公立の小中学生8.8%に発達障害の可能性…かつての「障害」が障害でなくなりつつある
さきの新聞(12/14付 信濃毎日新聞)で『公立の小中学生8.8%に「発達障害」の可能性』の記事が載り、現代社会の実態を見た感がしました。
記事によると、文部科学省の調査で 通常学級に通う公立小中学校の児童生徒の8,8%に何らかの発達障害の可能性があることが明らかになったとのこと。これは 10年前の前回調査から2,3ポイント上昇、35人学級なら1クラスに約3人が読み書き計算や対人関係などに困難があるとみられるそうです。
このうち 約7割が、各学校で特別な教育的支援が必要と判断されていませんでした。
この調査結果に際し 所管の文科省は「特別支援教育の知識がある教員が少なく、適切な支援ができていない可能性がある」としているとのことです。
この調査は、今年の年初に 全国の公立小中高校の通常学級に在籍する子ども約9万人を抽出し、学級担任らが 子どもの発達障害を診断するチェックシートに回答したものです(回収率84,6%)。
皆と同じように学校生活を送るものの 学習面や行動面に著しい困難を示す子どもへの支援を検討するため▽学習障害(LD)▽注意欠陥多動性障害(ADHD)▽高機能自閉症 の3つについて評価したとのことです(医師の診断や 専門家チームの判断によるものではないとのこと)。
で、この3つのうち いずれかに該当する小中学生が8,8%に上(のぼ)りました。
質問項目などが異なるため単純比較はできないものの、初調査の2002年(6,3%)と 前回調査の12年(6,5%)より比率が上がっていることが判ります。
一方で文科省は「保護者や教員の間で発達障害そのものへの理解が深まり、以前は『落ち着きがない子』と見過ごしてきたようなケースを発達障害として認知するようになったことも一因」と分析しています。
調査に関わった有識者会議座長の東洋大 宮崎名誉教授(全国特別支援教育推進連盟理事長)は「学校全体で支援の取り組みを進める必要があるが、校内委員会等の(校内での)検討機関の設置がなされていなかったり(委員会が)形骸化している学校が多い現状がある。また 外部に教員が(支援を)相談しやすい体制づくりも必要だ」としています。
この、発達障がい児童増加傾向には 特別支援教育に精通した教員が不足している実態があること、また、学校長の7割以上が 特別支援教育に携わった経験がないまま学校運営を担っていることから、学校長自体が発達障がい支援に疎(うと)く そのために支援体制が進まないままでいる学校も少なからずあることが、支援の遅れにつながっているとも申せます。
このため文科省は、今年3月に 都道府県教委などへ、新規採用教員が10年以内に特別支援学級の担任などを複数年経験し 管理職登用の際にも経験を考慮するよう求めたとされていました。
今回の調査結果から、全国に発達障害の可能性がある小中学生は約80万人と推定され、その数字は今後も増え続けるだろうといわれています。
この 発達障害について、国や自治体をはじめ関係機関が抜本的な取り組みを強めることが求められている と記事は結んでいました。
この記事に触れ 私は、小中高校における発達障がいの増加を憂える一方、いずれ社会において 障がい者は、決して特別な存在では無いと認識を改める(≒広げる)時期が来るのではないかと思いました。
ハッキリ言って 今は、障がい者は「特別な存在」であり その支援のためには特別な施設や部屋(学校で言えば特別支援学級)を設けて、いわば〝別枠〟で支援(という名の管理)を行なっています。
しかしそれは いわば支援する側の都合によって設(しつら)えられた制度やシステムであり、決して当事者さんらのためになるものとは限らないものでありましょう。
ただ現有、障がい者さんを いわゆる通常社会に放り込むことには無理があることから、ある程度の特別な社会環境を整備することは必要ではありますが、せめて、せめて関係者の心情に、障がい者さんらを〝別の者〟と思わず 等しく人として向き合い、同じ社会を構成する一員として共生してゆこうとの意識を醸成させるべきと思うところです。
折しも 国連においては『障害者の権利に関する条約』が施行され、わが国における障がい者支援(教育)について〝ダメ出し〟された経過もあることから、それらも踏まえ、かかる発達障がい支援についても再考すべき時期にきているのかもしれません。
学校などの教育現場においては、クラス内の いわゆる統制の面で(発達障がい児との)共生が難しい面があるのかもしれませんが、この際は いわば垣根を取り除いた中で教育環境の向上を図る…そんな新たな意識が現場には求められていると思います。
