繋がるのでは、と大きな期待を寄せておりました。
質問とは「わからないことや知りたいことなどを問いただすこと」です。私を含め、今定例会で複数の議員から青木島遊園地に関する質問がなされましたが、かみ合う場面がほぼありませんでした。残念でなりません。おそらく、来週の一般質問においても取り上げられると思いますが、説得力のある、多少なりとも納得のできる答弁を期待したいところです。
開会中の 長野市議会令和5年3月議会の個人質問で、発言の機会を得て登壇しました。
この議会で発言の機会をいただいたことから、通告に基づき質問させていただくところでしたが、先日 荻原市長の方から「青木島遊園地は廃止」との発言が飛び出したことから、このことについての検証を余儀なくされることになりました。
当初の質問原稿の案文の中では、これまでの市の取り組みについて同情と敬意を表し、そのうえで課題をより良い方向へと向かうよう提案する構成となっていましたが、こと ここに至っては、そういうワケにはゆかなくなってしまいました。
したがって発言内容もゼロベースとなってしまいましたが、私はもとより、青木島遊園地の存続を願う多くの方々から疑問と翻意を促す声が寄せられていますので、それら切実な声を受け、私のできる範囲で検証させていただきました。
市長は、青木島遊園地廃止の理由を昨日になって「地権者は新たな土地利用を計画されており、関係者との調整を重ねてまいりましたが、これ以上 土地をお借りすることは断念せざるを得ない状況にあります。」と述べ、地権者への土地の返還が廃止判断の理由と述べられました。
そうなってくると、これまで市のHPで公表されてきた「廃止を判断した6つの理由」は はいったい何だったのかと言わざるを得ません。
この点についての説明、これまで掲げてきた6つの理由の意味と、なぜ市長の熟慮の結果がこれ以外の「新たな理由」であるのか、その整合性について、所管と市長の双方に質(ただ)しました。
これに対し 市長ならびに都市整備部長は「廃止の判断は あくまで6つの理由でありました。」と答え、それをもって地権者をも(廃止に向け)説得したとの答弁でした。
この発言は、後の項目につながります。
市長の上げた廃止理由は、いかにも「地権者自らが新たな計画を立てたから廃止」と聞こえますが、実際は逆ではないでしょうか。
8月22日の市長レク資料によると、昨年2月に、市の方から地権者に対し、遊園地を廃止する旨を説明し了承を得た、とされています。
地権者はそれを受けて、土地を塩漬けにするワケにゆかないので新たな計画を立てることになったものであり、元を質せば、遊園地を廃止し新たな計画を立てるよう仕向けたのは 他ならぬ市の方なのです。
それを裏付けるように、2月7日11時に所管職員が地権者を訪ね、廃止報告と現状復旧について説明しようとした際、地権者は「突然廃止にすると言われても困る。そもそも当時の関係区長がどうしても必要な遊園地であるため是非協力してほしいとお願いされたものである。そんなに簡単に廃止していいのか。」と強く疑問を呈し、それに対し理由をつけて食い下がる職員に「もういい。突然の話しで今は何をいわれてもダメだ。」と毅然とした態度で職員を追い返しているのです。
であるにも関わらず、市は遊園地廃止を言い張り地主を説得した。遊園地廃止は地主の意向ではなく市の仕掛けなのではないでしょうか。
このことについて、所管は市長にどのように報告し、市長はそれを受けてどう考えられたのかを質しました。
これに対し 市(都市整備部)は、一連の経緯を述べるだけで 市の〝本音〟の部分に言及ことなく終始し、市長も「反省」などを口にするばかりで、深層を語ることはありませんでした。
おそらく地権者は、市に説き伏せられる形で廃止を受け入れ、であるとするならば新たな計画を立てようということになり、その後、存続の世論が高まりに押されて住民説明会以降に、今度は存続できないかとの逆相談を受けたが「今さら何だ!」と突き返したことと思われます。
その、二転三転した末に地主に断られたのに、市は それ(地権者の最終判断)をもって「地権者の判断」としての廃止理由としたのでしょうが、そもそも苦情者の苦情に安易に屈し、あげく区長会を使って出さなくてもいい廃止要望を出させ、あげく止(とど)めは地権者の意向として廃止を判断するという、事(こと)の発端と理由の全てを市民に押しつける姿勢そのものが間違っていると言わざるを得ません。
これら一連の事(こと)の処し方について、どのように考えて対応したのかを質したところ、市(都市整備部)は「あくまで最終判断は市が行なった。」としたものの、その経過の中で主体的・積極的に動かなかったことへの振り返りの弁が聞かれることはありませんでした。
また、側聞すると、地権者は市の廃止連絡を受け、昨年7月頃に不動産業者を使って遊園地敷地の測量を行なっているとのことでした。
このことは、市長の言う「地権者の新たな計画」は、昨年の時点で既に始まっていたことを意味します。
