長野市議会議員会派

改革ながの市民ネット

先ず自ら律(りっ)しよ =「自動車走行税」の起案に思う =

少子高齢化・人口減少社会の到来に伴い 厳しさを増す国の税収…そんな中、それ(税収減)をどのように補(おぎな)うかを議論する 政府の税制調査会で〝新たな提案〟が出されたものの、それに対し 今の段階で既に多くの国民から疑問と反発の声が上げられていることが報じられています。

これを見聞した私は、いま感じつつある政治(行政)の実態と重ね合わせ「その前にやることがあるんじゃないか。」と思わざるを得ない境地に至りました。

 

その新たな税制(税の徴収)は、クルマに対する「自動車走行税」導入の考え方です。

これは、ハイブリッド車の普及などで ガソリン税・軽油引取税などの燃料課税が減収の一途を辿る中、それら(ガソリン税・軽油引取税)が「道路特定財源」として道路の維持や整備に使われている性質上から、減収が続く自動車関連の主たる税金にであるガソリン税・軽油引取税の〝代替〟となる財源を確保することを狙いとしているようです。

この「自動車走行税」は、ニュージーランドやドイツ・ベルギー・アメリカのそれぞれ一部の地域で既に導入されており、例えばニュージーランドでは 1,000kmごとに5,000円(1kmあたり5円)徴収されているとのことです。

今後 ガソリン車が減り、逆に増えるであろうEV車などからも税を徴収できるようにする〝新たな仕組み〟の提案のようですが、それを耳にしたマイカー族や クルマ無しでは生活が成り立たない地方在住の人、さらには運輸業などの自動車関連企業・団体からは懸念と批判と憂慮の声が上げられているとのことです。

 

 

 

この反発の深層には、まずはクルマに関する税金があまりに多重になっていることがあると思われます。

クルマ本体には 自動車取得税・自動車重量税・自動車税 また軽自動車には軽自動車税が課税されており、また 走行に不可欠な燃料については、ガソリン税/軽油取引税・石油(ガス)税が加算され、さらに それぞれには消費税(10%)がかかっています。

 

 

 

そこに加えての「自動車走行税」の上乗せ情報…国民 それも地方に暮らす方々が、それ(自動車走行税)を耳にした瞬間に「これ以上の税金かよ!」と怒りを露(あら)わにしたところです。

ネットニュースのコメント欄には、

「公共交通機関は減る一方で何するにも車が必要。車が無ければ買い物さえもままならない地方民からこれ以上搾取して何が楽しいの?」

「地方民にとって、車はまさに生命線。2年に1度の車検を受け 大切に乗っても13年経ったら重量税が追徴課税され、そのうえに走行距離まで課税されるのは あまりに酷…賃金格差がある中、懸命に生きてる地方民の気持ちを考えて欲しい。」

「もういい加減〝取れるところから取ろう〟という安易な考えは止めてくれ。」

 

自動車の走行距離の〝地域間格差〟は顕著になっています。

ある調査によれば、自家用車の世帯当たり平均年間走行距離は、公共交通機関の発達している〝都会〟では 東京都が2,000km未満・大阪府では約3,000kmに止(とど)まっていますが、他の殆(ほとん)どの道府県(田舎)では6,000kmを超えているとのこと。特に茨城県・福井県・佐賀県などでは10,000km近くになっているそうです。長野県とて例外ではないでしょう。

このことが〝地域間格差〟であり 公共交通網の発達(都会)⇔衰退(田舎)などの社会環境の地域間格差を勘案すれば 理不尽な税だ、と言わしめているのです。

 

さらに、自動車の走行距離を重ねることで経営を成り立たせている物流業界からは、反発を超えて憂慮の声が寄せられています。

「ただでさえ燃料高騰や仕事減で経営が厳しい物流業界に、さらなる追い打ちともなる新たな税負担には とても対応できない。そうなったら潰れるしかない。」

「走行距離課税が採用されたら 日本の物流コストはかなり上乗せになり、これは商品などのサービス価格に上乗せするしかない。円安に加えてさらなる値上げで、日本経済全体に決定的なダメージを与えることになりはしないか。」

