長野市議会議員会派

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青木島遊園地廃止問題 ~発想の転換を、との新提案~

今や大きな社会問題となっている「青木島遊園地廃止問題」ですが、その解決に向けて何らかの表明があるのでは?と期待された 22日開会の長野市議会令和5年3月定例会での「市長施政方針演説」でも、具体的(存続or廃止)は言明が無いままに終始し、事態は いわば膠着状態のまま推移しています。

これまでの経緯を踏まえ、(私も含め)遊園地の存続を願う人は「廃止手続きの撤回を!」と求め、そうでない人は「このまま廃止すれば」と言うなど いわば綱引きの状態が続いています。

 

と、そんな中 地域の識者であるIさんが、ある意味〝目からウロコ〟の新提案をしてくれました。

この問題については、Iさんも 私(たち)と同じ認識(存続)でおられるのですが、そんなIさん 何を言うかと思ったら「役所は、このまま「遊園地廃止」の手続きを進めたらいい。」とのことなのです。

それを聞いた私、思わず「え?」と Iさんの顔を二度見してしまったものでした。

その 私の怪訝(けげん)な表情を見て取ったIさん、口元に笑みを浮かべながら「行政職の性分(しょうぶん)を理解したうえでの、発想の転換だよ。」と。

Iさん曰(いわ)く「クラちゃんもご存知のとおり、行政職というものは いったん踏んだ手続きを、撤回したり改廃することには ものすごく抵抗するもんだ。「既に決まったことです」ってね。」

「だから 今の(遊園地)問題においても、所管課が「廃止」を宣言した以上は それ(廃止)を撤回しろと言っても、本来の議論(遊園地が必要か否か)とは全く違う価値観から「一度決めたものは変えられない」と突っぱねているんじゃないか。」

「で あるとするならば、所管課の言うとおり今の遊園地は 廃止してしまうのさ、一旦。」

「それでね…。」とIさん。

「廃止したうえで、新たに設置するんだよ。遊園地を。今の場所に そのままの形で。」とのことでありました。

「だってさ、廃止の理由に「管理の担い手(愛護会)が無くなった」とか「地元の要望で廃止」とか言われているけど、実際には 新たな愛護会もでき、地元住民の多くは存続を願っていて、状況は(今までと)大きく違っているのだから、どう考えても 遊園地は存続すべきなのサ。でも、市側は「廃止」で手続きを進めてしまっている。」

「だから この際は、遊園地の場所はそのままに 今までの遊園地は廃止→で 新たな遊園地をスタート と、いわばリセットすればスッキリゆくと思うんだ。そのうえで、これからの運営について 苦情者も含めて皆なで考えてゆくのさ。どうしたら円満に遊園地が運営できるか、みんなで。」

「そのことこそが、市長のいう「地元に戻す」の大義にも叶うんじゃねーの。」とのことでありました。

 

そのうえでIさんは、今後の市の体制についても一言。

「今までは、所管課がバラバラになって対応したから 話しがおかしくなった。だからこれからは この件に関するプロジェクトチームを、それも庁内で(職員を)公募し 市長直轄で対策に当たらせるのさ。」

「今までは、異動で当て職になった職員が 任期内は「とりあえず」を是(ぜ)として いわば場当たり的な対応を重ね、結果 抜本的な解決に至らなかった。だから今後は、やる気のある職員を配置して(職員が)自発的解決を成し遂げるよう仕向ける。この取り組みは、この遊園地問題に止(とど)まらず 今後の自治体運営(職員態勢)の成否を占うことにもなると思うよ。」とのことでした。

 

Iさんのご指摘は、いわば 市役所職員の 今の体質をイイ意味で糾弾し、それらを斟酌したうえで 今後に向けても好転換となり得る、実に斬新な提案でありました。

「遊園地を存続させるべきだからこそ、廃止手続きを進めよ。」

どこかの場面で 披瀝してみたいと思うところです。

 

 

 

「青木島遊園地廃止問題」 議論は議会の場へ

今や大きな社会問題となった「青木島遊園地廃止問題」は、さまざまな経過を経て現在に至り そして事態のさしたる進展も無いままに3月議会に突入することとなっています。

その〝これまでの経緯〟の中で、市の所管課をはじめ 最終的には市長も前線に立つことになったうえで、さまざまな対応や それに伴う発言などが為(な)されていますが、私や周辺の関係者は、せめて3月議会の前には 市(市長)の方(ほう)から、遊園地の存廃についての何らかの意思表示がされるものと思っていましたが、残念ながら そこ(存廃)に至る発言はありませんでした。

それどころか 市長は、議会初日の施政方針演説の中で むしろ課題を大きく膨らませたうえで「近く 私が考える解決策をお示ししたい。」と いわば啖呵(たんか)を切るかの発言を行なっており、(私を含め)市民の疑心暗鬼は増すばかりの状態となっています。