このことと、きのう市長が明言した「廃止理由は地権者都合」をつなぎ合わせると、去る2月11日の住民説明会が意味をなさなくなってくるのです。
表向き市長は「住民の声を改めて聞きたい」として住民説明会の開催と出席を果たされ、そのことについては私も含め、その「逃げない姿勢」に内外から高い評価が送られたものでした。
しかし、その裏では、地権者に遊園地廃止を説明し了承を取り付け、地権者が新たな計画への着手を余儀なくされるもそれを容認していたことは、他でもない市民への背信行為であり、時間を割いて会場に足を運んだ280名もの地元住民はもとより、集会の推移を固唾を飲んで見守っていた多くの市民・もっといえば全国民に対する重大な裏切り行為であったと言わざるを得ません。
市長が、廃止の理由を地権者都合と言うのなら、あのとき「ニュートラルで考えたい」といった言葉は一体何だったのでしょう。市民の目を欺く美辞麗句だったのでしょうか。
あのとき、会場に集まった人たちは、市長が真剣になって話しを聞いてくれ、然るべき判断をしてくれると信じていました。
しかし実際は違っていた。地権者交渉は2月11日以降だと言ってみても、その下地はそのはるか以前に固められていたのではないでしょうか?
あのときも、市の廃止の理由は、相変わらずの6つの理由を朗読しただけでした。ことここに及んで、廃止の理由が地権者都合であるならば、なぜ集会の際にその経過を報告しなかったのでしょうか?
これらを踏まえ、住民説明会を行なった際の状況について質したところ、市(都市整備部)の答弁は「廃止の理由は あくまで「6つの理由」だったので…」のオウム返しに終始。
さらに市長に対し、住民説明会の時点で 一連の市と地権者とのやり取りについて知ったうえで集会に臨んだのか質したところ「知っていた。但し交渉の途中だったので言わなかった。」とのことでした。
市長は言いました「あくまでニュートラルで説明会に臨みたい。」と。
実際には廃止に向けてギヤが入っていたのです。これは市民に対する重大な背信行為と言わざるを得ないでしょう。
次に放課後児童の扱いについて質しました。
昨日の答弁の際、市長は、聞くところによる「オギワラビジョン」に基づく青木島小学校の校庭ならびに施設の活用する旨を羅列しておられましたが、その現実味はあるのか。直ちに実行されるのでしょうか。
聞くところによると、市の所管課が児童センターを訪れ、学校施設の活用について関係者に打診したところ、実際には 受け入れが春休みなどの長期休みが中心になること・校庭利用に向けては複数のスタッフ加配が必要なこと・狭隘な青木島小校庭においては、これ以上 とりわけ低学年児童を遊ばせることは新たな事故の危険性があることなど課題が多く、周辺環境が現状のままでは、もし遊園地を廃止しても直ちにその代替の役割を果たすことは現実的に困難であること、あまりのリスクの大きさに直ちに低学年児童を学校利用に混在させることは不可能と回答されたそうですが、その厳しい結果は市長の耳に届いているのでしょうか。
市長への報告の状況について質したところ、市(こども未来部)は「今後想定され必要となる さまざまな対策について報告しました。」旨の答弁でしたが、児童センター関係者が「現時点では(対応は)無理!」と突き返した〝現実〟まで具(つぶさ)に報告されたかは懐疑的でありました。
さらに、学校施設の活用に伴い 支援員などのスタッフの加配が求められ、所管で対応しているとのことですが、加配したスタッフは 当然に保育士などの有資格者であるべきですが、現在の状況はどうか質したところ、青木島児童センターにおいては退職者が相次ぎ人員が不足している中、若干名を採用したが、それらは有資格者ではないとのことでした。
今後、他の施設からの応援も含めて対応するとのことでしたが、人員配置については難航している様子が窺(うかが)えました。
このこと(スタッフ)については、現場の人からも「言っては何ですが、誰でもイイというワケではなく 単なる数合わせでは困ります。資格を持ったうえで 目配り・気配りの効く人じゃないと、とても放課後児童の安全は守ることはできません。」との声もあり、(今後の手配が)非常に心配されるところです。
また、市民から「学校への移動の際などに何かあるか心配です。」との声が所管課に寄せられたとき「あ、それは保険に入っているから大丈夫です。」との実に子どもへの配慮に欠けた事務的に回答されたと嘆きの声が寄せられたことから、その事務的対応についてどう考えるか見解を質したところ、市(こども未来部)は「万が一のときには保険対応するので大丈夫です、という説明だったハズですが、伝え方(伝わり方)が悪かったなら謝罪します。」とのことでした。
このことについては了(りょう)としましたが、非常にナーバスになっている保護者対応に当たる所管課の対応如何(いかん)で 長野市全体のイメージが左右されることを肝に銘じてほしいところです。
