「水族館」で屋外展示の魚が大量死…水槽の中にたばこの吸い殻1本/害毒の大きさ(強さ)に驚き
ネットのニュースで、歩行者が無造作に捨てたタバコの吸い殻が「生命(いのち)あるもの」の その生命を奪う事態になったことが報じられました。
これを見て、非常に心を痛めると同時に「社会モラル」の大切さと それが意外に守られていない実態、さらに別の視点での〝怖さ〟を実感させられました。
京都市にある(入館)無料の水族館の屋外展示の魚たちが たった1本のタバコの吸い殻の影響で大量死してしまったとのことなのです。
事件の現場は、京都市にある〝無料の水族館〟だったそうです。
この水族館は「花園教会」という教会にあり、ここで牧師を勤めるSさんが 主に子供たちに対し自然の営みと生命の大切さを知ってもらおうと「水族館」を開館・運営し、約200種・1000匹の 魚などの水生動物を展示しているそうです。
それが、2週間ほど前から 道路に面した屋外の水槽で展示していたコイやフナや金魚 約60匹が相次いで死ぬようになったとのこと。
最初は感染性の病気かと思い 機械で水の濾過(ろか)を行ないましたが状況は変わらないことから、その後 水槽の水を入れ替える作業を進めていたところ、水槽の中に タバコの吸い殻が1本あることに気づいたそうなのです。
このことから 魚たちは、水槽にポイ捨てされた1本のタバコの吸い殻から染み出た「ニコチン」が原因で死亡した可能性があるとみられているとのことです。
水槽を置いていた場所は道路に面しており、普段から近所の子どもたちが魚を観察して楽しんでいたそうで、S牧師は「軽い気持ちでしたことが重大な結果につながることもある。どんな場所でもタバコのポイ捨てはやめてほしい」と、憤(いきどお)りというより 悲しみを湛(たた)えた表情で話しておられたそうです。
このことについて、生態毒性学の専門家は「ニコチンは水溶性で 急性の毒性を有しています。今回のケースも、タバコ(=ニコチン)が影響して魚が死んだ可能性は十分にあります。」と話していることが 併せ報じられていました。
この報道に接し、残念な思いが重なり合って湧くと同時に、タバコ(=ニコチン)の怖さを思い知らされました。
残念なのは、未だにタバコのポイ捨てが横行している実態です。
HPによると、京都市でも「京都市路上喫煙の禁止等に関する条例」が定められており、過料も課してポイ捨てを禁止する体制が整えられています。
参考/「京都市路上喫煙の禁止等に関する条例」
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https://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000291969.html
にも関わらず、今回「ポイ捨て」が為(な)されてしまった。
もしかしたら この喫煙者は、ポイ捨て禁止条例のことを知っていたのかもしれません。
で、吸い終わったタバコの捨て場所に困り、目についた水(水槽)の中で処分する愚行を選んだのかもしれません。
いずれにしても「携帯灰皿」などの持ち歩き容器が必須の昨今、それも無しに喫煙することは言語道断・もっと言えば 路上喫煙そのものが許されない行為とされるところです。
さらに残念なのが、たった1本のタバコの吸い殻によって 罪も無き生物の命が奪われることになったことです。
果たして この喫煙者は、水の中に魚たちが居ることを知ったうえでタバコを投げ入れたのでしょうか。
その場しのぎの心ない行為が 多くの生命体の命を奪うことになったことと同時に、そこに通う子供たちの愛玩心(あいがんしん)まで奪うことになったことをどう思うか…その者は、今もどこかでタバコを燻(くゆ)らせ 目についた場所にポイ捨てしているのでしょうか。
「大人のモラル」の低さ・それに対する意識(反省)の薄さを禁じえないところです。
また一方、全く別の視点で〝タバコ(=ニコチン)の怖さ〟を思い知らされます。
たった1本のタバコが、たとえ水生動物(魚)とはいえ、生物の命を脅かすことになるのです。
ご案内のとおり、タバコには多岐に亘る有害影響があり、さまざまな場面で警鐘が鳴らされています。
このことについて今さら申すまでもありませんが、今回の事件を通じ 改めて「タバコって 人を含む生物(せいぶつ)にとって良くないものなんだ。」を再認識させられました。
かくいう私は、亡父が物凄いヘビースモーカーだった故に、その影響(反面教師)で タバコを吸うことなく現在に至っていますが、私の周辺にも愛煙家が多くおられることから 健康面への影響が心配されるところです。
今回の事件は、まちかどの小さな「水族館」でのことではありましたが、社会全体に「喫煙モラルの遵守」を改めて求め、さらに「タバコの有害性」を改めて知らしめるものでありました。
たった1本(1人)の気まぐれが 社会に少なからず影響を与えること・たった1本のタバコが いかに有害であるかを知らされた〝小さくて大きい出来事〟でありました。
ちなみに、長野市では 平成30年に「長野市ポイ捨て、道路等における喫煙等を防止し、きれいなまちをつくる条例」を制定しています。
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ごみのポイ捨て・歩行喫煙の防止
