3月11日は、あの「東日本大震災」が発生した日です。
2011年3月11日午後2時46分に発生した 三陸沖を震源にした国内観測史上最大のマグニチュード9.0の巨大地震は、地殻の大変動に伴い 大きな揺れと巨大津波を発生させ「想定」というものを根底から打ち崩す大被害を沿岸部に及ぼし、人々の生命財産を根こそぎ奪っていったのでした。
この大震災に伴う 関連死を含めた死者・行方不明者2万2,212人と戦後最悪となり、あれから12年もの歳月が流れた今も 私たちの脳裏にトラウマとなって刻み込まれたところです。

あれから12年。長い年月が経過するも、例えば 東京電力福島第1原発事故による(福島県の)帰還困難区域は、東京都の約半分の面積に相当する322㎢に上及び、福島原発の影響等で 未だに故郷を離れた避難者は 未だに全国に約3万人もおられるとのこと。
私たちは これらのニュース(情報)を耳目にするとき「震災はまだ終わっていない」ことを実感させられるところであります。
そして…この大震災における「復旧のための公共工事」について、図らずも 現下に社会問題ともなっている「青木島遊園地廃止問題」が重ね合わさってしまうところなのです。
東日本大震災からの復旧のための予算は 2021年度までに約31兆5,000億円が支弁され、津波に襲われた沿岸部の土木やインフラ復旧などが 今も継続的に行なわれています。
[参考]復興の現状と取り組み =復興庁=
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https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat1/sub-cat1-1/202302_genjoutorikumi.pdf
この間 津波に遭った沿岸部においては、被災エリアの更地化と共に 居住地の高台移転等が進められ、また同程度の災害が発生したとしても被害に遭わないことを旨としての復旧工事が行なわれています。


想定をはるかに超える津波を記録した沿岸部においては 高さ7mにも及ぶ防潮堤が建造され、堅牢な沿岸部が整備されることとなっています。


これら ハード整備が進められる一方で「住民の心に寄り添った〝真の復興〟」という面で、12年間の〝時間経過の中身〟について考えさせられることも提唱されています。
確かに、未曾有の大震災を受け 国を筆頭にする行政体は、全力を挙げて復旧に取り組んでいます。
多岐に亘る復旧工事は、被災地を震災前の状態に戻し そのうえで「強靱化」の名の下に「災害に強いまちづくり」を期してインフラ等の再整備を行なっています。
一方で、その〝全力の取り組み〟が、果たして住民(この場合は被災者)の心に真に寄り添ったものであるか…この いわば究極の問いかけが、発災から時間が経過した今だからこそ出されて(問われて)いるのではないでしょうか。
言い方には不遜な面がありますが、行政というものは とかく「形」にこだわり 被災地であれば現状復旧・他の公共工事(事業)においても 従来の形に副(そ)ったものを基本として事業を遂行し、住民ニーズや 人々が実際には何を求めているかは後回しにして〝形づくり〟に傾注する傾向にあるものです。
そういう視点において、現下の長野市で起きた「青木島遊園地廃止問題」を この3・11に(やや類(たぐい)は異なるものの)つなぎあわせるとすれば、行政体が良かれと思って進める公共事業が 市民ニーズに則していないままに進められようとしていることに、違和感と危機感を覚えざるを得ないところです。
青木島遊園地については、災害ではないものの 不測の事態によって施設利用に支障が生じることとなり、その初期対応において齟齬があったために事態が膠着し ひいては行政判断により「廃止」が決定づけられています。
このこと自体にも大きな問題があったうえに、その事後の対応についても 側聞するところ、住民や利用者の願いとは大きくかけ離れた形で(公共事業が)進められようとしているとのこと…これに対し、果たしてそれでイイのか?との疑念の声がそこかしこで挙げられているのです。
長野市も「形」にこだわり事業を進めようとしており、そこには 主役であるハズの小さな市民(=子どもたち)の声は反映されていません。
「東日本大震災から12年」のニュースに触れ、地域の身近な問題についても 後になって悔恨することのないようにすべきと 改めて心にいたしたところでありました。

今や大きな社会問題となっている「青木島遊園地廃止問題」ですが、一連の経過の中で そこに「ここだけじゃない」と感じられる総体的な課題(問題)…いわば〝体質〟のようなものがあるのではないか との指摘があります。
