長野市議会議員会派

改革ながの市民ネット

サッカーの「ロングスロー」に見る、結果追求かプロセス追求かの 差

2023年が幕を明け、それと同時に 正月の風物詩ともいえる様々なスポーツ大会が行なわれ、その熱い戦いを通じて 私たち観る者に興奮と感動を与えてくれています。

元日には「第67回全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)」が行なわれ、寒風の上野(こうづけ)のロードで社会人ランナーが凌(しの)ぎを削りました。

長野県佐久長聖高校出身の大迫選手が11人抜きの激走をみせ、強く印象に残るレースでした。

2日~3日にかけては、第99回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)が開催され、学生ランナーの激走に大きな感動をもらいました。

私としては、1区のスタート時からいきなり飛び出した 関東学生連合の無名とも言える選手の力走が、何というか痛快な感…思わず「そのまま行け行け!」と声援を送ったところです。

残念ながら「記録」には残らないところですが、確実に 私たちの「記憶」に残る好走でありました。

 

さて、駅伝の次は 高校サッカーの頂点をめざす「第101回全国高校サッカー選手権大会」の準決勝以上の対戦が、国立競技場で行なわれます。

12/29から1回戦が始まり、激戦を戦った末に4チームが勝ち残り それぞれに頂点をめざすことになります。

この戦いの中でも きっと幾多のドラマが生まれることでしょう。

 

 

ところで、取りわけ この全国高校サッカー大会の場で ここのところ多用されているのが「ロングスロー」であり、その功罪が 現下のジュニアサッカー界を揺るがしていることが伝えられているとのことなのです。

 

 

 

 

そのうえで、真に選手の将来を思うサッカー識者は「ロングスロー」の多用について警鐘を鳴らしており、私も その意見に共感する者の一人です。

 

 

 

この通底には「全国高校サッカー」のようなトーナメント戦=勝てば次の試合に出れる⇔負ければ終わり との〝ノックアウト方式の大会〟の功罪があると言われています。

ここには、ノックアウト方式の大会が複数開催される日本と リーグ戦文化が浸透している欧州などにおける、サッカーに対する価値観の違いが見られるとのことです。

例えば日本では 試合があった日に「どうだった?」と聞かれると、勝った負けたや何点差だったとかの「結果」を答えます。ところが欧州では、どんなプレーをしたか・どういうゲーム内容だったか などと「中味=プロセス」を話し合うそうなのです。

サッカー識者によると、サッカーとは 刻々と変化する状況に応じた判断力を求められ、いかに「創造性」を発揮できるかを争う競技とのこと。

そんな中での「スローイング」の位置づけです。

かくいう私は 中学~高校とサッカー部(弱小でしたが)に所属し、ゴールをめざして仲間とボールを追っていました。当然、試合中は幾度となくスローイングを投じてきたものですが、それが 現代サッカーにおいては「ロングスロー」によって あわやセンタリングというほどの長いボールを投じることにより、ロングスロー(センタリング)→ダイレクトでヘディング→一発で得点 との、いわば短絡的な中で試合を決着してしまうようになっていることは〝次代の流れ〟であると同時に、それが「勝利至上主義」のノックアウト方式の中で〝勝つためには手段を選ばず〟の勝つための手段に いわばなり下がっていることが問題視されているのです。

サッカー識者は続けて「同じスローインでも しっかりと味方に繋ぐには相当な工夫が要ります。タッチラインから5メートル程度の位置にいる味方を使って いかに次の展開に繋げていくか、それだけでも多様な戦術が求められるのに 育成段階からロングスローに頼ってしまって良いものでしょうか。それは勝つためには議論の余地さえないもので、まさに勝利至上主義の環境が 短絡な手段を生み出してしまったと言わざるを得ないところです。」

「では、なぜ欧州諸国などでは 育成年代の全国大会を行なわないのか、それはまさに過度な勝利至上主義が選手の害になることを知悉(ちしつ)しているからです。そのうえで、欧州各国がロングスローを推奨しないのは、もし選手がトップリーグに入ったときには、高身長の選手が多い中 いくらロングスローを放り込んでも跳ね返されるばかりで、戦略としては愚の骨頂になってしまいます。もし指導者が、将来 世界に通用する選手を育てようという高い志を持つなら、ロングスローに頼ることは無益なこと自明の理です。」としています。

さらに「勝つために手段を選ばないなら、確かに大きな選手をペナルティエリア内に置いて ロングボールを入れてこぼれ球を狙う。それは一番簡単な方法です。しかしそれでは、サッカーを真に突き詰めた中での結果としては 決して望ましいものではないと言わざるを得ない。」と結んでいました。

 

 

 

サッカーにおける「ロングスロー」の功罪。

このことは サッカーのみならず、教育全般・もっといえば 社会における人の行動にも共通する課題なのかもしれません。

結果さえ出るならば、課程(プロセス)は二の次。どんな手を使っても〝勝てば官軍〟じゃないか との考え方、他方、結果のつじつまさえ合えば、途中経過はどうでもイイじゃないか、との考え方は 当事者の真の成長につながらないと 私も危惧する者の一人です。

 

たとえ遠回りでも、真に身につく努力を惜しまず行なうこと。

その努力こそが長い目で見たうえでの財産になると思いいたすところです。

 

ただ 最後に申し上げれば、私はロングスローを全否定しているのではありません。これも立派な戦術の一つであることは大いに認めるところです。

ただ、ね。勝ったもん勝ちの〝ノックアウト型人生〟は、余りに世知辛いと思っているからこその見解の一つであります。

 

 

事態の真相・深層は ~新春記事に躍る、障がい者を支援すべき施設で常態化する「虐待」記事~

新たな年を迎え、ややもすれば慶賀ムードに浸る記事が掲載される 年頭の地方主要紙の一面トップに、現下の社会に内在する問題記事が掲載され 耳目を疑い 注目させられました。