また やや課題の類(たぐい)は異なるものの、社会における障がい者さんらに向ける眼差(まなざ)しについても、何も特別な存在と思わず 対等公平に向き合うべきと改めて思いをいたしたところでありました。
体育館を活用したまちづくりプロジェクト 第6回ミーティング
この日(21日)、「体育館を活用したまちづくりプロジェクト(以下/グループ)」の第6回ミーティングが行なわれ 参加させていただきました。
この活動については従前からも触れているところですが、長野市が 市内にある勤労者福祉施設「中部勤労青少年ホーム」にある体育館の廃止を(唐突な形で)打ち出したことに反対する利用者グループの施設存続活動に端を発し、やがて それは単なる(施設存続の)狭義な活動から、市内にある既存の体育館を柔軟かつ多様に活用することで さまざまな面で市民生活をより豊かにできるのではないか、との「提案型」の市民活動に〝成長〟を遂げ、現在も不定期にミーティングを重ねて意見交換を継続しているものです。
去る11月21日には、市長に対し 中部勤労者青少年ホーム体育館の存続と「体育館を活用したまちづくり」についての要望書を提出し、グループの いわばポジティブな意見を述べる機会となりました。
それまで長野市は「10年以内に公共施設の2割を削減すべき」との総務省のご託宣に盲従する形で「公共施設マネジメント(施設管理(≒廃止)計画)」をブチ上げ、いわば一方的に(施設廃止を)進めようとしており「中部勤労青少年ホーム体育館」も その〝廃止ターゲット〟の一つでありました。
この(市の)動きに対し 利用者の方は戸惑いと反発を覚え、直ちに同体育館の存続を求めるための行動を興(おこ)したのでしたが、こちらのグループは 単なる陳情団では無く、実にクレバー(賢者)でありました。活動のスタートこそ 施設存続の活動でしたが、そのための議論を進めるうちに 長野市に設置されている体育館の全体(像)について考えることとなりました。
すなわち、これまで長野市が一律に また縦割り行政のままに所管ごとに進めようとしていた〝廃止ありき〟の議論に疑問を唱え、そのうえで 各施設については、(廃止ありきではなく)それぞれの利用頻度や市民ニーズを踏まえ、活用できるもの(施設)は活用し そのこと(活用)により、市民の健康寿命延伸やコミュニティの醸成に資するべきと〝前向き議論〟を行なうようになってきたのです。
すなわち「市内の体育館は 単に(維持費等で)市民負担を強いる〝お荷物施設〟では無く、逆に それを活用することで、市民生活をより向上させるための財産となり得る」というものです。
この〝ポジティブ思考〟に共鳴した 私たち支援議員は、現下の「一方的議論」の温床ともなっている〝行政の縦割りの壁〟を(イイ意味で)除去すべく、その施設を所管する部署のみならず「公共施設マネジメント」全体を所管する総務部をはじめ 横断的に理事者(職員)に声をかけ、市民⇔所管を超えた職員⇔議員 とが 同じテーブルに就いて意見交換を行なう機会を創出し、その場では さまざまな視点から意見交換を行なうことができました。
そして これらの経過を経て「情報共有」が為(な)され、それまで一方的かつ頑(かたく)なであった市も柔軟発想に転換、さき(11/21)の市長要望の場で市長の口(くち)からも 先ずは中部勤労者福祉センター体育館の存続が表明され、そのうえで市内の体育館を活用してのまちづくりについて建設的な意見交換が交わされることとなったところです。
この「体育館を活用したまちづくりプロジェクト」の活動は、何も体育館に止(とど)まらず 全ての公共施設の活用に当てはまることと思います。
そもそも 行政が施設等の管理運営計画をもって建造(設置)した公共施設(公共物)は、十分に活用され いわば実効ある減価償却を終えたうえで存廃を議論すべきものであり、それが 単に年月が過ぎて古くなったから廃止という論理は、公金を支弁して造ったものの始末としては あまりにも安易で短絡的ではないか。
今回の このグループの活動は、かかる 安易ともいえる行政姿勢を正(ただ)す〝一矢〟ともなり、もしかしたら なし崩し的に進められることになったかもしれない「長野市公共施設マネジメント」に イイ意味でエンジンブレーキをかける大きな成果を生み出すこととなりました。
グループは今後も、市の動向を注視し 場面・局面に応じて意見交換し「提案」を行なってゆくことで一致しました。
市民の純粋な活動が「山を動かす」こととなりました。
今後の行政との向き合い方のお手本ともなった〝まちづくりプロジェクト〟私の立場でも これからも「伴走型」として支援してまいります。