障がい者(知的障がい者)支援に取り組んでいる ブレーンのMくんは、現下の遊園地問題を側聞する中で、とりわけ公的資金を預かる組織にありがちな〝体質〟を、ここ(遊園地問題)からも感じ取ることができると指摘していました。
「例えば市役所は 公務員試験を受かって市役所に入庁した職員がいて、また例えば市の外郭である障がい者支援団体には それなりの試験を通って勤務する職員がいるよね。彼らは 組織に入った時点で〝身分〟が保証されている。で、双方に共通するのが 組織の運営資金(予算)のほとんどが「公金」で占められているということだ。」
「自己資金を支弁して組織を運営する民間企業であれば、社員は創意工夫を重ねて 売り上げアップや自社の向上に最善を尽くすところだけど、残念ながら 市役所職員などの職種の者は(民間とは)明らかに違う。」
「彼らは 試験に受かって入庁した(できた)時点で達成感に浸り、その(入庁した時点)で目的を達成しちゃってるんじゃないか と思わざるを得ない。」
「〝(入庁の)後は恙(つつが)なく〟とか〝無事これ名馬〟というような感覚だナ。」
「で、そこで芽生え 長年に亘る勤務で培(つちか)われるのが、何いう〝保身〟じゃないか。」
「民間企業(社員)であれば、ときに自己犠牲を惜しまずクリエイト(創造)に汗をかき 自社の向上発展に全力を尽くす。その行為は、社内においては 評価されることはあっても非難されることは無い。逆に 努力を惜しんで漫然としている社員は叱咤されるほどだよね。」
「ところが…それが全てとは言わないけれど、公務員などの組織人においては 新たな挑戦は言わば御法度。前例を踏襲し いかに何事も無く過ごすかが美徳とされ、枠を少しでもハミ出そうものなら「余計なことをするな!」と叱責の声が飛ぶ。全く逆の世界。」
「そのうえ 多くの組織人は「責任」を負う(負わされる)ことを忌み嫌い 何か事(こと)が起きる(起こす)ときには、その事業の成否以前に いかに自分の立場が悪くならないようにするかに汲々とし、その結果 事業が本来進むべき方向に向かわなくても「マ いいか」と妥協する傾向にあるんじゃないか。」
「民間企業は、エンドユーザーのために自己犠牲を惜しまないけれど、組織人は まず自分。自分の身をシッカリ守ってから 相手に向き合う。もし自分の身が危ういとなれば 動かない。」
「そのうえで。」とMくん。
「今回の青木島遊園地廃止問題は、もっと その先を行っちゃったんじゃないか。」
「担当の職員は、一連のゴタゴタを経たうえで 自分たちの身を守るために、遊園地廃止という手段…いわば 遊園地を犠牲にして保身を図ったんじゃないか。いわば組織人の悪しき所作の究極型。」
「そのイチバンの残念は「手続きに瑕疵(かし)が無い」こと。彼らは 見事に自分たちの立場を守りながら、いわば巧みに遊園地を廃止に追い込んでいる。行政マンの手練(てれん)の際立つ行為だね。」
「でも、その陰(かげ)で泣かされているは誰か。民間でいうエンドユーザーにあたる「子どもたち」だよね。民間でいえば 最大限の努力を図って守るべきエンドユーザーを、行政職員は あろうことか犠牲にしてまで〝保身の方程式〟を成立させてしまった。」
「さらに言えば、行政職員はじめ公的組織の者の運転資金は 元をただせば我々が収めた税金だよね。でも、それは 残念ながら、彼らの意識の中では〝他人の金〟なんじゃないか。」
「だから、その支弁(使途)についても甘さが出たり、どう考えても合理的じゃないのに そこへ振り向けるようなことができる。」
「今回の遊園地だって、存続させるのがイチバン経費がかからないハズさ。民間なら そのため(経費の最小限化)のために必死になるけど、彼らはそうじゃない。そこも併せて、残念にならないところだよね。」と。
この「組織の体質」を直す(改める)のは容易ではない。この点でもMくんと一致しました。
でも、そここそを改めてゆかないことには、社会状況そのものを変えることはできない。
その点でも 一致したところでありました。

今や大きな社会問題となっている「青木島遊園地廃止問題」ですが、こと ここに至って、この問題に対する見方が 二手(ふたて)に分かれていることを実感します。「もう終わりにしよう」という見方と「まだ終わっていない」との見方です。
前者を主張する人には「どう訊(き)いても、市長は「廃止」の一点張りなんだから もうどうしようもない」とか「本会議などで 市長が頭を下げて(謝って)いるんだからイイじゃないか」と言う向きがあります。
他方、後者の人は「遊園地の廃止プロセスは非常に不透明で、また 現在(これまで)の説明には矛盾点や事実誤認の面があり、とても納得できるものではない。市(市長)は引き続き説明責任を果たすべきだ」と言うものです。
私は と聞かれれば、無論「後者」の方。このまま幕引きすべきではないと強く思う者の一人です。