飯田市の放課後等デイサービス(学校に通っている障害のある子どもを放課後や夏休みなどの長期休暇中に預かる施設)で、いわゆる「心理的虐待」が行なわれていたというのです。

 

 

 

記事によると、発達障害などの障害を抱える子どもが放課後に通う 飯田市内の放課後等デイサービス施設で、2021年度に「心理的虐待」に当たる問題が発生していたとのこと。

当時勤務していた元職員によると、発達障害のある子の首に「×」を記したカードを掛けたり 四つんばいになった子の背中を机代わりにして職員が連絡帳をつけていたそうです。

この元職員は 2021年4月にこの運営法人で働き始め、直後から複数の事例を確認したとのこと。施設内での会話の録音や写真・メモなどで一部を記録し 代表に相談したものの改善されないと判断したため同年12月に退職。22年1月に 約20件を飯田市に通報しました。

飯田市福祉課は通報を受け、障害者虐待防止法に基づく実地調査を実施。通報内容と 代表が職員から聞き取った報告を照らし合わせ、暴言や不当な差別的言動などの心理的虐待があったと判断し 長野県に報告したうえで、保護者への説明や改善に向けた取り組みを法人に指示し 今後も継続して指導するとのことです。

その一方で、市と県は問題自体をを公表していないとのこと。飯田市福祉課は取材に対し、心理的虐待と判断したことを認めたものの 通報があったうちどの事例を虐待と認定したのかや被害を受けた子どもの数・発生時期などの詳細を明らかにしていません。

長野県障がい者支援課に至っては、飯田市から報告を受けたこと自体も認めていないとのことでありました。

また 運営法人の代表は取材に「その状況だけを切り取れば、不適切と考えられる関わり方が複数あったのは事実」と話したうえで、改善に向けて職員に研修を受講させ 月1回のミーティングで虐待防止を話し合っているとのこと。

保護者には定期的に発行する通知で、虐待に関する通報があり行政指導があったことを伝えたとのことです。

 

今回の報道を通じ 同紙は「(事態/実態の)公表が無ければ、教訓を共有できない」と問題提起しています。

そのうえで、この手の問題について あまりに公表されていなさ過ぎる実態を伝えていました。

 

 

 

記事によると、今回の 飯田市の放課後等デイサービス職員による心理的虐待…厚生労働省のガイドラインは「障害の状態に合わせ、子どもが他者との信頼関係を経験できる支援をするよう(放課後等デイサービス施設に)求める」との大前提を示したうえで、今回の飯田市の施設は、そのガイドラインにも背(そむ)き 集団生活や意思疎通が苦手な発達障害の子どもらに心理的負荷を与えた可能性がありますが、県と市は その事実を公表していないこと、虐待の事実は いわばブラックボックスに封印され、例えば この施設利用者や家族は(事実を)知る術が無いことを指摘していました。

そのうえで、発達障害の子の増加を受け 放課後等デイサービス施設は全国的に増加していること、そして それに伴い、施設での虐待事案も増えていることを伝えています。

 

今回の記事の切り口は、同紙記者による 飯田市に通報した人物への取材でした。

当時、まさに現場に勤め その悪しき実態を目にした人の証言(それも実態を記録した録音・写真・メモあり)は揺るぎない証拠となりました。

ところが、障がい者福祉施設の虐待を担当する飯田市福祉課は、当初の取材に「個別のケースには回答しない」としていたのです。

そこで記者は 当該の障がい者福祉施設の運営法人に取材を進めると 飯田市から指導を受けたことが判明しました。そのうえでの取材に対し 法人の代表は「職員と子どもの関係が馴れ合いとなり、客観的に見たら虐待と思われる関わり方が普通になっていた。」と説明したとのことです。

それを受けて 飯田市福祉課に再度説明を求めると、心理的虐待があったことを認めたものの 相変わらず詳細は答えなかったそうです。

他方、長野県障がい者支援課は「県による指定の取り消しなどの行政処分をすれば公表するが、そうでなければ公表しない」としているとのことです。

都道府県は、障害者施設で虐待があった場合「障害者虐待防止法」に基づき 施設の種別・職員の職種のみを公表することになっているそうです。

それによると 2021年度分は未公表で、2020年度は県内の障害者施設で12件の虐待があったものの いずれも詳細は公表されていません。このうち1件は放課後等デイサービスだったとのことです。

 

 

[参考]長野県における障がい者虐待の状況 (長野県HP)

            ↓

https://www.pref.nagano.lg.jp/shogai-shien/gyakutaikensu.html

 

 

記事は最後に、福祉や保育の現場での虐待が全国で相次ぎ明らかになっている中、22年12月には 熊本市の乳児院で職員が乳幼児に「顔面偏差値低いよね」などと発言、市が心理的虐待と認定したことを地元紙が報じ 乳児院が記者会見を開いて詳細を発表したことを伝え、最後に 障害者虐待に詳しい弁護士が「放課後等デイサービスは 法律に基づき公費で賄われていることから、そこで子どもを心理的に傷つける行為があったと判断したならば 行政は被害者のプライバシーに最大限配慮した上で公表するべきではないか。」と指摘している、とまとめていました。

 

 

・・・・・・。

今回の 地方主要紙の〝一面トップ記事〟は、発達障がい者施設(=福祉施設)で 半ば常態化している虐待について、独自の取材で切り込んだことによる成果であると申せます。

そのうえで 先ず記事の内容について触れれば、この施設での「心理的虐待」が、利用者さんにとっては 暴力などの〝物理的虐待〟よりも 傷(=心の傷)を負う可能性があるにも関わらず、それが表(おもて)に出ない実態があること⇔それは行政においても同じ:傷害など刑事事件にでもならない限り公表に至らない実態にあることが問題視されます。

さらに、施設側においても 被害者の心理を余所(よそ)に「職員と子どもの関係が馴れ合いとなり、客観的に見たら虐待と思われる関わり方が普通になっていた」などと 事態を軽く見ている傾向にあることが ときに腹立たしく思えるほどです。

