長野市議会議員会派

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岸田総理発言に思う ~政治(行政)における「配慮の意識」が有るや無しや~

さき(15)日の報道で、岸田が「円安メリットを生かす海外展開を考えている 中小企業・さまざまな企業、合わせて1万社を支援していく。」と表明したことが伝えられ、それを聞いた私は 違和感を禁じ得ませんでした。

 

 

 

この発言は、総理が東京都内で企業や商店街を視察後 記者団に語ったもので、歴史的水準にまで進んだ円安の長期化に備え 輸出促進などに取り組む企業を支援・育成していく考えを示したものとされています。

私が感じた違和感は「円安」に対する〝意識〟のようなものです。

私も含め 多くの国民は、円安による物価高などの「マイナス影響」を イヤというほど実感させられています。

このまま円安が進行(継続)すれば、まるでボクシングのボディーブローのように 私たちの日々の暮らしにダメージが及ぶことは必至であり、私たち国民は その厳しい現状にこそ支援の手を差し伸べてもらいたいと思うのが実際のところではないでしょうか。

 

この 私の抱いた違和感は、やはり私だけの所感ではなかったようです。

翌日の報道で、辛口コメントで知られる京大大学院の藤井教授が、岸田総理発言に対し「(記事を見て)我が目を疑った」とまで述べていました。

 

 

 

氏は自身のツイッターに、岸田首相が「円安メリットを生かす海外展開を考えている企業あわせて1万社を支援していく」と表明したとする記事を貼り付けたうえで「我が目を疑いました…そんなことをする暇があるんなら、日本中にいる大量の『円安で苦しむ会社』を救済することに全力を費やすべきなのではないでしょうか。」と自身の考えをつづっていました。

 

昨今の円安傾向は、コロナ禍で疲弊した庶民生活に「値上げ」という形で追い打ちをかけているのはご案内のとおりです。

そのときの政治(行政)の役割…各関係者においては、まずはそこのところ(国民の窮状)に心を寄せ 施策の形成に臨むべきが第一義ではないか、と。

他のサイトを見てみても「すでに円安でメリット感を享受している企業にさらに〝追い銭〟をするのは順番が違う」などとの厳しい声が寄せられていました。

 

ただ ここで斟酌すべきは、総理の発言の場でありましょう。

もしかしたら総理は 物品の輸出に関わる企業へ足を運んだ折に(前掲の)発言をしたのかもしれず、であるとするならば 氏は その場に合った発言をしたことになります。なのに そこ(円安メリット企業の支援)の部分だけを切り取って批判するのはどうかとも思われるところです。

で ここのところを正確に言えば、私が この岸田発言に抱いた違和感は、氏の 一方にしか目を置かない(心を寄せない)ものの見方であります。

政治家…特に一国の総理でもあるならば、この手の経済支援について話しを興(おこ)す際には 例えば円安メリットに沸く企業支援を打ち出すその前に、円安に喘(あえ)ぐ国民の窮状に心を寄せる一言を発したうえで企業支援策を発信する。そんなバランス感覚を発揚するべきであったのに、そんな政治的配慮をすること無く いきなり〝円安メリット〟に言及した、その いわば〝デリカシーの無さ〟に違和感を覚えたのでありました。

 

この発言の裏には、今の円安状況は おそらく長期化するであろうという国の見通しがあり、で あるとするなら、そのメリットを活かすのが政治の役割であるという〝霞ヶ関官僚の作用〟が働いたと思われるところです。

 

 

 

それはそれで否定するものではありませんが、繰り返せば 官僚のプランの上に立つ政治家であればなおのこと、官僚のこさえた原稿に乗るだけではなく 自分の言葉で円安に苦しむ方々に寄り添う発言を行なうべきであったでしょう。

そんな〝(政治家としての)自分の言葉〟を発しなかった総理を見て、私は残念に思うと共に その裁量の嵩(かさ)のようなものを感じ取ってしまったのでありました。

 

社会には 常に「光」と「陰(かげ)」が表裏一体となっています。

為政に臨む者は どちらか一方を見ることなく、特に「光」の部分だけを見るのではなく 常に光の裏にある「陰」に目を配ること、むしろ そちら(陰)の部分を優先したうえで光に話しを及ばせてこそ「心ある者」と賞(しょう)されるのではないかと思いをいたしたところでありました。

コロナ禍・遡(さかのぼ)って台風災害を経て~地域イベントの開催(再開)

この日(16日)、地域のそこここで秋の好イベントが開催されました。

そして その背景には、昨今のコロナ禍や さきに発生した台風災害からの いわばリベンジの機運が醸成されていたのでした。

 

私の住む川中島地区(町)では「第1回川中島サマーフェスティバル」が、実に2回の延期を経て ようやくの形で開催され、多くの住民が集(つど)い 笑顔の輪が広がりました。

 

 

 

 

同地区においては、さき(1998年)の「冬季オリンピック・パラリンピック長野大会」の開催を記念し「川中島フェスティバル」として 町を挙げの一大イベントが行なわれてきました。

当初は 町を縦貫する幹線道路をフル活用して開催されていましたが、その後は社会情勢の変化などに伴い 数年前から旧選手村(現今井ニュータウン)のメイン道路を使ってのイベントとなっていました。

そのうえで地区(町)においては 行事そのものの存続についても議論されることとなり、その過程の中で 今までのような大規模な行事の開催は難しいにしても、何らかの形で〝行事の灯〟は消さないようにしてゆきましょう、との総意が形成されてきたのでした。

