きっと イザというときにも機能する ~川中島駅前のイルミネーション設置作業~
この日(27日)、JR川中島駅周辺(本町区/もとまちく)に住まわれる方々の有志が協力し合い 町(街)の風物詩ともなっている「イルミネーション」の設置作業を行ないました。及ばずながら私もお手伝いに参加させていただきました。
こちらの本町区は かねてより〝佳(よ)き地域コミュニティ〟が醸成されており、何かにつけて共助の活動が 実(じつ)に盛んに行なわれています。
今はコロナ禍で中断していますが、盛夏に行なわれる「盆踊り」や やはり有志による農作物育成栽培事業、さらに高齢者のゴミ出し支援事業など いわば「住民による住民のための活動」が不断に行なわれ、その度に相互に横の連携を深める(強める)に至っています。
そんな 共助の活動が、燦々(さんさん)と形を成しているのが この「イルミネーション」と申せます。
ややもすると閑散としているJR川中島駅前にイルミネーションを設置することで、冬の寒い時期の夜に駅前を明るく照らし 帰途につく人たちに癒やしを与えると同時に、多くの方々に季節感を感じ取ってもらいたいとの願いを込めて設置されるイルミネーションは (前掲のとおり)今や季節の風物詩として内外に知られることとなっています。
この日は 幸い好天に恵まれ、いわば〝作業日和(びより)〟となりました。
多くの本町区有志の方々が参集し、一斉に設置作業に取り掛かります。
駅前広場にあるモニュメントを活用し、(モニュメント)の中心に柱を立て そこから電飾を山の稜線のように張り広げてゆきます。
さらに モニュメントから四方に〝ナイアガラ〟なる電飾のカーテンを張り、造形の広がりを演出します。
作業には高所作業車も動員、本格的な電飾作業となっています。
また、ロータリーの外郭の街路樹にも電飾が施されます。
毎年のことですが、この街路樹への電飾のついでに〝街路樹剪定〟も行なわれており、まさに一石二鳥の作業となっていました。
これら設置作業の際には、いわば阿吽の呼吸で連携がなされています。
高所に登って枝払いをする人が居(お)り、その下では落とした枝や葉を直ちに片づける人が居る。そんな連携の下(もと)、決して周辺を汚すことなく スピーディーのうちに作業は進捗してゆくのでした(実は、私も この片付け作業に加わったことから、片付け班の画像はありません(撮れませんでした)。
こちらでは、齢(よわい)87才になんなんとする大先輩の姿が。齢を重ねても積極的に作業に参加され、存在感を示しておられました。
そうこうしているうちに 2時間ほどで作業は終了、例年どおりに連系を保ったままに造形が施され、後は日が暮れるのを待つばかりとなりました。
私は いつも思うのですが、このような共同作業は「防災訓練」に通じるのではないか と。
たとえば地域に何か(災害など)が起こったとき、日常的に連携している地域であれば〝おっとり刀(かたな)〟で皆が集まり、力を合わせて有事に立ち向かうことができるでしょう。
ところが、地域のコミュニティの無い地域であれば イザというときになっても住民相互の連携が取りにくく、然るべき対応にも齟齬が生じてしまうかもしれません。
いわんや、こちらの本町区においては おそらく何かあったときにも直ちに対応できるチームワークが醸成されており、それだけでも非常に心強く感じるところです。
概して〝災害対応〟などと固く構えて物事に対峙したがるところですが、そのための素地(そじ)として このような、いわば楽しみながら行なう共同作業のようなものが大切ではないかと心底思わされた設置作業であります。
こんな日常活動が、きっとイザというときに機能してくれる。そう確信して止まないところであります。
日が暮れた頃、JR川中島駅前に足を運ぶと 試験点灯よろしくイルミネーションが燦然(さんぜん)と輝きを放っていました。
このイルミネーションは圧巻のダイナミズムがあることを、いつも実感させられます。
これは実際に目にしないと感じることができないもの…読者のみなさんにおかれましても ぜひ一度、夜のJR川中島駅前にお出かけくださいな。
〝建屋問題〟二題
地域の方(かた)から 別々の案件で相談を受けるも、その〝共通性〟について思いをいたすこととなりました。
篠ノ井岡田地区にお住まいで 今年度区長をお務めのAさんから、お住まいの地区(区)の公民館の基礎に亀裂が入り 対応について相談したい旨の電話をいただき、この日(26日)とりあえず現地に足を運びました。
当該の公民館は、地区住民の方々の供出金で建てられた「地域公民館」です。
築年数は約30年の木造平屋建てです。
一見すると異常は無いように見受けられますが、Aさんに促されて建屋の東側(裏手)に回ると…。
建屋中央の基礎部分の壁面に、(基礎壁面が)剥離したような亀裂が入っています。
この山状の剥離亀裂は 幅約170cmに及んでおり、箇所が基礎部分だけに 建屋全体に影響が出始めているのではないかと、Aさんは不安を口にしておられました。