で…今回の事案において 非常に残念なことは、虐待の実態を把握・問題視したうえで 勇気をもって代表者に告発した職員が、それに対する施設(代表者)の対応に失望し、その施設を辞めるに至ってしまったことです。

いわば正義が悪に屈してしまった経過には 歯がみすら覚えるところです。

 

 

そんな中でも一筋の光明は、今回の事案をキッカケにしたのか どうやら同紙が この種の問題に対し、本気で取り組むことになったことが 併せ報じられていることです。

 

 

 

同紙では 4日付の紙面から「ふつうって何ですか? 発達障害と社会」として、発達障がいと社会との関わりについて連載を組むとのことです。

同紙(記者)が どのような形で発達障がい⇔社会について切り込んで(掘り下げて)ゆくのか、私の立場でも注目してゆきたいと思うところです。

 

 

今回の記事掲載は、私たち=社会福祉の在り方を訴求するグループ にとっても、大きなキッカケになることと思います。

私が 事(こと)につけてアドバイスを乞う「Gotaホップ」なるチームは、長年に亘り 長野市(内)の知的障がい者支援施設(団体)に内在する諸課題(諸問題)について追跡を続けており、まさに 今回の飯田市の事案と同種の〝見えざる課題〟について検証・掘り下げ活動を継続的に行なっているのです。

今回、飯田市の事案が マスコミ(新聞)手により公表(公開)の〝日の目〟を浴びました。

このことを(イイ意味での)轍(てつ)とし、長野市(内)における知的障がい者支援についても、その在り方について 市民みんなで考えるキッカケを提供できればと考え、関係者と協議を進めてまいりたいと存じます。

 

ただ…かかる「Gotaホップ」チームは、単に知的障がい者支援の現状を指摘することに止(とど)まりません。

障がい者支援事業における 虐待などの悪しき実態が有るや無しやの事実関係の解明はもとより、その奥底にあるもの…障がい者支援事業が、本当に障がい者支援に結びついているのか との「根本的な問題」に焦点を当て、それは 長野市の障がい者支援のみならず、社会全体の障がい者支援に対する問題提起につながることと確信し、取り組みを強めてまいります。

 

「新年早々…」というようなタイミングで掲載された、県内自治体における障がい者支援事業における問題提起の記事。

今年いちねんを占うような記事に、身震いすら覚えたところです。

 

 

年の初め

2023年/令和5年が幕を明け、初日の出の来光を仰ぐに至りました。

日の出と共に、今年いちねんが本格胎動となりました。

取り分け今年は 私(たち)にとって、統一地方選挙の〝選挙イヤー〟改選期になることから 旧に倍しての努力を重ねてまいる所存であります。

みなさまにおかれまては、改めてご指導ご鞭撻のほどを 重ねてお願い申し上げます。

 

 

 

今年の元朝は清々たる陽気で 初日も周囲に明るい陽光をもたらしてくれ、その神々(こうごう)しさに 思わず手を合わさずにおれませんでした。

今年いちねんが実り多きものになりますように。

 

 

 

時間経過と共に昇り続ける太陽は、八幡原公園の池に光の筋を投影していました。

 

 

 

何か、私(たち)に行くべき道を指し示してくれているよう…「迷わず真っ直ぐに進め。」陽光に激励されているかと勝手に思い、自らを鼓舞したところです。

 

池の鴨(カモ)たちは、穏やかに 浅く氷の張った池上(ちじょう)でまどろんでいます。

 

 

 

元旦の朝の、つかの間の平穏なひとときでありました。

 

ところが その後、実家のオフクロから電話があり「ストーブ(の火)がつかなくなった!」との〝SOS〟が入電?され (長野ことばで)飛んで行く事態に。

ウチのオフクロは、旧来からの「反射ストーブ」派なのですが、どうやら長年使ううちに火芯が減って 火が回らなくなったようで、本体に灯油は入っているものの 火芯はブスブス燻(くすぶ)るばかりで点(とも)ってくれません。

確か 物置に使わないでいる同型ストーブがあったハズ、と、2時間かけて物置をひっくり返し(苦笑)ホコリを払って入れ替えたところです。

オフクロからは「新年早々悪かったわね…」と詫(わ)びられましたが、考えようによっては この逆のケースだったらと思うと、背筋が凍るところ「こんなトラブルで済んでよかったヨ。」としみじみ言ったところです。

今回のオフクロのケースは ストーブの火が「つかなくなった」ですが、これが ストーブの火が「燃え上がった」だったとすれば…木造家屋などはひとたまりも無く全焼する惨事となることは まさに〝火を見るより明らか〟なことでありましょう。

 

 

社会の大きな節目である正月。さまざまな事項が〝全休モード〟に入るところですが、社会事案は それ(全休)を待ってくれません。

昨年の大晦日には、山形県鶴岡市の集落の裏山で 幅約100m・高さ20~30mに亘る土砂崩れが起き、住宅を含む約10棟が巻き込まれた突発的な自然災害が発生しました。今も住人の高齢夫婦との連絡が取れていないとのことです。

 

 

 

識者によると、集落が背にする小山の地盤(岩盤)が 風化によって脆(もろ)くなっていたところに、折からの降雪の〝雪解け水〟が大量に浸透したことで地盤そのものが重量を増し、それが臨界点を超えた瞬間に その深層部分からいきなり崩れる「深層崩壊」が発生したようです。

いずれにしても 年末年始のこの時期に容赦なく起きた自然災害には、その無碍(むげ)なることを嘆くばかりでありました。

 

 

また 観光名所でもあり、寒いこの時期には人々が癒やしを求めて足を運ぶ伊豆の温泉宿では 元日のこの日に火災が発生、宿泊客や従業員など約100名が避難することとなってしまいました。

幸い 死者は無いとのことで安堵したところですが、よりによって元日の火事とは 残念極まりないところです。

 

 

 

 

また 自然災害や火災とは類(たぐい)は異なるものの、私は取り分け 主に高齢者の「餅(モチ)が喉(のど)に詰まる事故」を大いに注意喚起するところです。

 