これまでも このブログで触れていますが、今回の青木島遊園地廃止問題については その経緯を調べたり、それぞれの関係者に照会するなどしたとき、その結果が「了(りょう)」とされるには程遠いものになっており、おかしいと思うと同時に そのような不詳な経過を辿っていることを非常に残念に思うところです。
そして さらに残念なことには、一連の結果を招くことになってしまったことに際し、市行政サイドは 市民(住民)にハッキリと分かる(納得できる)説明を履行せず、ときにこじつけ ときに理解できない理由をもって「説明した」とし、非常に釈然としなままに事(こと)を進めようとしており、多くの市民が何ともいえないストレスを抱えながら留め置かれているのです。
そのうえで、これまで この案件について熱心に取り組んでこられた人からは「市(市長)は、こと ことに及んだ中、改めて住民説明会を開くべきではないか。」との声が上げられています。
振り返れば、市(市長)は 遊園地の存廃が決まらない段階(実は もう決まっていたのかしれませんが)においては 住民説明会を開きました。
で、その場では結論を出さず「ご意見を承(うけたまわり)りました。それを踏まえて熟考します。」と言って会を閉じたのです。
実際のハラの中は別にしても。
その後、市長は 多くの市民の期待に背(そむ)く形で「遊園地廃止」を表明しました。
が、そこは本会議場。さきに集会に足を運んでくれた市民を初め、市民に面と向かって意思表示していないのです。
それについては、もしかしたら「市民の代表である議員のみなさんに説明した。」で済まそうとするかもしれませんが、それは話しのスリ変え。あまねく市民に対する説明責任を果たしたとは到底言えないでしょう。
で、このことについて 大手地方紙の記者が取材で、市長に「改めて説明会を開くつもりがあるか」旨の質問をぶつけたところ、氏は「(説明会を開くかどうか)地元区長会と相談する。」と答えていることが掲載されていました。


市(市長)は、ここでもまた「他人(ひと)のせい」にするのでしょうか。
青木島遊園地を 多くの市民の期待に反し、半ば一方的に廃止に追い込んだ市行政。
そのうえ そこに至る経過や理由については 判然としないままに自ら終止符を打ち (前掲のとおり)市民にストレスだけを残して次に進もうとしている姿勢。
ここはやはり、改めて市民に説明責任を果たすべきでありましょう。自らの意思で。
ところが、です。
説明会の開催については「地元区長に相談する。」とは。
もし「市長が廃止を決めたんなら、結論の出たハナシだから説明会はやらんでもヨシ。」と言われたら、それを大義として説明会を開かないつもりでしょうか。
さき(2/11)の住民説明会の後、市長は確かに言いました「区長に地域のことを任せ過ぎた」と。
それは、案件について より市が主体的に取り組むべきだったとの〝反省の弁〟と解釈できるところですが、その舌の根も乾かぬうちに「改めての住民説明会は地元区長と相談」とは。
その主体性を欠いた発言は「言ってることとやってることが違う」と言わざるを得ないところです。
市(市長)は、どうしてこうも言業不一致・矛盾に満ちた言動を行なうのでしょうか。
ここまでズレると、わざと市民感情を逆撫でするよう振る舞っているんじゃないかと思いたくなってしまうところです。
これら 未だボタンの掛け違え状態が続くままでは、この問題は終わったとは到底思えないのであります。

今や大きな社会問題になっている「青木島遊園地廃止問題」は、その存廃を巡って 長野市議会の本会議でも ときに激しい議論が展開されています。
この間 青木島遊園地を廃止に至らしめた経過について検証されましたが、残念ながら市長はじめ所管部長から明確でない(納得でき無い)答弁が散見され、私も含めて議員側から繰り返し質疑がされるも 「存続できない」旨の消極的な答弁が重ねられたところです。
また 答弁(説明)の中で、これも非常に残念なところですが、聞く側が納得できない というより、実際のところ(事実)に合わない説明が為(な)される場面もあり、この点については強い疑義を呈せざるを得ませんでした。
市(所管課)が関係者に行なった対応について、実際に行なわれたこと(対応)と報告(答弁)が違い、説明を重ねる(聞く)度(たび)に首を傾げ 議場では再質問を余儀なくされることにも。
で…これが非常に問題になってしまう(しまった)ところですが、議論の根拠となる 市(所管課)と関係者とのやり取りに等について記(しる)された「議事録」に、事実と異なる内容が載せられ それが独り歩きしていたり、職員が市長に経過報告する際 事実と違った内容を伝えていることが明らかになり、問題視されたところです。