 

それらの反発や懸念・憂慮が出ることを予想したかしないか…政府税調では 粛々と議論が進められていたようです。

参加委員の一人は「今後の財源確保のために(自動車走行税などの)そういうかなり踏み込んだ具体的な議論を行なうことを提案したい。」とか、

 

 

 

与党の元財務大臣は「自動車が走っている距離、そういったところも(税で)補ってゆかなければならない。」と述べていることが伝えられています。

 

 

 

 

・・・・・・。

この「自動車走行税」について、賢者たる国民は 議論そのものは否定するものではありませんが、多くの人が その議論を進める国(政治家や霞ヶ関官僚)自身が、その(増税議論の)前にやるべきことをやっていないのに 国民から搾取することだけを考えている〝姿勢〟について反発していると思うところです。

例えば政治家。民間であれば 経費削減の急先鋒である「人件費削減=定数削減or歳費削減」について、何ら姿勢を示さず、自分たちの身は守っておきながら増税議論だけは進める姿勢に多くの反発の声が。

例えば官僚。机上の議論のままに 現場(地域社会)の現状を置き去りにしたままに制度設計を進める姿勢に、やはり反発の声が。

 

賢者たる国民は、政策を述べる者(政治家・官僚)が 何を述べるか、それ以前に、その〝姿勢〟そのものを見ているのです。

そのことに気づかないまま、イヤ 分かっていても知らんぷりしている姿勢のままに議論を進めても「よし分かった。」とは とてもならないと言わざるを得ないところです。

 

 

で…この手の話し(事例)は、類(たぐ)いは違えど 私たちの身近なところででも散見されているのです。

例えば、長野市が「公共施設マネジメント」として、市の財政危機を念頭に(公共施設の)削減を声高に叫ぶ一方で、多額の税金(補助金)を投入した施設や設備が有効活用されないままに〝置きざらし〟になっている実態がある。ところが、そのことについて「責任の所在」を明確にしないまま〝過ぎたこと〟として看過しようとしている「姿勢」があるとすれば、善良な市民は それを良しとはとてもできないところでありましょう。

保身のままに政策だけを進めようとしても、住民(市民)理解は得られないことを肝に銘じるべきであります。

 

 

一方 長野市議会においては、次の改選に向け「議員定数削減」を実現すべく議論を具体化しつつあります。

身(み)を切って市政課題に臨む。覚悟をもって改選に臨むところです。

 

 

 

日ハム球団が札幌ドームから撤退 =自治体絡みの施設運営の最悪のケース=

行政(自治体)が建設した公共施設の今後の在り方について「公共施設マネジメント」としてさまざまな考察が始まっており、また 公金を投入した施設や設備が真に活用されているかを検証する動きがあります。

また、職員(公務員)の〝天下り〟について「これでイイの?」との疑問の声も寄せられており、このことについても検証すべきとの声が上がっています。

私としても、さまざまな市民活動に関わる中で かかる「公共施設の在り方」や「公金を投入した施設や設備のその後」さらには「天下りの実態」について検証を進めているところです。

それぞれの取り組み状況については いわば〝現在進行形〟であることから、機をみてレポートさせていただきます。

 

 

そんな中、前掲の「公共施設の在り方」さらに「天下りの実態」の問題が象徴的に示されることになった事例が報じられており、心ある市民の方(かた)からも「自治体絡みの施設運営の最悪のケースじゃないか」とご指摘いただいている事例があることから、いわば(長野市への)自戒を込めて紹介させていただきます。

「プロ野球『日本ハムファイターズ』の 札幌ドームからの移転(撤退)問題」です。

 

 

 

 