こうなってくると、これから行なわれる本会議や委員会の場で議論になることは必定であり、やはり私も含めて 議論は議会の場へと移ることになっています。

 

そんな中、私は 一連の市長発言について注目すべき点がいくつかあり、そこに氏の心中(深層)を感じ取るところです。

そのうえで これは私の「感じ」なのですが、荻原市長は非常に素直に事態に向き合っておられ、で そんな素直な性格そのままに、ご自身の思ったことをそのまま口に出し それがまた 物議の火種になっているんじゃないかと感じさせられています。

先日のブログでは、議会初日の施政方針演説を解析してみましたが、過去の市長の〝語録〟にも 氏の揺れる心情を、その深層が垣間見えるところです。

「18年間の経過を踏まえて総合的に廃止を判断した」

「廃止のままでいくのはどうかなと。」

「反省すべき点としては 区長さんに地域のことを任せすぎたこと。」

「地域のことは地域でという意見もふまえて判断材料にしながら決断したい。」

いわば 行ったり来たりの〝ブランコ発言〟であることが分かります。

で、この〝行ったり来たり〟に市民は困惑…「一体どっちなんだ!?」と語気を荒げる人もいるほどです。

ただ これを性善説で捉えれば、それだけ荻原市長は 事態を真剣に考え・悩んでいることの証左とも言えるでしょう。

ところが その揺れる心情を、現に言葉にするばっかりに そのいちいちが「市長発言」として独り歩きしているフシもあり…素直な市長は 記者の問いに(そのときの心情を)素直に答え、それが波紋を招くというスパイラルに陥っているようです。

 

ただ一つだけ、私が改めて気になったのは 施政方針演説の中で「仮にこれまでどおり遊園地を存続した場合でも、遊園地の利用方法や管理方法、さらには、児童センターや保育園の送迎などの課題があります。」と述べた点です。

これは(市長は)「遊園地問題と児童センター運営問題をごっちゃにしているのではないか」と憂慮せざるを得ないところです。

このことについては、かつて私のブレーンであるMくんからも「今回の火種となった〝音を巡る苦情〟による影響においては「遊園地の存続と児童センター運営は分けて考えるべき」と指摘され 私も甚(いた)く同感するところですが、こと ここに至って、市長ご自身が そこを同じ土俵に載せてしまっているとすれば、事態の解決は ややこしさを増幅するばかりとなってしまうのです。

ここは切り離して考えるべきと、改めて指摘しなければならないと思いました。

 

以前も述べましたが、荻原市長は この案件について、先ずは逃げずに地元に足を運んで住民の声を直(じか)に聞く行動を興(おこ)された。このこと自体は高く評価したいと思います。

そのうえで氏は、前掲のとおり 素直に真面目にこの問題に向き合い、行ったり来たりをしながら悩みを深めておられる。

そのことに対し、真剣に子どもを思う心ある市民の方々は 何も市長を追い込んで「どうするつもりだ!?」などと詰め腹を迫るつもりは毛頭ないことを聞いています。

むしろ、事(こと)はここまで至ってしまったけれど、それら全てを包含して 円満解決に向けて共々に歩んでゆきたいを思っておられるのです。

そのうえで市長におかれては、そのゴーサインの意味を含めて「遊園地は存続」の判断を下してもらいたい。

その「Go!」さえもらえれば、地域は一斉に走り出すことでしょう。

その合言葉は「子どもたちのために!」ただワンフレーズです。

 

今後、市(市長)をどう懐柔してゆくか。

先ずは本会議での議論が待たれるところです。

 

「青木島遊園地廃止問題」 議論は議会の場へ

今や大きな社会問題となった「青木島遊園地廃止問題」は、さまざまな経過を経て現在に至り そして事態のさしたる進展も無いままに3月議会に突入することとなっています。

その〝これまでの経緯〟の中で、市の所管課をはじめ 最終的には市長も前線に立つことになったうえで、さまざまな対応や それに伴う発言などが為(な)されていますが、私や周辺の関係者は、せめて3月議会の前には 市(市長)の方(ほう)から、遊園地の存廃についての何らかの意思表示がされるものと思っていましたが、残念ながら そこ(存廃)に至る発言はありませんでした。

それどころか 市長は、議会初日の施政方針演説の中で むしろ課題を大きく膨らませたうえで「近く 私が考える解決策をお示ししたい。」と いわば啖呵(たんか)を切るかの発言を行なっており、(私を含め)市民の疑心暗鬼は増すばかりの状態となっています。

こうなってくると、これから行なわれる本会議や委員会の場で議論になることは必定であり、やはり私も含めて 議論は議会の場へと移ることになっています。

 