この状況を受け、いずれにしても素人判断はできない(すべきでない)ことから 取りも敢えず、この公民館を建設した事業者(建設会社)の担当を呼び 実態を見てもらうと同時に、この亀裂がどういう類(たぐ)いのもので 建屋自体に影響があるのか無いのかを調べてもらうことにしました。
(その後 事業者が亀裂箇所に削(はつ)りを入れてみると、基礎内部の鉄芯が見えるほどの深さで部材(コンクリート)が削られた状態になっていました)
いずれにしても 外見上だけでは何ともいえないことから、今後 ある程度の時間をかけて調査してもらうこととしました。
調査結果に伴い、修理修繕の必要が生じた際には 教育委員会の補助制度もあることから、それらの面も念頭に置きつつ 私の立場でも支援させていただくこととしました。
続いて、やはり篠ノ井地域 今度は瀬原田の従前集落にお住まいのBさんに乞われ、Bさん宅の向かいの建屋(C宅)の調査に行きました。
件(くだん)のBさん、今は空き家となっているC宅が崩壊寸前になっており そのことで様々な課題を抱えることになっているそうなのです。
Bさんのお宅は、新興が著しい瀬原田の中でも 山沿いの旧集落にあります。
問題の建屋は Bさん宅の真向かいにあり、それが酷(ひど)いことになっているのです。
もう数十年前に家主が転居したC宅は、建屋自体が朽(く)ちており、まさに崩壊寸前の状態です。
屋根は崩れ戸は外れ 壁も崩落し、柱の支えだけで 辛うじて建屋の体(てい)を成しているようです。
Bさんは、こんな朽ちた家が真向かいにあることに 大きな不安を抱いておられました。
もし一定程度の地震があれば 倒壊するのではないかとの不安に併せて、既に〝実害〟も生じているとのこと。
訊けば この空き家は、今や有害獣の恰好の棲家(すみか)になっているそうです。
夜になると獣の鳴き声が(この空き家から)聞こえ、建屋の周辺には (C宅に向かう)獣道(けものみち)まであるそうです。
で この有害獣は、域内の農作物を荒らし 相当の被害も出ているそうで、周囲の農家も苦々しく思っているそうです。
この建屋の所有者は、現在 中信地区に住んでおり、連絡は取れるものの 建屋撤去の声に対してはのらりくらりの生返事(なまへんじ)を繰り返しているそうです。
この酷い状況を踏まえ、いずれにしても所管に照会し 行政としてどのような対応ができるか協議することとし、一旦 現場を預かることといたしました。
この、全く異なる事案二題ですが、共通していえることは〝時間経過〟ではないか と。
いずれの物件も 建設後 相当の年月が経過しており、そのことで劣化が進み ご相談のような事態となっています。
このような 建屋はじめ様々な施設や装置等については、今「経年劣化」の課題が散見されるに至っています。
相当前に作(造)られた物件が 次々に大規模改修や建て替え更新の時期を迎えるに至っており、社会全体が それらの対応を求められることになっています。
そんな〝時代を背景にした課題〟を、奇しくも連発の形で見せられ、私としても課題意識を改めて喚起させられたところでありました。
週明けから、各所管とのキャッチボールが始まります。
長野市議会「議員定数削減」が ようやく現実味を
この日(25日)行なわれた『長野市議会 議会活性化検討委員会』において、次期(令和5年9月)改選に向け 議員定数の在り方について議論が交わされ、結論にまでは至らなかったものの「議員定数を削減すること」の意見が大勢を占め、削減数については「3」とすべきことが やはり大勢となりました。
このことは 後のローカルニュース等でも報じられ、市民にも周知が図られているところです。
民意を反映する議員が参画する「議会」は、その責務の重要性が認識されている一方で、現下の厳しい社会状況などを踏まえ その「定数」の適正についても、やはり民意が注視し 選挙の度に話題となっています。
その「議員定数」…これ(定数)については、有権者のさまざまな声がありながらも 最終的には議員(議会)自身が決するところであり、いわば〝自分で自分の首を絞める〟ことにもなる 議員定数、それも「削減」の方向づけは なかなか手を出しにくい案件でもあるところです。
さきに執行された 衆院選・参院選の国政選挙においても「身を切る改革」などと詭弁を弄して〝言葉〟だけは踊るものの、未だ国会議員の定数議論は行なわれることは無いままに推移(10増10減はやってましたが、これでは定数に変化ナシ)しており、それだけ 定数議論、それも「削減」に向けた議論は 勇気を要する作業と申せます。
そんな〝議会のお家事情〟を抱える中ではありましたが、私の所属する会派は、会派結成以来「議員定数の適正化(削減の必要性)議論の推進」を(会派の)大きな柱に据えて主張してきました。
長野市議会においては2006年に42議席→39議席に削減して以来 定数見直しの議論が具体的に行なわれてきませんでしたが、その間も 私たちの会派は一貫して定数議論を提唱し続けてきました。