が…そこへ来ての〝コロナ禍〟の襲来であります。

やや縮小傾向ながらも継続開催を旨とされてきたフェスティバルが、3密や濃厚接触の典型ともなることから 開催が(全国傾向に準じて)見送られ、ここ2年に亘り中止を余儀なくされてきました。

で あれから3年…ようやくコロナ禍も落ち着きを見せたことから、今年は「川中島サマーフェスティバル」と銘打ち 応分の規模で開催することになっていましたが、まさかの〝コロナ第7波〟の襲来で またも延期を余儀なくされてしまいました。

それでも、ご関係者の〝熱意の灯〟は消えることなく点(とも)り続け、そして ようやくこの日、当初予定の〝サマー〟の時期からは大きくズレ込んでしまいましたが 開催にこぎ着けたのでした。

 

改めて開催された「川中島サマーフェスティバル」は、川中島公民館の大ホールと支所駐車場を活用して行なわれました。

 

 

 

これまでのフェスティバルに比べれば いわばこぢんまりとした感じですが、逆に言えば コンパクトな範囲での〝現実的なサイズ〟での開催となり、今後の継続性を考えれば ちょうどイイと言えるのかもしれません。

屋内会場においては「文化芸能プログラム」として 歌や踊りが披露され、屋外においては 地元商工会や住民自治協議会の地域振興部会、また地域きらめき応援隊の物販などが行なわれ、エリア内は さながら祭りの縁日のような盛り上がりをみせていました。

 

 

 

と…開会まもなく 会場の一隅に大きな人だかりが。何かと見れば「バナナの叩き売り」が始まっていました。

で さらに見れば、叩き売りの主は 町公民館のM館長さんです。

 

 

 

教員あがりで お寺の住職を務めるM館長さんは、いわば〝言葉のプロ〟でいらっしゃいます。

たわわなバナナの房を前に、フーテンの寅さんみたく〝掴(つか)みはオッケー〟のご口上(こうじょう)を始めると、周囲には笑いの輪が広がっていました。

 

前掲のとおり、いわばオリンピック景気に乗って始まったフェスティバルは 時間経過と共に継続開催の可否にまで議論が及び、そこにコロナ禍が悪しき追い風になったことで 事(こと)の推移によっては 行事そのものが無くなってしまうかもしれない〝存続の危機〟に瀕(ひん)していました。

しかし 住民自治協議会はじめご関係の方々の熱意により、規模は縮小されたものの 改めて「第一回」のサマーフェスティバルの開催となり、これで今後も継続的に開催できる目処(めど)が立ったことで 私の立場でも安堵したところでありました。

 

コロナ禍によって停滞を余儀なくされた地域コミュニティですが、この日の行事のような〝積み上げ〟により、再び活発化することを願って止まないところです。

 

 

 

その後 地元をあとにし、一路 さきの東日本台風被害に遭った、長沼地区(赤沼公園)に車首を向けました。

同じくこの日、長沼地区の方々による「元気を贈ろう!長沼コンサート」が開催されていました。

 

 

 

これまでもお伝えしているとおり、この10月は あの未曾有の台風災害から3年が経過し、ご関係者の方々をはじめ私たち長野市民は、改めて追悼と復興の思いを新たにしているところです。

そんな中、地区の有志の方々が「復旧から復興、そして発展へのエール」をテーマに掲げ、長沼地区の復興の象徴でもある ここ赤沼公園を舞台に、心温まるコンサートを開催したのでした。

 

 

 

コンサートには イベントの趣旨に賛同された多くのミュージシャン(演者)が出演し、それぞれに災害からの復興に心を寄せながら 美しい旋律を奏でておられました。

綺麗に芝生が貼られ、木陰が設(しつ)えられた園庭には 聴衆がリラックスした様子でてんでに座り、音楽に耳を傾けては拍手を送っていました。

 

 

 

かくいう私も、この赤沼公園の復興ぶりを目にし 改めて感慨のようなものを禁じ得ませんでした。

と いうのも、さきの台風被害で被災ゴミの片付けボランティアに参加した際、何いう ここ赤沼公園は、被災ゴミの集積場に指定され ありとあらゆる被災ゴミが堆(うずたか)く積み上げられていたのでした。

公園の遊歩道は ゴミを積んだ軽トラの経路となり、沿道には水をかぶった被災ゴミが累々と積まれていました。

 

 

 

子どもらの遊ぶ遊具の周辺もゴミまたゴミ…まさに悲惨な状況となっていたことは未だに記憶に残っているところです。

 

 

 

そんなひどい状況でありましたが、災害後の計画的な復旧工事により、公園はまた人々が集う憩いの場として蘇(よみがえ)りました。

 

 

 

公園内の土は、環境に配慮し表土の入れ替えが行なわれたうえで芝が貼られ、遊具や運動器具も元どおりに直されました。

この日も 子どもらが無邪気にブランコを漕いだり滑り台に興じたりして 歓声を上げていました。

 

 

 

被災ゴミの集積場から いつもの公園へ。

ゆえに赤沼公園は「台風災害から復興への象徴」と位置づけられているのでありましょう。

 

この日の2つの行事は、市域の歴史の中での〝低迷と復興〟を象徴するものであり、それだけに、行事で見られたみなさんの笑顔に 明日に向けたポジティブ(前向き)な心を感じることができました。

さまざまに厳しく難しい状況にある中、なかなか平易に事(こと)を運ぶことは難しいところではありますが、それでも みんなが心を寄せて事態に臨めば、きっと打開することができる。そんな勇気のようなものをもらった感しきりでありました。