そんな中、私は 一連の市長発言について注目すべき点がいくつかあり、そこに氏の心中(深層)を感じ取るところです。

そのうえで これは私の「感じ」なのですが、荻原市長は非常に素直に事態に向き合っておられ、で そんな素直な性格そのままに、ご自身の思ったことをそのまま口に出し それがまた 物議の火種になっているんじゃないかと感じさせられています。

先日のブログでは、議会初日の施政方針演説を解析してみましたが、過去の市長の〝語録〟にも 氏の揺れる心情を、その深層が垣間見えるところです。

「18年間の経過を踏まえて総合的に廃止を判断した」

「廃止のままでいくのはどうかなと。」

「反省すべき点としては 区長さんに地域のことを任せすぎたこと。」

「地域のことは地域でという意見もふまえて判断材料にしながら決断したい。」

いわば 行ったり来たりの〝ブランコ発言〟であることが分かります。

で、この〝行ったり来たり〟に市民は困惑…「一体どっちなんだ!?」と語気を荒げる人もいるほどです。

ただ これを性善説で捉えれば、それだけ荻原市長は 事態を真剣に考え・悩んでいることの証左とも言えるでしょう。

ところが その揺れる心情を、現に言葉にするばっかりに そのいちいちが「市長発言」として独り歩きしているフシもあり…素直な市長は 記者の問いに(そのときの心情を)素直に答え、それが波紋を招くというスパイラルに陥っているようです。

 

ただ一つだけ、私が改めて気になったのは 施政方針演説の中で「仮にこれまでどおり遊園地を存続した場合でも、遊園地の利用方法や管理方法、さらには、児童センターや保育園の送迎などの課題があります。」と述べた点です。

これは(市長は)「遊園地問題と児童センター運営問題をごっちゃにしているのではないか」と憂慮せざるを得ないところです。

このことについては、かつて私のブレーンであるMくんからも「今回の火種となった〝音を巡る苦情〟による影響においては「遊園地の存続と児童センター運営は分けて考えるべき」と指摘され 私も甚(いた)く同感するところですが、こと ここに至って、市長ご自身が そこを同じ土俵に載せてしまっているとすれば、事態の解決は ややこしさを増幅するばかりとなってしまうのです。

ここは切り離して考えるべきと、改めて指摘しなければならないと思いました。

 

以前も述べましたが、荻原市長は この案件について、先ずは逃げずに地元に足を運んで住民の声を直(じか)に聞く行動を興(おこ)された。このこと自体は高く評価したいと思います。

そのうえで氏は、前掲のとおり 素直に真面目にこの問題に向き合い、行ったり来たりをしながら悩みを深めておられる。

そのことに対し、真剣に子どもを思う心ある市民の方々は 何も市長を追い込んで「どうするつもりだ!?」などと詰め腹を迫るつもりは毛頭ないことを聞いています。

むしろ、事(こと)はここまで至ってしまったけれど、それら全てを包含して 円満解決に向けて共々に歩んでゆきたいを思っておられるのです。

そのうえで市長におかれては、そのゴーサインの意味を含めて「遊園地は存続」の判断を下してもらいたい。

その「Go!」さえもらえれば、地域は一斉に走り出すことでしょう。

その合言葉は「子どもたちのために!」ただワンフレーズです。

 

今後、市(市長)をどう懐柔してゆくか。

先ずは本会議での議論が待たれるところです。

 

青木島遊園地廃止問題/長野市議会3月定例会で発せられた、荻原市長の言葉

今や 大きな社会問題となっている「青木島遊園地廃止問題」ですが、その存廃に向けて結論が先送りされたまま今日に至っています。

この間の経緯については これまでも触れてきているところですが、市が粛々と進めていた施設の廃止手続きに対し 地元住民をはじめ多くの人たちから異論の声が挙げられ、そしてそれは「世論」ともなって全国的な話題にもなってしまいました。

このことに際し、当初は所管課だけの対応でケリがつく(ケリをつける)ハズであった長野市でしたが 案に反して事態は想定外の様相となり、最終的に市のトップリーダーである荻原市長が矢面に立ったうえで 事態の収拾を図る展開になっています。

そんな中 荻原市長においては、自ら住民説明会に出席し 直接に住民の意見を聞くなどして、責任ある行動を取られており、このことについては 私も高く評価しています。

以前も述べましたが、並(なみ)の首長であれば「既に決まったこと」として いわば逃げるところですが、氏は その道を選ばず、自ら住民の懐(ふところ)に飛び込んできてくれました。

同時にこのことは、住民にとっても大きな期待につながったのでした。

集会の中、またその後のぶら下がり会見で 市長は「市は(遊園地)廃止の判断をさせてもらったが、出席した皆さんの話しを受け止めた中で、廃止のままでいくのはどうかな。」としたうえで「廃止なのか、存続なのか含めて判断していきたい。」と、これまで廃止一辺倒だった(市の)姿勢を見直し 遊園地の存続も視野に検討することを表明したのです。

