長野市議会議員会派

改革ながの市民ネット

同じ会場での新年会・運営委員会(^^ゞ。

グリーンパレスで、商工会議所篠ノ井支部の新年祝賀会とJAグリーン長野篠ノ井支所の運営委員会が開催されました。会議所は来賓として、運営委員会は運営委員としての出席ですが、同時刻の開催のため、両方に出入りし、中途半端なことになったことをお詫びいたします。

農協関係では、組合員であり、青年壮部篠ノ井支部長を長く務めた盟友の立場から農政同友会のご推薦をいただき、商工会議所関係では、会員であり、青年部の現職監事の立場でご推薦をいただきました。

農商工連携を進められる極めて重要な立場にあることを改めて認識し、地元の経済発展に寄与するべく、皆さまのご意見・ご要望・ご提案を活かせる議員になるべく、これからも頑張ってまいります(^^)v。

篠ノ井八日堂初縁日

第65回篠ノ井八日堂初縁日に出席させていただきました。宝昌寺には、平維茂(たいらのこれもち)御作と伝わる甲冑薬師如来像があり、そのご利益の下、今年一年の無病息災、安寧と繁栄を皆で祈念しました。

甲冑薬師如来 ← いただいた風船につけられたお札です。実物の写真は撮れずじまいでした(^^ゞ。

今年は、篠原孝衆議院議員もご都合がついたためご出席されましたが、来賓挨拶で、私の春の挑戦をメインにアピールしてくださいました。年末・年始も、私のために連日・早朝の街宣を計画し、極寒の中、ご一緒いただいている篠原代議士の「親心」には、本当に涙が出るほど感謝しています。(あえてお伝えしていませんので、ご本人には内緒でお願いします。)

ご心配・ご期待・ご支援いただいている皆様の想いに報いるべく、より良い県政実現に力を尽くせる立場になれるよう、最後まで全力で頑張ってまいります(^^)v。

消防団の出初式

本日は、長野市消防団の出初式でした。朝は、長野市の出初式で、午後から篠ノ井第一分団・第二分団の出初があり、出席させていただきました。

篠ノ井第一分団出初式
災害が多発する現在、消防団は、なくてはならない存在です。我々団員は、心意気で頑張っていますが、その努力が行政や地域から認めてもらえることも「やりがい」の観点から重要だと思います。
地域の安全のため、消防団員の処遇改善・装備品充実を、どのような立場になっても提言し続けてまいります(^^)v。

農林業関係の現地視察

12月13日、農林業振興対策特別委員会で現地視察を行いました。中条で森林整備とジビエ肉処理施設の建設現場を、信州新町で羊の放牧地と繁殖センターを、信更町でワイン用ぶどうの圃場を視察し、それぞれ、ご説明いただきました。

中条森林 新町サフォーク 信更町ワイン圃場

 

戦後、木材需要を満たすため、はげ山に植林を進める国策をとりつつ、丸太の輸入を自由化したため、植えた木が伐採時期を迎えているにも関わらず、安い外材に押されて日本の林業は壊滅状態になってしまいました。最近、ようやく国産材や林業の多面的機能が見直され、技術の進歩により利用が進み始めましたが、まだまだ諸に就いたばかりです。中山間地域活性化のためにも、国策として、また、市政・県政の在り方として林業振興の実効性ある取り組みが必要です。

ジビエ肉の処理施設、以前から要望してきた案件が、ようやく稼働に向けて建設が始まりました。有害鳥獣対策と共にジビエ肉の有効活用に期待しています。市では、食肉にできないものもペットの餌として加工し販売することも視野に入れており、無駄ない活用を望みます。

サフォークの繁殖・放牧、信州新町ではサフォークのブランド化を推進し、かなり定着してきています。サフォークは、一度に平均1.3頭しか産まないため、繁殖が難しく、経営的に厳しいことから農家数は10戸であり、飼育頭数429頭、年間出荷頭数182頭とのこと。羊肉ブームにより需要があるのに供給力が間に合わない状況、長野市のブランドとして後押しすべきと考えます。具体的には、肥育して食肉として販売するより子羊を販売した方が利益率が高いそうなので、子羊の「市」を市や県で設ける等の支援策もあるかと思料します。

信更町のワイン用ぶどう圃場、平成27年に信更をモデル地区として取り組みが始まりましたが、現在は全中山間地域を対象に事業を進めています。温暖化が進む中、長野市の中山間地域はワイン用ぶどうの適地になってきましたので、生食用よりも手がかからない加工用のぶどうの栽培、成功に向けて取り組みを加速していくべきと考えます。千曲川ワインバレー構想から大分遅れていますが、進めるよう提言してまいります。

農林業の振興は、待ったなしの状況です。故郷に住み続けられる政治を実現するため、これからも、全力で取り組んでまいります(^^)v。

公式ブログをリニューアルしました

このたび、公式ブログをリニューアルしました。今までのブログでは、更新すると前の記事が目につかなくなる仕様だったため、読んでいただきたい記事が見えなくならないよう、ついつい更新を怠ってきましたが、左側に「最近の記事」の欄を設けて前5記事のタイトルがわかるように改修してもらいました。