 

〝市民感覚〟の反映を =体育館の在り方を考える会/障がい者福祉施設への調査=

この日(15日) 2つの事柄について席に着くこととなり、ジャンルは全く異なれど「〝市民感覚〟を反映させるべきこと」を再認識することとなりました。

 

午前中は、市民の有志による「体育館の在り方を考えるまちづくりプロジェクト」の会議…というかミーティング(意見交換)に参加しました。

このプロジェクトについては これまでも本ブログでレポートしておりますが、市内の体育館(中部勤労青少年ホーム施設)の存続要望に端を発し、単なる体育館の存続要望との狭義(きょうぎ)に止(とど)まらず 市内の体育館施設の在り方(役割)を考えること、ひいては長野市が進める「公共施設マネジメント」の考え方そのものに一石を投じることとなっています。

いわば〝市民感覚〟が行政を動かすこととなっています。

すなわち、市(市長)の目指す〝健幸増進都市〟の実現 すなわち「健康寿命延伸」には体育館が必要であること・公共施設マネジメントの推進との名目の下で いわば縦割り行政の中で所管ごとに施設の廃止を一方的に進めるのではなく、(体育館の位置づけを)部局横断的に考え (利用者数などに応じて)残せる施設は残すという発想に立つべきなどと提言を重ね、その結果 これまで頑(かたく)なであった市の姿勢も、例えば さきの本会議での私の質問に対して、(前掲の)中部勤青ホーム体育館(商工労働課所管)を 社会体育館(スポーツ課所管)に移管したうえで存続させる見通しを示すなど、いわば(イイ意味で)柔軟路線に転化したところです。

その陰には、当該プロジェクトの方々の 対局に立った提言があります。

この方々は、単に「自分たちの使う体育館〝だけ〟を残してほしい!ウチさえ残れば後カンケーない」などとという〝おねだり・わがまま要望〟では無く、前掲のとおり広義に立った提言を行なうことで、市もその意見に耳を傾け というよりも大いに参考にすることとなり、その結果として体育館の存続を勝ち取る機運(まだ結果は出ていない)となりました。

 

さらに このプロジェクトのメンバーのお一人は、今後の長野市の「スポーツの将来像」にまで夢を描いておられ その夢の姿を披瀝してくださいました。

「長野市には、4つものプロスポーツチーム(団体)があり、また 部活などで向上心をもって切磋琢磨するアスリート・生涯に亘ってスポーツを楽しもうとする人たちがいます。そんな好環境の下、今後は プロスポーツ⇔アスリート⇔生涯スポーツの人が相互に交流的活動を継続的に行なうことで、スポーツのスキルアップと健康寿命延伸が同時に伸びてゆけるのではないか。そして、その「場」として 体育館が重要な役割を果たすことになるのではないか。」とのことでありました。

そのうえで、この考え方は 文科省が進めようとしている「部活の地域移行」にもイイ意味で影響を及ぼすことができるのではないかと言及、例えば 部活指導を地域のスポーツ愛好団体が担うことも含めて一考することもできる旨 述懐されたところです。

この考えを基にすれば、今後の体育館に関するプロジェクトは 直接的な所管課のみならず、例えば高齢者福祉に関する所管や 教育に関する所管の参加も促し、ひいては市全体の将来を考える機会にもなり得ることが話され、いわば「小さく産んで大きく育てる」的な〝政策の広がり〟のようなものを実感したところです。

 

 

 

午後は、市内にある障がい者福祉施設へ「調査」に出向きました。

施設名や調査内容については後日に譲ることといたしますが(概要については10/8付のブログでも触れています)、約10年前に開所したこの施設には 多額の補助金を受けておきながら稼働していない大型機械があり、そのこと(未稼働常態)について市民(Gotaという福祉グループ)から「おかしい」との指摘があったことから、それを受けて 議員の立場で調査を行なったものです。

しかして その実態は、市民(Gota)の指摘のとおり 非常にずさんなものでありました。

多額の資金を投入して設置した機械が未稼働…減価償却もできない(しない)まま〝置きざらし〟になっていることは、市民感覚(例えば民間企業)でいえば考えられないことでありましょう。

 

この日の調査によって さらに検証(確認)すべき内容が散見されたことから、一旦は関係者に持ち帰らせ、後日 改めて調査の場を設けることといたしました。

「障がい者福祉」というと 非常に聞こえがイイ善行と考えられる(印象づけられる)ところですが、その実態は いうなれば脇が甘い事業運営のうえに、真に障がい者の方を向いて仕事をしているのかと訊きたくなる現状にあるようです。

今回の調査をキッカケに、改めて地域の障がい者福祉の実態にメスを入れ ひいては各事業が真に障がい者のために行なわれるものになるよう、そのうえで「主役」である障がい者の社会生活に光の当たるものになるよう取り組んでゆきたいと思いを新たにいたしました。

 

 

 

この日の2件の取り組みは、奇しくも「市民感覚」の重要性 というか、それが当たり前であることを再認識すべきことを実感したものでありました。

 

塩尻市議会が「議会選出の監査委員」を出さない方針を打ち出す

さき(5日)の新聞(デジタル)報道で、長野県塩尻市議会が 来春の統一地方選改選以降「監査委員」の議会選出(議員が監査委員を務めること)を行なわない方針を決めたことが報じられ、耳目を集めました。

 

 

 