互いに気持ちよく「まちあるき」ができる社会環境を維持してゆきたいものですね。
※「長野エリアの高速道路での逆走事故」の その後
さきに報じられた「長野エリアの高速道路での逆走事故」について〝驚きの真相〟が報じられています。
どうやら、逆走事故を起こした高齢男性(Aさん)は インターチェンジから通常方向に進入し(但し ゲートは実質突破)高速の路上でUターンして戻ろうとし、それが〝逆走〟となったようなのです。
その後の報道によると、Aさんは そこが高速道路か知ってかしらずか、更埴ICの進入口から(カードを取ったりETCを使わずに)高速道路に入り 一旦は松本方面に向けて走行、その後 間違いに気づいて、あろうことか 高速道路上でUターンして(下り追い越し車線を走って)戻ろうとし、それが逆走となり 対向車とぶつかることになったようなのです。
これは非常に珍しいケースであると申せます。
しかし、(事故の)可能性としては無いとは言えないケース(実際にあったのですから)でもあり、今後 ドライバーの高齢化や、もしかしたら認知症を起こしながらもハンドルを握り続ける人もいるかもしれない中で 想定の範疇(はんちゅう)に入れなければならないところでありましょう。
いずれにしても、事故(の被害・損害)は自分持ち・ましてや他車(他者)に被害を与えるようなことにでもなれば、互いのマイナス結果は図り知れないところがあります。
これらの事案に触れ、私自身 過去に重大な交通違反を起こした者として、クルマの運転の際の(何かあったときの)影響の大きさを再認識し、これをも他山の石とせねば…と自戒するところであります。
長野エリアの高速道路で「逆走車」 =にわかに信じ難い状況=
長野エリアを縦貫する高速道の 更埴JC(ジャンクション)から松本方面に約2km(戻った)地縁で、80才台男性が運転する逆走車(軽トラック)と 通常に松本方面に向かっていた車両が接触事故を起こし、逆走車の1人を含む2人が軽いケガをしたことが報じられました。
道路の逆走事故といえば、昨今の高齢ドライバーの遍在化に伴う多発傾向・また若年ドライバーにおいても その行動要因がヨク分からないままに発生が散見されているのはご案内のとおりです。
それ(逆走事故)が、私たちの生活圏の中で発生したことは驚きでもあり 一方で「ついに…」の思いを新たにしたものでした。
今回の事故については、先ずは死亡事故に至らなかったのは不幸中の幸いと言えるでしょう。
逆走事故では、逆走車は そのほとんどが通常レーンの追い越し車線を(逆に)走ってきます。この場合の(逆走車の)対向車となる通常走行車は、(追い越し車線を走行していることで)スピードが上がっていることから、双方がまともにぶつかれば 重大事故になることは必至ですが、今回のケースは それに至らず、車両の破損とケガ程度で済んだとのことでした。
これは〝ツイていた〟としか言いようがありません。
逆走という大間違いをしながら この程度で済んだことは、まさに「命を拾った」というところでしょう。
(逆走した軽トラック)
で、もう一つ不可解なのが〝事故現場〟です。
報道によると 車両が保護(確保)されたのは、更埴JC(ジャンクション)付近(手前2km)とのことです。
と いうことは、この車両は それ(更埴IC)より前(南方面)のインターチェンジから進入(侵入)したことになり、と いうことは、近くても麻績ICから(または それより南)から乗線したことになりますが…。
ご案内のとおり、例えば麻績ICから更埴JC(IC)までは それなりの距離と時間が要されます。
高速道路のNAVITIMEによると、麻績ICから更埴ICまでは 距離にして18,7km・時間にして12分間を要する となっています。
で、この区間を走ったことのある人は イメージできると思いますが、区間の途中には姨捨のトンネルを初めいくつものトンネルがあり、また 篠ノ井を眼下に葛折(つづらお)りのカーブも存在します。
この いわば難所のルートを、逆走のまま事故も起こさずに更埴JCのスグ近くまで無事?に走行してきたことは 不思議ともいえるほどの偶然の確率でありましょう。
よくぞまあ、対向車(追い越し車線を走行する車両)に行き会わなかったものです(または未然に回避し 通報しなかった(できなかった)車両もいたのかもしれませんが)。
おそらくは、当の(逆走した)本人がイチバン肝を冷やし 大いに反省していることと思いますが、いずれにしても 道路の逆走は誰にも予想できず、また私たちは そんな想定ナシに高速道路を利用しているので、ホント勘弁してくれというのが正直なところですよね。
高速道路で頻発する「逆走」については、例えば 警察のNシステム(追尾システム)を利用するなどして 早いタイミングでの捕捉とか、災害情報ダイヤルのような仕組みで走行中の車両にアラーム通知するなどできないかな…などと 素人考えで思いを及ばすところですが、いずれにしても (逆走は)一瞬で大事故につながることから、人智を尽くして発生ゼロにつなげてほしいと願う者の一人です。
令和5年6月定例会で一般質問をしました
6月定例会では、地元である篠ノ井の茶臼山一帯の活用、市の情報発信の改善、5月の行政視察をふまえた本市の取り組み等を取り上げました。