2022年〝BIGBOSS〟新庄監督の就任で話題を集めたプロ野球の「日本ハムファイターズ」が、今シーズンで 札幌市にある「札幌ドーム」から撤退し、隣接する北広島市に新規建設した「ボールパーク」に移転することになったというものです。

そして、その陰(真相)には いわば〝大家さん〟であった札幌市の「放漫経営(高飛車経営)」と、そこに群がる「天下り職員」の存在、さらに それをロクにチェック(監査)しない周辺機関の無機能ぶりがあったというのです。

いわば「ダメな状況が三拍子も四拍子も重なった状態」で札幌ドームは運営され、その結果〝最大(最高)の店子(たなこ)〟である日ハム球団に「三行半(みくだりはん)」を叩きつけられることとなってしまったのでした。

 

札幌ドームは サッカーW杯日韓大会の札幌開催を目的として2001年に開業、今年で20周年を迎えます。

これまで、プロ野球をはじめ サッカーJリーグの試合やコンサートなどの興行により経営を続けていますが、何といっても最大の売り上げの原資は プロ野球日本ハムファイターズの興行収入です(でした)。

札幌ドームを運営する札幌市の第三セクター「株式会社札幌ドーム」は、約9億円のリース料に加えてグッズ販売収入なども合わせ 総額で年間20億円以上を日ハム球団から吸い上げてきました。これについて球団側(日ハム)は 過去に値下げを求めたものの、逆に市は値上げを実施。さらに球団側は、コスト削減策として 他球団でも実績のある、公共施設の運営を民間企業などに委託する「指定管理者制度」の採用を市側に提案してきましたが、市は頑なに拒んできました。

それはナゼか。運営主体の「(株)札幌ドーム」は、市職員・幹部の大切な天下り先だからなのです。

そのうえ札幌市は「札幌ドームを使えなくなって困るのは日ハム側だ」と高を括(くく)り、選手生命にも関わるピッチ(人工芝の下はコンクリート @@)の改修などを求めてきた球団の切実な声にまともに耳を貸さなかったうえ、ろくに経営努力もせず いわば球場にあぐらをかいてきたのでした。

そのうえ、運営会社((株)札幌ドーム)の株主に 地元新聞社や放送局の幹部を据えることで、ずさん運営に対するマスコミ報道を抑え込み、道民に かかる深刻な事態を伝えないままに看過する有様(ありさま)…いわば「臭いものに蓋(ふた)をし続けて」これまで過ごしてきたようなのです。

そんな札幌市の対応に業(ごう)を煮やした日ハム球団は、2016年頃から自前での本拠地球場建設の検討を始めましたが、それでも札幌市は真面目に対応を検討しなかったそうです。この 札幌市の危機感の無さと、日ハム球団の(移転への)本気度は決定的に乖離(かいり)し、ついに日ハム球団は 札幌市に隣接する北広島市に総工費600億円をかけて新球場を建設したのです。

日ハム球団とすれば、そこまで金をかけても札幌ドームを出ていきたかったということでしょう。

 

 

 

新球場は、米メジャーリーグでは一般化している「ボールパーク構想」を取り入れ、野球ファン以外の家族連れなども楽しめる一大アミューズメントパークを目指す方向とのことで、これら新たな発想は、とても札幌市の天下り職員からなる第三セクター的な発想からは出てこないと揶揄されているとのことです。

 

今回の〝移転騒動〟により、おそらく札幌ドームは大幅な収益減となり、相当の赤字が発生することになるでしょう。

そして その赤字分は、(札幌ドームが)市の第三セクターとの性質上 札幌市民の税金(一般会計)から補填されることになるのです。

札幌市&天下り職員の怠慢経営により、最後にツケを背負わされるのは 何いう札幌市民なのです。

 

この事例は、前掲の心ある市民の指摘どおり「自治体絡みの施設運営の最悪のケース」でありました。

ところが、規模は違えど 私たちの周辺でも類似した事例が散見されています。

かかる札幌ドーム事案を「他山の石」と捉え、いずれにしても 最終的に市民にツケが回ることの無いよう、今のうちからチェック機能を先鋭化してゆかなければならないと 心した者の一人であります。

