長野市議会議員会派

改革ながの市民ネット

行政視察報告/静岡市の農業基盤整備

11月14日~15日、所属会派「改革ながの市民ネット」の行政視察に参加しました。

14日は、静岡市の「農業農村整備事業」と、愛知県新城市(しんしろし)の「若者議会」について視察に臨みました。

今レポートは、静岡市の行政視察についてレポートします。

 

清水市の「新丹谷(あらたにや)地区」では、大規模な土砂搬入による農地の〝平坦化〟を実現し、営農環境の向上と就農者人口の増加との成果を生み出していました。

 

 

 

静岡といえば「お茶」と「みかん」が有名ですが、その営農の多くが 傾斜30°にならんとする急傾斜地で営まれています。

 

 

 

そのため、各農家は 急傾斜の圃場(ほじょう)・狭隘(きょうあい)な農道等の厳しい環境により、生産性が低く なおかつ危険性の高い営農を余儀なくされ、そこに生産品(みかんや茶)の価格低迷の影響が加わって 加齢と共に当地の農業に耐えられなくなり 離農者と後継者不足が深刻な状況となっていました。

そのような中、平成9年から「新東名高速道路」の建設に伴い 500万㎣メートルもの大量の残土が発生することとなったことから、静岡県と静岡市は これを好機と捉え、この残土を受け容れることで急峻な農地そのものを埋め立てて 農地の平坦化を実現する事業に乗り出しました。

事業の竣工までには18年の歳月を要しましたが、その結果 農地の平坦化に併せて圃場の区画整理による農地整備や狭隘に過ぎた農道整備行なった結果、農業生産性の向上や農作業の安全維持と効率化が図られ 農業経営の安定に資することとなりました。

 

 

 

それまで傾斜地に点在していた狭小な農地が平坦かつ大区画に整備されたことから、改善された圃場条件が最大限に活かされ みかんや茶などの作付面積は事業実施前を上回ることとなりました。

この事業により 農地が平坦かつ大区画に整備されたことで、これまで手作業を余儀なくされていた農作業も 大型農業機械を導入などして農作業の効率化が進み、農家の負担軽減と農業生産性の向上が実現しました。

そのこと(機械化・効率化)は、地区内の認定農業者の増加(3倍以上)を促し、農地の集積と地域農業の担い手が育成されることとなったとのことです。

今回の事業実施を契機に、今後は 更なる農家所得の向上に向け、整備された農業生産基盤の下、高収益作物を対象としたブランド化や販路づくり等に向けた取り組み、さらに「環境に配慮した農業」に対する機運が高まるなど、受益農家の営農意欲の向上にもつながっているとのことでありました。

 

さて、いわゆる「現地(現場)」に直接足を運ぶ行政視察の〝醍醐味〟は、事業に携わった人(担当者)の経験を踏まえた「生(なま)の声」に接することです。

情報化社会の昨今では、自治体等の取り組みそのものについては ネット等で簡単に知ることができますが、その陰(かげ)にある(担当者の)苦労話しや 失敗も含む〝本音の部分〟については、やはり現地(現場)に出向いて直接伺うことで「実感」として伝わってくるものです。

 

この日の静岡市の〝現場〟においても、事業開始以来(事業に)挺身された 新丹谷土地改良区のN理事長が 自ら説明に赴(おもむ)いてくださり、それまでの(急傾斜地での)農業の苦労・新東名(高速道路)建設に伴う 残土発生の報を聞いた際の決断の瞬間の心境・その後の行政や ときに政治家との丁々発止など、大事業を成功に導くための〝陰の労苦〟を話してくださいました。

 

 

 

今回の静岡市の農業農業整備事業は さまざまな条件がかみ合ったうえでの大事業であり、いわば希有な事例といえるものではありましたが、いずれにしても その通底には「あらゆる手段を講じて 地元の農業の維持向上をめざす」との 関係者の方々の強い熱意があり、それに行政(政治)が応えた成功事例と理解できるものでありました。

私たちの住む長野市においても 農業は基幹産業に位置づけられていることから、今後も営農者の基盤の維持向上に努め 将来に亘って農業が産業として発展されるよう計らってゆかなければならないと思いをいたしたところでありました。

 

 

コロナとインフルエンザのダブル感染「フルロナ」に注意を

医療従事者の方(Aさん/男性)と話す機会がありました。

Aさんは、内科・小児科の医院で医療事務に従事しておられ、直接 現場(診察)には関わらないものの、昨今のコロナ禍をはじめとする多難な医療現場の只中におられます。

コロナ禍の襲来から3年が経過しようとしていますが、曰く「あれ(コロナ発生)以来、医療現場は混沌の中にある。」と言(ご)ちておられるのでした。

今夏には「第7波」を迎え(迎え撃ち)、引きも切らない患者(感染者)さんの対応に追われ、それ(第7波)がようやく〝引き潮〟になってきたと思ったら、地方都市を中心に八度(やたび)の感染者の増加傾向となっている様相には「またか…」のイヤな予感しかないと 眉間にしわを寄せておられました。

 

そんなAさん、過日 医院のドクターから、これからの時期(時季) 特に今年に関しては、新た…というか、複合的な感染リスクに注意しなければならないことを聞き これからの医療体制(維持)に不安を抱かざるを得なかったとのことでありました。

その〝複合的な感染リスク〟は「フルロナ」と称されるそうです。

「フルロナ」とは、1人(の患者)が 2種類のウイルスに同時感染する症状のことで、特にこの冬は「インフルエンザ」と「コロナ」の同時流行が懸念される中、これらに同時に罹患したことを指(さ)した造語だそうです。

 

この「フルロナ」について照会してみると、罹患した際には 相当のリスクがあることが伝えられていました。

 

 

 

「フルロナ」は現在、主にイスラエルやアメリカ・ブラジルなどで確認されているそうです。

英国の研究チームによると、2020年2月~21年12月にかけて コロナ感染者で他の病気の検査も受けた約7,000人を調べたところ、3,2%が「フルロナ」だったそうです。

「フルロナ」の患者は、コロナだけに感染した患者に比べ リスクは人工呼吸器の装着が4,14倍、死亡が2,35倍だったとのことです。

このデータに基づき 感染症学の専門家は「フルロナになると 重症化する恐れがあると言える。」と指摘しています。

 

 

 

 