質問の項目は次のように構成しています。
(1) 茶臼山動物園、自然植物園、恐竜公園の整備と活用について
ア 繁忙期の混雑・渋滞対策について
イ 茶臼山エリアの魅力と集客力の向上について
ウ 地域活性化に向けた連携協力について
(2) 利用者目線の情報発信について
ア 市民の安全、安心につながる情報発信について
イ 子ども、若者向けの情報発信について
ウ 選ばれる観光地となるための情報発信について
(3) 未来に続く長野のための取組について
ア 「選ばれる都市」につながる都市ブランディングについて
イ 行政改革とDXの推進について
(4) その他
ア 犯罪を生みにくくする植栽帯の工夫について
イ その他
質問と答弁については、下のリンク先よりご覧いただけます。(長野市議会インターネット議会中継)
https://nagano-city.stream.jfit.co.jp/?tpl=play_vod&inquiry_id=3866
茶臼山には動物園、植物園、恐竜公園が整備されてきました。茶臼山動物園は本年40周年を迎えていますが、新しい展示施設を整備し、入場者数はまだ伸びています。
これも含め、茶臼山には、まだ新たな可能性があるのではと考えています。
敷地の高低差は施設配置や眺めにプラスになる反面、敷地内の移動しずらさにつながる面もあります。電動車いすのような移動支援を提案しました。
また、茶臼山の自然や眺望を今のニーズに沿って楽しんでいただけるよう、ドッグラン、デイキャンプ(バーベキュー場等)についても提案しました。
6月市議会定例会が閉会
「川中島のイノシシ騒動」 ~その後 ちょっと気になったこと~
26日に長野市内の川中島町に出没した「猪(イノシシ)」は、町内のお寺さんの境内で近隣住民にケガを負わせるなど大暴れをした後に 域内を流れる堰(せき/農業用水路)に逃げ込みました。
その後は 近所の藪(やぶ)の中で目撃されるなどしましたが、現在のところ 足取りはプッツリと途絶えたままとなっています。
そんな突発事案の「対応」を巡り〝ちょっと気になること〟を思わされたところでした。
そんなこんなの〝イノシシ騒動〟ですが、(イノシシが)出没した川中島エリアは 田舎とはいえ約2,7000人の人口を抱える市南部のベッドタウンでもあり、多くの住民 その中には当然のことながら、学校に通う児童生徒もいることから、ときならぬ野生獣の出現には 大人もさることながら、身体の小さな児童生徒へ被害が及ばないかが心配されたところでした。
さきに被害に遭ったKさんを看た医師は「野生獣の被害に遭った場合、噛まれ傷などの受傷被害もそうだが それ以上に「感染症」が怖い」と話しておられたそうです。
家で飼われるペットや家畜と違い、山野を駆ける野生獣は 思わぬ感染症を有していることがあり、万一噛まれるなどすると 口径(唾液)等を介してバイ菌が被害者の体内に入り、発熱などの体調不全の原因となるそうです。
したがって イノシシに襲われ受傷したKさんも、噛まれ傷の手当てと同時に 感染症を防ぐ点滴を受けたそうです。
そんな 悪しき副産物を有した野生獣に、万一 抵抗力の低い児童が被害に遭えば、ガタイのでかい野生獣の突進を食らったダメージに併せ そこ(受傷箇所)から感染症にでも罹(かか)れば、まさに踏んだり蹴ったりの厄難を負うことになりかねません。
したがって、イノシシが出没した域内の小中学校においても それぞれに警戒を促す連絡などが為(な)されたことを聞き及んでいます。
そんな中、JR川中島駅の近在に住む 小学生の子供を持つ親御さん(Nさん)から、やや気になるお話がありました。
「イノシシが出てから、ウチの子が通う小学校からは (イノシシ関連の)情報メールが届いたんだけど、JR今井駅のそばに住んでて 中尾山の麓(ふもと)にある小学校に(子供が)通う親御さんには「そんなメールは来てない」っていうんだよね。」とのことでした。
今回〝イノシシ騒動〟が起きたエリアには、4つの小学校と2つの中学校があります。
そこに、今回のイノシシの出没歴を重ねると、ほぼ満遍なく それぞれの学区内に(イノシシが)出没しているのが分かります。
そのうえで言える(推測)されるのは、おそらく このイノシシは、域内の西部にある山部(中尾山方面)から下ってきたんじゃないか ということです。
と いうことは、逃走に疲れたイノシシは その帰巣本能に基づき、向かうとすれば 西の方角ではないか、と。
ところが今回、域内の南部・北東部の学校ではメール(LINE)配信がありましたが、最も注意を要するハズの西部の学校では それ(メール(LINE)配信)が行なわれなかったようなのです。
ましてや 件(くだん)のイノシシは JR今井駅周辺で目撃(それも児童に)されており、その子らは 西部にある小学校に通学しており、もしかしたら野生獣に遭遇するリスクが最も高い環境にあるのです。
で、そのことを市教育委員会に訊(き)くと「市教委からは情報発信は行なうけれど、その先 保護者にまで配信するかどうかは学校裁量に任されています」とのことでした。
そのうえで市教委は「当該の小学校(長)に訊いたところ「情報発信によって児童や保護者が動転(パニック)することを憂慮し、敢えて その時点での情報発信を行なわなかった。騒動が落ち着いたところで、一連の経過についてお知らせする予定でいる」とのことです」と報告してくれました。