 

 

消費者庁によると、主に高齢者の〝餅による窒息死亡事故〟は、特に正月の三ケ日に多いそうです。

そこには「せっかくの正月だから せめて餅くらいは食べさせてあげたい」との〝家族愛〟があるところですが、そこに思わぬ落とし穴があることを自覚(自戒)したいところです。

高齢者は 加齢とともに▽歯の機能が衰えて 噛む力が弱くなる▽飲み込む力(嚥下/えんげ)が弱くなる▽せきで押し返す力(咳反射)が弱くなり、窒息が起きやすくなる とのことです。

その予防方法としては・餅を小さく切り 食べやすい大きさにする・先にお茶や汁物を飲み 喉を潤(うるお)してから食べる・ゆっくりとよく噛む などがありますが、私は特に「先にお茶や汁物を飲み 喉を潤(うるお)してから食べる」をお勧めするところです。

と いうのも、私の亡父が (餅ではありませんでしたが)やたら食べ物を詰まらす傾向にあり、そのときの主治医の「先にぬるいお茶を飲ませて」とのアドバイスによって改善された経緯があるのです。

このことは、餅を詰まらせるのが 男性(おじいちゃん)が比較的多いことに表れています。

女性(おばあちゃん)は、日常的にお茶を飲む傾向にあることから いわば 常に喉が潤っている状態にあり、餅を食べたときも スムーズに嚥下することができますが、こと男性(おじいちゃん)は お茶などを嗜(たしな)まず いきなり餅を食べる(飲み込む)傾向があることから、乾いた状態の喉の内側に 餅が貼り付いて詰まる、となってしまうようなのです。

いずれにしても、せっかくのお正月 大過なく笑顔のうちに過ごしたいもの、ちょっとした気遣いで 事故を未然に防ぎたいものです。

 

ここのところの 自然環境を含めた社会情勢は、本当に予断のならないこととなっています。

私たちは「正月だから何ごとも無し」との〝正常化バイアス〟に依(よ)らずに社会生活を送るを余儀なくされていると申せます。

 

新たな年に思う

旧年が暮れ、新たな年/令和5年を迎えました。

皆様には、昨年中のご薫陶に心から御礼申し上げますと共に、本年も倍旧のご支援ご鞭撻のほど 改めてお願い申し上げる次第であります。

 

顧みれば、令和4年もまた「光陰矢の如し」…アッというまに過ぎた日々でありました。

社会は未だコロナ禍の最中(さなか)にあります。

長野市においても、連日に亘り3桁の感染者数が報告されていますが、片や 社会経済の復興を期して様々な規制が緩和され、私たちは その2つの流れの中で社会生活を送ることになっています。

まさに〝コロナ過度期〟ともいえる時流の中で、新たな年はどのように推移してゆくのでありましょうか。

 

昨年は 私にとって、地道ながら「地域社会の状況を質(ただ)す」を緒に就けた年であり、今年は それをさらに〝深掘り〟すべく取り組む年といたしたく存じております。

長野市が進める「公共施設マネジメント」の進め方について、総務省の方針に盲従して施設の削減のみを進めようとする長野市の方針に警鐘を鳴らし、市民の方々と連携しながら〝廃止ありき〟の方針に(イイ意味で)待ったをかける端緒の役割を果たしてきました。

そのうえで その手法として、単なる反対運動ではない「意見交換」の場を設けることで、市民と行政が対等に向き合い意見を交わし 事態をより良い方向に導くことに努め、結果として成果に結びつけることができました。

このことは 私だけでなく、行政職員にとっても有為な経験となったことから、本年も引き続き かかる〝対話型手法〟で 内在する諸課題に向き合ってゆきたいと存じております。

一方で、取り分け市内の福祉事業について いわば根深い問題があることを知らされたことから、このことについても 今年は更に掘り下げながら諸課題に対峙してまいりたいと存じております。

但し、その取り組みの通底は「良くすること」…ややもすると課題に臨む場面においては、単なる追求や糾弾に終始しがちですが、私は そんな〝政治的パフォーマンス〟に終わらないよう、あくまで課題は課題として検証するものの そこ(検証・追求)で終わらせることなく、何というか「膿(うみ)を出し切ったうえで傷を治す」ような、事態を最後まで見届ける いわば責任感を心中(しんちゅう)に期したうえで課題に取り組む姿勢をもって 事(こと)に臨んでゆきたいと思っております。

その他、これまでも取り組む「スポーツコミッション」の意義に基づく 市内スポーツの在り方の検討や様々な地域課題など、やるべきことは枚挙に暇がないところでありますが 私の信条とする「一日一生」の意気をもって、全ての課題に全力を尽くしてまいる所存であります。

 

私の人生の中で、自らの引導により 多くのものを失い、そして 多くのことを学ぶこととなった 出直し人生。

その際に 私自身が出した結論…私の これからの人生に残された道は「地域貢献」ただ一つであること。

そのうえで 私の行動の指針は「みなさんのために 何ができるか。」それを最優先に考えて 生きてゆくことといたしました。

これからも試行錯誤が続くであろう人生行路の中で、迷ったときは「みなさんのために どうすべきか。」このことを指標に、令和5年も歩んでまいります。

〝読者〟のみなさん、私に心を寄せてくださるみなさん。こんな私を、これからも ときに温かく、ときに厳しく見守り続けていただければ幸甚に存じます。

 

早いもので、今年は改選の年。決意も新たに頑張ってゆきます。

今後とも どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

 

本年も大変お世話になり、ありがとうございました。

早いもので今年もあと少しとなりました。 この1年、おかげ様で元気に活動をすることができ、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。 本日は、朝から、地元神社の越年祭準備、その後、我が家の大掃除、挨拶周りを終え、無事に本年締めくくりとなる1日を無事、終えることができそうです(この後、22時30分から越年祭がありますが) 来年はうさぎ年です。穏やかに、そして躍動の年となるよう、何事にも全力を尽くして頑張ります。 少し暖かな大晦日ですが、皆様、体調管理にはご留意いただき、良いお年をお迎えください。 鈴木洋一拝