また、マウスによる実験では コロナに先にかかるとインフルエンザのウィルスが増えやすいという結果も出ているそうです。

ここで問題になるのが、たとえば日本においては ここ2年ほどインフルエンザの流行が無く、そのために日本人の中に自己免疫が落ちている人が多いことだそうです。

そのため、コロナ禍の最中(さなか)でコロナ感染症に罹(かか)るとインフルエンザへの感染リスクも高まり、すなわちそれは「フルロナ」として同時感染となり 重症化リスクが高まる可能性が増す、いわば負のスパイラルに陥る可能性があるとのことだそうです。

また 別の呼吸器感染症の専門家は、高齢者がインフルエンザに感染すると 肺炎を起こすなど重症化しやすいことから、高齢者や基礎疾患のある人は コロナ感染症への警戒に併せてインフルエンザにも注意すべきと強調されていました。

 

これら さまざまな観点での感染予測がある中、厚生労働省は 新型コロナウイルスとインフルエンザの感染者数が今冬のピーク時には1日あたり75万人になるとの試算を発表しています(内訳はコロナが45万人・インフルエンザが30万人)。

 

コロナ禍の発生から3年が経過しようとしていますが、(前掲のとおり)わが国においては これまではインフルエンザの流行は低水準でしたが、インバウンドの規制緩和に伴い国を越える移動が活発化した今年については 各国でのインフルエンザの流行に伴い日本でも同時流行(フルロナ)が懸念されます。

このこと(同時罹患)については Aさんのような医療機関(医療現場)においては、コロナvsインフルの識別困難などの厄介な対応を余儀なくされると同時…イヤそれ以上に、同時罹患したときの体調不良も相当のことになることが伝えられていることから、この冬 私たちは今まで以上に(感染しないよう)万全の注意を払わなければならないと申せます。

 

何といっても、体調不良は自分もちです。

それと、コロナ&インフルエンザのW(ダブル)で周辺に影響(迷惑)を及ぼすことにでもなれば、互いに大変なことになる…年の瀬が近づき慌ただしくなる中で、そんなイヤな辛(つら)い思いはしたくないとしみじみ思うところです。

 

地域のコミュニティを農業で 「米(こめ)コミュニティクラブ」の理想的な活動

この日(12日)、地域のみなさんが共同で農業(農作業)に従事することでコミュニティーの醸成を実現している「米(こめ)コミュニティクラブ(米コミュクラブ)」の納会(収穫祭)が行なわれ、カオを出させていただきました。

 

                                       ※ 飲食以外の場面ではマスク着用

 

 

こちらの「米コミュクラブ」は、地区の有志の方々によって構成され、皆(みな)が協力し合って農業に勤(いそ)しむことで 地域のコミュニティの維持向上につなげ、さらに遊休農地で農業を行なうことで 耕作放棄地の解消(減少)につなげている、まさに 現下の地域のコミュニティ力(りょく)の低下や耕作放棄地の増加との大きな課題を〝ダブル解消〟するほどの素晴らしい活動を展開されています。

その活動は年間を通じて不断的に行なわれています。

グループの名称のとおりの米づくりはもとより、リンゴや桃 さらに栗などの果樹や、ダイコンやタマネギなどの根菜類や いわゆる葉もの野菜やナス・キュウリなど、四季を通じて採れる野菜の全てを栽培しておられるそうです。

と いうことは、こちらのメンバーのみなさんは 冬場を除く時節を通じてカオを合わせていることになるというもの、それだけで「地域の横のつながり」が良好のうちに維持されているものです。

そのうえ〝究極の全身運動〟とも評される農作業に勤しみ、そして何より〝収穫の喜び〟に浴せることは こちらの活動が一石二鳥どころか三鳥にも四鳥にもなっていることを体現していると申せます。

 

 

 

 

さらに今年は こちらのクラブが鎹(かすがい)となり、新たな それも非常に心強いメンバーを招き入れることとなっています。

長野市が募集した「地域おこし協力隊(員)」について、今回 愛知県から応募された農業志望の若夫婦(隊員は奥さん)がこちらの地域(川中島町)で採用され、その いわば〝親代わり〟を米コミュクラブが担っておられるのです。

その陰(かげ)には、クラブのT会長の親身な心と熱意があります。

地域おこし協力隊員の選考にも関わったT会長は、おらがムラで本腰を入れて暮らそうとする若夫婦の意気を感じ、それならばとばかりに まさに親身になって応援してくださっています。

若夫婦がここで暮らすなら と、地区の名士に相談して住居の紹介・農業で生きてゆくなら と、こちらの米コミュクラブをはじめ地域の農業団体に〝弟子入り〟させ、農業のイロハを教えてくださっているのです。

 

そんなT会長は「この地区には有休農地がたくさんある。それは課題でもあるけれど 考えようによっては「宝の山」じゃないか。この夫婦をキッカケに、地区に多くの現役世代を招き入れ そのうえで農業を通じて 課題解決はもとより、ひいては地域活性化につなげようじゃないか。」と力強く語っておられました。

そんな親心(こころ)に支えられた御両人、この日もすっかりメンバーに馴染んだ様子…何というか大家族に加わった若夫婦のような雰囲気で かいがいしく気働きされていました。

 

現下の社会風潮にコロナ禍が重なり、娑婆(しゃば)は何かと世知辛くなっていますが、こちらの「米コミュクラブ」の温かな雰囲気に触れるにつけ、地域の横のつながりの大切さと力強さをしみじみと感じ取ったものでありました。

私の立場でも、このマインドを広く伝え 地域のそこここでコミュニティーが醸成されるよう計らってゆきたいと思いをいたしたところでありました。

 

 

法相発言に思う ~本意ではないが「本音」じゃないか~

国の法務トップの葉梨康弘(はなしやすひろ)大臣が、9日夜に行なわれた 同じ党の国会議員の政治資金パーティーでの祝辞の場面で問題発言し、大きな物議を醸すこととなりました。

その後、辞める辞めないのすったもんだの末、11日の午後になって本人から岸田総理宛に辞表が提出され、さきの山際大臣に続く 岸田内閣2人目の大臣辞任となったものです。

 

 

 

ことの経過は下記のとおり。

同じ派閥の政治資金パーティーに来賓で呼ばれ 祝辞のために壇上に上がった葉梨法相は、法務大臣の職務に関連して「法務大臣になって3か月が経つが、だいたい法務大臣というのは、朝、死刑のはんこを押して、昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職だ。」と述べたとのこと。