例えば この日(6日)の本会議の個人質問で、市の所管(都市整備部)部長が、児童センターが 実際には21年3月まで遊園地で子どもたちを20~30人ずつで遊ばせていたのに、市長には「(児童はそれまでも)5人以下で遊ばせてきたが、その後も苦情を言われ2021年3月から一切遊ばせていない」と 事実と異なる説明をしていたと認めたのです。
このことは、過般の本会議で 市が地主と不動産業者とのやり取りを知りながら 市民(住民)にそれを伝えず説明会を開くなどしたことへの行政不信と併せて、市への信頼を貶(おとし)めることにもなってしまいました。
・・・・・・。
このように、関係者が たとえ他意が無いにしても、結果として 関係者(特に上司)への報告を、より自分にとって有利になるよう造作し そのまま上げてしまう行為…これは、何も この遊園地問題に限らず、事業体の中では実際にある行為だと思います。
しかしながら、それが 例えば市民生活の如何(いかん)に関わる行政事業だったり、また例えば障がい者さんなどの社会的弱者を守るべき立場の福祉事業などの場合、そのこと(事実と違う対応)の結果は そのまま公共の福祉に反する結果を招くことになることから、それは看過することはできないものでありましょう。
今回の一連の経緯は、奇しくも 現下の地域社会における とりわけ公的機関における構造的な問題を炙(あぶ)り出すことにもなりました。
で、この手の問題が露見する度に〝共通点〟として言えることは「向いている方が違う」ということではないか と。
今回の遊園地問題において 市行政サイドは、子どもの方を見ていない。
また、他の事業体における主宰者も、利用者やエンドユーザーに目を向けず、自らの団体や自身の保身のために 事実を曲げてまでストーリーづくりに汲々としている。
こんなことで、公共の福祉は守れるハズがありません。
そこにはシッカリとメスを入れてゆかなければなりません。

今や大きな社会問題となっている「青木島遊園地廃止問題」ですが、この件について、未だ市民の関心が非常に高いことを実感することとなりました。
この日 数十人が集まられている会合(行事)に出席したのですが、その際(そんなつもりは無かったのですが)突然の形で「情勢報告を」と乞(こ)われ、来る県議選の情勢や 市政一般について話させていただきました。
で、ひと亘りの話しの後「ところで、話題となっている「青木島遊園地廃止問題」ですが…」と言い始めた瞬間、聴衆のみなさんの身がグッとこちらに乗り出すような〝圧(あつ)〟が感じられたのです。
これは、この業界?にいると実感される 独特の「空気感」のようなものですが、人は とりわけ関心の高い話題については、何というか 耳目(じもく)をひときわこちらに寄せてこられるもので、この日の集会では やはり「青木島遊園地廃止問題」について、みなさんが知りたがっておられることを身をもって実感したのでした。
そのうえで、みなさんは何より〝ことの真相(真実)〟を知りたがっておられるんだ、との空気(雰囲気)が やはりひしひしと伝わってきたのでした。
この問題が表沙汰になってから相当の時間が経過しましたが、マスコミ報道の加熱に伴い 憶測も孕(はら)みながら様々な報道が流されており、多くの人は いったい真実がどこにあるのかハッキリしないままに、いわば報道(情報)に踊らされているような感もあります。
そこに輪をかけて、行政サイドによる説明も二転三転の様相を示していることから「真実は一体どこにあるの?」と、多くの人が何とも言えないストレスを抱えている様子が伝わってきたものでした。
その意を受けて 丁寧に説明させていただくと「そうだったのか。」とご理解いただくことができましたが、未だに多くの人が真実を知らないままにおられる現状は決して望ましいものではないと 改めて思わさらたところです。
そのうえで、改めて真実を確認したみなさんは「これまでの市の事(こと)の運びはおかしいよね。」と異口同音に話しておられました。
なお さらに細かい経過については、私のブログを読んで事態の流れをつかんでくださいと 併せてご案内させていただきました。
(前掲のとおり)時間は相当に経過し、人によっては「(廃止を)もう市長が決めたことだから仕方ないじゃん。」と〝もう終わったこと〟として済ませてしまおうとする向きもあります(それは残念ながら市(行政・議会)の中にも その意識があります)。
しかし、実際にはそうではない。
心ある多くの市民は 未だに「青木島遊園地廃止はおかしい」と思っており、にも関わらず 半ば廃止を強行した市の対応に疑問と反対の意を唱えているのです。
この日の会合(行事)を通じて、市民の間に 未だ青木島遊園地廃止に異論の意が根強くあることを再認識し、併せて、この問題が まだ終わっていないことをも再認識したところです。

青木島遊園地の存廃問題…荻原市長が出した答えは結局「廃止」でした。 3月1日、最大会派・新友会の代表質問に答える形で「遊園地は廃止とし、4月...
