長野市議会議員会派

改革ながの市民ネット

3期目がスタート

<3期目がスタート>  いよいよ3期目の市議会議員としての活動が始まりました。10月2日の全員協議会から今日まで政策説明会、会派代表者の会議等、慌ただしい日々が続いております。  改選後、私はこれまでと同様、市議会会派「改革ながの市民ネット」に所属します。同会派は私が初当選させていただいた2015年10月に、それまでの「改革ながの」と「市民ネット」が合併し、私を含め7名の議員によって新たに立ち上がった会派です。  その後、所属議員の県議選出馬、ベテラン議員のご勇退等を経て、今般、3名の議員で気持ちを新たにスタートをきることとなりました。 3名という小さなグループとなりましたが、会派としての信念であった改革と創造、是々非々の立場等を継承し、力を合わせながら、活動してまいります。また、会派の代表に私が就任することとなり、ずっしりとした責任の重さを感じています。  来週の10月10日、11日には改選後初となる議会「市議会臨時会」が開催される予定です。 ここでは、議長及び副議長選挙、常任及び特別委員会委員の選任等に加え、本年度の一般会計補正予算案等の審議を行われます。 緊張感をもって臨んでまいります。  さて、令和5年9月17日に執行されました二元代表制の一翼を担う長野市議会議員選挙における投票率(37.32%)は真摯に受け止めなければなりません。昨今、執行される各級の選挙において、頻繁に低投票率への懸念が示されており、大正大学教授の江藤俊昭氏は「抜本的な対策を講じなければ地域民主主義は死滅する、民主主義を「ゆでガエル」にしてはならない」と警鐘を鳴らしています。  私自身、これからの活動において、最も身近な行政及び議会に関心をお寄せいただけるよう、工夫しながら進めていきたいと考えます。そんな中、元大和大学教授の田中富雄氏の論説に接しましたので、ご紹介します。 <二元代表制>  ・我が国の地方自治における憲法上の規定は、1946年11月3日公布、1947年5月3日施行の日本国憲法によって、初めて位置付けられた。  ・日本国憲法は、第8章地方自治(92条~95条)のうち93条に基づき、議事機関として議会を設置、また、議員や首長の直接選挙が実施され、同日付けで地方自治法の施行により、我が国の地方自治制度として、市区町村や都道府県での「二元代表制」が確立した。  参考:〔地方公共団体の機関〕 第93条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。 2 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。 <二元代表制に必要な市民制御>  田中氏は、二元代表制は議会と行政の関係だけでなく、市民が関係しており、市民は、議会や行政に信託すると同時に、議会や行政を制御(市民制御)し、議会と行政が制御・調整・連携することが二元代表制の仕組みである、と述べています。  少し難しい表現の「市民制御」ですが、市民が議員・首長を民主的に制御しなければ「市民と議員・首長の同一性」という民主主義の基本的考えが成り立たなくなる、としています。  ここで言う「市民制御」とは、選挙やリコールを指していることから、投票率の低下は、二元代表制に関係している市民の減少に繋がっていることを示しており危機感を覚えます。  また、田中氏は、議会の決定権限は大きく、また、首長の実施権限は「議会への議案提案」、「予算編成」、「予算執行」等大きいことから、議員や首長に権力の座を求めて厚顔無恥な行動をとらせることなく、議会や行政を適正に行わせるために「市民による制御」の必要性を説いています。 <議員に求められる能力>  こうしたことを踏まえると、私たち議会、議員は、市民との関係性を重視した活動が求められる、と考えます。 田中氏は、・議員の「情熱」と「責任感」は市民から見えづらくなっている。・その結果、議員の行動が市民から遠く離れ、市民の意思が、議会及び行政に反映されにくくなり、市民にとって議員は、自分たちの代表と思えなくなっている。・これでは、議会(議員)は市民から失望され、信用を失ってしまう。・市民から失望され、信用を失ってしまうことを防ぐために、議員は、学習能力や自己主張能力、更に、「適正手続決定能力・適正手続実施能力」、「適正政策決定能力」の向上が求められ、加えて、「適正手続決定能力・適正手続実施能力」を構成する「広聴力」や「広報力」が必要等と論じています。   <歩く 聴く 届ける>  私は市民との関係性を重視した活動として、本ブログで何度かご紹介していますが、私の行動指針である「歩く 聴く 届ける」に基づき、田中氏のいう「広聴力」や「広報力」をこれまで以上に高める努力を重ねるとともに政策能力等の向上をはかるべく活動していかなければなりません。  3期目、とにかく全力を尽くし、頑張ります!