同市議会は今後、議会選出の監査委員を行なわないとする条例(改正)を市に提言(提出)することを4日の議会運営委員会で確認したとのことです。

それに代わる〝チェック機関〟として、同市議会では 昨年5月に全議員が全ての予算・決算の審査に当たる「(常任の)予算決算委員会」を設置しており、この委員会の場で議会としてのチェック機能を高めてるとしているそうです。

 

この根拠には「監査委員の一部を議員から選ばなければならないとしてきた規定を緩和」との 地方自治法改正の動きがあります。自治体の条例で定めた場合には、議員から選任しないことができるようになりました。

市や県町村議会議長会などによると、県内では 木曽郡王滝村が昨年12月から議員選出の監査委員を置いていないそうです。

 

ご案内の「監査」という業務は、自治体においては行政事務事業が適正に行なわれたか、それに伴う会計収支は適切かつ「入り」と「出(で)」が符号しているかをチェックする重要な機関です。

特に 単年度決算が主となる自治体運営においては、年度ごとに監査を行なうことで、次年度以降の事務事業がより適正なものになるよう指摘せねばならず、その眼力と指摘力に相当な期待が寄せられるものです。

この監査における議会選出委員を設置しないことを決めた塩尻市議会の判断については、監査作業を議員全員で行なおうという〝決意の裏打ち〟とも取れます。

 

なお 長野市においては、議会から2名の監査委員が選出されており、議会審査とは別に監査作業に参加することになっており、一方で、予算審査については各常任委員会で・決算審査については決算特別委員会(分科会)を設け、所管は分掌しながらも 議会としても予算・決算の審査に関わることとなっています。

 

今回の塩尻市議会の判断については、それぞれの自治体議会の考えとして尊重されるべきと思うところですが、私とすれば 監査のようなチェック作業は、先ず前提として 監査委員であろうが無かろうが議員の立場で常に(イイ意味で)監視の目を光らせておくべきであること、そのうえで 監査委員としての議員のチェック・さらには議員としての予算・決算審査を通じてのチェックと、いわばダブルチェックを行なうことで、行政事務事業がいっそう修練されるのではないかと思うところです。

ただ しかし、このこと(監査)については、監査に臨む者の(前掲のとおり)眼力に負うところが多くあり…その目が鷹(タカ)であれが厳しい監査が 鳩(はと)であれば看過型の監査になってしまう場合もこれあり、逆に言えば 監査に臨む者の姿勢が、監査作業自体に反映されることは いた仕方ないところであります。

そして、そのこと(眼力の如何)は 何も監査委員では無くとも、議員ひとりひとりに課せられたs使命ともいえるでしょう。

 

今回の塩尻市議会の判断がどのように事務事業に反映されるのかは 来年度の改選以降の塩尻市議会議員の取組み次第ということでありましょうが、われわれ長野市議会においても さまざまな面での監査作業を尖鋭とし、市の行政事務事業が 真に市民生活に資するものになるよう不断の努力を重ねてゆきたいと、他山の石を見て思いを新たにいたしたところです。

(なお、この判断…監査委員となることで議員に負担がかかるから その軽減対策としての不選出であれば、それは本末転倒なのですが…ゆめゆめ そんなことは無いと信じるところです)

 

 

 

令和元年東日本台風被災地(豊野)における土地の後利用問題

あれから3年。

2019年10月に発生した「令和元年東日本台風」は、列島にさまざまな被害を及ぼし 災害史を刻むこととなってしまいました。

長野エリアにおいては、主に千曲川流域に越水などの甚大な被害を及ぼし、今も私たちの記憶に鮮明に残っています。

あれから3年…時間だけは確実に経過し、被災地においては 復旧・復興の取り組みがされ、その模様は本ブログでも随時ご報告させていただいております。

読者のみなさんにおかれては、ブログページの右側に「バックナンバー」欄がありますので それを活用して回顧していただければとも存ずるところです。

 

そんな中 さきの地方主要紙の紙面に、被災地(豊野町)における 被災に伴い空き地となった場所を巡る〝新たな問題〟が取り上げられたことから、その件について 11日に行なわれた「長野市議会 福祉環境委員会(協議会)」の場で所管(環境保全温暖化対策課)に事実関係を質(ただ)しました。

記事によると、台風19号被害に伴い更地(さらち)となった土地に 新たに土木事業者が進出(賃貸契約)し、そこ(更地)に 工事で出るなどした「残土」を積み上げているとのことなのです。

 

 

 

 

その場所は、豊野町の いわばメインストリートに面しており、周辺には 宅地や商業地や公園が遍在ており、災害を経て どうにか復旧を果たし、多くのみなさんが 再びここで生活を再開している域(いき)なのです。

加えて、当該の〝残土置き場〟のすぐそばは、豊野エリアの復興の象徴ともなる「豊野防災交流センター」の建設予定地にもなっているのです。

 

 

 

取材によると、当該の残土処理地は盛り土が約2メートルの高さで積まれ、大型の重機や残土選別機(大型のふるい)が置かれているとのこと。

周辺住民に訊くと、9月初め頃から建設工事で出た残土が大型ダンプカーで運び込まれ、大型重機や残土の選別機が作業するようになり、連日の朝晩に亘り 大型ダンプカーのエンジン音が響いたり粉塵のようなものが舞い、住民の一人は「2階にいるとガタガタと地震のように揺れる。粉じんもすごく、干していた洗濯物も汚れた。」とこぼしておられる様子が伝えられていました。

 