この度の遊園地廃止と児童の学校施設受け入れなどさまざまな変更は、児童センターの上位機関である市社会福祉協議会の職員も寝耳の水との声が聞かれていますが、社協との情報共有はされているか質したところ「新たな体制については これから」とのこと。
市長の言う「オギワラビジョン」は、裏付けのないまま進んでいるようです。
また 隣接する保育園においては、交通事故等の危険の可能性を背負いながら遠くの場所への「お出かけ保育」を余儀なくされていますが、この状況、徒歩0分に安全な遊び場があるのに遠くに行かなければならない状況についてどう考えるか、見解を質したところ、市(こども未来部)からは、お出かけ保育の大切さを説明されると同時に、交通安全については万全を期しているとのことでありました。
いずれにしても、未満児さんが遊園地を使えなくなることは残念の極みでありましょう。
さらに 市長は昨日「学校内の施設や今後見込まれる余裕教室を使って、子どもプラザへ統合することで、放課後も学校外に移動することなく、安全に伸び伸びと過ごせるようにしてはどうか」と明言されましたが、そのプランは現時点で青木島小学校に伝達され、学校の了解は得られているのか、教育委員会に状況を訊いたところ、ここでもやはり「これから」との答弁でありました。
このことからも、さきに本会議で市長がブチ上げた「オギワラビジョン」は 現場の裏付けの無いまま、市長の「思い」だけを語ったもののようで〝課題はこれから〟の感…懸念だけが募るところでありました。
また昨日、私が市長答弁の内容と共に驚いたのが、市長が その(遊園地廃止)発言の直前に、質問議員から「子どもの権利条例」の発言が出されたこと賛同し「私も「子どもまんなか社会」に向けて共々に取り組みたい。」と言った、その舌の根も乾かぬうちに「青木島遊園地は廃止します。」と言ってのけたことでありました。
この真逆の主旨の発言を続けざまに行なったことには、耳を疑うばかりでした。
遊園地の存続こそが、国連の定める「子どもの権利条約」の第31条にある「子どもが休息し かつ余暇をもつ権利」さらに「子どもが文化的、芸術的、レクリエーション的および余暇的活動のための適当かつ平等な機会の提供を奨励する」を遵守するところであり、これに反することは、本市がめざすべき子どもの権利条例の上位規約である国連条約に背くことになってしまうのです。
この、いわば矛盾する発言について市の姿勢を質したところ「子どもの遊ぶ権利を守るために小学校校庭を整備します。」旨の答弁。
それに対し「子どもたちは 他でもない青木島遊園地で遊ぶことを「子どもの権利」として主張しているんです。」かみ合わないやり取りでした。
そして、市長の言う「オギワラビジョン」青木島版の実現のためには、相当の時間がかかることが想定されますが、この間の「子どもの居場所」についてはどのように確保するか、その見通しについて質したところ「できるだけ早く」とのことでありましたが、後の同僚議員の質問では 遊園地廃止後スグに転換は無理であることが明らかになったことから、今後 他でもない放課後児童にしわ寄せが出るのは確実な情勢であります。
一連のやり取りを通じて、改めて 青木島遊園地廃止は「出来レース」だったことが再認識されました。
そしてその結末は、(前掲のとおり)そもそも苦情者の苦情に安易に屈し、あげく区長会を使って出さなくてもいい廃止要望を出させ、あげく止(とど)めは地権者の意向として廃止を判断するという、事(こと)の発端と理由の全てを市民に押しつける姿勢そのものが間違っていると言わざるを得ません。
こと ここに至れば、苦情者の苦情そのものも演出だったんじゃないかと思わされるほど 市への疑心暗鬼は膨(ふく)らむばかりであります。
そんな顛末に 市職員自体も振り回され始めています。
何より、これまで不自由を強いられてきた放課後児童が、さらに可哀想な状況に置かれるのではないかと思うと 不憫(ふびん)でならないところです。
関係するみんなが笑顔になれない状況…たかが遊園地存廃の問題が、されど市民益に関わる 自治体運営の根幹に関わる事態になりつつあります。
このまま「遊園地廃止。これにて一件落着。」というワケにはゆかないでしょう。
質問時間も最後に近づき、私の個人質問に向けて 青木島地区に住むお子さんから「しちょうさんへのおてがみ」が寄せられたことから、議場で披露させていただきました。
市長さんへ
公園をなくさないでください。
なぜかというと 公園がつくられるのはうれしいですが、なくなるのは とても悲しいです。
わたしも悲しいです。
あそんでない子はあそびたくてもあそべません。
もう一度 考えなおしてください。
しちょうさんへ
しちょうさんは、まえのせつめいかいで、あそんでもいいといっていましたが うそですか。
なくなったらあそべません。
わたしは まだまだずーっとあそびたいです。
なくさないでください。
市ちょうさんへ
しちょうさんは「子育てしやすい町」といっていましたが 今はどうですか?