私自身は 私事により会派を離れた時期がありましたが、その考え(定数見直し=削減)は変わらないところでありました。
それが 来年の改選を控え、ここへきてようやく議論が具体化に向けて舵を切り始めたことは 歓迎すべきことと申せます。
その背景には 急速に進む人口減少社会があります。
長野市においても 現在37万人有余の中、残念ながら近い将来には36万人台…さらに時代が進めば さらなる人口減少は否めないところでありましょう。
そんな中「人口1万人に1人」が適当とされる地方議会においても、かかる人口減少傾向を踏まえれば それに応じて議員定数を削減することは、むしろ当然の責務といえるのではないか と。
企業経営等においても、最大の経費削減策は いわゆるリストラ(人員削減)であり、そういう面においても 議会の定数削減は、いわば時代の要請とも言えるのかもしれません。
この日の検討委員会は、私自身は委員外であるため 表(おもて)の議論に加わることはありませんでしたが、いわば〝言い出し者〟の一人として 午後からの議論の推移を見守っておりました。
参加する委員には 過去の(わが会派の主張)を踏まえシッカリと議論(発言)することを乞い、そのうえで できることなら本日中の委員会方針の確定に持ち込むことを期待したところですが、残念ながら全会一致には至らず 検討委員会として「(賛成・反対の)両論併記」として、しかしながら大勢は「削減」の方向であることを記したうえで 議長に報告書として提出することになったとのことであります。
そのうえで今後は 来る12月議会の場で、この報告書を基に議会手続きが取られたうえで おそらくは議員定数見直し=3議席の削減が決定されてゆくものと思われます。
市民(国民)に最も身近な自治体議会が、その市民の多くの声を踏まえ 自ら〝身を切る改革〟に臨むことになります。
向かう先は茨(いばら)の道でも、それを承知で歩んでゆかなければなりません。
諸事 徒然
◇所属会派『改革ながの市民ネット』が、市長に「令和5年度予算要望書」を提出(具申)
22日(火)、所属する会派『改革ながの市民ネット』の一員として 市(市長)に対し、令和5年度予算編成に際し 会派として予算配分すべき内容を取りまとめ、今後の予算編成や事業計画に反映させるべく要望書を提出しました。
この詳細については後日に譲ることといたしますが、いずれにしても コロナ禍が収束が見られず、そこに円安・原油高い等の悪条件が加味される中 市民に最も身近な自治体(市)の行財政運営においては、疲弊する市民生活の建て直しや いわば光の当たらない方々への適切な計らいなど、キメの細かい(行財政)運営が求められています。
意見交換の中で 私の方からは「国をはじめ 現下の公的事業は、いわば その場しのぎの場当たり的な面が否めないことから、とりわけ長野市においては より先を見据えた行財政運営を行なっていただきたい。が、それ(先の見据え)は 行政都合で行なわれるものでは無く、あくまで市民 それも今を生きる市民から将来世代に至るまで、誰もが納得できる(してくれる)形で編成していただきたい。」と述べさせていただきました。
市の行財政運営は、市民からの貴重な浄財(税金)によって購(あがな)われていることを共々に再認識し、適切な支弁に努(務)めてゆくべきことは言うまでもありません。
ところが実際には、それ(行財政運営)が 真の市民ニーズに叶っていない面も散見されることから、われわれ議会(人)においては、要望(意見)と共に チェック機能の強化をさらに強めてゆかなければとの思いを新たにしたところであります。
◇長野市ソフトテニス協会「納会大会」
23日(水)、市内東和田テニスコートで 長野市ソフトテニス協会のシーズンを締めくくる「納会大会」が開催されました。
が…この日は かなりの確率で「雨天」が予想(予報)されていたことから、トーナメントは中止とし 交流試合方式で、雨が本降りになるまで互いにラケットを交(まじ)えることとなりました。
私は、縁あって 本ソフトテニス協会の会長を仰せつかっているのですが、ことソフトテニスについては、トップアスリートの道あり・また子どもから高齢者まで終生に亘り親しめる〝生涯スポーツ〟としても魅力あり、非常に幅広く奥も深い好競技と申せます。
今年の協会行事(大会)は この日をもって終了となりますが、各位におかれては 来シーズンも引き続き…などという狭義に止(とど)まらず、これからの長い人生においていついつまでも(ソフトテニスに)親しんでいただきたいと心から乞(こ)うたところでありました。
(写真撮影と競技中のみマスク外す)
◇コロナ禍 引きも切らず…長野県が全国唯一「過去最高」を悪しけく更新
23日の新型コロナ関連ニュースで、全国のコロナ感染者が13万3,361人を数えたこと、そして 全都道府県の中で長野県だけが「過去最多」を記録したことが報じられ「またもや か…」との残念な思いを新たにさせられました。