そのうえで「今回は 旧統一教会の問題に抱きつかれてしまい、ただ抱きつかれたというよりは 一生懸命その問題の解決に取り組まなければならず、私の顔もいくらかテレビで出ることになった。」と述べ、さらに氏は「外務省と法務省は票とお金に縁がない。法務大臣になってもお金は集まらない。なかなか票も入らない。」と述べたとのことでした。

 

この3つの発言は、世間から多くの批判を受けることとなりました。

当初は葉梨大臣は、発言について「切り取られている」とし、発言を撤回しない考えを示していましたが、一連の発言やマスコミ対応について 野党のみならず自民党内から、さらにお膝元の法務省職員の方からも批判が相次いだことから、氏ならびに総理が かかる批判に耐えられなくなり、辞任(更迭)の道を選ばなければならなったことと思うところです。

発言の翌日に行なわれた法務委員会に先立ち、葉梨氏は問題のパーティーでのスピーチの全部を約5分間にわたって読み上げ「(発言は)私の本意ではない。」などと弁明を繰り返し、野党側が再三 辞任を求めましたが 葉梨氏は「法律に則(のっと)って その職責をまっとうしてまいります。と(辞任を)強く否定していました。

 

 

 

しかし 葉梨発言は、本人ならびに官邸が考えを遙かに超えて問題視されたのです。

この発言について「たかだか会合での失言。訂正・撤回すれば済む話し」という人もいましたが、世間はそれを許すことはありませんでした。

この発言のどこが問題だったのでしょうか。

まず「法務大臣になって3か月が経つが、だいたい法務大臣というのは、朝、死刑のはんこを押して、昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職だ。」との発言。

これは、何より 法務大臣にだけ託されている「死刑執行」について、あまりに軽んじていると言わざるを得ない放言でありました。

相手は囚人(死刑囚)とはいえ、その命を絶つこととなる非常に重い業務について「死刑のはんこを押す」などと放言するのは、その業務の意味を分かっているのかと言いたくなるところです。

そして、法務大臣が 非常に重要な職責を担っているにも関わらず「地味な仕事」と卑下し、目立つか目立たないかとの 非常に表面的な部分だけを話しの接ぎ穂としたことも問題でしょう。

 

次に「今回は 旧統一教会の問題に抱きつかれてしまい、ただ抱きつかれたというよりは 一生懸命その問題の解決に取り組まなければならず、私の顔もいくらかテレビで出ることになった。」との発言。

このことについては、多くの被害者がおられ その相談窓口の中心となる法務省・そのトップが「今回は 旧統一教会の問題に抱きつかれてしまい…」などと 旧統一教会問題に非常に後ろ向きな姿勢を示したことも批判の的になって然るべきというところです。

 

さらには「外務省と法務省は票とお金に縁がない。法務大臣になってもお金は集まらない。なかなか票も入らない。」との発言。

これは 他でもなく、政治家が行なう政治資金パーティー等での〝集金〟のことを指しており、この人は、大臣に就任すれば パーティー等で相当の集金ができるものだが、法務大臣は地味な仕事で 業界などの利権にあまり関わらないから企業献金が少ないと言っているようです。

と いうことは、この人は「大臣職は(パーティー等で)資金を集める道具」と考えているということであり、この発想自体が不謹慎極まりないと言わざるを得ないところです。

 

かかる葉梨発言は、法務大臣という職責を軽んじ、人の命を軽んじ、そして大臣職をカネ集めの道具と考えていること、さらに 旧統一教会問題にも背中を向ける姿勢を示しており、単なる失言では済まない重大性に裏打ちされた問題発言と申せます。

 

そのうえで 私は実感しました。

一連の発言は、氏の本意では無いにしても おそらく「本音」であろう、と。

言葉というものは、思っていないことは発しないもの。

葉梨氏は、一連の問題発言の中身を思っていたのです。だからしゃべったのです。

 

言葉の重さとその深層にあるもの。

一連のゴタゴタを通じて、その有り様(ありよう)を実感したところでありました。

 

 

 

はるほど氏は会合で「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」とも発言。委員会では「結果としてそうなった」などと説明。葉梨氏が出席した会合は武井俊輔副外相のパーティーで「外務省と法務省は票とお金に縁がない。法相になってもなってもお金は集まらない。なかなか票も入らない」とも発言。これについても「逆説的な言い方で極めて利権と遠い役所で職責である」などと弁明に終始した。

野党は岸田文雄首相に対して葉梨氏の更迭を要求。岸田氏は応じない方針だ。ただ、自民党の遠藤利明総務会長は「不愉快だ」と不快感を示し、公明党の斉藤鉄夫国交相は「命の重さと法の厳正さの象徴である法相としての覚悟に欠ける」と批判。与党内からも厳しい声が上がっている。

山際大志郎前経済再生相は旧統一教会と複数の接触を「記憶がない」と否定したが、指摘を受けると追認を繰り返し、事実上更迭された。寺田稔総務相は自身が関係する政治団体の政治資金を巡り、野党の厳しい追及が続いており、さらに新たな火だねを抱えることとなった。

 

葉梨氏が参院法務委での撤回に応じたのは、事態を重くみた自民党の茂木幹事長らが撤回を助言したためだ。もっとも、葉梨氏は問題となった発言のうち、「法務省は票とお金に縁がない」とした部分の撤回は拒んだ。葉梨氏は参院法務委で、「政治資金を集めづらい」という趣旨だと説明。「(法務省以外で)企業とのお付き合いがある役所は、たくさんある」とも記者団に語った

 

葉梨氏が10月に開かれた2件の自民党岸田派議員の会合でも、法相は死刑執行のはんこを押すとニュースになるなどと発言していたことも判明した。寺田、葉梨、武井の3氏はいずれも岸田派所属で、11日からの東南アジア歴訪を目前に岸田氏は身内から政権を揺さぶられている。

「体育館を活用したまちづくりプロジェクト」打合せ会議

この日(9日)、市内の体育館を活用したまちづくりを考える「体育館を活用したまちづくりプロジェクト」の打合せに参加しました。(参加者さんらの意向により画像(写真)は無し)

 

このグループの活動については 既に触れているところですが、市が所管する「中部勤労青少年ホーム」の体育館施設の存続運動に端を発し、そこから派生(発展)して、市内の体育館を活用して 将来に亘り子どもから高齢者まで全ての市民がスポーツに親しみ、ひいては市の掲げる「健幸増進都市」にも合致する健康寿命延伸に資する環境づくりをどのように実現するかを考え、勉強会や意見交換会を行なっているものです。