一連の対応を訊いて、私は やや複雑な心地になりました。
野生獣の出現は、地震や河川水害などと異なり それ(被害)自体が未詳の面が多く、どこでどう被害が及ぼされるかを判断するのは非常に難しい面があります。
一方で 今回の場合、域内の地勢を考えれば 当該の野生獣は「西」に向かう(戻る)可能性が高いことから、とりわけ西部の関係者においては警戒を強めるべきではなかったか。
そのうえで 情報発信により 児童や保護者に混乱をもたらすと(現場が)判断すれば、それ(情報)を出さないことが了(りょう)とされることがあるし、また逆に 万が一のことがあれば、その時に情報を出さなかったことが大いに責められることになるでしょう。
ジャンルは やや異なりますが、消防団(員)に向けた「火災発生メール」について、今までは 長野市域のどこで(火災が)発生しても、全ての団員にメール配信されていましたが、例えば豊野エリアの火災情報が篠ノ井の団員に届けられても対応できず 意味があるのかとの声によって ある程度(発生⇔対応)エリアを限定した情報発信に改められたとの事例もあり、そこに情報発信の難しさが感じ取られたところでありました。
今回の〝イノシシ騒動〟における情報発信においては、本人?が神出鬼没であるが故(ゆえ)に その対応も硬軟分かれ、非常に難しい面があることを感じさせられました。
今後は 事案の特殊性にも鑑(かんが)み、例えば庁内でも 所管の「森林いのしか対策課」と情報交換し、域内の地勢や 当該野生獣の生態などを勘案して情報発信を臨機応変に行なうなどの〝柔軟性〟が求められるのかもしれません。
いずれにしても、いろんな面でお騒がせしたイノシシ。
あれから 一体どこへ行ったのでしょう。
長野市川中島町 御厨地籍の住宅地(寺社)にイノシシが出没 =身近な人が被害に=
26日のニュースで「川中島町にイノシシが出没、住民に軽傷を負わせ逃げる」と報じられ、報道内容を確認すると 私の知人が「やられていた」ことが分かり、それぞれにお見舞いを申し上げたところです。
ニュースを聞いて現場に駆け付けると 今回の〝被害者〟となった、公私共にお世話になるKさんが臨場してくださり、事(こと)の顛末を伺うことができました。
以下、各局の報道も重ね合わせながらレポートします。
報道によると、26日の朝 長野市川中島町御厨の讃楽寺(さんらくじ)の境内に「猪(イノシシ)」が出没したとのこと。
件(くだん)のイノシシは 体長1m余りの成獣で、侵入した境内を駆け回ったあげくに居合わせたご住職と近所の男性に襲いかかり 逃げていったそうです。
Kさんによると 26日の午前8時過ぎ、お寺の裏にあるご自宅の2階の窓から 墓地の中を黒い大きなモノ(動物)が徘徊しているのが目に留まり「イノシシじゃないか?」として とり急ぎご住職に伝えに走ったそうです。
Kさんは事後に、墓地内の〝イノシシ逃走ルート〟を案内してくれました。
墓地の中には、イノシシの残した血痕が点々と残されていました。
200坪ほどの墓地の中を 時計回りに駆けていったようです。
どうやらイノシシは、町内を流れる堰(せき)を伝って移動を続けたようです。
ちょうど 讃楽寺さんの裏には、階段状になった(堰の清掃などで使う)昇降口があり、そこから境内に侵入したようだ とのことです。
境内に侵入したイノシシは、Kさんが現認したとおり墓地を一周して 庫裡(くり)の前に差しかかり、そこで住職のIさんと鉢合わせしたそうです。
そこでのIご住職は、逃げることもできずにイノシシと対峙し、向かってくる相手に足を繰り出して応戦したそうです。
そのときの恐怖はいかばかりだったでしょうか。
イノシシ侵入をI住職に伝えに来たKさんも身の危険を感じ、本堂沿いに退避しようと背中を向けたところ、標的を変えたイノシシがKさんの背後から襲いかかり、左腕にかみついたりズボンに食らいついてきたようです。
後に救急搬送されたKさんは 最終的に5針を縫うことになり、とんだ厄難となったのでした。
ご本人曰く「こんなデカいイノシシは生まれて初めて見たし、ましてや襲われるなんて初めての経験だった。」とのこと、そりゃあそうでしょう。
ひと暴れしたイノシシは、侵入してきた階段を辿って 再び堰に飛び込み、泳ぐように上流方面に逃げ去ったとのことです。
このイノシシは、こちらに現れる前に 町内の数カ所で目撃されており、その後も行方は要(よう)として分からないままだそうです。
この事案を受け 域内の小学校では集団下校することとし、住民相互に警戒しながら過ごすを余儀なくされていました。
このニュースは ネットを賑わせることにもなり、ヤフーニュースでは 一時上位にランクされるほど。
長野市においては、これまでも 住宅地でイノシシなどの野生獣が目撃されたり、以前には JR長野駅にクマが目撃されるなど、野生獣が身近に現れる事案が散見されています。
また、例えば北海道などでは 住宅地にヒグマが現れるなど、住民にとって身体生命に危険を及ぼす可能性のある事案も聞かれるなど 予断ならない様相となっているのはご案内のとおりです。
いずれにしても KさんやIご住職におかれては、重大なケガに至らなかったことは 不幸中の幸いと申せます。