今や社会の大きな社会問題となっている「青木島遊園地廃止問題」は、開会中の 長野市議会3月定例会においても論戦の的となっています。
そんな中 市のリーダーである荻原健司長野市長は、議会初日の施政方針演説の中で「未だ熟考中」としたうえで「近く私の考えを示す」と皆に大きな期待を抱かせたあげく、結局「廃止」を打ち出して大きな落胆を誘いました。
そのうえ、その廃止理由が 今間まで尾首(おくび)にも出していなかった「地主の意向」とし、さらに詰問(きつもん)を受ける中で、例えば2/11に行なった住民説明会の時点でも 地主に借地期限の再延長を交渉している事実を(市民に)報告しないままに市民と向き合っていたことを認め「二枚舌の背信行為」と激しく非難されることになりました。
この顛末は、市が 自らの都合で、区長会(=一部の市民)との取り交わしだけで 土地の返却を(地主に)申し入れておきながら、その後の存続を願う世論に慌てた中で 再び地主に話しを元に戻してくれと乞(こ)うも「何を今さら」と断られた、まさに自業自得を絵に描いたようなお粗末対応でありました。
で、さらに問題視されているのが その間の市(市長)の言動です。
廃止を巡って 発言も二転三転を繰り返し、極めつけは 2/11の住民説明会。
「フラットな気持ちで住民の声を聞きたい」と、いかにもまだ何にも決まっていないような口ぶりで多くの地元住民を集め、その後で「廃止だけでいくのはどうかな…」などと 廃止見直しを匂わせるような発言をして、多くの市民を〝その気〟にさせておきながら 出した結論が「地主都合で廃止」です。
で、あろうことか この間、市(市長)は 地主と借地期限中途解約の手続きを進めており「フラット」どころか大きく廃止に向けて傾いていたのに それを隠す格好で市民と向き合っていたのでした。
こんな理不尽がありましょうか。
今回の顛末は 道義的にも許せないとの思いを強めると同時に、一方で なぜ市(市長)は、こんな風に市民にウソをついてまで「廃止」に拘泥するのか 不思議にさえ思えるところでありました。
せめて、新たな体制(放課後児童の学校施設での受け入れ)が整うまでの間まででも 借地期限を延長してもらえばイイじゃないか。私だけじゃなく、多くの関係者が思うところです。
そんな中、不動産事情に詳しい御仁(Aさん)が 私にこう話してくれました。
「長野市は、もう のっぴきならないとこまで来てるんじゃねーか。」
「去年の段階で 市(担当課)は、地主が「住民の意向と違う」とのまっとうな理由で土地の返却に反対していたのに、それを説得する形で あくまで廃止を申し入れた。それを聞いた地主は 市の(廃止への)ハラが固いと判断して(廃止を)受諾、そうなれば その後は後利用計画へ一直線さ。」
「市は、地主とは それほどの廃止契約は進めてなかったと言うけれど、他方 地主と不動産業者はかなりの事業(契約)を進めていたんじゃないか。そんなトコへ「案に相違して世論が高まったから やっぱりまた借地期限を延ばして…」などと翻意を促してみてもダメさ。ガキの使いじゃあるまいし。」
「たぶん「そこまで言うなら違約金を払え。」とでも言われてるんじゃねーの。オレならそうするね。ここまで振り回しといて「やっぱり止(や)めた」は ねー(無い)ってもんだ。」
「で、サ。」とAさん。
「一番の罪は、住民説明会だ。」と断じます。
「だって 市(市長)は知ってたんだろ。もう 状況がのっぴきならないとこまで来てることを。」
「なのに、それを一切カオにも出さずに「フラットな状態で(意見を)聞きたい」だって?何がフラットだって。市はみんな知ってたんじゃねーか のっぴきならないことを。」
「後でそれを聞いて、オレは思い出したね。終戦間際の大本営発表を。」
「多くの戦地が玉砕 ゞ で敗走しているのに、軍の幹部は 本陣でふんぞり返って、あげく国民には「わが損害は軽微なり」と事実と全く違う報道を流させて場を繕(つくろ)っていた。あれと全く同じじゃねーか。」
「で、これが そもそも悪気(あこぎ)な市長ならまだイイ。ところが、荻原市長はスポーツマンの金メダリスト 清廉潔白をモットーとしていた人だから、その人が表裏(おもてうら)のある行為を承知してた。この 高いとこ(清廉さ)から落ちた(ダーティーな)イメージ悪化の落差は大きいんじゃねーの。」とも。
最後にAさん「荻原市長は完全に失敗したな 今回のジャンプを。部下に押されてジャンプ台を飛び出したのはイイが、世論という風に押されて飛型を崩し 今や大転倒の様相だ。負ったケガが大きくなければイイけどな。」と。