 

長野市においては「公共施設マネジメント」の考え方の下、勤労青少年ホームをはじめ働く女性の家等の再編を進めており、これまでも「働く女性の家」の廃止や講座の移転などが行われてきましたが、利用者からの不安や不信の声が高まり、市に対し改善を求める市民運動が展開、これについても私の立場で支援させていただいてきました。

そして今回は「中部勤労青少年ホーム」について、体育館を含め廃止(北部と統合)の方針が示されたのですが、その際の市の説明に対し 利用者さんらは大きな疑問を感じられ、私も共感しました。

中部勤労青少年ホームの体育館は、これまでも多くの方々がさまざまなスポーツを楽しみながら健康増進に勤しむ場として、また利用者同士が交流できるコミュニティーの場としても活用されています。その利用率は72,6%にも達し、今も市民生活の資質向上のために欠かせぬ施設と位置づけられています。そのように利用率の高い施設を廃止に追い込むのは、市民ニーズに逆行していると言わざるを得ません。

廃止の説明の中で、その理由のひとつとして「施設の老朽化」が挙げられましたが、市内にはこの施設より老朽化が進む(築年の古い)体育館があることから、それを理由とするならば、市内の他の多くの体育館も廃止しなければならないことになり、整合が取れないところです。

そのうえで、市民からの税金で建設(設置)された公共施設というものを考えてみたとき、使える施設、それも利用率の高い施設は特に大切に使い続けることこそが行政の責務と考えるべきで、それを廃止ありきで進めることに、参加者は強い違和感を述べておられました。

また、市は近年、プロスポーツの誘致を積極的に行なっており、そのこと自体はむしろ歓迎されるところですが、その目的の中に「競技人口の底辺拡大とスポーツに親しむことによる市民生活の活性化」が挙げられている中、その(底辺拡大の)ための活動拠点ともなる施設を廃止することは目的に反しているのではないか、さらに言えば、プロスポーツを施設面・予算面等で優先・優遇することで、肝心の市民スポーツの場が縮小されることになれば、それは本末転倒以外の何ものでもないと強調されています。

市からこの体育館の廃止案が示されたとき、私たち利用者(市民)は、前掲のような有益な市民活動の場が失われてしまうことへの懸念、また今後、社会体育館など他の施設の利用を余儀なくされるならば、ただでえ予約を取ることが非常に難しい状況にある中、活動の存続さえ危ぶまれる事態に陥ることを憂慮されました。

そこで利用者さんらは、この体育館の存続を求めると共に さらに前向きに、将来に向けた体育館の利活用・公共施設の在り方について考えるために市当局と意見交換をする場を設け、そこでは市内の各種体育館の利用状況・老朽度や利用率による建物の保全の考え方・長寿命化していくためのコスト縮減や財源確保等についての説明を受け、そのうえで双方で議論を重ねているところです。

長野市には全国的に見ても体育館の保有数が多く、このことは行政側の視点ではマイナス要素に映るのかもしれませんが、このグループは このことは他市にはない長野市の大きな魅力であると考えています。

スポーツを愛好する市民が手軽に体育館を利用できる施設環境は他市に比しても優位なものであり、長野市はこのことを強みと捉え、今後の市政運営に臨むべきえではないか。

荻原市長は「健幸増進都市」や「スポーツを軸としたまちづくり」を政策の柱に掲げていますが、その政策の実現に向けたスポーツ人口の維持向上=市民の健康寿命延伸 を図るためにも、長野市の魅力である多くの体育館をあまねく有効活用してゆくことを先ずは念頭に据え、そのうえで施策展開してゆくことが重要であると強く考え、そのことを訴えながら「体育館を活用したまちづくり」を具体化するべく取り組んでいます。

 

今後も さらに関係部課と意見交換を重ねながら、市長に対し要望書を提出し その場で(僅かな時間ですが)意見交換を行なうことになっています。

 

公共施設を在り方を考える「ボトムアップ」の活動が、徐々にではありますが熟しつつあります。

 

皆既月食と天王星食…442年ぶりの天体ショー/「説明会」のあるべき姿

8日の夕刻、月が地球の影に入る「皆既月食」と 天王星が月に隠れる「天王星食(惑星食)」が全国で観測され、私も夜空を見上げる一員となりました。(私の(安価な)デジカメはオート撮影のため 夜間はシャッタースピードが遅く「ハレーション」を起こしてしまうため(月食の模様が)クリアに撮れず(涙)、辛うじて掲載に叶うのは露光の少ない皆既直前直後のタイミングのみでした。これが私(のデジカメ)の限界です…)

 

 

 

今回の皆既月食と惑星食が見られるのは、実に442年ぶりとのこと。442年前といえば「安土・ 桃山時代」で、あの織田信長や豊臣秀吉が生きていた時代です。

当時、かの歴史的人物も 私たちと同じように夜空を見上げていたのでしょうか。

当時は もしかしたら「月食」などという天体情報が無く、何か不吉な現象として忌(い)まわれたのかもしれませんね。

あれから400年余の時空を越えての同じ現象を目にすることとなり、何ともいえないロマンを覚えた者の一人でありました。

 

 

 

夜空を見上げるなど久しぶりのことでしたが、いつの間にか小寒くなった陽気の下 時間経過と共に月の白い部分が小さくなり、やがてそれ(月)は 赤銅色の球体となってゆきました。

(こうなってしまうと、私のデジカメでは画像(赤銅色の月を)捉えることはできませんでした)

※ 下は本職の撮影画像(tenki.jp/サイエンスから引用)

 

 

 

で…お月様がお隠れになってから数十分後、今後は欠けた逆の面から薄(うっす)らと白い部分が。再び月が顔を覗かせてくれたのでした。

 

 

 

この皆既月食・惑星食、次回の天体ショーは 322年後の2344年に起きる「土星食」だそうです。

3桁の数字(歴史)を簡単に飛び越える天体の流れ。

それに比べれば、人の一生など 何と僅(わず)かなものでありましょう。

で あるからこそ、限られた時間(寿命)を一生懸命に過ごさなければならない…改めて自戒したところでありました。

 

 

 

 

 

◇「太陽光パネル設置」を巡る〝恫喝説明会〟の信じ難いニュースに「説明責任」の何たるかを思う

お天道さまが こんなステキな天体ロマンを私たちに見せてくれているのに、その一方で〝人間界〟では 太陽光を巡って劣悪な所業が為(な)されていることが報じられ、信じ難い思いにさせられると同時に「説明責任」について考えさせられたところです。