12月議会の代表質問(12/7)
青木島遊園地の廃止問題を考える【その2】
長野市議会12月定例会議了
青木島遊園地の廃止問題を考える
長野市議会 令和4年12月定例会が閉会
12月1日に招集された、長野市議会 令和4年12月定例会は、この日(19日)最終日(採決日)を迎え、総額21億8,500万円の 今年度一般会計補正予算案・条例・人事案など45議案を可決・同意して議了となりました。
この間 11月専決補正として、住民税非課税世帯への支援(1世帯5万円)・住民税所得割非課税世帯への支援(1世帯3万円)、さらに12月補正では 原油価格高騰に伴う値上げ傾向にある光熱費や電気代への支援として、行政連絡区に対する「防犯灯維持管理軽減事業」・社会福祉施設に対する「社会福祉施設価格高騰対策支援事業」・福祉移送サービスに対する支援「地域たすけあい事業燃料費支援事業」・私立保育所に対する支援「保育施設価格高騰対策支援事業」・建設/製造/運送業に対する「建設・製造・運送業対象原油価格高騰対策特別支援事業」など、コロナ禍に追い打ちをかけるようにやってきた 燃料費等への対応(支援)が予算計上されました。
で…これとは別に この議会(期間中)には、長野市内にある「青木島遊園地」について、近隣住民から公園を利用する児童等への苦情に対する対応等を巡り 積年に亘り課題が積み上がったことが謂(い)わば臨界点を迎え、同公園の廃止が打ち出されたことが大きく問題視され 全国版の報道機関にまで取り上げられる事態となってしまいました。
また、所属する「福祉環境委員会」において 私の方から、市民からの情報を基に 知的障がい者支援施設に(国や市の補助金を得て)設置された装置が未稼働であること、それは即ち かかる施設を有する知的障がい者支援団体の体質自体が大きな問題であることを強く指摘したところです。
・・・・・・。
かくいう私は、一連の社会問題に触れ そこに関わる者たちの〝共通点〟を見た思いがし、その(決してよろしくない)共通点こそが、事態の悪化を招いていると思わざるを得ませんでした。
それは、関係者による〝保身〟の動きです。
事/こと(問題)が生じたときに、その解決に向けては 先ずは全体のことを慮(おもんばか)り、ときに自己犠牲の精神をもち 誠意をもって(解決に)臨めば、周辺の理解や合意が得られて事態が進むのではなかったか。
しかし 概して現下の(問題ある)状況については、関係者が 自分の身を守る行動(保身)に走った(優先した)がゆえに それぞれの認識の違い(ボタンのかけ違い)が生じ、それが時間が経(た)てば経つほど のっぴきならない膠着状況に陥る要因をなってしまったのではないかと(遺憾に)思ったところです。
この〝保身〟をもって為(な)される(特に組織内での)関係者の行動による事態の悪化は、この議会で話題となったこと(公園問題や施設の装置問題)に止(とど)まらず 社会のいたるところで散見(遍在)していることが感じ取られます。
それら関係者が、多少なりとも「利他(他者優先)」の意識をもってくれてさえいれば、たとえ問題が発生したとしても せめて最悪の事態は避けた中で解決に向け(事態が)進むのに、とつくづく思います。
特に昨今は 少子高齢化・多様化社会といわれ、今までのように「自分さえ良ければ」という感性で事(こと)に臨んでも、決して望ましい結果につながらないことが往々にして言えると思います。
そのような中であるからこそ (私も含めて)利他の精神で事(こと)に臨んでゆきたい。
議会を経るごとに さまざまなことを学ぶところですが、この議会は特に 社会におけるそれぞれの持つべき矜持のようなものを学んだ感しきりでありました。
いつのまに?「敵基地攻撃能力」や「防衛増税」の怪
12月中盤を過ぎての新聞紙面に踊る記事に面食らっています。戸惑いを覚えるほどです。
そして その感覚は、おそらく私だけではないでしょう。
政府(内閣)が「安保3文書(国家安全保障戦略・国家防衛戦略・防衛力整備計画)を実質見直し、その中に「敵基地攻撃能力(反撃能力)」を加え、そのための防衛費について 来年度から5年間で総額43兆円規模に拡大すること、そして その財源について、年間4兆円規模の安定した財源を確保するために うち1兆円強を「増税(法人税・たばこ税・所得税)でまかなうことを閣議決定→与党の了承を済ませてしまったというのです。
この いわばアッという間の事(こと)の運びは、新聞やメディアを通じて連日に亘り報道されていますが、いわば なし崩し的に方向づけられてゆく防衛を巡る転換には、異常さすら感じさせられるところです。