3期目がスタート

<3期目がスタート>  いよいよ3期目の市議会議員としての活動が始まりました。10月2日の全員協議会から今日まで政策説明会、会派代表者の会議等、慌ただしい日々が続いております。  改選後、私はこれまでと同様、市議会会派「改革ながの市民ネット」に所属します。同会派は私が初当選させていただいた2015年10月に、それまでの「改革ながの」と「市民ネット」が合併し、私を含め7名の議員によって新たに立ち上がった会派です。  その後、所属議員の県議選出馬、ベテラン議員のご勇退等を経て、今般、3名の議員で気持ちを新たにスタートをきることとなりました。 3名という小さなグループとなりましたが、会派としての信念であった改革と創造、是々非々の立場等を継承し、力を合わせながら、活動してまいります。また、会派の代表に私が就任することとなり、ずっしりとした責任の重さを感じています。  来週の10月10日、11日には改選後初となる議会「市議会臨時会」が開催される予定です。 ここでは、議長及び副議長選挙、常任及び特別委員会委員の選任等に加え、本年度の一般会計補正予算案等の審議を行われます。 緊張感をもって臨んでまいります。  さて、令和5年9月17日に執行されました二元代表制の一翼を担う長野市議会議員選挙における投票率(37.32%)は真摯に受け止めなければなりません。昨今、執行される各級の選挙において、頻繁に低投票率への懸念が示されており、大正大学教授の江藤俊昭氏は「抜本的な対策を講じなければ地域民主主義は死滅する、民主主義を「ゆでガエル」にしてはならない」と警鐘を鳴らしています。  私自身、これからの活動において、最も身近な行政及び議会に関心をお寄せいただけるよう、工夫しながら進めていきたいと考えます。そんな中、元大和大学教授の田中富雄氏の論説に接しましたので、ご紹介します。 <二元代表制>  ・我が国の地方自治における憲法上の規定は、1946年11月3日公布、1947年5月3日施行の日本国憲法によって、初めて位置付けられた。  ・日本国憲法は、第8章地方自治(92条~95条)のうち93条に基づき、議事機関として議会を設置、また、議員や首長の直接選挙が実施され、同日付けで地方自治法の施行により、我が国の地方自治制度として、市区町村や都道府県での「二元代表制」が確立した。  参考:〔地方公共団体の機関〕 第93条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。 2 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。 <二元代表制に必要な市民制御>  田中氏は、二元代表制は議会と行政の関係だけでなく、市民が関係しており、市民は、議会や行政に信託すると同時に、議会や行政を制御(市民制御)し、議会と行政が制御・調整・連携することが二元代表制の仕組みである、と述べています。  少し難しい表現の「市民制御」ですが、市民が議員・首長を民主的に制御しなければ「市民と議員・首長の同一性」という民主主義の基本的考えが成り立たなくなる、としています。  ここで言う「市民制御」とは、選挙やリコールを指していることから、投票率の低下は、二元代表制に関係している市民の減少に繋がっていることを示しており危機感を覚えます。  また、田中氏は、議会の決定権限は大きく、また、首長の実施権限は「議会への議案提案」、「予算編成」、「予算執行」等大きいことから、議員や首長に権力の座を求めて厚顔無恥な行動をとらせることなく、議会や行政を適正に行わせるために「市民による制御」の必要性を説いています。 <議員に求められる能力>  こうしたことを踏まえると、私たち議会、議員は、市民との関係性を重視した活動が求められる、と考えます。 田中氏は、・議員の「情熱」と「責任感」は市民から見えづらくなっている。・その結果、議員の行動が市民から遠く離れ、市民の意思が、議会及び行政に反映されにくくなり、市民にとって議員は、自分たちの代表と思えなくなっている。・これでは、議会(議員)は市民から失望され、信用を失ってしまう。・市民から失望され、信用を失ってしまうことを防ぐために、議員は、学習能力や自己主張能力、更に、「適正手続決定能力・適正手続実施能力」、「適正政策決定能力」の向上が求められ、加えて、「適正手続決定能力・適正手続実施能力」を構成する「広聴力」や「広報力」が必要等と論じています。   <歩く 聴く 届ける>  私は市民との関係性を重視した活動として、本ブログで何度かご紹介していますが、私の行動指針である「歩く 聴く 届ける」に基づき、田中氏のいう「広聴力」や「広報力」をこれまで以上に高める努力を重ねるとともに政策能力等の向上をはかるべく活動していかなければなりません。  3期目、とにかく全力を尽くし、頑張ります!

