長野市議会議員会派

改革ながの市民ネット

長野県神城断層地震に対する長野市の対応について

このたびの大地震において被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。

本年は、南木曽町の土石流・御嶽山の噴火、そして大地震と、長野県において災害多発の年となってしまいました。

長野県神城断層地震に対する長野市の対応についてHPにアップされましたのでお知らせいたします。

→ http://www.city.nagano.nagano.jp/soshiki/kikibousai/100076.html

子育て支援充実や木材の地産地消について質問します

長野市議会9月定例会において、子育て支援の充実・待機児童解消・こども広場の駐車場整備・長野駅善光寺口に設置する幔幕のデザイン・公共事業の平準化・木材の地産地消について質問いたします。

9月11日11時15分頃からの予定です。長野市議会のHPからインターネット中継で視聴できますので、ぜひ、ご覧ください(^-^)。

PFI事業について岡崎市を視察

長野市議会建設企業委員会で岡崎市のPFI事業を視察させていただきました。

私は、元来、行政の責任を重視する立場なため、「民間活力導入」には、丸投げにならないよう・市民サービスが低下しないよう、慎重に対処してきました。
ところが、例に挙げられた男川浄水場更新事業、当初の見込みが設計・建設費206億円、維持管理費24億円だったところ、PFIで発注したら建設費86億円・維持管理費23億円と、事業費が半額以下になった事例をご説明いただきました。
岡崎市においては、今後もPFI事業を推進する方針であるため、今のうちに実績を積むため安く受注しようと考える事業者の判断や、事業費を市が調達したため、ノーリスクで受けられることからの値引き等の競争原理・配慮が働いたようですが、当初見込みの「半額で」事業が出来るなら、財政上は間違いなくプラスです。公共施設の維持が難しくなってきた現在、半額で新築・改築ができるなら、倍の施設が維持できることになります。また、教育や福祉等に予算をまわすことも可能です。
受注者が破綻した場合のリスクを誰が負うか等の問題にも契約により対処が出来そうですので、市民益のため、更に調査・研究を進めてまいります(^^)v。

「殺す側の論理」と「平和ボケ」

日本のタカ派は「平和ボケ」し、想像力に欠ける。

平成26年5月15日、安倍晋三首相は、集団的自衛権行使に向け、憲法解釈変更の検討を政府・与党に指示しました。それが、いかに危険かつ姑息な考え方・やり方かは既に述べましたので、ここでは、彼らの根本的ありようについて述べたいと思います。

彼らは、そもそも、戦争により自分や自分の家族・友人が死ぬことを想定していません。彼らが実現した格差社会により、自衛隊に入隊することが戦死につながる事態になった場合でも、入隊するのは他に高賃金の職がない若者が多いでしょう。そして、そういう人は彼らの家族・友人にはいません。だからこそ、安易に戦争が出来る国造りを進めるわけです。戦争について考える場合、自身や家族・友人が戦死することも想定すべきですし、それでこそ抑制的な判断が出来るようになります。

彼らには、人が死ぬことの意味、家族・友人を失い嘆き悲しむ人への想像力が完全に欠落していると言わざるを得ません。

そして、「平和ボケ」しています。「腹が減っては戦はできぬ」というように、戦争を遂行するためには何より食料の確保が必要となります。故に世界のタカ派は食糧安全保障の観点から当然、農業保護論者になります。「日本の農業は保護され過ぎている」と嘘をつき、食料自給率40%の現状を放置したのみならず、関税0%をめざすTPPに参加しようする日本のタカ派には、あきれかえって物も言えません。戦争遂行能力に欠けるのに戦争がしたい国家指導者に率いられている日本・・・。

総じて、安倍首相とその仲間は、「殺す側の論理」に立ち、国民に対峙していると言えるでしょう。「殺される側」にならないために、子ども達の命を守るために、共に頑張りましょう(^^)v。

※ 殺す側の論理・殺される側の論理は、本多勝一氏の造語だと思いますが、現政権がまさに「殺す側の論理」を展開しているため、使わせていただきました。

なお、イギリス貴族は「ノブレスオブリージュ」として積極的に前線に赴き、第1次世界大戦における戦死者は、割合では一般市民からの兵士の2倍にのぼったそうです。悪名高いスターリン・毛沢東も祖国防衛のために息子を戦死させています。家族・友人を戦死させる覚悟もない「権力者・大金持ち」が、死ぬのは「いくらでも補充できる貧乏人だから」と平和的解決をないがしろにして侵略戦争が出来る国造りを進めることは、「赤紙1枚でいくらでも兵士は補充できる」「お前らの価値は馬や銃以下だ」と上官から罵倒された戦前の再現になりかねません。そうした「イカれた」考え方に、私は断固反対します。