23日(水)の長野県内のコロナ感染者は4,328人を数え、長野市においても781人の過去2番目に多い感染者数を記録するに至っています。
減らない…第7波が収まりかけた中、またまた高止まり傾向の状況が舞い戻ってきている感です。
それも もうじき師走の時期。ことし一年の締めくくりは またもコロナ禍に覆われることになるのでしょうか。
そんな中、国(厚労省)は「シオノギ製薬」の経口薬(飲み薬)の承認を決めたとの報が流れており、これが〝救世主〟となり得るかに注目が寄せられています。
このことについては後日に触れさせていただきますが、いずれにしても コロナ感染症の厄介たることいかばかりか を、この暮れが近づく中 再認識させられるところです。
◇郷土力士「御嶽海関」まさかのズルズル6敗目…本人のみならず、周囲もガッカリ ⤵
今場所に10勝を挙げれば大関復帰が果たせるハズの郷土力士「御嶽海関」が ズルズルと6敗目を喫し、このままいけば 10勝どころか勝ち越しにも暗雲が立ちこめる事態となっています。
県民の期待を一身に背負って土俵に上がる御嶽海関、そのプレッシャーはいかばかりかと拝察するところではありますが いかんせん勝ってもらわないことには、ファンの士気も下がってしまうところです。
と いうもの、何いうウチのオフクロが 同じ木曽谷の出身ということもあり、大の御嶽海ファン…関取の勝った負けたで その日の食欲まで違ってしまうほどなのです。
しかして、ここのところの連敗続きのせいで 心なしか(オフクロの)元気が無くなっている感、人気力士の影響力の大きさを再認識するところです。
関取にとっても「勝ち星」は何よりのエネルギー・ファンにとっても(勝ち星は)元気の糧となることから、どうか御嶽海関には 早く切り替えて、勝利=観る者も元気に へとつなげてほしいものです。
◇一縷(いちる)の明るい話題 サッカーW杯の緒戦で、日本チームがドイツを破る〝ジャイアントキリング〟をやってのける!
何かと厳しい 世知辛いニュースが多い中ですが、日本時間23日夜に放映された「サッカーW杯カタール大会」の緒戦で、わが日本チームが強豪ドイツを破る〝ジャイアントキリング(大金星)〟を挙げ、サッカーファンの一員として 驚きと喜びがない交ぜになる境地になりました。
世界ランキングでも劣る日本は、当初から苦戦が予想され いわば胸を借りる心境でゲームに臨んだところと見られていましたが、選手自体は 実に堂々とした戦いっぷりでありました。
体格で劣る日本でしたが ドイツの猛攻を1点で凌(しの)いだ後半、途中投入された選手がたて続けにドイツのゴールネットを揺らし、7分ものアディッショナルタイムも乗り切って みごと2-1でドイツを下したのでした。
試合では、以前に信州ダービーの一角である「松本山雅」に所属していた前田選手が あわや先制のシュートを放つ(結果はオフサイド)など、序盤から緊張感みなぎる展開でしたが 最後は日本イレブンの勝利への執念が相手を上回ったということでしょう。
なお この試合では、ゴールキーパーの権田選手の守護神ぶりが際立ち、(PKこそ献上したものの)彼の好守が日本チームを救ったと言えると思います。
ドイツの雨あられと注ぐ鋭いシュートを ことごとくファインセーブ。その鉄壁な守りが 後のカウンターを呼んだと確信するところです。
まさに ピッチもベンチも一体となった劇的勝利。先ずは心からの祝意を送りたいと思います。
23日の用務の帰途、丹波島橋を渡っていると「えびす講花火」の大煙火が打ち上げられていました。
あいにくの荒天の夕餉(ゆうげ)でしたが、長野の夜空に満天の大煙火が輝き 多くの人が夜空を見上げる機会となっていました。
今年も もう終盤…大煙火に触れて一服の気分転換をいただきました。
しかし、課題は山積しております。
市長へ予算要望書を提出しました
- 2022年11月22日
- 改革ながの市民ネットからのお知らせ, 活動報告
「体育館を活用したまちづくりプロジェクト」が市長要望
この日(21日)、既存の体育館を活用してまちづくりを進める取り組みを行なう市民グループ(体育館を活用したまちづくりプロジェクト)が、市長に対し要望書を提出し 若干の意見交換を行ないました。
この件については さき(11/18付)の本ブログでも触れていますが、こちらの市民グループは いわばクレバー(賢者)のうちに市長要望を行ないました。
活動の端緒は、長野市が いわば一方的に進めようとしていた「中部勤労青少年ホーム体育館」の廃止案に反対し、同体育館の存続を求めるものでありましたが、その(反対)のための議論を進めるうちに 長野市に設置されている体育館の全体(像)について考えることとなりました。
すなわち、これまで長野市が一律に また縦割り行政のままに所管ごとに進めようとしていた〝廃止ありき〟の議論に疑問を唱え、そのうえで 各施設については、(廃止ありきではなく)それぞれの利用頻度や市民ニーズを踏まえ、活用できるもの(施設)は活用し そのこと(活用)により、市民の健康寿命延伸やコミュニティの醸成に資するべきと〝前向き提案〟を行なっているのです。