「思いやりの心」を持つべきだよね

去る日、実家のオフクロに頼まれ いつもの買い出しに(実家の)近所のスーパーに出向いたときのこと。

電話で聞き取ったメモを見ながら「え~と…塩ザケに豆腐、天ぷら粉にタマゴ…」と ひと亘りの買い物を終えてレジに並びました。

私の前にいるのは 妙齢のご夫婦で、カートから降ろした商品カゴを「ドスン!」とレジ台に置きます。

その勢い?に 私はややビックリしましたが、レジを預かる店員さんは 笑顔で「いらっしゃいませ。」と応じていました。

商品をスキャンする前に 店員さんは「〇〇カード(このスーパーの会員カード)はお持ちですか?」と聞いたのですが、その(笑顔の)問いに 旦那の方が「無い」と ぶっきら棒に一言。

それに対しても店員さんは「失礼いたしました。」と笑顔で応じていました(店員さん側に何の非も無いのに「失礼いたしました」です)。

そうこうしているうち(レジを打つうち)今度は 女房の方が「あ、レジ袋つけて。」と いきなりの一言。

それも、分かりますかね…私流に言うと〝アゴで物を言う感じ〟アゴ上げながら「レジ袋つけて」との一言。

それに対し店員さん「袋にはサイズがございます。Sサイズ・Mサイズ…」と言いかけると、その説明を折るように「L!」と 件(くだん)の女房は イラついたように言葉を吐き出したのでした。

このやり取りを見ていた私…こっちの方が腹が立ってきました。

この夫婦モンは 70才代でしょうか、それに応じるレジの店員さんは どう見ても20才そこそこ、何というか 親子・ひょっとしたら孫にあたるような年齢差のように見受けられるところでした。

そんな 親が子に接するようなシチュエーションの中なのに、この夫婦モンの不躾(ぶしつけ)で不遜(ふそん)な態度は何なのでしょう。

もしかしたら、自分の子供が社会で働く中で(接客などで)辛い思いをしてるんじゃないかなどと思いを及ぼせば、こんな年端の子(店員さん)に こんな態度は取れないハズです。

が、それは人それぞれの社会環境もあることから 私のそれ(ハラ立って思ったこと)は 単なる思い込みに過ぎないところではありますが…。 

その後 この二人は、会計が終わって「ありがとうございました。またお越しください。」の店員さんの呼びかけも〝ガン無視〟し、揃ってサンダルをズルズルいわせながら去っていったのでした。

で…そんな対応をされた店員さんでしたが、私の番になると 何ごとも無かったような笑顔で「いらっしゃいませ!」と 向き合ってくれ、その健気(けなげ)な様子に「メゲずに頑張って!」と心の中でエールを送ったものでした。

 

こんな レジでの(客の)高慢な態度…これは この場だけではないことが言われています。facebookのサイトでは「レジ業務あるある」が紹介されていました。

この投稿者さんは「お客の中では、ヤンキーなお兄さんより 団塊のオッサンの方がよっぽどタチが悪い。」とのこと。これは 私が見た事例に符合しますよね。

 

 

 

また、お客みんなに言いたい苦言も。

「態度悪い客があまりに多い。日本人が礼儀正しいのがウソだって 接客してるとよく分かる。もう義務教育で 人との接し方を学ばせないとヤバいと思う。」とまで吐露していました。

 

 

 

さらには 前掲の「レジ袋」関連で、こんな記事も。

妙齢の客のぶしつけな態度に、やはり妙齢の店員さんが正論で切り返す様子が伝えられていました。

そのとおりだよね。

 

 

 

 

謙譲と謙遜の民族と言われる日本人ですが、現状は決して芳(かんば)しいとは言えないようです。

考えてみれば これまでの日本の歴史の中では「士農工商」なる身分格差や 男尊女卑の意識など、いわゆる差別を助長する思考が定着していました。

そこへきての「お客様は神様」的な〝〇〇絶対論〟が日々エスカレートし「オレはお客様だ。文句あるか。」との傍若無人な振る舞い(今でいう カスタマーハラスメント)は 目に余るものがあります。

で このことは、このレジ対応に限らず、例えば煽(あお)り運転などの 悪しき社会現象でも顕著になっており、年の瀬に際し 由々しき思いを新たにさせられるところです。

 

どうかみんな「思いやりの心」を持ってほしい。

何らかの事象に接したとき、もし 自分が相手の立場だったらどう思うか。それに思いを寄せるだけで、ぶしつけな態度や暴言は鳴りを潜めてくれることでしょう。

何かと世知辛く、暗いニュースが多い今だからこそ、せめて人と人は温かい関係の中で時間を過ごしてほしい…年の瀬を迎えるに際し、心から思うところです。

 

「歳末警戒」に思う

年の瀬に際し、長野市消防団で 28日から30日にかけて、暮れの社会安全を期して 歳末警戒活動を行なっています。

この日(29日)は「本部巡視」として、所轄の消防局長・警察署長・市消防団幹部による 各分団へ激励のための巡回が行なわれ、夜気の中に団員が整列、激励のための訓示を受けました。

 

 

 

もとより消防団は、生業をもちながら ムラの社会安全維持の担い手として 火災・風水害等の「災害防御」や、火災を出させないための「予防消防」を行なうなどして、地域防災上 重要な役割を果たしていただいております。

特に 年末を控えたこの時期は、社会全体が慌ただしい中にあって 不測の事態が起こらないように警戒活動を行なってくださり、その不断の取り組みのおかげさまで 私たちは安心して年の瀬を迎えることができるところです。

 

社会は未だ〝コロナ禍〟の最中(さなか)にあり、消防団活動も さまざまな面でリスクを負うことになってしまっていますが、そんな逆境にも負けず 各団員さんらは「地域の安全は地域の者が守る」との崇高かつ強い意気をもって諸活動に挺身しておられるのです。