集団的自衛権に関する憲法解釈変更に反対する討論を行いました

平成26年3月25日、長野市議会3月定例会最終日、標題に関する請願を継続審査とした総務委員会委員長報告に反対の討論を行いました。全文を掲載しますので、ぜひ、ご覧ください(^-^)。

28番、改革ながの、望月義寿でございます。請願第5号、「集団的自衛権に関する憲法解釈を変更することに反対する請願」を継続審査とした総務委員会委員長報告に反対の立場から討論を行います。

安倍晋三首相は、多くの与野党議員が反対する中、集団的自衛権の行使が出来るよう、憲法9条改悪を図り、まずは憲法改正手続きを規定する96条を改悪しようとしました。それが難しい状況なので、今度は憲法解釈を変更することにより集団的自衛権の行使が出来るよう、全力をあげています。

日本国憲法第9条は、第1項で、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と規定し、第2項において、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と規定しています。第2項の戦力不保持・交戦権放棄は、自衛戦争すら放棄するよう読めるため、自衛隊自体が違憲であるとの見解もありますが、我が国を取り巻く厳しい国際情勢から、何とか自衛のための最低限の武力の行使は可能であると解釈してきました。しかしながら、さすがにそれが限界で、自国が攻撃されていない状況で他国に対して武力の行使や戦争をすることは明白な憲法違反として、歴代内閣法制局は集団的自衛権の行使を認めないとの解釈をとり続けてきました。これは、かけらほどでも憲法を学んだ人間にとっては当たり前の解釈なのですが、安倍首相は、何と、現憲法下でも集団的自衛権の行使が可能である、との極めて珍しい見解に立つ小松一郎氏を内閣法制局長官に抜擢してしまいました。例えて言うなら、サッカーの試合で手を使おうとしたところ、当然のことながらルール違反であり、ルール自体の改悪は難しいため、サッカーで手を使っていいと考えている、極めて珍しい、審判経験のない人を審判に抜擢してしまったという状況です。まさに、姑息極まりない手法です。

第1次安倍内閣が短命に終わり、持論である「世界中で戦争が出来る国づくり」を実現出来なかったことが心残りである安倍首相は、前回の教訓を活かして、まずは経済対策に全力を上げ、支持率の向上・維持を図っています。最近になって集団的自衛権行使の閣議決定を急がないような発言をなさっていますが、消費税増税後も支持率が下がらなければ、安倍内閣が信任されたと判断し、一気に集団的自衛権行使の閣議決定にいたる可能性は大きいと考えます。長野市議会は、通年議会でないため、急転直下の国政の動きに機敏に対応して意見書を上げることが難しいことから、この3月議会でこそ集団的自衛権に関する憲法解釈を変更しないよう意見書を提出する必要性があると考えます。

日本国憲法は、国民の人権保障を基礎とした最高法規ですが、第25条の生存権に関しては、大きく分けて、プログラム規定説・抽象的権利説・具体的権利説に分かれます。25条は第1項で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定していますが、純粋なプログラム規定説は、これを国家の努力義務と解釈し、生活保護のような制度は憲法上の権利ではないと解釈しています。解釈によって人権保障がいくらでも骨抜きにされるようになれば、言論の自由、集会・結社の自由、信教の自由、職業選択の自由、学問の自由、婚姻の自由など、様々な自由や人権が一切認められないことになりかねません。通常は、そんなおかしな解釈は成り立ちませんが、普通ではない解釈をする人を抜擢する安倍内閣においては、憲法上の権利は全て絵に描いた餅になる危険性があります。もちろん、最終的な判断は最高裁判所がするわけですが、我が国においては、付随的審査制を採用しているため、具体的な権利侵害があった場合に、原告が憲法違反であると主張しない限り審査の対象となりませんし、対象となっても、最高裁判事を選ぶのは内閣総理大臣です。戦後、公務員の争議や政治活動が裁判になった時、禁止に抑制的な判断が下されていたところ、自民党政権が任命した最高裁判事が過半数を占めた途端、全農林警職法事件で一律禁止の判決が下りました。そういう意味では、判断権者を入れ替えることは、最高の推進策と言えるでしょう。

奇しくも、本日の信濃毎日新聞は社説で、集団的自衛権が戦争を始めるための都合のよい理由となってきたことを指摘し、「いったん行使を認めれば後戻りできなくなる。与野党議員はもっと危機感を持つべきだ。戦争ができる国にすることに熱を上げる安倍首相にストップをかけなくてはならない。」とまで述べています。

これは、党派や会派の問題ではありません。歴代自民党内閣は、憲法上、集団的自衛権の行使は出来ないと解釈してきました。現在も多くの自民党国会議員が反対の意思表明をしています。もちろん、人権や国民の命を大切にする政党は言うまでもありません。