そのうえで「いろいろと深く考えさせていただいている。この街で起きていることなので、最終的には私が責任を持って判断したい。」さらに「いたずらに判断を延ばすことはない。」とし、早期に 自身の責任の下(もと)に、然(しか)るべき結論を出すことを明言したものでした。

あれから10日。

周囲の期待や時間経過を余所(よそ)に 時間ばかりが経過し、そして ついに令和5年3月議会の開会日を迎えることになってしまいました。

この日まで「熟考中」を繰り返していた荻原市長ですが、議会の初日には 首長(市長)による施政方針演説が行なわれることになっており、否が応でも この件に触れなければならないでしょう。

氏は ひと亘りの政策説明を行なった後「Ⅳ おわりに」の章で、青木島遊園地廃止問題について触れられました。

以下、市長の発言の施政方針の「青木島遊園地」に係る部分の全文です。

 青木島遊園地につきましては、12月市議会定例会において、廃止の判断に至るこれまでの経過などをご説明いたしましたが、その後、遊園地存続を望む市民の皆様の意見が多く寄せられたことから、今一度、皆様の声をお聴きするため、青木島地区区長会の皆様と懇談の機会を設けさせていただくとともに、住民説明会を開催し、地域住民の皆様のご意見を伺ってまいりました。

 住民説明会にご参加いただいた皆様からは、廃止の判断に至るまでの経緯に疑問を感じているというご意見や、子どもたちのために遊園地を存続してほしいというご意見をいただく一方、生活環境の面から遊園地廃止の方針に賛同するご意見もありました。

 また、青木島小学校も含めて、子どもたちが遊べる環境整備について、ご提案も頂戴したところであります。

 青木島遊園地につきましては、利用を巡るこれまでの状況や関係の皆様との協議、区長会の要望など、18年間の経過を踏まえて、総合的に廃止の判断をいたしましたが、住民説明会を開催する中で、地域の皆様に様々な受け止めがあることを改めて認識し、遊園地存続の選択肢を含めて熟慮してまいりました。

 一方で、遊園地の土地は借地であり、また、仮にこれまでどおり遊園地を存続した場合でも、遊園地の利用方法や管理方法、さらには、児童センターや保育園の送迎などの課題があります。

 加えて、今回の件では、個人のプライバシーが侵害される事案が発生しているほか、反響の大きさに対する地区役員の困惑や異なる意見の対立も見られ、地域の分断や更なる人権侵害につながることも懸念されるところであります。

 これらの状況から、もはや青木島遊園地の存廃という問題だけなく、周辺の住環境、子育て環境など、顕在化してきた課題を含めて、総合的に改善・解決していく必要があると考えております。

 これらの様々な課題や制約を勘案する中で、近く、私が考える解決策をお示ししたいと考えておりますので、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。

 

 

・・・・・・。

ご一読のとおり、残念ながら この日の所信では、この案件についても明確な意思表示がされることはありませんでした。

それどころか 市長は、遊園地の存廃の判断を飛び越え「もはや青木島遊園地の存廃という問題だけなく、周辺の住環境、子育て環境など、顕在化してきた課題を含めて、総合的に改善・解決していく必要がある」とし、言いようによっては 広げた風呂敷をさらに大きく広げ、課題をさらに大きくしたうえで解決策を示すという、何というか スキージャンプのスタート位置のバーを自ら上げ、ノーマルヒル競技をラージヒルに自らエントリー変更したようにも映ったところです。

この発言が 何を意味しているのか。起承転結を読み解くと、

「当初(22年12月時点)では廃止方針だったが、存続意見が多かったので、区長会と住民説明会を開いた」

「説明会では、存続と廃止の両論を伺った」

「これまでの経緯を踏まえ廃止を決めたが、住民にさまざまな受け止めがあるので 存続の選択肢も含めて熟慮してきた」

「土地は借地・存続しても利用方法や送迎などに課題がある」

「個人のプライバシー侵害や区長会の困惑・対立に伴う人権問題や地域の分断が懸念される」

「もはや青木島遊園地の存廃という問題だけなく、総合的に改善・解決していく必要がある」

「近く、私が考える解決策をお示ししたい」

荻原市長の〝揺れ具合〟が如実に表された所信でありました。

この「総合的に(な)改善・解決」とは 何を意味しているのか。

究極的には (音を巡る)問題の起点となっている施設(保育園・児童センター)の移転も視野に検討するということなのでしょうか。

しかし それでは、長野市は苦情に屈して逃げたことになり、すなわちそれは「長野市は大人の事情で子どもの居場所を奪った共同正犯」のレッテルを貼られることにもつながることになります。いわば道義的な面において、決して理想の選択とは言えないところでありましょう。