これに対し市長は、市民(グループ)の要望(願意)を理解したうえで 同体育館については存続の方向で再検討を進めていると答え、そのうえで今後は施設管理等において〝行政の縦割り〟を越え総合的に所管するよう努める意思を示しておられました。
後の意見交換の中で グループの一人が〝手作り提案フォーム〟を示されました。
これは、長野市など地域におけるスポーツ参加の姿と体育館などの施設との相関関係を示したものです。
すなわち、Jリーグなどのプロスポーツにはスタジアムなどの大型施設を⇔部活などの育成スポーツには学校体育館を中心とした施設を⇔市民の健康増進のための生涯スポーツについては地域の身近にある体育館を などと、それぞれの取り組み状況(姿勢)によって施設の棲み分けを行ない、しかしながら それぞれの「スポーツ」は 横の関係を維持しながら共存共栄を図ってゆくべきとのもので、いわば 今後の地域スポーツの在るべき形を分かりやすく示したものです。
意見交換の中で 私もこの点に触れ、さらに「こちらの市民グループは、自分たちの要望(体育館の存続)だけを勝ち取ればそれでオシマイ との〝おねだり型要望〟では無く、そのことに端を発して 今や長野市の将来像にまで思いを巡らせるクレバー(賢者)な団体となっています。市としても 今後も方々の意見を大いに参考にしたうえで、今後の公共施設マネジメントに取り組んでもらいたい。」旨を述べさせていただきました。
今回の市長要望は、単なる体育館存続活動の狭義を越え 将来に向けた公共施設マネジメントの基本的な考え方にまで(いい意味で)影響を及ぼすことになりました。
なお、こちらの市民グループのみなさんは 市長に要望書を提出したことで終わりではなく、これを契機に 今後も建設的な意見交換を重ね、(体育館を活用した)市民の健康寿命延伸やコミュニティ増進のために前向きに取り組んでゆくことを確認しておられました。
私の立場においても、かかる市民(グループ)の願意(真意)を理解したうえで 今後も適切に(官⇔民の)仲立ちを担い、結果として市民益向上に資することになるよう 引き続き取り組んでゆく思いを新たにしたところでありました。
新型コロナウイルス感染症にまつわる社会問題
知人(A子さん/会社勤務)との会話の中で、コロナ禍における勤務先での気まずい雰囲気に話しが及びました。
件(くだん)のA子さん、実は9月初旬にコロナ感染症に罹(かか)り、勤めを休まなければならなくなったそうです。
A子さんのコロナ感染症は、どうやら別に暮らす娘(B美さん)の子(お孫さん/C江ちゃん)から移ったとのこと。
で、この感染には経緯がありました。
B美さんちは母子で、母親のB美さんが働いて生計を立てています。そんな中、娘のC江ちゃんに風邪の症状が出たことから 困ったB美さんは母親のA子さんに 風邪が治まるまで2日ほど子ども(C江ちゃん)を預かってくれないか頼んできたとのことです。
と いうのも、B美さんはパート職(非正規労務)のため 休職すれば直ちに給料自体も減ってしまうため、できることなら(仕事を)休まずに勤めたいとの 背に腹は代えられない事情があったのでした。
それ(託児)を頼まれたA子さんは、他ならぬ娘の頼みとあって 自分の勤務先には2日間だけ休みをもらい、孫(C江ちゃん)を預かったのでした。
ところが、C江ちゃんは2日間で治るどころか 症状が何だか怪しくなり、念のため小児科で調べてもらうと「コロナ陽性」の判定となってしまいました。
その後 ほどなくしてA子さんにも風邪のような症状が出て、調べてみると こちらもコロナ陽性判定が出てしまったとのことです。
やむなくA子さんは会社に(コロナ感染を)報告 10日間の自宅療養を余儀なくされたのですが、一連の経過の中で A子さんは周囲の対応に甚(いた)く(心が)傷つくこととなってしまったそうです。
コロナ感染を、会社に いわば正直に報告したにも関わらず「どうして感染などしたんだ。」と上司に言われたり、非正規労務の娘の立場を慮(おもんばか)って孫を預かったのに「そんなもの 親(娘/B美)が看(み)るのが当たり前だ。何でそんな(孫を預かるなどと)余計なことをしたんだ。」とか「あんたのおかげで有休を取って予定していた日程が狂ってしまったわ。」などとの同僚の心無い一言など、誰もが罹(かか)る可能性のあるコロナ感染症なのに いかにもA子さんのせいで会社や同僚に大迷惑をかけたかのバッシングを受け、非常に辛(つら)い思いをさせられたそうなのです。
コロナ禍が発生して3年もの時間が経過しようとしている中、まだまだ人の心の中に 他者を思いやる〝免疫〟ができていないことを実感させられたものでありました。
こんな〝コロナ感染症バッシング〟のあるまじき周囲の所作は、私が聞いたA子さんの事例だけではないことが伝えられています。