 

報道によると、山梨県北杜市 大泉町に設置予定の 営農型太陽光発電設備の(設置に向けた)合同説明会において、設置事業者の社員が 参加者に向けて威圧的な態度を取ったり、果ては その傍若無人な行為を止めようとした人に暴行を振るなど 常人では考えられない「説明会」を行なったとのことなのです。

 

 

 

この「説明会」における蛮行の数々は 既に多くのメディアで報じられているところです。

参加者の質問に対し「黙ってろって!」と叫ぶ・参加者が持参した資料を奪い取る・住民に怒号を上げ、制止しようとした部下の脇腹を殴る・別の日の説明会に参加するために足を運んだ近隣住民を(壁のロッカーを殴って大きな音を立てるなどして)追い返す など、常軌を逸する行動を取って いわば説明会を〝制圧〟しようとしたのでした。

 

今回の常軌を逸する住民説明会が行なわれた山梨県北杜市は「日照時間が日本一長い」とされ、太陽光発電施設の設置が積極的に行なわれてきましたが、一方で市民の間からは 環境への影響や安全性への不安の声が上がったことから、北杜市では条例を制定し、事業者が太陽光パネルを設置する際には、地域住民などへの周知が必要と定めています。

 

[参考]北杜市太陽光発電設備設置と自然環境の調和に関する条例

              ↓

https://www.city.hokuto.yamanashi.jp/fs/3/6/9/9/5/9/_/_____________________________________1__.pdf

 

※同上が掲載されている北杜市HP(当該ページ下部)

           ↓

北杜市太陽光発電設備と自然環境の調和に関する条例の一部を改正しました - 山梨県北杜市公式サイト

 

 

 

今回の〝恫喝説明会〟は、その(説明会)の開催そのものは、上記の条例に準拠しているものと思われますが、その中身(運営)は、ご案内のとおりの酷(ひど)いものでありました。

この陰には、法的にみて 太陽光パネルの設置が、土地利用の規制に準拠していれば設置は可能との現行ルールがあり、それが この連中を強気にさせている一因とも思えます。

今回の「営農型太陽光発電設備」についても、隣接地で営農するなどの条件をクリアし 設置(計画)に至ったものと思われます。

 

それにしても、です。

たとえ関係法令で認められたとしても、関係する住民に対し丁寧な説明を行ない そのうえで理解を得ることが常識というものではないでしょうか。

ところが報道によると、参加した住民が「これは「説明会」ですよね。」と問うと 業者(の代理人)は「黙って聞いてろっていうんだよ!」と大声を出し、住民に対して威嚇するような行為を繰り返したとのこと。

これは、この業者が説明会を「やる」ことだけを目的にしており、事業の内容等について理解してもらおうなどという気がさらさら無いことを体現していると思われてなりません。

 

こんな異常事態になったことから、地元の「太陽光パネルの乱立から里山を守る北杜連絡会」は 北杜市(市長)に対し「適正な住民説明会開催の義務付けなど求めた要望書」を提出しましたが、それにし、市(市長)は下記のように回答とたとのことです。

今回の事案は
○事業者の社会的規範を逸脱した行動
○100m範囲外の住民を排除した
という2つの事案が重なったもの。
100m範囲外については、市の指導・助言に従わなかった特異なケース。当該事業者には注意。事業実施の意思が示された場合は、強く指導する。
説明会開催については、必ずしも明確でない形式的な説明会の開催によるものではなく、直接的に「説明する」という表現の方が良いと考えている。直接説明が受けられなかったことが発覚した場合、許可の前後を問わず、当該住民に対して説明と理解を得るように努めることを指導する。
今回の事案は、当該事業者1名の尋常ならざる行動で起きたものあり、他の事業者に対して同様の懸念を持って扱うものでない。

とのこと…要は「注意はするけど事業の中止は求めない」ということなのです。

また、この異常な説明会を行なった事業者については 今後の対応について「当該の男性は、説明会に出席しないようにしました。今後は北杜市と相談しながら、説明会を改めて開く予定です。」と回答、要は(説明会の)メンツを変えて事業(説明会)は継続する とのことでありました。

 

今回の〝恫喝説明会〟その顛末については誰もが納得し難いところですが、一方で私が思わされたのが「説明の在り方」について であります。

今回の説明する側の蛮行に対しては 最大限の表現で非難するところであり、そのうえで その〝やり方〟を一言でいうと「一方通行の論理」ではないかと思いました。

「もう決まったことだから オマエらおとなしく聞いとけ。」とでも言うものでしょうか。いわゆる問答無用の論理。

この論理、今回は恫喝や暴言などの蛮行が伴ったことから そちら(蛮行)が目立っているところですが、これ(一方通行の論理)は 私たちの身近なところでも 実際に行なわれているのではないかと思うところです(さすがに恫喝はありませんが)。

 

例えば、長野市の進める「公共施設マネジメント計画(公マネ計画)」…公共施設管理運営の将来負担軽減を〝錦の御旗〟に据え、10年以内に(市有施設の)2割を削減するとの計画であります(ありました)。

この計画についても、これまでは「既に決まったこと」的なスタンスで 市は「説明(会)」に取りかかり、いわば問答無用で施設の削減を実行に移そうとしてきました。

 

しかし、そこ(公マネ計画)には 現有の施設の利用頻度や市民ニーズ、また将来に向けた有益度などが度外視されていたことから 心ある市民の方々が疑問の声を上げることとなり、かかる〝一方的な削減計画〟は見直しを迫られることとなっています。

そんな状況に際し (ここから先が 前掲の〝恫喝事業者〟と大きく違うところなのですが)長野市は かかる心ある市民との意見交換会に積極的に応じ、これまで やや頑(かたく)なであった姿勢をイイ意味で軟化させ、逆に市民意見を取り入れたうえで公マネ計画を進めるように軌道修正を図ることとなってきました。

 

この 全く質(しつ)の異なる展開に触れ、この成果は「説明会」の在り方について考える機会ともなりました。

「説明会」というものは、決して一方通行であってはならない。

事業などについて ひと亘(わた)りの説明は行なうべきものの、その先には 聞いた側(市民)が納得できるやり取り(意見交換)が欠かせないこと、そのうえで 主催(宰)者は かかる意見に耳を傾け、意見の内容によっては それを積極的に受け容れ、イイ意味で軌道修正する。そのことで 当初の計画はより良いものに〝進化〟するのではないか。