また 私が最も憂慮するのは、いたずらに時間が経過する中 何より他ならぬ子どもたち自身が、その権利(遊ぶ権利)を侵害(剥奪)され続ける(され続けている)ということであります。

この間…市長が〝熟考〟している間・また総合的な改善・解決を進める間、遊園地は利用を止められ (これまでも触れているとおり)子どもたちは不自由や危険と背中合わせになったままで過ごすことを強いられるのでありましょうか。

 

青木島遊園地は 再開すべきであります。

そのうえで 市長の言われる「総合的な改善・解決」に向け、みんなで熟考してゆきましょう。

3月長野市議会が開会されるも、判断は またも先送りとなりました。

残念の極みであります。

 

 

 

青木島遊園地廃止問題/長野市議会3月定例会で発せられた、荻原市長の言葉

今や 大きな社会問題となっている「青木島遊園地廃止問題」ですが、その存廃に向けて結論が先送りされたまま今日に至っています。

この間の経緯については これまでも触れてきているところですが、市が粛々と進めていた施設の廃止手続きに対し 地元住民をはじめ多くの人たちから異論の声が挙げられ、そしてそれは「世論」ともなって全国的な話題にもなってしまいました。

このことに際し、当初は所管課だけの対応でケリがつく(ケリをつける)ハズであった長野市でしたが 案に反して事態は想定外の様相となり、最終的に市のトップリーダーである荻原市長が矢面に立ったうえで 事態の収拾を図る展開になっています。

そんな中 荻原市長においては、自ら住民説明会に出席し 直接に住民の意見を聞くなどして、責任ある行動を取られており、このことについては 私も高く評価しています。

以前も述べましたが、並(なみ)の首長であれば「既に決まったこと」として いわば逃げるところですが、氏は その道を選ばず、自ら住民の懐(ふところ)に飛び込んできてくれました。

同時にこのことは、住民にとっても大きな期待につながったのでした。

集会の中、またその後のぶら下がり会見で 市長は「市は(遊園地)廃止の判断をさせてもらったが、出席した皆さんの話しを受け止めた中で、廃止のままでいくのはどうかな。」としたうえで「廃止なのか、存続なのか含めて判断していきたい。」と、これまで廃止一辺倒だった(市の)姿勢を見直し 遊園地の存続も視野に検討することを表明したのです。

そのうえで「いろいろと深く考えさせていただいている。この街で起きていることなので、最終的には私が責任を持って判断したい。」さらに「いたずらに判断を延ばすことはない。」とし、早期に 自身の責任の下(もと)に、然(しか)るべき結論を出すことを明言したものでした。

あれから10日。

周囲の期待や時間経過を余所(よそ)に 時間ばかりが経過し、そして ついに令和5年3月議会の開会日を迎えることになってしまいました。

この日まで「熟考中」を繰り返していた荻原市長ですが、議会の初日には 首長(市長)による施政方針演説が行なわれることになっており、否が応でも この件に触れなければならないでしょう。

氏は ひと亘りの政策説明を行なった後「Ⅳ おわりに」の章で、青木島遊園地廃止問題について触れられました。

以下、市長の発言の施政方針の「青木島遊園地」に係る部分の全文です。

 青木島遊園地につきましては、12月市議会定例会において、廃止の判断に至るこれまでの経過などをご説明いたしましたが、その後、遊園地存続を望む市民の皆様の意見が多く寄せられたことから、今一度、皆様の声をお聴きするため、青木島地区区長会の皆様と懇談の機会を設けさせていただくとともに、住民説明会を開催し、地域住民の皆様のご意見を伺ってまいりました。

 住民説明会にご参加いただいた皆様からは、廃止の判断に至るまでの経緯に疑問を感じているというご意見や、子どもたちのために遊園地を存続してほしいというご意見をいただく一方、生活環境の面から遊園地廃止の方針に賛同するご意見もありました。

 また、青木島小学校も含めて、子どもたちが遊べる環境整備について、ご提案も頂戴したところであります。

 青木島遊園地につきましては、利用を巡るこれまでの状況や関係の皆様との協議、区長会の要望など、18年間の経過を踏まえて、総合的に廃止の判断をいたしましたが、住民説明会を開催する中で、地域の皆様に様々な受け止めがあることを改めて認識し、遊園地存続の選択肢を含めて熟慮してまいりました。

 一方で、遊園地の土地は借地であり、また、仮にこれまでどおり遊園地を存続した場合でも、遊園地の利用方法や管理方法、さらには、児童センターや保育園の送迎などの課題があります。

 加えて、今回の件では、個人のプライバシーが侵害される事案が発生しているほか、反響の大きさに対する地区役員の困惑や異なる意見の対立も見られ、地域の分断や更なる人権侵害につながることも懸念されるところであります。

 これらの状況から、もはや青木島遊園地の存廃という問題だけなく、周辺の住環境、子育て環境など、顕在化してきた課題を含めて、総合的に改善・解決していく必要があると考えております。