コロナ感染症の「後遺症」に関し、さまざまな社会問題が発生(遍在化)していることが伝えられています。
東京都内で開かれた「新型コロナウイルス後遺症研修会」の場で、コロナ後遺症に苦しむ(悩む)人たちに対し、周囲の無理解により 心無い対応や理不尽な(後遺症患者の)扱いがあることが発表されていました。
それによると、後遺症を抱える患者が 職場で「甘えるな」とか「倦怠感くらいなら会社に来い」さらには「病院に行けるのだから動けないというのはウソだろ」といった言葉を投げかけられたり、後遺症を認めたくない家族からでさえ「その症状はウソだろう」などと言われることがあったとのことです。
コロナ感染症に後遺症があることは一定程度知られていても、実際に自分の目の前にそのような人が出ると 理解できずに心無い言葉を浴びせるということなのでしょうか。
この研修会を主宰したH医師によると、これまで診察した約5,000人のうち、陽性感染者となった患者の半数程度に「少しだるい」など軽微な後遺症があり 外来治療が必要な患者が10%程度いると明らかにしています。
また、仕事をしていた患者は約2,800人で そのうち約200人が失業など職を失い、休職や時短など合わせると68%にあたる約1,900人が仕事に影響が出たとのことです。
この「コロナ後遺症」については「無理をしない」というのが非常に大切だとのことですが、無理をしない=サボっている と悪しけく解釈されるケースが散見されるにつけ、コロナ感染症や後遺症に対する「無理解」そのものが 未だ社会の中に横たわっており、それが前掲のA子さんをはじめ 図らずも感染してしまった人を無碍(むげ)に傷つけていると再認識させられるところです。
これまでも重々に触れていますが、コロナ感染症は 今や誰でも罹(かか)り得る流感です。
そのこと(感染したこと)を 誰も責めることはできないハズなのに、人というものは 他人(ひと)の難儀は平気で責め立てる帰来があり、そんな邪心が 本来は同情されるべきである感染者を誹謗するような愚行に走らせるのでありましょう。
またまた やって来そうな波(第8波)を前にし、せめて人の心には いいかげんに他人(ひと)を責めない〝心の免疫〟を培養してもらいたいと切に願うところです。
自治会加入を巡る社会問題「ごみ出し訴訟」に思う(思わされる)
ネットのニュース記事で「自治会加入・非加入によって〝ゴミ出しができるかできないか〟を巡って裁判沙汰になり ついにそれが最高裁まで上ることになった」との事案が報じられ、非常に考えさせられました。
今回〝裁判沙汰〟になっているのは 兵庫県神戸市の閑静な住宅街(A地区)です。
記事によると、このA地区に住む夫妻が「自治会への非加入を理由に 地域のゴミ捨て場の利用を禁じられたのは違法だ。」と主張し、地元自治会に対し「慰謝料」と「ゴミ捨て場を利用する権利の確認」を求める訴訟を起こしたそうです。
これは〝行き過ぎた「制裁」〟なのか、それとも〝掃除当番の負担を免れた いわば(ゴミ捨てだけの)タダ乗りを防ぐ正当な判断〟なのか…争い(主張)の舞台は裁判所 それも最高裁にまで移る(上る)こととなり、しかして これは、現下の地域社会の横のつながりの変遷ぶりを象徴する事案となっているのではと思わされるものでした。
このA地区においては、平成31年まで都市再生機構がゴミ捨て場を所有し 誰でも利用可能としていましたが、その後は所有権をA地区の自治会に譲渡しました。
これを受け、A地区自治会は住民による総会を開いて ごみ捨て場に関するルールを決めました。
その主な決めごとは▽自治会の役員や掃除当番を負担する住民の年会費は3600円▽掃除当番などを担わない住民は「準自治会員」として年会費1万円▽会費を払わない非自治会員は利用禁止、との内容です。
原告の夫妻は 約20年前からこの住宅街に住んでますが、数年前に自治会から離脱しています。
その際に 役員がルールを伝えて改めて入会を求めたが夫婦はこれを拒否。そのためゴミ捨て場を使えなくなったことから、ゴミ収集車が到着したタイミングで直接作業員に手渡すか 親族に廃棄を頼むしかなくなり、日常生活に支障が生じることとなってしまいました。。
神戸市によると「集まったゴミ自体を回収する作業は行政が担っています、ゴミ捨て場の管理は基本的に地元住民に委ねています。」とのことです(例外として 歩行困難の高齢者や障がい者は戸別回収することもあるとのこと)。
この状況に際し、夫妻は令和2年に 自治会の対応は「所有権の乱用」として、損害賠償やごみ捨て場を利用する権利の確認を求める訴訟を神戸地裁に起こしました。
これに対し自治会側は「自治会の会費を払っていないのにゴミ捨て場の利用を認めれば、自治会員との間で著しい不平等が生じる。」と反論しましたが、神戸地裁は翌年9月、夫妻にはゴミ捨て場を利用する権利があると認めると共に 自治会の対応は違法として、計20万円の損害賠償を命じました。