 

 

国の新たな支援策に対する「違和感」

この冬に予定される「家計の電気代負担軽減策」についての「違和感」を感じられる方がいます。

これは 政府による経済対策の一環で、今後予定される「電気料金の値上げ」に際し、国(政府)が 値上げ分の相当額を補助し、その詳細を電力料金の明細書「燃料費調整額」の欄に(値下げ分を)表示しようとするものです。

政府はその値下げ分に相当する補助金を、電力会社に支給するとのことです。

 

 

 

これは、輸入燃料費の変動に合わせて電力会社が電気料金を調整(家計負担に転嫁)する「燃料調整制度」に基づき、昨今の(輸入燃料費)の高騰に伴い(電力小売り額の)値上げが家計に悪影響を与えないよう支援(電力会社に補助)するものです。

輸入燃料費増加分の転嫁は、電力会社が経産省に申請して認可を得た電力料金の1.5倍が その上限と定められていますが、既に 電力大手10社の全てで、家計向け電気料金が上限に達していることから、このままゆけば 電力会社の収益圧迫を受容し続けるか、それを回避するために電気料金の値上げに踏み切るかの苦しい選択を迫られてきています。

この状況に際し 政府の担当相(経済産業相)は、家計の電気料金が来春に2~3割の値上げが予想されることから、来年早々に その負担増を抑える考えを示したとのことです。

経済研究所によると、政府が電力会社への補助金を通じて家計の電気料金を3割押し下げ それを1年間続けると、家計が支払う電気料金は この政策がない場合と比べて平均で4万4,785円下がる計算となり、全世帯で年間2兆6,077億円の負担軽減=財政支出の増加額となる とのこと。

さらに政府は「ガス料金」についても同様の家計負担軽減措置(=ガス会社への支援)を検討しており、それに伴う1年間の家計負担の軽減額は 平均で1万9,281円、全世帯で年間1兆1,227億円となり、電気とガスを合計すると 政府の支援策総額は1年間で3兆7,303億円となるとのことです。

 

 

 

この経済研究所はさらに、こうした支援策が実施されると (支援策が)実施されない場合と比べて家計の所得は増加し それが消費刺激効果を生むことが期待されると述べています。

過去の定額給付金の経験では、一時的な所得増加は「貯蓄」に回る比率が高く 消費に回るのは所得増加分の1/4程度であり、これを踏まえてGDP押し上げ効果を計算すると 家計の電気料金支援で 役6,500億円・ガス料金支援も含めると 約9,300億円となり、年間GDPの押し上げ効果は0.17%になるとのことです。

他方 政府は、家計だけでなく企業の電気料金の負担も軽減する考えとのこと。

これ(企業向け支援)については、電力販売のうち企業向けは7割を占めることから 政府の財政支出は7.8兆円に及ぶ計算にもなるとのことです。

 

この、電気・ガスの支援対策について 総論については理解するものの「めざすべき方向が違うのではないか。」という方がおられます。

すなわち、こと 電気・ガスなどの〝生活エネルギー〟については、社会全体が でき得る限り節減に努めるべき事項ではないだろうか。

それを、単純に(電気・ガス料金の)引き下げを行なうだけでは、消費者(利用者)は 支援によって〝浮いた〟電気を いわば野放図に使用することになりはしないか。

で あるとするならば、例えば 積極的に節電を行った人や世帯に対し付加的に補助するなど、実際に(節電に)汗をかいた人にこそ支援することで 節電の連鎖が広がり、結果 全体としてエネルギー消費の低減につながるのではないかという考え方です。

 