住民(市民)に理解を得ようとするならば、ひと際に受容の心をもって臨まなければならないことを実感した 一連の顛末でありました。

 

 

ちなみに、長野市における太陽光パネル設置については条例を制定し、関係者には その準拠を強く求めています。

 

[参考]長野市太陽光発電設備の設置と地域環境との調和に関する条例の掲載HP

                ↓

https://www.city.nagano.nagano.jp/soshiki/kankyo/463811.html

 

コロナ禍 ~第8波の予感~

実質的に冬の時期を迎えつつある11月最初の日曜日、長野県内の新型コロナウイルスの新規感染者が2,888人を数え、日曜日としては過去最多の感染者数を数えることになってしまいました。

その中でも 長野市は751人と突出しており、これは過去2番目の多さとなっているとのことです。

 

 

 

長野市保健所に照会したところ、長野市におけるこの数字(751人)の中には 施設や学校等の集団感染は報告されておらず、ということは 1カ所でドン!と多数の感染者が出てのこの数字ではなく、あまねく市中における(個人レベルの)感染が積もり積もっての700人超えというものであり、それだけに 地域内のコロナ感染症がまたまた蔓延していることを実感させられたところであります。

この状況(現象)に際し 私は、さきの第7波の状況との違い=さらに厳しい状況 を予感せずにおれないところです。

その(第7波との)大きな違いは、これからは ウィルスが活性化するとされる「寒季」を迎えることに他なりません。

3年目を迎えたコロナ禍でありますが、過去いずれの寒季においても コロナ感染症は活性化し、その都度猛威を振るってきました。

寒い時期においては、ウィルスが活性化すると同時に 寒さゆえに窓の開放などの換気をしなくなる傾向にあり、そんな中において ファンヒーターなどの室内の空気を循環させる暖房機器の使用により、室内に1人の保菌者がいれば いずれ(室内の)全員に感染するとの〝負のウィルス循環〟が常態化、ゆえに寒季はさまざまな条件も手伝って感染の輪を広げる傾向にあるのはご案内のとおりです。

そして、今年の冬の 昨年との大きな違いは、人の移動の制限が大幅に緩和されていることでもありましょう。

インバウンドの開放を含め 国内を移動する人の流れは大幅に増えており、このことも 感染者の急増を助長している要因であるということは否めないと思います。

 

この事態を受け、県を中心とする関係機関は 注意喚起を呼びかけています。

と いっても、今さら特別な行動を促すことはなく、注意すべきは生活の基本行動が全てというところです。

対人の場面でのマスク着用・部屋の換気・三密回避の〝原点回帰〟の下で、感染をしない・させないに努めることに(注意喚起は)終始しております。

 

 

 

そのうえで紙面では、専門家が コロナ禍の「第8波」への警戒を呼びかけており、この見解に私も大いに同調するところです。

 

 

 

なおも紙面は、これまでも指摘されているように この冬は「季節性インフルエンザとのダブル流行」に警戒すべきことを伝えており、これについては やはり寒冷地である信州エリアにおいても警戒を怠りなくすべきことを強く自戒するところです。

 

コロナ禍「第8波」とインフルエンザ。

厄介かつ厳しい〝感染の冬〟の到来を予感せずにおれません。

 

 

 

先ず自ら律(りっ)しよ =「自動車走行税」の起案に思う =

少子高齢化・人口減少社会の到来に伴い 厳しさを増す国の税収…そんな中、それ(税収減)をどのように補(おぎな)うかを議論する 政府の税制調査会で〝新たな提案〟が出されたものの、それに対し 今の段階で既に多くの国民から疑問と反発の声が上げられていることが報じられています。

これを見聞した私は、いま感じつつある政治(行政)の実態と重ね合わせ「その前にやることがあるんじゃないか。」と思わざるを得ない境地に至りました。

 

その新たな税制(税の徴収)は、クルマに対する「自動車走行税」導入の考え方です。

これは、ハイブリッド車の普及などで ガソリン税・軽油引取税などの燃料課税が減収の一途を辿る中、それら(ガソリン税・軽油引取税)が「道路特定財源」として道路の維持や整備に使われている性質上から、減収が続く自動車関連の主たる税金にであるガソリン税・軽油引取税の〝代替〟となる財源を確保することを狙いとしているようです。

この「自動車走行税」は、ニュージーランドやドイツ・ベルギー・アメリカのそれぞれ一部の地域で既に導入されており、例えばニュージーランドでは 1,000kmごとに5,000円(1kmあたり5円)徴収されているとのことです。

今後 ガソリン車が減り、逆に増えるであろうEV車などからも税を徴収できるようにする〝新たな仕組み〟の提案のようですが、それを耳にしたマイカー族や クルマ無しでは生活が成り立たない地方在住の人、さらには運輸業などの自動車関連企業・団体からは懸念と批判と憂慮の声が上げられているとのことです。

 

 

 

この反発の深層には、まずはクルマに関する税金があまりに多重になっていることがあると思われます。

クルマ本体には 自動車取得税・自動車重量税・自動車税 また軽自動車には軽自動車税が課税されており、また 走行に不可欠な燃料については、ガソリン税/軽油取引税・石油(ガス)税が加算され、さらに それぞれには消費税(10%)がかかっています。

 

 

 

そこに加えての「自動車走行税」の上乗せ情報…国民 それも地方に暮らす方々が、それ(自動車走行税)を耳にした瞬間に「これ以上の税金かよ!」と怒りを露(あら)わにしたところです。

ネットニュースのコメント欄には、

「公共交通機関は減る一方で何するにも車が必要。車が無ければ買い物さえもままならない地方民からこれ以上搾取して何が楽しいの?」

「地方民にとって、車はまさに生命線。2年に1度の車検を受け 大切に乗っても13年経ったら重量税が追徴課税され、そのうえに走行距離まで課税されるのは あまりに酷…賃金格差がある中、懸命に生きてる地方民の気持ちを考えて欲しい。」

「もういい加減〝取れるところから取ろう〟という安易な考えは止めてくれ。」

 

自動車の走行距離の〝地域間格差〟は顕著になっています。

ある調査によれば、自家用車の世帯当たり平均年間走行距離は、公共交通機関の発達している〝都会〟では 東京都が2,000km未満・大阪府では約3,000kmに止(とど)まっていますが、他の殆(ほとん)どの道府県(田舎)では6,000kmを超えているとのこと。特に茨城県・福井県・佐賀県などでは10,000km近くになっているそうです。長野県とて例外ではないでしょう。