国民の命を守るため、その1点において、全ての議員諸氏のご賛同を心からお願い申し上げ、私の反対討論といたします。

集団的自衛権に関する憲法解釈変更に反対する討論を行いました

平成26年3月25日、長野市議会3月定例会最終日、標題に関する請願を継続審査とした総務委員会委員長報告に反対の討論を行いました。動画と全文を掲載しましたので、ぜひ、ご覧ください(^-^)。

https://www.youtube.com/watch?v=PkklAGo3HYY

28番、改革ながの、望月義寿でございます。請願第5号、「集団的自衛権に関する憲法解釈を変更することに反対する請願」を継続審査とした総務委員会委員長報告に反対の立場から討論を行います。

安倍晋三首相は、多くの与野党議員が反対する中、集団的自衛権の行使が出来るよう、憲法9条改悪を図り、まずは憲法改正手続きを規定する96条を改悪しようとしました。それが難しい状況なので、今度は憲法解釈を変更することにより集団的自衛権の行使が出来るよう、全力をあげています。

日本国憲法第9条は、第1項で、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と規定し、第2項において、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と規定しています。第2項の戦力不保持・交戦権放棄は、自衛戦争すら放棄するよう読めるため、自衛隊自体が違憲であるとの見解もありますが、我が国を取り巻く厳しい国際情勢から、何とか自衛のための最低限の武力の行使は可能であると解釈してきました。しかしながら、さすがにそれが限界で、自国が攻撃されていない状況で他国に対して武力の行使や戦争をすることは明白な憲法違反として、歴代内閣法制局は集団的自衛権の行使を認めないとの解釈をとり続けてきました。これは、かけらほどでも憲法を学んだ人間にとっては当たり前の解釈なのですが、安倍首相は、何と、現憲法下でも集団的自衛権の行使が可能である、との極めて珍しい見解に立つ小松一郎氏を内閣法制局長官に抜擢してしまいました。例えて言うなら、サッカーの試合で手を使おうとしたところ、当然のことながらルール違反であり、ルール自体の改悪は難しいため、サッカーで手を使っていいと考えている、極めて珍しい、審判経験のない人を審判に抜擢してしまったという状況です。まさに、姑息極まりない手法です。

第1次安倍内閣が短命に終わり、持論である「世界中で戦争が出来る国づくり」を実現出来なかったことが心残りである安倍首相は、前回の教訓を活かして、まずは経済対策に全力を上げ、支持率の向上・維持を図っています。最近になって集団的自衛権行使の閣議決定を急がないような発言をなさっていますが、消費税増税後も支持率が下がらなければ、安倍内閣が信任されたと判断し、一気に集団的自衛権行使の閣議決定にいたる可能性は大きいと考えます。長野市議会は、通年議会でないため、急転直下の国政の動きに機敏に対応して意見書を上げることが難しいことから、この3月議会でこそ集団的自衛権に関する憲法解釈を変更しないよう意見書を提出する必要性があると考えます。

日本国憲法は、国民の人権保障を基礎とした最高法規ですが、第25条の生存権に関しては、大きく分けて、プログラム規定説・抽象的権利説・具体的権利説に分かれます。25条は第1項で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定していますが、純粋なプログラム規定説は、これを国家の努力義務と解釈し、生活保護のような制度は憲法上の権利ではないと解釈しています。解釈によって人権保障がいくらでも骨抜きにされるようになれば、言論の自由、集会・結社の自由、信教の自由、職業選択の自由、学問の自由、婚姻の自由など、様々な自由や人権が一切認められないことになりかねません。通常は、そんなおかしな解釈は成り立ちませんが、普通ではない解釈をする人を抜擢する安倍内閣においては、憲法上の権利は全て絵に描いた餅になる危険性があります。もちろん、最終的な判断は最高裁判所がするわけですが、我が国においては、付随的審査制を採用しているため、具体的な権利侵害があった場合に、原告が憲法違反であると主張しない限り審査の対象となりませんし、対象となっても、最高裁判事を選ぶのは内閣総理大臣です。戦後、公務員の争議や政治活動が裁判になった時、禁止に抑制的な判断が下されていたところ、自民党政権が任命した最高裁判事が過半数を占めた途端、全農林警職法事件で一律禁止の判決が下りました。そういう意味では、判断権者を入れ替えることは、最高の推進策と言えるでしょう。

奇しくも、本日の信濃毎日新聞は社説で、集団的自衛権が戦争を始めるための都合のよい理由となってきたことを指摘し、「いったん行使を認めれば後戻りできなくなる。与野党議員はもっと危機感を持つべきだ。戦争ができる国にすることに熱を上げる安倍首相にストップをかけなくてはならない。」とまで述べています。