思わぬ形で 知人さんの厄難を聞くことになってしまいましたが、この手の事案は 地域のそこここで起きる可能性があることから、互いに気をつけよう…とは言っても 向こうの方からやって来るのは防ぎようもできないところですが、何かあったら 直ちに声を掛け合うこと・スグに110番通報すること・あとは、今回のようにやむを得ない場合を除いて 相手(獣)に立ち向かうようなことは避ける、などが せめてもの自営手段というところでしょうか。
「猪突猛進」を地でいく イノシシ突進劇でありました。
長野市消防団ポンプ操法大会=結果より「成果」= / NPO法人「自遊学舎」総会
◆長野市消防団ポンプ操法大会
25日(日)、市内の消防学校で「長野市消防ポンプ操法大会」ならびに「ラッパ奏法大会」が開催され、今年 出場することとなっている市内の消防団(選手)が出場しました。
で…この日の出走(応援)を通じて、私たちは 改めてポンプ操法大会の意義を実感することになったのでした。
これまでも触れていますが、ポンプ操法大会(ポン操大会)は「消防団員が 迅速・確実かつ安全に行動するために、定められた消防用機械器具の取扱い及び操作の基本について その技術を競う大会」と意義づけられ、全国の自治体において(大会が)開催されているものです。
今年、私の住む川中島町からは「消防川中島第2分団」が出場することになっており、分団を挙げて訓練に取り組んできました。
[参考]6/7付の倉野立人ブログ
↓
https://blog.goo.ne.jp/kz2df777/d/20230607
私も ほぼ毎回に亘り練習(訓練)を見させていただいたきましたが、最初はおぼつかなかった選手の動作も、回を重ねる毎(ごと)に 機敏で正確さを増すようになっており、それは選手の表情にも表(あらわ)れていました。
最初の頃は 俯(うつむ)きがちだった視線も、やがて真っ直ぐ前を見据えるようになり、同時に号令の声の張りや 指の先にまで集中力が行き渡っている様子が伝わってきて、見ているこちらにまで その手応えのようなものが伝わってきていたのでした。
それら 十分に研鑽を積んだうえでの本大会。その実力を如何なく発揮されることが期待されました。
当分団は 全体の1番走を引き当てています。
開会式直後の厳粛さを余韻としたの中で出走となりました。
スタートまで約20分。サポートする団員が きびきびとポンプやホースなどのセッテイングを行ないます。
メジャーを用いて、それぞれの器具を定められた位置に 正確無比にセットします。
この作業自体が、選手に100%の実力を発揮させるための大切な作業になります。
やがて出走時間となりました。
場内アナウンスで選手の紹介を受け、直ちに出走に臨みました。
指揮者の号令一下、選手達は機敏に消火活動をスタートさせます。
その動きは非常にスムーズ、前掲姿勢を保ちながら 限りなく直線のラインを辿って火点に直行します。
伝令による「送水 始め!」の号令に直ちに応じ、速やかにホースに水が送り込まれます。
遅滞なく指示が送達されたうえで 送水もスムーズに行なわれ、アッという間に火点を突き倒し 放水消火が完遂されました。
放水(消火)を終えた後は、落ち着いた足取りで撤収に入り、最後の敬礼もキビキビとした中で「ポンプ操法を終了しました!」の報告を行ない、応援する人たちから大きな拍手を受けていました。
訓練と 何ら変わることのない正確な操作の完遂。
私も含め、関係者は手応えのようなものを感じ取っていました。
・・・・・・。
その日の午後、全ての分団の出走→採点(減点方式)が行なわれたのですが、当分団は まさかの6位に沈んだとの報…それを聞いた瞬間、私自身 信じられない思いとなったものでした。
その理由(=減点の理由)はどこに?と訊くと、どうやら 送水時のポンプ操作の際、ポンプの出力が規定のトルクを超えてしまい、それが大きな減点につながってしまったようなのです。(動作などの減点以上に、機械(ポンプ)の稼働に関する齟齬(そご)は 大きく減点されてしまうそうなのです)
この結果を受けての結果報告会。
選手の動作(活動)自体は非常にイイ出来(でき)だった故に、思わぬところで足元をすくわれた感の厳しい結果に 選手たちは一様に悔しさを滲(にじ)ませ、涙 涙の御礼あいさつとなっていました。
この結果について、かつて選手として出走し 今回はコーチ役を担っていた分団員のYくんは「これは明確に 分団の連帯責任だ。」と言っていました。
曰(いわ)く「日々の訓練の中で、選手のみならず 団員全員が、ポンプのトルクが一定であることに慣れてしまい、本番でも その前提で競技に臨み、結果 トルクが上がってしまったことを見落としてしまいました。これは 直接ポンプを操作した選手の責任でも何でもなく、むしろ、そこにまで注意し アドバイスしなかった周囲の者の責任とも言えるんです。」と絞り出すように話してくれ、選手以上に悔しさを滲(にじ)ませていたのでした。
後で 当局(消防局)に訊くと、ポンプ(機械)の操作(稼働)に関する減点が大きい理由は「それ(機械の齟齬)が 直接に消火活動の結果につながると同時に、万が一機械が正常に作動しなかった場合は、現場の者の安全にも関わってくるからです。」とのことでありました。