しやすいですか、わたしは とてもしにくいと思います。
もう一度考えてください。
健気(けなげ)な子らが 一生懸命書いた「しちょうさんへのおてがみ」胸が詰まる思いです。
議場で効いた荻原市長は、いったい何を思ったのでありましょうか。
最悪の答弁(発言)が、荻原健司長野市長の口から発せられました。
大きな社会問題となっている「青木島遊園地問題」について、1日に行なわれた本会議での質問に対し「青木島遊園地は3月31日をもって廃止し、4月中に覆土等したうえで地主に返却する。」と明言したのです。
この案件は、子どもの放課後の居場所を巡って大きな論争を招くことになりました。
市が「区長会の要望により」を盾に 半ば一方的に進めた遊園地の廃止方針に大きな疑問の声が上げられ、署名活動や 存続を願う市民の会が興(おこ)され、やがてそれは大きなうねりとなって世論を喚起し、2月には地元住民を対象にした住民説明会までも行なわれました。
そこに自ら出席した荻原市長は、ほとんど全員の「遊園地存続を!」の声を肌で感じたうえで「廃止のままでいくのはどうかな と…」発言するなどして 事実上の廃止見直しを明言、そのうえで「皆様のお話を受け止めた中で、廃止のままでいくのはどうかなと。いろいろな状況を考慮しながら(市長たる)私の責任をもとに判断していきたい。」と述べるに至ったのでした。
このことから 私を含む多くの人たちは、市長は市民の心情に配して 然るべき判断をしてくださると期待を寄せたところでありましたが…。
先ず 案に相違して、議会初日の所信では明言を避けたうえで「さまざまな課題や制約を勘案する中で、近く、私が考える解決策をお示ししたいと考えております。」と述べ、結論を送りに送ったうえで飛び出した結論が「地権者がすでに土地使用の新たな計画を立てていたため、これ以上お借りするのは断念せざるを得ない状況」を理由に「廃止」でありました。
今までの経過は、いったい何だったのでしょう。
市(市長)の対応には、多くの疑問を呈せざるを得ません。
これまで長野市は、遊園地廃止について「6つの理由」を挙げてきていました。
青木島遊園地の廃止を判断した経緯について
↓
https://www.city.nagano.nagano.jp/n202500/contents/p005998.html
しかし今回 市長が挙げた廃止理由は、この6つには該当しておらず、つじつまが合いません。
また「地権者がすでに土地使用の新たな計画を立てている」と 今度は地権者のせいにしていますが、そもそも そうなったのも、市(所管課)が昨年2月に地権者に対し 遊園地の廃止を説明したことを受けて(廃止を)了解し、「(市が遊園地廃止というなら)新たな計画を立てなければ」となったものであり、事(こと)は長野市の方から仕掛けられたものなのです。
さらに、市長は「児童センター利用児童は青木島小学校の校庭で受け入れる」としていますが、聞けば その(受け入れの)体制(態勢)は全く取れておらず、いわばノープランのままに理想だけをブチ上げているようなのです。
等々、首を傾げたくなることばかりです。
・・・・・・。
市長が 本会議の場で賑々(にぎにぎ)しく述べた「私が考える解決策」が、これ(廃止)であります。
落語のオチにもなりません。
これでイイのでしょうか。
何より解(げ)せないのが、事(こと)の理由(責任)を、最初は区長会・次に苦情者・最後は地主と 全てを他人・それも市民のせいにして済まそうという「あざとさ」に他なりません。
こんなやり方で事態を切り抜けようとしている市(市長)には、不信感が募るばかりであります。
以前も述べましたが、私自身は 荻原市政に期待も寄せ、今回の案件においても やり方によっては市(市長)の支持率に大きく影響することを甚(いた)く心配しておりました。
しかし、事(こと)は 最悪の形で運ばれることになってしまったようです。
そんな中、2日には個人質問で登壇することになっています。
私の発言要旨については 事前に通告していましたが、今回の市長発言によって ご破算となってしまいました。
残念ながら いわばゼロベースで、前掲のような様々な疑問点について検証し、翻意を促してゆかなねればなりません。
非常に残念な顛末であります。