これは、党派や会派の問題ではありません。歴代自民党内閣は、憲法上、集団的自衛権の行使は出来ないと解釈してきました。現在も多くの自民党国会議員が反対の意思表明をしています。もちろん、人権や国民の命を大切にする政党は言うまでもありません。

国民の命を守るため、その1点において、全ての議員諸氏のご賛同を心からお願い申し上げ、私の反対討論といたします。

安倍首相は嘘をついているわけではない(逆説的ながら…(^-^)凸)

2013年12月6日(金)、とうとう、特定秘密保護法案が可決されてしまいました。可決寸前まで修正し、今後も第三者機関等々、詰めていかなければと政府・与党が言っている欠陥法案が罪刑法定主義に反する内容のまま法律になってしまいました。審議不十分の強行採決といい、信じがたい暴挙で、呆れ・怒り・今後の運用を恐れるほかありません。国民の命と暮らしを守るため、3年後に予定される国政選挙において、再び政権交代を成し遂げ、廃止しなければと、思いを新たにするところです。

ただ、安倍首相は、結構、正直にご自身の考えを述べられていると私は思っています。故にこのタイトルです(^-^)。

そもそも、安倍首相の唱える「戦後レジームからの脱却」とは、戦後の平和や教育が間違っているので変える、ということだと私は理解しています。また、「日本を、取り戻す。」とは、戦前・戦中の日本を取り戻すことに他なりません。安倍首相の言動を見るに、それ以外の解釈のしようがないのですが、「そんなことはない」と思っておられる方もいらっしゃいます。侵略戦争が出来る国を取り戻すべく、集団的自衛権の行使が出来るよう解釈改憲を図ると同時に、憲法自体の改正も図り、その前提として言論の自由を封殺する特定秘密保護法案を成立させました。安倍首相は正直にやりたいことを述べられていますので、これに関しては、「だまされた方が悪い」と言える案件だと思います。もちろん、一番悪いのは国民を不幸にしようとする政権ですが…。

ご自身やご家族の命・暮らしが大切だと思われる皆様、戦後最悪の政権に対し、断固反対の意思表示を、共に貫いてまいりましょう(^^)v。

加藤市長に予算要望書を提出

11月15日、加藤久雄市長に「改革ながの」の平成26年度予算要望書を提出しました。重点項目に絞っているのですが、毎年、項目が増える傾向があり、本年は178項目の要望となりました。

 ← 向かって左端が私です(^-^)

加藤新市長のご就任以来の言動を見るに、活発で、前例にとらわれない発想の下、新しい長野市を創るべくお取組みいただいていると評価しております。

市長と議会は二元代表制の下、車の両輪としてそれぞれの立場から市民のために市政にあたることが求められています。チェック・アンド・バランスの観点から、支えるべきはお支えし、チェックすべきはチェックして、市民利益向上という共通目的のために頑張ってまいります(^-^)。

児童センター・子どもプラザの予算、増額を要求しましょう!

平成25年9月議会で「放課後子どもプラン施設への社会福祉協議会からの配分金減額について」を質問いたしました。実をいうと、本年度、子ども達の預かりを受託してくれている社会福祉協議会は、児童館・児童センター・子どもプラザの運営費を一律に大幅カットしてしまいました。1施設当たりの平均配分金と今年度の減額は、児童館・児童センターでは配分金約46万6千円を約5万8千円、11.2%の減、子どもプラザでは配分金約30万1千円を約5万3千円、15.1%の減、と、1割以上のカットです。現場では、減額されたことを前提に予算を組み、消耗品費や保育材料費を大幅に減額して運営しています。社協は、予算が不足した時には相談に応じるとしているようですが、児童センター・子どもプラザの職員さん達、予算の範囲内で運営しようと努力するに決まっており、足りなくなるような運営をしないことから、減額された予算内で運営してしまいます。そして、今年度、減額された予算で運営出来たことから来年度も減額のまま、場合によっては更なる減額が待っています。

子ども達の「より良い育ちのために」事業を運営しているはずなのに、「育ちのために必要な予算」を削ろうとするとは本末転倒と言わざるをえません。必要であれば追加すると言っていますので、各児童センター・子どもプラザの皆さん、早急に予算要求して子ども達の保育材料費を前年並み以上に確保してください。既に半年が経過し、前年度より減額された予算内で運営されることは確定してしまったかと思いますが、来年度に向け、お取組みをお願い申し上げます。

2つの小学校区において放課後子どもプラン運営委員を仰せつかっていたため気が付きましたが、私が気が付かなければ長野市中の児童センター・子どもプラザにおいて来年度予算が更に削られていただろうことを思うと、本当にぞっとします。これからも、子ども達の健やかな育ちを応援してまいります(^-^)。

詳しいことは質問動画をご覧ください → http://www.city.nagano.nagano.jp/site/siseihousou/77945.html