同地裁(裁判長)は、神戸市の制度を踏まえると「地域のゴミ捨て場の利用を禁じられると、家庭ゴミを排出する手段を失う」と指摘し「ゴミ捨て場の管理は、(ゴミ捨て場を)誰もが利用できる行政サービスの一環といえる。一部の住民を排除するのは相当ではない。」と述べています。
この判決を不服とした自治会側は控訴しましたが、大阪高裁は今年10月 一審に続き自治会側の違法性を認めました。
たとえ自治会に入っていなくても 維持管理費などの負担を求めれば済むもので、非自治会員のゴミ捨て場利用を一切認めないのは正当化できない。」と判断、さらに「そうした金銭負担の提案を夫妻にすることなく(ゴミ捨て場への)出入りを禁止としたのは、入会の強制に等しい。」として 計30万円の損害賠償の支払いを自治会に命じました。
但し、(ある意味 肝心となる)一審が認定していた〝夫妻がゴミ捨て場を利用する権利〟は認めなかったことから、この夫婦・自治会の双方が控訴審判決を不服として上告したものです。
この事案に際し、ゴミ問題を扱う「国立環境研究所」の全国調査が紹介されました。
それによると、全国の約7割もの自治体で 自治会への非加入者が地域のゴミ捨て場を利用できない問題を抱えているとのことです。研究所は「自治会加入者は年々減少傾向にあり、その状況下で 住民生活に欠かせない「ゴミ出し」を巡り、住民間の摩擦が生じるケースは増えてきています。」と分析しています。
記事はさらに、この〝ゴミ出し裁判〟を端緒に 現下の「自治会運営」を巡る課題にも触れていました。
自治会への加入を敬遠する風潮が強まる半面、自治会の存在そのものを前提(自治会を拠(よ)りどころ)とした行政サービスは多岐に亘るため、運営する側(自治体・自治会)の苦悩は増しています。
今回の訴訟の被告となった自治会のある役員は「〝たとえ自治会に入らなくても当然に行政サービスは受けられるし、それが自治会の財産であっても使うことができる〟という論法がまかり通れば、会員の減少に拍車がかかり 自治会の存続は難しくなる、もっと言えば 自治会の存在意義そのものが無くなってしまう」と吐露しておられたことが伝えられていました。
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古くは、落語などで聞かれる 長屋(ながや)での「熊さん、八っつぁん」の 味噌や醤油を貸し借りするような古き佳き近所づきあいに端を発し、その後は「町内会」や「隣組(となりぐみ)」などの地域のコミュニティが醸成されて久しい我が国の地域社会ですが、ここへきて その住民気質にも変化が生じ、いわば曲がり角にきていることを実感させられます。
(私も含め)人は、その土地で暮らす以上は「共助」の精神をもって 良好な近所づきあいに努めると共に、自治会にも加入し それなりの役割を果たすことは当然のことと思うものですが、一方で「個(人)」の存在(する権利)を強調し 共助の活動そのものを拒否する人が出るようになってきたことについて、どう捉えていいものか 思慮に悩むところであります。
それが「ゴミ捨て」という 社会生活に欠かせない作業に特筆されたとき、それが行政の責務だから全てを行政が担えという論理と、社会生活に欠かざる作業だからこそ 住民はある程度の役割を担うべき、そしてその鎹(かすがい)としての自治会には加入すべき との論理が咬(か)み合わない状況には、司法も難儀な判断を求められていると言えるでしょう。
今回の訴訟問題は、住民が そこに住む権利と、そこで暮らす義務との解釈の相違が争われているものではないでしょうか。
長野市においては 先代市長が、今後の住民自治の在るべき姿を見据え「住民自治協議会(制度)」を提唱 現在に至っていますが、その先見性ゆえに制度の真意が市民に浸透し切らないなままに推移しており、住自協活動も様々な課題を抱えるに至っています。
本市においても (訴訟には至らないまでも)今回の神戸市の事例のような〝ゴミ出し問題(=自治会の加入問題)〟も散見されていることから、今回の件を他山の石と捉え 問題意識を強めてゆきたいと思いをいたしたところでありました。
ただ…個人的には A地区で裁判を起こしたこのご夫婦、これからもそこで暮らしてゆくとするならば、そこまで争う意味がどこにあるのか懐疑的にならざるを得ません。
そこで暮らす以上は、日々ご近所さんとカオを合わせるはずなのに それが角(つの)突き合わせる関係になってしまえば、そのことの方が疲労感となってしまうのではないのかなぁ、と。
そもそも、そうまでして自治会を抜けることになったのは 何か別の理由があってのことで〝ゴミ捨て問題〟は そこにくっついてきたものじゃないか、とも思わされるところです。
いずれにしても、高裁の判断をすれば(最高裁が支持すれば)「自治会は損害賠償・原告夫婦はゴミ捨て場を使えない」との 双方にとってマイナスしか残らない判決になることになる…全ての関係者に徒労感の残るものになるのでは と憂慮するところです。
体育館を活用したまちづくり