また一方で、今回導入される電気・ガスの支援策も 既に行なわれているガソリンの(元請け企業への)支援についても、家計の所得水準や企業の経営環境に関わらず 一律での支援を行う仕組みとなることから、これでは 電気・ガス料金の値上げによってほぼ打撃を受けない高額所得者や経営環境が良い企業も政府の恩恵(支援)を受けることになってしま、真に困っている人や世帯・企業へ十分な支援につながりにくいという評価もあります。

 

ここへきて矢継ぎ早に行なわれる経済支援。

バラマキ的な一時凌ぎ策に終始しないよう、真に困っている人たちの救済につながることを期待するばかりです。

 

 

日(光)を浴びること・当てることの大切さと難しさ

ラジオのコラムで、コメンテーターとして出演した臨床心理学教授(A教授)が「引きこもり生活を送る人は「日の光」を浴びることが重要」との話しをされ、耳目を引きました。

現在、わが国には60万人を越える人が「引きこもり生活」を送ることになってしまっているそうです。

このこと(引きこもり)は、おそらく本人が望んで至った経過ではないと思います。

いち市民として社会の中で生活を送るうちに、ふとしたキッカケで社会と隔世することになってしまい それ以降は時計の針だけが進む毎日になってしまった。

本人やご家族や周囲の関係者のいずれもが、いわゆる普通の社会生活を送ることが望ましいことは百も承知の中、その一歩が踏み出せないままにいることは、忸怩(じくじ)たる思いの最たるものと拝察するところです。

 

ラジオの声でA教授は「引きこもり生活が長期に亘っている中、せめて一日に1回でも「太陽光を浴びる」ことを行なってほしいのです。」と語りかけていました。

それによると、引きこもりによる運動不足・太陽光を浴びない生活・他人との会話のない暮らしが続くと「セロトニン」という神経伝達物質(脳内物質)を減らしてしまうことになってしまうそうです。

「セロトニン」は  脳内にあるセロトニン神経から分泌され、私たちの精神状態を健やかに保つという大切な役割を果たしているとのこと。「セロトニン」が脳内に多く存在していれば、私たちはストレスにも動じることなく 健やかな社会生活を送ることができるそうです。たとえイヤなことがあっても気分転換できたり 失敗しても再びチャレンジを繰り返せる…さまざまな面で ストレスに負けない(くじけない)生活を送れるのは「セロトニン」の効果といえるとのことです。

この「セロトニン」を分泌するセニトロン神経は、太陽の光を浴び 適度な運動をし、そして周囲の人との触れ合いによって活性化されていきます。しかし、引きこもり生活が続き 孤独な状態で家の中にじっとしていると、セロトニン神経は次第に弱っていき セロトニンの分泌量が減って〝ストレスに弱い脳〟になってしまいます(これは「引きこもり問題」だけではなく、コロナ禍に伴う〝コロナうつ〟などのメンタルヘルス問題の原因にも挙げられています)。

で…「引きこもり」と「セニトロン」は、いわばマイナスの相関関係にあるそうです。

引きこもる→室内に居続け日光を浴びない→セロトニンがさらに欠乏する→朝の目覚めが悪くなり、イヤなことがあっても気分転換をしにくくなる→引きこもり生活がさらに続く…との〝負のスパイラル〟に陥ってしまう。

 

そんな状況下で「せめて」としてA教授が勧めるのが「一日1回、日光を浴びましょう」とのことです。

人と会わなくてもイイ、運動しなくてもイイ、せめて日中に一日1回でいいからカーテンを開けて 日(陽)の光を浴びて「セロトニン」を分泌してほしい、と訴えておられました。

 

がしかし、それを聞いた私は「それ(日中にカーテンを開けること)がイチバン難しいんじゃないか?」と思い 反駁(はんばく)しかけたものでした。

引きこもっている家族の居る部屋に日中に入り、カーテンを開けたりすれば「余計なことすんな!」と逆ギレされるんじゃないかと思ってしまいました。

すると、私の気持ち(疑問)を見透かしたようにA教授も「引きこもりの部屋のカーテンを開ける行為は できそうで出来ないものです。家族の方におかれても 突然に部屋に乗り込んで「シャーッ」とばかりに(カーテンを)開けるのではなく、(引きこもり家族に)寄り添う中で 段階的に開けられるよう努めてみてください。」と優しく説いておられたのでした。