・
・
、・
岸田首相は 与党の役員会で「防衛力の抜本強化は安全保障政策の大転換で、時代を画するものだ。責任ある財源を考えるべきで、今を生きる国民が自らの責任としてその重みを背負って対応すべきものだ」さらに、防衛費増額を巡る増税について「現下の経済状況などを踏まえて2027年度に向けて複数年かけて実施する。安定した財源が不可欠だが「国債で」というのは未来の世代に対する責任として取り得ない。(増税は)未来の世代に対する私たち世代の責任でもある。」と理解を求たとのことです。
この発言を読み解くと「防衛力の強化は安全保障政策の大転換だから国民が負担しなければならない。」との主旨に受け取れますが、この理屈は〝順番が違う〟と言わざるを得ません。
財源の議論をする前に、大転換しようとする「防衛力の強化」もっと言えば国家の安全保障について時間をかけてキチンと議論した上で財源論に入るべきではないでしょうか。
この理屈は「オレ(ら)が中身を決めたんだから、カネはみんなの割り勘で工面しろ。」との一方通行の理論に他ならない。しかも その内容は、さきの大戦で多くの国民的犠牲を払ったうえで構築された平和国家ニッポンの歴史を いとも簡単に曲げる政策であり、こんな僅かな期間で決められる話しでは決してないハズであります。
そもそも、ついこないだまで通常国会が開かれていたハズですが 確かその場(国会)ではこの手の議論は行なわれていなかったのではないか…何だか国会の閉幕を待って出してきた感、後出しジャンケンの典型ではないかとも思わされるところです。
このことについて首相は「プロセス(手続き)に問題は無い」と言い切っているようですが、首相のプロセスとは 双方向の議論ではなく「申し上げてきた」との一方通行の論理であり、片やの国民からすれば とても納得できるプロセスではありません。
そのうえで国は、国産ミサイル増産などの 防衛力の中身にまで議論を進めており、これほどの〝獲(と)らぬ狸の皮算用〟的な話しはあったものかと 巷(ちまた)で声が挙げられています。
さらに国は、AI等を駆使した「世論工作研究」に着手したことも報じられており、このことは さきの大戦で マスコミ等が悪しき役割を果たした「戦意高揚」にもつながるのではないかと憂慮されるところでもあります。
このことについては 従前にも触れましたが、あたかもウクライナ問題に絡めての どざくさ紛れの議論推進とも取れるほどの拙速さであり、この異常なペースを看過すべきではないと思うのは 私だけではないと思います。
この件について、ネット上では「国民の責任」「防衛費増額巡り」「防衛増税」のワードがトレンド入りし、視聴者からは「勝手に(増税を)言い出して、すり替えて、責任を国民に投げ込んできた」とか「安全保障政策の大転換というなら、選挙で真を問うべきだ」と衆院解散・総選挙を求める声も出たとのこと。
著名人からも批判の声が。漫画家の倉田真由美さんは「あらゆるものが値上がりする今、庶民にさらに血を流せと(いうのか)」と記し、さらに「少々の値上げなんか痛くもかゆくもない専門家や有名人のコメントの多くにリアリティーがない」と指摘しています。
また 元大阪府知事の橋下徹さんは「旧文通費・立法事務費の廃止を含めた抜本的見直しや、政党交付金の政党内部留保の毎年全額返金・企業団体献金の廃止などをやってから国民の責任や!」として、増税より先にやるべき改革があると強調したことが報じられています。
さらに タリーズコーヒージャパン創業者で元参院議員の松田公太さんは「ここ十年だけでも何兆円もの金をドブに捨て、プラスその一部を懐(ふところ)に入れてきた与党の政治家に言われるとイラッとしますが、その政治家を選んできたのも我々国民なので、今は振り上げた拳で自分を殴るしかない。いずれにせよ安易な増税に大反対です」とつづっていました。
いずれにしても、こんな重要な案件を ロクな議論もしないで進めるべきではない。
また 与党は、増税については先送りし 1年間の(議論の)余地(時)があると言っていますが、とき既に〝軍拡・増税フレーム〟は「決まったこと」の感、これに対抗するためにも〝腰を据えた国民的議論〟が欠かせないと思うところです。
いつのまに?「敵基地攻撃能力」や「防衛増税」の怪
12月中盤を過ぎての新聞紙面に踊る記事に面食らっています。戸惑いを覚えるほどです。
そして その感覚は、おそらく私だけではないでしょう。
政府(内閣)が「安保3文書(国家安全保障戦略・国家防衛戦略・防衛力整備計画)を実質見直し、その中に「敵基地攻撃能力(反撃能力)」を加え、そのための防衛費について 来年度から5年間で総額43兆円規模に拡大すること、そして その財源について、年間4兆円規模の安定した財源を確保するために うち1兆円強を「増税(法人税・たばこ税・所得税)でまかなうことを閣議決定→与党の了承を済ませてしまったというのです。