このことが〝地域間格差〟であり 公共交通網の発達(都会)⇔衰退(田舎)などの社会環境の地域間格差を勘案すれば 理不尽な税だ、と言わしめているのです。

 

さらに、自動車の走行距離を重ねることで経営を成り立たせている物流業界からは、反発を超えて憂慮の声が寄せられています。

「ただでさえ燃料高騰や仕事減で経営が厳しい物流業界に、さらなる追い打ちともなる新たな税負担には とても対応できない。そうなったら潰れるしかない。」

「走行距離課税が採用されたら 日本の物流コストはかなり上乗せになり、これは商品などのサービス価格に上乗せするしかない。円安に加えてさらなる値上げで、日本経済全体に決定的なダメージを与えることになりはしないか。」

 

それらの反発や懸念・憂慮が出ることを予想したかしないか…政府税調では 粛々と議論が進められていたようです。

参加委員の一人は「今後の財源確保のために(自動車走行税などの)そういうかなり踏み込んだ具体的な議論を行なうことを提案したい。」とか、

 

 

 

与党の元財務大臣は「自動車が走っている距離、そういったところも(税で)補ってゆかなければならない。」と述べていることが伝えられています。

 

 

 

 

・・・・・・。

この「自動車走行税」について、賢者たる国民は 議論そのものは否定するものではありませんが、多くの人が その議論を進める国(政治家や霞ヶ関官僚)自身が、その(増税議論の)前にやるべきことをやっていないのに 国民から搾取することだけを考えている〝姿勢〟について反発していると思うところです。

例えば政治家。民間であれば 経費削減の急先鋒である「人件費削減=定数削減or歳費削減」について、何ら姿勢を示さず、自分たちの身は守っておきながら増税議論だけは進める姿勢に多くの反発の声が。

例えば官僚。机上の議論のままに 現場(地域社会)の現状を置き去りにしたままに制度設計を進める姿勢に、やはり反発の声が。

 

賢者たる国民は、政策を述べる者(政治家・官僚)が 何を述べるか、それ以前に、その〝姿勢〟そのものを見ているのです。

そのことに気づかないまま、イヤ 分かっていても知らんぷりしている姿勢のままに議論を進めても「よし分かった。」とは とてもならないと言わざるを得ないところです。

 

 

で…この手の話し(事例)は、類(たぐ)いは違えど 私たちの身近なところででも散見されているのです。

例えば、長野市が「公共施設マネジメント」として、市の財政危機を念頭に(公共施設の)削減を声高に叫ぶ一方で、多額の税金(補助金)を投入した施設や設備が有効活用されないままに〝置きざらし〟になっている実態がある。ところが、そのことについて「責任の所在」を明確にしないまま〝過ぎたこと〟として看過しようとしている「姿勢」があるとすれば、善良な市民は それを良しとはとてもできないところでありましょう。

保身のままに政策だけを進めようとしても、住民(市民)理解は得られないことを肝に銘じるべきであります。

 

 

一方 長野市議会においては、次の改選に向け「議員定数削減」を実現すべく議論を具体化しつつあります。

身(み)を切って市政課題に臨む。覚悟をもって改選に臨むところです。

 

 

 

日ハム球団が札幌ドームから撤退 =自治体絡みの施設運営の最悪のケース=

行政(自治体)が建設した公共施設の今後の在り方について「公共施設マネジメント」としてさまざまな考察が始まっており、また 公金を投入した施設や設備が真に活用されているかを検証する動きがあります。

また、職員(公務員)の〝天下り〟について「これでイイの?」との疑問の声も寄せられており、このことについても検証すべきとの声が上がっています。

私としても、さまざまな市民活動に関わる中で かかる「公共施設の在り方」や「公金を投入した施設や設備のその後」さらには「天下りの実態」について検証を進めているところです。

それぞれの取り組み状況については いわば〝現在進行形〟であることから、機をみてレポートさせていただきます。

 

 

そんな中、前掲の「公共施設の在り方」さらに「天下りの実態」の問題が象徴的に示されることになった事例が報じられており、心ある市民の方(かた)からも「自治体絡みの施設運営の最悪のケースじゃないか」とご指摘いただいている事例があることから、いわば(長野市への)自戒を込めて紹介させていただきます。

「プロ野球『日本ハムファイターズ』の 札幌ドームからの移転(撤退)問題」です。

 

 

 

 

2022年〝BIGBOSS〟新庄監督の就任で話題を集めたプロ野球の「日本ハムファイターズ」が、今シーズンで 札幌市にある「札幌ドーム」から撤退し、隣接する北広島市に新規建設した「ボールパーク」に移転することになったというものです。

そして、その陰(真相)には いわば〝大家さん〟であった札幌市の「放漫経営(高飛車経営)」と、そこに群がる「天下り職員」の存在、さらに それをロクにチェック(監査)しない周辺機関の無機能ぶりがあったというのです。

いわば「ダメな状況が三拍子も四拍子も重なった状態」で札幌ドームは運営され、その結果〝最大(最高)の店子(たなこ)〟である日ハム球団に「三行半(みくだりはん)」を叩きつけられることとなってしまったのでした。

 

札幌ドームは サッカーW杯日韓大会の札幌開催を目的として2001年に開業、今年で20周年を迎えます。

これまで、プロ野球をはじめ サッカーJリーグの試合やコンサートなどの興行により経営を続けていますが、何といっても最大の売り上げの原資は プロ野球日本ハムファイターズの興行収入です(でした)。

札幌ドームを運営する札幌市の第三セクター「株式会社札幌ドーム」は、約9億円のリース料に加えてグッズ販売収入なども合わせ 総額で年間20億円以上を日ハム球団から吸い上げてきました。これについて球団側(日ハム)は 過去に値下げを求めたものの、逆に市は値上げを実施。さらに球団側は、コスト削減策として 他球団でも実績のある、公共施設の運営を民間企業などに委託する「指定管理者制度」の採用を市側に提案してきましたが、市は頑なに拒んできました。