 

 

この残土処理地を管理する業者によると、地元の地権者と土地賃借契約を結び 台風翌年の20年10月に同市徳間から移転しており、残土処理地として利用しているものの 法的には何ら問題は無いと説明しているとのことです。そのうえで、周辺住民の住環境に鑑み 今後は防音壁の強化などに取り組むことを、9月に開いた住民説明会で説明したとのことでありました。

 

この内容について 11日の福祉環境委員会(協議会)で確認すると、市は住民の要請を受け 任意で調査を行なったものの、当該土地は 騒音規制法の対象となる特定施設でもなく、残土は廃棄物処理法が対象とする産業廃棄物でもないことから、法的な規制はできないとのこと。

ただ 住民被害の訴えもあることは事実なので、これからも適切に仲立ちとなり 騒音や粉塵などの被害が最小限に抑えられるよう指導していくとのことでありました。

 

未曾有の台風被害を受け、被災地の土地利用は いわば難しい状況のままに推移しています。

被災後も 住み慣れた土地で再び生活を再開する人たちがおられる一方、被災を契機に他の土地へ転出する世帯や事業所も少なからずおられ、被災地エリアの土地には空き地や更地が目につく状況にもあります。

また 被災地に土地を所有するも その利活用が見込めず、今回のように事業者に賃貸せざるを得なくなっている地主もおり、そんな いわば「背に腹は代えられない事情」が、かかる〝新たな社会問題〟に発展しているのは、これも台風被害の延長線上にあるものか…と忸怩たる思いを新たにさせられるところです。

 

あれから3年。

件(くだん)の台風被害は、未だにさまざまな様態で 私たちの社会生活に影響を与え続けています。

3年という時間は経過したものの、今後も「あのこと」を忘れず、未だに横たわる諸課題(諸問題)に対峙すべきことを再認識いたしたところでありました。

 

[注意喚起]クルマの運転だけじゃない…高齢化に伴う「キノコ採り」などの山中行動にご注意を

「食欲の秋」や「味覚の秋」また「収穫の秋」とも言われ、四季のあるわが国において「秋」は さまざまな面で実り多い季節となっています。

里の圃場では 一斉に稲刈りが行なわれ、五穀豊穣の筆頭でもある米の収穫が進んでいます。

今年もまた、炊飯器の中で光り輝くオイシイ新米が食卓に載せられ「飯(めし)だけで茶碗一杯イケル!」と喜ばれることでしょう。

で、とりわけ 山国(やまぐに)である信州の〝秋の逸品〟といえば、そう「キノコ」が五指に入るところであり、さらには 山地に遍在する自生(天然)キノコこそが、秋の味覚として喜ばれているところです。

キノコといえば、独特の風味と食感をもち 昨今では身体の滋養に優れていることも注目され、そのまま食したり 汁モノなど様々な料理の引き立て役として食卓を賑わしてくれています。

そして、それら豊かなる秋の味覚を得る「キノコ狩り」は、それを愛好する方々にとって 待ちに待った年中行事とも申せます。

この時期になると、多くの愛好者が山へと分け入り ときにはビク一杯のキノコをゲット、ご家族はもとより近隣の方々にも振る舞っては喜ばれているものです。

 

ただ そんな中、ここのところ 私(だけじゃない)が憂慮しているのが「キノコ狩りで遭難」のニュース…それも一つや二つじゃなく〝頻発〟といえるほどの多さで報じられていることです。

で、遭難場所や様態は異なれど 共通していえるのが「高齢者の遭難」という点です。

 

 

 

今年だけでも複数件の〝キノコ狩り遭難〟そのいずれも 当事者はお年を召した方々であり、おそらくは (キノコ狩り)キャリア何十年というベテランでありましょう。

そんな、自分の〝キノコ山〟を知り尽くしたハズのベテランハイカーが なぜに(多くの人が)遭難の憂き目に遭ってしまうのか。

これは一重(ひとえ)に、高齢(加齢)に伴う体力の低下に他なりません。

50~60才代の頃は 山地を駆け巡っても平気の平左(へいきのへいざ)、あらゆる収穫ポイントを巡っては沢山のキノコを採っては みんなに喜んでもらい、その笑顔に接しては悦に入っていたものでした。

しかし あれから相当の年月が経ち、自分でも気づかないうちに足腰は弱り 昔のようにはゆかなくなっているのです。

それでも山は、今年も多くのキノコを這(は)わせてオレを待っている。オレが行かずして誰が行くのか。

 

・・・・・・。

キノコ採りに行くのは、秋の欠かせぬレジャーとして また健康づくりの観点からも、非常によろしいことと思います。

しかし そこでは、是非ご自身の年齢(厳密に言えば体力)と〝相談〟しながらビクを背負(しょ)ってほしいと思います。

山は変わらないけれど、自分は確実に変わって(衰えて)いることを自覚したうえで山に入る。

決して無理をせず、ほどほどを旨として〝狩り〟を楽しんでいただければ 不測の事態に見舞われることも無いし、自分も痛い思いをせずに ひいては(捜索隊など)他者に迷惑をかけることなく自宅に(お土産を持って)戻ることもできる。

昨今の社会では 高齢者に起因する交通事故のニュースが頻発していますが、この〝キノコ狩り遭難〟も然り…いずれにしても、社会全体の高齢化が あらゆる場面において不測の事故発生に影響していることを再認識させられるところであります。

 