中山間地域なくして長野市なし

これは、令和5年5月発行の「市政報告/東方見聞録」に書いた言葉です。
市政報告を読んでいただいた方からのご感想をふまえて、私の2期目にあたってのスローガンといたしました。

1期目は2019年の10月1日に任期が始まりました。
その直後、長野市をはじめ広い地域が東日本台風災害に見舞われます。
その復旧・復興が始まった頃、世界がコロナ禍に覆われました。

市議会議員として私は何をしたらよいか、何ができるのだろうか。

1期目のスタートはその模索ではじまり、無我夢中に過ごしたのか、1年目などは、正直あまり覚えていないことも多くあります。

台風災害やコロナ禍という非常事態の対応と並行して、市内各地を訪問し、お話を伺い、今まで知らなかった長野市の魅力と課題を体感してきました。

これらをふまえての「中山間地なくして長野市なし」です。

長野市では、都市ブランディングの一環で、
「長野市の魅力」等について市民アンケートを行いました。
回答の上位は
「美しい山並み」「おいしい空気や水」「豊かな自然」等。

これらを見て私が考えたのは、


さて、これらを生み出しているのはどこか?

答え 中山間地域

長野市の魅力の源が中山間地域にある。
中山間地域がなければ「長野らしさ」がなくなる。
中山間地域は、その地域に根差した食、祭りなどの文化も色濃く受け継いできているところ。

しかし、
基幹産業の農林業の衰退、働く場の流出、
子や孫の域外への流出等による人口減少と高齢化率の上昇、
学校や公共施設の統廃合、日常生活の不安増加等
人口減少に伴う課題が雪だるま式に増えて、
存続が危ぶまれるところもある。

長野市の魅力、そして生活の基盤を生み出す中山間地域がなくては、
長野市の未来はないじゃないか!


ということです。

これまで以上に真剣に取り組む必要があると考え、
選挙ポスターや選挙公報でも
「中山間地なくして長野市なし」と訴えました。
私の市議会議員2期目の最重要課題としています。

大きく、難しい課題で、実際何をどのように改善できるかまだ未知数ですが、賛同してくださる方も大勢いるので一緒に取り組んでいきたいと思います。

2期目の活動が始まりました

令和5年9月17日執行の長野市議会議員一般選挙におきまして、2期目の議席をいただきました。日頃より叱咤激励をいただいております皆様のおかげです。この場をお借りして御礼を申し上げます。

選挙の世界には「2期目の選挙は票を落とすことが多い」という「2期目のジンクス」というものがささやかれています。
気を引き締めて選挙準備をしなければ!と思っている中、新型コロナウイルスが5類に移行し、様々なイベントや行事の復活の兆しが見えてきました。
そうすると、今年度受けている地元地区の役の関係、実家のお店の関係、商店街の関係等で、イベントや行事関係の会合、準備や運営に携わる時間も増えてきました。
コロナ禍から社会経済が回復するのは歓迎ですが、予想以上の進み方で。自分自身のスケジュール調整に大変苦慮しました。

そんな状況でしたが、結果としては、令和元年の前回選挙を少し上回る2354票をいただきました。

さらに力強く、地域のために働いていく所存です。
改めまして、みなさまどうぞよろしくお願いいたします。

正式な任期は10月1日から。
選挙事務所の片づけや収支報告の作成と提出等締め切りが決まっていることがいくつかあったり、秋のイベントシーズンも始まり、毎日があっという間の感じで過ごしています。
まだまだ至らないことも多く、みなさまにご心配をおかけしておりますが、引き続きご支援を賜りたく心よりお願いを申し上げます。

立ち止まってはいられない ~生半可(なまはんか)な知識が招く 結果としての「市民不利益」~

立ち止まってはいられない。

改めて そう思わされる案件(相談)があり、思いを新たにさせられました。

28日(木)の夜、共に障がい者支援に取り組む「Gota」チームのMキャプテンに声をかけてもらい、市内のファミレスに足を運びました。

このとき私は、例の報道被害によりゴタゴタしていたのですが、そんな中でも変わらず声がけしてくれたMキャプテンに感謝しつつ ファミレスに入りました。

 