 これらの様々な課題や制約を勘案する中で、近く、私が考える解決策をお示ししたいと考えておりますので、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。

 

 

・・・・・・。

ご一読のとおり、残念ながら この日の所信では、この案件についても明確な意思表示がされることはありませんでした。

それどころか 市長は、遊園地の存廃の判断を飛び越え「もはや青木島遊園地の存廃という問題だけなく、周辺の住環境、子育て環境など、顕在化してきた課題を含めて、総合的に改善・解決していく必要がある」とし、言いようによっては 広げた風呂敷をさらに大きく広げ、課題をさらに大きくしたうえで解決策を示すという、何というか スキージャンプのスタート位置のバーを自ら上げ、ノーマルヒル競技をラージヒルに自らエントリー変更したようにも映ったところです。

この発言が 何を意味しているのか。起承転結を読み解くと、

「当初(22年12月時点)では廃止方針だったが、存続意見が多かったので、区長会と住民説明会を開いた」

「説明会では、存続と廃止の両論を伺った」

「これまでの経緯を踏まえ廃止を決めたが、住民にさまざまな受け止めがあるので 存続の選択肢も含めて熟慮してきた」

「土地は借地・存続しても利用方法や送迎などに課題がある」

「個人のプライバシー侵害や区長会の困惑・対立に伴う人権問題や地域の分断が懸念される」

「もはや青木島遊園地の存廃という問題だけなく、総合的に改善・解決していく必要がある」

「近く、私が考える解決策をお示ししたい」

荻原市長の〝揺れ具合〟が如実に表された所信でありました。

この「総合的に(な)改善・解決」とは 何を意味しているのか。

究極的には (音を巡る)問題の起点となっている施設(保育園・児童センター)の移転も視野に検討するということなのでしょうか。

しかし それでは、長野市は苦情に屈して逃げたことになり、すなわちそれは「長野市は大人の事情で子どもの居場所を奪った共同正犯」のレッテルを貼られることにもつながることになります。いわば道義的な面において、決して理想の選択とは言えないところでありましょう。

また 私が最も憂慮するのは、いたずらに時間が経過する中 何より他ならぬ子どもたち自身が、その権利(遊ぶ権利)を侵害(剥奪)され続ける(され続けている)ということであります。

この間…市長が〝熟考〟している間・また総合的な改善・解決を進める間、遊園地は利用を止められ (これまでも触れているとおり)子どもたちは不自由や危険と背中合わせになったままで過ごすことを強いられるのでありましょうか。

 

青木島遊園地は 再開すべきであります。

そのうえで 市長の言われる「総合的な改善・解決」に向け、みんなで熟考してゆきましょう。

3月長野市議会が開会されるも、判断は またも先送りとなりました。

残念の極みであります。

 

 

 

青木島遊園地廃止問題に関連して思う ~何を守ろうとしているのか・守るべきなのか~

今や大きな社会問題となっている「青木島遊園地廃止問題」ですが、この 一連の課題に向き合う中で 私自身、さまざまに考えさせられることがあります。

これまでも触れているように、今回の案件については 子どもの大切な居場所であるハズの施設(遊園地)が、さまざまな要因が見(まみ)える中で「廃止」という選択が為(な)され、しかして その行政判断について大きな疑問が呈されました。そのうえで その(廃止との)一方的な判断が見直されることになり、最終的に「市長の責任において」然(しか)るべき決断が下されることになっています。

 

これまでの経緯の中で実感するのが、市行政側と 市民(住民)側の間の〝認識のズレ〟ともいえる行き違いです。

行政手続きに基づいて廃止に向けた手続きを進めようとする市行政側と、その経過について預かり知らないうちに結果(廃止)だけを知らされ それに強い疑問を呈する市民(住民)との乖離(かいり)…それが なかなか歩み寄ることができないまま、のっぴきならない状況に陥ってしまった感を強くするところです。

 

そのうえで 私が実感させられるのは、案件に関わるそれぞれの立場の人(担当者・部課)」が、「何を守ろうとしているか」によって、その行動形態(様態)が大きく変わる、ということです。

例えば 今回の遊園地問題については、施設の廃止に向けて いわば突き進もうとする市(所管課)は、いったい何を守ろうとして そうまでして廃止に拘泥するのでしょうか。

これまでも触れているとおり 所管課は、遊園地の廃止に向けて 何の瑕疵(かし/あやまち)も無く粛々と手続きを進めていますが、その深層…彼らは、いったい何を守ろうとしているのでありましょうか。

行政職員としての立場?敷地の現状復旧の期限?苦情者の主張?…守るべきものを何処(どこ)に据えて行動しているのか、懐疑的に尽きないものがあります。

他方、存続を願う市民(住民)の守るべき(守りたい)ものは非常にシンプルです。

それは一重(ひとえ)に「未来ある子どもの居場所を守りたい」その一心であると伺っています。

 