ところで、こと 自然を相手にした収穫ごとにおいて〝ありがちなこと〟を、過去の事故事例の中でも啓発しています。

「自分だけの穴場」を他者に知られたくない故(ゆえ)の、単独入山に伴う遭難事故です。

 

 

 

気持ちは分かる。

苦労して見つけた自分だけの穴場…もし他者(これは身内も含む)に知られてしまったら、自分が居ない間に採り尽くされてしまうのではないか、とのご懸念から 入山は常に単独。

そのうえで 多くの収穫が得られた際に「どこでこんなに採ったんだ?」との 皆の驚く顔が快感となり「よし、また今度!」と勇んで山に(独りで)分け入るのです。

しかし、もう ご自身も立派な高齢者です。何かあれば、遭難とまではゆかなくても 捻挫(ねんざ)しただけで歩けなくなり、助けも無い中では衰弱の一途を辿ることも懸念されるでしょう。

それらを踏まえ、どうか高齢の〝キノコハンター〟におかれては、決して無理をしないこと(引き返す勇気をもつこと)・単独で山に入らず 最低でもバディ(相棒)を組むなど複数で入山すること・万が一に備え チョコや飴などの非常食、それに携帯電話(スマホ)を携行すること 等の自己防衛策をもったうえで、安全のうちに 山を楽しんでいただければ、と切に思うところであります。

 

クルマもキノコも ときにお酒も「年齢(とし)相応」を旨として〝それなりに〟豊かで恙(つつが)なき人生を全うしたいものです。

 

諸課題へ向け、始動

寒い。

娑婆(しゃば)の陽気は、これまでのうららかな状況から急転直下、一気に初冬を思わせるように寒い毎日となっています。

もう これには身体(からだ)がついてゆけまへん。

今まで来ていた半袖シャツを長袖に変え、出かけるときにはコートやジャンパーを引っかけて空を見上げ「オ天道さん、いったいどうなっちゃったの…」と独り言(ご)ちているところです。

この ひと足もふた足も早い寒さの到来の原因には、シベリア上空を流れる「寒帯全線ジェット気流」が蛇行(南下)する「ラニーニャ現象」のより寒気が列島を覆ったことで生じるらしく、今後も不定期のうちに寒気が訪れ 肌寒い…というより「寒い!」陽気を招くことになるようです。

一方で、このジェット気流が列島に被(かぶ)らないときは、今後は逆に気温が上昇するとのこと…しばらくの間 私たちは、夏服と秋冬物を両手に抱え〝二刀流〟の装いで過ごさなければならないようです。

 

 

 

いずれにしても、この極端な寒暖差は 体調不全の原因になりやすいことから、私たちは 蔓延するコロナ対策に並行して、不測の風邪など引かないよう体調管理に万全を期することが求められていると申せます。

この時期に風邪を引いても、誰も褒(ほ)めてはくれませんから。

 

 

◇諸課題に向け、始動

[始動1/長野市の外郭団体における 過去の事業にメス]

市民の「福祉」の在り方を考えつつ活動を重ねる有志の団体『Gota』が、長野市の外郭団体となっている福祉関係の協会での過去の事業について問題点を指摘し、そのことについて検証(調査)を行なうことになりました。

私も『Gota』の一員として この調査活動に参画しています。私は 自分の役分(やくぶん)として、議員の立場で議会での質問や委員会での質疑を通じて問題提起しており、それらに基づき 然るべき後に具体的な調査に入ることとしております。

この日(7日)は、Gotaのメンバーが集まり 調査の下打合せを行ないました。

単独活動と異なり、複数の しかも違った立場(社会環境)の者が様々な意見を出し合うことで、やがて議論は修練され 調査に向け大いに参考になったところです。

事(こと)の詳細については後日に譲ることとしますが、Gotaにおいては、今回の調査を契機に 最終的には長野市の福祉行政・事業が 真に市民や関係者のためになるものになるよう、イイ意味で諸課題を〝追い込んでゆく〟ことを確認したところです。

「いったい誰のための福祉?」このことをキーセンテンスとし、調査に臨んでまいります。

 

 

 

[始動2/市内の公園での「犬の散歩」解禁へ向け、関係団体に協力を打診]

長野市内の公園での「犬の散歩」の解放に向け、家庭犬の育成(しつけ)の普及向上に取り組む団体に協力を要請し ご快諾いただきました。

と いうのも、長野市は 他市に比して、市内の殆(ほとん)どの公園で「犬の連れ込み」が禁止されており、私の下(もと)にも 多くの愛犬家の方々から「公園で犬を散歩させてほしい」との声が寄せられています。

しかしながら、長野市では 数多(あまた)ある公園のうち 3つの公園だけが犬の散歩(連れ込み)や容認されているだけで、他は一切〝ワンちゃん進入禁止〟となっているのです。

で その陰には「飼い主マナー(の悪さ)」が挙げられているのです。

いわんや「糞害(ふんがい)」です。

これまでは 心無い飼い主が、散歩中の犬の糞を放置したまま立ち去るケースが多く 愛犬家以外の市民から苦情が寄せられるほどでした。

しかし 最近では飼い主マナーも向上してきたこともあり、市民アンケートでも7割以上の人が「公園での犬の散歩を容認したい」としていることから、この機を得て 公園を解放するよう市に求めているものです。

しかし いくら市民の声が届けられているといっても、いち議員が騒いだだけでは 市も対応しずらいであろうと考え、この際として 市内で犬のしつけを積極的に行ない「飼い主マナー」の向上に向け不断の活動を重ねている「愛犬育成団体」に声をかけ、かかる団体が前面に出たうえで 市に働きかけてもらうこととしました。