と、メンバーの隣席には 地元の区長会OBと覚(おぼ)しき 私も面識のあるOさん一行が陣取っており、何やら和(なご)やかな雰囲気でおられます。

知らない仲ではなかったので「どうもこんばんわ。」と頭を下げると、中のお一人が「当選おめでとう。」と声をかけてくれました。…のですが、件(くだん)のOさんは やや口元を歪めながら「礼状問題はどうなった?」と冷笑をかけながら私に。

区長経験者で識見もあるハズの人が、私の顔を見るなり この発言です。

新聞を熟読したうえでの発言なのかは知る由もなく、私の方も「記事をヨク読んでから言ってください。」と喉元まで出かかったところですが、そこは大人の対応「お騒がせしています。」と一礼して仲間の居る席に座りました。

「あ…これが世間の認識なんだ。」と心の中で嘆息しながら でしたが。

 

さて 本題。

この日メンバーが集まったのは、精神に障がいを抱えるAくん(20才代)から 予(かね)てよりの相談を受けている件についてです。

(この詳細については後日に譲ることとし、今回は概略のみとさせていただきます)

皆でドリンクバーの飲料を飲みながら…一見 穏やかなコミュニケーションの場に映りますが、その会話の中身は深刻といえるものでありました。

 

 

 

 

このAくん、市内の障がい者支援団体に身を置く中、昨年6月に農作業(草刈り)に従事していたところ 仲間の不注意で脚(ふくらはぎ)に大怪我を負わされてしったのです。

当然 これは重大な労働災害であり、当時の現場の状況や 就労環境(見守り・管理等)が問われる案件です。

さらに当然、Aくんに対しては 治療費などの医療費保障(補償)・さらに事故の被害者となってことで保険での補償などの手厚い措置が講じられるべきところであり、そのことについては 就労先が加入する保険会社等が直ちに受け持つ運びになるハズでありました。

ところが、です。

Aくんに対する保険保証の事務作業は遅々として進まず、無為に時間ばかりが経過することになってしまっているのです。

生活保護を受けているAくんには不安ばかりが募り「この先いったいどうなるのか…」と困り果てて「Gota」に相談を寄せているのでした。

Aくんの心配は3点に及んでいます。

1つは、自分の受けた被害について補償がされるかどうか。

2つめは、Aくんの〝生活の糧〟でもある「生活保護」は、事故の補償後も維持されるのかどうか。

3つめは、今後 就職して自活(自立)してゆけるかどうか。

このうち、1・3については 機微に触れる内容でもあるので後日に吟味のうえ詳細報告させていただきますが、今回は 2 について(関連して)見えてしまった〝行政体質〟について述懐するところです。

述べているとおり、障がいを抱えながら生きるAくんにとって「生活保護」は、まさに生きてゆくための いわば命綱であり、これが維持されるかどうかは 彼にとっての生命線となっています。

しかし今回、ケガを負わされて「補償」が匂わされることになったことで それ(補償)が収入とみなされ、もしかしたら生活保護が打ち切られるのではないかとの情報が伝えられ、Aくんの不安は増幅するばかりとなってしまいました。

Aくんにとっては、ケガの補償(金)は二の次の話し。とにかく生命線である生活保護が存続されるかどうかが全てなのです。

 

この、Aくんの他でもない心配を知るMキャプテンは 私に対し、このこと(補償されても生活保護は維持されるのか)との疑問(心配)について 議会(常任委員会)の場で確認して欲しいと言われ、私もそれに準(順)じて常任委員会(福祉環境委員会)の場(所管事項調査)で質問しました。

「生活保護制度を受けている障がい者さんが、同支援施設の就労の場で受傷し、保険(補償)の対象になった場合、生活保護は維持されるのか。」

それに対し 生活保護を所管する生活支援課々長は「一般論ですが」と前置きしながらも「たとえ保険(補償)の対象になったとしても、生活保護が打ち切りになることはありません。」と明確に答弁したのです。

 

ところが、です。

その後の「Gota」の調べ・また その後の所管の動きによると、どうやら 生活保護を受けている者が、保険や補償の対象になると それは収入とみなされ、生活保護の対象から外れることになってしまうことが判ったのです。

