長野市議会議員会派

改革ながの市民ネット

地域づくりの新たな視点 ~地域としてこれだけはまもりたいものは何か~

 11月16日、長野県農業委員会大会が開催され、出席してまいりました。 大会で、金沢大学准教授の林直樹先生による「地域としてこれだけは守りたいという戦略」と題した講演をお聴きし、これからの地域づくりに大変参考となる内容でしたので、私なりに整理してみました。 <中山間地域の現実とこれから>  一般論として、高齢者に限定した場合、住民の当面の悩みは、買い物、通院・介護、除雪、草刈り、獣害、空き家、耕作放棄地等であるが、それなりに健康で自家用車利用も可能であることから、特段不便ではなく、農水省の平成30年経営形態別統計地域別の総所得では中山間農業地域が4,632千円、山間地農業地域は4、608千円となっており、極端な貧しさはないのではないか。  しかし、数十年の長期スケールで考えてみると、集落の生き残りの形や時代の変化への備えの議論が必要となってきている。 これまでは人口減少等の状況下でも「恵まれた過疎」であったといえるが、更に、人口減少が進むと経済全体が縮小し、お金が回ってこなかったり、「厳しい過疎」へと変貌していく。これからは、縮小を受け入れながら、「よい縮小と悪い縮小」(※)という新たな視点と複線的な地域づくり、複数の状況(最適化)を想定することが肝要である。  (※)「よい縮小」=容認できる縮小、「悪い縮小」=容認できない縮小 <よい縮小>  これまでは「縮小は論外」である、という戦後から続く人口増加時代の基本的な発想が根本にあったが、これからは縮小を基本とし拡大が例外的である、という国レベルでの人口減少時代、との基本的認識が必要。その上で、諦めるものを間違わなければ、地域は生き残ることができる。これからは、個々人や集落がもつ「時代への適応力」の限界が見えてきているが、適応力に収まっているものは「よい縮小」といえる。  適応力に収まっているとは、複数の状況(最適化)を想定することが可能かどうかであり、、つまり、複数の目標(集落の形に関する目標)を設定した集落づくりのパッケージが必要となってくる。 国交省・総務省の平成28年度過疎地域等条件不利地域における集落の現状把握調査報告書によると、平成22年以降、山間地で無居住化した集落数は79で、そのうち61が自然消滅であったが、廃墟だらけの絵に描いたような廃村はむしろ珍しく、深いやぶが生い茂り森林化したところもあるが、旧住民がまめに通いながら丁寧に管理を続けられ、ふつうの集落と見分けがつかないところもある。また、パン屋が経営されていたり、キャンプ場となった無住集落もある。  「よい無住集落を目指すべき」ということではないが、特に、世代交代困難集落では、最悪の場合でも「よい無住集落」で踏む留まるための仕組みが必要。 <石川県小松市西俣町のケース>  石川県小松市西俣町は、通年居住が8戸、13人、うち65歳以上11人(2020年1月時点)で、町内には、耕作放棄地も目立つが、西俣キャンプ場、宿泊可能な西俣自然教室などがあり、通年居住の人口と釣り合わない「不思議な活気」にあふれ、むらおこしの一環として、ドジョウの養殖、ドジョウ料理のレシピ開発も行われている。  西俣町の大きな活力の源は何か。通年居住の住民の不断の努力が大きいことはいうまでもないが、町外在住の西俣町出身者とその縁者が住民共同活動(草刈り・水路掃除・お祭り)の貴重な戦力、主力級の戦力になっており、町外からの参加については、「自分たちの集落や財産を守る」といった責任感のようなものがあるという。数十年先の西俣町については全くの未知数である。通年居住の世代交代が進み、町全体が若返る可能性もあれば、そのまま無住化する可能性もある。しかし、無住化したとしても、西俣町は、町外在住の西俣町出身者やその縁者によってある程度形が維持される、と考えている。決して容易なことではないが、その状態であれば再興も可能である。現在の西俣町の活動は、万が一、無住になっても再興の可能性は残る「無住化保険付き」の集落づくり、ということになる。 (講演に加え、WEB OPINIONS「時間を味方につけた戦略的な集落づくり」林直樹より一部引用) (※)無住化保険=外部旧住民が近くに(概ね30分以内)居住し、集落の活動に参加すること。 <数十年スケールで考える>  私の周囲にも、市内中山間地域ご出身の方が多く居らっしゃいますが、定期的に旧住民として集落に通い、責任ある地域住民として様々な活動に取り組んでおられます。そうした外部旧住民と定住住民(新・旧)が、常に一歩二歩先をよみ、生き残りの形をイメージし、そもそも集落が生き残る、とはどういうことか、地域としてこれだけは守りたいものは何か等を、人口減少、少子超高齢社会が進展している今、複数の目標(集落の形に関する目標)を設定し、縮小、とりわけ「よい縮小」を受け入れ、数十年スケールで、これからの地域づくりを考えていかなければならない時代ではないか、と感じております。