この日は「初めまして…」のお電話でしたが、私の言う趣旨にご賛同いただき、今後 当該団体と連携しながら、公園における犬の散歩の解放に向け協調してまいります。

ただ その(解放の)裏付けには、公園に犬と一緒に立ち入る100%の飼い主が 糞尿の始末をキチンと行なう(糞は持ち帰り・尿は水で流したり中和剤の噴霧)ことが必須条件であることから、飼い主マナー向上も併せて実行(啓発)してゆきたいところです。

 

 

 

いずれにしても、諸課題は待った無し。

この日を契機に、前へと進んでまいります。

 

 

「校門前でタバコを吸う先生」の記事に思う

過日(5日付)信濃毎日新聞の29面(第三社会面)の特集コラム「声のチカラ」に「他に場所はないの?学校の「校門前」でたばこ吸う先生が気になる…」との記事が掲載され、何とも複雑な思いにさせられました。

 

 

 

記事によると、県立高校の校門の目の前に自宅がある主婦から「校門の前でタバコを吸う先生が気になります。台所で料理をしていると(タバコの)臭いが漂ってくることがあるほど。校内に喫煙所はないのでしょうか?」との 苦情に近い投稿が(声のチカラに)寄せられたとのことで、よりによって「聖職」たる任に就く教職員が 自らが勤める学校の門前でタバコをくわえる姿と、それに伴う〝煙害〟について 疑問の声が寄せられたことが載せられていました。。

記事には、ここに至る経過と現状について述べられていました。

教師らが校門前などで喫煙するのは、受動喫煙対策を強化する「改正健康増進法」の施行を前に 県教育委員会が2019年4月から県立学校の敷地内を全面禁煙としたためだそうです。これに市町村教委も追随し 市町村立の小中学校での全面禁煙も進みました。

そんな措置により 愛煙家の教職員は「学校敷地外」での喫煙を余儀なくされているようです。

今回の投稿以外の高校でも「愛煙家の先生方は 授業の空き時間に校門前で喫煙している。」との述懐があり、さらに「校門から一歩でも出れば『敷地外』だから(喫煙しても)イイ、という感じになっている」とのことでした。

県教委保健厚生課によると、知事宛ての「県民ホットライン」にも 年に1~2件、県内各地の高校で教師らによる路上喫煙が「気になる」「目につく」などといった苦情のメールが届くということです。

長野県では、田中康夫知事時代の04年に 県有施設敷地内を全面禁煙としたことがありますが、職員の路上喫煙が増え かえって周辺住民から苦情が寄せられたことから、06年に「敷地内分煙」に緩和した経過があるとのこと。

この状況に 愛煙家の教職員は「愛煙家も住民に迷惑をかけないよう気を使っています。例えば 昼食を買いに出かけた際に、コンビニの喫煙スペースで(一服を)済ませるようにしていますが、そのような機会が無ければ、校門前ぐらいしか吸う場所はありません。」と胸の内を述べていました。

しかし、教職員の門前での喫煙を迷惑に感じている住民がいるのは事実。投稿した主婦は「やっぱり臭いが嫌だし印象も悪い。ただ、高校に直接言うのも気兼ねしてしまうので(高校側が)自主的に対応してほしい。」と話していました。

渦中の県教委は、愛煙家の教職員に禁煙を強制することもできず かといって校内に喫煙スペースを確保することも不可能で 打つ手が無い状況のようです。コラムの最後に(県教委保健厚生課)は「学校近辺での路上喫煙による校内への煙の流入や 通行人・住民の受動喫煙が生じないよう指導したい。」としている、と結んでいました。

 

実は、私の亡父は 自他共に認めるヘビースモーカーでした。

朝 起きてから床(とこ)につくまで、片時もタバコを手放すことはありませんでした(さすがに風呂に入るときは別でしたが)。

食事のときも 傍らには必ず灰皿があり、飯が終わった瞬間にライターに火を付けるほど。

当時 一家が住んでいた官舎の居間(6畳間)は、親父が居る間は 常に白く煙(けむ)っていたのでした。

ちなみに愛煙の銘柄は「わかば」ヨク知りませんが〝きつい〟種類とのこと、ガキの頃はヨク買いに行かされたものでした。

(この 親父の過剰なタバコ生活が反面教師となり、私自身は喫煙とは無縁の人生を送っています)

 

 

 

そんなヘビースモーカーを父に持った私ですので、愛煙家たる教職員の心情は理解できるところです。

ところが、ここ(投稿を受けた場所)は学校…しかも多感な若者が学ぶ場の それも門前での喫煙行為には、いささか疑問を呈せざるを得ないところです。

しかし彼らは、相変わらず煙を薫(くゆ)らせている。

残念ながら私は そこに、教職員であることの優位の心境を垣間見るところです。

「われわれは生徒を指導するとの崇高な職務に就く教職員である。日頃職務に精励し多忙を極める中、多少の喫煙は許されて当然。しかし敷地内での喫煙は叶わないことから ここ(校門)で喫煙するものである。」との 至極当然の言い分が聞こえてくるようです。