(この件に関するAくんを取り巻く顛末は やはり後日に譲ります)

結果、生活支援課々長の答弁は 事実(現状)と異なるものであることが判然してしまいました。

 

・・・・・。

今回のケースは、Aくんを案じ サポートしてくれる存在(Gota)が居てくれるから大過なく推移していますが、これが 天涯孤独の人が行政指導を頼みの綱として指導を乞(こ)うたとき、そのアドバイス(アンサー)が間違っていたとしたら。

その人は 行政を頼ったばっかりに誤(あやま)てる道を歩まされ、結果 不利益を被(こうむ)ることにもなりかねないところでありましょう。

 

同様の他のケース(行政(所管)による誤情報)を「Gota」のMキャプテンは指摘しています。

さきに調査に入った、障がい者就労支援施設「空風」に設置されている 高額(約100万円)の〝レトルト食品製造機械〟が置き晒(ざら)しになっている点について「設置費用に長野市の補助金が入っているんじゃないか」との(Mキャプテンの)問いに対し、対面した職員(障害支援課)は「補助金は入っていません。」と断答(だんとう)したのです。

しかし実際には、設備全体の中で相当額の補助金が入っていることが判り、結果 所管課職員の答えは間違っていることが判然しました(この「補助金が入っている・いない」は、機械の設置後に行政指導が行なえる(行なうべき)か否かの重要な分岐点になる点でした)。

 

 

「生半可」という言葉があります。

これは「十分(充分)でなく中途半端であること。いいかげんであること。また、そのさま」と解説されており、そのとおりと思います。

今回 市行政(担当)は、まさに生半可な情報のままに それを外に向けて発信(回答)し、それは状況によっては大きな〝市民不利益〟を招くことになりかねないものでありました。

補償の対象となっても生保はダイジョウブ・市の補助が入っていないから(市による)指導の対象では無い など、職員の持っている情報次第で大きく間違った方向に賽(さい)が投げられるところでありました。

しかも 二重の問題と言えるのではないかとされる点は、これらの生半可な対応が いわゆる社会的弱者である障がい者さんを適切に支援することを職務(職責)とする福祉担当の職員によって為(な)されていた(いる)という現実(実態)であります。

前述のとおり、たとえばAくんのような 生保を頼りに生きている障がい者さんは、何か分からないことや困ったときには 何はなくとも行政(職員)を頼り、適切な(正しい)アドバイスを受けたいと乞うところでありましょう。

その切実(悲痛)な声に対するファイナルアンサーが間違っていたとしたら…。

 

また、この Aくんの不安要因の(大きな)一つには、就労先である障がい者支援団体(担当者)の〝事務手続きの遅さ〟があると断ぜられます。

Aくんが受傷させられた。それは もしかしたら万(ばん)やむを得ないこととしながらも、問題は その後の対応の〝スピード感〟です。

もし、Aくんの受傷後ただちに雇用主(障がい者支援団体)が 治療費や補償の補填の事務手続きに入っていれば、Aくんの無用とも言える不安は生じることも無く推移し、その後の生保関連等の対応もスムーズに行なわれていたでしょう。

 

本来 社会で最も庇護(ひご)されるべき社会的弱者が、最もないがしろにされているとも言われかねない実態がある現実社会。

この現実を目にした以上は、これを看過することがいかにできるものでありましょうか。

 