この いわばアッという間の事(こと)の運びは、新聞やメディアを通じて連日に亘り報道されていますが、いわば なし崩し的に方向づけられてゆく防衛を巡る転換には、異常さすら感じさせられるところです。
・
・
、・
岸田首相は 与党の役員会で「防衛力の抜本強化は安全保障政策の大転換で、時代を画するものだ。責任ある財源を考えるべきで、今を生きる国民が自らの責任としてその重みを背負って対応すべきものだ」さらに、防衛費増額を巡る増税について「現下の経済状況などを踏まえて2027年度に向けて複数年かけて実施する。安定した財源が不可欠だが「国債で」というのは未来の世代に対する責任として取り得ない。(増税は)未来の世代に対する私たち世代の責任でもある。」と理解を求たとのことです。
この発言を読み解くと「防衛力の強化は安全保障政策の大転換だから国民が負担しなければならない。」との主旨に受け取れますが、この理屈は〝順番が違う〟と言わざるを得ません。
財源の議論をする前に、大転換しようとする「防衛力の強化」もっと言えば国家の安全保障について時間をかけてキチンと議論した上で財源論に入るべきではないでしょうか。
この理屈は「オレ(ら)が中身を決めたんだから、カネはみんなの割り勘で工面しろ。」との一方通行の理論に他ならない。しかも その内容は、さきの大戦で多くの国民的犠牲を払ったうえで構築された平和国家ニッポンの歴史を いとも簡単に曲げる政策であり、こんな僅かな期間で決められる話しでは決してないハズであります。
そもそも、ついこないだまで通常国会が開かれていたハズですが 確かその場(国会)ではこの手の議論は行なわれていなかったのではないか…何だか国会の閉幕を待って出してきた感、後出しジャンケンの典型ではないかとも思わされるところです。
このことについて首相は「プロセス(手続き)に問題は無い」と言い切っているようですが、首相のプロセスとは 双方向の議論ではなく「申し上げてきた」との一方通行の論理であり、片やの国民からすれば とても納得できるプロセスではありません。
そのうえで国は、国産ミサイル増産などの 防衛力の中身にまで議論を進めており、これほどの〝獲(と)らぬ狸の皮算用〟的な話しはあったものかと 巷(ちまた)で声が挙げられています。
さらに国は、AI等を駆使した「世論工作研究」に着手したことも報じられており、このことは さきの大戦で マスコミ等が悪しき役割を果たした「戦意高揚」にもつながるのではないかと憂慮されるところでもあります。
このことについては 従前にも触れましたが、あたかもウクライナ問題に絡めての どざくさ紛れの議論推進とも取れるほどの拙速さであり、この異常なペースを看過すべきではないと思うのは 私だけではないと思います。
この件について、ネット上では「国民の責任」「防衛費増額巡り」「防衛増税」のワードがトレンド入りし、視聴者からは「勝手に(増税を)言い出して、すり替えて、責任を国民に投げ込んできた」とか「安全保障政策の大転換というなら、選挙で真を問うべきだ」と衆院解散・総選挙を求める声も出たとのこと。
著名人からも批判の声が。漫画家の倉田真由美さんは「あらゆるものが値上がりする今、庶民にさらに血を流せと(いうのか)」と記し、さらに「少々の値上げなんか痛くもかゆくもない専門家や有名人のコメントの多くにリアリティーがない」と指摘しています。
また 元大阪府知事の橋下徹さんは「旧文通費・立法事務費の廃止を含めた抜本的見直しや、政党交付金の政党内部留保の毎年全額返金・企業団体献金の廃止などをやってから国民の責任や!」として、増税より先にやるべき改革があると強調したことが報じられています。
さらに タリーズコーヒージャパン創業者で元参院議員の松田公太さんは「ここ十年だけでも何兆円もの金をドブに捨て、プラスその一部を懐(ふところ)に入れてきた与党の政治家に言われるとイラッとしますが、その政治家を選んできたのも我々国民なので、今は振り上げた拳で自分を殴るしかない。いずれにせよ安易な増税に大反対です」とつづっていました。
いずれにしても、こんな重要な案件を ロクな議論もしないで進めるべきではない。
また 与党は、増税については先送りし 1年間の(議論の)余地(時)があると言っていますが、とき既に〝軍拡・増税フレーム〟は「決まったこと」の感、これに対抗するためにも〝腰を据えた国民的議論〟が欠かせないと思うところです。