 

 

・・・・・・。

このラジオコラムに接したときに私は、ジャンルや視点は全く違うものの「日(≒光)を当てる…当てない」という面で 福祉事業に思いが至ったところです。

前掲の「引きこもりの人に日の光を」については、家族や周囲がこの人を前向きに誘導しようと努め、その手段の一つとして日の光を浴びさせようとしているものです。

ところが逆に、対象者に敢えて光を当てさせず いわば室内に留め置くを旨とする事業もありはしまいか。

例えば 障がい者福祉(支援)。

本来であれば、障がい者に光を当て できれば外に出て社会参画させるべき(周囲が)努力すべきところ、敢えて障がい者には光を当てないよう…施設内に留め置き現状維持を旨として時間を過ごさせる対応、これは前掲の「当事者に光を!」とは全く逆行した考え方だと思います。

(この場合の「光」とは 物理的な「日光」というニュアンスではなく、周囲が積極的に見守ったり 脚光を当てるといった意味の「光」です)

 

 

「引きこもり」に端を発した「当事者に光を当てるか当てないか」の議論の通底には「真に相手のためになることを考えて行動しているか否か」が〝分かれ目〟としてあると思います。

家族や当事者を思いやり、いずれは社会で共生できるように計らってあげたい。

そう思えるか思えないかで、支援する側の深層心理までも読み解けるとも思うところです。

 