確かに 火災現場に直面した際、本来は通常に作動し 直ちに送水されるべきポンプが(通常に)作動しなければ、火災を鎮圧するどころか そこにいる人たち全員を危険に晒(さら)すことになってしまいます。
そのような事態に至らないよう、機械(ポンプ)を稼働させる際には 果たして定められた能力を問題なく発揮しているかどうかの確認作業を、常に(不断に)行なわなければならない。
今回のポンプ操法大会は、私を含む関係者が 改めて大会の意義を再認識する機会となりました。
ときに 人の生命財産に直結する消防(団)かつどうには「これで万全」ということは無い。
いくら訓練を積んだとしても その手から僅か洩れた水のせいで大事に至ることもある。
おそらく イヤ絶対に、今回の大会で 当分団の活動(訓練)に関わった関係者の全ての者は、万が一の際にも 機械の作動を確実に確認し、消火等の活動にミスや遅滞が生じないよう取り組むことでありましょう。
それだけのことを学んだだけでも、この大会に出場したこと・そのために普段の努力を重ねたことの意義のようなものを再認識したところであり、それが 最大の「成果」であったと確信したところです。
◆NPO法人「自遊学舎」総会(懇親会)
夕方は 一路(旧)バードラインを経て、飯綱エリアを拠点として活動を重ねる NPO法人「自遊学舎」さんの総会にお招きいただき、第二部から参加させていただきました。
こちらの「自遊学舎」さんは、飯綱エリア=中山間地域の地勢を活かし 豊かな自然環境を「強み」として 子どもの育成事業や、間伐材を活用した SDGsにも資する循環型の社会活動を継続的に行なっておられます。
[参考]2019年 9/23付ブログ記事
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自然に親しむ~エネルギーの原点回帰~ - 倉野立人のブログです。
私自身は「自遊学舎」さんが 市への申請業務の際に関わらせていただいてからのお付き合いで、かれこれ10年来の仲となっています。
あれから時間が経過する中ですが、時代は(前掲の)SDGsの循環型社会の流れにもなってきており、改めて 当団体の取り組む活動がクローズアップされて然るべき時勢ともなっています。
メンバーの中には、中山間地域の有休農地の解消と 定住人口増加を期して、営農するIターン者の育成のためにプランを練るなどする人も居かれ、その「思い」を伺う中で 将来の中山間地域活性化にあるべき姿を垣間見たところでありました。
私としても、これからも みなさんと気の置けない関係を継続させていただき、その不断の活動が 中山間地域に暮らす人たちの満足感につながるようお手伝いさせていただきたいと改めて思ったところであります。
長野市議会 令和5年6月定例会が閉会
◆長野市議会 令和5年6月定例会が閉会
この日(23日)、長野市議会 令和5年6月定例会が最終日を迎えました。約23億円の 令和5年度長野市一般会計補正予算を計上した議案第49号をはじめ 追加を含む議案20件・承認3件・報告15件が採決・承認に付され、可決成立しました。
これまでもご報告していますが、この6月議会においては(も) 青木島小学校区における放課後児童の健全な居場所の確保について が、多くの そして多様な議論となりました。
私自身も、本会議や常任委員会(福祉環境委員会)で この案件について取り上げ、長野市(市長)が 自らの計画(青木島こども未来プラン)を拙速のうちに進めてゆかないよう警鐘を鳴らし続け、それも含めて議論の末に一定の成果を導き出すことができました。
それは、荻原市長の「閉会のあいさつ」の中に表(あらわ)されていました。
これまでの議論を踏まえ、本会議で 私の方からも再三に亘り「新たな放課後児童の適切な環境が整うまでは 計画を拙速に進めるべきではない」と主張、それに対し 市長や所管の部局長から「決して急ぐことなく取り組んでゆきたい」旨の答弁を引き出したところですが、この日の市長閉会あいさつの中にも その文言(決して急ぐことなく)が盛り込まれていたことから、今後は それを言質(げんち)とし、改めて市と向き合う中で 現場職員の〝勇み足〟を現認する都度に「決して急ぐことなく取り組め」と釘を刺してゆきたいと思うところです。
ただ 市や社協の一部職員の中には、最初の段階で発せられた「とにかく計画を早く進めろ」を盲信(もうしん)している者も未だに居るようなので、早いとこ〝エンジンブレーキ〟がかかるよう計らってゆきたいと思うところです。
で…それとは別に、一連の課題を通じて〝荻原市政の新たな特徴〟が指摘されることに。
それを称すれば「市の施策の〝市長直轄ビジョンへの変遷〟」と申しましょうか。
今回の「青木島こども未来プラン」は、従来であれば 所管の「こども未来部」が筆頭となり 関係部局と連携しながら事(こと)を進めてゆくところですが、今回の「プラン」については、市長の膝元(ひざもと)にある「企画政策部」が筆頭を担い、その下に こども未来部や教育委員会が配置され 計画を進めてゆこうという体制になっていました。
ここには、政策に より市長の意向を反映させること・そのために筆頭を(実質的に)市長直轄の部局(=企画政策部)が担ったうえで、市長の意(い)を踏まえて施策展開してゆこうという思惑のようなのです。