しかし私は それらの状況を踏まえてもなお、釈然としない思いは消えません。

まず、校門の前がいけません。多くの生徒や来訪者が出入りする校門の前での喫煙風景は 景観上でも違和感を否めません。

究極的に言えば、生徒が学ぶ学校施設(周辺)にタバコの煙が上がっていること自体 いかがなものかと思わざるを得ない…おそらくは 生徒指導の中で「未成年の喫煙はダメ」を説く立場でもありましょうが、片や(教職員)は成人しているから合法とは申せ (教職員は)煙の匂いを漂わせながら「ダメだぞ!」と強弁しても、何とも説得力に欠けると思わされるところです。

 

いずれにしても 指摘のあった様々な状況を踏まえ、せめても 校門の前の喫煙は即刻やめるべきでしょう。せめて 人目につかない一画(一角)に移動し、手早く用事を済ませるべきと思います。

そして、やや飛躍した理屈ではありますが「われわれは教職員である」との優位の意を顧みて 改めて「聖職」たる職務に向き合ってもらいたい、と願うところであります。

 

 

国会論戦〝目玉〟の中で ~障害者支援の「改正法案」提出へ~

秋の臨時国会が開会、今年の年末に向けて論戦がスタートしています。

コロナ禍や諸物価高騰など 厳しい社会情勢を踏まえての経済対策、また一方で いわゆる〝旧統一教会問題〟など、課題と問題がない交ぜになった中で 連日に亘り紙面や画面を賑わせることになるのでしょう。

そんな〝目玉ネタ〟が引きも切らない中、私は一本のニュースに注目しました。

「障害者支援、改正法案提出へ、1人暮らしや就労に新事業」というものです。

 

 


報道によると、障がい者の地域生活や就労への支援を手厚くしようと、厚生労働省が この臨時国会へ関連法改正案を提出する運びとなっているそうです。

①利用者者負担の見直し ②障害者の範囲の見直し ③相談支援の充実 ④障害児支援の強化 ⑤地域における自立した生活のための支援の充実 などとなっています。

障害者総合支援法や精神保健福祉法といった複数の改正案を束ね、障害者が少人数で共同生活するグループホーム等について、一人暮らしやパートナーとの同居を望む人を支援する新たな種類を設ける他、社会参加(就労)に向けた支援を行なう内容となっているとのことで、2024年度に施行したい考えとのことです。

 

[参考]障害者総合支援法改正法施行後3年の見直しについて(社会保障審議会障害者部会 報告書)

              ↓

https://www.mhlw.go.jp/content/12601000/000950635.pdf

 

 

わが国の障がい者支援については、さきに国連の『障害者権利委員会』が その現状について〝ダメ出し〟をするなど、世界水準から大きく立ち後れていることが指摘されているところであり、それらを踏まえての〝新たな支援〟の打ち出しとも捉えられるところです。

一方で、いくら制度を改正し〝枠組み〟ばかりを整えたとしても 支援する「人」の意識がシッカリとしたものでなければ、いわば「仏つくって魂入れず」の顛末となってしまうとの意見も聞かれるところです。

 

 

その 悪しき典型となるような事例が散見されており、憂慮の念を抱かされると同時に この辺りを抜本的に変える…とういうより、関係者が「原点に戻る」意識を持たなければならないと思わされるところです。

過般 上田市の通所型障がい者福祉施設において、あろうことか 施設職員が通所者(利用者)さんを殴るなどの暴行を加えたとして、20才の職員が傷害容疑で逮捕されたことが報じられたのです。

 

 

 

報道によると、当該の職員は 勤務先の施設で、30代の利用者さんをパイプ椅子で殴るなどし 腹の打撲など2週間のケガを負わせたとのこと。

そして さらに問題なのが、この暴行が単独のものではなく、他の職員ら2人と共謀して犯行に及んでいたとみられていることです(上田警察署調べ)。

これを受けて 警察や関係機関は、施設内で 職員らによる通所者らへの暴行が常態化していなかったかどうかを詳しく調べる方針とのことでした。

 

・・・・・。

今回の悪しき報道をはじめ、最近 全国の障がい者施設や高齢者施設など、いわゆる社会的弱者を支援する施設で 考えられないような虐待・傷害事件が頻発しており、由々しき思いをさせられています。

百歩譲って言えば、かかる〝虐待職員〟も 就職したての頃は「社会的弱者を支援したい」との熱意(=優しさ)をもって仕事に就いたハズです。

それが…どのような経過を辿って変節してしまったのでしょうか。

そこには 淀(よど)んだともいえる職場環境や、利用者さんを「お客様」として考えない 悪しき主客逆転の考え方の蔓延→それを容認する先輩職員の存在など、さまざまな悪要因が想像されるところです。

と いうのも、今回 上田の施設で摘発された職員は僅か20才代の若者。おそらくは勤務数年の中で悪魔の所業に手を染めた背景には、彼の悪しき素養を助長させる〝悪しき職場環境〟があったことが往々にして想像できるところです。

また、今回は 暴行という形で職員による虐待が大きく報じられましたが、実際には いわゆる言葉の暴力や威圧的なモノの言い方など、目に見えない虐待事例も遍在していることが側聞されており、地域の拠り所(よりどころ)であるハズの福祉施設は 一体どうなっているんだと懐疑的にならざるを得ないところです。

 

かかる事案を反面教師とし、福祉施設の健全運営には「職員の意識」が基本中の基本であることを再認識し、そこから〝改正〟してゆかないことには 真の障がい者支援は成り立たないのではないか、とも思わされたところでありました。

翻(ひるが)って、問題の背景には 福祉施設における職員待遇も課題であることも挙げられているところではありますが、それとは別次元での「職員意識」の問題、これを通底に据えて「福祉向上」を議論すべきと思う者の一人です。