 

(火災現場での補助(支援)活動)

 

 

彼らの存在と その活動は、地域住民の社会安全を確実に守ってくれているのです。

各消防団(分団)においては、地勢や人口動態など取り巻く社会環境に差異はあれど「住民生活の安心・安全を守る」という点では共通しているところであり、これからも かかる崇高な意義を胸に活躍してもらいたいと 大きく期待するところです。

 

 

 

・・・・・・。

かかる崇高な使命を帯びた消防団活動ですが 一方で、世の中が どんどん世知辛くなる中、やれ半鐘(はんしょう)や拍子木(ひょうしぎ)の音がうるさいだの、積載車(消防車両)の赤灯が眩しいだのと 心無い声が寄せられ、消防活動も 何というか〝自粛ムード〟となってしまっていることが伝えられています。

このことは 消防団活動に止(とど)まらず、取り分けて市民の生命を守る救急車のサイレンに対しても「うるさい!」との いわば心無い声が投げかけられていることも知る中で、それらの情報に触れる毎(ごと)に 何とも残念な思いにさせられます。

 

 

 

 

で…ここのところ、いわゆる〝騒音トラブル〟が 非常に増えていると感じさせられています。

で 私は、そのトラブルの原因である「音」が、どのような形(根拠)で発せられているのかが いわば〝事(こと)の善し悪しの分岐点〟になっているのではないかと考えます。

①先ずNGなのが「故意に発生される音(=騒音)」でしょう。これは論外。

②それに対比されるのが「やむを得ない音」これは(前掲の)救急車のサイレンや、歳末警戒の半鐘など 「音」自体が 市民の安心安全を守る手段となっているもの、これは〝音を聞く側〟が受容すべきものと思います。

③あと 微妙なのが、(私流にいうと)「未必の音」これは悪意をもって発するものではありませんが、うるさいと思われても仕方が無いと思いながら発する音…例えば ご近所同士の会話や家事などで出る生活音・(そして 話題となっている)公園や庭での子どもの歓声などが該当するところでありましょう。

そのうえで最近は、②と③の音を受容できる 社会(近隣住民)のボーダーライン(臨界点)が下がってきている(=ちょっとした音に過敏に反応する)のではないかと 併せ感じるところです。

そこに、現下の いわば〝主張する社会傾向〟が手伝い、やや過敏な〝音への苦情〟が増えているのではないでしょうか。

 

いずれにしても 故意では無い音に関しては、どうにか受容してもらえないものかと しみじみ思うところです。が、その(音への)ストレスは当事者にしか分からないものですが、そこ(受容の要件)に「(消防団活動のような)社会的意義」を加味していただき 受容のボーダーラインを上げてもらえれば、昨今のようなトラブルは減るのではないか、もっといえば 聞こえる音を受容する意識と、それ(うるさいと思う気持ち)を心の中で溶解する「寛容の精神」を発揚してほしいと重ねて思うのです。

 

いずれにしても、消防団活動は 地域の社会安全の維持に欠かすことはできない。これだけは 私の立場でも確信をもって言わせてもらうところです。

 

ちょっと違うんじゃないか? 移住する世帯の子に100万円

夜のニュースで、政府(総理官邸)が「東京圏から地方に移住する世帯について、18歳未満の子どもを帯同した場合の「移住支援金」の加算を 現在の子1人当たり最大30万円から100万円に引き上げる」との方針を決めたことが報じられました。

このニュースに触れた私は「ちょっと違うんじゃないか?」と 違和感を禁じ得ませんでした。

 

 

 

 

これは、少子化が進む地方の現状に配慮した「地方創生移住支援事業」の一環とのこと。

移住世帯への 教育費など経済的な負担を軽減し、地方への人の流れを強化したい考え。東京23区に住んでいるか 東京圏(東京・埼玉・千葉・神奈川の4都県)から23区に通勤している人を対象とし、地方や条件不利地域に移住した場合 一定の条件に基づき都道府県と市町村が共同で支援金を給付するもので、国も自治体に補助するものです。

現在、1300弱の市町村で事業が実施されており、(現在は)1世帯が移住する場合 約100万円の支援金に加え、帯同する子ども1人当たり最大30万円の支援金が支給されています。

このうち 子ども1人あたりの加算金が100万円に引き上げられることで、1世帯あたりの支援金は200万円以上に引き上げられることになります。

 

 

 

(繰り返しますが)これを聞いた瞬間「ちょっと違うんじゃないの?」と思った私。

これって、私だけが抱いた感想でしょうか。

 

確かに、未だ わが国は〝東京一極集中〟の傾向が止まず、東京へ東京へと人が流出する中、地方に暮らす いわゆる現役世代の人口は減り、それに伴い地方の高齢化が伸張しているところです。この状況への対応・対策は喫緊の課題であることは共通認識とするところです。

ところが、その対処療法として「移住するなら200万」とニンジンをぶら下げる〝施(ほどこ)し策〟、果たして真の地方創生につながるのでしょうか。

 

類(たぐい)はやや異なりますが、今回の支援金事業に 私は、かつて行なわれた「アベノマスク」のバラマキ事業が思い起こされました。

この、いかにも霞ヶ関の官僚が考え出したバラマキ事業は、多くの国民の意識を何ら配慮することなく〝施す側〟の自己満足のままに(使いもしない)マスクがバラ撒(ま)かれ、結果 税金の無駄使いとなったものでした。

 

物事の本質を見極め 抜本的な対策を行なうのではなく、どこか場当たり的・対処療法的な対応である感が否めない。

真に地方に人を呼び込む・首都圏に暮らす人(世帯)に地方暮らしを促そうというのなら、先ずは地方の経済活性化・地方の産業力の強化などの経済対策や 地方の公共交通維持促進などの地方社会インフラ整備を行ない いわゆる受け皿を整えること、そのことで 人は自然と地方回帰に動くところですが、その具体的対策が見えないままに「カネをやるから地方に行け」的な考え方には 違和感を禁じ得ません。