誰がどう見ても理不尽にしか映らない顛末は、第一義に子どもたちの居場所を奪ったままに推移するだけではなく、メダリスト市長をも転倒(=支持率低下)に貶(おとし)めることになってしまいました。
残念に他ならない、これまでの諸行であります。

開会中の長野市議会3月定例会は「本会議」が行なわれていますが、今や大きな社会問題となった「青木島遊園地廃止問題」についても議論が集中することになり、私も含め 多くの議員がこの件について取り上げることになっています。
それら さまざまな議論を通じて、さまざまな事実や経過が炙(あぶ)り出されることになっており、で…これは非常に残念なことなのですが、長野市行政(事業)の実態が白日の下(はくじつのもと)に晒(さら)されることになっています。

きのう(2日)のブログ記事でレポートしたとおり、私の個人質問においては 市が青木島遊園地を廃止に至らしめた経緯の中での矛盾点を指摘し、それに対し明確な答弁もないままのやり取りが交わされました。
荻原市長は 半ば唐突な形で「熟考の結果」としながら、遊園地の廃止を「地権者の意向」とし、またも廃止の理由を市民に押し付ける形で事態の幕引きを表明しました。
この顛末については、私も含め 多くの市民は納得できるハズもなく、大きな疑問と反論の声が上げられています。
「苦情者のせい」を理由に、昨年の早いうちに(まだ借地期限が残っているのに)地主に(遊園地の)廃止を持ち掛け、一旦は(地主に)断られるも廃止決定を押し切りました。
そして、遊園地設置の経過を逆手に取った形で「区長会の判断」として〝遊園地廃止の要望書〟を出させ 廃止手続きを〝粛々と〟進めさせ、あげくは「地主の都合」を唐突に廃止理由の筆頭に掲げてきたのです。
その顛末の全てを「市民のせい」に責任転嫁したような事(こと)の進め方には、行政不信しか残らないところでありましょう。
そのうえ、さきの私の質問の中で いわば「新たな行政不信」が明らかになってしまいました。
前掲のとおり、市(公園緑地課)は 昨年の早いうちに遊園地の廃止について地主を了解させたのですが、地主は それならと、土地の後利用について 現地測量などに動き始めたのですが、市はそれを「民(みん)のこと」として承知しながらも看過し、そして、他でもない市長ご自身も そのことを承知しながら市民対応に当たっていたのでした。
その後 市は、遊園地存続の機運が高まったことを受けて 半ば慌てた形で地主に対し「土地返還の延長」を申し入れていましたが、実質的に暗礁に乗り上げていたようです。
そして…これは極めて残念なことなのですが、去る2/11に行なわれた住民説明会の時点で、市長はじめ市は このこと(地主の後利用計画と交渉)を知りながら、その事実を億尾(おくび)にも出すことなく説明会を開催、300人に近い住民に 時間を割いて足を運ばせることとしたのです。
その際 市長は、まるで何も決まっていないかような顔つきで「フラットな状況で意見を聞きたい」と言い切り、それを信じた市民は 自分の思いを温め市(市長)に訴えたのでした。
しかし、その裏では「廃止」がほぼ決定的となっていたのです。
この いわば事実経過の隠ぺいについて市(市長)は「遊園地の利用継続について地主と交渉中だった」などと釈明したものの、市民 とりわけ地元住民にとっては「信頼を裏切られた」との思いが強まるばかりでありましょう。
さらに、遊園地の廃止方針に併せて示された 隣接の小学校施設を活用し放課後児童の居場所を確保するとされる「オギワラビジョン」についても、状況を詰めてゆくと 児童センターの上部機関である社会福祉協議会や、施設を利用する小学校との協議は進んでおらないとのこと。
いわば 空手形(からてがた)を切っている状態のようなのでした。
にも関わらず「できるだけ早い時期に 青木島遊園地に代わる居場所を整備します。」というのは、何ともアテにならない話し…これでは 他でもない子どもたちの環境は改善されるどころか劣悪を極めることになりかねない状況です。
そして この日(3日)、また 新たな事実が明らかになることに。
この日の議員の質問への答弁で、遊園地の廃止に向けて必須事務である「開発許可」が 未だ出されていないこと、そして、これは あくまで仮定の話しですが、一旦 遊園地廃止→後利用計画が出された以上、借地期限の延長(3/31)を更に延長するときには「違約金」が生じるのではないか という観測が出されたのでした。