立ち止まってはいられない。

改めて そう思わされる案件でありました。

引き続き、全力を尽くしてまいります

 令和5年9月17日執行の長野市議会議員選挙において3回目の当選を果たさせていただきました。多くの方々にご支持賜りましたこと心より感謝申し上げます。ありがとうございました。  今般より議員定数36へと3減となったことに加え、立候補者51名という当事者側からすると激戦となった市議選でありました。他方、市民の関心度は高かったとは言えず、投票率37.32%と投票率低下に歯止めをかけることができませんでした。このことは当事者として真摯に受け止めなければなりません。  選挙後、信濃毎日新聞社説等において論ぜられておりますが、いくつかの要因が重なり合っていると受け止めています。 社説では、 ・長野市自治の足腰が弱っているのではないか。 ・当選議員にとって自らの存在意義に関わる問題。 ・1995年の長野市議選投票率60・13%を受け「目を覆わんばかりの低投票率は何を物語るか」と社説で論じた(当時は60%超を低投票率と呼 ぶに等しかったのだろう) ・30年足らずの間に市の環境は大きく変わった。 ・議員が何をしているか見えない―との声をよく聞くようになった。 ・全市的な課題には「地元」意識を超えての取り組みが必要。 ・市民との距離を近づける更なる工夫が必要。  等の指摘がありましたがその通りです。以前のブログでもご紹介しましたが、私の行動指針「歩く 聴く 届ける」に基づき、これまでの8年間地元を中心に活動してまいりました。   特に、市民から見える活動、市民との距離を近づける工夫について、試行錯誤しながら実践してまいりましたが、3期目においては、更に、強化を図りつつ、自らの存在意義を自問自答しながら活動してまいります。  いよいよ10月1日から3期目がスタートします。とにかく引き続き、全力を尽くしてまいります。

23日の新聞報道 その後

令和5年長野市議会議員選挙から10日余が経過しました。

そして、私に関する唐突な新聞記事が掲載されてから6日余が経過しています。

あれから相当の時間が経過してしまいましたが、この間 周囲から寄せられてきた批判や激励がない交ぜになった多くの反響に基づく出稿元(記者)とのやり取り等に相当の時間を要し、ついぞ今日にまで至ることとなってしまいました。

 

この間、私自身 学ぶことがありました。

先ずは公職選挙法の難しさ。

後に確認すれば、出した側は真摯かつ単純な御礼のつもりであったとしても それが選挙中に出されたことで、公選法に須(すべから)く準拠していないとの指摘があれば、それは思慮が足りなかったと申せます。

ただ これはあくまで儀礼の範囲であり、私以外の陣営も一般的に行なっていることを側聞するとき、今後は私の陣営においては よりシビアに対応しなければならないことを思い及んだところでありました。

今後は、電話やメールで謝意を示すことが妥当ではないかと考えているところです。

 

そして これはやや心情的な面になりますが、私(私たち)が 心からなる謝意を示して出したささやかな礼状ハガキを 中身を熟読しないままマスコミに流した人の心理はいかばかりか ということを悩ましく受け止めました。

私(私たち)なりに示した誠意が 全く違う形で受け取られ(またはそこ(誠意)を分かっていたうえでのことかは知る由もありませんが)その対応として「当選御礼ではないか」と(マスコミに)持ち込んだ人は、それを遡(さかの)れば どういう気持ちで我が陣営に差し入れを持ってこられたのか…悩ましい限りであります。

 

そのうえで、今回の新聞記事の掲載内容であります。

みなさん既にご案内のとおり、あの記事の見出しは 私(倉野)が「当選御礼のハガキを出した」となっており、多くの(新聞)読者の方々は あたかも私が端(はな)から当選御礼のハガキを出したものと認識し、そのように印象づけられていることを知らされています。

そのことは ときに誹謗(ひぼう)からなる〝言葉の刃(やいば)〟として ときに私に直接向けられ、さらは 私を純粋に応援してくださった方々に対しても、いわば「からかいの言葉」として向けられていることを知ることで非常に残念に思い、また(私を応援してくださった方々に対し)申し訳なく思うばかりであります。

 

取材した記者に確認するなどしたところ、真相は下記のとおりのようです。

これまでも明らかになっているとおり(23日の記事の本文にあるとおり)私は、選挙の告示日以降にいただいた祝電・メッセージ・差し入れ等に対し、純粋な謝意をもって礼状ハガキを郵送しました。その差出し期間は 9月13日頃~15日までの間でありました。

この間 14日頃にも差し入れをいただいたことから、早急に御礼を申し上げなければとの思いから 15日の早朝(6時半頃)郵便局前ポストにおける第一回目の収函に間に合うように投函すれば その日の配達分に含まれると側聞して(早朝に)投函したのですが、残念ながらその日(15日)の配達分には含まれず 一部の礼状(15日投函分)は、土日休日を経て週明け(投開票日以降)に届いたようなのです。

で、その週明けの配達分の礼状ハガキが「当選の礼状ハガキではないか」との認識の下で新聞社に持ち込まれ、それが〝証拠〟として独り歩きを始めたようなのです。

 