さらに言えば、東京→地方移住の支援金は いわば〝片道キップ〟です。

問題は、(地方に)行ってからの日常生活です。田舎に行った後にも豊かな社会生活を送れる環境こそが整備される本質であり、それを無しに「とにかく田舎へ」と促すことは ある意味リスキーな面が多いのではないか。

そして 何いう、その資金元は国民から広く徴収した税金であり、それを この手のバラマキ事業に支弁することには、人によっては反発を招くことにもなるでしょう。

 

今回の支援事業に際し、ネットのコメント欄には やはり違和感を感じるとのコメントが寄せられています。

「政府の金の使い方は、昔の親分の仕切りのようで どこか「施(ほどこ)してやる」という匂いがする。地方経済の活性化など根本的なことをせず、手っ取り早く金で歓心を買おうとしているように見える。 税金はあなたの物ではないのだから もっと丁寧に検討して使わなくてはならない。」

「地方支援と言ってお金を渡すのは簡単だけど、一番大事なのはいかに地方で暮らし続けられるかだと思う。そのためには、地方での雇用の確保や いかに地方で仕事が見つけられるかということだと思う。人も金も首都圏にばかり集めるのではなく、地方にも流れるような仕組みを国民皆で考える環境をつくることこそが。国の責務だと思う。」

「地方の人口減少対策は長年学術的な研究に基づかない安易な政策を繰り返して、結果として幾多の失敗を重ねてきた経緯があります。 子供1人あたり100万円を配ったら問題は解決できるのか?転居した家庭の子供は、転居後に転居前と同じ程度の将来の可能性への機会を享受することができるのか?支援金を受け取っている間だけの移住で終わる可能性はないのか?多くの課題が未解決です。」

「政治ができることの一つは富の分配であるといわれますが、支援金や補助金で解決できる問題かどうかをまず判断しなければなりません。岸田首相の政策の特徴は、何も考えないで すぐに金を配って解決しようとするところにあります。 地方の生活環境や就労環境の問題解決は別のアプローチが必要です。」

 

 

我が国の焦眉の課題でもある 人口の一極集中傾向。

それを抜本的に解決するのは「支援金の増額」だけでは無いハズです。

 

 

第34回 女子全国高等学校駅伝競走大会で長野東高校が初優勝 !!

25日(日)、京都は都大路で開催された「第34回 女子全国高等学校駅伝競走大会」で、長野県代表の 長野県長野東高等学校陸上部女子駅伝班が、最終5区で逆転劇を演じ、みごと初優勝を飾りました。

 

 

 

 

未だ収束をみないコロナ禍など、なかなか明るい話題に恵まれていない地域にとって 一筋の光明ともなるビッグニュースとなりました。

これまでも触れていますが、長野東高校は 私の出身校でもあり、そういう点でも二重三重の喜びとなったところです。

 

長野東高陸上部の女子駅伝班は、前任の玉城監督(現 日体大監督)が就任以来 16年連続で長野県代表として都大路を駆け抜けています。

この間、初出場で8位入賞を果たし、その後は29回大会・30回大会に連続して準優勝に食い込むなど健闘を重ねており いわば「都大路常連校」として定着していますが、大会ごとに その順位は上がったり下がったりで、いわば駅伝の難しさを実感しながら推移してきたものでした。

 

 

 

その後、玉城監督が日体大監督になられた後を任された横打(よこうち)監督は、いわゆる〝玉城イズム〟を継承しつつ、長野東ならではのトレーニングを重ねてこられたのでした。

 

そして臨んだ今大会。

横打監督は、エースで3年生の村岡選手をアンカー(第5区)に配置する作戦を策し、いわば勝負を賭け、結果として それが見事に当たった形で初優勝をつかむこととなりました。

今大会では、優勝候補に挙げられていたチームが 軒並みエースを最長区の1区に起用、序盤から主導権を握ろうとする作戦で臨んでいました。

これに対して長野東の横打監督は、エースの村岡選手を敢えてアンカー(5区)に配置する作戦を執りました。

その背景には、選手の個性を十分に把握した監督の洞察力と 監督⇔選手との信頼関係が欠かせません。

横打監督は、村岡選手は一斉スタートで集団に揉まれる展開よりも 終盤に1対1となる展開でこそ実力を発揮するという(選手の)特性を見極め、敢えての形で(村岡選手を)アンカーに配置したそうです。

そのうえで横打監督は、そんな思い切った作戦でチャレンジすることを(メンバー配置により)他の選手に伝え、チーム全体として奮起を促すよう計(はか)ったとのことです。

 

そして、そんな監督の「思い」に 選手は見事に応えたのでした。

「エース村岡を5区に」この起用はチーム全体に刺激を与え、村岡選手に代わって1区を任された2年生の名和選手は「自分が結果を残すことが必要だと考えていた」と 各チームのエースに食らいつき、トップと6秒差の4位と好走しました。

その後も選手全員が区間上位の安定した走りを見せ、アンカーにつなぐ4区では 3年生の佐藤選手が区間賞の走りでトップと13秒差と逆転を狙える位置でアンカーの村岡選手に襷(たすき)をつなぎました。

 

 

 

ゴール後のインタビューで村岡選手は「トップとの差が思ったより近くて想像以上だった」と驚くほど。そして、期待どおり 得意とする1対1のレースで力を発揮したのです。

トップと13秒差で襷(たすき)を受けたアンカー村岡選手は、残り2km余りで先頭を走る仙台育英を捉え 一気に抜き去ります。

 

 

 

その後はリードを広げ、トラックに戻った彼女は笑顔でゴールテープを切ります。

 

 

 

1時間7分37秒の好タイム、チーム一丸となった走りで初優勝を果たしたのでした。

 

 

 

 

初優勝を演出した横打監督は「本当にすごい子どもたちです。思い描いていたレース展開となり成果が表れて良かったです。」とレースを振り返りました。

その上で監督の次の言葉は「長野の地域の方々に支えられて活動することができているので、恩返しすることができてよかった。」と語り、地域との結びつきを強調されていました。