実は この対比(相関)は、(私の知る限り)何も この遊園地問題に限ったことではありません。

例えば、(別件で)私が関わる 知的障がい者支援に関する諸事業についても然り。

懸(か)かる事業に臨む関係者の中には、本来は 当事者(知的障がい者)の社会環境を守るために業務に挺身すべきところなのに、実際には 当事者ではなく、施設や組織を守るために行動し ややもすると当事者の福祉が置き去りにされてしまう実態もあります。

このことは「守るべきもの」を見誤ったままに職務に当たることで、本来為(な)すべき事業の目的が(理想と)違うものになってしまう、言わば悪しき実例とされてしまうものです。

 

今回の遊園地案件においては、関係者は それぞれの立場で市民益向上のために挺身していると思う(思いたい)ところでありますが、残念ながら(前掲のとおり)双方の「守るべきもの」には乖離の感が否めないところです。

そのうえで、賽(さい)は 荻原市長の下(もと)に預けられています。

氏は、長野市のリーダーとして いったい何を守るべく判断を下すのでありましょうか。

記者の問いに対して「いたずらに判断を延ばすことはない。」とも答えた市長。いつ最終判断をし、どのような結論となるのか注目されています。

 

「青木島遊園地廃止問題」によって、逆に地域のコミュニティが再構築されるよう願う

今や大きな社会問題となっている「青木島遊園地廃止問題」は、さまざまな経緯を経たうえで 長野市ならびに地域にもさまざまな影響を与えることになっています。

一部の住民(世帯)の影響を受け、子どもの大切な居場所である遊園地が廃止されるかもしれない事態は 大人の都合(苦情)で子どもの居場所が奪われるという悪しき構図が社会の大きな関心を招き、長野市(市民)の範疇(はんちゅう)を越えて全国的な話題ともなりました。

それは主に これまでの経緯の中での行政対応や苦情者に対する批判がほとんどであり「長野市は子育てに優しくない街」との風評にまで発展することになってしまっています。

また 遊園地の存廃議論の中で、その賛否を巡り 市民運動的な動きが起きたり、一方の意見を批判し〝対立の構図〟をつくろうという動きもあり、社会は何とも殺伐とした雰囲気に覆われることにもなってしまっています。

いわば 今回のことが招いた「マイナス効果」といえるでしょう。

この 決して望ましくない傾向は、いわば〝言いたい放題〟の現代社会の中では起こり得る風潮であり、とりわけ今回は「一部の苦情者⇔子ども⇔行政⇔地域」との関係性がクローズアップされることによって、その反響が大きな波と化してしまったものでありました。

 

しかしながら その一方で、あながち「マイナス」だけではない事(こと)も起こりつつあることも また事実であり、私は却(かえ)って いわば(地域にとって)逆境の中で芽生えた(地域の中での)動きについて注目を寄せているところです。

それは、今回のことを逆バネとして 改めて地域コミュニティを再構築しようという動きです。

 

みなさん既にご案内のとおり「青木島遊園地廃止問題」は、ややもすると地域の分断と混乱を招こうとする事態であり、残念ながら そこに一部のマスコミ報道や、主に外部からやSNS等を通じての情報発信が対立を煽(あお)ることとなり 事態に拍車がかかることとなってしまいました。

このような異常ともいえる事態においては、ならば地域住民は口(くち)を閉ざし できるだけ関わり合いを持たないようにして嵐の過ぎるのを待つ…いわば「オラ関係ねぇ。」との〝回避行動〟を取りがちなところでありましたが。

しかし こちらの青木島の方々は、そんなことで事態をやり過ごそうとは思っていませんでした。

遊園地廃止の情報が流れた瞬間に その裁定に疑問を呈し、遊園地存続に向けた署名運動が起きるとそれに呼応する形で地元でも起動、やがてそれら細波(さざなみ)活動は 青木島地区全体に「遊園地存続を!」の大きなうねりを起こすこととなったのです。

この〝うねり〟については、いわば粛々と(廃止に向けた)行政手続きを進めようとした市(所管課)も無視することはできなくなり、市長が出張(でば)っての区長会→住民説明会の新たな動きを余儀なくされ、今は 市長の英断を待つにまで至っています。

 

そんな中で 私が感心しているのは、遊園地存続を願う人たちが いたずらに対立の構図をつくろうとしていないところです。

この手の運動は、とにかく反対!行政おかしい!とのクーデター的な動きを取るのがイチバン手っ取り早く 外からの関心も集めやすいものですが、こと青木島の住民におかれては そんな安易な手法を取らず、あくまでも対話型 いわば「和を以(もっ)て貴(たっと)しと成(な)す」を基本として、地道な活動に徹しておられるのです。