この二つの分析は、相反する意味合いをもっています。
つまり、担当課(公園緑地課)が遊園地の廃止を決めていても、片や許認可の所管課(建設指導課)が開発許可を出さなければ開発はできず、遊園地廃止に向けた工事は行なわれないことに。
一方、借地期限の延長を3/31と定めた以上、それを延長して遊園地を存続させれば その時点から、市は事業者に「違約金」を支払わなければならなくなるのでは、という説もあるとのことなのです。
市民の理解を置き去りに進められている 遊園地廃止の手続き。
その期限は3/11に〝固定〟されており、それを動かすことで生じる さらに複雑な事象。
状況は一層悪い方向に、何より 子どもたちにとってマイナス方向へと動き続けていると言わざるを得ない状況にあり、忸怩たることこのうえないところであります。

昨日(3/2)、長野市議会3月定例会一般質問で登壇しました。前日の3月1日、他議員からの青木島遊園地に関した質問に対する市長の答弁を受け、私は、市が下した最終判断の内容に理解が及ばず、通告済であった質問項目の順番を入れ替え、青木島遊園地のみの質問となりました。ちなみに、通常であれば質問原稿を念入りに作成するところでありますが、午前中の同僚議員の質問及びそれに対する答弁を踏まえ、ほぼ、ぶっつけ本番で質問に臨みました。その概略をご報告させていただきます。
以下、私の質問内容です(議事録未入手のため、答弁は後日、別途掲載します)
<冒頭>
これまでの議論、市長の答弁をお聞きし、私が当初予定していた質問項目の順番を入れ替え、質問せざるを得ない状況となった。私のみならず、多くの市民、特に、地元の子供たち、住民にとって、大きな衝撃であり、大変ショッキングな結論だ。
<修正が必要な最終判断の理由>
市長が、廃止判断について、地権者の意向を理由としていることに大変な違和感を覚える。昨日(3/1)の市長答弁の「市が昨年、地権者に対し、廃止方針を示し、今年度いっぱいでの現状復旧を申し入れて以降、地権者が新たな土地利用を計画されている」ことと、引き続く論戦で「2月11日の住民説明会を経て、2月中旬に関係者との調整を行った」との答弁から、地権者の行動(新たな土地利用を模索すること)は、至極当たり前のことだ。
仮に、関係者との調整(本年2月)の中に地権者が入っていたのであれば、地権者に、概ね1年前に、廃止方針を示し、今年度いっぱいでの現状復旧を申し入れて以降、先月中旬まで、遊園地として継続利用について交渉をされてこなかったこととなる。よって、地権者の新たな土地利用計画を廃止決定の理由とするのは不適切であり、筋が違っているのではないか。「地主の方が新たな土地利用を計画されているから」との理由は修正すべきだ。
<この期に及んで、土地の継続利用はそもそも無理がある>
概ね1年前に、来月末で廃止と伝えているにもかかわらず、2月11日以降の段階で土地利用継続に関する調整(継続のお願い)に応じて欲しい、など無理がある。本年2月11日に開催した「住民説明会」の時点において、存続に向けての最大の課題は「土地の継続利用」だったのではないか。
<なぜ、施政方針(2/22)で示さなかったのか>
本定例会初日の市長施政方針演説において、青木島遊園地の課題として「周辺の住環境、子育て環境等、顕在化してきた課題を含め、総合的に改善・解決していく必要がある」、また、「近く、私が考える解決策を示す」と述べられた。2/22議会初日において、既に廃止決定の結論が出ていたのでは。なぜ、施政方針の際に、昨日(3/1)の答弁内容について説明されなかったのか。
<来月に迫った新学期に間に合うのか>
市長は、青木島遊園地問題の改善・解決策として「長期展望として学校の空き教室活用、青木島小学校敷地内への遊具増設、保護者の送迎用駐車スペース確保、校庭の開放、青木島保育園、児童センターの活用」を挙げられ、関係部局に検討を指示した、と述べられた。概ね1か月後には新学期が始まる。改善・解決策は、新学期に間に合うのか。
以上ですが、納得のいく答弁とは言い難い状況でした。更に、本日(3/3)繰り広げられた議論においても納得できる答弁とは言えず、でした。正直、私は、市長がこれまで会見等で、存続に向けた前向きな発言をされている、と受け止めてきました。青木島遊園地を巡る顕在化してきた課題解決に向けた取り組みを進めながら、少なくとも、廃止の延期、凍結等といった一歩前進した結論に繋がるのでは、と大きな期待を寄せておりました。