同志社大学の新川達郎名誉教授の論説より

 11月に入りました。これから、長野市のみならず国及び地方自治体では、来年度(令和5年度)に向けた予算編成の作業に入っていきます。私が所属する会派においても、今月中旬、市長に対し令和5年度予算・施策に対する要望書を手交する予定で、現在、そのための議論を行っているところです。  予算編成はもとより、議会及び議員は様々な視座から行政側と議論を行いますが、さすがに、各職員は行政のプロであり、そのプロと議論するには私たちもそれ相応に理解を深め、知識を積み上げ、議論を深めていかなければなりません、そうした中、地方自治体の財政運営と議会の役割等について、同志社大学の新川達郎名誉教授の論説に接しました。大変参考になりましたので、ご紹介します。 <財政運営と財政民主主義>  現代社会においては地方自治体も一つの経済主体である。地方自治体の活動は収入と支出によって行われており、収支のバランスをとった運営が求められている。これを一般的には財政運営と呼んでいる。  収入については徴税という強制力のある財源があり、支出については住民の福祉の向上を目的とし、公平公正にお金を使うことになっている。つまり、財政民主主義ということ。  地方自治体の財政民主主義の基本にあるのは、予算制度であり、予算というと予算編成に専ら関心が向きそうであるが、予算制度は、予算編成、予算執行そして決算という一連の財政運営を指すものである。  住民の代表機関である議会は、毎会計年度の事業開始の前にあらかじめ予算を議決しなければならず、当該年度に入ると執行機関はその予算を適正に執行し、その翌年度には執行後の予算について決算を調製し、議会の議決を得る。  自治体議会の地方財政に関し、次年度予算編成に関する審議に関心が集まりやすく、重視されることは当然だが、毎年度の予算編成(計画)は、前年予算の決算(監視評価、修正行動)によって修正あるいは立案されるのであって、議会は決算(評価)を踏まえて、予算(政策形成)審議を行うのである。 <議会として持つべき能力>  議会は、財政運営における政策方針の全体像のみならず、個々の政策・施策・事業の財務についても理解し、事前と事後に政策評価をすることができる能力を持つ必要がある。  議会とその議員は、政策財務の基礎知識、予算と決算の基礎知識を持った上で、決算議案や予算議案のみならず、そこに含まれる政策・施策・事業のそれぞれの政策財務について審議し決定する能力を持たなければならないのである。 <政策の観点から財務を審議する議会>  ①政策課題が的確にとらえられているかが問題であり、住民ニーズやその意向の把握が必要となる。予算制度における住民の視点の反映は議会の審議の要点である。  ②政策案の妥当性や合理性の審議が必要。政策提案は執行機関からも議会からも可能であり、時には住民提案も考えられる。その際に、提案がその目的を達成することができるものであって、実現可能性があり、必要な財源資金を調達できるかどうかを議会として評価し判断する必要がある。  ③政策・施策・事業の実施状況を適切に監視すること。実施過程が適時的確に進捗しているかどうか、とりわけ予算執行状況は、その成果に直結することから、監査委員のみならず議会による監視体制が整えられなければならない。  ④政策評価の観点からの審議機能。とりわけ決算過程においては、会計上の適正だけではなく、政策の成果の観点からの評価が求められ、それが次の政策形成に向けての出発点の役割を果たす。  従来軽視されてきた決算や監視の機能を重視し、それを踏まえた政策提言をし、議会と議員が、そうした視点を持って政策財務に取り組む必要がある。 <政策的な財政運営への転換>  地方自治体の財政運営は、これまで一般的に言われてきた「入るを量りて出ずるを制する」という考え方に対して、「出ずるを量りて入るを制する」という視点も重視されるようになってきた。  これまでの発想は、保守的な財源金庫番主義的運営であり、財源中心の財政運営の傾向が強かった。他方、現在、必要とされる支出額を考えて財源を確保するという政策的な財政運営への転換が求められるようになっている。 それは収支の均衡や健全財政の原則を否定するのではなく、「選択と集中」という標語に示されるように、政策意図を明確にした財政運営が求められる。  しかしながら、今日の低成長と財源制約が厳しくなった時代においてこそ、政策的な観点からの地方自治の展開が求められ、それに対応した財政運営が必要。  政策財務はそのためのカギになる観点であり、地方自治を担う自治体議会の中枢的な役割の一つである。そうした観点から政策・施策・事業を監視・評価し、その成果を踏まえて政策提案や審議を行い、議決をしていくことにある。 <自治体議員が備えなければならない能力>  このような議会の権能を果たしていくためには、政策財務に関する知識や運用能力を、自治体議員が備えていかなければならない。政策、計画、事業とその財務を一体的に理解すること、執行監視や成果評価を行い、費用便益を明らかにし、金銭収支の適正を確保し、財源資金の調達と支出の合理性を追求することは、これからの自治体議員にとって必須ということになる。  政策・施策・事業のいずれのレベルにおいても、  ①政策問題ないし政策課題の探索ないしは発見が前提となる。  ②その政策問題について政策課題として俎上(そじょう)に載せることができるかどうかの判断、いわば政策的に対応できる問題かどうかを判断しなければならない。  ③政策的対応ができるとして、その目的達成のための最も合理的な遂行手段(政策手段)を提案できなければならない。  ④良い政策提案も、その実現可能性、それに必要な財源資金をはじめとして資源調達が可能か、実施の環境条件が整っているのかを判断しなければならない。  ⑤政策の選択や決定を合理的に行わなければならない。  ⑥その政策の実施を監視する必要がある。  ⑦最後に、その政策の評価を行うこと。  地方自治体が経済主体として政策に、いかにかかわるかというマクロな観点から、個別の政策経費における合理的な資金収支の構成まで、求められている政策財務の知識や技術の範囲は広い。  自治体議員としての政策財務の知識、技法、その運用の習熟には、様々な「議員力」の向上の方策が必要となる。財務会計の基礎知識のみならず、政策財務を議員が作動させる個々の能力の向上、組織や仕組みの理解などの力を養わなければならない。  以上、ご紹介するとともに、私自身、常に留意しながら取り組みを進めたいと思います。