この日(17日)、市内にある公共施設に付置された体育館の存続を求める市民(利用者)グループ「体育館を活用したまちづくりプロジェクト」が、市(総務部・文化スポーツ振興部・教育委員会)と、3回目となる意見交換会を行ないました(参加者の意向により画像(写真)は無し)。
この活動については さき(10/15付)のブログでも触れていますが、グループのみなさんは 市が所管する「中部勤労青少年ホーム」の体育館存続運動に端を発し、市内の体育館を活用して将来に亘り子どもから高齢者まで全ての市民がスポーツに親しみ、ひいては市の掲げる「健幸増進都市」にも合致する健康寿命延伸に資する環境づくりをどのように実現するかを考え、勉強会や意見交換会を行なっています。
さて 長野市においては「公共施設マネジメント」の考え方の下、勤労青少年ホームをはじめ働く女性の家等の再編を進めてきました。
これまでも働く女性の家の廃止や講座の移転などが行なわれてきましたが、利用者からの不安や不信の声が高まり 市に対し改善を求める市民運動が展開され、議会においても「請願」などを通じて市に改善を求めてきました。
そして この度「中部勤労青少年ホーム」について、体育館を含め廃止(北部と統合)の方針が示されたところですが、その際の市の説明に対しても、利用者は大きな疑問を感じざるを得ませんでした。
中部勤労青少年ホームの体育館は、これまでも多くの方々がさまざまなスポーツを楽しみながら健康増進に勤しむ場として、また利用者同士が交流できるコミュニティーの場としても活用されています。その利用率は72,6%に達し、今も市民生活の資質向上のために欠かせぬ施設と位置づけられています。そのように利用率の高い施設を廃止に追い込むのは、市民ニーズに逆行していると言わざるを得ません。
廃止の説明の中で、その理由のひとつとして「施設の老朽化」が挙げられましたが、市内にはこの施設より老朽化が進む(築年の古い)体育館があることから、それを理由とするならば、市内の他の多くの体育館も廃止しなければならないことになり、整合が取れないと思います。
そのうえで、市民からの税金で建設(設置)された公共施設というものを考えてみたとき、使える施設、それも利用率の高い施設は特に大切に使い続けることこそが行政の責務と考えるべきで、それを廃止ありきで進めることには強い違和感を禁じ得ません。
また、市は近年、プロスポーツの誘致を積極的に行っており、そのこと自体はむしろ歓迎するところですが、その目的の中に、競技人口の底辺拡大と スポーツに親しむことによる市民生活の活性化が挙げられている中、そのための活動拠点ともなる施設を廃止することは目的に反しているのではないか、さらに言えば、プロスポーツを施設面・予算面等で優先・優遇することで、肝心の市民スポーツの場が縮小されることになれば、それは本末転倒以外の何ものでもないと思うところです。
市からこの体育館の廃止案が示されたとき、利用者(市民)は、前掲のような有益な市民活動の場が失われてしまうことへの懸念、また今後、社会体育館など他の施設の利用を余儀なくされるならば、ただでえ予約を取ることが非常に難しい状況にある中、活動の存続さえ危ぶまれる事態に陥ることを憂慮するばかりでした
そこで利用者を中心とする方々(市民)は、この体育館の存続を求めると共に さらに将来に向けた体育館の利活用・公共施設の在り方について考えるために市当局と意見交換をする場を設け、そこでは市内の各種体育館の利用状況・老朽度や利用率による建物の保全の考え方・長寿命化していくためのコスト縮減や財源確保等についての説明を受け、そのうえで双方で議論を重ねました。
その結果、中部勤労青少年ホームの体育館は比較的建物が新しく 現在も利用者数が多い施設であることから、この先も引き続き体育館として活用してゆくべきとの結論に至ったところです。
長野市は全国的に見ても体育館の保有数が多く、このことは行政側の視点ではマイナス要素に映るのかもしれませんが、利用者をはじめ関係者は このことは他市にはない長野市の大きな魅力であると考えています。スポーツを愛好する市民が手軽に体育館を利用できる施設環境は他市に比しても優位なものであり、長野市はこのことを強みと捉え、今後の市政運営に臨むべきと考えます。
現市長は「健幸増進都市」や「スポーツを軸としたまちづくり」を政策の柱に掲げていますが、その政策の実現に向けたスポーツ人口の維持向上=市民の健康寿命延伸 を図るためにも、長野市の魅力である多くの体育館をあまねく有効活用してゆくことを先ずは念頭に据え、そのうえで施策展開してゆくことが重要であると強く考えているところです。
この日の意見交換会では、利用者の方々の意見について市側もそれを真摯に受け止め、今後の政策づくりに役立ててゆくこととしていました。
今後も機を得ては意見交換を重ね、市有施設が真に有効に利活用され 市民益向上に資するよう計らってゆくべきことを再認識いたしたところでありました。