記者は私に「ハガキを受け取った人が「当選御礼と思った」と言っている。」と話しました。

しかして記者は、その人の言葉を鵜呑みにして「これは当選御礼ハガキだ」と判断したのでしょうか。

しかしハガキの内容は 単に差し入れ等に対する御礼に過ぎず、配達された日にちは選挙後であっても その文中に「当選御礼」の表現は一切ありません。

また このハガキは あくまで特定な人に出された御礼ハガキであり、選挙期間中にみだりに文書図画を頒布するという行為でもなく、あの報道は過剰に過ぎたと思うところです。

 

そのうえで。

今回の新聞報道において 私(私たち)が、(これは私個人の問題に限らず)最も問題視せざるを得ないのが「記事のタイトルと本文(事実関係)の大きな相違」です。

記事を読み返していただければ判るとおり、記事のタイトルは「当選御礼ハガキを出した」ですが、本文は「祝電や陣中見舞い等への礼状を出した」に止(とど)まっています。

しかし 記事を熟読しない読者(有権者)は、記事のタイトルと本文の書き出しを見た(読んだ ではなく)瞬間に、私が端(はな)から当選御礼ハガキを出したんだ との半ば〝断定〟につながっている現実がそこにあるのです。

これは ひいては「印象操作」とも思われかねない表現方法であり、併せて 非常に恐ろしいことであると思います。

 

通報や情報提供による記者の取材。それらを積み上げたうえで文字(記事)にする作業。

そしてそこには、公(おおやけ)の場=紙面 に出来事を、いわば世間(社会)に晒(さら)すことへの責任が生じるハズです。

 

私の周辺におられる同紙の読者の中には、私のことも然(さ)ることながら、今回の報道において大きく矛盾した内容を平然と(読者さん曰く)掲載した同紙の姿勢そのものに大きな疑問(憂慮)を抱く方が少なからずおられることに気づかされます。

ある御仁は「これは あの「松本サリン事件」の初期報道と同じじゃないか。」と憤(いきどお)っておられました。

1994年に発生した「松本サリン事件」この際も 同紙は、十分な裏付けが無いままに第1通報者の河野義行さんを犯人視する報道をしていました。

いわば冤罪記事であります。

このことについては、同紙創刊150周年に際し 論説主幹が強い内省を込めて寄稿しています。 

 

 

 

寄稿文は「1994年夏 県警本部担当記者のリーダーだったとき「松本サリン事件」が勃発、その際に 150年の社史において目を背けることのできない重大な人権侵害をした。信濃毎日新聞は裏付けのないまま第1通報者の河野義行さんを犯人視する報道をしてしまった。取材力・判断力・人権を尊重する姿勢・報道記者としての自覚。すべて足りなかったと思う。」

「あの時、メディアは恐怖や不安をあおるように「早く真相を知りたい」という欲求を満たすように、真偽不明の情報に飛びついては 異様な熱を帯びて報道合戦を繰り広げていった。距離を置いていたつもりが、渦の中にいた。浅はかな思い込みが急所となった。悔やみきれない。」旨を述べています。

この後 初期の報道によって犯人に仕立て上げられた河野さんは、それが後に誤報道と判った後も「悪しきレッテル」を貼られ、誹謗中傷などの言葉に尽くせぬ社会的被害を受け続けることになったことは周知のことであります。

 

さらに御仁は「事(こと)の大小はあれど、今回の報道も似たようなケースだ。あんな失敗を犯しておきながら、この新聞社は報道の機微について何ら学習をしていないのか。」

「これは、単にアンタのことに止(とど)まらない。このような先走った報道が平気で行なわれ続ければ、われわれは何を信じて情報に接すればイイのか。」と強い憂慮を示しておられました。

 

 

あの記事の掲載後、私は数度に亘って出稿元(記者)と話しをしました。

記事の掲載に至った経緯を訊き、そのうえで事実誤認・解釈の相違点について胸襟を開いて話したうえで 記事のタイトルと本文との大きな相違について指摘し、さらに 多くの読者が憂慮する「マスコミによる報道の在り方」についても言及したうえで、改めて本件について追記事を掲載することを求め 記者もそれを真摯に捉え、掲載に向け 上(デスク)と相談すると前向きな様子で電話を切りました。

 

ところが、です。

その日(27日)の夜、私のスマホにSNSが。

掲載見送りの連絡でした。

 

 

 

この決定が どのような経過で下されたのは知る由もありませんが、同紙デスクは 追記事掲載の必要性を認めなかったということでありましょうか。

 