これからは、硬軟織り交ぜて、積極的に情報発信をしていきたいと思いますので、ぜひ、週に一度は「望月よしひさオフィシャルページ」をご高覧いただきますよう、お願いいたします(^-^)。

AC長野パルセイロ1万人チャレンジデー

AC長野パルセイロ1万人チャレンジデーが開催され、私も家族と共に参加しました。篠ノ井もホームタウンということで、まちを挙げて観戦キャンペーンを行ったのですが、結果は、

パルセイロ1万人チャレンジ

7082名でした。

今シーズンは内容の良くない試合も多く、盛り上がりに欠けていましたが、このところ、ようやく上向いてきた中でのチャレンジデー。大勢のサポーターの前で勝利を挙げて欲しかった(><)。

私としては、いい試合だと思いましたが、勝ってもらわないとサポーターのモチベーションが上がりません。来シーズンは1万人を超えるよう、今後の頑張り・来シーズンの活躍に期待しています(まだ今シーズンが終わっていませんが・・・(^^ゞ)。

信更地区で公共施設のワークショップが開催されました

長野市では、公共施設の今後の在り方を市民の皆さんに考えていただくためのワークショップを各地区で行っています。

母の故郷・芋井を皮切りに、地元・篠ノ井でも実施され私も参加しましたが、お隣の信更でも開催されたため、見学に伺いました。地区ごとに抱える課題は様々で、数回のワークショップで解決できるわけではありませんが、まずは、公共施設維持に関しての厳しい状況を市民の皆さんご理解いただいた上で、地元目線からの提案を行政が認識する機会としては大きな意義があるかと考えます。

地元の皆さんの声を活かした市政が実現できるよう、これからも頑張ってまいります。

信更町ワークショップ

追伸 職員の皆さん、休日出勤お疲れさまです。ちゃんと代休をとって、心身ともに万全の体制で、これからも市民のためにご尽力ください(^-^)。

信里「ながの未来トーク」が開催されました

地域の皆さんと、市長をはじめとする行政が、地域課題について話し合う「ながの未来トーク」が開催されました。数十年前に、この信里の提案で始まった事業で、今では全地区で行われている貴重な機会です。

今回は、信里で取り組んだ婚活パーティーの活動報告を中心に運営され、地元からの要望も出され、市の考え方も述べられました。

地元の活性化が進むよう、提言・取り組みを進めてまいります。

信里未来トーク

陸前高田市の復興状況と防災対策について視察させていただきました

7月2日、陸前高田市の復興状況と防災対策について視察させていただきました。

東日本大震災から7年と4ヵ月、甚大な被害の教訓を将来の防災に活かすため、「陸前高田市東日本大震災検証報告書」を作成し、それに基づく「避難マニュアル」を市民に配布し、日頃からの心構えや備えを自覚的に持ってもらい、行政からの情報を待たず、自身で情報を「取りに行く」よう求めておられました。

〇 避難が何より重要-地震発生時にいた場所が津波浸水域となった人で、当日の行動について情報が得られた人のうち、被害がなかった人は、津波到達前までに8割の人が避難していたのに対し、犠牲となられた方は5割程度にとどまり、4割は避難していない結果であった。

〇 避難所に逃げたら終わりではない-津波避難場所として指定していた一時避難所67か所のうち38か所が被災すると共に、9か所で推計303人~411人の命が失われた。当時は浸水2m未満の避難所も避難所に指定していた場合もあったが、現在は東日本大震災で津波が到達しなかった場所で、かつ、仮に津波が到達しても更なる高台へ避難できる場所を指定。

〇 公的な役割を持つ人の安全の確保-東日本大震災では、市民の避難誘導にあたった公的な役割を持つ人が多く犠牲となったことから、津波到達前までに活動を終了し、避難を完了させるために市職員の「初動対応マニュアル」や消防団員の「地震災害活動マニュアル」等を作成した。(犠牲になった市職員111人、消防団員51人、行政区長11人、民生委員児童委員11人)

市街地のかさ上げも行われ、最初は、5年前に訪れた時のままに見えましたが、流された市街地の上に8mの土砂を盛り整備していました。店舗もある程度は営業されていましたが、復興期間の平成32年度までに間に合うか危惧する状況であり、期間の延長が必要と感じました。

ハード面に関しては、これら市街地整備と共に12.5mの防潮堤と遊水地、避難道路の整備などを進めておられました。

陸前高田市が防災にあたり重視していたのは「率先避難」でした。かけがえのない市民の命を1550名(当時の人口24,246人)も失った被災地だからこその「きれいごとでない」防災対策、考えさせられました。

本市の防災に活かしていきたいと思います。

DSC01787 ←防潮堤の上で。海岸線の再生も進められていました。「故郷」の再生を心から願うばかりです。