質問とは「わからないことや知りたいことなどを問いただすこと」です。私を含め、今定例会で複数の議員から青木島遊園地に関する質問がなされましたが、かみ合う場面がほぼありませんでした。残念でなりません。おそらく、来週の一般質問においても取り上げられると思いますが、説得力のある、多少なりとも納得のできる答弁を期待したいところです。
昨日(3/2)、長野市議会3月定例会一般質問で登壇しました。前日の3月1日、他議員からの青木島遊園地に関した質問に対する市長の答弁を受け、私は、市が下した最終判断の内容に理解が及ばず、通告済であった質問項目の順番を入れ替え、青木島遊園地のみの質問となりました。ちなみに、通常であれば質問原稿を念入りに作成するところでありますが、午前中の同僚議員の質問及びそれに対する答弁を踏まえ、ほぼ、ぶっつけ本番で質問に臨みました。その概略をご報告させていただきます。
以下、私の質問内容です(議事録未入手のため、答弁は後日、別途掲載します)
<冒頭>
これまでの議論、市長の答弁をお聞きし、私が当初予定していた質問項目の順番を入れ替え、質問せざるを得ない状況となった。私のみならず、多くの市民、特に、地元の子供たち、住民にとって、大きな衝撃であり、大変ショッキングな結論だ。
<修正が必要な最終判断の理由>
市長が、廃止判断について、地権者の意向を理由としていることに大変な違和感を覚える。昨日(3/1)の市長答弁の「市が昨年、地権者に対し、廃止方針を示し、今年度いっぱいでの現状復旧を申し入れて以降、地権者が新たな土地利用を計画されている」ことと、引き続く論戦で「2月11日の住民説明会を経て、2月中旬に関係者との調整を行った」との答弁から、地権者の行動(新たな土地利用を模索すること)は、至極当たり前のことだ。
仮に、関係者との調整(本年2月)の中に地権者が入っていたのであれば、地権者に、概ね1年前に、廃止方針を示し、今年度いっぱいでの現状復旧を申し入れて以降、先月中旬まで、遊園地として継続利用について交渉をされてこなかったこととなる。よって、地権者の新たな土地利用計画を廃止決定の理由とするのは不適切であり、筋が違っているのではないか。「地主の方が新たな土地利用を計画されているから」との理由は修正すべきだ。
<この期に及んで、土地の継続利用はそもそも無理がある>
概ね1年前に、来月末で廃止と伝えているにもかかわらず、2月11日以降の段階で土地利用継続に関する調整(継続のお願い)に応じて欲しい、など無理がある。本年2月11日に開催した「住民説明会」の時点において、存続に向けての最大の課題は「土地の継続利用」だったのではないか。
<なぜ、施政方針(2/22)で示さなかったのか>
本定例会初日の市長施政方針演説において、青木島遊園地の課題として「周辺の住環境、子育て環境等、顕在化してきた課題を含め、総合的に改善・解決していく必要がある」、また、「近く、私が考える解決策を示す」と述べられた。2/22議会初日において、既に廃止決定の結論が出ていたのでは。なぜ、施政方針の際に、昨日(3/1)の答弁内容について説明されなかったのか。
<来月に迫った新学期に間に合うのか>
市長は、青木島遊園地問題の改善・解決策として「長期展望として学校の空き教室活用、青木島小学校敷地内への遊具増設、保護者の送迎用駐車スペース確保、校庭の開放、青木島保育園、児童センターの活用」を挙げられ、関係部局に検討を指示した、と述べられた。概ね1か月後には新学期が始まる。改善・解決策は、新学期に間に合うのか。
以上ですが、納得のいく答弁とは言い難い状況でした。更に、本日(3/3)繰り広げられた議論においても納得できる答弁とは言えず、でした。正直、私は、市長がこれまで会見等で、存続に向けた前向きな発言をされている、と受け止めてきました。青木島遊園地を巡る顕在化してきた課題解決に向けた取り組みを進めながら、少なくとも、廃止の延期、凍結等といった一歩前進した結論に繋がるのでは、と大きな期待を寄せておりました。
質問とは「わからないことや知りたいことなどを問いただすこと」です。私を含め、今定例会で複数の議員から青木島遊園地に関する質問がなされましたが、かみ合う場面がほぼありませんでした。残念でなりません。おそらく、来週の一般質問においても取り上げられると思いますが、説得力のある、多少なりとも納得のできる答弁を期待したいところです。