そして かかる〝対話型市民活動〟は、話題が沸騰している今だけではなく イヤむしろ今後に向けての イイ意味での伏線になると期待を寄せるところです。

今までは、さまざまな経緯の中での功罪の影響で ウマくゆかなかった面もあるけれど、それら全ての事象を包含したうえで、見直すべきところは見直し 今後のまちづくりに活かしてゆこう。

これが 対立の構図のままに推移すれば、たとえ事態が終結したとしても 後には互いに殴り合った末に傷ついた者同士が立ち尽くすばかり…そこには遺恨(いこん)しか残らないことでしょう。

 

遊園地の存廃については、今はまだ結論(市長の判断)が下されておらず未詳のままではありますが、少なくとも これまでの経緯の中で、私は 却って自分たちの地域に対する(住民各位の)意識は高まったのではないかと考えるところです。

「未来ある子どもたちのために 如何(いか)に為(な)すべきか」を多くの大人が体現し、そこに向けて地域を挙げて取り組む姿勢に、私は一筋の光明を見出す思いがするところです。

 

 

 

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青木島遊園地廃止問題 ~子どもを取り巻くさまざまなリスク~

今や大きな社会問題となっている「青木島遊園地廃止問題」ですが、一連の経過の中で さまざまな〝子どもに関する諸課題〟が見えてきます。

今回の案件は、主に遊園地を利用する「児童センター」の利用者である放課後児童と 一部の苦情者とを巡る問題がクローズアップされています(但し このことについては、実際には 児童が発する音が苦情の主要因ではないことが分かってきていますが)。

そんな状況下で、あまり表(おもて)に出ないものの 密かに二次的な影響を受けてしまっている存在があることは、あまり知られていない事実であります。

遊園地に隣接する「保育園」の園児ならびに職員(関係者)です。

この「青木島遊園地」は 児童センター・小学校・そして保育園に近接する立地となっており、いずれの施設を利用する子どもにとって かけがえのない〝居場所〟となっています。

ところが 遊園地の向かいに住む世帯から「うるさい」との苦情が発せられ、その後さまざまな経過を経て 遊園地が利用されなくなってしまっているのはご案内のとおりです。

その後は、児童センターを使う放課後児童は 主に屋内で過ごすことを強いられているのですが、一方で 保育園の園児については、遊園地が利用できないことで いわば〝別次元のリスク〟を負わされることになっています。

それは「交通事故を初めとする社会的事案に遭遇するリスク」です。

保育園の園児にとって、預かり時間中に「お出かけ」をして 外気に触れ日光を浴びて時間を過ごすことは、園児の健全な保育の面で非常に大切なことであり それぞれの保育園が工夫をこらして子どもを外に連れ出しています。

そういう面では この「青木島遊園地」に隣接する保育園は、スグ隣りが遊園地であることから いわば徒歩0分で戸外での時間過ごしを満喫できる好環境のハズでありました。

ところが、開設間もない中での〝苦情騒動〟の煽(あお)りを受けて 遊園地での遊びが儘(まま)ならなくなり、こちらの保育園では 目の前に遊園地がありながら、別の場所での外遊びを余儀なくされることになってしまったのです。

関係者によると、子どもの徒歩で10分以上をかけて 別の遊園地や神社の境内などに出かけているとのことです。

で…そうなると、前掲のとおり 子どもたちには〝二次的なリスク〟の恐れが生じることに。

先ずは「交通事故のリスク」でありましょう。

保育園の接道は、いわゆる生活道路。歩道の無い道が多くあり そこには当然 自動車も走行しています。したがって、別の遊び場へ移動する時間内は 常に交通事故のリスクが伴うことになっています。

この種の事案とすれば、私たちは2019年に三重県大津市で起きた 多くの保育園児を巻き込んだ交通事故を思い出さざるを得ません。

何の落ち度も無い保育園児が、走行する自動車同士の事故に巻き込まれ 重大な被害を受けることになってしまいました。

クルマ社会の昨今は、道路に出れば 常に交通事故のリスクに晒(さら)されることを思い知らされた事案でありました。

また これ以外でも、何らか危ない目に遭うリスクは無いことは無いのが現下の社会情勢であります。

そういう面でも「青木島遊園地」は 保育園児を守ってくれる存在であり、安心安全のうちに健全な保育を担保してくれる「欠かせない場」なのです。

そんな さまざまな面で子どもたちにとって必要不可欠な場である「青木島遊園地」が閉鎖されようとしている。

このことについても、長野市(市長)は心にいたし 然るべき判断(=遊園地存続)を決めるべきでありましょう。

関係者のお一人はおっしゃいます「何かあってからでは遅い。「遊園地を使わせていれば こんなことにならなかった…」ということにだけはならないよう、兎(と)にも角(かく)にも存続の英断を下してほしい。」

心からの声であります。

 

                      (写真は資料)