これは、一見すると 非常に合理的に思えます。
指示系統からすると、市長が 膝元の企画政策部長に指示を出せば、当該部長は その意を体(たい)して所管の部長に(指示=意向)を伝え、結果 全体として、荻原市長の意を体しての施策が完遂される。
ところが、です。
特に 今回の「青木島こども未来プラン」については、計画自体が 現場(児童センターや小学校)の現状を度外視し、無理に無理を重ねたものになっています。
そのまま現場の全員が 当初計画を丸呑みしたまま進めれば、最終的に適切な環境を与えられるべき放課後児童にしわ寄せが及び…そんな状態でプランは実行されても、荻原市長のメンツは立っても その陰で主役であるハズの放課後児童や関係者が泣かされることになってしまうところでした。
このことは、ここのところ見え隠れする「市長直轄体制」の弊害…現場の状況を度外視して「とにかく計画ありき」で進める〝ブルドーザー体制〟のネガティブ成果の典型と申せ、この進め方については今後 警戒してゆかなければならないと思わされたところです。
一方、そんな中 かかる〝ブルドーザー体制〟の中にあって、市の内部で 結果イイ意味での「ハレーション(逆影響)」が散見され、そこに 私たちは光明(こうみょう)を見出すことになりました。
今回の無理な計画について、半ば強引に進めようとする 市長&市長直轄部局に対し、現場を預かる こども未来部(児童センター所管)&教育委員会(小学校所管)が、多くの関係者の 現状に即した切実な「声」を受け、それを封じ込めたり 変な風に咀嚼(そしゃく)すること無く、半ばダイレクトに市長(部局)に届けてくれているようなのです。
このことは、このプランが いかに無理で、とにかく児童にあらぬ負担をかけることになるということ(現実)を共通認識とした担当部局の適切な判断であり、子どもを含む現場の関係者と所管の部局との一致点でありました。
そして このこと(関係者と担当との一致)は これまでに無かったことであり、その成果は私たちに これからも地道に「声」を集めて行政に働きかけることの大切さ(と成果)を再認識させてくれるものでありました。
それらを踏まえて私たちは、今後も 子どもたちを巡る課題を詳(つまびら)らかにしたうえで、それ(現状)に見合った施策を展開するよう(市に)働きかけてゆくこと・そのうえで 諸施策が 真に子どもたちの笑顔につながるよう計らってゆきたいと改めて思いを強くしたところです。
6月議会は閉会しましたが、さまざまな課題は現存したままであります。
私自身 その厳しい現状を再認識したうえで、今後も不断の努力を重ねてまいります。
◆コチラは 真に子どもたちのために「毎朝の横断歩道での見守り」
子どものためと言いながら、その深層には〝大人のメンツ〟あり…そんな世知辛い政治の世界を他所(よそ)に、地域では「純度100% 子どものため」での毎朝の善行が続けられています。
私の住む地域の通学路(を渡る横断歩道)では、毎朝に亘り「見守り」が行なわれています。
ここの横断歩道は、数年前にできた新興住宅地から 学校へ通う百人をゆうに超える児童生徒が通る(渡る)箇所です。
道幅の都合で 片側歩行を余儀なくされているため、朝はどうしても左側通行(歩行)となっており、この横断歩道は必ず渡る地点となっています。
この日は あいにくの雨でしたが、傘をさした児童生徒が元気に学校に向かいます。
ここの立ち番は、近所に住むNさんとAさん。
よくあるのが、自分の子どもが通学する間に限り 当番制で代わるがわる行なうものですが、ここの横断歩道に立つお二人は 完全なるボランティアです。
自分の子や孫がいるでも無し、一途に「子どもたちの安全のため」を思って 雨の日も風の日も、横断歩道に立ち続けておられるのです。
ここは 域内を縦貫する生活道路にもなっていることから、通学時間帯の車両通行も少なからずあります。
一定の時間内に児童が大挙して渡ることから、その最中(さなか)の交通安全遵守は 日々の常設課題です。
お二人が見守っておられることで、横断を控えた児童の前に 全ての通行車両は一時停止してくれており、この箇所での交通事故は未然に防がれています。
横断歩道の前での一時停止は当たり前のこと(運転者の義務)なのですが、止まってくれた車両に丁寧に一礼する姿が好印象でありました。
将来ある子どもたちの交通安全を 毎朝の善行によって守ってくださるボランティア精神に深甚なる敬意を表すると共に、このような心根の積み上げこそが 健全な地域社会構築の礎(いしずえ)となることを再認識したところであります。
「青木島こども未来プラン(案)」からのご示唆 =学校の将来的な役割=
長野市政の新たな課題となっている 青木島小学校の放課後児童を取り巻く課題は「青木島こども未来プラン(案)」として内外に示されており、その(プランの)対応について 賛否が渦巻く状況になっています。
これまでも触れているとおり 多くの関係者からの疑問や不安の声が上げられ、それに付随して 議会の場でも議論百出となっています。
私自身は(従前から述べているとおり)青木島小学校の校地内に児童センターを移転・統合する場合には 小学校の校内に(センター・プラザ塔など)放課後児童のための良好な環境が整うまでは、決して急ぐことなく取り組むこと・そのうえで それまで(新たな環境が整うまで)は、青木島児童センターを存続するべきことを主張しています。