それはナゼか。運営主体の「(株)札幌ドーム」は、市職員・幹部の大切な天下り先だからなのです。

そのうえ札幌市は「札幌ドームを使えなくなって困るのは日ハム側だ」と高を括(くく)り、選手生命にも関わるピッチ(人工芝の下はコンクリート @@)の改修などを求めてきた球団の切実な声にまともに耳を貸さなかったうえ、ろくに経営努力もせず いわば球場にあぐらをかいてきたのでした。

そのうえ、運営会社((株)札幌ドーム)の株主に 地元新聞社や放送局の幹部を据えることで、ずさん運営に対するマスコミ報道を抑え込み、道民に かかる深刻な事態を伝えないままに看過する有様(ありさま)…いわば「臭いものに蓋(ふた)をし続けて」これまで過ごしてきたようなのです。

そんな札幌市の対応に業(ごう)を煮やした日ハム球団は、2016年頃から自前での本拠地球場建設の検討を始めましたが、それでも札幌市は真面目に対応を検討しなかったそうです。この 札幌市の危機感の無さと、日ハム球団の(移転への)本気度は決定的に乖離(かいり)し、ついに日ハム球団は 札幌市に隣接する北広島市に総工費600億円をかけて新球場を建設したのです。

日ハム球団とすれば、そこまで金をかけても札幌ドームを出ていきたかったということでしょう。

 

 

 

新球場は、米メジャーリーグでは一般化している「ボールパーク構想」を取り入れ、野球ファン以外の家族連れなども楽しめる一大アミューズメントパークを目指す方向とのことで、これら新たな発想は、とても札幌市の天下り職員からなる第三セクター的な発想からは出てこないと揶揄されているとのことです。

 

今回の〝移転騒動〟により、おそらく札幌ドームは大幅な収益減となり、相当の赤字が発生することになるでしょう。

そして その赤字分は、(札幌ドームが)市の第三セクターとの性質上 札幌市民の税金(一般会計)から補填されることになるのです。

札幌市&天下り職員の怠慢経営により、最後にツケを背負わされるのは 何いう札幌市民なのです。

 

この事例は、前掲の心ある市民の指摘どおり「自治体絡みの施設運営の最悪のケース」でありました。

ところが、規模は違えど 私たちの周辺でも類似した事例が散見されています。

かかる札幌ドーム事案を「他山の石」と捉え、いずれにしても 最終的に市民にツケが回ることの無いよう、今のうちからチェック機能を先鋭化してゆかなければならないと 心した者の一人であります。

 

 

国の新たな支援策に対する「違和感」

この冬に予定される「家計の電気代負担軽減策」についての「違和感」を感じられる方がいます。

これは 政府による経済対策の一環で、今後予定される「電気料金の値上げ」に際し、国(政府)が 値上げ分の相当額を補助し、その詳細を電力料金の明細書「燃料費調整額」の欄に(値下げ分を)表示しようとするものです。

政府はその値下げ分に相当する補助金を、電力会社に支給するとのことです。

 

 

 

これは、輸入燃料費の変動に合わせて電力会社が電気料金を調整(家計負担に転嫁)する「燃料調整制度」に基づき、昨今の(輸入燃料費)の高騰に伴い(電力小売り額の)値上げが家計に悪影響を与えないよう支援(電力会社に補助)するものです。

輸入燃料費増加分の転嫁は、電力会社が経産省に申請して認可を得た電力料金の1.5倍が その上限と定められていますが、既に 電力大手10社の全てで、家計向け電気料金が上限に達していることから、このままゆけば 電力会社の収益圧迫を受容し続けるか、それを回避するために電気料金の値上げに踏み切るかの苦しい選択を迫られてきています。

この状況に際し 政府の担当相(経済産業相)は、家計の電気料金が来春に2~3割の値上げが予想されることから、来年早々に その負担増を抑える考えを示したとのことです。

経済研究所によると、政府が電力会社への補助金を通じて家計の電気料金を3割押し下げ それを1年間続けると、家計が支払う電気料金は この政策がない場合と比べて平均で4万4,785円下がる計算となり、全世帯で年間2兆6,077億円の負担軽減=財政支出の増加額となる とのこと。

さらに政府は「ガス料金」についても同様の家計負担軽減措置(=ガス会社への支援)を検討しており、それに伴う1年間の家計負担の軽減額は 平均で1万9,281円、全世帯で年間1兆1,227億円となり、電気とガスを合計すると 政府の支援策総額は1年間で3兆7,303億円となるとのことです。

 

 

 

この経済研究所はさらに、こうした支援策が実施されると (支援策が)実施されない場合と比べて家計の所得は増加し それが消費刺激効果を生むことが期待されると述べています。

過去の定額給付金の経験では、一時的な所得増加は「貯蓄」に回る比率が高く 消費に回るのは所得増加分の1/4程度であり、これを踏まえてGDP押し上げ効果を計算すると 家計の電気料金支援で 役6,500億円・ガス料金支援も含めると 約9,300億円となり、年間GDPの押し上げ効果は0.17%になるとのことです。

他方 政府は、家計だけでなく企業の電気料金の負担も軽減する考えとのこと。

これ(企業向け支援)については、電力販売のうち企業向けは7割を占めることから 政府の財政支出は7.8兆円に及ぶ計算にもなるとのことです。

 

この、電気・ガスの支援対策について 総論については理解するものの「めざすべき方向が違うのではないか。」という方がおられます。

すなわち、こと 電気・ガスなどの〝生活エネルギー〟については、社会全体が でき得る限り節減に努めるべき事項ではないだろうか。

それを、単純に(電気・ガス料金の)引き下げを行なうだけでは、消費者(利用者)は 支援によって〝浮いた〟電気を いわば野放図に使用することになりはしないか。

で あるとするならば、例えば 積極的に節電を行った人や世帯に対し付加的に補助するなど、実際に(節電に)汗をかいた人にこそ支援することで 節電の連鎖が広がり、結果 全体としてエネルギー消費の低減につながるのではないかという考え方です。

 

また一方で、今回導入される電気・ガスの支援策も 既に行なわれているガソリンの(元請け企業への)支援についても、家計の所得水準や企業の経営環境に関わらず 一律での支援を行う仕組みとなることから、これでは 電気・ガス料金の値上げによってほぼ打撃を受けない高額所得者や経営環境が良い企業も政府の恩恵(支援)を受けることになってしま、真に困っている人や世帯・企業へ十分な支援につながりにくいという評価もあります。

 

ここへきて矢継ぎ早に行なわれる経済支援。

バラマキ的な一時凌ぎ策に終始しないよう、真に困っている人たちの救済につながることを期待するばかりです。