アンカーとして逆転の立役者となった エースで3年の村岡選手も「自分でもびっくりしています。たくさんの方の支えがあったからこそ優勝をつかみとることができました。」と話し、監督・選手が共に〝地域とのつながり〟を吐露しておられました。

 

これまでも触れていますが、全国に数多の強豪校がいる中 長野東高ほど地域とのふれあいを深め、地域住民に愛されているチームは無いのではないかと強く思います。

長野東高は、決して恵まれた環境で練習を重ねているのではありません。

遡(さかのぼ)ること平成17年、地元住民の強い要望を受け私が仲立ちとなって 犀川の河川敷の「アカシアの杜」なるマレットゴルフ場を地域の方々の手造り・手弁当で造成した際、その隣りに やはり手造りのサーキットコースを設(しつら)えたのです。

 

 

 

その際には 所管の国交省千曲川河川事務所と交渉役を担い、非常に厳しい制約をかいくぐって みんなの力でマレットゴルフ場&サーキットトレーニングコースの併設を実現したのでした。

そんな造成を巡る苦労を知る(前任の)玉城監督は「地域への感謝」を前面に掲げ、ただ単に速さを求めるのではなく「地域への貢献と共生」を指導の基本に据えて歩んでこられました。

その(監督の)意(い)を正しく理解した歴代の部員たちは、ただ速いだけではない 礼節にも秀で、地域貢献の気持ちを深めながら 手造りコースで走り込みを重ねてきたのです。

 

 

 

「ただ速いだけではない」彼女らは、隣接するマレットゴルフ場で清掃・整備作業が行なわれる際には 自発的・積極的に作業に参加してくれます。

 

2019年12月のブログ記事一覧-倉野立人のブログです。

 

 

そのうえ、彼女らが下宿する地区(若葉町区)の住民運動会の折には〝補助員〟をかって出てくれ、地域の行事のサポート役も担ってくれているのです。

 

2019年12月のブログ記事一覧-倉野立人のブログです。

 

 

これは、前任の玉城監督の「地元の方々に感謝の念を」との教えが身についていることの証左であり、そんな親しみやすい側面を有した彼女らは まさに地域の愛娘として、家族の如くの親愛をもって挙げて応援されているのです。

 

 

初の全国制覇を果たし 一躍を成した長野東高女子駅伝班でしたが、大会が終わり帰長 学校への報告を終えた後に、まっ先に向かったのは 地元住民の方々が待ち受ける犀川河川敷の練習コースでした。

愛娘たちが成し遂げた快挙を心から喜んだ〝地元のおとうさん・おかあさん〟たちは、選手の凱旋を祝わんと 寒さの進む河川敷コースに集まり、心から歓待しておられました。

お祝いの言葉を贈る 地元後援会長のSさんも感極まった様子で、それはまさに子を思う親御さんの心境そのものと拝察されたところです。

 

 

 

選手らも まるで実家に帰ったような笑顔を浮かべ〝育ての親〟の方々を前に、感謝の思いが結果につながった感慨を胸に優勝報告を行なっていました。

 

 

 

その後は、地元のおとうさん・おかあさんと優勝の喜びを分かち合うひとときが。

普段から選手の面倒をみているじいちゃんが、柄に合わない(失礼)花束を贈ると、愛娘らは驚くやら喜ぶやら。

 

 

 

そこここで、テレビで手に汗握って応援した様子を話す人、それを笑顔で聞く選手らと話しの花が咲いていました。

みんな一様に、笑顔・笑顔です。

 

 

 

愛娘らからは 祝意の御礼にと、心ばかりのプレゼントのお菓子が贈られます。

「口に入れるのがもったいない。」と、うやうやしく?受け取っておられました。

 

 

 

地元に根ざし、地元のみなさんと歩み(この場合は〝走り〟ですか)続けてきた長野東高陸上部女子駅伝班は、十数年の歴史を経て全国の頂点に立ちました。

しかし彼女らは、何ら奢(おご)ることなく 謙虚な姿勢をそのままに、これからも走り続ける決意を新たにしています。

訊けば、新年早々には「都道府県対抗駅伝」への出場が内定(高校生ランナーの部)しており その次なるレースに備えて直ちに練習が再開されるとのこと。

「勝って兜の緒を締めよ」を地でいく好姿勢でありましょう。

 

大会翌日のこの日、地元に帰った選手らは、つかの間 地元の方々と優勝の喜びに浸ることができました。

そして、彼女らは 再び走り始めるのです。

都大路の優勝は単なる通過点、彼女らには もっと大きな可能性と未来が待っているのです。

しかし それとて一朝一夕に得られたものではありません。

一歩一歩のラン・その通底にある感謝の心…その地道な積み重ねこそが、真の成果となって 彼女らの人生の糧(かて)となってくれることを確信いたすところです。

私たち周囲の者は、彼女らの不断の努力に元気をもらい 一層のエールを送る。そのことで「よーし、オレたちもガンバろう!」との意気を覚えるところです。

 

 

 

これからも更なる飛躍を!彼女らの可能性に大きく期待するところです。

 

 

 

ところで、今や「名物」ともなっている 犀川河川敷の練習コースに掲げられている横断幕。

 

 

 

これは、地元(若葉町)で看板業を営むKさんの〝即興横断幕〟なのです。

東高の活躍に合わせて タイムリー(=即座)に掲げてくださり、今回の全国制覇の際にも その日の午後には大きく掲示されていたのでした。

 

 

 

何というか、それは 一筆書きのよう。一発勝負でダイナミックに描かれており、その筆さばきに地元住民の(応援の)熱意のようなものが力強く体現されているのです。

大会翌日の〝ミニ祝賀会〟でも、会場を唯一飾るバックグラウンドとなっていました。

 

 

 

さまざまな立場での応援団の存在。

それらが見事に織(お)り合っての大成果だったと 改めて実感したところでした。