そんな中、地域の識者であるIさんから「学校の位置づけ」についてご意見をいただきました。
かかるご意見を通じて、私の立場でも 課題(問題)を切り分けて考える(述べる)べきことを再認識したところです。
予(かね)てよりIさんは、少子高齢化・人口減少社会が伸張する中「学校」が果たす 地域社会の中での役割の大きさ(多様さ)を重視されています。
少子化に伴い 児童生徒数が減る中、各地で「廃校」を余儀なくされる学校施設が増えつつあります。
Iさんは そのような時流に危機感を覚え「それでイイのか?」と疑問を呈されています。
そのうえで、学校という大きな公共物は 今後〝新たな役割〟を担うべきである との論です。
今、社会自体で 地域コミュニティが低下しており、子ども同士はもとより 地域の方々との〝異年齢交流〟も乏しい状況になっています。
一方「学校」という公共施設は、質的にも物理的にも 地域の中心(拠点)を成す存在となっています。
Iさんは かかる「学校(地域の中心となる公共物)」を、将来社会において実効ある活用に付すべきとしておられるのです。
少子化が伸張する中にありながらも、地域の中心(拠点)である学校については 生徒数の減少に任せて衰退→廃校に追い込むのではなく、学校施設を地域全体で活用し ひいては地域コミュニティの拠点とすべきではないか。
Iさんの論の根拠には、自らが小学校へ出向き〝講師〟として子どもたちに 多年の経験に基づきさまざまなことを教え、もって〝異年齢交流〟を行なっている実績があるのです。
そこで感じられた手応え…学校は 単に学校としての役割だけでなく、地域の人たちがあい寄り、ときに子どもらに人生経験に基づいた物事を伝えたり、ときには社会人の生涯学習の場=異年齢交流の場 として活用することができれば、学校という学びの場の「幅」が広がり それはいずれは在校生たる子どもたちにとっても多面的な学習(吸収)の場になり得るのではないか。
このIさんの論には、予(かね)てより 私も大いに賛同しています。
旧来より 地域の教育拠点であった「学校」は、将来的には地域(住民)全体の寄り拠(よりどころ)として機能させるべきであり、校舎・校庭などが整備された(学校)施設は 児童生徒数が減ったからといって無駄に空(あ)けることなく有効活用し、もって持続可能な地域社会の礎(いしずえ)とするべきでしょう。
そのうえでIさんは、この(共通)認識を前提にしたうえで 私に対し、懸案の「青木島小学校問題」に対する見解について留意するよう ご示唆くださいました。
曰(いわ)く「クラちゃんが主張する「青木島児童センターの校内への移転・編入に反対」の意見は、聞きようによっては(これまで見解が一致している)学校施設の多面的活用そのものを反対しているようにも捉えられる。」
「例えば、校内の「中庭」を取っても、本来 中庭はセキュリティの面でも有効に利用されるべきものだけれど、それが「とにかく反対」と述べてしまうと、本来の児童福祉そのものに反対していると思われてしまう。」
「おそらく クラちゃんは今、青木島小学校の放課後児童のことについて 学校施設の利用の是非を意見していると思うけど、そのことと、(将来に向けた)学校利用のあるべき形については 分けて議論構成した方がイイと思うよ。」とのことでありました。
これまで議論しているとおり、私や 青木島小学校の放課後児童に心を寄せる関係者の方々は、現在の青木島小学校の児童数や 空き教室が無い状況を度外視して「校内への移転・編入ありき」で計画を進めることに対し強く反対しています。
例えば「中庭」についても、中庭の利用自体を反対しているのでは無く、市が 新たな放課後児童の安全で快適な環境を整えないまま「とにかく(計画実行のために)放課後児童を中庭に連れてゆけ!」旨の、子どものためではなく いわば大人のメンツのために拙速な中庭利用を強行しようとしている姿勢そのものに反対しているのです。
さらに言えば、私や 放課後児童に心を寄せる関係者は「青木島こども未来プラン」そのものに反対しているのではないのです。
青木島こども未来プランが、真に関係者 とりわけ子どもたちのための環境が整うまでは、現有の体制を維持すること。
そのためにも、青木島児童センターについても廃止すること無く継続し 校内に十分な居場所が確保されてから 移転・編入を実施すべきではないか。
児童の受け皿が整ってから 話しを進めなさい。との論であります。
Iさんのおっしゃるとおり「学校施設の在り方」については、将来社会の〝地域の寄り拠(よりどころ)〟として活用すべきという認識で考えてゆくべき。
その前提に立ったうえで、現下の「青木島こども未来プラン」については 放課後児童の環境が整うまでは拙速に計画を進めてはならない。
私自身、今後の議論の中では「今の問題」と「将来課題」とを明確に分けて議論してゆきたいと思います。しかし、それを ない交ぜにしてしまうと、肝心の議論の焦点がぼやけて(ズレて)しまうことが懸念されます。また 場合によっては〝論点ズラし〟の道具にされてしまうかもしれません。
いずれにしても「学校」の担う役割は 人口減少社会の今だからこそ重要性を増していると申せます。