 

・・・・・・。

前掲のとおり、私にとって今回の一件は さまざまなことを学び、また さまざまなことを感じ入る機会となりました。

その学びの内容は 多くは苦行となるものでありましたが、せめてもの救いは「理解者」の存在であります。

さまざまな経過を踏まえたうえで「その全てを糧(かて)にして頑張れ!」と言ってくださる方々の存在。これは私にとって このうえなく心強いところです。

おそらくは、今後の人生行路の中で 茨(いばら)の道も待ち受けているかもしれませんが、私自身 多くの方々にお支えいただいていることを何よりの励みとし、これからも あまねく市民みなさんのために精進してまいる決意を新たにいたしたところであります。

 

何より 目前に横たわる諸課題は枚挙に暇も無く、おろおろと立ち止まっている場合ではありません。

これからも「滅私奉公」の意気で歩んでまいります。

 

今朝(23日)の信濃毎日新聞の報道について

今朝(23日)の主要地方紙に、さきの長野市議選における私の行為が掲載されました。

みなさまにおかれましては たいへんお騒がせすることとなり、改めまして心よりお詫び申し上げます。

 

 

 

但し、この記事のタイトルと記事内容には大きな違いがありますので いわゆる〝三分の理〟として述べさせていただきます。

当方は 選挙中の差し入れ等へ御礼を述べるハガキは出しましたが、当選を御礼する内容のハガキは出しておらず、その点(表現)について、記事のタイトルと記事の内容(実際のハガキの内容)が大きく異なっているのです。

賢明な読者は 記事を読み進めていただければお判りのとおり、(記事の)タイトルは「当選御礼ハガキを出した」ですが、私の発言(事実)を元にした本文では「あくまで陣中見舞いなどへの礼状ハガキを出した」こと(事実)だけが掲載されていることから、この記事自体 タイトルと本文の内容とが合っていないのです。

なぜ このような〝矛盾記事〟を掲載するに至ったのか、疑問に堪えません。

ただ (新聞の)一般読者の方々は、記事のタイトルを見た瞬間に第一印象を抱かれることから、私が端(はな)から当選御礼ハガキを出したように思われたことについては残念に思うばかりです。

 

こちらとすれば、いただいたものに対し 純粋な謝意をもって善意(儀礼)で出した礼状ハガキ~それも みだりに不特定多数の有権者に出したものではないもの~が、当方の儀礼を受け取ったハズの人の手によってマスコミに持ち込まれたという事実に少なからずショックを受けているところですが、一方で報道の後も多くの方々に励ましの言葉やメッセージをいただいていることに、今まで以上に感謝の念を新たにしているところであります。

 

いずれにしても、いくら期を重ねたとはいえ 公職選挙法に対する認識が甘かったことを改めて反省し、今後は二度とこのようなことの無いよう自戒してまいる所存であります。

 

以上、お詫びとご報告に代えさせていただきます。

今朝(23日)の信濃毎日新聞の報道について

今朝(23日)の主要地方紙に、さきの長野市議選における私の行為が掲載されました。

みなさまにおかれましては たいへんお騒がせすることとなり、改めまして心よりお詫び申し上げます。

 

 

 

但し、この記事のタイトルと記事内容には大きな違いがありますので いわゆる〝三分の理〟として述べさせていただきます。

当方は 選挙中の差し入れ等へ御礼を述べるハガキは出しましたが、当選を御礼する内容のハガキは出しておらず、その点(表現)について、記事のタイトルと実際のハガキの内容が大きく異なっているのです。

ただ 一般読者の方々は、記事のタイトルを見た瞬間に第一印象を抱かれることから、私が端(はな)から当選御礼ハガキを出したように思われたことについては残念に思うばかりです。

こちらとすれば、いただいたものに対し 単純な謝意をもって善意(儀礼)で出した礼状ハガキがマスコミに持ち込まれたという事実に少なからずショックを受けているところですが、一方で報道の後も多くの方々に励ましの言葉やメッセージをいただいていることに、今まで以上に感謝の念を新たにしているところであります。

 

いずれにしても、いくら期を重ねたとはいえ 公職選挙法・とりわけ文書図画に対する認識が甘かったことを改めて反省し、今後は二度とこのようなことの無いよう自戒してまいる所存であります。

 

以上、お詫びとご報告に代えさせていただきます。