地球温暖化対策、市長のリーダーシップと国の本気度が問われている

 長野市では、いよいよ荻原市長のもと、新たな市政運営が始まりました。2期8年の加藤前市長には心から敬意と感謝を、新市長には大きな期待をしております。  私自身に公務に加え、衆院選、市長選の対応等、まったく余裕がない状況であったため、事務作業がたまりにたまっている状況ですが、この間に書き留めていた原稿を見直し、本ブログに掲載させていただきます。  10月31~11月12日、英国・グラスゴーで国連気候変動枠組条約第26 回締約国会議(COP26)が開催されました。 COP26では、議長国の英国が「脱石炭」を最重要課題と位置づけ、温室効果ガス排出対策が取られていない石炭火力の段階的廃止を盛り込んだ声明に、46カ国・地域に加え企業組織が署名した、と報じられています。 しかし、米国、中国に加え、日本は署名を見送っており、環境NGOは、地球温暖化対策に後ろ向きな国に贈る「化石賞」に日本が選ばれる、という残念な結果が付されてしまいました。  環境活動家のグレタ・トゥンベリさんはグラスコーでの演説で、世界の気温上昇を1.5度に抑える国際枠組みである「パリ協定」の努力目標達成について、「今すぐに思い切った排出削減が必要、政界やビジネス界は後ろ向きで、歴史が彼らを裁くだろう」と述べた、といいます。  日本政府は、地球温暖化対策について、2020年10月、2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、カーボンニュートラルを目指すことを宣言し、カーボンニュートラル達成のため、温室効果ガスの排出量の削減並びに吸収作用の保全及び強化をする必要がある、としています。  長野県では、本年6月、「長野県ゼロカーボン戦略」(2021年度から30年度までの10年間)を策定し、2030年度における温室効果ガス総排出量を基準年度(2010年度、H22)の16、980千t-CO2から7、987千t-CO2、55%削減する目標値を定めました。日本国内において、これから!という時に、化石賞を贈られる、というのは大変残念なことではないでしょうか。  そんな中、現在、長野市は来年度からの第3次環境基本計画が策定途中にあります。来年度から環境基本計画に統合される予定の本市地球温暖化対策地域推進計画の方針3「歩きやすい、暮らしやすい環境の整備」で、公共交通機関の利用促進、自動車利用の見直し、を掲げていますが、温室効果ガス排出量削減に向け、マイカー規制等、取組はまだまだ不十分です。  また、県のゼロカーボン戦略にある「吸収・適応分野」は、長野県の恵まれた自然環境「山・里・まち」を最大限活かすとし、CO2吸収量増加に向け、森林整備や県産材の需要拡大の推進など、グリーンインフラの推進を掲げられていますが、現在の第2次環境基本計画後期計画では目標未達成の分野となっています。長野市が持つ森林や農地等を最大限活かしたCO2吸収に繋がる具体的な取り組みが必要なのは言うまでもありません。  更に、長野市環境審議会地球温暖化専門部会は、審議会に対し環境基本計画策定における温室効果ガス排出量削減について、①国・県の動向を踏まえ、二酸化炭素排出量を2050年までに実質ゼロとすること ②2030年の中間目標においても、高い削減目標を設定すること ③長野市の特長を活かした戦略的な計画とすること等を提言しています。  部会の中で委員の発言で、「相当な覚悟と施策を掲げなければ不整合となるおそれがあると考える。また、市の取り組みによる実現可能性は未知数」とあったようですが、長野市として、第3次環境基本計画で定める目標達成のため、着実かつ責任を持って取り組んでいかなければなりません。  そのためには、市長のリーダーシップとともに国の本気度が問われます。国内はもとより、世界からも地球温暖化に向けて積極的な国であると位置づけられるような具体的な取り組みと発信が求められ、それが国内の地方都市に波及する効果を生み出さなければなりません。グレタさんが言うように、「今すぐに思い切った排出削減が必要」なのではないか、と考えます。  安全で安心な長野市を私たちの子や孫、その先の世代に引き継いでいくために、新市長と議会での議論を続けてまいります。